「やあああああああああっ!!!」
チヅルは鬼人化すると、セイフレムに向かって駆け出した。
(すごい…!これが竜人の能力なの…!?)
チヅルは、周囲の時間がゆっくり流れているように感じていた。セイフレムの動きはもちろん、自分が踏みしめた大地から飛び出した、砂のひと粒ひと粒までが鮮明に認識できる。
チヅルはセイフレムが追いつけない程の速さで攻撃を始めた。
(身体が…軽い…!)
双剣の奥義である鬼人化とチヅルの竜人としての能力が、チヅルの力を極限にまで高めていた。
「くっ…!」
セイフレムは思わず歯軋りした。今のチヅルに、こちらの攻撃を当てることは無理だろう。だがセイフレムも、数多(あまた)のハンターとの戦いで培ってきた経験と知識と勘がある。
その中で、両手に剣を持つタイプのハンターの弱点も、セイフレムは知っていた。
(今は急所へ攻撃されないよう、身を固めるしかないわね…)
セイフレムはそう考え、チヅルの攻撃から急所である頭部と胸部を守るように立ち回った。
(動きが変わった…?)
チヅルも、セイフレムの動きが変わったことに気が付いた。しかし、それはこちらの猛攻撃を耐抜くための防御姿勢だと思い、もう一息だとチヅルはさらに攻撃の手を強めた。
双剣と自分が繋がっているかのような感覚に、チヅルは一種の快楽を感じていた。―――そのせいか、チヅルは双剣使いが起こす、最も致命的なミスを犯してしまっていた。それは即ち、鬼人化の多用に対するスタミナ切れである。
「あ…っ!?」
急に視界が狭くなった。あんなに軽かった身体が一気に重くなり、息が切れる。
(そんな…!竜の力を開放していれば…大丈夫なはず…なのに…!)
ここでチヅルは、竜の力を以てすれば永久的に鬼人化し続けることができるという考えは、間違っているのだと理解した。チヅルは、己の竜の力を過信しすぎたのだ。
そしてセイフレムは、チヅルが自ら生んだ大きな隙を逃すわけもなく数歩後退すると、リオレイアの持つ必殺技「サマーソルト」の体勢に入った。セイフレムは飛び上がる瞬間に、チヅルの絶望した表情が目に入ったが、気持ちを押し殺して宙返りした。
―――尻尾に、確かにチヅルの体重を感じた。
セイフレムの尻尾は、チヅルの腹に直撃した。
「―――ッ!!!」
チヅルは声も出さずに放物線を描いて吹き飛び、受身も取らないまま地面に叩きつけられた。
衝撃でガルルガヘルムがチヅルの頭から外れ、地面を転がった。
「…」
セイフレムは黙って動かないチヅルを見つめ続けた。
動かないチヅルに対して声を掛けようと口を開こうとしたその時、チヅルがゆっくりと上半身を起こし始めた。
「うっ…!くっ…!ああ…ッ!」
悲痛な声が、巣穴に響く。
チヅルは起こした上半身を、震える両腕で支えていた。肩で呼吸し、瞳は未だに竜のそれであったが、覇気が無い。
「ぐッ…!やっぱり、強いなぁ…、あなたは…っ!」
チヅルは、途切れ途切れに言葉を発した。
「でも…でもね…っ!くっ…!私にも…まだ死ねない…理由があるの…!」
チヅルの言葉を、セイフレムは黙って聞いている。
「私の帰りを待ってる…みんながいる…!だから…!」
チヅルはここまで言うと、立ち上がろうと両脚に力を入れる。
しかし、下半身の力が抜けてしまい、その場で正座する形になってしまった。
「だから…私は、あなたを倒して…みんなの…ところに―――ッ!?」
突然、チヅルの口から真っ赤な血液が飛び出した。
「え…?」
チヅルは、自分の血で汚れた地面を見つめた後、ゆっくりと視線を自分の身体へと向けた。
―――そして、チヅルは見てしまった。
「あ…う…嘘…ッ!?」
チヅルは自分の脇腹に刺さっている、自分の腕くらいの太さのものを見てしまった。
それはリオレイアの尻尾に生えている棘(とげ)で、その棘はチヅルの腹部を貫いて、背中側から飛び出ていた。
チヅルの身体を、防具と一緒に貫通しているのである。
「あぁ…あぁあああ!!!…うぐッ!?」
チヅルはこみ上げる吐き気に、慌てて口元を両手で塞いだ。
「がはッ!!!」
堪え切れず、チヅルは再び大量の血を吐いた。
指の隙間から噴き出した血液は放射状に飛び散り、辺り一面に赤い花を咲かせる。
「はあっ…!はあっ…!でも…それでもね…ッ!」
チヅルの言葉は続いた。
「それでも…私は…!みんなのところに…帰るの…!帰るのよ…ッ!」
チヅルは、隣に転がっていた「封龍剣・超絶一門」を手に取る。
(凄い…!)
セイフレムはチヅルの状況を見て、本能的な危険を感じた。
(竜人の体力は底無しなの…!?)
セイフレムは、一気に決着を着けることを決めた。チヅルが立ち上がる前に、トドメを刺すのだ。
セイフレムは、チヅル目掛けて走り出す。そして蹴り飛ばす直前に、セイフレムはチヅルの顔を見てしまった。
チヅルは―――全てを悟ったような、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「…!」
セイフレムが「しまった」と思った時には、既にチヅルを蹴り飛ばした後だった。
チヅルは双剣をその場に残し、自身は何度も地面に身体を打ちつけながら隣のエリアのひとつである、高い崖があるエリア6番の出口まで転がっていった。
そして崖の手前で止まったかと思い、セイフレムがチヅルのもとへ近づいたが、あと5・6歩というところで、チヅルは崖の下へ姿を消した。
「…」
セイフレムは黙って目を閉じ、チヅルが崖下に落ちる音に耳を澄ませた。しかし、その音はなかなか聞こえてこない。
不思議に思ったセイフレムは、チヅルが落ちた場所まで歩みを進めて崖下を覗いて、驚きに目を見開いた。
チヅルは、右手だけで崖の淵に掴まっていた。
宙吊りのチヅルは、セイフレムの顔を見ながら、笑顔で言った。
―――あ、り、が、と、う。
一言だけ残し、チヅルは崖下へと落ちていった。
(ごめんね…みんな…)
落下する間に、チヅルはパーティメンバーのことを思い浮かべた。
これが、走馬灯というものなのだろうか。
今までの思い出が、一気に流れていく。
(ごめんね…クレハちゃん…)
最後まで気にかけてくれたクレハに、申し訳ない。
(ごめんね…ジュンキ…)
結局、最後まで思いを伝えることはできなかった。
(父さん…母さん…今、会いに―――)
―――ゴシャッ!!!
チヅルは、背中から崖下の地面に叩きつけられた。衝撃で身体が反り返り、再び宙に浮く。
全身の骨が砕け、チヅルの身体を守ってくれていたガルルガシリーズの防具も、粉々に四散した。
「グハ…ッ!!!」
チヅルの口から、三度真っ赤な血液が飛び出す。
―――これでも、チヅルはまだ死ななかった。チヅルは竜人の強靭な生命力と精神力を、この時ばかりは恨んだ。
「う…ッ!うあぁ…ッ!!!」
全身を襲う、まるで火炙りにでもされているかのような灼熱の激痛に、チヅルはうめき声を上げるしかなかった。
しかし、次の瞬間には、チヅルはまだ生きていたことを喜ぶことになる。
「チヅル!?」
隣のエリアから走ってくる人影に、チヅルは出来る限りの笑顔を浮かべたのだった。