ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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初めてのお買い物(4)

 テティエンヌ=ブティックで散々に大騒ぎをした末にイングリッドが―――実際に購入したのはルイズだが―――選んだ武器は、拳銃2丁にその弾薬一式その他。何の変哲もないロング・ソード(バスター・ソード)とその他一式。装飾も何もない、実用性重視のショート・ソードと剣帯。さらにはサブのサブとしてダガーを複数選んで終わった。

 拳銃には重厚なつくりのガン・ベルトとホルスターを、剣にはそれぞれに鞘をつけた。

 

 地球の現代人にとって、剣を購入して「鞘をつけた」と改めて言うのは不思議な感覚だが、イングリッドが駆け抜けた歴史の中で、実際に剣が戦場を支配していた時代では、鞘をつけることと剣を買うこととは別次元の話であった。

 剣が戦士や兵士のメイン・ウエポンであった時代、それは基本的に、所有者の背中に剥き身で背負われるのが普通であった。どう考えたところで所有者自身の身長ほどもある大型の剣を鞘に収めて、さて使用するのだという瞬間に咄嗟の動作で引き抜くのは不可能事である。よって鞘とセットの剣と言ったら装飾剣ぐらいで、後は気取った騎士が鞘に入った剣を馬にくくりつけるか従者に持たせるかといったところだった。畏まった場で礼装としての装備の場合はまた別の話ではあるが。

 

 馬にくくりつけた場合は、装備位置をうまく調整して自力で引き抜ける工夫がされていた場合が多い。だが、それでも行軍中に不意を打たれてメイン・ウエポンを装備出来ない状況で敵を迎え撃ったという記録が多数残っていたりする。歴史を紐解くと、そういう状況でなすすべも無く重傷を負った世界的大帝国の主などという例まで飛び出してくるので、武器をどうやって携帯するかという話は現代人の想像以上に重要な話であったりする。

 その手の話では、サブ・ウエポンを咄嗟に抜き放って卑怯な敵を迎え撃ち、苦戦の末に退けた騎士は勇敢にして優秀であり……みたいな描写が残っているが、それがどうしたという話でもある。

 メイン・ウエポンを火急の際に危なげなく用意できる者であれば、不意を打たれたが鎧袖一触でしたで済んだ話を、あたら修飾する必要があるのではお話にならない。従者に持たせた場合でも、一人で抜き放つのが困難な事には変わりないから、不意の状況ではやはり剣が無いという状況に置かれたようである。それもどうよという話である。

 

 よって鞘なんてものは存在しない剣が主流だった。リカッソがついたグレート・ソードとか刃先が手元より広いサーベル(直刀である)なんてのも普通だったし、戦闘における実用性を重視したバトル・ソードでは剣先が敵に深く突き刺さらないように返し(ウイング)がついていたりするのもあった。そんなものどうやって鞘に収めるのだと言う騒ぎになるし、そういった形状の剣は鞘に収めたところで抜くことは出来ないだろうとなる。よって戦闘の可能性が無い長距離行軍時などは油をしみこませた布を巻いて刃を保護するぐらいが精々で、護身用のショート・ソードやダガーに鞘がついていた程度である。

 今回のお買い物でショート・ソードはともかく、バスター・ソードに「鞘をクレ」と言ってすぐさま「かしこまりました」となったのはテティエンヌ=ブティックであったからとしか言いようが無かった。無骨な実用剣にも残らず余さず鞘を用意しているのはテティエンヌ=ブティックの立地故であると言えたし、或いは店長の裁量故とも言える。剣を売る上では無駄になる可能性が高いものを、客の求めに従って如才無く用意できるのは店長が優れて商売能力がある証明だった。そのことに気がついたのはタバサのみである。タバサは密かにこの店を贔屓にしたことを誇った。タバサの密やかな感情の起伏に、誰も気がつかなかったがそれでよかった。その自己満足はタバサにとって、自身の実力を再確認するうえではことのほか気持ちが良いものだった。

 欲しい物が自身の言葉に従って遺漏無く用意される。ルイズにとっても気持ちが良かった。キュルケもイングリッドも感心する。その結果にオーレリーも十分な満足を得た。皆、幸せな結果を得られた。良い買い物になったといえる。

 

 ただし、ショート・ソードとダガー。その鞘と剣帯以外は全て学院に別途届けてもらう事になった。身長150サント前後のイングリッドが全長180サントに達するバッソ(ロング・ソード)を担いで歩けば、邪魔である以上に滑稽である。ルイズたち4人組のなかで体格的にバッソを担いで不都合がおきそうにないのはキュルケであるが、それを頼んだところでキュルケは断るだろうことはイングリッドにも想像がついた。

 だいたい見た目麗しいキュルケがバッソを担いでも、外観上の収まりが悪い事には変わりない。やはり滑稽なだけだろう。地球において特殊な趣味を嗜む者が見れば、そうではあっても、大いに満足する外観を呈しそうだとイングリッドは一瞬夢想したが、ここはハルケギニアであるので試すことはしなかった。まあ、本人が嫌がるであろうことも想像がついたことであるし。

 幾ら体格的に優るキュルケであっても、所詮は女性に過ぎないのだ。力仕事をこなす上で体格的に恵まれたというならともかく、キュルケの場合はモデル体型的な意味での優秀な外観なのだ。それに重量20キログラム近い剣を押し付けるのもどうかと思えるイングリッドであった。

 

 拳銃に関してもそのまま持って帰るのは問題があった。

 

 ルイズたちはまごうことなく貴族であるので、この世界における立場上の話からすれば、拳銃を抜き身で持って歩いてもなんら問題はない。

 しかし、貴族が、しかも子供に過ぎないルイズたちが拳銃を持って歩くのはやはりおかしな光景になるのがハルケギニアでの常識である。また、杖を抱くものが拳銃を持つ理由はないというのがこの世界での常識なのだ。貴族の護衛があえて拳銃を携帯するのはありえるが、ここにある4人組を俯瞰して、辛うじてそう見えなくはないかもしれないと思えなくもないイングリッドであっても、拳銃を持つ事による外観の変化は収まりが悪かった。立場上、ことのほか見栄を重視する貴族であるルイズには、イングリッドがごっつい拳銃を腰に挿すことは、彼女の美意識上、到底許容できる事ではなかった。

 拳銃にアレコレと付属品が多いのも問題となった。清掃道具や整備するための道具が大量に用意されたので、それを担ぐとなると大騒ぎである。なにしろ貴族―――つまりはメイジであるルイズである。そんな彼女の部屋には似つかわしくはない道具。つまりは工具一式まで一から揃える必要があった。

