クレハが戻らないまま数日が過ぎた日の午前に、事は突然起きた。
その時ジュンキは朝食を食べ終えたハンターたちが出払って静かになった酒場で、狩りの準備を整えてクエストボードに張られた依頼書を見て回っていた。
クレハがまだ戻らないので、日帰りか2日くらいで戻れる依頼を受けようとしていたのだ。
「ん…?」
酒場の外から馬の嘶きが聞こえ、ジュンキは酒場の出入り口を振り向いた。その時に一瞬目を配らせてカウンターにいるベッキーの様子も伺ったが、ベッキーも何事かと酒場の出入り口を見つめていたので、ハンターズギルドとは関係が無さそうだ。
馬は草食竜アプトノスより飼育に費用がかかる為、ハンターズギルドは殆ど利用しない。ハンターズギルドが関係無いとなると、ジュンキに思い当たるところはひとつだった。
即ち、シュレイド王国軍。
以前ドンドルマの街で部隊を引き連れ、自分自身はもちろん、クレハやショウヘイを捉えようとした時の事をジュンキは思い出して身構えたが、酒場の中に入ってきたのはひとりだけだった。
身を包むのはシュレイド王国軍の甲冑。しかし、その顔には見覚えがあった。
「ダーク…!?」
シュレイド城でジュンキの身の回りの世話を担当していたダークだったのだ。
ジュンキが声を上げたことでダークはジュンキに気づき、嬉しそうな、でも悲しそうな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「ジュンキさん…!よかっ…た…!」
ダークは右手を伸ばしてジュンキの身体を掴もうとしたが届かず、音を立てて石畳の上に崩れ落ちてしまった。
「ダーク!?」
ジュンキは驚いてダークに駆け寄り、そして驚きのあまり青色の瞳を見開いてしまった。ダークの背中に3本の矢が突き刺さっていたのだ。
「ダーク、一体何が…?」
ジュンキはダークの顔を覗き込む。するとダークは震える両腕で上半身を起こし、何度も唾を飲み込みながら語り始めた。
「軍が…動き出します…!僕は…軍の考えに…賛同できない…兵士達の…代表として…あなたに…このことを…伝えに…っ!」
ダークはここまで言うと、再び崩れ落ちてしまった。
ベッキーがギルドの救護担当者を呼ぶ声を遠くに聞きながら、ジュンキはダークの言葉に集中する。
「城を…抜け出す時に…見つかってしまい…この様です…。ジュンキさん…ハンターズギルドの皆さん…軍の兵士全員が…好きで竜を殺している訳ではないのです…!どうか…お願いしまっ―――」
ダークはここまで言うと、ついに気を失ってしまった。それとほぼ同時に担架がハンターズギルドの職員によって運ばれ、ダークは速やかに運ばれていった。
恐らく大丈夫だと思うが、今はダークの心配をしている場合ではなくなってしまった。
ダークが命懸けで運んでくれた情報を、無駄にはできない。
ジュンキは無意識にシュレイド城へ向かおうと駆け出し、そして呼び止められた。
「ジュンキ君!」
呼び止めたのはベッキーだ。ジュンキはその場で振り向く。
「あなた…今どこへ行こうとしたの…?」
「シュレイド城だ」
ベッキーの問い掛けに、ジュンキは即答する。
するとベッキーは眉間に皺を寄せ、威圧するかのように言葉を紡いだ。
「…前に言ったわよね。この件はこちらに任せてって」
今度はジュンキが眉間に皺を寄せる番だった。
「ベッキー、今から書簡を送ったところで手遅れだ。軍は待ってくれない」
「じゃあどうするつもりなの?直接乗り込んで説得するつもり?」
「…その通りだ」
「…ふざけないで」
ベッキーの語気が強くなる。
「相手は軍隊よ?あなたがひとりで行ったところで、どうにかなる問題じゃない」
「どうにかするんだよ。それが竜人としての、俺の務めだからな…」
ジュンキはそう言うと身を翻し、酒場の出口へと歩き出す。
「待ちなさい!」
