ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

25 / 27
初めてのお買い物(3)

 このハルケギニアという世界に出でる前の、イングリッドの普段の生活とはどのようなものであろうか?

 

 

 言うまでも無い事だが、イングリッドの本質的存在意義とは、人の世を脅かす尋常ならざる存在を、それが人の世に大きく出でる前に、人の世に知られることなく密かに排除する事である。それが大前提である。

 イングリッド達が敵対する相手とは、人の生活を、人の世界を根本的に破壊する手合いであり、それは悪魔としか言えないような手合いであり、或いは鬼としか言えないような相手であったりする。

 しかし、多くの者が勘違いするところではあるが、イングリッド達にとってそれが必要と断じるならば、世間一般で言うところの「神」に近しい相手であってもイングリッド達にとっては敵対相手となりうる。

 イングリッド達の根本的な理念によれば、人の世の移ろいは人に任せよであり、どれほどまでに絶望的な状況が、ほかならぬ人の手で現出したところで「神でございます」とばかりに超常の能力を持った者が理想に燃えて現れ出でたとしても、人の世の流れに、人の世に寄らない断絶を与えるのであればそれは排除対象だった。

 逆に言えば、人が、人として、人の世を滅ぼす選択を選んだ場合、イングリッド達は、ただそれを眺めて過ごすだけである。

 

 キューバ危機がそうだった。

 ほんの少しのボタンの掛け違えで、間違いなく世界は炎に包まれたであろうことが確実な、ぎりぎりの状況であったが、イングリッド達は傍観するに任せた。それが人の選択であるならそれもまた運命であるというのがイングリッド達の考えであったからだ。

 逆に、そのとき、その場所で、超常の能力を持った人ならざるものが、世界を救うために力を振るったとしたら、イングリッド達は世界を救わんとするそれらと闘争に入ったであろう。現実としてその時、大陸間を滅びの光が舞ったとしても、その下で「救世主」相手に死闘を繰り広げたかもしれない。

 

 東南アジアで発生した事態に関しては非常に判断が難しいところがあった。

 とある軍事組織の対立状況下で、大量破壊兵器を使用した根本的解決法が採られようとした時、その一方の当事者にまごうことない人外の存在が収まっていたのだ。ただし、大量破壊兵器の使用そのものには関わっていなかった。

 だが、東洋の片隅で使用されるかもしれない低威力の大量破壊兵器の炸裂が、偶発的な全面的大量破壊兵器の投射に繋がりかねなかったという点で難しい判断に迫られた。軍事組織での内紛が、そこに居た人外の存在によってお膳立てされたのだと言う事実が問題を深刻にしていた。その意を受けて、下の者が偶然に手に入れた大量破壊兵器を独断で使用してしまおうと企らんだのだ。

 この件についてはありとあらゆる面で、イングリッド達は出遅れてしまった。

 決断したときにはすでにどうしようもなかった。イングリッド達の持つ能力を発揮してなお届かない、時間の無さと、能力を持った者達がいる場所からの距離の隔絶が、危うく全てを手遅れにするところだった。

 何も起きなかったのは、ただ、運が良かっただけである。

 使用が試みられた大量破壊兵器は、使用期限が切れていた。それだけならば炸裂した可能性はある。それらの大量破壊兵器というのは自らが発するある種の電磁波によって、構造を自壊させる。

 よって製造された兵器は使用期限が切られる。ただしその期限は、生産されたその種の兵器全数のうち、無作為に抽出された半数の内の50パーセントが不活性化されると予想される期間の70パーセントの時間が過ぎた場合と言う、かなり安全寄り(ある意味で危険寄り、とも言える)の数値が設定されているので、例えば5年で使用が推奨されなくなる兵器ならば、理論上は8年後であっても2発に1発は問題なく作動する可能性がある類だった。

 使用された3発すべてが不稼動だったのは、東南アジア特有の気象条件化で暴露した状況で極めて適当な扱いを受けていたために、酷く劣化していたからで「通常」の扱いを受けていたら、ほぼ確実に作動していただろうという状況だった。運が良かったのだ。

 その後に、人外の存在はイングリッドたちと全面的な闘争に突入したのだから、結果的に、人の世に関わるべきではない存在が、人の世を掻き乱す事態を引き起こしかねなかったのだという形になった。ただ、結果論であるので、この事件に関する経緯や経過は、イングリッド達の間でも長く論争になった。しかも結論は出ていない。

 

 イングリッド達が行う「闘争」とは、かように常人には理解する事がが難しいところがあった。

 イングリッド自身にも、その他人に理解されがたい部分に関しては自覚がある。

 実のところイングリッドやその仲間が、自身の存在意義に関して他に言葉を交わしたことは、その永い歴史上僅かの例外なく、唯の一度も無い。彼らは、人の歴史の影で、まさしく影そのものとして活動を続け、そして、消えていくだけの存在だった。

 イングリッドはそれに思うところは無い。そういうものなのだとイングリッドは「知って」いた。

 言い訳もしない。納得も無い。理解しているだけだった。ただ、そうあるだけなのだ。

 それが、人に理解されるものではないと「知って」いる。ただそれだけである。だからイングリッドは他観的に見て、ある種、賽の河原で石を積むが如き自身の行為の本質を主張することは無かった。

 

 これが、東京をシャドルーが破壊したその時に、イングリッド達が介入しなかった理由である。あの時、あの場所に近しい場所にイングリッドが存在していたが、それは、シャドルーの行為に乗っかって動きかねなかった、とある人の世を踏み越えてしまった人物をけん制する事が主目的であり、あのときのシャドルー、分けても、ケツ顎軍人は、人間が誰でも行き着ける「可能性」がある、化学的研究、或いは鍛錬の成果としてあそこにたどり着いていたのだというのがイングリッド達の判断だった。彼が尋常ならざる高みに至っていたとはいえ、そのあり方としてはイングリッド達が見るところは、人間の枠組みを外れていはいないと結論していたのである。

 

 その後、イングリッドは件のケツ顎軍人と直接対峙する事となった。しかも「あべし」とばかりに相手は吹き飛んだ。

 これは、相手が超常の技術に手を出したからであり、その技術とは、あろうことかイングリッドの持ち物と同じところから出でた物だった。具体的に言えば、太陽のアンクルそのものに手を出したからであり、それを使って如何こうするのだと言われれば、イングリッド達が介入しないわけが無かった。

