これは、紅龍ミラバルカンとジュンキ達が戦う、直前の物語である。
クレハは、ドンドルマの街にあるハンター専用の宿舎―――通称マイハウスの自室の扉を、壊さんとする勢いで開くと急いで閉じて、ドアに背を預け、その場に座り込んだ。
「ん~!チヅルちゃんのばぁか~!!!」
クレハは自分の震える両手を見つめた後、天井目掛けて叫んだ。
「ど、どうしたんですかニャ旦那さん!?」
「へっ!?や、な、何でもないの!何でも…!そ、それよりお風呂入るから、沸かしてきてくれない?」
「はニャ?そうですかニャ?分かりましたニャ!」
部屋付きアイルーがクレハの大声を聞きつけて飛んできたので、クレハは適当な理由をつけて追い返してしまった。
「ふうっ…」
クレハは何度も大きく深呼吸して心を落ち着けると、ゆっくりと立ち上がった。
「私…何動揺してるんだろ…」
胸に手を当ててみると、まだ心臓が早鐘のように打っている。クレハは再び大きく深呼吸するとアイテムボックスの前に立った。そこでクレハは背中から双剣ツインハイフレイムを外し、アイテムボックスの横に立て掛けた。
視線を上げ、壁に飾られた双剣―――の片方を見つめる。
「…師匠」
思わず口に出してしまった。
この一本の双剣は、クレハの師匠であるジークという人物が、自分の前から姿を消す直前に与えてくれた物である。
「旦那さん、お風呂がぼちぼち沸いてきたニャー」
「あ、ありがとう」
部屋付きアイルーの声に、クレハは我に返る。
まだ風呂には早い時間だが、こちらの都合で沸かせてしまったのに入らないのはあまりにも申し訳ないので、入ることにした。まず、結っていた青色の髪を解くと、レイアヘルムを外した。結っている時は背中の上ほどまでしかない髪が、腰の上まで伸びる。
「ふう…」
レイアヘルムに押し込まれていた、ちょっと自慢のストレートヘアーの開放感に、クレハは思わずため息を吐いた。
このままレイアメイル、アーム、フォールド、グリーヴを除装し、インナーだけを纏った状態になる。
脱いだ防具はアイテムボックスに整頓して収納し、替えのインナーを持つと脱衣所へと向かった。脱衣所と自室を繋ぐ曇りガラス扉を閉めると、インナーを脱ぐ。洗い物用のカゴに入れておくと勝手に洗ってくれるので、面倒臭がりのクレハにはありがたいシステムだ。
脱衣所には既に浴室タオルとバスタオルが用意されており、クレハは浴室タオルを手に取ると、浴室に入った。
―――説明が遅れたが、マイハウスにはハンター専用大浴場の他に、こうして個室にも風呂がある。
浴槽の中は四分の三程が湯に満たされており、クレハは浴室タオルをタオルラックに掛けると給湯栓を閉め、手桶で一度体を洗い流してから入浴した。
「ん~!やっぱり入って正解だったなぁ~…!」
物音ひとつしない、静かな空間。どうしても、先程のチヅルとの会話が思い出されてしまう。
「…チヅルちゃんの、ばか」
先程、クレハはチヅルから、実に変なことを言われてしまった。
簡潔にまとめると、ジュンキとクレハはお似合いだということらしい。
「何でそうなるのかなぁ…。私が、チヅルちゃんとジュンキが上手くいくようにアドバイスしてるのに…。大体、私とジュンキを、リオレイアとリオレウスに例えなくても―――」
ここでクレハは言葉を切った。いや、切れた。
「リオレイア…か」
リオレイア―――学問上は、竜盤目・獣脚亜目・甲殻竜下目・飛竜上科・リオス科に属する飛竜であり、リオレウスと番となることでハンター達の間では有名である。
だがクレハにとってのリオレイアとは、とても思い入れがあるものなのである。
「…母さん」
クレハは目を伏せると、記憶の彼方へと意識を飛ばした。
※
あの事件が起きたのは、私がまだ12歳の時だった。
私の生まれ育った村は交通の便が悪く、村を守るハンター、つまり村に居座るハンターは、私の母のみだった。
母は、女手ひとつで私を育ててくれていた。なので、母のもとに狩りの依頼がくると、私はひとりでお留守番をしていたものだ。
私は一緒に行きたいと毎回言ったものだが、母は決して首を縦には振らなかった。
ある日、いつものように、母のところへ狩りの依頼がやってきた。
いつも快く引き受ける母だったが、この日ばかりは表情が険しかったのを、今でもハッキリと覚えている。
そして、母はいつもより重装備で、家を出ようとしていたことも、ハッキリと覚えている。
「お母さん…」
「大丈夫。必ず戻ってくるからね」
「私も…一緒に…」
母は装備を点検する手を止めて、私の両肩に手を置いた。
「クレハがもっと大きくなってから、一緒に行く約束でしょう?それまでは、我慢してね」
「…」
「返事は?」
「…はい」
「いい子ね」
母は、満面の笑顔で私を優しく抱きしめた。
「それじゃあ行ってくるから。お留守番、よろしくね」
「行ってらっしゃ~い…」
母は笑顔で手を振ると、後ろ手で家の扉を閉めた。
足音が遠ざかると、私は裏口から飛び出した。
今回の狩りは、いつもと違う。どうしても、気になった。
家屋の陰や木の裏に隠れながら母の後を追うと、母は村長と何か話し合っていた。
あんな真剣な母の顔を、私はこれまで見たことが無かった。
やがて母が大きくしっかり頷くと、村の裏の出口へと向かって歩き出した。
私も、慌てて追いかける。
母は、この村唯一のハンターなので、この村から出たりはしない。狩場は、いつも村の裏の山だった。そしてここは、村人ならば誰もが地理を知っている。
もちろん、私も。
幼い私がヘトヘトに疲れてしまい、そろそろ母を追いかけるのを諦めようと思ったその時、今まで疲れを微塵も見せなかった母の歩みが、突然止まった。
私は、慌てて木陰に隠れる。
やがて、母の声が聞こえてきた。
「ごめんなさい。あなたには悪いのだけれど、ここを立ち去ってもらえないかしら。この近くに、私達の集落がある。このままここに営巣(えいそう)すれば、あなたも、あなたの子供も危ないわ」
…誰に向かって言っているのだろうか。私は、目を凝らした。
しかし、母の前には何もいない。一面、緑の森―――いや、何か、巨大なものが動いた!
「駄目…よね。出来れば私も、あなたを攻撃したくはないのだけれど…仕方ないわ。私の方が強いと判断してくれたら、その時は素直に身を引いてね。そうすれば、私もそれ以上の危害を加えないから…」
母はそう言って、背中の双剣を抜いた。
それと同時に、辺りへ響いた爆音―――今ならば、それは飛竜の咆哮だと分かるのだけれど―――に、私は両手で耳を塞いだ。
ようやく辺りを確認できる程に私は落ちつくと、その時には既に、母と飛竜の戦いは始まっていた。
今まで母の前には何もいなかったと思っていたけど、それは間違いで、周りの森の緑に溶け込むような、深い緑色の飛竜がいたのだった。