ジュンキの部屋をノックすると、中から「どうぞー」と返事が返ってきた。
クレハは一度深呼吸してからドアノブを捻り、ジュンキの部屋へと入る。
「…!?」
クレハは驚きのあまりに青色の瞳を見開き、その場で硬直してしまう。
部屋の中で、ジュンキはベッドで横になっていたのだ。
(や、やっぱり…!?)
部屋付きアイルーの言ったことは本当だったのか?緊張で身体が強張り、心拍数が急上昇する。
「…どうかしたのか?」
部屋に入ってこないクレハを見て、ジュンキ首を傾げる。
そしてベッドから起き上がると部屋の中を移動し、2人掛けのテーブルについた。
それを見たクレハは安堵のため息を吐き、後ろ手で扉を閉める。
(バカっ!何を勘違いしているのよ…!)
頭の中で自分を叱りながら、クレハはジュンキの向かいの席に座った。
「これからのことについてなんだけど…。そろそろ狩りに出ないとまずくないか?」
ジュンキが話したかったことが至極普通なことだったので、クレハは拍子抜けしてしまった。
(なにが交尾よ、あのバカネコ…!)
表情に出さないよう、クレハは静かに部屋付アイルーを罵る。そしてジュンキの言葉に耳を傾けた。
「ミラルーツとの戦いで、ハンターズギルドから1年くらいは遊んで暮らせるくらいの報酬金を貰ったけど、だからといって狩りに出ないんじゃ腕が落ちると思うんだ」
ジュンキは苦笑いしながら、狩りに出る理由を説明する。その点についてはクレハも納得だ。
ハンターズギルドからはミラルーツ討伐、もっと言えば世界の危機を救ったということで、途方もない金額の報酬金を出された。
しかし、だからと言って狩りに出ないとハンターとしての腕が落ちてしまうだろう。クレハはもちろん、ジュンキもおそらく死ぬまでハンターとして食べていかなければならない。
1年間は安泰だとしても、その先は?そう考えると、今まで通りに狩りへ出るのが1番良いとクレハも思う。
「確かにね~。私も久々に双剣を振るいたいよ」
と言い、クレハは上体を傾けて両肘をテーブルにつき、両手の平の上に顎を置く。
「どうする?明日にも狩りに出るか?」
「う~ん…。そうだね。明日から行こう。善は急げって、昔から言うし」
クレハがそう言いつつ姿勢を正すと、青色の前髪の先から水滴が飛び、テーブルに跳ねてしまった。
「あ…」
クレハの無意識に出た声と跳ねた水滴にジュンキも気付き、首を少しだけ傾げた。
「…クレハ。もしかして風呂に入ったのか?」
「えっ…」
「ありがとうな。せっかく風呂に入ったのに来てくれて」
「ううん、そんな…!気にしないで、ね?」
クレハは自分の軽薄な考えが急に恥ずかしくなり、立ち去ろうと慌てて席を立つ。
「そ、それじゃあ、明日の準備をしないと…!お、おやすみー!」
「え?ああ、おやすみ…」
クレハは自分の笑顔が引きつっているのを感じながらも、ジュンキに手を振って部屋を出た。扉を後ろ手で閉じるとその扉に背中を預け、何度も深呼吸して乱れた呼吸を整える。
「…私のバカ」
クレハは自分のことが自分で嫌になりそうだった。
ジュンキに呼び出され、変な期待をした自分。
実際は狩りの話で、少し残念に思った自分。
そして何もできず、部屋を出た自分。
…何も進展しない関係性。
「ベッキー…。チヅルちゃん…。私には無理だよぉ…」
どうしても恥ずかしい。
恥ずかしくて言えない。
これからどうすればいいのかすら分からない。
やりようのないこの気持ち。それに押し潰されそうになったその時―――。
「わっ…!」
突然背中の扉が開き、クレハは背中から倒れてしまった。しかしクレハはすぐに背中を支えてられ、地面に倒れたりすることはなかった。
「うわっ…!」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには驚きに目を見開き、少し頬を赤くしたジュンキの顔があった。
「…」
「…」
互いに何も話さないまま、しばらく見つめ合ってしまう。
「…あっ!」
クレハが先に動いた。ジュンキに預けていた体重を移動させ、自分の脚で立ち上がる。
「クレハ…。その…大丈夫か…?」
「え…?」
「その…涙が…」
ジュンキに言われて初めて、クレハは自分が泣いていることに気が付いた。
「もしかして、その…。寂しかったり…」
「…!」
図星だった。クレハは寂しいのだ。ここしばらく、ジュンキと触れあう機会が減っているのだから当然である。
「その…。何ていうか…。今夜は、一緒に…」
ここで「はい」と言わなければ、ジュンキとの関係がさらに薄くなってしまうかもしれない。
しかし、恥ずかしい。言えない。
(恥ずかしい…!でもそれは、ジュンキも同じはず…!)
