ある日のことだ。
夜だというのに寮内の明かりは消え、真っ暗な中に六人の寮生が寄り集まって座っている。
薄らと月明かりが差し込むだけの室内、6月初めの湿った大気が冷ややかに感じる程に不気味な雰囲気。
カウンター近くのテーブルに並ぶ六つの影だけがおぼろげな輪郭で闇に浮かんでいる、〝いかにも〟な空気の中、それは始まった。
「どうも、こんばんは。伊織順平アワーのお時間です。」
暗い空間から滲み出るように発せられた言葉と共に、上向きの明かりが灯る。
その輝きに照らされて現れたのは、一人の男だ。
髭が特徴的なその男は無表情に淡々と、他の五人に向けて話を始める。
「……世の中には、どーも不思議なことって、あるようなんですよ……」
静かな語り口で続けられるその内容は、陰惨な恐怖の物語だった……。
語り部の友人、話中ではAと呼称された人物が、とあるものを見たと語り部に話すのだ。
それを聞いた語り部が何を見たのかと問うと、彼は蒼白な顔でこう言った。
〝実は例の、E組の子何だけどね……〟
過日より噂になっていた、校門前に意識不明で倒れていたE組の少女。
Aはその子の姿を、彼女が校門で発見された日の前日の夜に、目撃していたと言うのだ。
つまり彼女は、自分の足で夜の街を歩き、学校の前まで来て倒れたということになる。
しかし、そうなると一つの疑問が出てくる。
その少女は、夜遊びをするような人間じゃないのだ。つまり、自分から夜間に外出する可能性は皆無。
……何かがおかしい。そう考えた語り部は、一つの可能性に行き当たった。
それは、幽霊。死んだはずの生徒が、のこのこ学校までやってきた少女を喰い殺したのだと。
憐れ彼女の魂は二度と戻らぬ。何故なら、死んだ生徒の怨念が、彼女を冥界へと連れ去ってしまったのだから。
語り部は静かに瞼を伏せ、息を潜めてこう言った。
「まぁ、全部私の推測なんですけどね。」
微かな余韻を残し、怪談噺はひっそりと幕を閉じた……。
寮内の明かりが一斉に灯り、巌戸台分寮は普段の姿を取り戻した。
「どう思う、明彦。」
開口一番、横目に真田先輩を捉えながら問いを投げたのは桐条先輩だ。
「あれ、俺が熱演した件はスルー……?」
横で順平が何とも言えない表情をしているが、誰もそれを気に留めない。岳羽さんに至っては、意図的に無視しているだろう。
「オンリョウかどうかはともかく、調べる価値はありそうだ。」
真田先輩が言うと、オンリョウ、の部分に乗っかったのか、懲りない順平が岳羽さんをからかおうとしていた。
「しっかしゆかりッチさ、オバケが苦手とはちょい情けないよな。」
煽るような一言に、岳羽さんは激しく噛みついた。
「な、情けないって言った!?」
憤怒と怯えを半々に混ぜたような表情で岳羽さんは腕を組み、一見すると強気なふうに言葉を続ける。
「い、いーわよ順平、だったら調べよーじゃないの。」
微かに震える声で、岳羽さんは勝負を提案した。
お互い一週間かけて情報を集め、事の真偽を確かめようというのだ。
「オンリョウなんて、絶対嘘に決まってるし!」
非常に強い語調に反して、首筋に冷や汗が伝っている。岳羽さん……。
どう見ても完全に虚勢、つまり、ビビッてる。彼女の様子は、小型犬の必死の威嚇に似ていた。
そんな彼女の気勢を知ってか知らずか、桐条先輩が二人の間に言葉を挟む。
「それは助かる。気味の悪い話だからな。」
何ともわざとらしい発言、彼女の口元には微かに笑みが見える。
後に続くように真田先輩もよろしくな、と言葉を重ね。
「あー、怖い怖い。」
まったく怖くなさそうな様子で、その場から去っていった。
後に残されたのは、三年組の背中を見送る二年生四人の姿。
「えぇ~……?」
そのなかでも、啖呵の言葉を利用されて調査に駆り出されることとなった岳羽さんが、情けない声を上げる。
肩を落としため息を吐くその姿は、敗者のそれであった。俺と結城さんは顔を見合わせると、彼女の煤けた背中に向かって合掌した。
