ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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初めてのお買い物(2)

「武器屋に行きましょう!」

 

 コーヒーハウスで一息つく4人の中で、突然ルイズが宣言した。

 カティモールに似た、ハイブリッドらしき渋みを「楽しんで」いたイングリッドは、そんなルイズの姿を認めて訝しげに眉を上げる。

 出発前の学院でも、到着時の飛竜場でも、そしてパレス・デ・レ・アルの入り口でも、アレ、コレ、ソレとばかりにいろいろあったため、時刻は既に昼食時間に踏み込んでいた。何のために朝食を素早くかき込んだのか。イングリッドは内心で愚痴る。

 そうであるがために、単なるカッフェに過ぎない店内は閑散としていた。カッフェは所詮カッフェ。軽食を軽く掻き込んでというならともかく、昼食を取るには不向きであるし、それを曲げておなかいっぱいにしようとすれば馬鹿みたいにお金がかかってしまう。貴族たるルイズたちであっても食事をするのにカッフェでは、流石に馬鹿馬鹿しい選択である。勿論の事大多数の「平民」にとっても食事を採る場所としてカッフェが選択肢に上ることはない。よって世の中の大多数の人間が昼食を取るべき時間と定めた今、ルイズたちが座るカッフェは暇そうだった。休憩の場としてコーヒーハウスをキュルケが選んだ意義は、その「空いていた」という点が大きい。

 

 イングリッドが何故そういった感想を弄ぶのかと言えば、カッフェで昼食と言う選択が存外に「悪くはない」選択肢になりうる()()があるからである。

 具体的に言えば、数日前まで自身が存在した日本である。

 正確に言えばカッフェではなく喫茶店であるが、日本の「喫茶店」という店舗形態もあるころから確かに「カッフェ」だった筈とイングリッドは思い出す。しかしいつのころからかどこかでおかしくなった。それがどれくらい前の事だかイングリッドには正確に思い出すことが出来なかったが、気がついたときには日本における喫茶店と言う店舗形態を採るカッフェは、朝昼晩と食事をしてしまっても十分に満足がいくような「異常」さを呈していた。

 そしてイングリッド自身も気がつかず、特に疑問を思うこともなく便利に利用していた。

 特に朝食をたしなむ上では便利で済ますにはあまりにもサービス過剰だった。それでよくもまあ店を維持できるものだと慨嘆したものである。

 

 無論のこと、あの「世界」においても日本の喫茶店と言うものは飛び切りのイレギュラーであったから、イングリッドは端からハルケギニアのカッフェに期待するところはない。

 初めて訪れた喫茶店でその店独自の味を主張するカレーやら焼きそばやらを楽しみにしているなんてことはない。

 厨房からあの独特なしつこさをかもすソースの匂いがしない事に、わずかながらの残念を思ったりなどと言うことはない。 

 ルイズが気がついてしまうほどに、イングリッドがこの世界のカッフェに微かな落胆を感じて表情が沈んでいるのは、まったくの気のせいである。

 

 

「昼食はどうするのじゃ?」

 

 お茶請けとして脇に添えられた豆菓子を口に投げ込みながら、店の外を眺めるイングリッドの視界に、人気の少なくなった市場が見える。日差しが降りそそぐ通りには、買い物を終えて荷物を下げた男女がせわしなく行き交うが、その人数は少ない。

 買い物をする場所がことごとく閉まっているので、足をとめる者が絶えた風景はどことなく物悲しかった。ほとんどの店がシャッターを下ろしていたし、屋台も店番であろう歳若い子供が暇そうに椅子に座って、足をぶらぶらさせている光景が見て取れるだけだ。店主は食事に行っているのだろう。弁当のような文化が薄いと見えて、イングリッドの視界に入る範囲内では、本来の店主が屋台の中で軽食を取っているような姿は見られない。

 

 かく言うイングリッドも、弁当文化にはそれほど馴染みがある訳ではない。日本で活動する時であってもコンビニエンスストアで棚に並んだ弁当を見て、当初は胡散臭い目で眺めた位だった。軍用食じみたパウチ物かと思ったのだ。

 そもそも調理済みの惣菜や食品が棚に並んでいる風景と言うもの自体に馴染みが薄かったイングリッドである。お菓子やドライフードならともかく、ナマモノに近い状態の調理済み食品というのはイングリッド個人の理解出来る範囲を超えていた。

 イングリッドの経験では、調理済みの食材が並んでいるとなると、パンとかケーキぐらいがそうであっただけの時代を過ごした期間が長かったのだ。ふっくらおいしく焼き上げたパン等は、数日どころか十時間弱でカラフルな見た目になる事もあったが、長期間保存を前提としたパンの中には、痛んだところをより分けてしまえば半年ぐらいは「食べられなくは無い」なんて物があった。ケーキに関しても同様で、極めて特殊な製造法を持って作られた【不確定名称:ケーキ】の中には10年ぐらい、場合によっては100年ぐらいは元のまま形も味も保てる「何か」がある。そこまで行くとケーキとは言い難いし、お菓子とすら言えなさそうだが「ケーキ」として売られていたのだからケーキなんだろう。

 食べる事が目的と言うよりお供えもの的な意義のほうが大きいそれらは、それでも一応は食べる事が出来た。大規模災害時や、飢饉の際にそれらを食することで命を永らえる事が出来た例があるので、まさに保存食である。

 後は漬物とか醗酵食等で保存が効くものがあったが、それらは店で売られるよりも各家庭で自家製造される場合が大半であったから、どちらにせよイングリッドが店で調理済みの食材を買う経験には繋がらなかった。

 調理済み惣菜を買い込めば、食卓をそれとなく飾れるという日本の食文化はイングリッドの個人的印象としては、一種異様であったと感じたし、食事一食分が「箱」に収められた姿はイングリッドの知る常識からすれば、胡散臭いどころではなかったのだ。

 

 日本で活動拠点と定められた、組織が指定したマンション等で比較的長期間一人暮らしをする際であってもイングリッドは、一々スーパーマーケットに足を運んでは生鮮食料品を買い込んで自炊していた。イングリッドの外見からすると想像し難たい事ではあるが……さくらやかりん等は手早く料理を作るイングリッドの姿を見て、失礼にも仰け反るほどの驚愕を見せた。まったく無礼な話である。そもそものイングリッドのあり方からすれば、自炊能力があるのは当たり前なのだ。

 スーパーやデパートの食料品売り場の惣菜コーナーや、都市部の街角ですら大々的に弁当が売られるようになって初めて、なんとなく弁当に手を出したぐらいだ。実際に食べてみると意外なおいしさにイングリッドは驚嘆した。一人暮らしでの自炊に於ける様々なリスク……買い込んだ材料を使いきる前に駄目にしてしまったりする事態や、一食あたりの消費金額。材料費だけでなく燃料費や自身食事を作る手間隙。さらには一時的な仮住まいに冷蔵庫だのコンロだのを用意する出費を天秤にかけると、場合によってはワンコイン―――500円以下で買えてしまう弁当の簡便さは魅力的に過ぎた。

 以後、数ヶ月程度の短期的なステイである場合、日本での活動時限定ではあるものの、イングリッドは弁当の熱烈な愛好者になっていた。ただそれも、ここ10年、20年程の()()期間である。

 

 そういう便利なものが存在しない世界である。皆、いちいちレストランやらに足を向けて食事休憩となっているのだろう。

 

 

 キュルケが選んだコーヒーハウス周辺には、同じようにテーブルを並べたオープンカッフェが多かった。この辺は地球の風景と変わらない。同じような店舗が軒を連ねると、相乗効果を発揮して客が入りやすくなるのだろう。屋台に関しては空いている場所があれば割り込んでしまえとばかりに適当な店構えを見せているが、建物内に入っている店舗は基本的に、区画によって売り物が偏っていた。

 食料品店が偏っている区画、玩具店が偏っている区画、アクセサリー店が偏っている区画。そういった具合で、この周辺は、コーヒーハウスやコーヒー豆の専門店などが多く軒を連ねていた。街路いっぱいにコーヒーの独特な香りが漂っている。

 コーヒーの出所に関して、イングリッドにもいろいろと思うところはあったが、それに関する詮索は諦めていた。この手の嗜好品に関する細かな歴史的背景なんて、イングリッドは考える事がなかった。単純に知らないのだ。原産地がどうとか、どのようにそれらが広まったかに関する知識があれば、イングリッドもいろいろと頭を悩ませる事態になったであろうが、無知である以上はどうしようもなかった。だいたい、その手の話で頭を悩ませるような事態に陥る可能性がある等とはそれこそ想像の埒外だった。イングリッドの手落ちとは言い切れない。

 

 イングリッド達が腰を落ち着けている店は、ごく普通のカッフェらしく、店内にテーブルを広げているが、店先の通りにも遠慮なくテーブルと椅子を張り出させている。そのあたりのモラルとかルールとかがどうなっているかについて、イングリッドには微かな好奇心があったが、店員を呼び寄せて聞いたところで曖昧な答えしか帰って来そうに無い想像があったため、眺めるに留めた。

 アレコレと想像を膨らませるイングリッドに、当初の疑問に答える形でキュルケが声を上げた。

 

「今、昼食を食べに行ったらさ、迷惑になっちゃう」

 

 キュルケが肩を竦めた。イングリッドはその言葉に首を傾げる。

 

「どういうことじゃ?」

 

 イングリッドがキュルケに視線を移すと、何となくと言う勢いで外を眺めるキュルケが右手で鼻を掻いた。どこと無く苦い表情が浮かんでいるのが見て取れた。

 

「イングリッドに教えてもらうまではさ、気がつかなかったんだけど……」

 

 左手に持ったコーヒーカップをソーサーに置いて、キュルケはイングリッドに向き直る。ソーサーに置かれたスプーンが小さな音を立てた。ルイズがそれを聞きとがめて微かに眉を上げたが、それだけの反応で留めた。貴族の社交の場でもないので、見逃したのだろうか。

 

「思い出してみるとさ、どんなに混雑していても、私が店に入ると必ず空いている席があったのよね」

 

 そう言いながら両腕の肘をテーブルに置き、立てた手の上に顎を乗せてキュルケはイングリッドを見つめた。

 

「あれはきっと貴族の……私達のために無理やり席を空けていたのではないかしら」

 

 「んん……?」とイングリッドは唸ってしまった。ルイズもそういった状況に覚えがあるのか、そっぽを向いて鼻を掻いている。タバサはカップを両手で抱えてコーヒーをすすっていた。

 

 イングリッドは頭を捻る。そういうことがあるだろうか?飛竜場での厳密な区分け。学院での平民と貴族の間にある深い谷。市場内での平民達が4人を避ける動き。それらを思えばありえそうな話である。

 ただし、イングリッドの想像では考え過ぎではないかとも思う。いつかやって来るかも知れない極僅かな可能性のために、そういう場合専用に場所を空けている可能性がある。余程にボロイ店や、狭い店ならいざ知らず、ある程度の広さを持った店ならばテーブル一つぐらいを常に空けておくことは難しくない。これはヨーロッパや中東あたりでの経験上の話で、店舗規模で、大きな面積を取れない場合が多い極東地域でどうなっているかに関しては、イングリッドは経験が無いために想像出来ないのだが。

 

「ん、しかし、市場内には貴族向けの店と言うのはないのかや?」

 

 そのイングリッドの言葉にしかし、ルイズは首を振って否定する。

 

アール・ド・トリステイン(パレス・デ・レ・アル)は庶民の場所よ。それはまあ、ね、旧市街に近いところだからさ。店のレベルも高いし、周辺に住んでいる人の所得も高いんだけど、あくまで庶民向けよ。庶民向けにしてはレベルが高い、ってトコ。貴族が直接モノを買いに来る事は少ないから」

 

 その言葉を受けてキュルケが両手を仰ぐ。

 

「私達学生はさ。貴族とは言っても、自由になるお金なんて高が知れてるから、一々小トリスタニアの中まで足を延ばすことなんてほとんどないし、トリスタニアで買い物って言ったらパレス・デ・レ・アルで済ませちゃう」

 

 足を組んでテーブルを見つめ、頭を撫でるキュルケ。いちいち芝居がかった仕草だったが、キュルケの外見には事のほか嵌まった姿だった。すべて計算ずくなのだろうか?