 つまり、彼らは人の道を違えたのである。

 彼らは明確に、イングリッド達と敵対した。一度そうなれば、二度は無い。彼らが自身の力のみで、再び世界を征服、或いは破壊を試みたとしても、イングリッド達は介入するだろう。一度人外の力に染まった存在は、それが個ではなく集団であっても、その時点で人在らざる物に成ってしまったと言う事なのだ。

 

 そういったことを延々とこなしてきたのがイングリッド達である。それが人の世に知られることは無い。

 ただ人、としかいえない者たちと交錯する事は何度と無くあった。近いしい過去であっても、例えばさくらとかかりんといった存在は、やや通常の人のあり方から道を踏み外しているとはいえ、なお人でしかなかった。人としてその能力を見た場合、異常としかいえない能力を持っていたとしてもそれは人外ではなかった。そこに至る事が出来る者が極めて少ない場であるにせよ、人としての存在を保ったまま至れる高みにたどり着いただけの異常だった。それは超常ではない。マイノリティであるだけだった。

 疑いようも無く超常の存在たるイングリッドはマイノリティと言うのもおこがましい少数派な訳だが、超常の世界ににじり寄った彼女たちは、日常のすぐ脇にいるイングリッドやそれに近しい存在と、あまりにもあり方が近接してしまう場合があった。それがして、ストリートファイトと言う交合に至ってしまう訳である。それは一種の事故だった。

 

 「俺より強い奴に会いに行く」。

 

 そう言って憚らない者がいたが、強さを極めようという者は、自覚のあるなしにかかわらず、誰もがそういった言葉で表現してお終いな部分を、多かれ少なかれ内心に持っている。そも、強さとは歴史上の誰某よりも強いとか、あの何某かよりも強いだとかいう表現で個人の強さを表現する場合が多いことから言っても、相対的な部分が大きいから、結局は最終的に自分より強い相手を求めて彷徨うのがファイターの宿痾なのだとも言える。そういう病気を抱えて尋常の世界で強さを極めてしまったら、更に先を目指すというなら超常の存在に挑むしかない。

 彼らが望むと望まないに限らず、結局は、超常たるイングリッドや、宇宙人、異世界人、人外の化け物と争うのは、宿命としか言いようが無かった。

 

 ただし、それはイングリッドの非日常的日常の光景ではあっても、真に日常と言うわけではなかった。寸余をおかず、超常の存在が尋常ならざる行為を尽きせず企んでいるという事はさすがになかったし「頼もう」とばかりに時を置かずしてイングリッドに挑む者が引きも切らないという状況も無かった。普段のイングリッドたちは存外に暇だったのだ。

 それが人の世の在り方として「平和」であるというのは簡単ではある。そのほうが良いと嘯くのは安易だ。

 それでも一応は「生き物」の端っこにぶら下がっているつもりのイングリッド達である。暇だ。する事がない。そうは言っても霞を食って生きていけるわけではないのだ。そうなると、どうしようもなく「日常」を積み重ねる必要性が出てくる。

 結局イングリッド達は超常の存在でありながら人の世の尋常に混ざわるしかなかったのだ。

 

 

 そうすると、生きるためには衣食住を得る必要がある。

 衣食住を得るためには金が要る。

 金を得るためには職を得る必要がある。

 

 超常の存在であるのだから、人に混ざることなく彼らのみで完結した生活を送ってもいいではないかとも思えるが……それはあらゆる意味で不味かった。

 隠れ里のようなものを設えて、孤立してしまえばたちまち情報弱者の出来上がりである。そうなれば人の世で何がしかの尋常ならざる出来事が起きたときに出遅れる事になる。困った事に、ごく一部の例外を除けば、尋常でないものが尋常でない行為を成そうとする場合、たいていに於いて当事者自身が尋常で無い事に大いに自覚があるので、隠れてこっそり、ぎりぎりまで雌伏して、準備万端備えてどかーんとやるのである。

 どかーんとやられては、イングリッド達の敗北である。人外の存在は人の意識の埒外でこっそりとぺしぺししてしまうのがイングリッド達の使命なのだ。そうであるならば、イングリッド達は常に人の世に眼を向け、耳をそばだてている必要がある。自身の使命を全うする上でも人の世にまぎれる必要がある。よって職を得ることが急務とならざるを得ない。

 

 人の世に交わるのが必要となれば、まさかに押し込み強盗をやって金を得るとか、食料を強奪するとか言うわけにはいかない。人の世の裏に潜むのがイングリッド達の必要だというのに、何故のぼりを立てて振り回さなければいけないのか。普段に合っては人畜無害のその他大勢を装わなければ、尋常の外にある何かも警戒して顔を出さない。イングリッド達を避けて手の届かない場所であれやこれやをやらかされてはイングリッド達の使命を全うできない。

 そうであるからして、イングリッド達の日常はなかなかにしょっぱいものになってしまう訳である。

 

 

 ここで、イングリッド個人にスポットを当ててみると、さて、彼女にお似合いの職業とは何か?という話になる。

 

 サーヴァント?

 セルヴァーズ?

 グーヴェルナント?

 

 実のところ、どれも難しかった。

 近世以前ではハウスキーパーたる形で、マドゥモワゼル・サーヴァントという立場は得ることはほぼ不可能であった。誰が身分を保証するというのか?どこの誰とも知れない有象無象を雇うような家はなかった。

 同様に喫茶店や食堂でセルヴァーズというのも困難である。広く世の中から、赤の他人を個人経営の店が雇う雇用形態ができたのは近代以降である。それ以前で、雇ってください。ハイ判りましたとはならなかった。領主や教会等によほどの伝手があるか、近隣で災害が起きて難民化した人間が押し寄せたとか、付近でドンパチ言わせてそれに参加するの兵士や傭兵等が大挙して押し寄せたとかいう、一時的人口増加が起きて人手が足らなくなるような切迫した事情が無い限り、どこの誰とも知れぬ人間が商店やレストランに雇われるのは難しかった。

 家庭教師?なにを馬鹿なことを、と言うものである。世界中を巡り、世界中の常識に「ある程度」精通し、あるレベル以上に教養のあるイングリッドは、人にものを教える技能があるかという以前に、家庭教師になるにはうってつけの能力があるが、結局は身分の保障が無い自由人。誰が雇うと言うのか。

