「着いたわよ、クレハちゃん」
セイフレムの声を聞いて、クレハは顔を上げた。
どこまでも広がるなだらかな丘。その中に突然現れるのがシュレイド城とシュレイドの街である。
クレハも肉眼で城と街を確認する。
「多分、ジュンキはもう戦っていると思う。だからセイフレム、私を城の中に降ろしてくれない?」
「分かったわ。でも地上から狙われたりしたら危ないから、その時はすぐに上空へ退避するわね」
「うん…」
クレハの返事を受けて、セイフレムはシュレイド城の上空へ飛んだ。街の人間にセイフレムの存在を知られない為にも、高度を維持して接近する。
「何?あれ…」
シュレイド城へと目を向けたクレハの視界に、真っ赤な何かが映り込んだ。
「…血の臭いがするわね」
セイフレムの言葉に、クレハは唾を飲み込む。城壁に囲まれた中庭が一面真っ赤だとすると、どれくらいの人間が血を流したのだろうか。
「…セイフレム。降ろして」
クレハの言葉に、セイフレムは何も言わないまま従った。
「…ぁ…ぁぁ…!」
セイフレムの脚の上から降りると、目の前の光景にクレハは発狂しそうだった。
一面血の海。
ところどころに転がる死体はシュレイド王国軍の兵士だ。どの死体も腕や脚、首、胴体などが切断されており、内臓をさらけ出して死んでいる。
その死体を求めて野鳥が集まり、突いている光景は地獄そのものだ。
「あ…ぐ…!うっ…!」
喉の奥からこみ上げるものを、抑えきれそうにない。クレハはその場に跪くと―――。
「―――ッ!!!」
吐き下した。
「大丈夫?クレハちゃん…」
セイフレムが歩み寄り、顔でクレハの背中をそっと撫でる。
「だい…じょうぶ…。ジュンキは…私以上に、苦しんでいる…はずだから…」
クレハは震える両脚を奮い立たせて立ち上がるとセイフレムを振り向き、その顔をそっと抱いた。
「…行ってきます。ここまでありがとう」
「気を付けて…」
しばらく抱き着いた後、クレハはゆっくりと血の海を歩き出した。徐々に速度を上げ、最後は駆け足で城の中へと消える。
その背中を、セイフレムは黙って見守るしかなかった。
「…やはり来たのか」
突然背後から聞きなれた声が発せられ、セイフレムは振り向く。そこにはかけがえのない夫、ザラムレッドの姿があった。
「彼女…竜人クレハを運んだんだな…」
「ええ…。でも、本当にこれで良かったのか、今でも疑問に思うわ…」
セイフレムはそう言い、ザラムレッドから目線を外した。
長い沈黙の後に口を開いたのはザラムレッドだった。
「…今は我々に出来る最大限のことをしよう。儂はこれから、あのお方のところへ行く。幸い、ここから近いからな。あのお方もこの時が来るのを予期して、こんな場所に営巣したのだろう」
「…そうね。じゃあ私は、各地に散った竜人たちを呼び集めるわ。間に合わないかもしれないけど、僅かでも間に合う可能性が残されているのなら、集めないわけにはいかないわ」
ザラムレッドの言葉に、セイフレムは顔を上げた。そして互いの頬を摺り寄せる。
「では、行こうか」
「ええ」
ザラムレッドとセイフレムは同時に飛び上がり、それぞれの方向へと飛んだ。
ザラムレッドはこの世界を統べているもう片方の王のもとへ。セイフレムは大陸の各地へと散った竜人たちのもとへと。
シュレイド城の中はクレハの予想以上に複雑だったが、ジュンキが気絶させたのだろう兵士達が床に転がっているので目印になった。
途中で兵士に見つかることもあったが、クレハは竜の力で強引に突破する。どうしてもという時には気絶させ、殺さない。殺したくない。
(ジュンキ…どうして…)
中庭の惨状がクレハの胸を締め付ける。それほどまでにジュンキは追い詰められているのだろうか。
(早く…追い付かないと…!)
クレハは脚の回転数を上げ、さらに速度を上げる。廊下に転がる気絶した兵士達をたどり、右折左折を繰り返す。
「待って…!」
突然右側から声を掛けられ、クレハは火花を散らしながら身体を止めた。そして振り向くと、そこではひとりの兵士が立ち上がろうとしていた。
気絶した兵士のひとりだろうと思っていたが、どうやら違ったらしい。しかしその兵士が帯剣していることを確認すると、クレハは眉間に皺を寄せた。
「…なに?」
図らずも言葉に棘が出てしまうが、この際気にしていられない。クレハは背中の双剣「ゲキリュウノツガイ」にすぐ手を伸ばせるよう警戒しながら、相手の言葉を待った。
「私は…レイス…。あなたは…ハンターですね…」
「…そうよ」
相手の意図が分からないので、クレハは警戒を解かない。しかしレイスと名乗った女兵士の次に放った言葉に、クレハは衝撃を受けることになる。
「ジュンキ殿の…知り合いでしょうか…」
「…!」
クレハはレイスに駆け寄ると、その両肩を掴んだ。
「ジュンキを知ってるの!?彼は…ジュンキはどっちへ行ったの…!?」
「彼は…恐らく練兵場です…。そこに…軍の最高司令官…グレムリン総帥も…」
「練兵場ね。ありがとう」
クレハは礼を述べると、すぐ駈け出そうと身を翻す。しかしその肩をレイスに掴まれ、クレハは再びレイスを振り向いた。
「あなたの…お名前は…?」
「私?私はクレハ」
「そうですか…。では、クレハ殿…。ジュンキ殿を…よろしくお願いします…!」
「…もちろん」
クレハは笑顔でそう言い、駆け出した。レイスと名乗った女兵士の言う通り、廊下の行先案内板に従って練兵場を目指す。
「ここね…」
クレハは廊下の突き当たりにある、練兵場と書かれた鉄の扉の前に立った。レイスの言葉を裏付けるかのように、この扉の両脇にも気絶した兵士が居た。
呼吸を整え、人間が横に4人並んでも通れそうな練兵場の扉を一気に開く。
「…ジュンキ?」
練兵場の中はとても広い空間だった。多くの兵士が一度に訓練する為だろうが、端から端までかなりの距離がある。
その部屋の一番奥に立つ、いかにも偉そうな人間がひとり。彼が、レイスが言っていたシュレイド王国軍の最高司令官、グレムリン総帥だろう。
そのグレムリン総帥の正面、練兵場の奥から4分の1くらいの場所にジュンキが倒れていて、ジュンキを囲むように30人程の兵士。その手にはハンターが狩りのために使うような大型の弓が握られており、ジュンキの身体には無数の矢が刺さっていた。