 昨日、昼食後の会計を思い出して「高が知れている」の「たか」がどこにあるかを疑問に思うイングリッドだった。

 

「まあね……普通の買い物は学院内や学院周辺でなんとでもなっちゃうから、パレス・デ・レ・アルに足を延ばすことなんて殆どないし。馬でトリスタニアに出たら往復だけで2日、買い物だけで1日。全部で3日はかかるから、長期休暇でもなければ王都に出ることなんて滅多にないんだけどね」

 

 キュルケの独白にも似た言葉に、身体を伸ばして椅子の背もたれに強く背を預けたルイズが、顎を扱く。木製の椅子が微かな悲鳴を上げていた。

 

「そうね。乗り合い竜籠は予約をしないと、まず使う事もできないし、そもそも緊急事態に優先されるから、予約自体を躊躇っちゃうし。虚無の曜日にちょっと買い物。では、トリスタニアは敷居が高いわね」

 

 そう言いつつルイズも目を細めてテーブルを見つめる。ソーサーの上に置かれたカップから、香りと共に微かな湯気が揺らぐ。装飾より実用性を重視した分厚いふちを見せるカップは、コーヒーカップとしては底が深く、随分とゴツイ。イングリッドが見ても明らかに保温性が高そうで、中身が半分以下になった現状でも、残されたコーヒーは未だに熱を残している事が見て取れた。

 何かを思い出すように、頭をさするルイズ。キュルケと同じような仕草を見せるその姿は、外見のみを比べればまったく似ていない筈の2人の印象を姉妹と思わせた。イングリッドはソレを見て微かな笑みを浮かべる。

 それには気がつかずにキュルケが天を仰いで、顔を右手でさする。

 

「ああー、今考えると私。なんて能天気だったのかしら」

 

 普段、トリスタニアでショッピングをしている時の自分の姿を幻視したのか。キュルケは顔面にあった手を上に滑らせて、頭を乱暴に掻き毟る。

 先程の3人の立ち振る舞いを思い出せば、イングリッドが予想する所、貴族とは随分と傍若無人なのだろう。本人達には欠片も思うところの無い行動でも、周辺が気を使ってなにくれと配慮していたのは想像に難くない。それに気が付けなかった過去を思っているのだろうか。しかしモットという悪い見本を見た後だと、自身を省みる事が出来る2人の姿は随分と好ましくも見えた。

 イングリッドは肩を竦める。

 

「まあま。次から気をつければよかろう。過ぎた事じゃ」

 

 のろのろと視線を移す3人にイングリッドは笑いかけた。ルイズが溜息を吐いて、カップに残ったコーヒーを一気に飲み下す。

 

「そうね。しょうがないよね……」

 

 ポーチに手を延ばしつつ立ち上がるルイズを、キュルケが右手で制して立ち上がる。キュルケが首を傾げたルイズにウインクを投げて、懐から自身の財布を取り出すと右手を挙げた。ギャリソンスタイルのフロア・アテンダントがそれを認めて小走りに近寄る。

 それを確認してキュルケはルイズに向き直る。

 

「ルイズはイングリッドの買い物で物入りでしょ。これぐらいは私が払うわ」

 

 その言葉に一瞬、身体を跳ねて食って掛かりそうになったルイズの鼻先に、右手の手のひらを差し出して抑えたキュルケは、微かな笑みを浮かべた。

 

「奢った、奢られた、なんて無し。コーヒーを飲みたかったのは私のわがまま。つきあわせたのは私。だから私が払うのは当然なの」

 

 「むー」と膨れるルイズをいなして、大きな銀貨をフロア・アテンダントに渡すキュルケ。頷く彼に、さらに数枚の小さな銀貨を渡す。

 小さな仕草で驚きを表すフロア・アテンダントにキュルケは笑顔を向けた。

 

「チップ。みんなでおいしいものでも食べて、ね」

 

 人好きするキュルケの笑顔を向けられて、微かに紅潮した顔をさするフロア・アテンダントの姿にイングリッドは苦笑いを浮かべながら、立ち上がりつつコーヒーを飲み干す。カップをソーサーに戻しながら肩をゆすり、崩れたカプを整える。テーブルに椅子を戻し、店先にある姿見の前に移動して覗き込み、胸のリボンを整えた。数瞬で全身を見回して、コーヒーが飛んでいないことを確認する。紫と言っても良い深い藍色の服は、僅かな汚れでも目立つ事この上ない。黒いシミがあれば酷く収まりの悪いアクセントになってしまう。それを恐れての話だ。

 

 飛竜場で地面を捲くれた時には、実のところイングリッドは無意識にフィールドを張っていた。イングリッドのあり方からすると、意識していないと防護フィールドを展開してしまう場合が多い。身を守る手管は無意識で発動しているのが常態なのだ。ルイズの傍らにいるときは常に緊張を強いられている。

 イングリッドにとって、防護フィールドを()()()()ように、意識して普段と違う状態を維持しなければならないと言うのは随分と疲れる事だった。そうではあるが、それを面倒とは思わないイングリッドだった。

 

 

 店から外に出て―――とはいっても、扉も窓も全部取り払われたカッフェで、内と外をどこで区分するかの判断は難しい。背が高い観葉植物が収まる鉢植えが、通りに広げられたテーブルや椅子を、何となく囲い込んでいる。人気が途絶えたに等しい今の状況なら問題ないだろうが、雑踏の中で人の背に隠れるテーブルや椅子があっては蹴躓いて危険である。それを防ぐための目印としての鉢植えなんだろう。それらで軽く区切られた場所から離れれば、そこは店の外。と、いうことか。ルイズが伸びをして軽い仕草で周囲を見渡す。キュルケも釣られる様に伸びをした。大きくはだけられた胸元が揺れる。僅かながら存在する通行人の中で、それに注目する人間がいないのは、この世界が本当に貴族と平民の間で断絶している証明であるかのようにイングリッドには思えた。

 

 人間の欲求の中でも、それなりに満たされた生活を送っている者ならば、最後に残される欲求となる場合が多い「性欲」を断ち切るのは難しい。興味があるとなれば、聖職者であっても手を出すのが男の悲しいサガである。少なくとも地球ではそうだった。ヨーロッパでは、王族であっても低俗な趣味のペーパーブックに、ポルノじみた創作のモデルとされて大問題になったりした。まったくの想像で下品な創作の産物が決め手となって、首を落とされた女王が居たくらいだが、逆に言えば、そういった出所確かならぬペーパーブックに下世話な期待をして眼を通す人間が、世論の大勢を形作る程に掃いて捨てる()()()には居たと言うこの上ない証明だとも考えられる。

 そういう風に大問題になって大騒ぎしたのに、数年置きに同じような騒ぎを繰り返しているのだからご苦労様である。

 イングリッドの知っている世界ではそうであるのに、ハルケギニアではキュルケのように同姓から見ても疑いようも無く抜群のプロポーションを持つ女性の、セクシャルな動作に注目が集まらない。この事実はイングリッドを緊張させる。この世界は学院でいくつか経験した内容、そこから想像される以上に、貴族と平民の立場、その差異が大きい可能性を示唆している。

 学院内部での僅かな経験のみを頼って、外部で平民に接してはまたしてもいらぬ騒ぎを起こしかねない。イングリッドはそう分析した。それが理解出来ただけでも、今回の外出は得るところが大きかった。やはり学院内部は閉塞空間に過ぎないのだ。文化レベルの推測を散々混乱させただけはある。

 

「さて、どっちに行こうかしら?」

 

 キュルケが左右を見渡す。ルイズがそれに近寄って、同じように首を回した。タバサが自身の杖を引き寄せて、ことさら場所を取らないようにと配慮を滲ませて2人に身を寄せる姿が愛らしい。

 

「装飾剣を見に行っても仕方が無いし、実用向けの武器屋って、どこかにあったかしら?」

 

 ルイズが額を揉みながら、首を傾げる。キュルケも空を仰いで顔を顰める。ハルケギニアの貴族としての通常のあり方からすれば縁遠いどころではない店を探せと言うのだ。身を守ることすら魔法を使うのが常態というのであれば、確かに護身具としての武器に対する興味はありようがない。少なくない回数トリスタニアに訪れている2人でも、確かに存在するが興味が無い店と言うのはそも、存在していないも同然だった。記憶に無いのだろう。頭を捻り続ける。

 腰に手をやってさり気無く周囲に気を配るイングリッドだったが実のところ、それぐらいしかやる事が無い。市場のどこに何があるかなんていうのは予想する事すら出来ない。こういう「庶民の生活」に関する事柄に疎いと言う点ではイングリッドは、ルイズ達と大同小異と言ったところだった。

 

 イングリッドと言う人間は、ある国のある都市で路地裏に望まず紛れ込んでしまったりすると、頭の中で絶対位置を推定出来ているのに、目的の場所に向かうのに、凄まじい勢いで明後日の方向に走り出す事があった。

 自信満々の態度で選んだ道の先で袋小路に突き当たったり、全然違う場所に向かう道路に出てしまったりと、迷子になったも同然に右往左往する事を繰り返した。ある程度以上の生活能力がある人間なら、経験に照らし合わせて、このあたりならパン屋がある、このあたりならガソリンスタンドがあると、それなりに確度の高い推測が出来るものだが、イングリッドはそういう方面で勘を働かせるのが大の苦手だった。

 自身の任された仕事上、ありとあらゆる地域に足を延ばして、広く浅い知識しか持たないから仕方が無いのだとは言い訳出来ない。とにかく永い人生を送っているのだから、ありとあらゆる場所でそれなり以上の経験をつんでいる筈なのに、迷子に等しい遠回りをする。グランド・セントラルからタイムズ・スクエアに向かって歩いて行った筈が、川辺に突き当たって遠くにある自由の女神を眺めたりするのだから滅茶苦茶である。