 近代以前で、女が一人で世を彷徨い生きるというのは恐ろしい難事だったのだ。

 

 結局、近現代以前でイングリッドが常態とした職業と言えば、サーカスの団員であったり、或いは(まがい物の)宣教師として世を彷徨う姿であった。

 時に薬師として、時に占い師として、世界を彷徨った事もある。意外な事に、傭兵として世界を巡ったこともある。中世では女性の傭兵とはそれほど珍しいものでもなかった。ヨーロッパだけでなく、中東やアジア、アフリカであってもある。

 永世中立を標榜する国家から輩出された名高い傭兵には幾人もの女性が混ざっている。専門性の高い大砲や、銃を扱う傭兵団では長が女性であることは特別な事ではなかった。肉体を持って武器となし、前線で切り結ぶ事ができないと「見られていた」女という存在は、であるからこそ、ひとつの事に長じる事に時間を得ることが可能である時代があったから、専門職となれば女性のほうが多かったなんていう時期があったのだ。男性優位社会が行き過ぎた時代における一つの皮肉な到達点である。

 ただしイングリッド自身による傭兵のあり方というのは、当初は前線でぺしぺしやるのが通常だった。イングリッドの持つ広くて浅い知識では、本格的な専門的研鑽を積んだ者には太刀打ちできなかった。よって世にも珍しい肉体派女性傭兵が出来上がってしまった。

 肉体派女性傭兵と言うものも歴史上はそれなりの数が現れたから、完全に世情から浮き上がっているわけでもなかったが、目立つ事には変わりなかった。イングリッドが後に振り返るところでは、実は肉体派女性傭兵の誕生はイングリッド自身が呼び水になったのではないかと言う疑念があるので、色々と反省する部分ではある。目立つ事を避ける必要性から、最終的には傭兵団の端っこにぶら下がって世話係とばかりに雑務をこなしている形になった。世界中を彷徨って、あちこちで滞在した経験が生きた。世界中から集まる個々の傭兵にあわせて気遣いが出来るイングリッドは大変に重宝された。いろいろな国の料理にそこそこ精通しているのも喜ばれた。

 国家間ばかりでなく、地方豪族や貴族間での対立が絶えなかった時期が世界中で長く続いたので、そういう形でも存外に広い世界を彷徨う事ができたのだ。

 

 女性が世界を巡るのに、誰もが即座に思いつくであろう、女性であるという部分を武器とした職業をイングリッドが選択したことは無い。情報収集の手段として、そういう職業を詐称した事はあるが、それは手段でしかなかった。実際の行為に及んだことは無い。

 実際にそれをしたがために当然に発生する新たな生命の発現は、イングリッドの本来の仕事を大いに阻害するし、そも、その存在の特殊性故に発生する外見的特異性が、ある程度の時間を経て他人に対して顕在化する前に、一時的定住地を放棄して、遠く離れた場所に移動することを常態とせざるを得なかったイングリッドが、発生した生命の黎明状況を持って連れて世界を巡る等と言うことは、難しいどころの話ではない。

 そも、イングリッドがその一見した外見上の生物学的特長そのものに、自然な行為を成せるのかと言う問題もある。イングリッド自信が確かめた事がないのだから事実は藪の中である。

 

 

 

 選択肢が殆どない状況が急激に変化して、イングリッドが様々な職業を急速に体験することとなったのは、近代以降であった。その永い生からすれば「極最近」と言い換えても良い。

 

 具体的な時期を言えば、産業革命以降であった。

 

 突如としてイングリッドの前に職業選択の自由が現れた。

 よりどりみどりだった。

 ウエイトレスだろうがメイドだろうがなんでもありだった。農家でお手伝い、というか農奴一歩手前ということもやったし、炭鉱で籠を担いだこともあった。造船所で鋲撃もやったし、工場で糸を手繰った事もある。

 ある時期には、工場で大量生産される麻薬の製造にかかわった事もある。現代的常識から言えばありえないことだが、ある時期には国家事業として麻薬を大量生産して他国に輸出していた国家があったから、そして、その仕事と言うのは労働者に大変な健康被害を惹起したから、いくらでも人手が必要で、出自怪しからざるものでもとりあえず雇うことが出来れば誰でも良いやと言う状況であり、イングリッド個人としては大変にありがたかったのである。

 無論、そこで生産された華やかざる工業製品の行く先にはイングリッドも思うところがあった。だが、それは泡沫の夢と思い浮かんだ刹那の夢想であり、それが引き起こす惨禍のありようは、まあ、歴史は繰り返すものだと慨嘆するだけだった点にイングリッドの特殊なあり方が見え隠れした。人の紡ぐ歴史に対しては傍観者でしかないのがイングリッド達のありようなのだから。

 

 そういった様々な職種の中で、製鉄、鋳造、鍛造といった金属加工業の経験がイングリッドにはあった。

 現代社会にある者がそれを聞いたなら、例外なく「えええっ!」と驚く事であろう。労働に関わる法律を持っている近代先進国ならば、間違いなく女性の就労を禁じている職種である。

 しかし、産業革命以後、ある一定の期間、少なからぬ数の女性が身を投じた職が、製鉄であり、鋳造であり、鍛造だった。

 近代産業の大豆たる製鉄も、近代産業の小麦たる鋳鍛造も、近代鉄系産業製品にはなくてはならない裾野産業である。これが無くては工業製品は何も始まらないといって良い。勿論、コークスの生産だとか、加工機械の鋳造だとか、更なる裾野技術があるが、それらもひっくるめて包括する意味でまとめて大豆だ、小麦だと言える産業だ。

 であるから「近代化」が進行する中で、製鉄にせよ鋳鍛造にせよ、常に需要が逼迫し続けた時期があった。産業革命を経験した全ての国で経験されたことである。ある国では国を挙げてリソースを傾斜集中したし、ある国では中世産業の延長線上で家内工業的鋳鍛造が先行したために、世界中から屑鉄を輸入した事で製鉄の遅れを補った。ある国では国家戦略的失敗から孤立主義を採らざるを得なかったために、製鉄すら家内工業的方法で不足を補おうとして大規模な環境破壊を起こして滅茶苦茶になったりもした。

 そういった原材料資源の不足もさることながら、産業革命期に顕在化した最大の問題は産業に従事する労務者の不足だった。フォークリフトやコンベア等による工場内製品輸送の機械化がなされる前の近代産業はどれもかしこも労働集約産業の最右翼であったから、どこもかしこも人が足らなかった。何を成すにしても人力以外に選択肢がなかったからしょうがなかった。

