ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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ZEROのルイズ(5)

 食堂入り口を出るとその正面は一直線に正面玄関に通じていて、2階天井まで吹き抜けである。その両側には吹き抜けで切断されているフロアを渡れるように渡り廊下がいくつかあるが、その風景はどこと無く、地球のどこかの都市にある瀟洒なショッピング・モールを連想させた。

 やわらかくアーチを描く天井は、魔法を使ったとおぼしき明かりで照らされている。イングリッドにはそうとしか想像出来なかった。光源そのものがどこにあるかはイングリッドからは見えない。天井全体が淡く発光している様にも見えた。力の流れ、人外の能力を見る事に長けたイングリッドだが、ハルケギニアに来て以降、その能力が対して役に立っていない事がイングリッドを憂鬱にさせる。

 

 能力が無くなった訳ではないし、ハルケギニアで能力が通じない訳でもない。世界を満たす精霊の力、【不確定名称:魔法の力】も『見る』事が出来ている。

 問題はそれらの力が世界に溢れている事だった。否、イングリッドは思いなおす。

 世界に「溢れかえっている」のだ。

 あまりにも普遍的に、大量の力が躍っている。それに塗りつぶされて、イングリッドが能動的に選択して力を取捨出来ない状態にある。イングリッドは海水に流れ込む真水を探しているような困難を感じていた。それを成すのは極めて難しい。

 それが出来ない訳ではない。海水と真水を比べる場合、比重が違ったり、温度差があったり、分子の動きが違ったりと、判別する手段が無い訳ではない。しかし時間が経つと希釈されて、区別する意味が失われる。2つが混ざり合った1つは別の何かになってしまう。そういう意味に近い問題もあって、イングリッドは普段の自分の力を発揮出来ないでいる。

 今のところはどうしようもない問題を、イングリッドは頭を振って後回しにした。

 世界に溢れる精霊の力は、慣れれば区別できる筈という目算がイングリッドにはあった。所謂4大精霊と言う形でそもそも区別される力である。あまりにも量が多いためにノイズとして混ざり合っているが、何とかなるだろう。「普通の人間」であっても慣れれば……例えば、合金をサンダーして飛び散る火花の微細な具合から、合金に混じっている物質を正確に判別できるようなものである。問題は魔法の力だ。僅かに見た実例からしても、精霊の力を変化させて人間が使える形と成した後に出でるのが魔法の力。イングリッドはそういう風に理解している。その推測からすれば、魔法の力は精霊の力から変化した時点で消費され、消えてゆく物の筈である。しかし、何故かこの世界には魔法の力が溢れている。建築物の中などではその傾向が事の外強い。それがどういう理屈なのか。そもそも前提条件が間違っているのか。そこが判らない限りは、今のところどうしようもないとイングリッドは嘆息する。

 

 とりあえず、眼に見える範囲内で世界に対する理解を深めようと、イングリッドは視線を振る。魔法学院の設備はルイズにとってのホーム・ベースだ。それを理解するのは急務だった。

 2階に上がる階段は中央通路から直接アクセス出来ずに、いちいち脇の階段室へ足を向ける必要があるという点でこの建造物の不便さが際立つ。大食堂自体が建物の中央部分を占領している構造もなかなかに疑問を感じさせる。ゾンビ相手に立て篭もるには最高のシチュエーションであろうと、イングリッドは余計な想像をしてしまう。

 

 1階フロアの外周部分に存在する各施設は、北側を向いた正面入り口から一度大食堂の入り口前で突き当たって左右の通路を歩くか、各所にある使用人用の出入り口を使うのでなければ、後は南側から聖堂を抜ける必要があるというのもおかしな構造であると思わせる。大食堂、簡易食堂、厨房は建物の中で周囲を通路に囲まれて孤立しているといっても過言ではないのだ。吹き抜け構造の上層部にあるテラス、バルコニーは通路側で孤立して、建物の2階フロアとはすべて連絡橋を介さなくてはアクセス出来ない。食堂施設が存在する中央設備からはその上にある中庭への階段は無く、使用人控え室に梯子があるらしい、としかわからない。3階以上のフロアに存在する教育施設には直接いける階段は無く、必ず大食堂正面入り口を出て中央通路の階段室に向かう必要がある。食堂内にある2階バルコニーにアクセスする階段も長方形の大食堂フロアの四隅に押し込められて使い勝手が悪い。厨房上には使用人の控え室があって、簡易食堂2階は倉庫。しかもこの倉庫は大食堂2階側からしかアクセス出来ないというのだから非常にあからさまな構造だとイングリッドは見た。

 

 つまり、本当に立て篭もるのに便利な構造なのだ。そういう使用方法を想定しているとしか考えようがないのである。

 

 食事を終えた生徒達が授業前に教室を目指そうと中央通路から左右の階段室に吸い込まれていくなか、それらの人並みをぬってルイズは正面玄関を出た。ルイズはまず、職員塔を目指す。

 イングリッドが不思議に思ってそれを問うと、前日コルベールに呼び出されてイングリッドの元に駆けつけた時、授業道具をすべて教室に投げ出して来たのだという。しかもその後に色々あり過ぎたがために忘れ去り、今日の朝まで授業道具の存在をすっかり忘れていたのだとも言う。

 

 医療室で観察した通り、教育棟の1階には窓が少ない。2階も同じく控えめの数の窓が、分厚い壁の奥に引っ込んで控えめに存在を主張している。

 しかし3階以上のフロアは超巨大で豪奢に飾られた窓が連続して鎮座し、どこかの宮殿のようだ。各フロアには大きなベランダが備わっていて、『現代的学校校舎』的雰囲気が感じられなくも無い。現代的ではない差異と言えばそのベランダが下から柱で支えられていることで、カンチレバー構造を取れないところにこの世界の建築技術の未熟を見る。この建物の建築当時は不可能だっただけで「現在」は違うかもしれないので即断は危険であるが。

 3階のみは下の建築物の屋根構造から引っ込んでいるのも手伝って、やたらと広いテラスが備わっているようだった。東京お台場にこんな感じの建物があったなぁ。シャドルーとの戦闘で炎上したけど……と遠い目をしてしまうイングリッドだった。

 窓がやたらと大きいという一面のみに注目すれば、ロンドン万国博覧会でこんな建物を見た気がするとのんきに思うが、鉄骨で支えられている訳ではなかったからあそこまでのシースルーっぷりを発揮しているという事もない。

 2階と3階の間を境にして上下で連続性の無いその外観はひどくちぐはぐだった。

 見た目は全然違うのだが、なぜだか、石垣の上に乗った日本的城砦……天守閣を思わせる構造だとイングリッドは感じてしまった。

 

 その前を早足で歩いて回って、職員塔を目指す。

 ルイズはイングリッドが来てから私の調子は滅茶苦茶だと笑う。イングリッドは我のせいかと笑って応える。

 その距離感を心地よく思いながらルイズは職員塔の2階にある、デュピュイ・ド・ローム先生の席を目指す。

 

 

 円形の建物と言うのは酷く無駄が多い。とは、一概にそうも言いきれない。

 極めて慎重に設計を行い内部配置をしっかりと考えた上で建設すれば、これ程までに無駄の無い建物も無い、という建築を達成するのも不可能では無い。

 ただし、孤立建築物限定である。

 多数の建築物が集合した場合、つまり団地のような場所で円形建築物を多数配置すると、どうしても無駄な土地が発生する。

 固定資産税だとかなんだというくびきがある場合、そういった無駄は致命的な問題に発展しかねないので、スタジアムやホール、強度上の問題で円形であることがどうしても求められてしまう超高層建築物でもない限り、「地球」に於いて建築物を円形(円筒形)で設計する蓋然性は殆ど無い。設計も面倒であるし。

 イングリッドは教育塔がどちらの理由で円筒形を取ったのかを興味深く観察する。それがわかればこの世界の建築技術を推測する材料になるからだ。それは一足とびに飛躍して考えるのであれば、科学技術の推定材料になり、更に関連して冶金技術などの推定にも繋がる。風が吹けば桶屋が儲かるではないが、最終的に銃火器の存在の推定材料にもなるので、ルイズを護衛する任務に対してはそれなりに安全を図る材料になるのである。

 

 入り口に詰め所みたいのがあり、顔パスで通過する。制服を着たルイズを見て、その後ろを歩くイングリッドに訝しげな視線を送り結局素通しさせた衛視の態度を見ると、イングリッドは危機感を強めざるを得ない。

 得体の知れない人間が、この学院施設で寮塔に次いで重要施設と思われる職員塔に誰何なく入り込めてしまう状況。外周の警備を突破しなければここにたどり着けない。ましてや貴族の後を付いて回る人間。

 外周の警備を信じているのかもしれないし、貴族様の立場を配慮したのかもしれない。しかし、不審者阻止の最後の砦にもなりかねない人間が、やる気無く知らない人間を通してしまう。この結果は、ルイズの身を守る立場のイングリッドに頭痛を与えてしまう。

 

 眉を痙攣させるイングリッドに気が付かないで職員塔の回廊を回るルイズ。内部構造は色々と残念な構造で、それもイングリッドの神経を痛めつける。

 外壁と内部構造の2重になっているのがわかった職員塔は、内側の塔から鉄骨トラスで外側を支える構造になっていて、なかなかに馬鹿らしい。外筒と内筒の間隔は目視で5メートル。上部に行くにつれてそれは狭まる。科学技術推定の確固たる材料になりそうな「鉄骨」の存在に一瞬色めき立ってしまったが、かなり粗い間隔で配されたその構造のゴツさから錬鉄あたりかと目算をつけて、混乱してしまう。

 イングリッドの眼にはそれは3000年ぐらいの歴史を持っているのが見て取れたからだ。

 石造りが基本の重力式静構造物の教育棟は、病室での経験と食堂にいたるまでの観察、食堂での内部観察から6000年以上と言うのは間違いなかった。しかしここは外筒3000年、内筒6000年とずれているのが見て取れた。