 整備等殆ど考えなくていいよという触れ込みのエマメルの拳銃を選べば、かなりの部分を省けるはずであったが、それを拒んだのはイングリッドである。それについてルイズが不満げな顔をしたが、その手の武装に関して知識が薄かったためか、イングリッドの意見が通った。自身を、と言うよりもルイズを守るにあたって使用の可能性がある武器が、自身の責任に於いて整備できないというのはイングリッドには看過できる事態ではなかった。よってグレードが落ちるにせよ、所有者自身が手をかけることが出来る量産品の拳銃をイングリッドは選んだ。それがために拳銃を買っておしまい、ということにはならなくなったのである。

 イングリッドが思い出すところ、確かにあの秀麗なルイズの部屋にドライバーやペンチがどかんとばかりに置いてあっても違和感を感じるどころではすまない。だから、拳銃を購入するに当たってやたらと荷物が増えることは仕方ない側面があった。まごうことなく精密精緻な工業製品の一種である拳銃を購入して扱うのだとなれば、日常的なメンテナンスは避けて通れぬ道であるから、アレコレ物が増えることはしょうがない。

 剣についても清拭道具一式や整備道具が必要であることには変わりない。拳銃に比べれば用意するべき道具は少なくてすむのだが、実際に使用して敵を打ち倒せば刀身とグリップがガタツク結果になったりするのは避けては通れぬ話なので、刀身を固定する楔を打ち込むためのハンマーとかは必須になる。そういうものがルイズの部屋に存在することは想像がつかないので、ウエスやら清拭油等と含めてセットで購入することになった。

 

 結局、戦場においてはサブ・ウエポンに過ぎないショート・ソードがこの場におけるイングリッドにとってのメイン・ウエポンとなった。イングリッドの存在のあり方からするとメイン・ウエポンが剣であるというのもまた滑稽な話であるのだが、今のところは誰も知りえない話である(何しろルイズにすら知らせていない事実なのだ)ので、それはそれでしょうがない話である。

 貴族の従者が捧げるのがショート・ソードと言う姿は、ルイズにも辛うじて妥協できる形であった。本当はルイズ自身の美意識上、イングリッドにはイングリッド自身の外観に似合うだけの装飾が施されたレイピアあたりを持たせたかったようだが、それについてはイングリッドが拒否した。ルイズもキュルケも驚くべき事に、イングリッドはルイズの強弁に折れなかった。

 余計な物を持っては逆にイングリッド本来の強さを阻害しかねないのだからイングリッドも強硬だった。装飾剣を持ってそれが邪魔な故にルイズにいらぬ怪我をさせましたでは、ルイズの護衛こそが本義と定めた現状ではお話にならない。

 よってルイズの従者を詐称するに当たり、武器を持たなければならない事に妥協点がないというなら、イングリッドが実際に携行する武器に関して、一切の妥協の余地はなかった。学院内部ならいざ知らず、町に現れてイングリッドの立場を一々詮索されては面倒が多すぎるから、イングリッドの対外的立場はルイズ専属の従士ということになった。だから武器の携帯は必定だった。

 これはテティエンヌ=ブティックでオーレリーがイングリッドに対して思う誤解にルイズが気がついて、急遽そうしようとなった事であり、結局、オーレリーの誤解が解かれる事は無かった。オールド・オスマンとの会話からすると、誰が見ているか判らない街地で、声高にイングリッドが使い魔でございますと叫ぶのはリスクが大きそうであったから、オーレリーの誤解はまことに都合が良かった。

 学院内部の津々浦々までイングリッドが使い魔であることが知られている現状は、後々いらぬ問題を招来しそうではあったが、それについては今更仕方が無い話と嘆息するしかなかった。人間の使い魔というのが色々と問題を引き起こしかねない微妙な存在だなんて、ルイズたちはあの時点では知らなかったから仕方が無いのだ。

 

 今の今まで明らかな殺傷武器を携帯する習慣のなかったイングリッドではあるが、俄かに判明した自身に発現した特殊な能力によって、武器の良し悪しが判別できるようになった現状である。イングリッド自身が選んだショート・ソードがベストではないにしろ、モア・ベターであるという判断があった。その能力が判定するところから言っても、装飾が施されたレイピアなどはそもそもイングリッドの選択肢に入らなかった。

 

 イングリッドにとってのすべての真実を知っているとはいえないタバサはしかし、今まで見てきたイングリッドのあり方からすれば彼女がショート・ソードの携帯に固執するのは納得がいく話であった。タバサ自身のイングリッドに対する見立てに間違いがなかったようだという点で安堵もした。そしてまた緊張もする。イングリッドと言う存在がなんであるかに対してタバサの想像が定まらなかった。

 

 実際のところ、イングリッド自身に存在しない外部一般の美意識からやってくる、イングリッドの自覚がない、彼女の外見上にある特徴故に、彼女の腰にぶら下がるショート・ソードと言うのは違和感があるどころの話ではなかった。この点についてはルイズとキュルケが全面的に正しかった。

 美しい肢体にそれを覆う美麗な服。その腰にぶら下がる無骨なショート・ソード。収まりが悪い所ではない。道行く人が思わず振り返るほどには滑稽な姿だった。そういった悪意のない視線はイングリッドにとっては脅威ではないので、彼女自身が特別に気をまわすことは無かったが、イングリッドに好奇の視線が向けられるたびに、ルイズは身が竦む思いだった。なんとしてでもレイピアを押し付けるべきであったかもと小さな罪悪感がルイズを苛む。ルイズにとってのかけがえのないパートナーであるイングリッドが滑稽な姿を―――ある一側面で、みすぼらしいと言い換えることが出来る姿を曝すのは、つまりルイズ自身の甲斐性のなさの決定的な表明となりかねないのだ。

 従者を着飾らせることは出来ても、それが持つ武器はケチとなればイングリッドの主人たるルイズに対する評価が微妙になる。この場合、従者たるイングリッドが着る服が、実はイングリッド自身の自弁によるものであって、ルイズには何の責任もないのだという事実は救いにならない。他人がイングリッドを見てどう思うかが重要であって、真実は関係なかった。

 ルイズにとっては自身の評価がどうかなんていうのは今更どうでも良い話なのだが、それによってイングリッドの評価が結果的に貶められるかもしれないという想像はルイズには我慢できなかった。

 なかなかややこしい葛藤を思うルイズであった。

 

 イングリッドの外見に影響を及ぼさない部分で、ダガーがいくつも隠れているのは周囲の人間にあずかり知れぬところである。腰にまわした実用一辺倒のベルト。そこにぶら下がるショート・ソード。背中側に左右から互い違いに収まるキドニー・ダガーが2振り。周辺の視線はそこに集中してしまい、それ以外が想像できない点では、そうして隠されたダガーの存在意義が増すというところである。そうしてイングリッドの両脇には、服に隠されたミセリコルデが収まっている。

 またブーツに隠してファイン・ダガーが収まる。ダガーと言うより匕首だが、サブのサブのサブといったところで、通常のヒトであれば、闘争における最後の手段となろう物だった。イングリッドの普段のファイト・スタイルからすれば、拳の延長線上で扱えるそれこそが実はメイン・ウエポンではないかという想定がイングリッドにはあった。こればかりは実際に死合(しあう)段階にいたらないと判ったものではないが。