 自身にやたらと時間の余裕があるという自覚が悪い方向に顔を出した結果だった。ハルケギニアに出でた根本的理由となる、秋葉原をうろうろしていた理由からして、神保町方面から東京駅を目指して迷子になっていたいう事実があった。何故地下鉄を使わないかと言われてもイングリッドは困ってしまう。壁をぶち抜いて構わないと言われない限り、地下鉄とか地下街はイングリッドにとっての鬼門なのだ。

 しかしイングリッド自身は、東京の神田周辺で迷子になっていた事実を綺麗さっぱり忘れ去っていた。そも、あの時あの瞬間に、自身が迷子になっていたのだと言う自覚すらなかった。

 

 

 あーでもない、こーでもないと結論が出る筈も無い議論をする2人を見てタバサは溜息を吐いた。傍観するに任せるイングリッドを横目にタバサは、杖を揺らしながらキュルケの裾を引っ張る。「ん?」とばかりに見下ろしたキュルケの視線を受けて、タバサは左手で先を示す。

 

「あっち」

 

 極端に惜しまれた、短い言葉を聞き止めて、全てを理解したキュルケは笑みを浮かべて頷く。顔を上げてルイズに向き直る。

 

「タバサが知ってたみたい」

 

 一瞬、眼を尖らせたルイズは次の瞬間に、大袈裟に溜息を吐いて肩を落とす。先ほどまでのキュルケとのやり取りがなんだったのかと、顔面に隠せぬ徒労感を滲ませたが、タバサだから仕方がないとばかりに首を振った。タバサを先頭にして4人は歩き出す。パレス・デ・レ・アル東門から市場に足を踏み入れたときに感じられた喧騒からすれば、静まり返っているに等しい通りを、足音を響かせながら奥を目指す。

 後ろから周囲を警戒しつつ歩くイングリッドは、小さな疑問を思ってルイズに問いかけた。

 

「武器屋が庶民の出入りする市場にあるというのは、ハルケギニアでは普通の事なのかや?」

 

 足を前に出しつつ、顔を斜めに傾げてこちらを見るルイズには、イングリッドが表情に浮かべる以上の疑問が張り付いていた。

 

「え?武器は普通に売ってるでしょ?」

 

 キュルケも一瞬だけイングリッドの方を見て、すぐに前に視線を戻す。

 

「身を守るための武器や、徴兵された時のための武器、傭兵をやるための武器なんかも売ってるよ」

 

 その言葉に、表面上は納得して感嘆の声を上げるイングリッドだった。

 

「お、おーおーおー。そうかそうか。そういう需要があるのか。納得じゃ」

 

 イングリッドは、口ではそう言いながら、内心では必ずしも納得していなかった。

 

 

 身を守るための武器。つまり護身具。それは納得できる。

 人を傷つける類の道具の携帯に極めてうるさい、とある極東の国でも、例えば打撃武器やスタンガン等は比較的簡単に手に入る事が出来る場所があった。実際に使用した場合の後についてくる諸問題はどうあれ、手に入れる事自体はそれほど困難だという事でもないのだ。金さえあれば存外どうとでもなる。

 その国では、護身具で済ますには殺傷力がありすぎるベアリング・ライフルやクロス・ボウなんかは野放しに近かったりする。これは法律の隙間を掻い潜ったグレーゾーンだが、手に入れる段では、割合に何とかなるものだという一例である。時々やりすぎて、テーザーガンを販売して即座に回収騒ぎになったりするのは、ご愛嬌である。

 

 地球で一番の超大国では、24時間営業のスーパーマーケットで、拳銃どころか多弾数装填ライフルなんかも普通に買えた。セミオート・オンリーのアサルト・ライフルですら「普通」に買えるし、流石にややこしい書類申請やら何やらという段階を踏まないといけないとは言え、軍用の重機関銃や、ミンチ・メーカーたる重火器に類する、M134「ミニガン」7.62ミリ、ガトリングガンの所持すら、まったくの合法で許される場合がある。

 ただし「買える」と言うだけで、携帯する段階では様々な規制がつく。全世界的に大いに誤解されている事だが「売っている」、「買える」、そして「所持出来る」は、「街中でぶっ放せる」事につながらない。実際に手にする事が出来る以上、トチ狂った者がいれば違法に使用される可能性が無いわけではないのは否定出来ないが、実際に使用されれば大事件になる程度には、かの国でも厳密な法規制があるし、それなりに高いモラルがある。

 法的な面から言って小さな国の寄り合い所帯であるその国では、地域によって大いに差異があるのだが、たまさかに起きるライフルを使用した発砲事件が大騒ぎになるのは、逆に言えば、ライフルを使った犯罪が明るみに出れば大騒ぎする程に珍しいと言う事なのだ。実際に発生した事件件数で言えば、永世中立を標榜する国で1980年代に頻発したアサルトライフルを使用した事件と比較すると、何も起きていないに等しい程の平和さである。目糞が鼻糞を笑う類の比較だが。

 

 そういう「平和」な国でも、溢れんばかりの銃火器が市中に出回っているのだから、護身用の武器を売る店がそこかしこにあること自体はイングリッドにとっても問題ない。しかし、徴兵されたときのための武器、傭兵をやるための武器とはなんぞや?というのがイングリッドの隠せぬ疑問である。さすがにそんな話は「現代地球」では想像の埒外だ。

 

 無論、これは「平和な先進国に於いて」という但し書きがつく話ではある。

 

 紛争地域では、安全な水を手に入れるよりも軍用アサルトライフルや、ロケットランチャーのほうが簡単に手に入る場合があった。いくら人外の力を持つイングリッドであっても、そういったものが一般人の間に出回っている地域と言うのは「頭痛が痛い」所の話ではなかった。非常に大きな問題である。

 岩を砕く拳を受けて、後ろに吹き飛ばされて「アイテテー」で済んでしまうイングリッドでも、当たり所によっては身体の一部をもぎ取るような威力を持った鉛玉や対戦車ロケット弾を、四方八方から浴びせかけられては酷く()()する。困った事に、そういった極端に危険な地域でイングリッドのような者が必要とされる場合が増えつつあるのは厳しい現実だった。歴史的に世界を俯瞰すると「世界は平和になった」と断言しても問題ない程に争いは減っているのに、()()()な平和でない地域では、歴史上、類例を見つけられない程に危険度が、極度に跳ね上がっているのが地球の悲しき現況だった。

 

 そういった例外があるにせよ、ハルケギニアは……少なくともトリステインは、疑いようも無く「平和な先進国」である。勿論、イングリッドがトリステインの全体を見通したわけでは無いのだが、イングリッドにとってはそれは確信に近い予想である。そうでなければ、ハルケギニア全土からやんごとなき身分の子弟が押し寄せる魔法学院と言う施設は危なくて運営できようも無い。どこかの要塞かというごときの堅牢さを誇る姿を見せていた魔法学院だが、初日に眺めたところ、ルーチンワークを適当に済ませて終わりという程度で緊張感の無い警備兵が欠伸をしていたのだから、間違いないだろう。

 そういった判断が本当に正しかったのか?それを確かめる意味でも、武器屋への訪問は楽しみなイングリッドだった。

 

 イングリッドにとって、そういった事柄は政治的、社会的背景の判断材料としての側面があったが、それ以外に、科学技術の進展具合を見る材料として、武器屋への訪問が「楽しみ」でもあった。

 言うまでも無く、武器、兵器というのはその歴史の節々での最先端科学技術の結晶である場合が多い。とある、今は失われた国では、他の全てを犠牲にして兵器の技術開発に狂奔した例すらある。青銅にしろ鉄にしろ、まずもって武器としての利用を目的として技術は進展した。大規模建造物も宗教目的を例外として、大抵は軍事目的を第一として技術が進展している。土木技術も測量技術もそうだし、縫製技術も間違いなくそうだった。漁業技術が進展する上でも軍事技術は密接どころではなく深く関わっていたし、飛行機等は戦争が無ければ未だにプロペラ機で済んでいただろう。医療技術を爆発的に進展させる時期は大規模戦争の前後であるのは歴史が示すとおりであるし、一件関係なさそうな耕作技術ですら軍事技術の一端を担っている場合がある。

 市中の武器屋ごときでどれほどの情報が得られるのかと言う問題はあるが、ある一定の指標にはなろうと言うのがイングリッドの期待であるし、恐れでもあった。

 

 

「ここ」

 

 周辺を警戒しつつ、益体も無い思考の底に潜っていたイングリッドは、有意な意識の埒外でタバサの言葉を聴いて意識を覚醒させる。タバサが指差した店は、どこかのファッションショップのように、立派なショーウインドーが展開されていた。店構えもこじゃれている。しかし、ディスプレイされているのは、剣や小刀、拳銃であった。

 

 拳銃。

 

 それを認めたイングリッドは、俄かに冷や汗をかいた。

 

 

 眉を痙攣させるイングリッドを置いて、ルイズを先頭に3人はドアを押し開けてさっさと店内に入ってしまう。イングリッドも一つ頷いて拳を握り、緊張した面持ちを見せつつ、店に入った。

 

 

 

「レイピア、マンゴーシュ、フルーレにエペ、ショートソードか」

 

 一直線にカウンターに向かって行き、即座に店員と話し始めたキュルケを置いて、壁を飾る刀剣を眺めるイングリッドの言葉にルイズとタバサが驚いた。特にタバサが微かな緊張を顔に表している。と言っても、イングリッドだから気がつける程度の本当に些細な機微であり、一見すれば表情に乏しい鉄面皮で済ませられる顔だった。こういった武器に興味がなさそうなルイズは、イングリッドに武器を与えてみるという本論を忘れたかのように、つまらない表情を隠さずにタバサの後ろを付いて歩いている。

 

「随分詳しいのね、イングリッド」

 

 足早に歩くタバサとルイズは、イングリッドから随分と離れた位置に移動していた。ガラスで区切られた棚の中に、宝石で彩られた短剣が陳列されている。タバサもルイズも、ちらちらと短剣とイングリッドの間で視線を揺らせている。

 タバサが、何かを誤魔化すために短剣に目を向けている事はイングリッドの目には明白だった。タバサの興味は、本質的にイングリッドの動きそのものだった。タバサにとって、飾る以外に何の役にもたたない短剣等、どうでもよかった。ただ、ルイズのほうは、煌びやかな短剣に気が逸れていた。イングリッドも気になるが美しい芸術品としての役割が大きい短剣が気になってしょうがなかった。棚の隙間から見えるルイズの有様に気がついたイングリッドは苦笑いを浮かべながら半瞬、足をとめて周囲を見渡す。壁以外にも、陳列棚にずらりと並べられた武器に視線を移す。様々な種類の剣が、所狭しと並んでいるのを認めた。イングリッドがたまたま足をとめた場所は、大きな刀剣が置かれている場所だった。「武器」を陳列していると言うより、釣り道具を陳列しているかのごとき無造作な姿だった。

 

「んむ。まあ、こういうのとも無縁ではいられん生活じゃったからの」

 

