海鳴市にある住宅街。
世界はまだ明けたばかりの時間帯で朝日の光が幕を開け始めた頃。
何て事はないただの一軒家でしかない民家に複数の人影がリビングに集まっていた。
「シグナム、身体の方はもう大丈夫なのか?」
「あぁ、問題ない。シャマルの治癒のお陰で戦闘も可能だ。シャマル世話になったな」
「その為の私だもの、気にしないで」
ソファーに座る複数の女性と床に佇む一匹の狼。彼女達は先日、岸波白野を襲った守護騎士、“ヴォルケンリッター”
主の為にその身を差し出すある魔導書の守護人格プログラム。
「しかし、先日のあの剣士、一体何者だったのだ? 奇妙な格好をしていたが………まさか、花嫁でもあるまい?」
「さてな、私もただ一度剣を交えただけでは計り知れん。ただ、あの剣撃は凄まじく重く、ただの花嫁ではない事は確かだ」
シグナムと呼ばれた女性は先日刃を交わした花嫁姿の少女との一戦を思い出す。
自分が必殺の一撃を放とうとした瞬間、下手をすれば致命傷に成りかねない斬撃を前にした時、彼女は怯む所かその真逆、地を蹴って踏み込んできたのだ。
その所為で此方の一撃は満足な形にはならず、此方も手痛い傷を負う事になった。
恐怖を前にしても退かない胆力。そして自分も目を見張った重く、そしてのし掛かるような剣の一撃。
あのような形で出会えなければきっと今頃、お互い剣に付いて語りあっていたに違いない。
また、勿体ない出会いをしてしまった。とシグナムは少し後悔したように目を伏せる。
「そんな話はどうだっていいだろ? さっさと行こうぜ。早く行かないとはやてが起きちまう」
そんな自分の思考を赤毛の少女によって起こされる。
そうだ。今は後悔する時ではない。
シグナムは手に握りしめた自身の武器を形取ったアクセサリーを握りしめ、赤毛の少女に一瞥する。
「分かっているさヴィータ。シャマル、闇の書の頁は今どの辺りまで埋まった?」
「半分を過ぎた所ね。あの魔導師の娘達から蒐集できたのが大きかったみたい」
「良し、なら行くとしよう。私の所為で蒐集が遅れたからな。今日はその分を取り戻すぞ」
「あったりめーだ」
「心得た」
互いに頷き合い、リビングを後にする三人と一匹。
リーダー格であるシグナムが扉のドアノブに手を伸ばすと。
「待ちなさい」
「っ!」
背後からの呼び止めに家から出ようとした全員の動きが止まり、恐る恐る振り返ると。
「な、なんだ凜ちゃんか~」
「驚かすなよな。お前の声、はやてにそっくりだからマジビビるんだよ」
壁に寄りかかりながら遙か彼方からの異邦者、遠坂凜が金色の髪を揺らし、その碧眼をシグナム達に向けていた。
「アンタ達、また蒐集ってやつを始める気? シグナムに至っては傷を治したばかりじゃない」
「私なら平気だ。主はやてを助ける為にも私達は闇の書を完成させねばならんのだ」
冷淡な眼差しを向ける凜に、シグナムもまた見つめ返す。
決して譲らない。確固たる決意を持った彼女の瞳にはその意志を伝わせる強さがあった。
そんな彼女に凜は呆れた溜息を漏らす。
その強さは向ける方向が違う。そう思いながら。
「あのね、アンタ達が最近帰りが遅い所為ではやての奴が毎晩泣きそうになってるの分かってる? 毎回慰める私の身にもなって欲しいんだけど?」
「それは────済まないと思っている。凜やエリザベートには本当に迷惑を掛けた」
「別に迷惑なんて欠片も思ってないわよ。住まわせて貰ってるのはこっちなんだし、それに付いてはなんの不満はないわ。私が言いたいのは毎回あの子を泣かしているのにアンタ達は何とも思っていないのかって聞いてるの」
スッと凜の目が細くなり鋭くなる。睨んでくる凜の視線にいたたまれなくなったのか、シグナムは視線を外し伏せてしまう。
はやてを泣かせている。それを改めて思い知らされた守護騎士達はシグナム同様、或いは泣きそうな表情で俯く。
これでは自分が悪者ではないか。今度は凜がいたたまれなくなり、肩を竦めながら溜息を漏らす。
「……ねぇ、本当にあの魔導書を完成させなきゃダメなの? はやての病気を治すだけなら私だって協力するわよ?」
この世界に来て元の世界では叶わなかった現実世界での魔術行使が可能となった。
魔力(マナ)が枯渇したあの世界とは違い、この世界は未だ魔力に満ちている。電脳世界でしか出来なかった魔術も行える。
だから自分も少しは手伝えるという気持ちを暗に隠しつつ、凜は更なる提案を上げた。
「それにほら、時空管理局だったかしら? ちょっと胡散臭いけど大きい組織みたいだしそいつ等に助けて欲しいと頼めば何とかなるんじゃない?」
「それは………」
「出来ねぇよ」
凜の提案にシグナムが応える前にヴィータが却下する。