 

 

 パサージュ・クーヴェルを歩く4人はイングリッドに対する本来のお買い物をこなすべく、精力的に商店を冷やかしにかかっていた。実際に冷やかしているのはルイズとキュルケなのだが、商品を審議する段ではタバサも積極的に商品に対する批評を行う姿はイングリッドを驚かせた。

 納得のいく商品を見つけては注文するルイズ。キュルケが小切手を切りまくる。当初、ある程度の葛藤を見せたルイズだったが、テティエンヌ=ブティックで予想外の出費を強いられたので否応がなかった。請求の段で実家からどういう問い合わせが来るかについて頭を悩ませつつあるルイズである。

 飼葉を注文しました。専用の厩舎を設えましたなら、使い魔召喚の後にやってくる請求書としては自然であるが、ベットやタンスが必要な使い魔とはなんぞやとなると弁解の仕様もない。どう誤魔化すべきかとルイズは頭を捻る。ましてや武器である。馬用の貫頭鎧とか、チャージング・ピックルならともかくとして、剣や拳銃を持つ使い魔ってなに?という話である。

 武器の購入にラ・ヴァリエール家の小切手を切って、今、身の回りの品に学院の小切手を使っているのは大失敗だったとルイズは思い始めていた。逆ならある程度は誤魔化せたのではないかと考えたのだ。自身の欲求に従った散財だというなら、それはそれでルイズの立場が悪くなりかねないが、少なくともイングリッドに対して火の粉が降りかかる可能性を小さくすることはできなくはないかも……そういう想像である。今更な話ではあったが。

 

 イングリッドが健康で文化的な生活を営む上でのある程度のお買い物がなったと満足しつつあるルイズとキュルケは、いつの間にか手にしたガレットにかぶりつきながら、大きな川のほとりを歩く。そうは言ってもイングリッドも押し付けられたガレットを口にする。素朴な味わいを楽しみながら緑が覆う堤防道路を眺める。自分の顔ほどもあるガレットと格闘するタバサは見なかったことにする。あの小さな体のどこにあれだけのものが納まるかについての議論が必要な気がしたイングリッドだが、まあ、ファンタジーな話だからと意識の外に押し出す。自分達のあり方からすれば、()()()()()は常識的な光景であろうと思うイングリッドだった。

 穏やかな周囲の光景を眺めるとはなしに眺めつつ、ガレットを飲み下したイングリッドはたわいのないことに話を咲かすルイズとキュルケに声をかける。

 

 「さて、ある程度は事をこなしたと思うのじゃが、この後はどうするんじゃ?」

 

 振り返りつつルイズは肩を揺らせながらイングリッドに答えた。

 

 「そうねー。どうしよっか?」

 

 穏やかな流れを見せる大河は、多くの船が行き交っている。明らかに動力があり、おそらくはスクリューで推進しているであろう事実に気がついたイングリッドだが、それに関する考察は放棄している。もうどうにでもなれという感覚だった。

 自分達が歩く堤防に向かい合った反対側の岸に、桟橋やら荷役場やらがあって、大きなクレーンが唸りをあげている光景は無視する。その奥に水蒸気を盛んに吹き上げる工場らしき建物がひしめき合っているのはイングリッドの目には映らない。そういうことにしておく。そうしないとイングリッドの精神的平衡がどうにかなりそうだった。

 楽しそうな表情を浮かべて首を傾げるルイズの横で、頭の後ろで手を組んだキュルケが空を振り仰ぐ。清純な空気が長く後ろに垂らされた髪の毛を撫でて揺らす。

 

 「んー、後、なんか買う物あったっけ?」

 

 特段の目的無く散策するには都合が良い堤防道路は、控えめな装飾がされていて気持ちが良かった。道路上に張り出した木々の落とす陰が、歩み続ける4人に千路に落ちて、陰影が心地よい。対岸の喧騒も、緑を抱く土の堤防が柔らかく受け止めて、何某かの気の利いたBGMのように周囲を渡っていく。川面をすべる船が切り裂く水の音も、岸を打つ波の音も計算され尽くしたいっぱしの芸術のようであり、それを耳にしつつ歩く人の姿は少なくは無かった。

 平民が殆ど全ての散歩道だが、自動車が走っても不都合を感じないだろう広さを持つ散策路は、4人の部外者が歩んで邪魔になることはなかった。対向する者達が大袈裟な仕草で4人を避けていくことは、まあ互いの立場の違いを思えば仕方が無い事であろうという思いもイングリッドにはあった。

 ルイズの従士であり護衛であるというなら、ことさらルイズに近づく者がいない現況はある意味気が楽でもあった。他人との不意の交歓を楽しむのも気軽な散歩の醍醐味であるという考え方があることをイングリッドは知っていたが、知っているだけであり、実際にそういった状況が現れる場合は戸惑うばかりであるから、現状はそういう意味でもありがたかった。

 

 しかし、気軽ではすまない空気が蟠っている事に、イングリッドは徐々に不機嫌を募らせつつあった。アール・ド・トリステインを出て、気が向くままに町を歩く4人に対し、あからさまな感情を持って後を付回す人間が複数いることは、イングリッドには不満であった。多少のトラブルはあったが、イングリッドの自覚がある範囲内では人々の反感を買うようなことはなかった筈であるという自己分析があった。明らかに目的が違う意識が互いをけん制しあいつつ後方を、或いは側方を併走する状況は、イラつくどころではなかった。

 しかし、街地である。人跡未踏の大森林の中とかいうなら問答無用で良いが、人々の平穏な生活がある場所では対応が難しい。イングリッドの持つ力では穏当な対処と言うのは困難なのだ。

 緊張感を徐々に高めつつあるイングリッドに気がつくことなく、ルイズがキュルケに向き合う。

 

 「宿は……いつものところで良いし、夕食には気が早いしねー」

 

 その言葉にピンと来たとばかりにキュルケが右腕の指を立てた。

 

 「あっ、それならさ、最近評判だって言う、パリー・デ・ミ・カン水上レストランなんてどう?ちょっと遠いけど、チューブ(地下鉄)を使えばイイ時間にたどり着けるのではないかしら?」

 

 その言葉にルイズは首を傾げる。

 

 「えっ、それは良いけど、ちょっと早すぎるんじゃないかしら。今から向かったら開店直後ぐらいじゃない?」

 

 ルイズの疑問にキュルケが肩を竦める。

 

 「予約無しに押しかけたら迷惑になっちゃうじゃん。だったら早めにたどり着いて席を確保したほうが、ね。ねぇ、ほら。私達、その……貴族だから、さ」

 

 苦笑いを浮かべながらキュルケはイングリッドに視線を移す。ルイズも俄かに苦笑いを浮かべて同じようにイングリッドを見た。その突然の行為に打たれて、イングリッドは足をとめて眉を跳ね上げた。