 放射線年代測定が出来る程には性能が良いという訳ではないイングリッドの眼だが、100年単位前後のずれに収まる範囲内では、物の年代を知る事が可能だ。建築物に宿った精霊の疲れ具合を見る事で、それを知る事が出来るのだ。だから3000年ぐらいもずれていれば、さすがに大きな間違いはないと自分の推定を信じられる。別に年代測定の鑑定眼を望んで養ったつもりはないイングリッドだが時代の移り変わりを実際に眼で追ってきた身。自然と身についたそれなりに役に立つともどうでも良いとも思える『特技』である。

 

 内筒に張り付いた階段を上る。

 緩やかで広いが、手すりが無い。壁に手をつけて上るしかない。

 飛行能力がある貴族であるなら、気にする必要もないであろうし、実際にイングリッドとルイズが階段を上る横で教職員や生徒が飛び交っているので、実際に手すりの存在意義をことさらいう必要性はないのだろう。ご他聞に漏れず、ここにもエレベーターがちゃんと存在していて、使用人はそれを利用しているのが見える。内塔に階段の張り出し分だけ離して、外筒と内筒の隙間に器用に押し込んであるその構造は激しくやっつけ仕事である。現代建築に慣れた眼からするととても近寄りがたい()()であった。

 

 内筒には等間隔にベランダのような構造があって、外回廊のようになっている。これまた手すりが無い。そこから等間隔にトラス構造の支えが突き出て外筒に接続し、外筒内周にある回廊に接続している。渡り廊下がトラスの上にあり、外筒の回廊とあわせてかなりごつい形状の手すりが用意されている。

 外筒には大きさの揃えられた窓が多数設けられていて、それらが整然と等間隔に並んでいる。

 

 そこまで見てイングリッドは確信する。

 

 この学院構造物は、城砦のよう。ではなく、まさに城砦だったのだ。

 

 学院として施設が建築されたのは間違いないであろうが、当然考えられるさまざまなリスクを勘案すれば、学院そのものを城砦とする合理的理由はある。2階を目指す緩やかな階段を歩きながら、内筒外周側の壁にアレコレと刻まれた傷が、実際にこの学院が外部からの襲撃を過去に受けたであろう証拠が見えてくる。

 その経験が2重構造なのだろう。

 おそらく被弾によると思われる物理的衝撃による破壊の痕跡を補修した形跡がある。鋳鉄、或いは青銅製の球形実体弾の命中によって発生したと思しき破孔は完全にふさがれているが、周囲に発生したスプリンターの痕跡はかなり残されたままだ。これはルイズを守る上ではまったく無視できない決定的証拠だ。早い段階で重火器の存在の証拠を得られたのは僥倖だと思う。これからの護衛任務中にアレコレと配慮することが出来るだろう。

 新たに問題となるのはその砲弾がどれほどの距離を飛翔してここに命中したかと言うことである。外周を守る城壁を飛び越えて、学院敷地外からの攻撃がここまで届いたのだとすれば射程が長いどころではない。軽く10キロ以上の射程を持つということになる。理論上の最大射程でたまたま命中したのなら面倒は少ないが、有効射程内で狙って当てたとなると恐ろしく面倒なことになる。どちらにしても砲弾を吐き出した砲は、相当な技術力を発揮して製造されたことになるが、それが飛ばす砲弾が球形と言うのも不思議な話である。

 常識的にいえば城壁を破られた上で、敷地内で敵味方が分かれた砲撃戦が行われた歴史が学院にあるということになるが、その辺までは判断がつけられない。またまた保留である。

 

 しかし錬鉄の存在。それも3000年前である。どうしてもこの世界の科学的水準が読めない。悩みばかり深くなる。どう判断して良いかわからないことだらけである。

 

 頭をうんうん唸らせて湯気を立てているイングリッドを引き連れて、ルイズが2階のフロアに入る。

 完全に真円形のフロアで、一切の柱も壁もない構造が見えた。フロア構造の上にプレハブでも建てたかのように、いくつかの小部屋を別に作って、区画している。そういった小部屋は、トイレだったり休憩室だったりするのだろうとあたりをつける。もう頭が痛い所ではない。どうやって床を支えているかイングリッドの知る常識では予想することすら出来ない。

 

 そのあたりの思考を半ば放棄して、しかし教職員の能力を測るように気配を読み続ける。判る範囲内で彼らの実力を知り尽くそうと、気を配り続ける。

 直径30メートルは在る円形の空間ほぼ全体を占める雑然とした雰囲気が彼女の能力を阻害する。レイアウトは滅茶苦茶だ。好き放題にディスクを持ち込んだのだろう。ロッカーなりチェストなり、配置に法則性がない。必要性が出た時に、置きたい物を置きたい所に置きました。そんな感じであった。床には一応カーペットだったものの残骸が敷かれているようだが、何かの前衛芸術の如く、つぎはぎだらけだ。段差が無いのだけが救いで、非常にうまくつき合わせてある。技術力の無駄使いここに極まれリ。

 

 教師や職員の机とそれらに付随する設備で暗礁宙域化した中をルイズがすいすいと進んでゆく。イングリッドはシールドが欲しいと思ってしまう。うっかりすればデブリに激突して機体損失だろうとわけのわからない妄想をしてしまう。

 

 授業前の喧騒か、先生達、と思われる人々が書類やら教科書やらと格闘している。助教師等もいるようだ。えらそうに若い人間を怒鳴りつけている爺もいる。マントをつけた者が頭をかきむしったり、誰かの使い魔と思しき大型の狼?が書類を咥えて走り回ったりしている。モッフモフやで!飛びついて撫で回したい誘惑をイングリッドは振り切った。

 その混乱の間を職員らしき人間が決済書類らしきものを持って走り回っている。すばらしい混沌。学校施設の職員室とはどこもこういうものなのだろうか。これが普通なら、さくらのように体力お化けのような人間が年がら年中疲れ果てているのも理解できる気がする。

 

 イングリッドの眼にうろこが張り付きまくっている内に、ルイズは目的の場所にたどり着いた。急ぎの仕事が無いのか、のんびりと書類をめくっている。ルイズはデュピュイ・ド・ロームの神経質そうな顔に皺が深く刻み込まれたその視界に回って、声をかけた。

 

「ミスタ、ド・ローム先生」

 

 ハッと気が付いて顔を上げる。イングリッドは惜しいと思った。もう少し柔らかい表情が得られれば、なかなかに印象深い表情を得た、好感の持てる顔になったであろうと思わせる姿だった。

 しかし彼の顔の現実は神経質さが先に立ってしまっている。

 

「お……どうしたかね?ミス・ヴァリエール」

 

 その時、ド・ロームというイングリッドにとっては初対面の相手が、ルイズたち生徒に神経質にならざるを得ない理由がわかったような気がした。複雑な感情を混在させて此方を見上げている表情はいっそ痛々しいとまで言える。貴族である生徒との距離感を図るのが難しいのであろう。教師と言う形で上にありながら、その存在に於いては格下どころではないのだ。教師と言う人のあり方は、生徒というあり方に対しては最初から、相対的に『上』であり続けることを求められるのだ。で、あるのにハルケギニアの社会のあり方がそれをややこしくしている。彼らが生徒と会話一つするのにも胃が痛い経験になるだろう。

 ルイズのようにそういう距離感を気にしない生徒はありがたくも迷惑だろう。個人間の会話のみであるなら気にする必要もないのだろうが、そこに耳をそばだてる第3者が居ればそれだけで恐ろしく状況が混乱する。僅かな経験からも存外気さくな性格を持っていると知れるルイズだが、そうやって気さくに近づいてくるからと言って教師がそれにあわせることは危険すぎる。無防備に接して考え無しに彼女を扱えば「あの先生は貴族を蔑ろにして……」等と悪い評判が立ちかねない。しかし「そういうことなのでもっと気をつけてくれ」とは教師側から生徒であるルイズに申し立てることも出来ない。教師である前に『平民』と言う人のあり方に身を置いているのだ。となれば常に教師が空気を読んで接するしかないということになる。恐ろしく厳しい職であろう。イングリッドはうっかり同情を覚えてしまう。

 

「あの……申し訳ありません。昨日は授業を途中で抜け出してしまいまして……ご迷惑をおかけしました」

 

 ルイズが頭を下げる。イングリッドは誰にも知られることの無いように小さく溜息を吐く。これは……やりにくかろうよ。

 むしろ胸を張って用件だけ言ってしまったほうが、ド・ロームにはありがたいことだろう。

 

 予想通り、彼は酷く難しそうな顔をして、言葉を慎重に選びながらルイズに答える。この会話は彼には相当()()()であろうと想像して小さく笑うイングリッド。

 

「う……うむ。気を使う必要はないよ、ミス・ヴァリエール。君にもその……」

 

 彼の視線がちらりとイングリッドの方を向いて、すぐにルイズに戻された。

 イングリッドは内心で胸をなでおろした。その何かを確認する気持ちの乗った視線は、明らかに自分の存在を知っている視線だった。

 

「……使い魔のことでいろいろと大変であったのだろう?あー、今の時期ならそれほど授業に影響も無いからね。大丈夫ですよ」

 

 やはり、とイングリッドは内心頷く。きっとコルベールが気を回して申し送りしてくれたのだろう。このフロアに入った瞬間から此方をうかがう気配が複数感じられていたが、それは得体の知れないものに対するものではなく、何かを確認しようとする好奇心じみた感情が乗っていた。もしかしたら入り口の衛視にすら手を回していたのかもしれないと思い直す。そうであるならばコルベールは随分と気の使える人間であるのだと、彼に対する評価を上げる。

 

「……その、なんだ。あー、彼女がミス・ヴァリエールの使い魔……で、よろしのかね?」

 

 やはり人間を「使い魔」と表現するのはは抵抗があるのだろう。彼の顔には隠しきれない困惑が見えた。

 ルイズが生真面目な顔をして頷く。

 

「はい。彼女は私の使い魔です。イングリッドと言います」

 

 「ほら」とルイズがイングリッドの背を押す。周囲の視線が痛い。

 少しだけ悩んで、言葉を選ぶ。シエスタとの会話で大きな誤解が生じていたことに気が付いたからだ。ここでもその誤解が続いてしまうのなら。後々とんでもない苦労を背負い込むことになりかねないとイングリッドは警戒する。