 ルイズの問いに答えつつイングリッドは、棚に斜めに立てかけられたロングソードを何気なく手にする。思ったよりも重いそれは、見事な装飾が施されていたが実際に持って見ると、予想外に実用的なつくりであることがイングリッドには()()出来た。

 その事実にイングリッドは眉を跳ね上げて一瞬身体を強張らせる。片手で危なげなく剣を振り上げて剣先を、頭上3メイルにある天井に向け、軽い仕草で振り下ろすと、それは鋭い風切り音を発した。磨き上げられた木製の床に突き刺さる直前で寸止めすると一瞬、撓んだ剣が不愉快な異音を発した。

 店内の視線が、ただ剣を振るう。それだけの行為では起こり得ない、時ならぬ金属の悲鳴に引き寄せられる。音の発生原因を正確に察したタバサは、棚の隙間から視線をイングリッドに向け続けていた。その表情を緊張で強張らる。

 

 自身に発生した異常事態に口を歪めたイングリッドは、ロングソードを元の位置に戻し、ゆっくりと手を離す。右手を顔面まで持ち上げて首を傾げ、ひらひらと揺らす。左手を腰に当てて身体を傾げて、右手を顎に移して扱く。

 再度首を傾げたイングリッドは視線を移ろわせて、別の剣を手に取った。刀身の根元に刃が無い部分があるグレートソード、一般的にはツヴァイハンターと呼ばれるそれを右手()()で持ち上げると、捻る軌跡を宙に描きながら斜めに振り上げた腕の先で、手首の動きのみで腹を水平に倒した。そうして170サントほどの高さがある棚の上の空間を切り裂きながら滑らかにすべらせて、腕を引きながら大きく振り回す。

 その間もイングリッドの足は微動だにしない。身体が揺らぐ事もない。動いているのは腰から上だけで、それも、剣を振る為の動作であり、決して剣に振り回されているのでは無かった。見るものが見れば、イングリッドは確かに自身の意思で巨大な剣を自在に操っている事が理解出来た。

 

 轟音。

 

 その音を聞きとがめてショーケースから視線を引き剥がし顔を上げたルイズは、イングリッドが持つ馬鹿デカイ剣を認めて、顎が落ちるかという程に口を開けた。ルイズは必死で視線を剣先に追随させるが、間に合わずに首が不規則に震える。

 イングリッドの一挙手一投足を見逃すまいとしていたタバサは、唸り音を立てて自在に宙を舞う巨大な剣の動きを見て、杖を取り落としそうになった。

 キュルケはカウンターの前で腰を捻って、音の発生源に気がついた段階で固まっている。

 キュルケに対応していた歳のいった店員は、顔面に刻まれた皺に汗を滲ませて、両手をカウンターの上についた状態で立ち尽くしていた。

 店のそこかしこに居た店員は、男女の区別無く、その今際の瞬間の態勢のままイングリッドを見つめている。呆ける暇も無く、その数瞬に浮かべた表情のまま、イングリッドの腕の動きを眺めていた。

 自身の新しい獲物を見定めていたと思しき、がっちりとした体格の中年男性は、手にしていた商品を今にも取り落としそうになっていた。

 

 緩急自在な動きから一転、緩やかな動作で空気を撫で、軌跡を描いて空中に複雑な文様を描くツヴァイハンターを振るいながらイングリッドは、棚の上から頭を突き出して口をあけて自身を見つめる中年男性に視線を向けた。

 

「ほれ、呆けておると剣を落とすぞ」

 

 その言葉に正気を取り戻して、腕から滑り落ちそうになっていたバスター・ソードをあわあわと抑えようとした男は、うっかり刀身を手のひらで握りこんで悲鳴をあげた。時ならぬ異様な緊張感に包まれた店内はその声で時間が戻ったかのように動き出す。しかし、おかしな空気が店内を包み込んでいる事に変わりは無かった。

 

 

 杖を強く握るタバサは、遂に表情を崩して大きな動揺に身を包んでいた。足が震えているかのような錯覚すら覚える。

 タバサにはイングリッドが異様どころではない事を仕出かしている事実を理解して、瞳を震わせていた。口を閉じる事すら出来なかった。

 

 タバサが見たところ、イングリッドが軽々と振り回すそのグレート・ソードが彼女の身長の倍ほどもあるのが理解出来た。斜めに棚に立てかけられていたからイングリッドはそれを手にする事が出来た程の巨大さである。極僅かな可能性として、それがディスプレイ用のイミテーションであり、木の棒程度に軽い可能性も想像したが、振るわれるたびに発せられる「剣圧」はその想像を吹き飛ばした。間違いなく「本物」である。

 ツヴァイハンターとは、イングリッドが今やっているように、片手で振り回すような武器ではない。決して手首で操る類の武器でもない。少なくともタバサの知る常識の中ではそうだった。

 しかしイングリッドはそれを成している。ありえない光景だった。どんなに頑強な男であっても、ツヴァイハンターは両手で持つ武器である。利き手で長い柄を握りこみ、ツノで刀身と区切られたリカッソを反対の手で握りこんで力を込めてようやく、どうにか持ち上げる事が出来る剣である。途轍もなく重たい、刃の部分が大きい「槍」。それが剣の形をしていると言ってしまっても良い。それぐらいに特殊な武器なのだ。

 穂先を揺らすぐらいの動きであってすら、全身の筋力を使わないといけない。断じて手首で操る類の武器ではない。そんな馬鹿な真似をすれば手首を挫く。イングリッドがやって見せているような、複雑な軌道を空中に描く類の武器でもない。あのような動きは、エペやレイピアで見せるべきなのだ。

 

 ツヴァイハンターに限らず、基本的に両手持ちの大剣は、全身の筋力を使って振り上げて、力任せに振り下ろすのが通常である。極めて使い勝手が悪い武器だ。攻撃目的で許される動作は、一つに限られているといっても過言ではない。剣先を上下に振るだけだ。

 スイーピングブロウ(なぎ払い攻撃)というモーションもあるが、ツヴァイハンターでやるべき攻撃ではない。剣の重さが無駄になってしまう。槍や斧のように、武器単体としての重量が先端部に集中している類のモノと比べた場合、遠心力を発生させるための柄に過ぎない部分も含めて、ツヴァイハンターの場合には重量が分散している欠点がある。その手のポールウエポンと異なる利点として「柄」の部分にも攻撃力があるのがグレート・ソードの特徴だが、打撃を発揮する重量自体が武器全体に分散しているがために、上下方向の移動動作を主体として重力を利用しなければ、動きが鈍る上に打撃力も弱まる弱点があるのだ。

 

 ツヴァイハンターのように重くて大きい武器には、別種の問題もある。

 タバサのように大いに()()()()()()()()()や、専門の教育を受けた者でもない限り勘違いされがちな事だが、人間の身体というのはモノを持ち上げる動作が得意で、モノを振り下ろしたり、モノを取り下ろす動作が苦手である。同じ重さのものを同じ速度で上下させると、下ろす動作で激しく疲労する。その点で言えば、筋力の限界まで振り絞って振り上げた後に、軌道を安定させる以外の力を抜いて、剣そのものの重さで相手に斬撃を与える事が出来るグレート・ソードというのは、肉体疲労面から見ても利に適っている。打撃力を武器の重さのみに頼る事が出来るので、剣を持ち上げる事が出来る限りに於いてはどれほど疲労していても、理論上、最低限の攻撃力を維持出来るのだ。

 最も、重量を重視した打撃武器となれば、バトルアックスやバトルハンマーという更に効率のよい武器があるので、ツヴァイハンターを効果的に使用するのであれば、力いっぱい素早く振り上げて、力いっぱい振り下ろすのが常道である。

 ただし、斬撃モーションに入ると一切の融通が利かないので、攻撃を行う際には極めて慎重になる必要がある。キャンセルは効かない。攻撃を外しても、地面に刃先をぶつけるまで止まらない。普通の人間が振るう分には、であるが。見た目の華やかさからは程遠い、細やかな配慮が必要な武器なのだ。攻撃に於いては一撃必殺の破壊力を持つが、一撃無為な隙を見せる。いろいろな意味で危険な武器である。

 

 イングリッドはそれを振り回している。

 一流のレイピア使いかという華麗な剣さばき。無造作に見える仕草の中に、繊細精緻な軌道を持って剣先が揺れる、美しいモーションだった。イングリッドが手にした武器が、真実レイピアであったのなら、タバサが驚愕する心情は感嘆で埋め尽くされていただろう。

 タバサの眼前で展開される事実は、そうではなかった。そうであったからタバサは驚愕する以外の反応を身に表す事ができなかった。

 

 

 イングリッドが剣を引き寄せながら、手首を捻り、自身の身に向けて振り戻す。その勢いは外から見て、とても止められるものではなかった。ルイズは剣先で頭を割られるイングリッドを幻視して、顔を引き攣らして悲鳴を上げそうになった。悲鳴が間に合わないほどの勢いでイングリッドの顔を目指す刃。眼をそらす暇さえなかった。辛うじて眼を瞑る時間が許されただけだった。

 軽い音と共に、何かにささげるような態勢で垂直の刃を見つめるイングリッド。最後の瞬間に彼女は、リカッソに軽く左手を添えることで剣の勢いを止めてしまった。それを見届けたのはタバサだけだった。他の人間は術からず眼を背けてしまっていた。

 男が一人、涙目で血が滲む手のひらにタオルを当てていたが。

 

 イングリッドは冷めた表情でツヴァイハンターを元の位置に戻した。何が起きていたか理解出来ないとばかりに、滑稽なほど混乱した表情が飛び交う店内で肩を竦めたイングリッドは、集中する視線を振り切って棚の間を縫って歩く。様々な種類の武器を眺めながら、ルイズの元に近づく。

 ルイズの顔に視線を向けて、ふと首を傾げたイングリッドは、通り過ぎた棚の間に視線をやってから振り返り、ルイズの横で強い視線をイングリッドに向けているタバサに視線を移した。身体を捻って右手親指で背後を指し示す。

 

「すまぬが、あの男の治療を任されてくれないかタバサよ。あれの原因は8割程は我であるからの」

 

 止まらない血を真っ赤に染まったタオルと手のひらの隙間から滴らせる男は、イングリッドの言葉に驚いて視線を上げる。タバサは男とイングリッドの間でしばし視線を彷徨わせると、一つ頷き、身体を男のほうに向けた。

 それを見送ってイングリッドはルイズの肩を叩く。それで意識を覚醒させたルイズは、跳ねるようにしてイングリッドに詰め寄った。

 

「何アレ!何をしたのイングリッド!!説明しなさい!!」

 

 しかしその言葉に、難しい表情を崩さずにルイズを見つめるイングリッド。その強い視線に射すくめられて、ルイズは身を震わせてしまった。ルイズにそのような反応を強いてしまった事に気がついたイングリッドは微かに苦笑いを浮かべると、表情を崩して改めてルイズの両肩を叩いた。

 

「後で、皆と共に説明する。今は留めてくりゃれ」

 