「アタシ達はもう引き返せねぇ所まで来ているんだ。今更管理局に助けを乞いてもはやてごと捕まるのが目に見えてる」
そう。自分達は既に多くの人達を手に掛けてきた。
主の人生を汚す事は出来ないため、人を殺める事はしていないがそれでもこれまでに大勢の人間や魔物達に要らぬ怪我を負わせてきた。
そしてこの間も再会に喜ぶ二人の幼い魔導師を潰し、斬り倒した。
そんな自分達が今更助けを求めるなど、到底出来はしなかった。
「だーかーらー! その申し訳ないと思う気持ちがあるんならどうして最初から助けを求めなかったの! アンタらのその忠誠心は大したものだけどそれが間違った方向に向かってるって何故気付かないの!」
本気でバカなんじゃないのか。と凜は内心で思った。
此方の言葉なんてまるで耳に入っていない。今彼女達の頭にあるのは“主はやての速やかな救出”しかない。
最初から大人しく助けを求めれば良いモノを、コイツ等自体が状況を悪化させる。
何度も何度も同じ事を言っているのまるで聞き入れない彼女達に凜も苛立ち始め、ついには半ギレにまで感情を剥き出す。
「……済まない遠坂凜。お前には迷惑ばかり掛けている」
「だからぁ!」
「主はやての対応は任せた。これ以上の時間は掛けられん」
それだけ言い残し、シグナムと他の守護騎士達は扉から出て家を後にする。
また呼び止められなかった。
彼女達を止められなかった事を情けなく思う凜は八つ当たり気味に壁を叩き、凭れるように寄りかかった。
「………はぁ、ま。私もあの子があんなになるまで気付けなかったんだから人のこと言えないわね」
凜は寝室で眠っているだろうこの家の小さな主に視線を向ける。
それはまだこの世界にきたばかりの頃。凜は一時的な記憶障害に陥っていた。
自分が誰なのか、一体何をしていたのか、それすら忘れてしまった凜は同じく記憶を無くしたエリザベートと共に偶然拾ってくれた八神はやての世話になることになった。
幸い最低限の一般知識、常識を持っていた事で生活自体に不満は無かった。
シグナムやヴィータとも打ち解けてきたしこのまま幸せな日々がいつまでも続くのだと彼女自身思っていた。
所がある日、病院で経過診察の話を聞きにいった際、はやての容態が自分が想像していたものより遙かに重いものだと知ることになる。
そんな衝撃的な話が自分の記憶に触れたのか、凜は記憶を取り戻し、エリザベートも自分が何者なのか思い出した。
自分が魔術師だということもあり、凜はシグナム達が何をしようとしているのかも何となくわかった。
だが、全ては遅かった。凜が彼女達を止めようと必死になるのも虚しく、その頃にはシグナム達は多くの人間を地に叩き伏せていたのだから。
「何やってるんだろ。私」
イヤになる。元の世界での聖杯戦争優勝候補等と言われておきながら小さな女の子すら救えていない。
「ねぇ、アンタならこんな時………どうしてる?」
思い出すのは聖杯戦争中に知り合った一人の男。
弱い癖にウジウジ悩み、弱い癖に諦めが悪くて、弱い癖に─────こんな自分をなんの見返りも求めず、当たり前のように助けてくれた。
そんな底抜けのお人好し(バカ)を思い出した凜の呟きは、開いた扉から差し込んでくる朝日の中へと溶けていった。
◇
自分達な住まう超高級マンション────の、地下一階。
広大な空間で普段は体力トレーニングに勤しんでいたこの場所で、鳴り響くのはアーチャー(鬼教官)の罵声と。
「引き際が甘い! ただ刃物を振り回すだけなら猿でも出来るぞ。相手の動きを観察し、行動を予測しろ!」
重い鉄同士がぶつかる剣戟の音が地下の鍛錬室に木霊する。
互いに刃を潰した模擬刀を手に相手を見る。
たが、冷ややかな顔をするアーチャーに対し、自分の方は息も絶え絶え、まだ初めて十分も経っていないのに既にこの身は限界寸前………いや、限界を迎えていた。
普段の筋力トレーニングの延長だと甘く見ていた。これならいつもの地獄の筋トレの方が何倍もマシである。
既に手にした鉄の短刀はダランとぶら下がるだけ、重さ五キロもある鉄の模擬刀を振り回せばこんなにも疲れるなんて……アーチャーと刃を交えながらつくづく自分が素人なのだと思い知る。
何故こんな鍛錬を始める事になったのか、事の発端は先日、例の女騎士達に襲われたのが原因だ。
今後、あの手の輩がいつ現れるのか分からない以上、最低でも自分の身を守れる……或いは自分達が駆けつけるまで何とか保たせ、逃げ切られる術を身に付けさせようとアーチャーが言い出したのが理由である。
コレには自分も同意見だ。自分に身を守れる術を身に付けられるのならば今後窮地に陥ってもそこから抜け出せればその分皆の負担も減るというもの。
だからアーチャーの提案には異論なく賛同したのだが。
これは………少々キツ過ぎるのではないだろうか?