 

「はい。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの召喚に応え、召喚の儀の場に()()()()()イングリッドと申します。いろいろと行き違いがありましたが、昨日、無事に()()()()()()()()()()()、使い魔となりました。以後、見知り置いて頂ければ幸いです」

 

 普段の常なる態度と違うイングリッドの姿に、ルイズは自分が居る場所も忘れて大きく仰け反った。イングリッドはそれに気が付かない風を装ってド・ロームの表情を観察する。内心では冷や汗をかいて、彼の反応をうかがう。

 硬い表情で一瞬固まった彼は、ゆっくりとイングリッドを上下に見渡して、鷹揚に頷いた。

 

「うむ……なかなかに面白い力を持っているようだね、君」

 

 小さく笑ったその顔はそこそこに好意的印象が見えた。彼はルイズに向き直った。

 その姿を見送ってイングリッドは彼の言った言葉を捉えて、警戒心を募らせてしまう。

 

 メイジというのは、イングリッドが内包する力を嗅ぎ取る何かの術をすべからず持っているのだろうか?しかしルイズにはそのような素振りが見られない。難しい判断が迫られている気がする。力を隠し続けるべきか。隠せないならいっそすべてを明らかにするべきか……。

 

「うむ。良い使い魔が得られたようだ、ミス・ヴァリエール。大事にしなさい」

 

 ルイズは驚愕で固まっていた表情を一瞬呆けさせて、次いで小さな花が開くような笑みが彼女の顔を覆い、うんと頷く。

 

「……はいっ。私の使い魔です。素晴らしい使い魔です。大事にします!」

 

 ルイズの笑みに釣られるようにイングリッドも笑った。ド・ロームもそれに釣られて笑う。一瞬、それに気が付いて誤魔化す様に咳払いをして、彼は表情を取り繕い、再びルイズに身体ごと向き直った。

 イングリッドは、ド・ロームにそれなり以上の好感を持った。悪い人物ではないのだろうと考える。信じられそうな人物をピック・アップ出来たことは一つの成果だろう。

 

「……使い魔の紹介のためにここに来たわけでもないでしょうミス・ヴァリエール。何の用件でしたか?」

 

 それに、「あっ」と小さく驚いて、恥ずかしそうに顔を振り、ルイズは本題を切り出す。

 周囲でイングリッドをもっと良く見ようと観察する視線が増えるのがわかる。フロアの出入り口から遠い場所にわざわざ足を向けるとなれば、彼ら彼女らの目的は一つしかないだろう。

 

「え、すいません。その。昨日ですね、授業道具を放り出してしまってまして……あずかっていないでしょうか?」

 

 おう。とでも声を出しそうな仕草で頷く。彼は、ディスクの書類やら教科書やらの山の間の渓谷に手を入れると、そこから一つに纏められた勉強道具を取り出した。

 

「うむ。ミス・ツェルプストーから預かっているよ。これでよいか確認してくれないかね」

 

 随分と人好きする笑顔になった彼は、ルイズにそれを差し出す。イングリッドはその表情が彼の素なのだろうと想像する。

 ルイズが小さく驚いた。

 

「え、きゅる……」

 

 ルイズは何かの動物の鳴き声のような声を出しかけて、口を紡ぎ、慌てて言い直した。

 

「ミス・ツェルプストーが?」

 

 妙な表情で疑念を顔に表したルイズに彼は頷く。

 彼自身は小さな笑みを浮かべていた。

 

「うむ。よい友人を得ているね、ミス・ヴァリエール。あの子は君の事を随分と気にかけていたようだ。時間が取れるときで良いから、彼女にも使い魔を紹介してあげると良い。きっと喜ぶだろう」

 

 その言葉で表情を複雑に歪めて曇らせてしまうルイズ。その反応に、ド・ロームは一瞬訝しげな表情を浮かべ、ついで隠し切れない動揺が現れる。ルイズは貴族なのだ。教師でしかないド・ロームには腫れ物である。なにか対応を誤ったのかと不安に思っているのだろう。

 イングリッドがすぐさま軽くルイズのわき腹を小突く。基本的に頭の良い彼女である。それだけで気が付くであろうとイングリッドは予測した。

 事実、ルイズはハッとした表情で視線を上げた。椅子に座ったド・ロームの顔に現れているものに気が付いて、表情を慌てて笑顔に戻す。イングリッドはうんと頷いた。やはりルイズは頭が良い。後は経験を積めば大成するだろう。

 

「はい。預かっていただきありがとうございます。ミス・ツェルプストーにもお礼を言っておきます。ご迷惑をおかけしました」

 

 ルイズは小さく頭を下げた。ほっとした表情でド・ロームは誤魔化しきれずに溜息を吐き、それに気がついて慌てて笑顔を浮かべた。

 

「うむ。どこまでお役に立てたか、喜んでもらえて幸いだ。そろそろ授業に向かうと良いでしょう。今日は新任の先生が顔見せする日です。早めに教室で待ったほうが良い」

 

「えっ、そうなんですか」

 

「うむ。昨日の授業の最後で説明したのだが、ミス・ヴァリエールには伝わっていないようだね。申し訳ないことをした」

 

 再び冷や汗を流しながら彼は大きく頭を下げた。ルイズが「あわわ」と喚いて両手を振る。

 

「いえ!私が授業を抜け出したんです。しょうがないです。でも、教室は予定通りの部屋で良いんですか?」

 

 小さく頭を捻るルイズに、彼は安心したように頷く。イングリッドはこの学院の先生と言うあり方に同情する。随分と気を揉む職業だ。コルベールもこういう気分を味わって頭頂部を寂しくしたんだろうか?

 

「うむ。昨日と同じ教室を使う。さあ、そろそろ急いだほうが良い。君の……ああーっと。使い魔君も居るのだから、慌てないうちに教室に向かったほうが良いだろう」

 

 ルイズもイングリッドも行儀良く彼が本当はうっかり何を言ってしまいそうになったかは気がつかないフリをして頷いた。二人で頭を下げて、失礼しますと声を出す。来る時とは異なり若干の荷物が増えたルイズは飛び跳ねるような勢いでフロアの外を目指す。周囲で此方を伺っていた視線はいつの間にか消えている。ド・ロームの失言に気がついた瞬間に蜘蛛の子を散らすように逃げ散っていたのだ。イングリッドの視界の隅でド・ロームが頭をかきむしっている。確かに毛根の健康に悪い職場だな……。

 

 

 

 勢いよく階段を駆け降りて、衛視の前を走り抜ける。職員塔を抜けて敷地を走るルイズ。その後ろから心配そうにイングリッドが声をかけた。

 

「ルイズ……さっきのは……」

 

 ルイズは大きな声をかぶせてその言葉を遮った。

 

「言わないで!」

 

 一瞬振り向いて強い視線でイングリッドを貫く。しかし、その顔は笑顔だった。また前に向き直り走る。

 

「気にしてないから!」

 

 

 

 

 

 あれだけ走ったのにルイズは息を切らせることは無かった。若干、頬が紅潮し肩も上下に揺らいでいるが、教育棟の4階まで一気に走ったのに、疲れた風でもない。やはりイングリッドの想像通り、ルイズは身体が丈夫なんだと思った。いや、望まずとも丈夫になってしまったのだろうと思い直す。

 扉を抜けると、まず教壇と黒板が見えた。大きな教卓が鎮座している。これまた大きくて幅が広く背の高い黒板が、真ん中で区切られてチェーンで連結されている。上と下を入れ替えれるようになっているのだろう。良く考えられたギミックに小さく驚く。

 階段状になった席配置もなかなか考えられている。これなら後ろからでも前の席の生徒が邪魔になることなく教師の姿を見ることが出来るだろう。外から見たとおり、大きな窓から降り注ぐ光も教室を明るく照らして勉強の場としては良い雰囲気である。技術レベル的にいろいろと悩ましいところが多かったが、勉強の場における様々な工夫の跡には素直に感心する。

 

 イングリッドが現代社会の教育現場に疎いだけで、現代社会を知るものがこの風景を見れば、大体の者は平均的な大学の講義室のようだと感想を述べたであろう。日本の一部の私立高校や欧米のハイスクール等でも取り入れられている構造である。ヨーロッパでは1900年ごろにはすでに見られた形態だ。

 彼女の生活にまったくと言って良いほど関わってこないそうした情景に、イングリッドはとことん無知なのだ。さくらやそれと関わる人間、たとえばかりんやひなたといった人間とは精々が学校と言う施設のごく一部でしかない運動場で闘争を繰り広げたぐらいである。さくらに関しては彼女の家まで押しかけたことがあったが、その自宅は平均的な日本的家屋であったので、当然学業の場がどうなっているかなんてイングリッドには想像の機会さえなかった。さくらとの会話などで「教室」というものが集団で勉強する場所の名称だとは知っていたが、さくらにとっての常識から教室の構造が……なんていう説明がことさら言われるわけも無く(何しろ『常識』なのだ)、イングリッドもさくらが話す彼女の日常生活の描写を「ふーん」で済ましていたから、()()とハルケギニアを比べようも無かった。

 これまたイングリッドには縁も縁もない話であるから、黒板が「黒板というもの」であることは知っていても、黒板の時代的由来がどうとまでは考えが及ばない。彼女の生活の中では気がついたら街角で見かけるようになった気にかける必要も無い道具の一つでしかなかったのだ。気がついたら、カフェやバーの軒先に置かれてその日のメニューが書かれている便利な道具。その程度の認識である。腹を空かせてそれを見るイングリッドにとっては書かれている内容こそが重要であって、黒板そのものに注目が行くことはなかったのだ。

 黒板自体の出現は19世紀前半にさかのぼることが出来るが、大々的に使用されるようになったのは19世紀後半である。大量消費が始まったのは軍事目的からであるが、そうであるが故に高価でなかなか広まらなかった。それが安く簡単に手に入ってカフェの前に置かれるようになるのは1940年前後と言うことを知れば、イングリッドは頭を悩ませて爆散していたかも知れない。

