フェンス・カズキの章 01
「はぁ…!はあ…ッ!」
降り続ける、夜の雨。
「くっ…!」
普段ならその場で動かなくても汗を流してしまうくらいに蒸し暑い狩り場「密林」も、夜になり陽が沈むことで幾分かマシになる。そこに雨が降れば尚更なのだが、今の彼には障害となってしまっていた。厚い雲が月明かりを遮り、足元が全く見えないのだ。
「うわっ…!とっ!」
水溜まりに足を滑らせ、危うく転倒しそうになる。豪雨のせいで視界も悪く、何度も木の幹に正面衝突しそうになる。
それでも、彼は走る。
「くそ…!まだついて来るか…!」
豪雨のせいで足音は聞こえず、月明かりも無いので姿も見えない。だが彼の勘が、ハンターとしての勘が、襲い掛かる危険を伝えていた。
「…!」
自分の身長を超える何かが視界を横切る。それは右手の背の高い草林から飛び出し、左の草林へと消えた。
(囲まれ始めている…!?)
奴らは集団で獲物を狩る。包囲されてしまえばそれまでだ。
「狩られて…たまるかよ…っ!」
奴らの包囲網から逃れようと逃げる彼だが、雨は更に酷くなっていく。ついに稲妻が走り、轟音が密林を揺るがした。その稲光が、彼の命をほんの少しだけ引き延ばしてくれた。目の前は崖だったのだ。
「なっ…!」
慌てて制動をかけ、踏み留まる。そっと下を見てみると、稲光に照らされた木々は小指の先ほどの大きさもなかった。
落下したら、間違いなく死ぬ。
「くっ…!」
だがこの場に留まっても、恐らく死ぬ。そう、奴らの手によって。
「同じ死ぬなら…せめてハンターらしく死んでやるか…?」
笑える状況ではないのに、自然と口元が吊り上ってしまう。人はどうしようもなくなった時、笑うことしか出来ないのだろうか。
走り続けて息も絶え絶え。重い身体に鞭打って、右手を背中の太刀に手を伸ばした。一気に引き抜き、基本の構えで奴らを迎え撃つ。
しかし、その刃先は彼の体力の限界を示すが如く、豪雨でぬかるんだ地面に触れてしまっていた。
(1…2…3…)
奴らが草林から飛び出し、崖を背にしたこちらを扇型に囲い込む。
(5…6…7…多すぎだろ…)
数えて7匹目が草林を飛び出した後、間を置いて奴らを纏めるボスが出てきた。どうやら自分は大家族に追われていたらしい。
「ボスがいたのかよ…」
つい情けない声が漏れてしまうが、顔は自分で分かるほどに、笑っている。
豪雨の中に対峙するひとりと8匹。稲光を合図に、奴らが飛び掛かってきた。
「やああああっ!」
右側より飛び掛かってきた1匹を薙いだ。そいつは身体から深紅の液体を撒き散らしながら、崖下へと落ちていく。
「はああああっ!」
次に左から来た1匹を、一太刀のもとに切り捨てる。
(いけるか…!?)
奴らは集団で狩りを行う。つまり、集団を指揮するボスさえ倒せれば、奴らは統率を失うのだ。
そうなれば、まだ勝機はある。奴らを倒し、もしくは追い払い、自分は助かるかもしれない。
飛び掛かる奴らを切り捨て、もしくは回避し、一気に奴らのボスへと肉薄する。
(やれる…!)
こちらが刃を光らせて肉薄しても、ボスは微動だにしない。
(なぜ避けようとしない…?)