 

 「……我が、どうかしたかや?」

 

 その姿を認めて、ルイズもキュルケも立ち止まって肩を竦めて小さく笑いあう。その横でタバサが杖に身体を預けつつ顔を傾げた。他事に気を取られているイングリッドには前後の話が繋がらなくて、戸惑うばかりだった。タバサの姿を認めて同じように顔を傾げる。

 その仕草を見て遂に2人は大きく笑った。眼を細めて顔を震わせる。キュルケは腰に左手を当てて、右手でお行儀よく口元を隠した。ルイズは文字通り腹を抱えて笑う。そんな2人を呆れた表情でタバサが眺める。

 そしてイングリッドは……。

 

 イングリッド以外の3人が気がついた瞬間にはルイズとの距離をつめて、その前に立ちふさがった。その前には怪しい風体の男達が現れていた。堤防を駆け上がってくる者もおり、そいつらは各々に剣呑な獲物を引っさげて、或いは手にしていた。

 突然の出来事に反応が出来ないでいるルイズとキュルケは脇に置くとしても、タバサも撥ねるように身をずらしてキュルケの前に立つ。大きな杖を構えて身を半身に傾げて腰を低くする。完全な戦闘スタイルであった。イングリッドはそれを横目に、ルイズの前で両足を軽く広げて両腕を弛緩する。ただ風に揺れるままにゆらゆらと揺らして首を回して周囲を観察する。

 突然の状況の出現に、周囲の人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。大変に反応が良かった。そのことは、この手の修羅場の出立がさほどに珍しい事ではないと示しているようでイングリッドは頭が痛くなった。それほどまでに治安が悪いのだろうか?

 

 「ルイズや。これな事は茶飯事であるのか?」

 

 無表情でナイフを構える男を前に、イングリッドは疑問を口にする。はっきりと困惑に顔を染めたルイズが小さく首を振る。

 

 「そんな……ありえないわ。トリスタニアでこんな事……。初めての経験だし、見た事もないわ」

 

 キュルケがその隣で首を振る。

 

 「平民同士が喧嘩とか、何かの諍いの延長で一人の人が大勢に囲まれてるとか言うのは見た事あるけど……貴族に正面切って喧嘩を売る平民なんて知らないわ」

 

 ふむ、と一つ頷いたイングリッドは更に強く周囲を警戒する。貴族イコールメイジである事実から一つの推測をなしたのだ。気配を探る範囲を一気に大きく広げた。予想通りに厄介な存在が川中の砂洲にある、ささやかな木立の中段に存在する事が知れた。穏当な対応の可能性はその瞬間に失せてしまった。血の雨が降るかもしれないとイングリッドは嘆息する。

 

 「さて。こういう場合はどういう対応が正しいのじゃルイズよ」

 

 首を揺らしつつイングリッドはルイズに尋ねた。言葉の持つ意味が広過ぎるためにルイズは即答できずに息を呑む。イングリッドは殺意を隠さない男と正対して、小さく苦笑いを浮かべる。

 

 「あー、そのな。我がヤツラを叩きのめして構わないのかと、まあ、そういうことじゃ」

 

 貴族に害をなそうという相手である。地球の中世世界であっても問答無用にずんばらりんが許される状況である。学院で起きた馬鹿らしい騒ぎを思い出せば、ハルケギニアでもそうなんだろうとイングリッドは想像する。

 とはいえ一国の首都であり、また、地勢的にも大騒ぎが許されるか微妙な場所である。それなりに高級なファサードが並ぶ場所で、()()()()虐殺劇が許されるかどうかまでにはイングリッドには想像がつかない。ルイズが手を出さずに従士たる自身が手を出して言いかという疑問もある。無礼を働いた平民を貴族や騎士が無礼討ちにした実例をイングリッド自身もいくつか見た経験があるが、その場の作法と言うか、順番と言うか、そうしたものは知らなかった。別に知りたいとも思わなかったことであるし、そういった出来事に直接巻き込まれる事態はイングリッド自身の経験としてはありえそうも無い事だったから、観察するにしてもおざなりだった。それがこうした場で問題になるとは想像もしなかった事もある。どう対応して良いかわからないというがこの場のイングリッドの正直なところであった。

 

 4人を取り巻く10人ほどの男たちはしかし、どこと無く躊躇いがちに身を進ませていた。包囲を狭めるというには動きが緩慢だった。ひどく戸惑っている感情が透ける。川中でも妙な動揺があって、既に逃げ腰なのがわかった。どういう理屈であろうか。イングリッドも戸惑う。張り切って喧嘩を売ってきたのは相手なのに、逃げ腰とか意味不明である。

 

 そういった情勢の機微に理解が及ばないまま、ルイズが動揺に口を震わせたままイングリッドに視線を向ける。

 

 「……うん。その、ね。まあ、切り殺されてもしょうがないと思うんだけど」

 

 動揺に身を竦ませても、そこに恐怖は無かった。ルイズに胆力があるのかと言えばそうでもなくて、単純に急展開についていけないだけだろうというのがイングリッドの見立てである。同じように驚愕に身を竦めていたキュルケではあったが、既に立ち直り、今では指揮棒のような短い杖を引き抜いて、あからさまに楽しそうな笑みを浮かべて身構えている。それを認めたタバサが身体をずらして位置を変える。いつの間にかルイズを他の3人が囲んで守る態勢が自然と出来ていた。

 イングリッドは川縁を駆け上がってきた男に相対して、さらに射線を川中の木立に通している。両方に対応可能な立ち位置だった。キュルケとタバサは堤防道路を遮って左右に対応している。2人とも実戦慣れしているのは明らかだった。特にタバサは堂に入っていた。歴戦の戦士を思わせる態度であった。

 

 唐突に状況が動いた。

 

 川中で閃光、硝煙、銃声の順で反応が発生した。こちらにいる者達の耳に、銃声が届くか否かの微妙なタイミングでイングリッドは気だるげに右手を振るった。銃声が彼らの耳を震わせるのとほぼ時を同じくして、軽い擦過音が3人と男達の間を駆け抜ける。それだけだった。それ以外に何も起きなかった。

 

 その事実。

 

 男達が予想していた結果が起きなかった。まったく、男たちの想定の範囲外の結果に、彼らはまったく反応できなかった。彼らが予想した反応は、イングリッドが血を噴出して崩れ落ちるような姿のはずだった。初撃が外れるにしても、射撃音に着弾音。それらが相次いで鳴り響けば何某かの混乱が発生するだろうという目算が男達にはあった。

 

 現実には何も起きなかった。

 

 真実何も起きなかったわけではない。射撃音に敏感に反応して、イングリッド以外のすべてが反応を示した。ルイズ、キュルケ、タバサは一瞬、身を竦めた。特にタバサは耳朶を打った音の意味を即座に理解したがために、大いにうろたえてしまった。ところがその後を引き継いだ不可思議な擦過音が全ての反応を混乱させてしまった。