 一般的に普及したレベルで考えると、黒板は20世紀の道具なのだ。

 

 そういった構造に「ふんふん」と感心しているイングリッドを引き連れて、ルイズは教室の一番前にある列に席を取る。無遠慮な視線が山ほど浴びせかけられるがルイズはまったく気にしていない。胸を張って、むしろ楽しそうに準備をしている。自分の横に立ったまま「こくこく」と頷きながら周囲を見回すイングリッドのすそをひいてその視線を自身に向けさせる。

 

「なんじゃ?」

 

 小さく笑みを浮かべたルイズは、自分の隣を「ぱんぱん」と手のひらで叩いて指し示す。イングリッドは頷いてそこに腰を下ろした。

 余り良い気分になれない押し隠した笑い声や、囁きを無視して、ルイズが懐中時計を取り出して蓋を開け時間を確認する。そうしてルイズとイングリッドの間に双方から良く見えるように時計が机の上に置かれた。9時45分。まだまだ余裕がある。

 いくつか質問をこなす時間も取れそうだと、ルイズに視線をやると「なに?」とでも言いそうな顔が此方を向いていた。随分な以心伝心をこなせる自身の主に苦笑して、さて、何から聞けばよかろうかと頭を捻ったところで、ルイズが僅かに緊張するのがわかる。視線が教卓の右側に向いている。イングリッドも振り返った。

 

 フレイムをつれたキュルケが開け放たれた入り口に立っている。

 

 朝のやり取りを思い出してイングリッドはふっと笑う。

 朝の時点でキュルケが随分とルイズに「特別」に気を回していたことを思い出す。職員塔でのド・ロームとの会話は朝に得た確信を補強するだけだった。ルイズはキュルケが自室の窓から外に出ずに、わざわざ階段を降りていった意味を理解しているのだろうか?ルイズが自分自身でその事実にたどり着いてくれることを願うイングリッドは、そのことをルイズに説明する気が無い。

 緊張した表情のルイズの横で小さく笑いを浮かべてキュルケを見る。彼女も随分と複雑そうな笑みを浮かべてこちらを見ていたが、ふっと肩をすくめてフレイムを追い立てる。フレイムはキュルケとイングリッドの間で何度か目線を彷徨わせた後、諦めたように、のっしのっしと階段を上り、教室の後ろを目指す。教室に入った時点でイングリッドは気がついていたが、教室の最後尾には、山のように怪物が寄り固まり、なんだか良くわからない言葉と仕草が飛び交ってそれなりにコミュニケーションを取っているようだった。彼もそこに混ざるのだろうか?

 

 笑みを顔面に張り付かせたままのキュルケが此方に近づく。ルイズは非常に複雑な表情だ。ド・ロームに言われた言葉を思い出しているのであろう。キュルケに複雑な感情を持っているらしいルイズだが、イングリッドがある程度理解したつもりのルイズの性格なら最初に出る言葉は一つだろうと予測する。

 

「おっはよ。ルイズ。さっきぶりね」

 

 「むっ」としたルイズだが、小さく息を吐いて躊躇し、しかし、顔を上げて、目の前に立ったキュルケに自身も立ち上がって答えた。

 

「ありがとう。ミス・ツェルプストー」

 

「はいぃ?」

 

 彼女が予想していなかった反応だったのか。群れる場所を追われた老成した刑事のような、若い女性には似合わない妙な口調でキュルケが驚く。それを見て、イングリッドは思わず噴出した。

 それですぐさま気を取り直したキュルケが、しかし妙な表情のままルイズに問いかけた。

 

「えっと、どういたしまして??」

 

 ぷっ、とルイズも噴出す。頭からクエスチョンマークを飛ばしそうな表情で、キュルケは頭を捻っている。ルイズは呆れたように小さく笑って腰に手をやり、右手で先程準備をしたルーズ・リーフを持ち上げた。

 

「片付けてくれたんでしょ。助かったわ」

 

 ああ、と合点したのか、こくこく頷くキュルケ。初対面時と違い随分と余裕が無いその仕草に、イングリッドは顔が歪む。

 それに気がついて、不満そうな表情を浮かべたキュルケだったが、はあ、と溜息をつくと、イングリッドの横の席に入り込んでさっさと腰を下ろした。

 腰を下ろして前を向き、足を組んで、手も組んで。準備万端となったところでイングリッドに視線を移した。

 

「ここ、座らせてもらうわ」

 

 イングリッドも眉を跳ね上げてキュルケを見つめてしまう。

 

「座ってから言われてものぉ……」

 

「座ってから言うな!」

 

 立ってイングリッドを見下ろすルイズと眼を見合わせて、小さく笑いあい、ルイズは溜息をついて席に腰を下ろした。

 それを見てキュルケは小さく笑う。

 

「仲、いいわね」

 

 即座にルイズが答えた。

 

「でしょ」

 

 背もたれに大きく背を預けたキュルケが、イングリッドの後ろに視線を通してルイズににやりと笑いかけた。

 ルイズも背もたれに身体を預けてイングリッドの後ろから視線を通し、キュルケの言葉に屈託無く応える。

 イングリッドはムズ痒い思いを背にしてぶるっと身体を震わせた。

 

「なに?」

 

「なによ?」

 

 ほぼ同時に反応して顔を見合わせる二人を見て「主らもたいがいじゃ」とは言えないイングリッドだった。まあ、仲のよいことは重畳じゃて……。

 

 頭を振って、後ろに身体を回し、上を見上げるイングリッド。ごく一瞬だけの強い意志の透過に、教室のざわめきが収まるが、イングリッドの視線が生徒達の上を飛び越えてその後ろの使い魔達へと向くと、あっという間にざわめきが戻る。

 

 イングリッドに釣られて視線を向けたルイズとキュルケに気がついて、イングリッドはルイズに問いかける。

 

「んむ。ずいぶんといろいろ居るんじゃな……おもしろいの」

 

 何を言われているかに気がついたルイズも後ろを見渡す。ルイズは自身の失敗の連続と、その後の混乱で、どうしたところで存在感が強烈過ぎた風竜以外にどんなものが召喚されていたかを知らなかったことを思い出した。イングリッドと同じように興味深そうな視線で後ろを見渡す。

 イングリッドが目を覚ますまでの期間でも、本来であれば他の使い魔を観察する時間は存分にあったはずだったが……イングリッドの事や、自身の問題に気をとられていたルイズは、彼ら使い魔に対して一切の注意が向いていなかったことを思い出していた。

 

「そうね……。いろいろ居るわね……」

 

 そこに暗い感情は感じられない。純粋な好奇心だけがあった。イングリッドは内心で安堵を吐いて、知らない生物達の情報を得ようとルイズに問いかける。

 

「んむ。でっかい蛇に、梟か……カラスに、猫。まあ、定番じゃの」

 

 イングリッドの頭には、暇つぶしに読め。あんたの家は殺風景過ぎる!と、さくらに押し付けられたゲームやジュブナイル小説、漫画等の内容が思い浮かぶ。そうやって頷いているイングリッドにルイズは驚いた。昨日の時点でイングリッドは魔法がほとんどない場所から来たのだと見当をつけていたのだ。それなのに召喚された生物の一部を指し示して「定番だ」と批評している。イングリッドに対する評価がルイズの中で混乱する。

 イングリッドはその様に気がつかず、さらに目線を振る。

 

「んーあの6本足は見たことないの。なんじゃ?」

 

 唸っていたルイズは何を言われたか判らずに一瞬の混乱を表情に出す。キュルケがそれに気がついて助け舟を出した。

 

「ああ、あれね。確か……バジリスクって言ったかしら?」

 

 ルイズも慌てて頷く。少し眼を泳がせて、ここにはない、いつか見た図鑑のページをめくるように思い出しつつイングリッドの疑問に答える。

 

「ええっとね、たしか……オーガとかの巨体のモンスターも一瞬で死に至らしめる猛毒を持った蛇……だったかしら」

 

 その答えに、妙な表情でルイズに視線を移すイングリッド。

 

「トカゲじゃないのかや?」

 

 「そう言われてみればそうよね」と、ルイズも首を捻る。

 

「図鑑の挿絵もトカゲにしか見えないのに『蛇』って表現なのよ。なんでかしら……?」

 

 キュルケも首を捻る。

 

「そう言えばそうよね。考えてみると不思議だわ」

 

 イングリッドは鼻白んだ。

 

「いい加減じゃのう……」

 

 顔を寄せて小さな声で反論するルイズ。

 

「しょうがないじゃない!そう書いてあるんだもん」

 

 「はいはい」と、身体を仰け反らしながらなだめて、イングリッドは別の生き物に視線を移す。

 

「あのでかい目んタマの、ふわふわのもこもこはなんじゃ?」

 

 ルイズには「ふわふわのもこもこ」と言う表現は理解できなかったが、目んタマといわれてアレのことかな?と視線を移す。

 

「ビホルダーね」

 

 どうやって飛んでいるか理解しようと、イングリッドは力の流れを読む。下から吹き上がる力の流れが見えた。

 ルイズはビホルダーを呼び出した誰かを素直に賞賛しようと思ったし、素直に疑問を思う。

 

「あれはメイジにはかなり危険な相手なのよね」

 

 ルイズが答える前にキュルケが表情を僅かに曇らせて答えた。

 

「ん。なぜじゃ」

 

 イングリッドがキュルケに向き直る。イングリッドの顔がキュルケに向いたことにルイズは僅かな怒りを覚えた。だが2人は気がつかずに会話を続ける。

 

「あいつの視線は魔法を無効化するのよ。フライを使ってるときにあれを食らったら大事故よね」

 

「……ほう!」

 

 イングリッドは感嘆した。相当に強力な相手だと認識する。ルイズの爆発も無効化できるのだろうか?

 ルイズはその「魔法無効化」と言う部分に引っ掛かりを覚える。

 魔法がもっとも大事なメイジが呼び出した自身にもっとも相応しい使い魔の力が「魔法無効化」。もっとも相応しい力が?