ドンマイ、岳羽さん。
その後の一週間は、わざわざ語ることも無い、予想通りの流れになった。
気炎万丈といった感じで精力的に噂を集める岳羽さんと、テキトーに日々を過ごす順平。
対照的な二人をよそに、先輩たちはいつも通りの様子で二人を、というより岳羽さんを眺めている。
ここ最近の岳羽さんは見ていて飽きない。猛烈な勢いで調べものをしているかと思えば、ちょっとの物音に敏感に反応したり。
朝の挨拶を交わすとき、よくよく注意して見ていると、目元に隈が薄っすら見えたり。
ここまで来ると流石にかわいそうに思えてくるが、まぁ、すぐに終わるからいいかと思い直した。
しかし、俺にとっての他人事も本人からすれば堪ったものじゃないらしく、
『何が伊織順平アワーよ……!』と呟いているのを見かけるが。
一方、その原因である順平はというと、相も変わらず未練がましく、何度も同じことを口にしている。
「あーあ、しっかしもったいねーよな。山岸風花ちゃんかー。」
寮内二階の自販機前で雑談していると、数度その名前が彼の口から飛び出す。
山岸風花。モノレール戦から数日経った頃にもたらされた、新たなペルソナ使いの名前。
だったのだが。調べてみると体が丈夫でなく、学校も休みがちだとかで、とてもじゃないが戦闘に耐え切れないだろうと勧誘は無しに。
女子メンバーが増えて華やかになると期待していた順平は、残念がって未だにその話を引き摺っているのだ。
「確かに、もったいないかもな。真田先輩の復帰で戦力が増したとはいえ、ペルソナ使いは多い方がいいし。」
彼の発言の意図は分かるが、あえて的外れなことを言ってみる。すると案の定、順平はニヤニヤと笑いながら口を開いた。
「そうじゃねぇよ、分かってんだろ?誰にも褒められない孤独なヒーローとして戦ってるんだ、癒しが欲しいんだよ癒しが!!」
セリフが後半になるにつれて、切実さを増していく。芝居がかった言い方とは裏腹に、そこには真に迫った感情が込められていた。
「お前もそうだろ?ウチの寮は気が強いのばっかじゃん、なんか癒されねぇっつーか、尻に敷かれてるっつーか……。」
今度は後半になるとテンションが下がっていく。順平の脳内では今までの弄られっぷりが再生されているのだろう。
俯いて落ち込む彼を後目に、俺は独り言のように呟く。
「まぁ、体が弱いんじゃ仕方ないよな……。」
それを聞いた順平も、同意するように頷く。
まぁ実際のところは、彼女は体が弱いわけでは無い。
単に苛めを苦にして不登校気味なだけなのだ。それがどうしたことか、体が悪いという噂にすり替わってしまう。
さらに、彼女を苛めていた連中がシャドウの起こす事件に関わったことで、事態は複雑になっていくのだが。
それを知っていて、なおかつ、彼女が次の大シャドウ戦後に仲間になることを知っている身としては、なんとも言い難いものがある。
今回、俺としてはなんらすることが無い。山岸風花の能力、索敵やアナライズは必須と言っていいものであり、彼女は絶対に仲間にするべきだ。
そのためには、完璧に原作通りの流れに沿うのが一番効率がいいやり方だろう。
だから俺は何もしない。すると俺に残るのは、学生時代に一度通った道の焼き直しのような日々のみ。
端的に言えば暇なのだ。幾月に対する対策も、情報がなければやりようもない。
情報収集にしてもヤツがボロを出すとは思えないので、少なくとも人工島計画文書を集めてその筆者に話を聞くか、
いずれ来る夏休みのバカンスでヤツを尾行するくらいしか方策はない。今の時点では八方塞がり、つまり詰みである。
どうしたものか。近くの自販機で買ったモロナミンを呷りつつ、俺は順平との中身の無い会話を続けた。
今のところ、寮の皆や学校の友達と会話していることが一番の暇つぶしだ。あれ、なんかホントにただの高校生っぽくなってる?