クレハはそっとジュンキの表情を覗いた。
クレハの見る限りだがジュンキも相当顔が赤いし、何も考えてなさそうな青い瞳も今は泳いでしまっている。
やはり言い出したジュンキも恥ずかしいのだ。
勇気を出して、さあ、一言。
「…うん」
言えた。
言ってしまえばこちらのもの。安心して良い。ジュンキは困っているクレハを見捨てたことなど、一度も無かったのだから。
「一緒に…その…寝るか…?」
「…うん!」
鏡を見ていなくても分かるくらい、自分は笑顔だったと思う。
ひとつのベッドに2人が入る。もともとひとり用なので、互い身体を寄せないとベッドから落ちてしまう。
クレハとしては、以前ポッケ村で一緒に寝た時のようにお互いが向かい合っていたかったのだが、それは叶わなかった。
ジュンキがクレハに対して背を向けたからである。
「…」
誘っておいて、どうしたのだろうか。どうしてジュンキは私に背を向けるのだろうか。
私と距離を置きたいのなら、間違っても「2人で寝よう」とは言わないだろう。
クレハは堪らず、もう寝てしまっているかもしれないジュンキの背中に声を掛けてみた。
「…ねぇ、ジュンキ」
「ん…?」
ジュンキはまだ起きているようで、短い返事が返ってくる。
クレハは言葉を選んでゆっくりとジュンキに質問した。
「ジュンキ、あのさ…。最近、私を避けてない…?」
クレハの問い掛けに、ジュンキの背中が僅かだが揺れたのを、クレハは見逃さなかった。
「私、何かジュンキの気に障るような事…した…?」
「いや、違うんだ…。クレハのせいじゃない…」
「…」
ジュンキの言葉を、クレハは黙って待つ。
「…怖いんだ」
「え…?」
ジュンキの口から出た言葉に、クレハは思わず聞き返してしまう。
「怖いんだ…。クレハを失うのが…。クレハに近づけば近づくほど、怖くなる。もしクレハを失ったらって思うと、とてつもなく…」
「…」
「ごめんな、クレハ…。俺は、クレハのことを嫌いになったわけじゃない…。俺の心の弱さに、クレハを巻き込んでいるんだ…」
「…ジュンキ」
クレハは掛け布団から両手を出すと、ジュンキの両肩に添えた。
「私は大丈夫だから、ね」
「でも俺は、チヅルを救えなかった…!」
ジュンキの声が突然大きくなったので、クレハは危うくジュンキの両肩に添えた手を放しそうになった。
だが手を放してはいけない。ジュンキを拒絶してはいけない。
ジュンキの言葉は…心からの叫びは続く。
「怖いんだよ…!チヅルの時のように、クレハを救えないかもしれない…!だから…!」
「チヅルちゃんは関係ないよ…!」
クレハの言葉に、ジュンキは口を閉ざしてしまう。だがクレハは、胸の内に抑えていた気持ちを止めることができなかった。
「私は私だよ…!チヅルちゃんを馬鹿にするみたいで悪いけど、私は自分が好きな人を置いて、勝手に死んだりしない…!」
「…」
「…」
クレハの言葉を最後に、沈黙が2人を包んだ。しかしこの沈黙は、ジュンキの意外な一言で打ち破られる。
「クレハ…今、自分が好きな人って…」
「…!」
言ってしまった。
どうしようどうしよう!
どうしようどうしよう!!
どうしようどうしよう!!!
あまりの恥ずかしさに混乱してしまうクレハ。そんな状態のクレハの手に、ジュンキの手がそっと重ねられ、そして―――。
「俺も…好きだよ…クレハ…」
「っ…!」
ずっと聞きたかった言葉。
今日、ついに言えた。ついに聞けた。
クレハはジュンキの両手に添えていただけの手をジュンキの首へとまわし、ジュンキの背中へと抱き着いた。
「ク、クレハっ…!?む、胸が当たって…!」
「ジュンキなら…いいよ…」
クレハはそう言うと、ジュンキの髪の中へ顔を埋めたのだった。