 現代の人間が思う工業化であれば、工業化の進展によって労務者を減らす。全体として生産性を高めつつ人を減らすと発想しがちだが、実際の工業化とはその歴史の初期に於いては作業者の集約集中と同義だったのだ。

 

 その中でも、製鉄、鋳鍛造は重大な欠陥が合った。

 初期のそれらの産業では、就業中の労務災害が極めて多かったのだ。

 従事者の肉体的意味に於いて、人がいつかなかったのがそれらの職の特徴である。人死には日常茶飯事だった。年間死者数で言うと、戦場よりも危険とまで言われた時期すらある。

 製鉄では、溶解した鉄を輸送する段で大量の死者が出た。冶金技術が低かったので釜の品質が悪い故に底が抜けたとか、チェーンが切れて中身をぶちまけたとかで大変な地獄絵図が展開された。

 製鉄炉も当たり前のように崩落事故が続出した。大量に消費したコークスから発生したガスで中毒事故が発生したとか、ガス爆発が起きたとか言う事故も多かった。控えめに言っても大惨事である。耐火煉瓦の生産が追いつかなかった時期では、工場が炎に包まれても日常風景で、またやってるよで済まされた時代すらある。初期のそういった犠牲があったからこそ、冶金技術が発達したわけで(なにしろ釜もチェーンも製鉄炉も、製鉄した先にある加工製品である)必要な犠牲だったと看過するしかないかもしれない事だが……。

 

 鋳造もいろいろな問題があった。

 鋳造と言う技術自体(製鉄、鍛造にも言えることだが)は存外に長い歴史があるのだが、それを大量に扱うのだと言う点で問題が続出した。

 型が崩落しただとか、溶融材料が噴出したとかはともかく、家内工業的な生産では考えられない量を一度に扱おうと試みたところ、材料自体が爆発したりもした。

 数百人が死傷した事故の記録を現代的技術で振り返ると、どうやら単純な水蒸気爆発であったらしい事例があるのだが、家内工業的な鋳造で発生する水蒸気爆発―――溶融した材料に汗が滴り落ちて大きな音は立てて爆ぜるぐらいの認識しかない時代に、ワークの熱を取ろうとして水を大量に振り掛けたら「大変な事になった」等と言う、経験の未熟故の事故があった。

 

 鍛造も同じである。

 スチームハンマーや鍛造プレスといった大型機械は輸送技術が未熟であるがために、設置する場所で躯体を鋳造するしかなかった。東大寺の大仏様と同じである。鉄の塊であるプレス機やハンマーの輸送技術は1950年代ごろになってようやく安定的に確立されたといっても良い(海辺等にある工場では船で輸送する事が可能であったから「製品」としての鍛造ハンマーや鍛造プレス機が絶無だったわけではない)。それまではそのような大型産業機械はレディメイドどころではなかった。使用される個々の部品は既製品の組み合わせであったのに、全体としてはひとつとして同じ機械は存在しないといっても過言ではなかったのだ。

 産業革命期には技術が先行するばかりで製品の品質面はおざなりにされがちだった。それは製品を生産する機械そのものについても例外はなかった。よってとんでもない事故が発生した。

 現代でもハンマーによる鍛造での死亡事故はある一定の割合を下回る事ができないでいる。産業現場における死亡事故を根絶するには、死亡にいたりかねない危険から従事者を引き離す事が肝要であるが、ハンマーやプレスは、致命的状況を現出する場所から作業者を根絶する事が現状、不可能なのだ(トランスファープレスのような例外はある)。

 何十トン、場合によっては何百トンもあるラムが高速で上下して打撃する鍛造現場では、バリが飛んで作業者を受傷させる事故が後を立たない。それは容易く死亡事故に繋がる。しかし、熱間鍛造にせよ冷間鍛造にせよ材料をハシでつかんで保持しつつ打撃しなくてはならない状況をなくす事ができないので、作業者は常に命がけである。

 

 現代であってもそうなのに、産業革命期のスチームハンマーは現代常識から言えば想像もできないような事故が続出した。

 バリが飛ぶのは当たり前だった。材料のバー材の品質が安定しないために、初期の鍛造ではバリが飛んで当たり前だという風潮すらあった。鋼が大量生産可能になる前は、材料が銑鉄や鋳鉄といった脆硬いものしか選択肢がない状況もあった。現代では熱間鍛造中にバリが飛散するというのはよほどに硬い材料であったり熱管理の失敗でもなければありえない事なのだが、当時の材料供給事情では、そのよほどに硬い(そして脆い)材料を使うしかなかった。よって、ハンマーマンだけでなく、周辺で材料を輸送する人間や製品を輸送する人間にも死傷者が続出した。

 それだけではない。

 型の固定技術が未熟だったために型の脱落事故は日常風景だった。1日に10回も型が脱落したなんて話もあるので命がけどころではない。型が脱落するだけならともかく、型が破損して破片が飛び散る事も珍しくはなかった。

 それどころか打撃の衝撃で、ハンマーの躯体そのものが破損したり、場合によっては躯体が崩落する事故も合った。致命的どころではない。

 型の付け替えも命がけだった。現代では、型はある程度の温度まであらかじめ予熱しておく事が重要だと知られているが、初期の鍛造では、熱くなった型を冷やさないと製品に悪い影響が出るみたいな常識がまかり通っていたので、水で急冷するのが当たり前だった。

 型自体も品質的に未熟な時代であるから、そんなことをすれば型が脆くなってしまうどころではすまない。極僅かに生産される鋼鉄をなるべく型の製作に集中したりもしたが、鋼鉄自体の品質も怪しいところがあったから、対策としては不十分だった。打撃中に型が崩壊する事故の本質的原因でもあるし、型代え時の不意の脱落事故の原因でもあった。

 かくして、鍛造現場は慢性的な人手不足となった。流石に受傷事故がそのまますべて死亡事故に繋がったわけではないが、指がない、腕がない作業者なんて当たり前だった。人が足らないとは言っても、最終完成形態の工業製品に至る最初の段階で、鍛造が必要であることはどうしようもないので鍛造が暇になることはなかった。大量供給が叫ばれていた、採掘現場で使用する動力や、ポンプ、船舶用エンジンでは鍛造品の使用が大であるので、供給状況は常に逼迫していた。となればとにかく人を集めないといけない。

