その日の夜。
クレハとジュンキは並んで倒木の上に座り、たき火の前で簡単な食事を摂っていた。街の酒場とは打って変わって、狩り場のキャンプでの食事は静かなものだ。
聞こえてくるのは、たき火の爆ぜる音や、鳥や虫の鳴き声。そして、武器や防具の擦れる音くらいである。
「…」
「…」
クレハもジュンキも何ひとつ話さず、黙々と簡素な食事―――と言っても、携帯食料だが―――を続ける。
普段からよく喋るクレハにとってはこの空気が苦痛で、つい何度も左隣りに座っているジュンキをチラチラと盗み見る。
やがて、偶然にも顔を上げたジュンキと目が合ってしまった。クレハは恥ずかしくなり、つい顔を逸らしてしまう。
「…クレハ、どうした?」
「な、なんでもないよ…!なんでも…」
そう言ってクレハは誤魔化したが、ジュンキは騙されてはくれなかった。
「…何か言いたそうだけど?」
「う~…」
クレハは俯いて目を閉じ、自分の考えを整理する。
これからジュンキに話そうとすることは、とても大切なことだ。言い間違えなどあってはならない。
「ジュンキ、あのさ…」
意を決して顔を上げ、ジュンキの方を振り向く。すると当然、心配そうな表情のジュンキと目が合ってしまう。
「や、やっぱり何でもない…」
再び顔を逸らすクレハ。
そんな様子に、ジュンキは思わず笑ってしまった。すると、クレハが軽くだが恨めしそうに睨みを利かせてくる。
「どうして笑うのよ…」
「ごめんごめん…。思ったことを素直に口に出すクレハが、なかなか言い出せない様子が珍しくてさ」
ジュンキの言葉に、クレハ自身も何だか恥ずかしくなってしまう。
「私だって…言いにくいことぐらいあるもん…」
クレハはそう言って伸ばしていた両脚を折り、背中を曲げて身体を小さく畳んでしまう。
「…ここには2人しかいないから、他の人に聞かれる心配も無い。時間もたっぷりあるから、クレハのタイミングで言ってくれればいいよ?」
「…うん」
そうは言うものの、クレハは顔を上げない。顔が赤いのは、果たしてたき火のせいなのか。
そんな様子のクレハを横目で見つつ、ジュンキは携帯食料を口へ運ぶ。
「…ジュンキ、その…あの…えっと…」
「…」
クレハが口を開きかけたので、ジュンキは食事の手を止めた。顔もクレハへ向けようとして、思い留まる。
クレハは緊張している。今ここでクレハを直視すれば、言いたいことを言えないのではないか?
ジュンキはそう考え、顔はたき火へと向けつつ、横目でクレハを見守る。
そのクレハもたき火を見つめており、ジュンキを直視できないようだった。
「…け」
「…け?」
クレハの発した言葉に、ジュンキは思わず聞き返してしまう。
「け…けっ…け…っ!」
クレハはギュッと一度強く目を閉じると意を決し、ジュンキへ顔を向けた。
そして一言。とても大切な一言。
「結婚…しない…?」
クレハの言葉を聞いたジュンキは驚きのあまり携帯食料を喉に詰まらせ、激しくむせ返ってしまった。
「ゲホッ!んぐっ!くっ…。け、結婚…!?」
「…うん」
クレハは視線をジュンキから外すと、そのままたき火の中へと落した。
「…ジュンキ。チヅルちゃんが死んじゃった時のこと、覚えてる?」
「…ああ。忘れることなんてできない」
「そうだね…。私はあの時、チヅルちゃんが埋められる時に決めたんだ。チヅルちゃんの分も、私は笑って生きていくんだって…」
クレハの言葉を、ジュンキは静かに聞くことにした。
クレハもジュンキの気遣いに感謝しつつ、話を続ける。
「でも、それは無理だった。止めどなく流れる涙を、私は止められなかった…」
「…」
「泣き止まないといけない…。そう思っていた私に、ジュンキは言ってくれたよね。泣きたい時は泣けばいいって」
「…そうだったな」
ジュンキの返事に、クレハは一度頷いてから話を続ける。
「…嬉しかった。私を受け止めてくれて。私を慰めてくれて。…これが、ジュンキを好きになっちゃった理由のひとつ」
「…他の理由は?」
恥ずかしいながらも気になってしまい、ジュンキは自分が緊張していると分かりつつも尋ねてみる。
すると、クレハはいつものように笑ってくれた。
「あとは単純な理由だよ。ジュンキと一緒だと楽しいから。ジュンキは嘘なんてつかないし、仲間想いだし…」
だんだん声が小さくなっていって最後の方はあまり聞き取れなかったが、ジュンキはクレハが自分を愛してくれる理由を知ることができた。
クレハの想いに応えたい。ジュンキは素直にそう思った。
恥ずかしいが、ここは言うしかないだろう。
「クレハ、その…あのな…」
「え、なに…?」
自分の中途半端な言葉に、クレハは期待しているような、それでいて不安げな表情を向けている。
自分を受け止めてくれるのだろうか。それとも拒絶されるのだろうか。言葉にしなくても、表情から伝わってくる。