 あれこそ自分に一番相応しい使い魔ではなかったろうか。

 ほかならぬ自身の大事な使い魔の背を見ながら、とんでもないことを考えてしまったルイズの表情が曇る。

 突然暗い感情が渦巻いた、その気配に驚きイングリッドはルイズに振り返る。

 

「な……どうした、ルイズよ。大丈夫かえ?」

 

 顔を上げたルイズには視界いっぱいのイングリッドの顔。仰け反って飛びのくルイズ。その瞬間に彼女は左のひじをしたたかに机にぶつけてしまった。かなり大きな音が響いて一瞬だけ教室が静まり返る。

 

「あうぅ……!あの、あのね、イングリッド」

 

 悶えるルイズにイングリッドが心配そうに顔を近づける。

 

「な、大丈夫かルイズ?」

 

 その顔を抑えて引き攣った自身の表情を思いながらルイズは、弱々しい仕草でイングリッドの身体を押し返した。

 

「近いから、顔!」

 

 「おおう!」とか言って飛びのくイングリッドはキュルケの身体にぶつかる。豊かな双丘がクッションとなって跳ね返されたイングリッド。呆れた表情で2人を見るキュルケ。

 

「ホントに仲いいね、あんたたち」

 

 その声に2人で身体を跳ねさせて顔を見合わせる。乾いた笑みを同時に浮かべた。

 

 何かを言おうとしたルイズだったが次の瞬間、教室の入り口から足音が響いた。そちらに顔を向けると、見たことのない姿の女性が入ってくるところだった。あれが新任の先生だろうか?机の上の懐中時計を見ると時刻は10時10分を回っている。まあ、平均的な時間だろう。

 

 ルイズはさっと身体を前に向ける。教室の後ろのざわめきも静まった。キュルケも面倒くさそうに身体を回して前を見やる。

 

 どことなく優しい雰囲気の、輝かせた瞳が印象的な中年の女性だった。それなり以上の人生経験が刻まれた顔は、しかし柔らかい空気を漂わせている。イングリッドは時にさくらをも叩きのめした彼女の母親の姿を幻視する。新任ゆえの希望に満ち満ちた表情なのか。あれが職員塔で見た疲れ果てた教師達と同じように薄汚れていくのだろうか。

 品のいい紫色のローブはイングリッドの服の色よりは淡いが、彼女の立ち振る舞いに良く似合っている。所謂「魔女帽」の唯一言で説明しきれるような、同じく紫色の帽子。白いリボンが巻かれているということはない。シンプルなデザインだ。ローブの下から姿を見せる、ゆったりとしたズボンの裾は使い古された、しかし手入れの良いブーツに押し込められている。マントは身につけていない。

 一見した印象に惑わされてはいけない手合いと思う。馬に乗るようなあの下半身の姿は、かなり活発に動くことを普段からの前提にしたスタイルだ。走り回ることはさすがに苦手な様だと見るが、活発に飛び回ってはいるだろう。ローブも帽子も手入れが行き届いているが、あちらこちらに補修の痕跡がある。きっと採集とか何とかで外を走り……飛び回っているに違いあるまいと想像する。

 

 静まった教室を見回し彼女は、満面の笑みをこめて大きな声を出した。

 

「はじめまして皆さん。私はシュヴルーズ。今日から皆さんを教えることになりました土メイジ。新任ですが、これからよろしくお願いしますね!」

 

 頷くルイズにつまらなそうに頬をついて頭を傾げるキュルケ。後ろからはしらけた雰囲気が伝わる。

 しかしその空気にまったく当てられることもなく、元気いっぱいに声を張り上げるシュヴルーズ。なかなかに良い性格の様だ。

 

 彼女は教室を見回して大きく頷いてうれしそうに微笑んだ。

 

「まあ!みなさん!春の使い魔の召喚の儀は大成功だったそうですね!実際に目にすると、皆さん、いずれ劣らぬ素晴らしい使い魔を呼び出したようですね!」

 

 腕を組んで苦笑いをしながら大げさな身振り手振りを交えるシュヴルーズを見守るイングリッド。その姿にかけらも共通点が見当たらないのになんとなくかりんを思い出す。こんな考えをしていることを知ったら彼女は殴りかかってくるだろうか?

 

 笑みを浮かべたままの彼女の顔が下へと移ってゆき、遂にイングリッドにたどり着いた。一瞬、訝しげな表情を浮かべた後に、大きく頷いてまた笑う。ルイズもキュルケもその反応に首を捻ってしまう。

 

「まあ!まあまあまあ!本当に人間ですのね!ミスタ・コルベールから聞いてますわ。ミス・イングリッドでしたかね?」

 

 その声に、イングリッドは頷きそうになったがそれを制して、彼女は言いなおした。

 

「ミスタ・コルベールから聞いておりますわ!ミス・イングリッド。自分のお名前にこだわりがある様子。でもこの歳ですから。ごめんなさいね!恥ずかしいですのよ。ミス・イングリッドで我慢して頂戴ね!」

 

 ルイズとイングリッド以外の生徒達が首を捻るのが理解できた。キュルケも何を言っているんだろうという表情でシュヴルーズを見ている。

 イングリッドは苦笑いを大きくし、ルイズは机に突っ伏しそうになったが堪えた。

 

 コルベールは何を申し送ったんだ!

 

 二人の思ったことは同じだった。

 

 イングリッドの中でコルベールの評価が一段階下がった。

 イングリッドは続けて思う。

 

 この御仁は悪い人ではない。悪くはないが。その、何と言うか……。

 

 疑問が晴れる前に、教室の後ろから大きな笑い声が沸き起こった。

 

 

「召喚できないからって金で雇った人間を連れてくるなんて、随分なご身分だな!ゼロのルイズ!!」

 

 

 そういう発言がどこかで出ることは予想していた。覚悟もしていた。しかし予想以上の悪意の発露にイングリッドは怒りがわく前に驚いた。

 ルイズと言う存在がそこまで貶められていることを知って、悲しい気持ちがイングリッドの胸を痛めつける。

 

 かなり強烈な負の感情であったためかシュヴルーズも驚愕で身を固めている。キュルケもびっくりしたとばかりに振り返った。

 イングリッドの感情が怒りに転化する前に、ルイズが能面のような表情で立ち上がりゆっくりと振り返る。

 

 長い、光沢すら見せるピンクブロンドを翻して、後方をにらみつける。イングリッドがこの世界に現れて後、もっとも強烈な怒りの感情が彼女を支配していることがわかって身を大きく震わせた。

 

「なんですって……!!」

 

 地を割って現れたあの日の恐怖の大王の再臨に、イングリッドは冷や汗を流す。唇が大きく震える。

 視線の先にあるのはどこかで見た記憶の在る、余裕のない顔が印象的な少年だった。ルイズの極めて厳しく激しい剣幕に一瞬ひるんだようだったが、身体を前に傾げて、いやらしい笑みを浮かべた。

 イングリッドはいろんな意味で感心してしまう。知らないとは、幸せなことだ……!

 

「はんっ!魔法が使えないからって、金で解決ってのが大貴族のやり方かよ!貴族も腐ったもんだな!」

 

 キュルケの表情が蒼白になったのがわかった。イングリッドはキュルケがそういう表情を出せることの理由に思い当たる。やはり彼女はルイズを良く知っているのだ。ルイズのその内面を理解しているのだ。

 それは地獄で見かけた場違いな菜の花であったが、情況に変化を与えるものではない。地獄の釜が開く寸前の修羅場である。決定的な何かが一つで釜の蓋が開き、或いは底が抜けるだろう。悪意に染まった溶岩が学院を溶かしつくすに違いない。

 壮絶な感情の嵐を真横から吹き浴びせられてイングリッドは硬直した身体を動かせないでいた。思考が引き伸ばされる。この感覚は何度も感じたことがある。

 

 死、だ。

 

 濃密な死の臭い。

 

 甘かった。これくらいは想定してしかるべきだったのかもしれない。しかし後悔は先に立たない。これを現状、意図的に制限された自身の力で抑えきるのは難しい。自分1人ですべてを投げ出して逃げ出すのはたやすいが、全てを丸く治める方法なんて思い浮かばない。どうするどうするどうする!

 

 決定的な「何か」があの愚か者の口から出そうになっている。時間が遅い。すべてがゆっくりと流れるその世界を唯眺めるだけのイングリッド。思わず目を閉じそうになった。

 その次の瞬間。

 

 「どかっ」と言う鈍いが激しい音と共に、少年の身体が机の裏に沈んだ。周辺で汗をかいている少年達の上半身が妙な動きを隠して正面を向いている。下半身が相当にせわしなく動いているようだったが、机の下を隠す板が邪魔で何をしているかまでは見えない。

 しかし、想像は出来る。みんなで蹴りを入れているんだろう。それも相当に激しく。

 

 ルイズは一瞬で呆けて疑問を浮かべる。お行儀の良いルイズにはあそこで起きている現実は想像もつかないのだろう。イングリッドも緊張が解けてへなへなと肩を落とす。キュルケも呆けて、次の瞬間にくすくすと笑い出す。

 ルイズの怒りとその噴出した雰囲気に気がつかなかったのは机の下でケルナグールな目にあっている愚か者だけであったようだ。すさまじい緊張感に包まれた教室では、前にいる2人、シュヴルーズも含めれば3人も含めて、恐怖の大王の光臨を正確に気がついていたのだ。

 

 恰幅のいいと辛うじて評価できる少年が、やけに元気よく立ち上がる。やたらとあちらこちらで見かけたような気がするイングリッドだったが、なんら危険性を感じなかったので、まあ、いいかと無視する。

 

「ミセス・シュヴルーズ!ミスタ・ヴィノグラドフは気分が悪いそうです!」

 

 ようやく動きを取り戻したシュヴルーズがしかし声を出せないままこくこくと頷く。

 

「僕がミスタ・グランドプレと一緒に医療室に連れて行きます!」

 

 金髪のなかなかに色男といって良い少年が続いて立ち上がる。

 

 声を取り戻して落ち着きも取り戻しつつあったシュヴルーズが再度頷く。

 

「ええ……ええっと、ミスタ・グランドプレとミスタ・グラモン……でよろしかったですか?」

 

 名前も顔も知らなかった新任教師が自身の名前を知っていた事実に驚いたような2人が頷く。それで名前を間違わなかったことに確信を持った彼女は再度大きく頷いた。

 

「申し訳ありませんが、お願いできますか?」

 

 イングリッドはそのやり取りを見て首を捻る。シュヴルーズは何がどうなったか気がついているんだろうか?ド・ロームなら気がついているんだろう。それ以前にこんな修羅場を招来するような微妙な話題をそもそも出さないかもしれない。何とか慎重に避けて通るんだろう。コルベールならどうしたであろうか?