 女性作業者が金属加工現場に従事するのは必然だったのだ。

 

 労務災害史はそのあたりの事実に関して沈黙している。殆ど記録が残っていないのだ。産業史にとってもまったくの黒歴史であるから、その辺の労務災害の記録は曖昧模糊である。研究者も少ない。それらが明らかになるのは遠い歴史の向こうだろうと思われる。

 しかし、イングリッドは知っている。他でもない。実際にそれらの仕事に従事していたからだ。

 

 溶融した材料を人力トロに載せて押す(!)ということもやった。あまりにも危険に過ぎるのでごくごく最初期にしか行われなかった作業方法で早い段階で機力に移行したが、熱にめっぽう強いイングリッドの存在は非常に重宝された。

 これまた産業革命初期の話だが、製鉄途上の材料を転炉の口腔から鉄棒で掻き出す作業があったから、それもまたイングリッドにはうってつけの仕事であった。ベッセマー法の確立までの間、極超高温の溶融鉄の側で作業者が何くれとやらないといけない状況が酷く多かったのだ。

 高温の転炉に材料を投げ込むのまで手作業であった時期が10数年続いたのだから、当時の製鉄がいかに危険極まりない現場であったかがわかる。そういった場所でのイングリッドは適材適所の最たるものとしかいえなかった。イングリッドの外見的な特徴等どうでも良かったのだ。

 

 数百度から千度以上に熱した材料を、輸送者が天井から吊った大型のハシで受け渡しして自身のハシでつかみ、型に載せ、スチームハンマーでガンガン叩くようなこともイングリッドは実際にやっていた。バリが飛ぶ。型が割れる。銃弾のようにそれらが飛ぶ。手でそれを弾く。そんなことをやっていた。

 それらの作業現場は熱いどころではなかった。50度超え、60度超えは当たり前だった。手元が数百度と言う状況も当然だった。汗が噴出しても、身体を冷やす役割を成さないほどだった。身体が塩で真っ白になった。本来のイングリッドであれば別段苦にならないし、汗が噴出して……何てことも避けられた。しかし、周辺の作業者が術からず白く染まっている中で一人だけ涼しい顔をしている事もできないので、まあ、()()()()()人まねしていたというのが本当のところではある。

 

 産業革命期前後に、やったらめったら戦争をやっていたのも問題をややこしくした原因である。製鉄や鋳鍛造等、そういった危険な作業に従事すべき若い男性がどんどん戦場に出て行った。そして彼らが近代産業が生み出した工業製品、つまりは、銃や銃弾をじゃんじゃん消費した。それがために製鉄業や鋳鍛造業の需要は更に逼迫した。しかし作業者がいない。いないならあるところから補充するしかない。だからイングリッドがそういう場所にもぐりこんで誰も疑問に思わなかったのである。

 

 そう。金属加工によって生み出された大量生産工業製品。

 

 つまりは、銃である。

 

 イングリッドがカウンターの上で眺める銃は、おかしいどころではなかった。

 

 

 イングリッドが手にする拳銃には稼動部分がある。なにを当たり前の事を言っているんだといわれるかもしれないが、黎明期の「銃」には稼動部分なんかなかった。青銅製の筒に撃発用の火種を入れる穴がいているだけとか言うのが最初期のころの「銃」である。所謂「手砲」というやつで、その言葉から想像されるとおり、最初期の銃とは砲の小型版だったのだ。

 火砲というものは、まず持って据え置き型の砲から歴史が始まっている。それをそのまま小さくして初期の銃が生まれた。

 野戦砲はごくごく最近(イングリッドの印象から言っての話である)になるまで、火砲としての本来的な機能部分には稼動部品絶無と言う状況だったから、それを模して小型化しただけの銃に稼動部分がないのはおかしなことではない。

 しかし、それでは不便過ぎた。発砲するのに蝋燭を近づけたり、火縄を押し込んだりする手間が必要では、銃を両手で保持できないという事である。現代のアサルトライフルであっても両手で保持しなければまともな命中率を得られないのは常識だから、初期の手砲とやらがどういうものであったか想像するのは容易い。

 手砲と言いながら結局は、実戦では2人がかりで運用して初めて実用的な能力を発揮したというのだから、手砲を銃とは言い難い。だからこそ「手砲」と呼ばれたのである。

 手砲が銃に進化するには、発射装置の装備が必要だった。トリガーとそれに連動する着火装置の発明が銃という機械の発生に繋がった。

 

 そこから先は良く知られていることである。

 火縄を保持してそれをトリガーと連動させる簡単な装置から発展して、火打石を利用したものに進む。一回だけ火花を飛ばしても不発が多いので、ぜんまいと組み合わせて連続して火花を飛ばす装置が発明されるが、それほど時をおかずに、雷管が発明されてパーカッション方式が考案される事によって、手間が無くなった。

 しかし、パーカッション式は稼動部分に対する衝撃が大きいので、衝撃を逃しつつ確実に作動する機構が模索された。冶金技術の進展と製品の品質管理技術の進展が合わさって薬莢が発明されると、銃に内蔵される稼動部品は劇的に増えた。ボトルアクションによる手動連発銃に至ると、銃というのは複雑精緻を極めた工業製品となる。

 冶金技術が更に進展すると一転、今まで複数の部品に分けておく必要があった部品を一つにまとめて問題なく運用できる事から、銃に備わる部品が減ることになったが「突撃銃」の開発が更に状況をひっくり返す。

 またぞろややこしい部品が増えた銃は、ある一時期工業製品としては不合格だとしかいえないほどに不安定な「機械」になってしまうが、新たな発想や発明が工業製品としての銃を救う。またまた部品点数が少なくなった銃は、それなりに安定した()()となって現代に至る。

 これは小銃の歴史である。

 

 他方、拳銃についてはその歴史にいろいろと厄介な問題が突いて回る。

 

 据え置き型の野戦砲も固定式の要塞砲を小型化したものが始まりであるから、銃火器の歴史とはそのまま小型化の歴史であると言い換えられるかもしれない。

 要塞砲、野戦砲、手砲、小銃、榴弾拳銃、拳銃と歴史は進む。

 そのなかで拳銃のみを概観すると、その歴史はつねに必要意義を問われ続けて揺れ動いた歴史と言ってよい。

 火縄銃が銃の全てであった時代、拳銃の存在意義は、騎兵による強襲火器であった。前装式しかない時代では、後代のカービン銃的発想で短小銃を作ったところで殆ど意味がないから、思い切って小さい小銃を作ってしまえという発想から、結果として拳銃が生まれた。現代拳銃において重きを成す「護身具」としての役割は欠片も存在しなかった。