ボスに肉薄した彼が見たのは、ボスの目玉。稲光に照らされたそれは、確かに笑っていた。
気付いた時にはもう遅かった。
背中に走る衝撃。体勢を崩してボスの前にひれ伏すように倒れると、ボスが頭の上に脚を乗せてきた。顔が半分土砂に埋まり、泥を飲み込んでむせ返る。
手下達の声が嘲りに聞こえるのは気のせいだと思いたい。
(ああ…もう駄目か…)
顔を踏まれながらも見上げると、ボスが嬉しそうに雨降らす天に向かって叫んでいた。そして凶悪な牙が生えそろった口を開き、喉笛を噛み千切らんと迫ってくる。
その時間は、やたら長く感じた。
(ごめんなさい…村のみんな…。俺はここで…土に還ります…なんてか…)
最期の瞬間なのに何を考えているんだ。そう思っていると、それは何の前触れもなく目の前で起きた。
雨降らす雲に走る稲光。
その光と轟音と共に、血を噴き出しながら身体を傾けていく奴らのボス。
その身体には、ボスの体長より一回り小さい、それでも人間の身長と同じくらいの巨大な剣が突き刺さっていた。
「おい!生きているか!?」
駆け寄る足音と、掛けられる声。やがてその人物はこちらの状態を一瞬で把握し、ボスに突き刺さっている巨大な剣を抜いて言った。
「間に合ってよかった…。立てるか?」
「は、はい…」
半自動的にそう答えて立ち上がろうとしたが、膝に力が入らず、その場に正座してしまう。
「あ…。ち、力が…」
「力が入らないか?だったらランポス達の気を引かないよう、静かにしていろよ」
自分を助けてくれたハンターはそう言うと、巨大な剣を構える。
あの人の武器は大剣だった。今自分が使っている太刀より重く、取り回しが難しい武器だ。その分威力は大きく、またその厚い刀身を生かして攻撃を防ぐこともできる。
それを目の前のハンターは、いとも簡単に振り回していた。
ドスランポスを失ったランポス達は、次々と目の前のハンターに倒されていく。やがてその数が当初の半分にまで減ると、残されたランポス達は尻尾を巻いて逃げ出してしまった。
そのハンターは逃げるランポス達を追撃せずに見送ると背中に大剣を戻し、正座したまま動けない自分の前に立つと、被っていたヘルムを取ってくれた。
しかし、相変わらずの豪雨と月明かりの無い空のせいで、表情が全く見えない。
「あ、ありがとうございました…。おかげで助かりました…」
「いや、困ったときはお互い様だ。それに俺も、目の前でハンターが死ぬところなんて、見たくないしな…」
大剣使いが手を差し伸ばしてくれたので、手を借りて立ち上がる。背は自分より頭ひとつ分高いようだ。
「さて、これからどうする?え~っと…?」
「あ…僕の名前はフェンスっていいます」
「フェンスね。じゃあフェンス、これからどうするんだ?ああ、いや、そもそも今回の狩猟目的は達成できたのか?」
「今回の目的はランポス5匹の討伐です。だから…」
フェンスがそういうと大剣使いは目を瞬かせ、そして申し訳なさそうに視線を逸らした。
「ああ、ごめん。俺が勝手に…」
「いえ、いいんです。助かりました」
「…それで?これからどうするんだ?」
「僕は村に戻ります。ああ、よろしければ寄って行ってください。ちゃんとお礼もしたいですし、ここから近いので」
「ここから近いとなると、もしかしてジャンボ村?」
「ええ、僕の生まれ育った村、ジャンボ村です。ご存じなんですか?」
「いや、知り合いがそこ出身でね。名前はカズキっていうんだけど…」
カズキという名前を聞いて、フェンスは驚きを隠そうともせずに口を開いていた。
「カズキさんの知り合いなんですか!?ぜひお話を聞かせて下さい!」
「いや、大切な人が待っているから、そろそろ行かないと…。ごめんな。カズキには宜しく言っておいてくれ」
大剣使いは「じゃあ、またな」と言うと、歩き出してしまう。ふと、フェンスはまだ名前を聞いていないことに気づき、声を上げた。
「あのっ!せめて名前だけでも…!」
フェンスの呼び掛けに、大剣使いは歩みを止めると振り返った。
「俺の名前?俺は―――」
振り返った表情は穏やかなものだった。薄い茶色の髪をまとめた黒一色のバンダナに、青い瞳。背中の大剣から身を包む防具まで深紅一色のハンター。
稲光は大剣使いの姿を見せてくれた代わりに、その名前を聞かせてはくれなかった。