 明らかに周囲を憚るイングリッドの小声に、ルイズは納得しないまでも頷いた。疑問を隠さずに表情に浮かべたまま、腰を落として男の手のひらを見るタバサを見、イングリッドに視線を戻す。

 

「後で、必ずよ!納得のいく説明が欲しいわ」

 

「うむ」

 

 

 

 先ほどまでとは打って変わって、やたらと顔を輝かせながらイングリッドについてまわるルイズは、ここ3日間の騒ぎでどことなく落ち窪んでしまった瞳を見開いてた。それなりにルイズとの仲が永いキュルケが見た事がないほどに瞳が輝いていた。好奇心いっぱいで、くりくりとした鳶色の瞳をイングリッドの手先の動きに合わせて忙しなく彷徨わせている姿は新鮮だった。

 

 いや、違う。

 キュルケは否定した。

 その瞳はキュルケの記憶にあった。

 入学式の後。押し込められた教室で3年間を共にする生徒達の自己紹介の場で、何かを吹っ切るかのように希望に満ち満ちた雰囲気と共にあった瞳だ。それを蘇らせたに過ぎない。

 時を経るにつれてその瞳は、澱み、穢れ、失われていった。召喚の儀の時も、その後も、招来された事態の特異性に流されて、ルイズの瞳に輝きが戻る事はなかった。

 契約を経てルイズの顔が、その前1年間とは違って、随分と見れるものになっていたと思っていたが、今の今までどこと無く疑念が付きまとっていたような気がした。何をするにしても、イングリッドを伺うような雰囲気が透けていたのだ。キュルケは今ならそうだったのだと言える。1年間で鬱積した後ろ暗い感情は、一週間に満たない時間では払拭される事がなかったのだ。

 それが吹き払われた。

 余りにもあり得なさすぎる光景。巨大な剣を振り回す少女などというのは、キュルケが眼を通した事がある物語の中でも想像された事はない。その衝撃が、ルイズに蟠っていた僅かな澱みを吹き飛ばしてしまったのだ。想像する事のできない行為の結果、想定外の結果がもたらされた。そんなことを見込んでイングリッドがツヴァイハンターを振り回したわけではない事は判っているが、もたらされた結末は素晴らしいものだったと言えるだろう。

 それを思ってキュルケは、僅かばかりの後悔と嫉妬を覚える。

 キュルケは、自身の身の近くで煤けて行ったルイズの変化に気がつけなかった。日々、霞んでゆくルイズの表情を思うことが出来なかった。常人にそれを成せというのは酷な事なのだが、キュルケが思い出すところ、入学式のあの時、気圧されるほどの輝きを見せた、キュルケが憧れてしまったあの表情と、召喚の儀の場で見せた、追い詰められた鬼気迫る表情とを比べれば、途中で何か出来た筈ではないかと、今更どうしようもない仮定を思ってしまうのだ。

 僅かに3日。実際の時間を言えばそれ以下しか側にいないイングリッドが、1年間で形作られた絶望を、ルイズにまとわり付く闇を、あっさりと粉砕した。その事実に思い至ってキュルケは、ルイズと、それに寄り添うイングリッドの姿を初めて眼にしたあの朝に、イングリッドに対して一瞬感じた違和感の正体をようやくに理解した。

 カウンターの側でイングリッドとルイズを見つめながら、キュルケは小さく自嘲する。ようやくの事で理解に及んだ自身の感情を弄ぶ。

 つまりは恋。キュルケはルイズのあの表情、あの気配に恋焦がれていた。自分が決して持ち得なかったあの表情にあこがれた。あの姿が好きと嘯いていたが、それどころではない感情が渦巻いていたのだと理解した。それは初恋だった。それが砕けた。それが手に戻る事は永久に無いのだと理解した。そういう感情をこういう場所で理解する、理解させる事になるイングリッドのあり方は大概だとキュルケは苦笑いするばかりだが、そういう破天荒な部分も含めてキュルケはイングリッドに敵わないのだと了解した。キュルケは失恋したのだ。

 

 キュルケが不幸だったのは、ルイズが実家でたぎらせていた暗い感情とその結果を知らなかった事だ。

 ルイズが入学式で見せた輝きは、ルイズの家族ですら見た事の無いイレギュラーだった。自身の無能に対する絶望に押しつぶされて、心を折る寸前だったルイズは、世に響くトリステイン魔法学院に絶大な希望を寄せて、あの時あの瞬間に、ありえないほどの陽気を発散していた。出自からして、決して逃れる事の出来ない闇を抱えたキュルケが浴びるには、それは眩し過ぎた。ある意味で幸運だったと言い換えても良いかも知れない。偶然だった。たまたまそれを見てしまっただけに過ぎないのだ。キュルケが一目惚れするのも無理のない事だったのだ。

 ルイズにとっても、実はこの上ない幸運だった。酷く歪んでいるとは言え、キュルケの愛情を散々にぶつけられた、ぶつけられ続けた1年だった。ルイズはその心に気高い誇りを抱いていたが、それは魔法を持たないが故だった。それしか頼るものが無かったのだ。それのみに頼っては、ルイズは1年を乗り越えられなかった可能性が高い。最後の希望と縋った召喚の儀で、心を保って望む事が出来なかったかも知れない。ルイズが最後の悪あがきの場として召喚の儀を選んだのではなく、最後の希望の場として望めたのは、キュルケの感情の発露に影響され続けた結果だった。その結末にイングリッドが現れたのは、キュルケに対する不幸だったのは間違いないし、幸運であったかもしれない。

 今となってはありえない想像でしかないが、ルイズが召喚の儀の場で、完全な失敗を得てしまっていたら。

 ルイズが壊れてしまった上に、キュルケも壊れてしまったかもしれない。キュルケには想像もつかない理由で、それに付随して、ぎりぎりで心を保っているタバサも壊れてしまったかもしれない。そして、ついでのように、一人の教師の心も砕けてしまった可能性がある。それを見てもう一人の老人が心を折り、それに対して様々な心配りを要求していた人々の心すら砕けていたかもしれない。

 誰も理解の及ぶ事ではない場所で、様々な意味でぎりぎりだった召喚の儀から得た結果で、その瞬間に受けた影響を、最後に租借したのがこの場のキュルケだった。この瞬間に、本当の意味で召喚の儀が終わった。キュルケがそれを理解し自覚するのは、もう少し未来の事になる。

 

 

 

 そんな重大な結果が、ほんの少しはなれた場所で発生しているなど露と知らないイングリッドは、眼に入った一振りの剣を見て、眉を跳ね上げた。その僅かの仕草を見逃さなかったルイズは、イングリッドの腹をつついた。

 

「ね、ね。イングリッド、なにこの剣。随分と変な形してるけど」

 

 ルイズに視線をやって頷くと、イングリッドは身体を回して右手を挙げ、立てかけるための柵の上に手を伸ばして棚からそれを引き抜いた。かなり危険な形状をしている剣だったので、手にするには面倒な状態でおかれていたのだ。ルイズに危険が及ばないところでゆっくりとそれを振り上げて、その波うった刀身を、窓から差し込む光に透かした。

 

「フランベルジェじゃな」

 

 頭の中に流れ込む、不躾な情報の波に頭痛を覚えてイングリッドは顔を顰めた。ゆっくりと刃先を返して、柄から剣先までを観察する。

 

 フランベルジェとは火縄銃(マスケット)が軍隊に大々的に配備されて一時期、僅かに花開いた仇花だった。イングリッドの承知する地球の歴史ではそうである。

 一部の部隊だけでなく、一つの兵科として、隅々までマスケットを持った部隊が軍に行き渡った際に明らかになった問題として、銃を持った軽装歩兵が乱戦に巻き込まれて近接戦闘を行う際に、従来の刀剣では使い勝手が悪過ぎた事を解消するために考案されたのがフランベルジェである。

 

 マスケットが開発量産され始めた時期というのは、重装歩兵や、フルプレートメイル全盛期に重なっていたため、剣にしろ槍にしろ、やたらと重くて頑丈頑強巨大な代物になっていた。サブウエポンは、それらの重厚長大を極めたメインウエポンに対してやたらとショボいナイフや、エペ、ショートソードばかりになって、近接戦闘における適正戦闘距離が小さくなりすぎていた。サブウエポンに要求された攻撃力が、倒れた重装歩兵や騎士の鎧の隙間を刺突可能である事が要求されたから当然だった。あまり長くて細い剣だと、鎧の隙間に捻じ込んで致命傷を与える前に折れたりしかねない。体重をかけて敵の身体に剣を押し込む上でも、サブウエポンは小さくて短いほうが都合がよかったのだ。バスターソード等の両手剣とショートソード等の近接戦闘剣の間を埋める武器が失われていたのだ。

 プレートメイルを着込んだ騎士や、巨大なシールドを担いでチェインメイルやラメラーアーマーで身を固める重装歩兵に比べると、銃兵の服装は裸も同然だった。比較的軽量なチェインメイルであってすら動作を阻害し、射撃速度に影響する事がわかったため、銃兵の服装は簡単簡便になり続けた。マスケットの威力を十全に発揮するには発射速度を上げて弾幕を貼る事が肝要と理解されると、いつからか防御力より素早い動作が重視され過ぎて、その当時の庶民の平均的服装よりも簡易な服装が奨励される程にまでなった。それに向かってバスターソードやツヴァイハンターを向けるのは、いかにも効率が悪い。かといってナイフや、ナイフに毛が生えた程度まで退化したショートソードでは、敵を切り倒しても、勝者の側でも重軽傷を受ける事が多かった。戦闘がショートレンジ過ぎて、危険だったのだ。

 

 戦闘レンジをマスケットの得意な距離で保つ事も難しかった。援護の騎兵や弓兵を除外して考えた場合でも、有効射程100メートル以下で、100発撃ち放って1発あたればいいかな程度の命中精度で、しかも再装填から発砲までに数十秒の時間がかかる上に不発の可能性も高いマスケットでは、数千人規模の会戦では、互いに3度撃ち放てば後は突撃乱戦だった。

 黎明期のマスケットであっても、よく訓練された兵が、慎重に狙えばかなりの命中率を期待出来る。戦例では数百メートルで狙撃された実例は多く報告されている。しかしそれは暗殺とか不意打ち事例であって、戦場におけるものではない。混乱し、慌てる兵が戦場で術からず慎重に狙撃するような事は現実的な話ではない。通常は司令官が命じた方向に当てずっぽうに近い形で一斉射撃するのが常道なのだ。戦場から数キロはなれた村に、勢いを無くした銃弾が雨霰と降りそそいだなんていう話もザラにあるから、当時の戦闘実態が偲ばれる。

 片方だけがマスケットを装備していた場合を想定しても、相対する相手は逃げるか、それが許されない状態なら、覚悟を決めて思い切って突っ込む以外に手が無い。損害等は気にしていられない。よって、銃兵側が3度発砲する間に敵を全滅させられなければ乱戦必至。