────ふと、急激に身体から力が抜け落ち、ストンと床に尻餅つく。
「む、しまった。まだ初日だというのに少々飛ばし過ぎたか。今日の所はコレくらいにしよう」
その言葉に思わず顔を上げる。普段はこっちがもうダメだと言っても絶対にそれを許容しなかったのに、十分しか始めていないのにもう終わりだと告げたのだ。
息をする事で精一杯なので目でアーチャーに疑問をぶつける。
すると疑問の眼差しを向けられた事に気付いたのか、アーチャーはやれやれと肩を竦め、呆れながら口を開いた。
「いやね、君がどういう人間であることかを思い出したのだよ。君はどんな窮地に陥っても決して立ち止まらず前に進もうとする。これは即ち自分の限界に常に挑む、或いは突破しようとする姿勢に他ならない」
……………?
今一、アーチャーの言いたい事が理解出来ない。限界に挑むのは別に悪い事ではないと思うのだが?
限界を突破するのだってそれで次の段階に進めるのだから、それは皆の負担の軽減にも繋がるのではないのか?
そう言うとアーチャーはやっぱり分かってないと先程よりも更に深い溜息を漏らす。
「それは時と場合によるだろう。限界に挑むのも突破するのも本来なら体調を万全にしてから挑み、その後は身体のケアを十二分に行い充分な休息を取る。それこそが正しい肉体への虐め方だ。ましてや君は襲撃の傷をまだ完全に癒していない。そんなやり方では限界を挑み、超える前に壊れてしまう。本来なら今日の所は身体をゆっくりと動かし、軽く流す程度だったのだよ」
アーチャーに諭され、分かったと頷く。確かに身体を鍛える前に壊してしまっては意味が無くなる。それでは皆の負担を減らす所か逆に重荷になっている。
手にした鉄刀へ視線を落とし、握り締める。
と、そんな自分に何か思う所があるのか、アーチャーは本日三度目の溜息をこぼし。
「BBの事が気になるのか?」
────!
ドクン。と自分の胸中から心臓の音が一瞬高鳴る。
BB。自分……岸波白野を最期の瞬間まで想い、守ってくれた孤独の少女。
消滅したかと思われていた彼女が生きていた事に驚きを感じたが、それ以上に彼女の記憶が失われていた事実が、自分にとってこの上なく苦しかった。
彼女をあのようにしたのは自分だ。もっと早く彼女の真意に気付ければもしかしたら少しは結果が変わったのかもしれない。
「本当、君は考える事が丸わかりだな。そんなに悩んでも答えなど出はしないだろうに」
アーチャー?