 しかし、とも思い直す。シュヴルーズは天然で、何故こうなったか、どうしてこうなったか、今一つ理解しているとは言いがたいようにも思える。それでよかったのかも知れない。問題の根本的解決にはなっていないが、この「使い魔」の話題はどうしたって避けて通れないのだ。早いか遅いかの違いでしかない。最初の最初で激しい修羅場を晒して問題を惹起できたのは不幸中の幸いであったのではと思った。

 正直イングリッドもこうも早い段階で、こういう風に問題が表に出るとは思わなかったし、こういう解決法があるなんて知らなかった。いや、解決はしていない。だがベストではないにせよベターといえる結末を見た。世界は広いのだなと、激しく感心する。

 

 酷い有様のヴィノグラドフとかいう阿呆の姿がシュヴルーズの眼に入らないように、慎重に担ぐ2人。グラモンと呼ばれた少年が刹那こちらを見て素早くウィンクをした。なかなか色っぽいウィンクであった。5年もすれば随分良い男になるだろうと思わせる。

 ヴィノグラドフを挟んだ反対側でグラモンと呼ばれた小太りの少年が、なんとなく不機嫌な表情を見せていたが、イングリッドは彼に対しても小さな仕草で頭を下げておいた。面倒を押し付けたことは間違いない。彼もそれでニヤリと笑った。余り華やかな感じではなかったが、無邪気な笑みだった。歳相応と言っていいだろう。

 

 キュルケとルイズが顔を見合わせて、小さく頷き、ルイズがグラモンに目礼する。彼の視線はすでにルイズから外れていたが、いいよいいよとでも言うようにグラモンの手が振られて応えた。

 後ろからパタパタと音を立てて小さな身体が彼ら3人を追う。

 

「あら、タバサ。どうしたの?」

 

 キュルケの前で立ち止まって小さく頷く。巨大な杖を3人の背に向ける。

 

「心配」

 

 呆れた顔でキュルケがタバサに視線を移す。

 

「大丈夫だって。2人に任せておきなさいよ」

 

 青い髪を揺らして僅かに表情を歪めた後、3人の後姿を追うシュヴルーズを横目に声を潜めてキュルケに顔を寄せる。

 イングリッドもルイズもなんとなくその姿に引き寄せられて顔を近づけてしまう。

 

「……変なことを考えないように『説得』しておく」

 

 随分と含むところの多い言葉だった。実のところ、いろいろな面で性格が善人に過ぎるルイズはその言葉の意味が良く理解できなかった。だが残りの2人は正確にそこにある意味を読み取る。

 2人同時に噴出す。ルイズは自分が置いていかれたことには気がついて不満げな表情を浮かべる。その3人を順に見てタバサは頷き、身を翻す。3人が立ち去った姿を見送ったシュヴルーズがようやくタバサの姿を見咎めた。

 

「あら……ええと、あなたは?」

 

「タバサ」

 

 シンプルな受け答えにシュヴルーズは一瞬混乱する。イングリッドも「タバサ」と言うのが最初、何を指し示す言葉か理解できなかったので同情してしまう。シュヴルーズもそれを固有名詞とは認識できなかったのだろう。しかし流石に初対面の生徒の顔と名前を覚えようと努力を傾けていたのだろう新任教師である。「タバサ」というあからさまな偽名が自身の目の前の少女の名前だと気がついて、頷く。

 

「ええっと、ミス・タバサも医療室に……?」

 

「そう」

 

 極端に言葉を惜しむ会話の中でもタバサの意識がすでに扉の向こうにいっていることがわかる。しかしシュヴルーズは難色を示した。

 

「いえ、しかし、2人いれば大丈夫でしょうから……」

 

 シュヴルーズの声を遮ってキュルケが援護射撃を放った。

 

「ミス・タバサはトライアングルのメイジです!水の魔法もある程度得意ですし、風の魔法でレビテーションも使えます!きっと役に立つでしょう!行って貰うと役に立つはずです!必ずです!間違いありません!同じくトライアングルのこの私、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーが保障します!!」

 

 有無を言わさず捲くし立てる。その勢いに押されてシュヴルーズが思わず頷いたのを確認してキュルケがタバサの背中を押す。

 

「はいはいはい!早く行く!頼んだわよタバサ!」

 

 身体を傾げながら、タバサは頷いて、素早く走り去った。

 キュルケは押し切った。初見の生徒達の顔と名前を知っていたシュヴルーズのことである。生徒達の能力も把握しているの違いない。そう考えた。時間を取られればその彼女が思い出すのは間違いなくモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシだろう。そうなる前に強引に押し切れたことに大きく溜息をついた。

 

 それに釣られるように教室全体の雰囲気が弛緩して、緩む。

 

 微妙な雰囲気の中でルイズは自分が立ち上がっていたことを思い出して、腰を下ろした。

 僅かな音がしたが、静まり返った教室には想像以上に大きく響く音であった。

 

 その音で我に返ったシュヴルーズが点3つになっていた表情を戻して、小さく咳払いをする。それで生徒達全員が我に返ってごそごそと席に戻る。激しい修羅場から急転直下でコントを演じた人間たちを呆然と見ていた使い魔達もどことなく騒然とした雰囲気を見せていた。

 

 教室を見回してもう一度咳払いしたシュヴルーズが仕切りなおすように大声を張り上げた。

 

「さ、さあ!じょぎょうをはじめましょうか!」

 

 イングリッドはずっこけそうになった。

 

 かみまみたよ。この先生……。

 

 

 

「はいはい」

 

 手をパンパンと叩いて注目を集めるシュヴルーズ。

 教室になんとなく緩やかな空気が流れている。こういう状況ばかりが続いているなぁと遠いところに眼をやるイングリッド。それに関係なく、声を張り上げるシュヴルーズ。

 

「二つ名を『赤土』と言います。『赤土のシュヴルーズ』と呼んでもらえればうれしいですわ!『土』系統の魔法を1年間、実技で教えます。今日は初顔合わせですから特別に講義の時間を作ってもらいました。復習としていろいろと皆さんに答えてもらいますね!」

 

 なんとなくしまらないぐだぐだな状況ではあるがシュヴルーズの元気いっぱいな声は好ましい。しばらくすれば雰囲気も戻るのだろうと、イングリッドは期待する。キュルケは机の上に両手を出してなんとなく真面目に見えなくはないかもしれない表情を作っているし、ルイズは言わずもがな。後ろでもそれなりに真面目な気配が漂っている気がする。

 シュヴルーズはそのような雰囲気に包まれた教室を見回して、1人の生徒に視線を送る。

 

「さて、ミス・モンモランシ。魔法の4大系統はご存知ですね。お答えいただけませんか?」

 

 急に呼ばれたことに驚いて動揺を見せたモンモランシであったが、何とか答えをひねり出す。

 

「は、はい!ミセス・シュヴルーズ。ええっと、『火』『水』『土』『風』の四つです!」

 

 シュヴルーズは大きげな仕草で頷いた。

 

「はい、そうですね!良く出来ました」

 

 黒板に向き直り、それぞれの系統を書き記してまるで囲む。その外側に、もう一つ書き加えて、間を線で結んだ。

 こちらを振り返る。やけに視線がイングリッドに絡む。こっちみんな!

 

「今は失われたとされる『虚無』。これをあわせて全部で5つの系統があるのが()()()()使()()魔法のあり方です。その5つの中でも『土』は最も生活に密着した魔法の一つであると私は考えます」

 

 再び黒板に向き直ったシュヴルーズはこしこしこしと黒板に随分とかわいらしい絵を書き連ねてゆく。それを見てルイズの顔が歪む。あれをノートに記すべきかどうか悩んでいるのだろう。

 

「『土』系統の魔法はですね……ここに書いたように、万物の組成を司る、重要な魔法なんですね。この魔法があるからこそ、私たちは金属製品を手にすることが出来ますし、それらを形にするための加工も行えるのです。石材を切り出して削り、この学院のような大きな建物を建てたり、畑で収穫される作物を大きく育てることも『土』魔法では重要な役割の一つとなりますね」

 

 生徒達に向き直り、一度、言葉を切って教室を見回すシュヴルーズ。異論が出ないことに頷いて、再び口を開く。

 

「かように生活に密着した力を見せるのが『土』系統と言う魔法です。みなさんも貴族として大成できなければ野に下る身。この力を自由に扱うことが出来れば市井の生活で引きも切らない存在になれるでしょう」

 

 その言葉に教室が凍った。天使が通ったどころではなかった。一瞬の静寂の後にきわめて複雑怪奇な気配が後方から湧き上がる。ルイズは思いっきり顔をしかめているし、キュルケは……表情だけ見ると大爆笑である。何とか声を出さないように必死で腹を捩っている。シュヴルーズは相当にヤバイ地雷を踏んだようだった。イングリッドは流石にルイズに確認を求めた。あふれ出す雰囲気は相当に「ヤバイ」感じだが確認しておくべき問題だと直感したのだ。

 強く感情を抑制して小声でルイズに尋ねる。

 

「あれは、その……どういうことじゃ?」

 

 不機嫌な表情のままルイズが振り返る。

 

「今の魔法学院は、ね。次男、次女以下の貴族の子供が押し込まれるの」

 

 首を捻る。それだけでは説明が足らないと理解してルイズはますます声を潜める。

 