 火縄が「生きている」状態でなければ発砲不可能な「拳銃」は護身具としては失格である。

 護身具としての機能が必要な場面で火種を起こして火縄に着火してなんて手間をかけていたら、ブスリと刺されてお終いである。

 

 フリントロックタイプの拳銃も、本質的な存在意義は騎兵用の火器であった。一発撃ってお終いでは、護身具としての実用性が低過ぎた。フリントロック方式では火縄よりも不発率が上昇したという現実も大きい。

 ホイールロック式が発明されて不発の問題は一応は解決されたが、単発であるという問題は解決されなかった。長銃身の小銃であっても命中率の低さを数で補うのが普遍的戦法であった時代であるから、拳銃の命中率もお察しくださいだった。護身具にはなりえない。

 しかし、そのころからやたらと拳銃がもてはやされる事になる。

 

 決闘文化の成立である。

 

 実は、決闘が文化として定着して皆々様方において喧嘩だ、すぐさま決闘だと言い出すようになったのは中世後半の事である。既に拳銃が存在した時代だ。極普通の貴族であるならば、まあ簡単と言ってよいレベルで前装式拳銃が手に入る時代である。以降、拳銃の歴史とはすなわち、決闘の歴史と言い換えてもおかしくない状況となる。

 戦場で弾幕戦法が普通となると、騎兵は拳銃を捨て、機動力を生かした迂回戦法や、マスケーターが近接して殴りあう状況での突破戦闘に戦法を移行したから、決闘文化が花開かなかったら拳銃の歴史が途絶えた可能性すらある。

 拳銃の命中率が悪く、しかも一発撃ってお仕舞いと言う根本的欠陥は決闘という喧嘩に対してまことに都合がよかったのだ。拳銃を使った決闘による当事者の死傷率は1パーセントを越えなかったというから、決闘文化の本質が垣間見える。どんなに大きな問題を抱えた決闘であっても互いに当たらない拳銃を向け合って、バーンとやればそれで全て水に流せるというのであれば貴族社会における潤滑剤として非常に有益であったのだ。しょっぱい現実である。

 本気で相手を殺したいと思う決闘であれば刀剣を使ったものになるわけで、記録上、刀剣を使った決闘は非常に凄惨な結末になることが多かったようである。かなりの確立で当事者双方が命を失ったというから、華やかさも優雅さも無い話である。

 

 しかし社会情勢が不穏になってくると、拳銃に護身具としての能力を求める声が出てくる。何もない状況からであったら、護身具を拳銃に求めるなんて発想は出なかったろうが、遍く貴族が決闘用に拳銃を所持している状況では、決闘と言ういつ起きるかわから無い事のために死蔵しているものに、別の役割を持たせたら便利、という考えはわからなくもない話である。このころから連発式拳銃が模索される事になる。

 

 最初に考えられたのは単純に、銃身を多数持った拳銃である。多数の銃身から一発づつ発射するのではなくて、同時に多数の銃弾を発砲して命中率をあげようと言う発想である。

 マスケットでは2つ玉という、一つの銃身に2発の弾を込めて、一種の散弾銃とする考えがあったが、拳銃程度の銃身長でそれをやると火薬の爆発エネルギーが弾に伝わりきる前に銃口を出てしまい、威力が激しく減退してしまう事がわかったので、銃身を増やしてしまえという発想になったのである。

 しかし、弾の挿入方法は変わらないので、一度発砲すると、再度使用可能な状況にするのは非常な手間となった。タマに使うかどうかと言うのが護身具なのであるからタマの装填が難しい事なんかはどうでも良いじゃないかとも単純には言えなかった。

 装填したままでは火薬が湿気ったり、劣化したりでいざと言うときに発砲できないとなってしまうので、定期的に中身を入れ替える必要がある。となると酷く面倒な話である。

 貴族なのだから使用人に任せてしまえばいいではないかというのも乱暴な話だ。いざと言う場面で不発でしたといったら眼も当てられない。最終段階で自分の命を守るかもしれない道具である。それを他人に任せるのは、よほどの馬鹿である。よって、拳銃の整備に少なくない時間を取られる事になってしまう。

 また多砲身拳銃は重く嵩張り、体裁も悪いという問題もあった。

 それでもタップアクション拳銃が発明されると、ある程度の期間は命脈を保つ事になる。

 タップアクション拳銃は銃身の数がそのまま持続発射可能な弾数になるので、護身具としては相当に実用的な武器となったのである。

 タップアクションの発想は現代的な考察からすると、リボルバーの薬室部分を分離して、銃身に振り分けるような発想であるから、つまり、リボルバー拳銃が発明される下地が出来たわけである。ペッパーボックス型リボルバーは、装薬と弾丸を一つの銃身に振り分けて、銃身を回す事でタップアクションを単純化してしまったのであるから、最初からリボルバー形式が考えられなかった事がおかしいといえるかもしれない。

 

 何故リボルバーが最初に開発されなかったかと言えば、工業水準が低かったために、同一口径の銃身を多数作ることが難しかったからで、中世の工業製品としては例外的に精緻な機構のタップアクションも、ハンドメイドで作ることは可能であったから、口径の違う銃身にそれぞれ装薬を振り向ける機構のほうが都合がよかったのである。

 ペッパーボックス型は極めて単純な発想であったが、それを実際に実現するためには技術革新が必要であったのである。

 ペッパーボックス型から、薬室部分のみを回転させる事で全体としての軽量化を考える事も自然な流れだったが、薬室部分と銃身の隙間を、許容できる範囲まで狭める技術がなかったことで、普段現代人がリボルバーといわれて思い浮かべる拳銃の形に行き着くのは酷く時間がかかってしまう。ハンドメイドで現代的リボルバーの形を成した拳銃や、ライフルは、すでに1600年ごろには存在していた事が確認されているが、恐ろしく高価であった。非常に腕のいい職人が半年から一年がかりで手を入れて創り上げるような代物だったというから、一般に普及することはなかった。