 事を起こすのだと、対象たる4人の一挙手一投足に神経を集中していた男たちはそうであるが故に、予想外の出来事に全ての対処手段が砕けて極一瞬の空白を生み出す結果となった。

 イングリッドが掌底をもってして、ただそれを横薙ぎに振るうだけで3.75グラムほどの重量を持ち2700ジュールの運動エネルギーを持った音速に等しい鉛の塊を弾き飛ばしたのだといっても、実際にその場で見た事実であっても男達には到底信じられるものではなかった。最も危険であると予想されたイングリッドの行動を見つめていた男たちは、それがために信じられない光景を見せ付けられる羽目になった。

 彼らが使ったパーカッションライフルが、火縄銃を改造した骨董品であり、()()の軍用ライフルよりは幾分か威力も精度も落ちるとはいっても、フルメタルプレートを貫徹して人間を即死させるに足る威力を持っていることは間違いが無かったから、銃弾を弾くという行為は想像の埒外だった。荒唐無稽な物語の一場面だとしてもあまりにも有り得なさすぎて、一笑に付すような類の妄想であった。だから彼らは―――ルイズ、キュルケ、タバサもそうだが……イングリッドが何を成したかなんて理解出来なかった。

 

 イングリッドと言う存在を前にしてそれは、致命的で決定的な隙であった。

 

 ルイズがハッと気がついたときには、イングリッドは男達を張り倒して回っていた。タバサも反応できなかった。タバサは銃声を耳にした時点でそれが行い得るであろう結果を想像して、一瞬の硬直に身をやつしていた。致命的なインターバルを持ってしまっていたが、イングリッドがそこにあったことで、笑い話になってしまった。

 最後の一人を引き倒して左手でキドニーダガーをその首に当てるイングリッドの周囲には、人事不詳になった男達が倒れ付していた。彼女の腰にあったはずのダガーは()()()()見当たらなかった。

 ひとつはイングリッドの手にある。だが、もうひとつは?

 一瞬の疑問の後に、顔を刹那の驚愕に染めたタバサは銃声の発生源に視線を向けた。背の高い木立の下にのた打ち回る男の姿を認めて半瞬、忘我に身を委ねる。

 距離は目視で300メイルほど。戦場で咄嗟に射撃するのでは命中は期待できないけれども、よくよく狙う時間があるというなら、水準精度を持ったパーカッションライフルであれば狙撃は難しくない距離だった。マークスマンカスタムが施されていて、なおかつ、職業として狙撃を生業にする者や、野原や山野で獲物を狩る者であれば、即死をことさらに狙うのでなければ命中させるのは難しくない距離ではある。

 しかし、相手が狙撃したのであって、それに対抗するイングリッドの反撃は銃弾ではなかった。手首から盛大に血を噴出して地面を転がる男を傷つけたのは、キドニーダガーであった。距離300メイルを隔てて、投げる事にはおよそ向いていないキドニーダガーである!

 

 ゆるゆると首を回すタバサの視線の先で、地面に倒れて顔を天に向ける男の左腕を捻りあげたイングリッドは、その身体を無理やり返して背を上に向けた。そこに膝を押し当ててさらに腕を捻る。

 聞いた者すべてがうっかりと顔をそらしかねない不快な音とともに、男が情け無い悲鳴を上げた。

 

 「二度はない、と、言うた筈じゃがのぅ。どういう理屈を持って、我らを襲ったのか。じっくりと聞きたいところじゃな……」

 

 その言葉を聞いたタバサは再度の驚愕を顔に浮かべる。刹那にイングリッドの脇に走りよって身をかがめる。その落ち着きがない行動をイングリッドが微かな疑問を浮かべて眺めていたが、タバサにはどれどころではなかった。タバサが覗き込んだ、脂汗を流して身を捩る男の姿は、確かに見覚えがあった。スリに失敗した男である。その事実に、タバサがハッとして身を起こし左右を見渡すと、倒れて声もない者達の中に、確かに見覚えがあるかもしれないと思える姿が混じっていた。

 タバサがあわてて首を回す先で、のた打ち回っていたはずの男は、あまり見覚えの無い揃いの衛視服を着た女性2人に組み伏せられておとなしくなっていた。組み伏せられて大人しくなったのか、血を流し過ぎて人事不詳になったのかまではタバサにも判断がつかなかった。

 一息、息を吐いて辛うじて動揺を収めたタバサが左右を見回すと、川中で見かけたのと同じ服を着た衛視たちが―――何故か全員女性であったが、白で揃えられた長いライフルを背に、群れて走り寄って来る。随分と面倒な事になりそうだと溜息を吐きつつ、肩を竦ませたタバサだった。

 

 ようやく再起動を果たしたルイズであったが、そのときにはすべてが終わっていた。実に事件が発生して数分。突然始まった修羅場は唐突に終焉を見た。起き得るかも知れない問題に対して何某かの対応を図ろうとした者たちは、イングリッドと言う例外を除いて誰一人としてまともな対応を行い得なかった。

 

 驚愕、驚嘆、狂騒、狂乱。

 

 その原因の最も近くにあって、その一部始終を目撃したタバサにとってもどうしようもない一瞬であった。目撃したとは言っても、タバサですらなにが起きたのかは咀嚼できなかったし、理解も及ばなかった。狙撃をイングリッドが何某かの手段を持ってして防いだといっても、防いだらしいまでは想像できたが、なにをしたかまでは予想も出来なかった。

 タバサの理解では発砲寸前の何某かの徴候を知って、ダガーを投げたのでは? 位の理解だった。300メイル先で狙撃態勢にある男にダガーを投げて事を阻止したなんていうのも、眩暈がするほどに荒唐無稽な想像だったが、ここではそれぐらいの予想しか立てられなかった。真実を知れば泡を噴いて倒れたであろう。大いなる経験を持っているタバサであってもそうなのだから、周辺に集まりつつある()()()の群れには真実は残酷過ぎた。理解が及ばないのは寧ろ幸福である。

 

 ルイズは何となく無意識に頭をさすりながら周囲を見渡す。それもまた無意識の行為で何の意味も持たなかった。怒涛の展開に翻弄されるばかりで、ルイズはここ数分の出来事についていけなかった。

 キュルケもまた呆けて眼を瞬かせるばかりである。ファイティングポーズが勇ましくも空しい。

 周囲から走り寄って来る衛視? に、視線を送るタバサは、そんな2人ににじり寄って両手を広げて引き寄せた。一人だけ意識を残す男から離れるわけには行かないイングリッドは、微かな驚愕を浮かべつつも、何故か呆れた表情を張り付かせる衆目華麗な外観の衛視に視線を固めていた。

 

 遂にイングリッドの前に立ったその衛視(?)は腰に手をやって溜息を吐くと、周囲の衛視たちに素早く指示を出した。金髪と言うには色の濃い髪の毛を適当に短く切りそろえた頭を振って、部下の行動を監督する姿は堂に入っていた。