結局、どこまで行っても俺は俺、幾月のような老獪な人間には敵わないのだろうか。暗い思考が頭を過る。
五月も終わったというのに、俺の心は五月病に浸食されていた。順平の言う通り、癒しが必要かも知れないな。
いや、寮の女性陣に癒されないわけじゃないけれど。目の保養に最適だしね!
そんなくだらないことを考えていれば、時間などあっと言う間に過ぎていく。
時折タルタロスに行って鍛える毎日を過ごしていれば、何時の間にか一週間後になっていた。
「ハイ、では月曜に約束した通り、集めた情報の確認会をしますッ!」
気合の入った語調で始まった確認会、自信満々といった装いで胸を張る岳羽さん。
彼女は数枚の資料を取り出すと、そこに書かれた内容を見やりつつ、話を続ける。
彼女の調べによると、今回の事件は確かに、怪談の内容と似通った部分があるらしい。
しかし、それだけでは騒ぎになる程の事件と言うには〝弱い〟部分がある。
では、何が事態を事件たらしめたのか。それは、被害者の数だった。
「てか驚いたよ、最初の事件のすぐ後に、実は二度も同じことが連発してたんだから!」
怪談と同じシチュエーションで、何度も人が病院送りになる。
そんなことがあれば、確かに事件だオンリョウだなどと騒がれる理由にもなるだろう。
さらに話は続く。被害にあった人数は三人、その何れもが、ある共通点を持っていたのだ。
その共通点とは。問いかける岳羽さんに、結城さんは数瞬悩んでから厳かに口を開いた。
「三人はよく出家していた……?」
またか。またなのか。
「出家じゃねーよ……。」
相変わらずの結城さんに、岳羽さんは力が抜けた様子でツッコミを入れた。
というか、よく出家していたという字面が意味不明である。何度も出来るものなのか、出家。
言った本人が渾身のドヤ顔を披露しているのをスルーしつつ、再度話に戻る。
どうやら被害者三人は、よく家出をしていたらしい。
それも最悪なことに、夜中にフラフラしているときに、アウトローな連中と知り合ってつるんでいたとか。
この繋がりにはゼッタイ何かあると思う、そう言い放つ岳羽さん。
彼女の取材は、確かな実を結んだのだ。
と、ここまでなら良かったのだが。
「よって、更なる真相に近づくべく、現場取材を決行することにしたから!」
あっさりと告げられた取材宣言、その後に追撃のように加えられた取材場所に、順平の顔が真っ青になった。
「あそこヤバいって!」
順平は何とか思い直してもらおうと、取材場所である不良の溜まり場の危険さをまくしたてている。
しかし、暖簾に腕押しといったふうに、順平の話に聞く耳を持たない岳羽さん。
「ね、楽しみだよね!」
そう同意を求める彼女の目には、危ない光が宿っていた。
……どうやら、原作通りだからと放置していたのが不味かったらしい。
徹夜明けのテンションの如く楽しそうな岳羽さん。流石に身の危険を感じたのか、結城さんが制止に入るが。
「ゆ、ゆかり!また今度にしよう!」
「は?行くよ。」
「……はい。」
健闘空しく、敗れ去る結城さん。
このままの状態で不良の溜まり場なんかに行くと、売り言葉に買い言葉で原作より派手な喧嘩になりそうだ。問題を起こすのは避けたいが……。
「だって今まで私たち、先輩に言われたまんま動いてきたでしょ?」
このままでいいのかなって思わない?と、唐突に真面目な顔で言う岳羽さん。
どうやら、俺の危惧は杞憂だったらしい。というか、気にし過ぎか。細部の会話の違いなんて、大筋に絡むことないもんな。
ほっと胸を撫で下ろす俺だが、それはあくまで無事に帰れると知っているから出来る仕草。
順平や結城さんは岳羽さんの言葉に頷きつつも、顔色を悪くしている。
「明日の夜に出発だから、そのつもりでよろしく!」
それだけ伝えると軽快な足取りで去っていく岳羽さん。
残された面々は顔を突き合わせると、重たいため息を吐くのであった。
読了、ありがとうございます。今回、解説などはありません。