ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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 ここで書かれた内容は、正しく、大いに、まったくの、完璧に、捏造設定です。
 まったくのオリジナル設定であって、原作の設定から大きく逸脱しています。
 トリステインの国家勢力域は、原作ではネーデルランド程度ですが、この作品では、フランスそのものとしています。
 原作のガリアがフランスの位置にありましたが、この作品ではスペイン、ポルトガルと、アフリカの地中海沿岸域の一部という設定になっています。

 人口動態などは原作の設定は影も形もありません。原作設定の10倍以上。一部地域は30倍近い数値を想定しています。
 文明程度は懸絶しているどころの騒ぎではありません。
 そのあたりは留意願います。




初めてのお出かけ(3)

 シルフィードの上で向かい風に当てられて初めて、ルイズが伊達眼鏡を用意したことの意味を理解したイングリッドであった。まったく想像力がないものだと自身の迂闊を反省しつつ、嘆息した。ルイズが眼鏡を取り出した時点で疑問に思わないでもなかったのだが、あの時点ではそこに頓着しなかった。疑問があるのならば問いただすなりの方策があった筈である。

 

 キュルケも当たり前のように眼鏡をかけていた。こちらも伊達眼鏡であるようであったが、控えめでありながら趣味の良いデザインだった。形状的にはアンダーリムであり、鼻当てがなく、ブリッジで直接支えられているが、比較的高い鼻を持つキュルケには良く似合っていた。太いテンプルに精緻な装飾が施されているが、光沢のある赤で飾られた材料であり、反射した光が装飾の陰をあいまいにして、華美にならない印象だ。ゴーグル代わりというならなんとも贅沢なものだった。

 

 タバサは出会った当初から眼鏡である。余りにも彼女の顔に似合っているため、逆に印象が薄い。こちらに関しても伊達眼鏡であることは確実ではないだろうか、というのがイングリッドの見立てだが、顔を飾る装飾という意味でもなさそうだ。

 鼻の付け根にある赤黒い部分は、随分と長い間眼鏡を掛け続けた者に特有の「傷」であるし、タバサ自身も鼻をつまんでいるクリップを気にした風も無い。ツルの無い所謂フィンチなのだ。落ち窪んだ彫の深い顔を持っているというのならともかく、若いタバサの顔は未だに「平ら」であるといったほうが良い、シンプルな顔立ちであるから、フィンチを使っているのは不自然さを感じる。イングリッドが不躾に観察したところ、タバサ程度の鼻の高さではやはりフィンチの使用に無理があり、通常の形態ではレンズがべったりと顔にくっついてしまうためか、クリップからバーチカル・ブリッジを介してホリゾンタル・ブリッジに繋がるという、無骨で虚飾がないデザインだった。ただ、ルイズやキュルケが眼鏡をかけたことでイングリッドは、改めてタバサを注目して、そこで初めて疑念を感じた。その程度の不自然さであり、特別に注目しない限りは、その眼鏡はタバサの顔に馴染んでいた。

 クリップで顔面に固定するフィンチは、馴染まない内は皮膚を傷つけて血を滲ます結果をもたらす事が多い。タバサの眼鏡はその段階をとっくに乗り越えた状況だった。慣れているんだろう。ゴーグル代わりというにも小さすぎるような印象があるし、だいたい、呼び出して数日ほどしか経っていないシルフィに乗るにあたって用意したというならば、いろいろとおかしな話になってしまう。なにか魔法的な意味があるのかもしれないのかなと、イングリッドには想像するしかないところだった。

 