 

 「しっかりと捕縛せよ。メイジ崩れの可能性もある。ギャグを噛ませてしゃべれなくさせておけよ」

 

 その言葉を聞いて、くすんだ感じの青い髪をザンバラにした短髪の衛視が頷いて走る。

 地面に転がった男たちは20人近くは湧いて出たと思われる衛視たちによって遠慮会釈無く縛り付けられてゆく。

 自動車の進入が制限されているはずの道路にトラックが横付けされて、荷台にある恐ろしげな外観のケージ―――格子をなす部分にトゲが立っているのだから危険極まりない代物である―――に適当に投げ込まれていく。

 

 マントを身に着けたものは術からず貴族であるとの説明を受けていたイングリッドには、貴族自らが泥臭い作業を行うその姿に違和感を感じた。しかし、それ以上に違和感……脅威を感じたのは、彼女達がガンベルトに下げた拳銃と、背負うライフルの姿だった。

 右に拳銃。左に弾装嚢。それだけで口元を痙攣させる原因になった。弾装嚢の下を通して提げられる秀麗な装飾が施されたカップガード(護拳)を持つブロード・ソード(幅広剣)は、長さ的にはショート・ソードと言うよりもスモール・ソードに近かった。しかし、カップガードの装飾とは裏腹に、全体としては強く実用性を訴える形状である。拳銃をメインに、ブロード・ソードをマンゴーシュ代わりとして扱うものとイングリッドは見立てた。遠距離戦闘ならばライフルとなるのだろう。警察的行動を行う組織が成す武装にしては実戦的に過ぎた。

 トラックに男供を押し込む者達は、若干装備が違うのも気になるところである。専門的な職業分離、役割分担がしっかりと決まっているのか。そうなると、ますます全員がマントをしている事がイングリッドには気になるところである。

 先ほどの青髪の衛視がイングリッドに駆け寄り、身体を落として視線を正面に向ける。数瞬の躊躇いの後に小さく頭を振った。もう一度イングリッドに向き直る。

 

 「あー、ラ・ヴァリエール公爵令嬢、ルイズ様の従士、でよろしいでしょうか?ミス」

 

 もぞもぞと身じろぎする男を押さえつけたままイングリッドは小さく頷く。半瞬、ルイズに視線をやったが、ルイズの表情は心ここにあらずといったところであった。その事実に小さく溜息を吐いてイングリッドは顔を上げた。

 イングリッドは自身の身体の上にある金髪に目線をくれた後に、目の前の女性に視線を戻す。

 

 「うむ。ヴァリエール家が三女。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの従士、イングリッドである」

 

 もう一度顔を上げて金髪の女性衛視に視線を移す。

 

 「街頭衛視であるか、主らは?」

 

 走りよった衛視から何かを受け取った金髪衛視はイングリッドの声を受けて瞬間に身を正し、一歩身を引いて大きく腰を折った。

 

 「はっ。トリステイン銃士隊が隊長、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランであります」

 

 その言葉を受けて、イングリッドの脇に屈んでいた衛視も立ち上がって身を正す。

 

 「同じくトリステイン銃士隊が副隊長、ミッシェル・シュヴァリエ・ド・グロワールであります」

 

 イングリッドは大様に頷いた。男を組み伏せている態勢なのでいまいち様にならなかったが。

 

 「ん。ご苦労であるな」

 

 イングリッドは両手が塞がっている為に、顎で下を指し示す。偉そうな態度ではあったが、威厳のある言葉に身から湧きだす気に押されて、2人の銃士は自然と頭を垂れる体勢になった。

 

 「こやつを任せても良いかの?」

 

 ミッシェルが即座に頷いた。

 

 「勿論」

 

 アニエスが手招きをして、他の銃士を呼び寄せる。

 

 「コイツを捕縛しろ」

 

 

 

 男を押し込んだトラックが走り去る。銃士のうちの数人がライフルを持ち出して周囲を睥睨する。視線は厳しく、いつの間にか現れて出でた野次馬に睨みを利かせて寄せ付けない。拳銃を抜いた銃士が3人一組になって街路を駈けていく。イングリッドが気がついていた別の誰かに、何らかの対応をするのだろうとあたりをつける。それなり以上に優秀な者達なのだなとイングリッドは感心して頷いた。

 そうして振り返り、ようやく人心ついた風なルイズに近寄って、その肩を叩いた。ルイズが無表情のままイングリッドに視線を向ける。その向こう側で頭を掻くキュルケが苦笑いを送っていた。

 

 「我が主ルイズや。コレでよかったかや?」

 

 何を言われたかに刹那、理解が及ばないルイズはしかし、半瞬の忘我を超えて言葉の意味を理解して、慌てて頷いた。

 

 「う、うん。まあ、その、イングリッドが優秀で助かったわ」

 

 その言葉を聞いてイングリッドは、疑いようも無く晴れやかな笑顔を顔面いっぱいに浮かべて大きく首を上下に揺らせた。

 

 「うむうむ。そうであろう。我は優秀であろう!」

 

 イングリッドは顔を乗り出してルイズの首の下に指を差し出し、小さな仕草でつついて眼を細めた。

 

 「見直してくれりゃ?」

 

 ルイズはその言葉に反射的に頷いた。顔面に表情が戻っていた。未だ小さな反応ではあったが、イングリッドだけに向けられた笑みが眩しかった。

 

 「おほん」

 

 その背中で不躾な咳払いが空気を壊した。無表情になったイングリッドが振り返ると、若干の困惑を乗せたアニエスが身体を傾げていた。

 

 「あー、お取り込み中のところをすまないが、今回の件について話をさせてもらえないだろうか?」

 

 イングリッドはルイズに振り返る。そのことにある意図を正確に読み取ってルイズは頷いた。それに頷き返したイングリッドは僅かな疑問をもよおしつつ、アニエスに向き直る。

 

 このような事件に巻き込まれた場合、警察組織は居高に対応するのが普通だった。イングリッドが知る現代社会における警察とはそういうものだった。事件に巻き込まれた人々を救ってやったのが自分たちだというならその態度も、まあ納得できなくも無いかもしれない。

 過去になれば、それはひどかった。当事者となれば被疑者も被害者も構わず十把一絡げに紐で括って連行なんぞと言う事すらあった。事件を起こしたやつが悪いので、事件当事者であるというなら、彼らから見れば術からず容疑者扱いして当然だったのだ。

 無論、そこにイングリッドが混ざっていると、そういう対応をした者達はありとあらゆる意味で後悔する事になる。望んでヒトに影響を与えることは無いイングリッドだが、相手のほうが悪意を持って相対するというのなら遠慮は無かった。そういった状況においてイングリッドは、比較的()()な態度を持って()()()()と抗議をすることになる。

