「…?」
視界の端に、動く何かが入った。
ココット村の裏山に広がる丘陵地帯。通称、森と丘。そこは草食竜アプトノスから小型肉食竜ランポス、はたまた天空の王者と呼ばれる雄火竜リオレウスまで幅広い生態系を持っている狩り場である。
今動いた草の影。そこにいるのは何だろうか。彼女は折り畳んで背負っていた弓「ハンターボウI」を取り出し、構える。見た目は子供でも、彼女はハンターだ。
「なに…?」
抜き足差し足で静かにその場所へと歩み寄る。そこにいるのが草食竜なら問題無いのだが、肉食竜だったら大変だ。彼女が背中を向けた瞬間に襲い掛かってくるかもしれない。彼女の武器は弓で、相手に対して有効な攻撃を与えるには、ある程度の距離が必要だ。肉食竜の可能性が否定できない以上、慎重に対処する。
村のハンターに教わった弓の有効攻撃範囲ギリギリのところまで近寄った彼女は歩みを止め、静かに矢を引いた。
物陰に集中する。矢を引く手が震える。
恐怖心からではない。まだ14歳という幼い身体で矢を引くという動作は大変なことなのだ。
村の武器屋に特注で作ってもらった彼女専用の弓。大人用の弓と比較して威力は落ちるものの、矢を引き易く作られている。しかし、それでも辛い。
「…っ」
一旦休憩しよう。そう思って矢を引く力を弱めようしたその時、再び物陰が揺れた。
そして「それ」は現れる。
「…!」
物陰から出てきたのは草食竜でも肉食竜でもなく、飛竜だった。だが飛竜と言っても村長や村のハンターから聞いていた大型竜ではなく、とても小さい。
子供の竜だ。彼女でも簡単に抱え上げることができるだろうその大きさは、凶暴な竜の子供とはいえ愛嬌すら感じてしまう。
しかし彼女は警戒を解かない。小竜とはいえ、竜に変わりはないのだから。
「キュアア…ッ!」
彼女の放つ敵意を感じてか、小竜も彼女に向かって小さな口を開き、威嚇する。すると彼女は弓「ハンターボウI」を畳み、背中へと戻してしまった。
「…大丈夫。子供の竜は狩らないのが、決まりだから…」
彼女はそう言って子竜に微笑む。子竜も彼女の意図を受け取ってか、威嚇するのをやめた。
「こんなところにいると、ランポスに食べられちゃうよ?早くお帰り…」
彼女の言葉を理解したのか、していないのか、子竜は一歩、また一歩、彼女に顔を向けたままふらふら後退していく。しかしすぐに歩みを止め、その場に丸まってしまった。
「どうしたの…?」
彼女はハンターとしての心構えを忘れ、子竜に駆け寄った。そして、その子竜が脚に怪我をしていることに気が付く。
「怪我してる…。ちょっと待ってね…」
彼女はその場に膝をついて、アイテムポーチの中を探り始めた。子竜は彼女の行動に疑問を持ったように首を傾げる。
「えっとね…。あった。ほら、お食べ…」
彼女は先程採取したばかりの薬草を子竜に差し出した。しかし子竜は食べようとせず、彼女を威嚇する。
「…そうだよね。竜さんは草を食べないよね…」
彼女はしばらく「う~ん…」と考えた後、あることを思いつき、再びアイテムポーチの中を探り始めた。そして中から応急手当用の包帯を取り出すと、包帯に薬草を絡めて子竜の怪我した脚に巻き始めた。突然のことに子竜は驚き、暴れてしまう。
「わっ、お願いだから、暴れないで…!」
子供とはいえ決して弱くない脚力で蹴られたり、小さいながらも立派な翼で叩かれたり、防具を噛み切る力はまだ無いものの噛み付かれたりと悪戦苦闘しながらも、彼女は子竜の怪我した脚に包帯を巻くことができた。
「これでよし…。どう?痛いのなくなったかな…?」
脚に何か巻き付いているという違和感に最初こそ暴れていたものの、子竜は徐々に落ち着きを取り戻していった。そして今度はふらつくこともなく、しっかりと立ち上がる。
「よかった。もう痛くないね。さあ、お母さんのところへお戻り…」
彼女はそう言って立ち上がり子竜を見送ろうとしたが、子竜は立ち上がった彼女を見上げるだけでその場を動こうとしなかった。
「どうしたの?さあ、早くお帰り…」
彼女の言葉は子竜に届いていないようだった。それどころか子竜は彼女の右足を包み込むようにしてその場に座り込んでしまう。そして頬を彼女の右足に摺り寄せるのだった。
「ええっ…!もしかして、懐いちゃったの…?」
彼女の言葉に返事を返すかのように、子竜は「キュアァ…」と甘えた声を上げた。
「駄目だよ…。私は人間で、あなたは竜。一緒に暮らすことはできないんだよ。ごめんね…」
彼女はちょっぴり痛む心を抑えつけて右足に抱き着く子竜を引き剥がし、兄との合流地点へと歩き出す。トコトコトコ…と子竜が追い駆けてくる音が風音に交じって彼女の耳に届くが、彼女は振り返らない。すると子竜は寂しそうに「ピギュウ…」と鳴くのだった。
「…っ!」
彼女は思わず歩みを止め、振り返ってしまう。そこには懸命に小さな脚を動かし、彼女を追い駆ける子竜の姿が目に入った。
「…おいで」
子竜のひた向きな姿に、ついに彼女は折れてしまうのだった。