「良いかマスター。起こったしまった出来事は変えられない。どんなに苦く辛いものでも呑み込んで先に進まねばその途中で無くしたモノの意味がそれこそ無駄になるぞ」
アーチャーの叱咤、或いは励ましのようなその言葉は真摯に、そして真剣に岸波白野という人間に対しての警邏だった。
それはきっとアーチャーも同じ事で悩み、苦しみ、そして呑み込んだモノ。だからこそ彼は怒りとも見える表情を自分に向けているのだろう。
───頬を叩く。
そうだ。先ずは兎に角自分を鍛える事から始めよう。どうせ自分はそんなに上手く事を運べる術など持ち合わせてはいない。
BB───彼女の記憶が無くしても自分は覚えているのだから。
だから、後悔するのは後にしよう。そうでもしなければあの時自分を身を投げ出して助けてくれた彼女に顔向けすら出来なくなる。
ふと、沈んだ視線を上げる。見ればそこにはアーチャーが先程の怒った表情とは別に笑みを浮かべていた。
「ま、分かってくれれば幸いだ。私も君のサーヴァントである以上その辺りの助言はするつもりだ。まぁ、他にも三体もの英霊がいるわけだし余計なお世話かも知れないが」
そんな事はないと即答する。自分はまだまだ未熟だ。魔術師としても人としてもこれからまだ多くの事で悩み、挫けるだろう。
それを支えてくれるのは歴戦の英霊なのだから頼もしい事この上ない。まぁ、こうして何度も頼ってしまうのはどうかと思うけど……。
「ふっ、それこそ今更だろう。君が未熟なのは百も承知だ。故に今すぐ全てを会得しろなんて言わないさ。─────君はまだまだ先のある若者だ。ゆっくりと学び、覚えるといいさ」
と、笑みを浮かべながら手を差し伸べてくるアーチャーに自分も笑みがこぼれる。
そして、彼の手を掴もうと──────
「ちょっと待ったぁぁぁぁっ!」
─────する前に横からの大音量の声音にビクリと肩を震わせる。
………キャスター?
呆然となる此方をお構いなしに、キャスターは怒り心頭の様子でズカズカと歩み、自分もアーチャーの間に無理矢理割って入ってきた。
「こっちがセイバーさんの看病をしている前に何勝手にイベント進めてやがるんですかこの紅茶は! 今のは間違いなく私とご主人様のラブラブなイベントでしょう! BBという懐かしくもショッキングな再会を果たしてしまうご主人様を慰めて……よしんばそのまま既成事実へ持ち込んで……傷心を癒した所へ私と一緒に幸せな未来へレディ・ゴー! をするのが今回の流れでしょう!?」
いや、なにがレディ・ゴーなのかどういう流れなのか一切分からないのだけど?
耳をピコーンと立てながらアーチャーに詰め寄るキャスター。
アーチャーもどうしたものかと呆れ果てながら困っている。
「大体ご主人様もご主人様です! 貴方様の為なら喩え日の中水の中! 黄泉路の果てまで定刻通りに参上するこの私めを差し置いてこんな板チョコ男と汗水流して息も絶え絶えになるなんて……一部の腐女子しか得がないじゃないですかぁ! ハッ! ま、まさかご主人様はやはりそちらの気が!? こ、こうなれば不祥タマモ、呪術を以て男の娘に───あいたぁ!」
暴走続けるキャスターに思わず強めのツッコミをいれてしまう。
と、頭を両手で抑え、涙目になりながら此方に振り向く彼女の眼差しは此方を心配、そして訴えるものだった。
「だ、だってぇ、ご主人様昨日から全然元気ありませんでしたし、今日だって朝ご飯あまり食べてなかったし、時々辛そうな顔してたし、私だってご主人様のサーヴァント(兼妻だから)お役に立ちたかったですし」
と、イジイジと指同士をイジるキャスターを見て我に返る。
どうやら意識しないうちに自分は皆に余計な負担を掛けていたようだ。
いや、正確には頼っていなかったと言った方が正しい。特にキャスターとしては頼ってくれなかった事がなによりも辛かったのか、その表情からはいつもの陽気さはない。
月での戦いを経て、一人で何かしなくてはならないと無意識の内に一人で勝手に自らを追い詰めていたようだ。
今の自分の姿をギルガメッシュが見れば「愚劣ここに極まったな」と罵る事だろう。
事実その通りだ。自分は思い上がっていた。仲間という存在がいるのにも関わらず重荷を背負った気でいるのは独り善がり以外の何物でもない。
支えてくれる人達がいる以上頼る。それは桜もセイバーも同じ筈だ。
叩いてしまったキャスターの頭を撫でながらごめんなと謝る。
するとキャスターは今まで沈んでいた表情を一変、目を細め、嬉しそうに耳を垂らして撫でられている。
彼女の明るく振る舞う姿は時々悩む自分の気持ちを軽くしてくれた。
そんな彼女に感謝を込め、必要以上に撫でてあげることにした。
「はふぅん。ご主人様の手、暖かいですぅ。……ハッ! もしやこれが伝説に残る究極惚れ技────ナデポ!?」
言動はアレだが。
次回は漸くバトル……に、なるかな?