 相対した双方がマスケットを装備している場合、お互いに自身が持つ武器の威力を知り尽くしているがために、奇襲をかまして撃ち逃げするか河川などの地形的障害がなければ、相手が撃つ前に肉薄して突っ込むしかない。乱戦必定。

 通常の銃兵部隊と言うのは、必ず、多数ある部隊の一兵科でしかなく、しかも独立戦闘能力が無いとみなされていたから戦闘の実態はここまで簡単にはならない。とはいえ、戦場で銃兵同士がぶつかると、極小戦術レベルで発生する結果は、互いに殴りこむという状況だった。

 後知恵を働かせれば、戦術的思考の変更で幾らでもやりようはあったと思われるし、実際に戦術レベルの工夫でうまくやった国もあったのだが、あくまでも歴史上の話である。後付の理屈を捏ねたところで空想に過ぎない。その時代における最善手は、その場所その国で出来る限りの手立てが打たれていたのだし、当然のことながらそれに対抗して出来る限りの対応がなされていたのだ。

 

 そういう状況に直面して考案されたのがフランベルジェである。旧来の刀剣製作工房で、たいした新技術を導入することなく、従来の技能で生産できる新しい概念の刀剣である。また、これを扱う側にもたいした訓練を施す必要がないという面でも都合がいい形状が模索された結果が、うねうねとした刀身をもった軽量バスターソードとして形を成したのである。

 柄を握って殴りつけるように剣を振るえばとりあえず切れる。刃先が波うっているため、どういう方向から切りつけても、刃があたり、刀身に前進する力が加わり続ける限りはどこかの刃が相手に「立って」切り傷を負わす事ができる。日本刀やサーベルのように刃を研ぐ必要も無い。それなりに刃が立っていれば、勢いで切り裂く事ができる。刀身が波打っているだけでなく、捻りも加わっているため、ある程度刀身が寝ていても関係なく殺傷力を維持できる。そも刀身に向きがあるかどうかも怪しい剣である。そういうある意味で乱暴な、それまで歴史の中で磨かれてきた剣技の全てを否定するような武器だった。

 

 ただし、すぐに廃れた。

 幾ら軽く持ち運びに便利なようにしたのだとは言っても、バスターソードである事に変わりが無かった。やたらと巨大な剣がはやった後に出でた武器なので、相対的に見て、小さく取り扱いが楽であったというだけで、サブ・ウエポンとして扱うにはやはり邪魔だった。マスケットは技術開発の進展であっという間に大きく重くなったし、生産量が増えるにしたがって一丁当たりの価格が下がったから、フランベルジェのように面倒くさい武器に割く予算がモッタイナイと言う話になった。有効射程距離は相変わらず100メートルほどでも、弾薬側で素早く装填する工夫がなされて、発砲速度が増大したのも大きい。命中を喫した有効射程距離が100メートルであっても、擾乱を目的とした弾幕射撃も含めると300メートル程の距離から撃ちまくる様な戦術が多用されるようになると、サブウエポンがバスターソードのような中途半端な戦闘レンジの武器を携帯する理由が無くなった。突撃されてもぎりぎりまで射撃を継続するのが常道の戦術になると、背負ったフランベルジェを取り出す暇が無くなった。

 大きく重いマスケットを担いでなおかつ、鞘に収めることの出来ないフランベルジェを携帯するのは、邪魔である以上に危険だった。どの方向から触っても、触れただけで怪我をする剣が抜き身で背中に背負われている。廃れて当然だった。以後、フランベルジェは変てこな刀身を持つ事を逆手にとって装飾剣として僅かに生き残る事になる。一時期、貴族同士の決闘で使われる剣といったら大抵は美しく装飾された、複雑怪奇な刀身を持ったフランベルジェとなる。

 それも短筒が広まると廃れてしまった。フランベルジェは形状が特殊であるが故に壁に飾っても収まりが悪く、また、スポーツ的に使うにしてはあまりにも実戦的過ぎた。刀身がうねっている事で、製作時に十分な強度を持たす事が難しいのも災いした。品質が悪かったのだ。刀身をさらした状態で飾ると、簡単に錆びてしまったのだ。

 そうして後世に殆ど残らなかった。本当に仇花だったのだ。

 

 フランベルジェの存在を脅かした新発想の新しい武器が登場したのも影響した。銃剣である。当初はスパイク状の剣とは呼べない代物だったが、それをつければ剣以上に訓練が簡単な、刺突攻撃可能な槍が手に入るのだ。かくしてマスケットは歴史上、随分久しぶりに顔を見せた実用的コンポジットウエポンとなる。

 訓練上の要求から言っても、安全性から見ても、資源的な面でも、何より、兵の荷物が減って、身軽になる点からしても、フランベルジェが戦場に生き残る事は出来なかった。戦争におけるフランベルジェの存在は技術発展による影響ではなく、新規発想によって抹殺されたのだ。

 

 

「斬撃ではなく、切りつける事を目的とした、バトル・ソード(戦闘目的剣)じゃ。メイン・ウエポンではなく、軽装中距離戦闘歩兵(戦列歩兵)が乱戦に巻き込まれたときに扱う、サブ・ウエポンじゃの」

 

 マスケットを扱う戦列歩兵という言葉が通じるかどうかに疑問を持ったイングリッドは、迂遠な表現でそれを表現した。拳銃を眼にしたが、この世界の戦争の実態がそれだけで(つまび)らかになったわけではない。それを思っての事だった。

 しかしその配慮も、ルイズの言葉であっさりと覆されてしまった。

 

「へー、マスケーター(戦列歩兵)ってこんなのを帯剣してるんだ。知らなかった」

 

「ぬ」

 

 予想外に素早い反応に、うっかり変な声を出してしまったイングリッドである。その言葉に訝しげな視線を向けてきたルイズに、イングリッドは誤魔化すように声を上げた。

 

「あー、トリステイン軍の歩兵がこれをもっているとは限らないではないかの?」

 

 ハルケギニアで戦列歩兵が過去の歴史になっている可能性を考えて、イングリッドはどうとでもとれる曖昧な表現を選んだ。この言葉に返される反応である程度、ハルケギニアでの軍事技術を図ることが出来るのではないかと言う期待があった。

 はたしてルイズは、自分の国の軍隊に対する理解をイングリッドに返した。

 

「トリステインの戦列歩兵はハルケギニア全土を見渡しても、精強で知られているからね。この剣がマスケーターのためにある武器だというなら、きっと、動員された兵士が個人で設えるために用意されているのではないかしら」

 

 ルイズは、棚に並べられた様々な意匠のフランベルジェを見渡してイングリッドに頷く。その言葉にイングリッドは納得を得て、別の面で疑問を思った。ルイズの顔を見つめたまま、首を傾げる。

 

「ん?兵の武装は、国が支給するのではないのかや?」

 

 ルイズはその言葉に、眼を瞑って手を仰いだ。

 

「見得、よ」

 

「?」

 

 口元に手をあて、首を傾げて眼を細め、微かな笑いを浮かべながらキュルケがルイズの後ろに回りこむ。微かに漏れる笑い声に同期して、キュルケの肩が微妙に揺れる。

 左手を腰にやって身体を傾げるルイズの肩をキュルケは軽く叩いた。肩を竦めたルイズが半眼でキュルケに振り向く。

 

「トリステインは……トリステイン国民はさ、従軍するときは許される範囲内で、おしゃれに気を使うのよ」

 

 

 その後にタバサも加わって説明される話によると、トリステイン王国軍は、服装に対する決まりが緩やかであるとの事だった。地球的常識からすると、文明レベルを進化させた状況でそういった状態が許される事は殆どなかったから(例外はあるが)、身体を傾いで左足に体重をかけたイングリッドは口を半開きにして、アンクルを右手でさすりつつ、ただ説明を聞いて頭の中でアレコレ考える事しか出来なかった。

 

 トリステインでは、基本の服装、特に帽子に関しては絶対の規則がある。兵科の区別や尉官にはそれ以外は許されないという帽子の規定があり、頭の上を見ればその人間の戦場での役割が理解できるのがトリステイン軍である。頭を守る(ヘルメット)の使用も認められていない。

 しかし、それ以外は割合に適当だった。

 例えば戦列歩兵のマスケットに関しては王国支給の銃以外の携帯は(あたりまえだが)認められていないが、サブウエポン等は、支給される以外の武器を持ち込んだり、服装につけるアクセサリー等も割合に何でも許されてしまう場合が多い。

 その辺りを決定するのは隊長の鼻先三寸というところだが、軍団長レベルで緩やかだと、隷下の部隊はやりたい放題という場合が多いのだ。

 

 トリステイン王国軍では中隊、小隊レベルで隊長が裕福である場合で、更に駄目な方向(ゼークト的な意味では無く個人の嗜好面で)に仕事熱心な場合等は、上部組織の許可を得た上で、自弁で部隊の服装を設える場合もある。

 流石に装備面での自由は少ないが、サブウエポンに関しては、例えばフランベルジェを装備すべしとなっていれば、兵士一個人が市中で好きなデザインのものを買い込んで持ち込むのも是とされている。寧ろ、そうであることのほうが「粋」とされているのだ。

 また、そういう目立つ装備が個人的趣味で設えられた場合、顔も分からないほど損傷した戦死者の個人を特定する材料になる。アクセサリー等に関しては特徴的なものを持つ事が寧ろ、推奨されている場合すらある。

 戦場で、敵に対して目立つアクセサリーや、装飾を飾って煌びやかに光を反射させたりすれば部隊全体がいらぬ危険に晒される場合もあるが、その辺りの感覚に緩いのがトリステイン風だった。他の隊員達から許された、場合によっては賞賛された装備が原因で部隊が危機に陥っても、仲間が死んでも「しょうがないね」で済ませてしまう。おおらかな話である。「文化がちがーう!」どころではない。人間性からして違いすぎる。

 イングリッドは頭痛を感じた。なんとも牧歌的な戦争風景である。なるほど。「徴兵された時のための武器」が売っている訳である。

 

 貴族軍に関しては話がややこしい。貴族の趣味に任せて適当な姿を許せば、戦場で合流して敵と見間違う等と言う事になりかねない。よって王国直轄軍よりも余程に厳しい服装規定がある。ある筈なのだが……レオ・アフリカヌス出兵で貴族軍が当初の主力を勤めた事が話を混乱させた。兵は貴族軍から抽出されていたのに、司令官は王国軍の正規士官という場合が多かったのだ。

 彼らが隷下に納めた貴族軍は規模も能力もまちまちであったが、だからと言って勝手にシャッフルして再編成という訳には行かなかった。彼らは貴族の私的財産である。混ぜこぜにするのは許されなかった。しかし実戦で指揮を取る際に、同じような外見の部隊を見分ける、区分する事は困難だった。その為に、レオ・アフリカヌス出兵部隊は司令官の自弁と独断で、服装を設える事になる。レオ・アフリカヌスの現地の気象条件がハルケギニアと大きく異なっているのも影響した。

 貴族軍に強く要請されていた服装規定。それを言ったのは王国である。しかしレオ・アフリカヌスの地でそれを破ったのは王国の士官である。後は、どうにでもなれとなった。

 