 シルフィの首の付け根に座ったタバサ。それを後ろから抱くようにするキュルケ。それと背中合わせになって座るイングリッド。それに相対するルイズ。

 おかしな順番と座り方になっていたが、そうしないとイングリッドが眼を開けることが難しかった。シルフィードはそれほどまでに速い速度で空を駆けていた。

 そういった状況に対して、それなりの「手立て」を持っているイングリッドではあるが、それをここで見せてしまって良いかに関しては葛藤がある。秘密を共有することになった2人とはいえ、はたして自身の能力をどこまで晒して良いかという問題に関して、2人を判断する材料の持ち合わせが少な過ぎたのだ。決断できないでいた。最悪ルイズにならば見せても良いと思いつつ、優柔不断にも、ルイズに対してすら迷っている部分なのだ。

 ここではシルフィードの存在も問題だった。何しろ竜なのだ。どんな神秘的な力を持って、イングリッドを見ているか。もしかしたら、すでに全てを見透かされていても不思議ではないとすら思えてしまう。

 決して弱くは無い状態のイングリッドと正対して互角以上に渡り合ったハウザーという過去を思い出すと、シルフィードに心許す事が難しくなってしまう。こんなに「可愛い仔」に心を許すことが出来ない……。なんとも寂しい話であった。

 

 きゃいきゃいとかしましく騒ぐキュルケの後ろで、イングリッドはいろいろと不自然なことがあることに気がついていた。ルイズとどうでも良いことを駄弁りながら、小さな疑問を積み重ねてしまっていた。

 

 シルフィードの背は広い。

 彼女は、鼻の先から尻尾の先まで15メートル。翼を広げれば両翼20メートルを超える巨躯を持つ。その背中は畳2枚を長手方向に並べて3組6枚は載せられる広さだった。実際の可載重量がいくらかまでは判らないが、体育座りをすれば、大人12人は座れるほどの大きさなのである。

 「元の世界」で竜の背に乗った経験なんてあるわけも無いイングリッドだったからそれ自体はどうでも良い事なのだが……竜に乗騎するにあたって、馬に乗るようにその胴体を足で挟むことはできなかった。そんなに大きい胴体を挟みこめる人間となるとサガットぐらいしか思いつかないイングリッドだが。

 つまり、騎乗姿勢が不安定なのである。

 シルフィードの背は広い。翼の付け根の部分も含めて良いというなら、更に4人ぐらい追加してももなお余裕がありそうだった。事実、タバサは随分と慣れた雰囲気で胡坐をかいているし、キュルケも「女の子座り」だった。イングリッドとルイズは足を投げ出して互いに絡めている状態である。それで何の不安もない。随分と安定している。

 これだけ広い場所なのだから、空の上とは言えども何の不安も感じることは無いのだが……おかしい。イングリッドはそう思ってしまう。

 

 この世界の竜は、背中に何かを乗せることを常識としているのだろうか?

 

 シルフィードが飛び立つそのとき、彼女は大して羽ばたくことも無かった。シルフィの周囲に勝手に風が集まって、翼を広げた彼女を持ち上げた。そういう風にイングリッドには思えた。鳥が地面から飛び立つ様であれば、その背中にしがみつかなくては振り落とされるであろう。アホウドリのような飛び立ち方でも、大変な苦労があるだろうと思える。地面を駆ける間に振り落とされてしまうかもしれない。

 竜であるのだから、多分に間違いなく「魔法」によるサポートがあるのだろう。竜という存在なのだからそれぐらいのファンタジーは許されるであろう。そうではあってもイングリッドが不思議に思ったのは、飛び立つときも飛び立った後も、シルフィードが背に何かを載せることに随分と慣れている雰囲気であったことだ。

 広い背中だと言っても、やはり生物の背中なのだ。幸いにして背骨の両脇から翼をつなぐ筋肉が盛り上がり、翼の付け根から随分と頑丈そうなフィレット状の膜が尻尾方向に伸びているから、相当に平らなのだが、それもシルフィードが明らかに騎乗中の4人に配慮して飛行姿勢を整えているからという面が大きかった。尻尾を跳ね上げた、かなりの前傾姿勢で飛行しているのだ。三角定規の長手方向を水平にしているかのような姿勢になっている。