 工業技術の進歩が発想に追いついたのは19世紀中期で、まともな大量生産工業製品としてリボルバー拳銃が世に出たのはコルトリボルバー・ウォーカーモデルが最初だと思われる。

 例外的に17世紀中期にイギリスでスナップハンス式のリボルバー拳銃が一定数量産されているものの、やはり職人の手によるもので、価格を抑えてそれなりに多数を備える必要性から精度が甘く、中には薬室から発射された弾が銃身に詰まって、その衝撃で銃身だけ前に飛んでいった事故が報告されているから実用性ではクエスチョンをつけざるを得ない。

 ウォーカーモデルが真に実用的な拳銃として体裁をとれたのも、工業技術の発展による一定品質の部品が大量供給可能になったという事実以外に、雷管の実用化という科学技術の進展と言う部分も大きいから、拳銃が現代の拳銃としての姿を取るにはまことに多くの工業化学技術の発展が必要だったわけである。

 

 

 さて、イングリッドが見つめる拳銃である。

 パーカッション・リボルバー式で、撃鉄が外にないのだからダブルアクション専用と言う事で間違いないだろうと思われた。実際に先ほどの動作確認では、間違いなくダブルアクション特有の動作を見せた。

 イングリッドが驚いたのは、拳銃のフレームが一体整形をなしていることである。驚くべき事に、パーテーションラインが見当たらないのだ。しかも通常はフレームに捻じ込む形になる銃身すら一体整形と言う驚くべき形態を持っていた。違和感を感じないわけが無かった。

 センターガンとリボルバーの切り替えを行うトグルも、ムクの鉄材に唐突に開けられた穴から顔を覗かせているに等しい状況だ。非常に凝った方法でうまい具合に分け目を隠しているのかと思ったイングリッドは、オーレリーから受け取ったそれを右に左に裏返したりして―――無論、銃口は常に人がいない場所に向けられたままである―――工業製品として当然あるべき分割部分を探したのだが……。

 

 「……分解できそうにないの」

 

 赤い眼をくりくりと躍らせながら、驚きを隠せずにイングリッドは呟いてしまった。まったく信じられない事だった。

 

 稼動部分があるのである。つまり、それを動作させるための機構がなければおかしい。その部品を組み立てるには拳銃の外側を分解できなくてはいけない。

 イングリッドが知っている拳銃はモナカのように外側を分割できた。皮の部分が拳銃の外観をなす躯体であり、アンコがシリンダーと撃鉄を動作させる機構となる。

 そういう構造でなければイングリッドの知る常識の範囲内では拳銃は製造できない。まさかボトルシップではあるまいに、トグルスイッチの顔を見せる小さな穴からちまちまと部品を押し込んだとも考えられない。イングリッドが見たところ、驚くべき事に、シリンダーとそれを回転させる支柱も一体整形だった。その外側のフレームも一体整形であるから、どうやってシリンダーをフレームに押し込んだのか想像も付かない。トグルスイッチについても同様であった。

 あまりにも得体の知れない構造に気がついて、イングリッドは背筋を震わせてしまった。背中に冷や汗が出る気分だった。

 そもそもかなり複雑な外観を持つ躯体が銃身まで含めて一体整形である。外側に大きな銃口を開けた2本の銃身はまだわかるとして、手元の構造はさっぱり理解出来ない。見たところトグルスイッチ、トリガー、撃針。それらが顔を見せる部分しか穴が空いていない、内部に稼動部分を持った中空一体整形製品というわけがわからない構造なのだ。

 3Dプリンターを使えば、そういう構造を再現することは不可能ではない。しかし稼動部分を内蔵することはほぼ不可能だ。3Dプリンターが更に技術的に発展すれば、開放不可能な中空部分にギアやカム等の稼動部品を内包する事も将来的には可能となるかもしれないが……。

 

 イングリッドは拳銃にせよ小銃にせよ、生産する現場を見たことがあった。というか実際に生産した。生産現場で作業者として従事したのだ。

 ハンマーを踏んで部品を製造した事もあるし組立工場で旋盤を回したり、ボルトを締めたりした事もあるから、単純な発想で、単純な外観を持つリボルバー拳銃が実は相当に高度な工業技術の賜物である事を理解している。

 リボルバー拳銃の存在を手にしたことで、ハルケギニアの工業技術レベルを19世紀後半と見積もったイングリッドだったが、その構造の特異さ、いや、異常さに思考が追いつかなくなりそうだった。地球の技術ではほぼ再現不可能な構造を、イングリッドの手の中にある拳銃は見せている。頭がどうにかなりそうだった。

 困惑するイングリッドを見てオーレリーが小さく笑みを浮かべた。

 

 「この拳銃は、テルアメイム工房一の職人。エマメルが作った一品物でございます」

 

 その言葉にどう反応して言いか判らないイングリッドは動揺したままに、手を出したオーレリーに拳銃を手渡した。

 オーレリーは拳銃を出来のいい美術品を扱うような仕草で、ゆっくりとまわす。

 

 「見てのとおり、美しい設えでございます。エマメルは腕の良いトライアングルメイジでございますから」

 

 グリップをイングリッドのほうに突き出して見せる。

 

 「この通り。木製の滑り止めのみは別の職人の手によるものですが、全体の構造は、土魔法で一気に錬金した物でございます」

 

 その言葉にキュルケが感嘆の声を上げた。

 

 「へー。すごいのね。エマメルって」

 

 その声にイングリッドは顔をキュルケに向ける。

 

 「ん……その、すごいとなのかや、それわ」

 

 衝撃が抜けることなく、それが行動にまで影響が出てしまったイングリッドは、ぎこちない仕草でキュルケに目線を合わせる。おかしみを感じさせるイングリッドの姿に刹那首を傾げて、頭を捻ったキュルケは、ふと、何かに思い至って勝手に納得したように首を振り、小さく笑みを浮かべた。

 

 「うん。すごいわこれ。コレだけ複雑な形と構造を持った物を破綻なく錬金出来るのは、ただトライアングルメイジだって言うだけでは無理よ。

 相当にイメージを強く持って、作りたいものの構造を隅々までわかって、確固たる設計を頭に描かないと、まともに動くものにならないよ」

 

 その言葉を受けて、オーレリーが大きく頷く。

 

 「そのとおりです」

 