ジュンキは一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「俺と…結婚して下さい…」
「…!」
クレハの青色の瞳が見開かれる。
その瞳は深い夜の闇を受け入れてなお蒼く、星空の仄かな光と燃えるたき火の炎を受け入れて輝いていた。
その瞳から涙が溢れ出し、一筋だけ流れ落ちた。
そこでクレハが自分が涙を流している事に気が付いたみたいで、両手で軽く拭ってから恥ずかしがるように顔をたき火へと向ける。
しばらくの沈黙の後、クレハはゆっくりと口を開いた。
「…ジュンキは、どうして私のことが好きなの?」
「俺の理由…?そうだな…」
するとジュンキの顔が目に見えて赤くなったので、クレハは思わず笑ってしまう。
「…最初は、義務感だった」
「え…?」
ジュンキの口から飛び出した意外な言葉に、クレハは驚いた。
ジュンキはクレハの様子をちらと伺ったが、話を続けることにしたようだ。
視線をたき火に落とし、ジュンキは口を開く。
「チヅルに言われたんだ。クレハをよろしくってな…」
「あ…」
「チヅルの残した言葉に従って、俺はクレハに近づいたのかもしれない…。でも、今は違う。言い切れる」
「…」
「クレハと接していくうちに、チヅルの言葉の意味を考えるようになったんだ。そして気付いた。チヅルは俺に、クレハを守って欲しかったんじゃない。チヅルは俺に、誰かを…クレハを愛してあげて欲しかったんだってさ…」
ジュンキの言葉を、クレハは一心不乱に聞いている。
こんな話を聞いてくれて、ジュンキは嬉しかった。
「クレハが俺に好意を持ってくれている事に気付くのに、そう時間は掛からなかったよ。好意が無いなら、いくら混浴だからって風呂に突撃して、慰めてくれたりしないからな」
ジュンキの言葉に、クレハは思わず吹き出してしまう。
「だけど、俺がクレハを好きになった1番の理由は、笑顔かもしれないな…」
「笑顔?」
クレハは思わず聞き返してしまう。
するとジュンキは笑顔で語ってくれた。
「俺と一緒に笑ってくれる。そんな存在を、手放したくはないからな…」
ジュンキの言うことがくすぐったくって、クレハはジュンキから目を逸らしてしまう。
「あとはクレハと同じだよ。クレハと一緒だと楽しい。素直で、可愛いし。料理はちょっとだけど…」
ジュンキもだんだん声が小さくなっていって最後の方は聞き取れなかったが、クレハもジュンキが自分を愛してくれる理由を知ることができた。
「…ありがとう、ジュンキ」
クレハは視線をジュンキに戻してから言った。
「こちらこそ」
「…私は、ジュンキ無しじゃもう生きられない。ずっと一緒にいたい。だから…」
クレハはそう言い、ジュンキの右手の上に自身の右手を重ねた。
「…俺も、クレハ無しの生活は考えられない。これからも、ずっと一緒だ…」
重ねられたクレハの右手を、ジュンキはその右手でそっと握った。
そして、互いの顔が近づく。
今度こそ、誰にも邪魔されない狩り場のベースキャンプで、2人の唇は重なったのだった。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。1分?10分?それ以上?
ジュンキとクレハは静かに唇を離した。そして、どちらともなく笑ってしまう。
「なんか恥ずかしいね…」
「人前でするものじゃないな…」
お互い小さく笑った後、ジュンキが「ふうっ…」と小さくため息を吐いた。
「…そろそろ寝るか」
「ええっ!?」
突然クレハが大きな声で驚いたので、ジュンキも驚いてしまう。
「え…?」
ジュンキは状況を掴めず、呆然とクレハを見るしかなかった。大声を出したクレハは青色の瞳を見開き、顔を真っ赤にしている。
「ね…寝るの…?」
「あ、ああ…。何か問題あったか…?」
ジュンキの問い掛けに、クレハはブンブンと首を横に振る。
「ううん!そうじゃないの!ただ…優しくしてね…?」
「へ…?」
ますます訳が分からない。クレハは何と勘違いしているのだろうか。
クレハの言葉が続く。
「わ、私…初めてだから…」
ここでようやくジュンキはクレハの意図を知り、同時に顔を赤くした。
「あ…っ!ち、違う!明日の朝は早いから、そろそろ普通に寝ようかっていう、ただそれだけのことで…!」
「へ…?」
ジュンキの慌てた返事を聞いて、クレハは自分がとんでもない勘違いをしていることにようやく気が付いた。
「あっ…!わ、私は…!…~~~っ!!!」
何という勘違い。クレハはジュンキの方を見ておられず、顔を背け、両手で覆った。
その様子を見て、ジュンキは思わず笑ってしまう。ひとしきり笑った後、ジュンキは出来る限り優しく語り掛けた。
「…クレハ。明日の朝起きられなかったら大変だから、そろそろ寝よう?その…普通に」
「…うん」
クレハの小さな返事を聞いて、笑ってしまったのは悪かったかなと少し反省したジュンキだった。