 そうはいっても手加減一発岩をも砕くのがイングリッドのあり方なので、場合によっては悲惨極まりない結果となった。自業自得ではある。

 

 そういう経験則に照らしたイングリッドにとって、ここにおいてアニエスと言う「貴族衛視」の態度が不可思議であった。貴族であるなら、貴族の従士に過ぎないイングリッドはもっとぞんざいに扱って問題はないのでは? というのがイングリッドの想像だった。暴力沙汰になってはルイズも黙ってはいられないが、マントを背にするアニエスである。最低限、ルイズの前であるという部分さえ気を使えば、従士に過ぎないイングリッドに対する態度等と言うのは、ぞんざいで構わないはずなのだ。

 しかしアニエスにしろミッシェルにしろ、やけに下手だった。イングリッドは首を捻るしかない。

 

 「まずは謝罪を」

 

 アニエスとミッシェルが大袈裟に身を折って頭を下げる。少しく仰天したイングリッドが慌てて手を振ってそれを制する。

 

 「まてや主ら。いきなり頭を下げられても意味がわからんぞよ。わかるように説明してくりゃれ」

 

 その言葉を受けて頭を挙げた二人は互いに顔を見合わせて頷く。

 

 「申し訳ない。本来なら場所を変えて説明したいところなのだが、すべてが終わったとは言いがたい状況であるので、このような場で長々と話す無礼をお許し願えないだろうか?」

 

 イングリッドは困った表情を浮かべて身を振り仰ぎ、ルイズに振り返る。周辺状況を理解しているとは言いがたいルイズは何も言えずにしかし、困惑の表情を浮かべたままとりあえず頷いた。

 イングリッドは忙しくもアニエスにもう一度向き直って、斜に構えて頷いた。だんだんと態度が適当になってきていた。

 

 「感謝を」

 

 アニエスが小さく頭を下げた。

 

 

 

 「……ヴァリエールの令嬢がおかしなヤツラに尾行されていると、通報があったわけか……」

 

 そういう可能性は思いつかなかったイングリッドである。考え直してみれば、二つはないと思える見事なピンクブロンドを持つルイズだ。目立つ事この上ない。公爵令嬢と言う立場もある。ことさらに義務だ、好意だと言い募らなくても、それだけの立場がある者が自分たちの住まう土地の近傍で面倒に巻き込まれれば、周辺住民にとっても迷惑極まりない話である。

 取調べだ、街路封鎖だならまだ話は軽いほうで、どこぞの皇帝陛下の暗殺未遂事件(その瞬間は戴冠前の話だが)のようにワンブロックまるごと爆薬でどかーんとなれば命すら危うい。怪しい動きがあれば、自分の生活を守るためにも通報するのが最善手と言う話になるのだ。

 

 イングリッドは尾行に気がついていたし、周囲に人が散っていることにも気がついていた。アニエス達銃士が後方を駆けるのも気がついていたし、そのせいで男たちの手が分散したのも気がついていた。離れた街路でもみ合いになって、実際に襲う段階で人数が思ったより減ったのだろう。ルイズたちの前に飛び出して、想像以上に人数が少なかった。その事実に対する実行犯の困惑はいかほどであったろうか。

 イングリッドとしても素直にアニエスに感謝するところがある。銃士隊が迅速な行動を見せなければ、ルイズたちを狙う銃口が穏健な態度では手におえない数になった可能性がある。それでも対応できないわけではなかったが、そうなればとても穏当な対応とはならなかった筈である。事が起きる直前にイングリッドが血の雨が降ると想像したのは、それを想定しての事だった。

 憂鬱だった。

 ひた隠しにしてきた実力の一端をここで表せなければならない。これだけの不特定多数が居る状況で。しかもそれが招く結果は、イングリッドが想定するところ、控えめに言っても屍累々と言ったところだった。それをルイズの前に招来する。血にまみれたイングリッド。

 最悪だ。

 それが防がれた。最善の結果だったといって言い。

 

 

 この場合、そもそも尾行者が出ることを防げばよかったのではと言う想定は論外であった。普段の生活の中で、強い決意となんらかの目的を持ってルイズたちを尾行するのだと言う者が現れても、事前に排除するのは困難極まりない。この手の事案は一方の当事者にとっては受身にならざるを得ないのだ。それを押して事前排除を望むなら、怪しげなものは端から全て片付けるしかなくなる。それこそ死山血河となりかねない。受動的防御策としては、それこそ引きこもるぐらいしか根本的な対応策は無い。それでも相手側に目的がある以上は根治的対策に成り得ない。

 他を護衛する任務とはそういう部分で極めて難しい。明確な敵対者がいた場合、護衛任務は術からずパッシブ・リアクティブにならざるを得ないのだ。先制攻撃してしまえばいいではないかというのも極論であるし、話を取り違えた結果でしかない。先制攻撃してしまえばそれは護衛ではなくなる。戦争だ。明確な敵対関係に陥ってもなお穏当な対応を望んだ最後の一線が、護衛任務となる場合が多いことを考えると、望んで任務失敗を選択するのは話が違う。

 スタンドアロンである事が常道だったイングリッドが延々と頭を悩ませてきたのはそこである。

 

 アニエス達はその部分でイングリッドを救った。そう言っても過言ではない。困惑の表情の下でイングリッドはアニエスに抱きついてキスの雨を降らせてもいいとすら思った。それぐらいに難しい状況だったのだ。

 それをなせば実はアニエスが狂喜乱舞したかもしれない事実は誰も知りえない真実だった。この先にルイズたちに待ち受けている運命を考えるなら、アヴァンギャルドな感謝を表明してイングリッドがアニエスに個人的友誼を深めておくことは何らかの救いとなった可能性はある。しかし、神ならぬ身には知りえない事実と未来だった。

 

 アニエスと相対するイングリッドであったが、その後方でひどく苦労しながらミッシェルがルイズやキュルケからも事情聴取をしていた。

 格上の貴族に対して事情聴取という警察活動を成さなければならないという面倒もあったし、タバサも含めて実は、イングリッド以外の3人が状況を殆ど理解していなかったという面倒もあった。

 よってトンチンカンなやり取りが延々と続いていた。ミッシェルが明確に各下であったのはこの場合、大いなる救いであった。同列の相手に面倒なやり取りを繰り返せばルイズが爆発した可能性が高い。イングリッドのあずかり知らぬ話だが、シュヴァリエとは名誉称号なのだ。名を明かした最初の挨拶でフルネームを明かしていたのも奏効した。貴族称がない苗字であったから、平民が何らかの功を経て、貴族に列せられたのは明白だった。そのことを一切の誤解無くルイズは理解していた。

 ルイズは基本的に淑女然とした態度を取る事ができる良くできた貴族だった。相手の各が同列で無い限りは。

 自身に近しい立場の人間が、自身と同じように優秀である事を当然であるという要求を、無意識で求めるルイズの態度は、同級生の立場辺りからするとたまったものではないが、そうではない者、特に、格下相手にはひどくやさしい態度となって現れる。