 モノを載せるために平らに均したわけではない、やはりどこまで行っても生物の背中なので、そこそこの起伏はあるし、もしも翼を羽ばたかせるような行為に及べば、背骨の左右極僅かの範囲以外は激震に見舞われるだろう。

 しかしイングリッドがシルフィードの一連の行動を観察した限りでは、彼女が背中の上に特別な心遣いを見せているとしか思えなかった。

 

 呼び出されて4日程度。それぐらいでそんなにも簡単に慣れる事なのだろうか?素晴らしい調教振りである。

 呼び出したシルフィードに嬉々とした表情を浮かべて、日がな一日乗り回して喜ぶタバサ。などという想像も難しいことである。しかし、それぐらいをして初めて、シルフィを慣らすことが辛うじて出来る程度の期間ではないだろうか?竜が、それも風韻龍が、格別のコミュニケーション能力を持っているがゆえに、特別素早く仕込むことが出来たというのだろうか。それとも、やはり、この世界の竜は人を背にすることを常態にしているのだろうか?よくわからない。

 

 どうにも悩んだところで答えが出る問題ではないし、さりとて、本人に聞いてよいものかも迷うところだった。少なくとも、キュルケやルイズがいる場所で尋ねて答えが帰ることは期待できない。

 これもまた、要確認か。

 疑問やら疑念やらが積み重なってイングリッドの頭の中で不安定な塔を築いてぐらぐら揺れている。その積み重なった積み木を崩れ落ちる前に処理できるのだろうか?深刻な疑問だった。その疑問すらも積み木の上に積み上げるというのか?

 

 

 嬉しそうでありながら、どことなく含みのある笑みを見せるルイズ。イングリッドと相対した主の顔を見つめる。

 本当は2人きりで買い物に来たかったのだろうか?自身の迂闊な発言で、余計なモノが着いて来てしまった。そういう反省があるのかもしれない。

 

 ただ、イングリッドとしてはありがたいことだった。どうにもルイズにはお嬢様然とした雰囲気が付きまとっている。ルイズとのみ、2人で街に出かけて果たしてこの世界の暗部を見ることが出来るか。そこまでは行かなくても、どうもルイズと会話を続けているとこの世界の常識から微妙に逸脱していく感覚が拭えない。

 イングリッドにしてもルイズの事を世間擦れしているとまでは言いたくはない。だが、タバサとは別の方向で世界の暗部を覗いている雰囲気があるキュルケが一緒であれば、今回の「お出かけ」は非常に心強かった。

 

 「ゼロのルイズ」であるが故に、メイジという立場にある貴族の暗部を突きつけられたルイズ。

 その出生に華やかならざる部分があるが故に、貴族社会の暗部を突きつけられたキュルケ。

 そのあり方そのものに人間社会の暗部を突きつけられたタバサ。

 そして、好むと好まざるを別とせず、その存在の有り様ゆえに、世界の暗部を渡ってきたイングリッド。

 

 イングリッドに関しては、その生きた世界が別であることを考慮する必要があるにせよ、その存在の根底にわだかまっている澱の暗さでは似たもの同士の集まりかもしれないと思わせる4人だった。

 

 

 風を斬る音を聞けば、時速200キロ前後だろうか?本格的なゴーグルを用いなければ通常は眼を開けるどころかシルフィードの背にしがみついて何とか耐えられるか、といった騒ぎになるはずだが、実際にイングリッドの身体に吹き付ける風はそれほどのものでもなかった。眼を開けて前を見ているのが困難。程度で済んでいる。魔法的な防護があるのだろうか?