「領地を相続できそうにない子供が投げ込まれるのよ……せいぜい格の高い結婚相手でも見つけて来いって……」

 

 とんでもない内容の告白に大いに動揺して表情を歪める。イングリッドは何度目かもしれない混乱に見舞われた。砂をかんだとか苦いものを含んだとかでは済まされない歪んだイングリッドの表情にルイズも顔を歪める。

 

「ななな、なんじゃと!キュルケやルイズのように優れたメイジを捨てる場所が学院のあり方と言うのかや……!」

 

 その言葉を耳にして、一瞬で表情を朱に染めたルイズは机に突っ伏す。「ん?」と首を捻るとイングリッドの後ろでごとんと音が響き、それに振り返ると、そっぽを向いたキュルケが机に顔をつけている。

 そのキュルケが呟くようにささやいた。

 

「良い性格してるわあんた……」

 

 イングリッドは首を捻り、次いで小さく笑った。気を取り直して顔を上げたキュルケの前に指を突き出し、眼を見開いたキュルケと視線を合わせて囁いた。

 

「イングリッドじゃ」

 

 ごんっとルイズが頭を机に打ち付ける。呆れたように呟いていた。

 

「あんた……飽きないよね」

 

 ルイズは、振り向いて口を開きそうになったイングリッドの頭を、手にしたルーズ・リーフで軽く叩く。縦に。

 

「アイテテー」

 

 かけらも痛そうにない声を上げて頭をさするイングリッドに、ジト目を送るルイズ。何かに気がついたキュルケがイングリッドの肩を叩く。

 それに振り返ったイングリッドの眼前にキュルケが顔を近づける。「おおう」とかいって驚く彼女に笑いかけるキュルケ。

 

「イングリッドって呼べばいいのね。わかったわ」

 

 シュヴルーズの最初の挨拶の後の謎のやり取りを理解してキュルケはうんうんと頷いた。

 それにイングリッドも笑顔で頷く。

 ルイズはその後頭部をルーズ・リーフでこついた。金属部分で。

 

「あ……ルイズ。いかん。それはいかんぞよ。流石に洒落にならん……!」

 

 音を立てないようにもみ合う2人の姿にキュルケは溜息をつく。

 

「仲良いよね、ホント」

 

 

 自身のすぐ近くで行われているコントに気がつかないまま黒板に板書をしつつ、シュヴルーズは言葉を連ねていた。

 

「皆さん、『土』系統の魔法の基本は『錬金』です。すでに1年生で習得された方も何人もいるようですが……」

 

 板書を終えて、シュヴルーズは振り返る。イングリッド、ルイズ、キュルケ。シュヴルーズと最も近い3人は神妙そうに彼女の表情を伺っていた。

 後ろから一部始終を眺めていた生徒たちは呆れて物も言えない状態である。

 

「……基本は大事です。ここでおさらいしましょうか」

 

 彼女は石ころを懐から取り出した。石ころと言うにはやや大きいが、何の変哲もない石ころである。路傍で拾える、どこにでもある石ころであった。

 教卓の上にそれを置いて、一歩距離を取ると、杖を取り出し鋭く突き出す。視線を集中させて力をこめるのが判った。

 

「みよや神のみ業を……世界は知れその力の術を。イル・アース・デル、アル・ケミヤ!」

 

 石が光りだした。その組成が変化する。杖から流れ出す力が物質を変換する。でたらめな変化が発生して、感情が驚愕に染まってイングリッドの表情がなくなる。

 

 光が収まると、そこには金色に光る金属があった。大きさは「石ころ」より若干小さくなっている。

 

「金?ですか、ミセス・シュヴルーズ!」

 

 机の上で伸び上がって身を乗り出したキュルケが小さく叫んだ。

 だがシュヴルーズはその声に僅かに身を捩って、恥ずかしそうに笑う。

 

「いえ。残念ながら、真鍮です。ミス・ツェルプストー。金を練成できるのは『スクウェア』クラスでありませんと……」

 

 ふっと汗を吹き払うように顔を振ってシュヴルーズはキュルケに向き直る。

 

「私は唯の『トライアングル』ですからね」

 

 そのやり取りの横で、無表情でイングリッドは唸った。2つの驚愕が心を満たす。

 

 まず、物質変換。でたらめだ。とんでもないでたらめだ。大概にしてでたらめなものを見てきたがこいつは飛び切りのでたらめだ。いつか聞いた植物の自殺と言う話よりもでたらめだった。

 いや、それをやりかねない人間は幾人もいたが、これほど小さい力でそれを成してしまうというでたらめさは信じられない。目の前で起きた現象と言ってもどうにもありえない。イングリッドの知る地球における常識と照らし合わせてしまうと、イングリッドが築き上げて来た世界観が崩壊しかねない。思い切り頬をつねってもらいたいと思った。ねじ切れるほどに捻られても痛みすら感じないだろう。

 もう一つは、真鍮を練成して、金が練成できないと断言してしまうその思考が信じられなかった。何言ってんだこいつ?と思った。

 合金をあっさり練成して、なにが純粋金属は無理だ!んな阿呆なことがあるか!

 

 叫びそうになった。

 

 ゆるゆると無表情のままルイズに顔を向ける。異様な雰囲気を察してルイズがイングリッドを見る。

 馬鹿馬鹿しい現実をルイズに問いただそうとしたイングリッドだったが、ルイズもそうであるし、シュヴルーズも勿論のこと、キュルケもその他の生徒もそれをまったくの当たり前と受け取っているようだった。と、なると質問をしたところで此方もそちらも言葉が通じない騒ぎになるだろう。トンチンカンなことになりかねない。

 ぐっと堪えて別の疑問を口に出した。

 

「……スクウェアとかトライアングルとは何ぞや」

 

 「ん……」と顎に手をやるルイズ。

 ルイズは内心で混乱している。こんなに基本的なことですら知らない。やはりイングリッドは魔法を全然知っていない。錬金ですら恐ろしいほどの動揺を見せていた。どういうことなんだろう。

 とりあえず疑問を脇に於いてイングリッドの問いに応える。

 

「メイジは系統を足せるのよ。いくつ足せるかを示すのがそれ。メイジのレベルはそれで決まるの」

 

「はいぃ?」

 

 イングリッドが首を捻る。

 ルイズは小さく嘆息して説明を続ける。

 

「そうね、例えば『土』に『火』を足せれば強力な魔法になるわね。ランド・バーストって言う魔法なんかは、『土』と『火』のエレメントを持たないとうまく使えないんだけど、その魔法を使えば、土を巻き上げてそれを燃えるものに変換しながら敵にまとわり付かせて蒸し焼きにしたり出来るわ」

 

「ほう」

 

 具体的な魔法の力の話になったことにイングリッドは内心身体を乗り出した。威力、能力の判断を区別できる言葉が出てきたのだ。ある程度の判断基準になるだろう。

 キュルケがルイズの後を受けて続ける。

 

「『火』『土』のように2系統足すと『ライン』。シュヴルーズ先生みたく『土』『土』『火』って3つ足せると『トライアングル』クラスってことね」

 

 ルイズが頷く。「ふむ」とイングリッドが頷いて、質問を続ける。

 

「同じものを足すとどうなるんじゃ?」

 

 指を出して2本立てる。それをイングリッドの前で振るルイズ。

 

「その系統をより強くすることが出来るの」

 

 顎に手をやって撫で付けてイングリッドは納得したように頷いた。

 

「なーるへそ。つまりミセス・シュヴルーズは3つの系統を足せるから『トライアングル・メイジ』と言うわけか」

 

 ひょいっと身体を正面に向けてシュヴルーズに向き直る。

 

「先生は優秀なメイジなんだと言うことが理解できました」

 

 此方を注目していたシュヴルーズは気勢をそがれて仰け反る。いつの間にかじろじろ見られていたことに気が付いてルイズとキュルケがいごごち悪そうに身を捩る。

 シュヴルーズは誤魔化すように咳払いをした。

 

「……はい。その通りですね。わからないことを知ろうとするのは大事です。しかし授業中ですよ3人とも。わからないことがあれば個人的に先生に申し出てくれればありがたいですね。今は授業を進めておきたいのですが」

 

 すいませんとしおらしく3人で頭を下げる。

 それに満足そうに頷いたシュヴルーズはルイズに視線を移した。

 

「そうですね。ミス・ヴァリエール。錬金をあなたにやってもらいましょう」

 

 ざわっと教室に困惑が広がる。それに気が付かないシュヴルーズは懐から再度石を取り出した。

 教卓の上にそれを置く。

 

「ここに石があります。これをあなたが望むままに……そうですね、先ほど見せたように金属に変えてみてください」

 

 ルイズは立ち上がれない。困ったようにもじもじするだけで立ち上がらない。イングリッドは内心頭を抱えた。

 

 どういう申し送りをしたんじゃ……!

 

 いや。思い直す。貴族が魔法を使えない異常性。ありえない事態。ルイズがどれほどの立場の家にあるか知れないがヴィノグラドフとやらの言い振りから鑑みるに、また自身のルイズを観察した経験から推測するに相当な名家なんだろうと想像する。

 それも含めて資料が用意されたのであれば、この世界のありようから余りにも逸脱した内容は信じられないかもしれない。ましてや名家となれば、後々記録として学院に残るであろう書類にそもそもそんな不名誉な内容が記されていない可能性すらある。内容が無いよう!

 

 心底不思議そうな顔をしてシュヴルーズが声を上げる。一々大きい声がここにきて酷く癇に障る。

 

「ミス・ヴァリエール!どうされたのですか?」

 

 再びシュヴルーズが呼びかけると、困惑と動揺が同居した顔で、キュルケがシュヴルーズに申し出る。ルイズの近くに座るべきではなかったとでも思っているのだろうか?