 オーレリーはエマメル作の拳銃をマットの上におくと、僅かにかがんでカウンターの下をまさぐる。すぐに目的のものを手にして、それをカウンターの上に置く。

 

 「こちらが一般的な拳銃になります」

 

 無骨な外観を持つそのリボルバーは、イングリッドがぱっと見ただけでもごく普通の構造を持っていた。

 つまり、各所が個別の部品に分けられて、ねじ止めされていたり、捻じ込まれていたりと、工業製品としてごく普通だった。

 外見上、地球のリボルバーと顕著に異なる点としては、中折れ式と思しき支点がトリガーの上にあり、どうも銃身を跳ね上げる形態のようである部分が不思議だった。

 

 「ん……ごついの」

 

 オーレリーが頷く。

 

 「はい。部品を各々の職制に応じて錬金する、大量供給品ですから、どうしても精度が甘くなります」

 

 フレームとシリンダーの間を指差す。

 

 「このように、どうしても遊びが大きくなりますし、仕上げも、やすり掛け等の手間をかけてますので荒くなります」

 

 外に露出したハンマー部分をイングリッド側に向けると、分割線を指差す。

 

 「部品を組み付ける作業は手分けして労働者が行いますから、それだけ大量に生産できます。つまり価格もそれだけ安くなるわけですが、精度が落ちますから、能力もそれなりと言う事ですね」

 

 その「大量生産品」と「エマメルの拳銃」を見比べたイングリッドはシリンダーを指差した。

 

 「つまり威力も低いというわけじゃな」

 

 その言葉に一瞬、大いに驚いたオーレリーは一転、笑顔を浮かべて頷いた。

 

 「そのとおりでございます」

 

 その言葉に眉を跳ね上げたルイズが慌てたようにイングリッドのすそを引いた。

 

 「えっ!なんでそれで威力が小さいとか言う話になるの?」

 

 イングリッドはルイズに身体を向けて視線をあわせ、一瞬、それを外してオーレリーに向ける。

 それで意図を察したオーレリーが拳銃を差し出した。イングリッドがそれを受け取った時点で彼は、直ちに身体を右に……イングリッドから見て左に避けた。それを確認して、イングリッドは銃身を店の奥に向けた状態でルイズの顔の前に差し出す。

 

 「見るが良い。この隙間の広さを」

 

 疑問符をあからさまに顔に貼り付けたルイズが頷く。

 

 「うん、見たわ。大きな隙間……なのかしらね?」

 

 その言葉にイングリッドは苦笑する。確かに、その銃身とシリンダーの間にある間隔というのは、例えばドアと壁の間にある隙間などと比べればずっと小さな間隙であった。

 

 「うむ。この隙間と言うのはな、シリンダーが回るためには必要不可欠なものじゃが」

 

 そう言いつつ銃を持ち上げて店の奥に差し向けて引き金を引く。

 

 「とまあ、トリガーを引けばシリンダーが回転し、弾が発射されるが」

 

 左手で住を手にして右手を銃身に沿え、再びルイズにハンマーを向けて銃を差し出す。

 

 「シリンダーと銃身の間が広いとだな、発射薬の爆発したガスが隙間から漏れて、それだけ威力が落ちるのじゃ」

 

 左手で「エマメルの拳銃」を指差すとルイズも視線をそちらに移す。キュルケもタバサもそれに釣られて視線を動かした。

 イングリッドの経験では、先込め式のパーカッションリボルバーに装弾する際にグリスを塗りこむような作業が必要だったはずだと思い出す。それを手抜きすると、発砲した瞬間にガスが噴出して顔面を焼いたりする事故に繋がるのだ。

 

 「こちらは殆ど隙間がないじゃろ。じゃがシリンダーの大きさは対して変わらない。ということは発射薬の量もそれほど変わらないはずじゃな。

 と、なればじゃ」

 

 タバサがそれに被せて後を引き継いだ。

 

 「力が伝わる量が多い」

 

 イングリッドはタバサに目線を合わせて小さく頷く。

 

 「同じ発射薬の量なら、隙間が小さいほうが威力は増すの」

 

 その説明にルイズは「ほへー」と声を上げた。

 

 

 オーレリーもキュルケも自身の驚愕の表情を勘違いした事に理解が及んで大いに納得したイングリッドだった。

 どうやら、イングリッドが「エマメルの拳銃」に驚愕したのは、その精巧なつくり故と理解したのがオーレリーのようである。

 イチから魔法で創り上げた故に精巧にして精緻なつくりを見せている事に、イングリッドの理解が及ばずに驚愕していたのだと理解したのがキュルケだったようだ。

 その勘違いの説明であっても、イングリッドが感じた驚愕の説明は得られたからそれでよかったとも言える。結果論ではあるが。

 

 魔法。

 

 錬金とは土魔法の持つ能力の一つであるとイングリッドは理解している。しかし個人のイメージをココまで再現可能となると凄まじいの一言である。そういった部分では明らかに、現代地球の工業技術の上を行っていると断言しても間違いないと思われた。

 

 どこまで技術レベルが優越しているかまでは理解しがたいにせよ、しかし、当然と思える疑問をイングリッドはオーレリーに向ける。

 

 「しかし、この拳銃は、日常的な整備をどうすればいいのじゃ?」

 

 右手に持った拳銃をカウンターに置きつつ、左手で再度、エマメルの拳銃を指し示す。

 オーレリーはエマメルの拳銃を手に持った。

 

 「かなり強固な『固定化』がされていますから、殆ど整備は不要ですが……」

 

 オーレリーは僅かに困った表情を顔に浮かべて、首を捻る。

 

 「1000発程度の射撃でどうなるものでもないのですが、何か問題が起きれば工房に持ち込むしかないでしょうね」

 

 固定化。

 まったく理解出来ない概念が出てきてしまい、イングリッドは一瞬、眉を跳ね上げる。無表情のままルイズに顔を向けると、彼女はイングリッドの疑問を察したようであった。小さく頷く。

 

 「後で、ね。教えるわ」

 

 その言葉に僅かな溜息を吐いてイングリッドも小さく頷き返した。

 その2人の交感の意味を理解できなかったオーレリーは再び首を傾げた。

 

 




 文章を増やしたり減らしたり。
 説明を端折ったり付け足したり。
 いろいろと試行錯誤しましたが、結局はこういう書き方しか出来ないのが自分だと諦めました。

 随分とあがきましたが、もう、こういう作風で突き進む事にします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。