ベッキーはこれまでジュンキが聞いたことのない大きな声でそう叫ぶと、手を2回、パンパンッと叩いた。
すると酒場の奥から武装したギルドの職員―――ハンターズギルドが抱える戦闘集団、ギルドナイトが20人程現れ、ジュンキを囲むように円陣を組む。
「…何の真似だ?」
「あなたをシュレイド城へ行かせるわけにはいかないわ…。今のあなたは、簡単に人を殺す」
「…本当にそう見えるのか?」
「…」
「…それだけが理由じゃないだろう?」
「…」
ジュンキの問い掛けに、ベッキーは答えない。
「ハンターズギルドのハンターが、シュレイド王国軍に手を出した…。その事実はギルドにとって痛手になる…。そうだろう?」
「…その通りよ。今後の交渉の不利な要因になる」
「その心配はない」
「…どうして?」
「俺はこの瞬間、ハンターズギルドを脱退するからだ。これからの俺の行動は、ハンターズギルドに一切関係ない」
ジュンキはそう言って酒場の出口へと足を向ける。するとギルドナイト達は一斉に抜刀した。
一気に張り詰める空気に、酒場の中に残っていたハンター達が短い悲鳴を上げる。
「…ベッキー」
「…なに?」
「…いいのか?」
べッキーはジュンキの言葉の意味を理解できず、黙っている。するとジュンキは背中の太刀の柄に右手を添えた。
「これだけの人数でいいのかと聞いているんだ」
ジュンキはいつでも飛び出せるよう、姿勢を低くする。今物音を立てれば緊張に耐えられなくなった誰かが叫び、そして酒場が地獄と化すだろう。
長い沈黙の後、ついにベッキーが折れた。
「…分かったわ」
ベッキーは小さな声でそう言うと再び手を2回叩き、ギルドナイトを下がらせた。
「ジュンキ、ひとつだけお願い。人は殺さないで」
「俺もそうしたいよ」
ジュンキはそう言うと、カウンターのベッキーに背を向けて歩き出す。そして酒場から出る直前で立ち止まり、再びベッキーを振り向いた。
「ベッキー、俺からもひとついいか?」
「…なに?」
「クレハには…このことを黙っていて欲しいんだ。これから向かうところは、とても危険な場所だから…」
「…いいの?クレハちゃんも竜人。ひとりでも多いほうが安全じゃないの?」
「バカな考えだと思ってるよ。それでも、クレハに何かあったらと思うと…な」
「…分かったわ」
ベッキーの返事にジュンキは頷き、酒場を出た。そして駆け足でゲストハウスへと向かう。
ジュンキは自室に戻ると出発の準備を始めた。
(恐らく、力づくで止めることになるだろうな…)
ジュンキは収納ボックスを開くと、動きやすいよう必要最低限の道具だけ取り出す。
蓋を閉じると顔を上げた。そこには大剣「ジークムント」が午前の日差しで日向ぼっこしている。
ジュンキは大剣を手に取ると、背中の太刀の鞘の上から大剣を装着した。
大剣と太刀の2本刺し。
ハンターズギルドの規定で狩場に持ち込める武器はひとりひとつだが、今回は狩りに出るわけではない。あくまで「交渉」しにいくのだ。
部屋を出ようとしたところで部屋を見渡す。
「クレハ…必ず帰ってくるからな…」
ジュンキは一言漏らすと、ゲストハウスを後にする。そしてココット村行きの竜車に飛び乗った。
ミナガルデの街から竜車を使ってシュレイド城を目指すと何日もかかってしまう。ついこの前ハンターズギルドの要請で使者としてシュレイド城に赴いたが、片道だけでもかなりの時間が掛かっている。
そこでジュンキは、ココット村の裏山に棲んでいるザラムレッドに運んでくれるよう頼もうと考えた。きっとシュレイド城まで運んでくれるだろう。ザラムレッド…もといリオレウスの飛行速度なら、1日もあれば着くはずだ。
早くシュレイド城へ行かなければ。軍が出発してからでは止められなくなる。
焦る気持ちを抑え、ジュンキはココット村行きの竜車に揺られるのだった。