教会を抜け出した時臣と雁夜。現在、彼らは冬木にある喫茶店『アーネンエルベ』を訪れていた。
和装で白髪の青年と深紅のスーツを着た顎髭の青年2人がコーヒーと紅茶を片手にレモン風味のスフレチーズケーキとシナモンが効いたアップルパイをつまむ姿は違和感の塊以外の何者でもないが、この店内でそんな風景はザラなもの。
ウェイターが青髪赤目、常連さんは和服の上から赤のジャケットと、奇抜な客と店員しか居ないこの店に常識を要求するのは無粋なものだ。
何しろ、この店は『第二の魔法使い』キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが制作に関わったある意味曰く付きの店なのだから。
「ふむ。雁夜と此処に来ると昔を思い出すな。葵と君と私の三人でよく遊びに来たものだ」
「……ああ、そうだな。お前はよくうっかりで『紅茶』じゃなくて『昆布茶』を注文してたし、俺は飲めもしないブラックコーヒーを頼んで意地を張ってた。……って、やめろよ。昔を懐かしむと、三十路前なのを改めて感じるだろうが」
「ははは、違いない。……で、本題なんだが」
「分かってるよ」
そう答えた雁夜が袂から取り出したのは分厚い封筒。その表面には『円蔵山調査報告』の文字がプリントされている。
「これが今回の調査の詳細かつ正確な内容だ。ありとあらゆるデータを添付してあるから後で確認しとけよ」
「あぁ、ありがとう。……しかし、先程は当主らしかったのに、やはりこうしてみると君は君だな」
「公私の切り替えは社会人の基本だろ。……変わってないのはお前もだしな、時臣。桜ちゃんを送り出す時に限ってうっかりを発動させる事も無いだろうに」
「うっかり?」
「先々代、もとい臓硯の爺さんは俺が帰って来た頃には完全にイかれてた。後継者の俺が海外留学してるのに桜ちゃんを引き取ったのはまだ良いとして、後継者として扱うべき桜ちゃんを拷問してやがったからな」
「なっ!? ……桜は、桜は大丈夫なのか雁夜!?」
雁夜の発言に血相を変える時臣を見て、雁夜は内心安堵した。やはりこの『うっかり大明神』はワザとあの蟲妖怪に我が子を売り渡した訳ではないのだと。……ならば、この男『遠坂時臣』に雁夜は恨みを向けるべきではない。そんな権利は雁夜に無い。自身もワザとではないにしろ桜を蟲蔵にぶち込んだ元凶なのだから。
こいつを恨んで良いのは桜ちゃんだけだ。
そう考えを固めつつ、雁夜は一応の腐れ縁として言葉を続ける。
「まぁ、今のところは俺が保護してるから大丈夫だ。だが拷問のせいで感情が欠落寸前だし、お前を恨んでるかもしれない」
「そう、か…………。私がもう少し思慮深く行動していれば……」
「まぁ確かに、何で親戚のエーデルフェルトを頼らなかったのかを問いたい所だが、今はそんな事はどうでもいい」
「どうでもいい……? どういう意味かね? 返答次第では私も流石に怒るぞ雁夜」
ムスッとした表情の時臣に、コーヒーで軽く口を湿らせつつ雁夜は答える。
「過去を悩んでる暇があったら今を考えるべきだろ。……桜ちゃんはまだ生きてるんだ。いつか、この戦争が終わった後で謝って、それから凛ちゃんと葵さんを連れて遊びに来い。戸籍上は俺の子だが、実の親ってのは大事だ。実の親に会ったことが無い人間が言うんだから間違い無いぞ?」
「……そうか。……そうだな、いつか近い内に桜に会いに行かせて貰うよ、雁夜」
何やら感動気味に呟く時臣に苦笑しつつ、雁夜はケーキを口に運ぶ。と、逆襲するかのように時臣が口を開いた。
「しかし雁夜。君は好い加減に結婚しないのかね? いや、君が葵を好きなのは学生時代から知っている。が、そうは言っても魔術師としても社会的にもそろそろ結婚を視野に入れた交際相手ぐらい居ても良い筈だが」
「……悪かったな、横恋慕で」
「いや、横恋慕ではないさ。君と私が葵を好きになったのはほぼ同時期だし。……そういう話ではなく、そろそろお見合いの話ぐらいは無いのかね? 間桐は遠坂、アインツベルンと同じくかなりの名門だ。縁談の一つや二つありそうなものだがね」
「……縁談か。何故かは知らんが無いな。だけど、それがどうかしたか?」
「いや、見合い程度なら私がセッティングしてやろうかと」
時臣のその発言に思わず咽せつつ、雁夜は手で『要らない』との旨を示す。
「そうか。まぁその気になればいつでも言いたまえ」
「あぁ……まぁ、その日が来ればな」
お茶を濁す雁夜とクスクスと笑う時臣。
腐れ縁で繋がった男二人の会話はそれから暫く続いたのだった。