 

「……先生」

 

 首を捻ってキュルケに向かい合うシュヴルーズ。

 

「なんでしょうか?」

 

 ルイズを見、視線を落とすその姿に思わず空を振り仰いで再度シュヴルーズに視線を戻す。

 苦渋に満ちた声が漏れて、その苦さに驚いてルイズが顔を上げる。

 

「やめたほうが、いいと思うんですが……」

 

 ルイズの気持ちに気が付きつつ、言うべきことは言わなければならない。それをするのは自分だ。

 そうとでも言いそうな顔である。どうもイングリッドは誤解したようだった。いつもこうやってキュルケはババをひき続けてきたのだろうか。不器用な生き方である。

 

 顔を紅潮させて立ち上がりそうになったルイズの肩をイングリッドは抑えた。

 軽く添えられただけにしか感じられないイングリッドの手を振り払うことが出来ずにルイズは混乱する。硬い。途轍もなく硬い。微動だにしない。

 

 キュルケの言葉に教室内の空気が強い同意を示している気配が漂う。

 それを受けてキュルケは言葉を重ねた。

 

「……危険です」

 

 そのキュルケの言葉にシュヴルーズはあっけに取られて首を捻る。まったくの疑問しか浮かんでいない表情。申し送りにはそもそもルイズの魔法が爆発するとは記されていないのだとイングリッドは確信した。

 ルイズはうんうん唸なってイングリッドの腕を引き剥がそうともがくが、どうやっても動かない。途方にくれてしまう。

 シュヴルーズは眼前で起きている小さな修羅場に気がつくことも無く、キュルケに常識的な判断をもってすれば当然過ぎる疑問をぶつけた。その口調は若干強い調子になっていた。

 

「どういうことなんですか?危険と言うのは」

 

 キュルケは何らかの覚悟を決めたかのように、両手に力をこめてシュヴルーズを真正面から見据える。

 

「ルイズの魔法は失敗すると爆発するんです!」

 

 その言葉に彼女の顔が点3つになる。滑稽な表情だった。

 ルイズの身体から力が抜けて、しかしその表情は屈辱に塗れる。

 シュヴルーズは信じられないとばかりに首を振って、更に表情に強い憤りを乗せてキュルケに言葉を連ねる。

 

「そんな馬鹿な……失敗はありえますが爆発なんてありえないですね。そんな非現実的な嘘でミス・ヴァリエールを貶めてはいけませんよ。ミス・ツェルプストー」

 

 どうあっても届かない言葉にキュルケの顔が歪む。ルイズの表情も大きく歪む。

 その埒の無いやり取りに教室内が騒然とする。

 

「ホントなんです!」

 

「信じてください!」

 

「危ないんだってば!」

 

 今の今まで空気に解けていたかのように存在感の薄かった後ろの生徒達が一斉に叫ぶ。

 各々の主の動揺を感じて、使い魔達がざわめき始める。

 顔を落としたルイズの身体が大きく震える。

 

 それを見て取ってイングリッドはルイズの肩から手を離した。芝居じみた大げさな仕草で大きな溜息をついて首を振り、一転して顔を上げると、それから勢い良く立ち上がる。

 

「諸君!」

 

 突然の行動に、教室が静寂に包まれる。シュヴルーズも表情を強張らせる。かなり強い感情が噴出しているイングリッドに気が付いて、キュルケも口を紡ぐ。

 静寂に包まれた奇妙な緊張感に染まった空間で視線がイングリッドに集中する。それを確認して教室をゆっくりと見渡した彼女が口を開いた。

 

「我が主ルイズが失敗でドカンとやるのは諸君らも知っての通りじゃ!」

 

 あっけに取られてルイズが顔を上げる。

 それを視界の隅に置きながらイングリッドは続けた。

 

「しかし我は呼ばれた。それはまごう事なき成功じゃ!」

 

 手袋を剥ぎ取り、左手を大きく振り上げて、そこに刻まれたルーンを掲げる。

 

「契約もこのとおり。これで成功2つじゃ!」

 

 ルイズは大声を上げるイングリッドをまじまじと見つめた。彼女が何を言いたいかをおぼろげに理解する。

 視界の隅で表情を変えつつある自身の主の姿に、知らず、表情を緩めながらイングリッドは言葉を続ける。

 

「次も成功するとは限らん。しかしルイズの魔法も失敗だけではないことの証明が我じゃ!」

 

 イングリッドは言い切って、ルイズに振り向いた。

 一転、優しい言葉でルイズに問いかける。

 

「のう我主よ。それは主が一番理解していることじゃろ。違うかえ?」

 

 ルイズは顔を下に向け、自身の膝を見つめる。今までの人生がよみがえる。失敗失敗また失敗。しかし、今その中には2つの成功が刻まれている。一週間前には失敗のみで埋め尽くされていた空間には今、燦然と輝く成功の文字が記憶の空間を染め上げている。間違いようも疑いようもない成功。

 ルイズは強く表情を引き締め、顔を上げた。

 

「やるわ!」

 

 ルイズの言葉に「うん!」と、イングリッドも強く頷いた。

 

 声にならない悲鳴が教室を揺らす。

 

 イングリッドが教室を見回して叫んだ。その表情には隠しきれない笑みが乗っている。

 

「さあさ!成功確率はまだ低いんじゃ!多くの失敗の中に成功2つ。また失敗する可能性は高い。みな対策を採るんじゃな!」

 

 イングリッドはルイズの手を取ってキュルケの後ろを回り、前に出る。ルイズも力強く足を踏み出している。

 すれ違いざまイングリッドがキュルケに囁いた。「すまんだの」。

 

 キュルケはハッと気が付いてイングリッドの背を視線で追う。

 

 教室の後方では、机の下に潜り込む者、自身の使い魔に抱きつく者、窓を開けて使い魔を外に逃がす者など、大混乱である。後ろの段差を飛び降りて後部の出入り口から廊下に飛び出す生徒まで現れた。

 その混乱の中でシュヴルーズが呆然と呟く。

 

「本当に爆発するんですか……?」

 

 イングリッドがにやりと笑いかけて頷く。

 

「うむ!たいした威力じゃった。我も危うく死に掛けたぞ。威力は保障済みじゃ!」

 

 とんでもない内容をすがすがしい笑顔で言いきった。その表情に釣られてルイズも笑った。その笑顔に影はなかった。

 ルイズは笑みを浮かべたままキュルケに視線を向ける。

 若干顎を上げ、胸を張った姿勢で腰に手をやっている。妙に自信に溢れた姿がそこにあった。

 

「吹っ飛ばされたくなかったら隠れなさいね!」

 

 「こくこく」と頷いてキュルケは慌てて机の下にもぐりこもうとして……刹那立ち上がった。

 それはルイズの成功を信じてそこに立つ姿か……と思いきや、首を左右に振って視線を彷徨わせると、何かを見つけて、ばたばたと後ろに走った。突然発生した混乱に首を捻っているフレイムを抱き寄せて、それを引きずって教室の最後部にある机の下に潜り込む。

 

 その姿にイングリッドとルイズは顔を見合わせて大きく笑った。

 刹那の時間の後に笑いを治めて、しかし表情に笑みを浮かべたままイングリッドがシュヴルーズに視線を向ける。

 

「……はあ。さて、シュヴルーズよ」

 

「あ、はい」

 

 間抜けな表情で頷いたシュヴルーズをイングリッドは「しっしっ」と手で追いやる。

 

「そんなとこでは危ないぞ。主も離れてくりゃれ」

 

 半信半疑の表情でこくこく頷いて、のろのろとその場を離れるシュヴルーズ。

 教室中の視線がルイズを固唾をのんで見つめる。

 大きく息を吸ったルイズは、緊張を隠せないまま教卓の真正面に立ち、杖を取り出して勢い良く突き出した。

 杖の先に、何の変哲も無い石ころが鎮座する。

 その姿を認めてイングリッドは右手の手袋も外し、スカートのポケットにねじ込む。そうしてからルイズの後ろに回りこんで杖を握るルイズのその手を外側から自身の手で包み込む。

 そのイングリッドの行動に一瞬びくりと身体を震わせたルイズは刹那、眼を閉じて、次の瞬間に眼を見開いた。

 視線の先には石ころがある。何の変哲も無い石ころ。

 小さく頷いて、背後のイングリッドに意識を向ける。

 

「用意は良い?」

 

 ルイズの問いにイングリッドは大きく頷いた。

 

「いつでも」

 

 ルイズの視線は、強く強く石ころを睨む。

 

「これで終わりかもね」

 

 ルイズの背後でニヤリと口を吊り上げるイングリッド。

 

「まあ、主と一緒なら黄泉路も退屈はせんだろうって」

 

 ルイズは首を傾げた。

 

「なにそれ」

 

 イングリッドはルイズを巻き込んでこけそうになったが、踏ん張って持ちこたえる。

 

「む……うむ。こちらには黄泉と言う概念はなかったのか。

 まあ、その……地獄みたいなもんじゃ」

 

 ルイズは反対側に首を傾げて小さく笑った。一瞬だけイングリッドに視線を向けて、また石ころを睨む。

 

「なら地獄で良いじゃない」

 

 イングリッドも笑う。

 

「我らは最後までしまらぬのう……」

 

 

 ルイズは刹那の笑顔の後に目を瞑り顔を引き締めた。思い出すのは契約の儀式、その接吻の瞬間。あの感覚。

 思い出せ思い出せ。あの瞬間を駆け巡った力の残像。

 

 

「いくわよ……」

 

「来い!」

 

 ルイズの口が力在る言葉を紡ぎだす。

 教室の緊張感は最高潮に達した。

 教室の一番後ろでフレイムの背に顔をうずめるキュルケは、だが声にならない声でルイズに語りかけていた。

 

 成功するわ。大丈夫。間違いない。信じてる。ごめんね。意気地なしな私を許して!

 

 

 

「みよや神のみ業を……世界は知れその力の術を」

 

 

 イングリッドにも判った。ルイズの身体から何かが湧き出し、それが腕に伝わるのを。

 イングリッドにも見えた。腕からあふれ出た力が杖の先に収束するのを。

 

 ルイズは信じた。自分の身体に伝わるぬくもりを。

 ルイズは感じた。自身の魔法の結果で現れた少女の覚悟を。

 

 

「イル・アース・デル、アル・ケミヤ!」

 




大事なところで誤字ががががが!!!

確かみて見ろ!!


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