 

 傭兵に関しての事情は、イングリッドの想像出来る範囲を超えていた。

 ルイズやキュルケの言う傭兵は2種類の意味が混在していた。その為に会話がすれ違って混乱した。イングリッドが理解するために、いつの間にか戻ってきたタバサが呆れた顔をして会話に割り込んだ上で、助言する必要があった。

 

 軍事組織としてのパートタイムソルジャーと言う意味の軍事的傭兵(マーセナリー)と、冒険者(トレジャーハンター)としての傭兵である。

 

 トレジャーハンターのほうは、文字通りの冒険者という意味と、何でも屋という意味でのシティアドベンチャーを生業とする傭兵(シティアドベンチャラー)が混在していた。後者に関しては、欧米的な意味での私立探偵に近い。何でも屋的な意味を持った組織を「私立探偵」と自称している場合が地球では多いのだ。イングリッドはそう理解した。ただし、ハルケギニアでのシティアドベンチャラーの中には、地域に根ざして準警察組織的な権限を持つ場合があり、そういう部分ではマーセナリーと言うより、ミリシアと言うべきだろう。

 

 

 冒険者としての文字通りのトレジャーハンターは、未踏破世界が周囲を囲んでいるハルケギニアでは、特段に珍しくも無い職業だという。成功者になれば億万長者も夢ではなく、実際に少数ではあるが億万長者に成った者もいる。ゲルマニアの初代皇帝はトレジャーハンターであったという伝説があるぐらいである。そんな成功例がぶら下がっていては、確かに珍しくもない職業にもなろう。ただし、成功例は散々である。またトレジャーハンターは相当に大規模なパーティーを組まないとまともな探索に出れないという点では、ファンタジーとは言い難いところがあった。

 未踏破地域は文字通りの人跡未踏の地なので、出来れば食料等はハルケギニアから輸送したほうが良い。行った先で補給拠点を作って先へ足を延ばし、更に前線拠点を作って足を延ばしと、人も物資も金もやたらと消費するのだ。場合によっては何年もかかる探索を覚悟すると、未開の地に町を一つ興す如き覚悟が必要になる。地球における登山での極地法に近い。随分と世知辛い話だ。それらの諸問題故にトレジャーハンターがギルドじみた組織を作る理由ともなる。そうであるから、貧乏人が困窮を打破する一方法として「冒険者でござい」と言うのは難しい。ある程度以上の成功を収めた者が行う、道楽みたいな一面があるのだ。

 そういった組織に飛び込んで一角千金を狙うのは容易いとも言えるし、難しいとも言える。

 冒険者として第一線に立つには、想定外の問題に対処できる頭脳も必要であるし、モンスター等に立ち向かえる能力も必要である。人跡未踏の地を踏破する体力も重要であるし、大勢の人間と強調する協調性も大事である。

 様々な能力を同時に発揮するオールラウンダーである必要性がある訳で、一級の学者であり、一級の体力馬鹿である必要性もあるのだ。そういう意味でも経済的に恵まれた人間でなくては難しい職業となる。水準以上の学業を修められる時間と、水準以上に身体を鍛えるのは日々の生活に追われる中で片手間にするのは難しすぎるからだ。そのあたりのことを考えると、ゲルマニアの初代皇帝がトレジャーハンター上がりだというならそれは、成るべくして成ったと言える。

 トレジャーハンターの端っこにぶら下がるのは難しくは無い。探検事業を行うと、ポーターにせよクーリーにせよどれだけいても困らないので、大々的に募集がかかる。そういう人間が市中で酒を飲んで「冒険者なんだぜ」と言うのは自由である。ある部分で失業者対策になるので、国家による探索事業でトレジャーハンターが動員される事例は多い。

 ……行った先で大勢の人間が命を落とせば人口調整の側面も出てくるので、そういう部分の期待があるのも否定出来ない側面である。無論成功すれば、国家にとっても利益は計り知れない。

 

 国家が前面に出て行うレオ・アフリカヌス開発運動は大失敗したも同然の惨状だが、各地のトレジャーハンターギルドによる探索は継続されている。それによる様々な成果も出ていて、ある程度の利益がハルケギニアにもたらされている現状がある。

 

 一種のアルパインスタイルで世界に挑む者がいない訳でもない。例外の無い法則は無いのだ。ただし彼ら、彼女らが出発地に成功して帰ってくる可能性は殆ど無い。成功失敗以前に、生還者自体が稀なのだ。

 

 

 マーセナリーとしての傭兵もハルケギニアでは珍しいものではない。国家や貴族の依頼を受けて、輸送品の護衛や、警察活動、土木建設事業への労働力供給、災害派遣、レオ・アフリカヌスへの出動、そして、ハルケギニア特有の問題である、モンスターの討伐等で日銭を稼ぐ組織なのだ。無論、戦争となれば、組織が本拠地を置く国家に味方して、軍隊として命を懸ける。であるから、国に存在を認められた民間軍事組織を維持できるのだ。仕事の内容を見ると、ある意味で、軍事力をもった人材派遣業といえるかもしれないとイングリッドは納得した。

 

 

 かくの如しで、シティアドベンチャラー、トレジャーハンター、マーセナリーはあらゆる部分で仕事が重なる一面がある。事実、各組織がなんであるかについては自称である事が多く、外部から見ても、彼らが主に何をしているかで区別する場合が多い。組織間でも、足らぬ事、手に余る事があれば互いに協力する事も多いので、境界はますます曖昧である。

 無論、一つの仕事、一つの儲け話に対して組織が互いにいがみ合ったり、実力行使に出ることもあるので、そうなると、地球でのあれな組織による抗争と変わる所が無いとも言える。

 

 

 イングリッドは3人の言葉に頷きつつも、異世界であるハルケギニアを理解しようと必死だった。地球と比べられる部分の無い異質さがあった。ちぐはぐな文化的背景も、地球での常識を持ち込んでは混乱するだけである。本当に異世界だと納得しなければ、生活するのも難しくなる。

 異世界。

 異世界なのだ。

 地球の世界を、その歴史をリアルタイムで肌で感じながら渡り歩いた経験が、逆にハルケギニアに対する理解への妨げになっているのではないかと危惧するイングリッドであった。

 

 

 様々な武器を手にし、いちいちその度に自身に現れた特異な現象を自覚し、若干性格が変わったかのようなルイズの問いかけに反応しながらイングリッドは、最後の最後に、最も手にして分析したかった武器、拳銃の飾られたカウンターに足を向けた。カウンターに収まるのは50代ほどの、そこそこ威厳と愛嬌と、そして隠された殺気のある男である。それをイングリッドは店長であると看破した。

 

「店主よ、拳銃を見たいのじゃが」

 

 拳銃。それで通じるかどうかにイングリッドは内心で疑問を抱いたが、そのまま言葉を発した。そこから話がどう転んだところで、異世界を知る手がかりにはなる。恥を掻いた所で別になんとも思わない。この世界に対してイングリッドが無知に等しいのは事実なのだ。知らない事は知ればよい。それだけだった。

 イングリッドの言葉に破顔一笑した店主は、皺が深い笑顔を向けた。若干暑苦しい表情だった。

 

「これはこれはヴァリエール様とそのご友人。そしてその従者、イングリッド様でよろしかったでしょうか」

 

 その言葉に無表情になって一転、外向きの笑顔を作ったルイズが一歩、前に進み出でた。

 

「名を名乗ったつもりは無いのだけど?」

 

 トーンの変わった、威厳ある言葉が漏れる。歳のころを考えても十二分に貴族としての権威の現れた声であった。普段向けの声を散々店内で喚いて、今更に貴族だというのは業腹だが、その辺りを使い分け、前段を聞かなかったことにする分別があるのがハルケギニアの平民のあり方だった。

 

「これは申し訳ありません。ご挨拶に伺おうと思ったのですが、イングリッド様は武器にお詳しい様子。私ごときの言葉は要らぬ世話と見ましたので、落ち着くところを見計らっていたのでございます」

 

 微かに眉を跳ね上げたルイズが、男を見上げる。

 

「で?」

 

 ルイズの笑顔が張り付いたままの表情の奥に、聞いたことに答えなさいという感情が透ける。男が頷いた。

 

「はい。まずは、我がデ・アソ・テティエンヌ=アム・ブティックにお越しいただきまことに有難うございます。私、店主にして所有者でありますオーレリー・アッソ・テティエンヌでございます。以後見知り置いて、贔屓にしていただければ光栄でございます」

 

 そうして、頷き、背の低いルイズを見下ろすような事をしないために、腰を降りつつ、カウンターの中で一歩下がる。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様ですね。わが店は若かりし頃のカリーヌ・デジレ・ド・マイヤール=デ・ラッソ・ヴァリエール様のご贔屓にされた身。一目見て、カリーヌ様のご息女とお見受けしました」

 

 半瞬、疑いようの無い笑顔を浮かべて過去を振り返るオーレリー。

 

「カリーヌ様も、武器を呻吟される際は、雑音を嫌った身。ご挨拶しない無礼はどうかとも思いましたが、勝手に遠慮させていただいておりました。申し訳ありません。お許しいただけないでしょうか」

 

 オーレリーの言葉に驚いたルイズとキュルケだが、それ以上にタバサが驚いていた。キュルケがタバサを見下ろしてニヤリと笑う。

 

「噂のカリーヌ様が通った武器屋を選ぶなんて、タバサも審美眼があるのね」

 

 眼を跳ね上げてルイズがキュルケを睨む。

 

「噂って何よ」

 

 キュルケは肩を竦めた。

 

「いろいろ」

 

 歯を食いしばって肩を怒らせたルイズがキュルケに食って掛かりそうになったので、イングリッドはまあまあと抑える。オーレリーは眼を細めて背を伸ばし、視線を移してタバサに頷きかけた。

 

「タバサ様もご贔屓いただき有難うございます。今日はご友人を我がデ・アソ・テティエンヌに招かれた事、まことにありがたいことであります」

 

 タバサは無表情で頷いた。オーレリーもそれに頷き返す。タバサの極端に言葉を惜しむ仕草に慣れた対応は、タバサがこの店を少なくない回数利用している事を思わせた。

 

「つきましてはタバサ様。こちらのご友人を紹介していただけたら幸いなのですが……」

 

 キュルケを手のひらで指し示して言うオーレリーを制して、タバサは口を挟む。

 

「慇懃無礼」

 

 タバサは一言呟くと、キュルケを見上げて、次いで、ルイズ、イングリッドの順で見渡した。キュルケとイングリッドはそれだけで察したが、流石にルイズは気が付く事が出来ずに首を捻る。それを認めてキュルケは笑いながらルイズの肩を叩いて、オーレリーに向き直った。

 

「私はキュルケ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。ゲルマニアからの留学生よ。いつもタバサと話している感じでかまわないわ。無礼だなんて思わないから安心してね」

 