 シエスタをはじめとした学院の一般職員からルイズがやたらと人気があるのは、そういった無自覚の態度があったのである。

 イングリッドと言う存在はそこに割り込んだ貴重な例外の一つである。

 

 事実の摺り合わせを行い、互いの理解を深めつつあった彼女らに、アニエスの部下の銃士が走りよる。2,3言葉を交わして頷いたアニエスは、イングリッドに振り返った。

 

 「ミス・イングリッド。あの男はあなたの関係者だといっているようなのだが、間違いないのだろうか」

 

 その先には大柄で鍛え抜かれた体躯を不遜に揺らせながらしかし、大人しく銃士に引っ張られるどこかで見た顔が合った。

 イングリッドは少しく頭を捻って、すぐに思い出す。

 

 「お、おーおー。テティエンヌ=ブティックにおった……」

 

 そこで疑問を呈して、小さく首を捻るイングリッドだった。

 

 「だれじゃったかのう……?」

 

 後ろでタバサががっくりと肩を落とした。その気配に気がついて、イングリッドが振り返る。

 

 「?」

 

 首を捻るイングリッドにタバサが溜息を吐いて答えた。

 

 「グロージャ」

 

 その答えに三度首を捻るイングリッド。

 

 「トリスタニア3大冒険者ギルドの一つ。『陽炎の戦団』の中堅戦士、グロージャ」

 

 肩を竦めて答えたタバサに、イングリッドも肩を竦めて応えた。

 

 「名は聞いておらなんだからのう……」

 

 それを聞きとがめてがっくりと肩を落とした男が、鼻を掻きながら手を挙げた。

 

 「よう、イングリッドさんよ。ひとまずは面倒ごとを避けられたっぽいかね?」

 

 その言葉だけで合点が行ったイングリッドは、身体を傾げて笑いかけた。

 

 「なるほどの。主か、銃士を呼び寄せたのは」

 

 だがしかし、グロージャという男は手を振って否定した。

 

 「違う違う。あんたらを追いかける途中で、思ったより剣呑な状況だったからよ。手近な人間に片っ端から声をかけて走らせたのよ。思ったよりも大袈裟になっておどろいたぜ」

 

 その応えにかすかに眼を見開いて次いで声を上げて笑うイングリッド。

 

 「なるほど。最善に近い手が得られたわけじゃな。銃士の数が少なくては、もっとひどい結果になったやも知れぬ」

 

 イングリッドはアニエスの横を抜けてグロージャの目の前まで歩むと、相変わらず後ろ手で敵意が無い事を示し続ける彼の前で、大きく腰を折った。その姿にルイズとキュルケが驚く。その態度に何事かとミッシェルが振り返る。イングリッドの行動を眼で負っていたアニエスは小さく苦笑いを浮かべた。グロージャを横から挟み込んでいた銃士もイングリッドの態度に驚いていた。

 

 「ありがとう、陽炎の戦団の戦士がグロージャ。我主のおかげで大分に助かった。多いに礼を言っておこう」

 

 礼を捧げられた相手であるグロージャは大慌てで手を振って、首も振って否定する。

 

 「やめやめ、よせやい! 礼が言いたかったのは俺だぜ! それがたまたまこんな話になっただけだぜ。偶然だっての!」

 

 その言葉に首を捻りつつイングリッドは頭を上げた。グロージャが照れたように頭を掻きつつ、イングリッドの頭上を越えて後方のタバサに小さく頷きかけた。それでタバサも察して頷き返す。首を捻るルイズとキュルケを無視して、グロージャは自身の随分下にあるイングリッドの顔に笑いかけた。

 グロージャはゆっくりと両手のひらを前に突き出してイングリッドに見せる。

 

 「おれっちがミスって怪我したのに、あのちっこい貴族様に言って、直してくれたじゃん。これで礼の一つも言えなかったら、グロージャの名が廃るってモンだぜ」

 

 それでようやく納得の行ったイングリッドは大きく頷いた。振り向いてタバサを手招きする。

 小さく首を傾げながら、ミッシェルに頭を下げつつタバサはイングリッドの後ろに立つ。

 

 「我が礼を言われる筋合いは無いわ」

 

 朗らかな笑みを浮かべたイングリッドはタバサの背を押して、グロージャの前に押しやった。その巨体の前ではタバサは幼児のように見えた。

 

 「ほれ、礼を言わんか」

 

 ニヤッと口を吊り上げたイングリッドが右手親指を掲げる。それでグロージャも頷いて腰を折った。

 

 「有難うございました、貴族様」

 

 小さく口を戦慄かしたタバサはそっぽをむいて杖に身体を預けた。

 イングリッドは遂に声を上げて笑いながら、タバサの頭を撫でた。

 

 「照れるな照れるなタバサよ」

 

 

 タバサにとっては新鮮な驚きと戸惑いがあった。何かを成して何かの結果を残す。彼女の明かされぬ日常からすれば、それは当然の求められるべき結果に過ぎなかった。成功の報酬は沈黙。だが、失敗は批判される。

 それがタバサのもう一方の日常だった。だから命じられるままに何かを成すのはタバサには自然な事だった。デ・アソ・テティエンヌ=アム・ブティックで起きた面倒ごとで、その瞬間に心ここにあらずだったイングリッドの、無意識の頼みごとに対してタバサは、ある意味で命令され慣れていたために何の疑問も無く即座に同意した。それにことさらに感謝を受けることなどは想像しない結果であったし、その先で、このように助けられるとも思っていなかった。善意のスパイラルの先で、結果を得た事実はタバサを戸惑わせるばかりだった。

 

 「あっ!」

 

 突然にキュルケが叫んだ。ルイズとキュルケに辛抱強く聴取を続けていたミッシェルが仰け反る。何某かの失礼を成したかと、僅かな恐怖を浮かべるミッシェルに、キュルケは慌てて手を振って否定する。

 

 「違うから。あなたに問題はないから」

 

 そう言ってからキュルケはグロージャに指を突き出した。

 

 「思い出した! あなた!」

 

 つかつかと歩み寄って、キュルケの背丈であっても振り仰がなくてはならないグロージャの顔を見上げる。

 

 「『トラブル・グロージャ』! 何をしても大袈裟に話を大きくする迷惑者! そうでしょ!」

 

 その言葉で大きく表情を歪めたグロージャは、口端を跳ね上げて大きく笑った。

 

 「まいった! 貴族様までにその名が知られているとは!」

 

 手を振り仰いで肩を竦めた。

 

 「俺も有名になったもんだぜ」

 

 

 

 いまいち状況がつかみきれないでいるルイズは、事が始まって以降、ひたすらに周囲の状況に振り回されるばかりであった。

 

 その横で、今更ながらに回収されたキドニー・ダガーをアニエスから受け取るイングリッドだった。

 

 


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