 そもそもシルフィードは、上空に舞い上がって以降、殆ど羽ばたいていない。微妙な進路変更も尻尾を微妙に振り、翼の先端を僅かに捻るだけで見事にこなしている。よって彼女の背は非常に快適な空間を維持していた。風を斬る音自体も大音声と言う訳ではない。窓ガラスを隔てた向こう側から響いているような妙なくぐもりである。ドイツあたりのインターアーバン乗車中に感じたような音質だった。やはり人外の加護があるのであろうとイングリッドは推測する。

 

 思考が行ったり来たりしている、自身の心の揺らぐ様を自覚してイングリッドは苦笑いを浮かべた。ルイズとの会話が途切れた瞬間に、何となく伸び上がって地面を見る。

 かなり離れた所で大地を抉る傷跡……街道が見えて、そこにキャラバンのような一団が延々と列を成しているのがイングリッドの視界に捉えられた。

 

「あれは、なんぞや?」

 

 新たな話題作りのためにイングリッドは、ルイズに聞くとは無しに尋ねる。

 ルイズもイングリッドの視線を追って、それを眼にした。

 

「ああ、あれね。たぶん、学院にモノを運んでるんじゃないかな」

 

「ほう。学院はあれほど大量の物資が必要なのか」

 

「あれで一日分ぐらいじゃない?」

 

「……あれで?」

 

 こちらの会話に気がついたのか、キュルケが振り返って話題に加わった。眼下、というにはいささか離れた位置で、100両近い数の馬車が隊列をなしている。御者や、護衛の騎乗者が幾人か空を振り仰ぎ、こちらを眺めているのが「見える」。1000人近い人間の気配が感じられた。

 

「ああ。ご苦労様なことよね、アレ」

 

 狭くは無いが決して安全とはいえないシルフィの背で、キュルケは危なげ無く慣れた仕草で身体を回した。

 ……ルイズが存外にさびしがり屋で会話に餓えている事実は十二分に理解していた。しかし、実のところ社交性がある風を装っているだけで、キュルケも気安い会話を渇望しているのではないか、と刹那に疑問を思うイングリッドだった。

 どうも機会があると見れば、遠慮なく会話に割り込んでくる。そんな気がする。

 

「10000人を養うんだから大変よね」

 

「10000人じゃと……」

 

 キュルケの言葉に頷いているルイズの横で、その言葉が示した意味が瞬間には理解できなくて鸚鵡返しになったイングリッド。変な表情でルイズを見てしまう。

 

「ああ、イングリッドは、トリステイン魔法学院にいる人間が、どれくらいか知らないモンね」

 

「そうね。トリステイン魔法学院は『学校』として見るといろいろと常識外れだから、イングリッドが驚くのも無理ないか」

 

 2人が腕を組んで「うんうん」と頷く。タバサがちらりとこちらを見て、すぐに前へ向き直った。

 そうこうしているうちに、キャラバンの隊列は後ろに置き去りになっていた。

 それを見送って、視線を戻し、キュルケが言葉を続ける。

 

「生徒数900人余り。常勤教師が300人ぐらい。専門講師も300人くらいかな?職員数は2000人ぐらいで使用人が約5000人ってトコ。生徒以外は家族がいる場合もあるから、学院敷地内に暮らす人間は10000人をくだらないよね」

 

 その言葉に続いてルイズも訳知り顔でイングリッドに向き直る。ルイズにしても誰かに頼られる、誰かに尋ねられると答えずにはいられない性癖があるのではないかと密かに見立てるイングリッドだった。生来、教師向きの性格かもしれないとまで思ってしまう。キュルケもルイズも落ち着いているところであれば、良い性格をしていると思える。

 

「特殊授業で非常勤を雇うこともあるし、課外授業では、常傭職員を臨時で雇うこともあるわ。ほかにも生徒が直接雇い入れた使用人がいたりもするしね」

 

 その言葉にはイングリッドも素直に納得した。

 

「フランツのようにかや」

 

 ルイズが頷く。そうしてキュルケに視線を移すとキュルケも頷いた。

 

「私も馬丁を3人雇っているし……タバサは大変よね。シルフィの世話に30人も雇ってる」

 