 ウインクでも飛ばしそう勢いでカウンターにもたれかかるキュルケ。離れた場所で耳に届いていたが、イングリッドは先ほどまで別行動をとって、店主と気さくに話していたのはなんだったのかとキュルケを見つめ、次いでルイズを見る。それで理由に気がついた。大いに呆れた表情を見せるルイズの顔面に、僅かながらの葛藤が浮かんでいる。つまり、貴族としての対面や礼儀にうるさいルイズを思って、キュルケはわざとそういう態度を取ったのだ。

 イングリッドにもキュルケのそういう行動は理解できる。確かにルイズであれば貴族である立場を崩さずに対応するだろう。恐らく、謙譲の乗ったやり取りが延々と続くに違いない。それを嫌うキュルケだ。面倒を省きたかったのだろう。

 ルイズは、ひとしきり口元をわなわなさせると眼を閉じて一つ、溜息を吐いて肩を顰めた。その間、イングリッドはルイズから一歩身を引いて、ただ黙っていた。従者と見られている以上は、主たるルイズを遮る訳には行かないのだ。誤解を解くかどうかはルイズ次第。ただ、主の反応を待つ。

 ルイズは遂に観念したかのように、声を乗せて溜息を吐いた。

 

「はぁー。しょうがないわね。うん。それで良いわ店主さん。タバサと同じで良いわよ」

 

 イングリッドは小さく笑みを浮かべてルイズに肩を寄せた。

 

「ん。心広い主を戴いて、我も幸せじゃ」

 

 横を向いてイングリッドに視線を合わせたルイズは、その鼻に指を突きつけた。

 

「ルイズよ」

 

「……」

 

 キュルケとタバサはそのやり取りを聞いて顔を見合わせて苦笑いした。オーレリーは行儀良くそれを聞き流した。

 

 

 

 オーレリーが持ち出したのは、リボルバーだった。一見して古典的なパーカッションタイプの9連式リボルバーで、イングリッドが手にするにはかなり大きい。外見的には、リボルバーの軸がやたらと太く、ぱっと見、銃身が2本あるように見える。地球で見られるリボルバーとの明らかな差異は、ハンマー部分が見当たらない事で、リボルバー部分からスリムに整形された金属ボディが、ピストルグリップに繋がるデザインが特徴的だった。

 カウンターに置かれたクッションの上に鎮座するそれを、イングリッドはまじまじと観察する。キュルケ達3人は若干の緊張感を滲ませて、イングリッドと拳銃を見つめる。オーレリーも緊張感を滲ませてイングリッドを見ている。

 

 顎を扱きながら首を動かして外観を嘗めるイングリッドの視線は、これまた緊張感に溢れていた。どうしても拭えない違和感を感じていたイングリッドは、その正体に理解が及ばずに首を捻るところしきりだった。

 

「コンビネーションリボルバーじゃな。着火はパーカッション。装弾数は8+1。装弾方法は前装式」

 

 イングリッドはオーレリーに視線を移して尋ねた。

 

「手にしても?」

 

 オーレリーは頷いた。

 

「もちろん」

 

 イングリッドは右手で拳銃をつかみ上げた。

 

「グリップに貼られた滑り止めの木は手に馴染むの……じゃが、我には大きすぎるわ」

 

 そう言いつつも、イングリッドは拳銃をためすがえすする。その仕草に8つの視線が付いて回る。

 イングリッドが誰もいない方向に拳銃の銃身を向け続けている事に、オーレリーは感心した。グリップを握るだけで決して引き金に指を差し込まない事にも驚嘆する。オーレリーは、店内でおきた騒ぎでイングリッドに対する評価が混乱していたが、ここに来て個人的評価を大いに跳ね上げた。

 

 店内で、しかも陳列棚の前で剣を振り回す。冗談ではなかった。

 剣は対人殺傷目的に特化した汎用性の無い武器である。客がいることが常態である店内で、陳列棚の前で剣を振り回す。気が狂った所業である。

 しかし、オーレリーはその場でイングリッドの評価を定める事が出来なかった。

 身長150サント程の少女が、頑強な男でも難しい、片手で大剣を振り回すという行為を行っている。一応は周囲に気を配って、他の店員や客に危害が及ばないようにしているとも思えた。どちらにせよ、店の裏にある剣を試す場所を使わずに、店内で剣を振り回す行為がそれで許されるわけでもないのだが、人外の行為を見て、ルイズの姿を認めて、イングリッドが魔法生物の類かとすら思ってしまった。

 その時にオーレリーが思い浮かべたのはカリーヌではなくエレオノールだった。

 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。ラ・ヴァリエール公爵の長女である。トリスタニアに住む者でそれなりに世情に聡い者なら、評判を耳にする事は難しくない人物である。怪しげな事を行う事に躊躇が無い王立魔法研究所の研究員で、土魔法に優れた人間だ。そこから何がしかの怪しげな道具が渡されて、そこに形を見せているとまで想像した。

 ルイズとの会話を聞いて、一緒に居たキュルケの人となりを感じて、更に混乱する。どうにもイングリッドは普通の人間らしいと言わざるを得なかった。何が普通なのかという点で、オーレリーは価値観がひび割れる音を聞いたような気がしたが、イングリッドは普通の少女だった。

 武器を解説する言葉を聞いて、本格的に混乱した。恐ろしく詳しかった。外見で判断しては人間性を図れない類の存在だとは辛うじて理解出来た。

 

 そして今。

 実包が装填されていない拳銃をしかし、注意深く取り扱う姿。イングリッドはオーレリーの見るところ、極めて武器の扱いに長けた人物だった。店内で剣を振り回した行為に疑問はあるが、もしかしたら、こういった店で武器を見る経験が無かったのではないかと好意的に解釈した。考えてみればラ・ヴァリエール公爵が娘につける従者である。それが只者である筈は無い。外見も擬態としては素晴らしい。普通の従者として見るなら、美少女たるイングリッドの姿はルイズと共にどこに行っても違和感が無いだろう。疑いようも無く美少女であるルイズと釣り合っている。それなのにあのような力を発揮できるのであれば、魔法を扱うメイジとしてルイズが、力を発揮する時間を稼ぐのは容易であろう。やはり、貴族というのは従士一つとっても特別なのだなと、オーレリーは激しく感心した。

 

 イングリッドが剣を振り回した理由は単純である。剣をとって、その瞬間に武器の情報が頭に流れ込んで混乱したのだ。剣を振り回したのは、武器の情報を読み取った上での無意識の行動の結果だった。無意識の行動を行う前に、無意識に周囲の安全を確認していたところは普段のイングリッドそのものだった。

 

 オーレリーがルイズに対する評価を誤解したのも無理は無い。ルイズの真実は貴族社会では噂レベルで周知されているに近い情勢だが、平民社会には知られていない。幾度と無く確度の低い噂として平民社会に顔を出しているが、名にしおう名家たるヴァリエール家に対する醜聞としては話が突飛過ぎた。貴族間のやっかみ混じりの大嘘としか取られなかった。積極的にルイズの欠陥を社会に浸透させようとした者もいたが、優秀なメイジの子供が魔法を使えないという話は妄想にしても馬鹿馬鹿し過ぎた。よってルイズが無能等と言う話を信じている平民は皆無に近いし、ルイズが無能かもしれないと思っている平民でも、それを直接口にする事は無かった。

 なにしろ相手は公爵令嬢なのだ。それを徹底的に貶める内容の「魔法が使えないルイズ」。場合によっては不敬罪にすら取られかねない。国王の親族なのだから。

 

 オーレリー自身もルイズの醜聞を耳にしたことはある。ただし耳にしただけで一笑に付した。カリーヌを知る身なのだ。その息女が無能だという想像はありえなかった。よって、すぐに忘れ去った。そんな話があったことすら忘れている。ルイズに対する態度がぶれる事は無かった。

 オーレリーが経営するデ・アソ・テティエンヌ=アム・ブティックはルイズの母が足げく通った店である。それに対応したのもオーレリー自身だ。カリーヌと言う人物が他に比べるものが無い程の才媛である事は十二分に知っている。その彼女が通った店にやってくるルイズがそれに近しい存在である事は間違いないだろうという推測もあった。ある一面を切り取ってみれば、一種の自画自賛でもある。優れたメイジに贔屓にされる店。なんとも晴れやかな話である。

 

 

 イングリッドはオーレリーに視線を向ける。

 

「ふむ。引き金を引いても問題ないだろうか?」

 

 大問題である。普段の、普通の客なら、たとえ装弾されていない新品の拳銃であっても店先で引き金を引かせるなんてありえないし、そもそも()()()()の客でもない限りは拳銃を出す事はない。しかし、ヴァリエールのご息女とその従士である。よっぽどの客だった。イングリッドが持った拳銃は新品である。発砲されたのは工房で完成検査をしたときと、納品された後でのチェック時のみである。店先に出したときに、シリンダーの中が空っぽであったのはオーレリーが確認済みだし、カウンターに出す時にも確認した。問題は無かった。

 オーレリーは頷いた。それを確認してイングリッドは拳銃を上に―――天井に向けて引き金に指をかける。

 

 イングリッドは一気に引き金を引かなかった。

 何かを確かめるようにゆっくりと引き金を引く。ある深さを探ったら、指を戻して再度引き金を引く。引き金を引いた分だけシリンダーが回り、指を戻すとシリンダーも戻る。それを上目使いで確認して、そして探る。その姿を見てオーレリーによるイングリッドの評価は天井知らずになった。

 初めて扱う拳銃を持って、引き金の重さを探る。撃鉄が落ちる瞬間を探る。老練な経験を持った戦士にこそふさわしい態度だった。

 タバサもイングリッドの仕草の意味を理解していた。誰もいなければ唸り声を上げかねなかった。表情を保つのが難しい状態だった。

 ルイズとキュルケは神妙な顔をしてそれを見つめてしかし、内心では疑問符を飛ばしまくっていた。双方とも拳銃等は縁遠い存在なのだ。イングリッドが何をしているか理解出来ない。

 

 かちり。

 がちゃり。

 

 2つの音がほぼ同時に響き渡った。重苦しい作動音と共にシリンダーが回り、軽い音と共に遂に撃鉄が作動した。無論、銃弾が発射される事はない。イングリッドは納得した表情で拳銃をカウンターに下ろした。その動作の間にも、銃身が決して人の居る方向に向く事はなかった。

 拳銃を下ろしたイングリッドは身体を乗り出してグリップをオーレリーに向けた。

 

「センターガンを発砲する切り替えはどうやるのじゃ?」

 

 オーレリーは頷いた。

 

「拳銃を貸してください」

 

 頷いたイングリッドは銃身を斜め下に向けてグリップを突き出す。それを受け取ったオーレリーは大袈裟な仕草で身を引いて、銃口を店の奥に向けてグリップをイングリッドに見せた。

 

「ここにトグルがあるでしょう。これを上に向けて回し、動かなくなる場所でセンター、下に回せば通常のリボルバーとして作動します。グリップを握ったまま、親指のみで回せるようになっているんです」

 

 うん、と頷いたイングリッドは、そこでこの拳銃に感じていた違和感に気が付いた。


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