 その言葉に僅かに眼を見開いて驚くイングリッド。タバサの背に視線を送ると、斜めに傾いだ顔で半眼でこちらに視線を送り、また前に戻した。

 

「そんなに必要なのかや……」

 

 キュルケが小さく肩を竦めて両の手で空を振り仰いだ。

 

「さすがにシルフィの食べるものを用意するまでは、学院が面倒見きれない見たい」

 

 キュルケがシルフィードの背中を「ぽんぽん」と叩くと、抗議をするように尻尾が振られて彼女の長い首がこちらを振り返ろうとして……すかさず「ぽかり」と殴られた。タバサの杖はなかなかに使い勝手がよさそうである。

 くすりと小さな笑いを見せたキュルケがイングリッドに視線を移す。

 

「まあ、半分ぐらいはシルフィが驚かす馬のフォロー役よね。シルフィ専用の住処が出来れば人数は減らせると思うよ」

 

 シルフィードを引き出すときに発生した騒ぎを思い出してイングリッドは頷いた。

 

「なるほどのう。納得じゃ」

 

 しかし、イングリッドは別のことを考えていた。

 

 

 学院に10000人。これ自体に驚く理由は無い。

 大学敷地内に10000人。そう考えると、それなりに大きな学校だな、で済まされてしまう。カレッジ敷地内に10万人がひしめいている場合も極僅かな例とはいえ、いくつかあるので、驚くべきことではあるかもしれないが、特殊な例外とまでも言いがたい。

 しかし、生徒数900人に対して、教職員が10000人。これはちょっと想像を絶する話だった。

 なかなか比べるべき対象が思い浮かばないが、無理やり例に引き出しても、近世オックスフォードであってすらこんなに歪な人員比率ではなかった。精々が生徒2に対して教職員1というところで、それも極初期の話である。

 完全全寮制が維持されていたころのオックスフォードでは生徒数20に対して教職員が1という割合が平均だった。それでも他の学校と比べれば「飛び切りのイレギュラー」といわれるレベルで、現在では40対1ぐらいだろう。それであってすら、なお過保護だと言われている。

 対してトリステイン魔法学院。

 過保護どころの話ではない。学業以外の何がしかの役割をトリステイン魔法学院が持っていると言われなければ、幾らなんでも生徒以外の人間が多すぎる。

 或いは、そういう形がハルケギニアの常態なのかとも予想する。やたら滅多ら多いトリステイン魔法学院の教職員の総数を説明した2人の声には「平民なら驚くよね」ぐらいのニュアンスが透けて見えた。つまり、ルイズやキュルケにとっては常識であり、疑う事も無い貴族社会の通念なのだろう。

 イングリッドはハルケギニア世界を自身の世界と「比較」する意味の無さを、遂に受け入れることにした。いや、ルイズの安全を図るために自身の能力や常識と「比較」して行動原理を定めることはやめられない。だが、世界観の違いに一々驚くことはなんら意味がないことだと理解した。もう、この世界は「本当に」異世界なのだと納得したつもりになった。

 今の今までイングリッドは、自身の認識のどこかにハルケギニアが「異国」であるという認識が張り付いていることに気がついた。いや、そう信じたかっただけだ。

 

 異国ではない。違う。

 

 異世界なのだ。

 

 たまたま姿かたちが自身にそっくりの、コミュニケーション可能な生物がいた。それがイングリッドの認識を歪めていた。そうとしか思えない。

 端からルイズが、こう、犬顔をした生物であったとか、猫耳でぼいーんばいーんな生物であったとか、極端な話、触手がうねうねしているような生物だったら、こんなことでうじうじ悩む必要は無かっただろう。異世界だから仕方ないね。それで全てを納得したはずだ。

 ……そんなんであったら、召喚された瞬間に大惨劇であったであろうが。

 

 イングリッドは突然にハウザーに対して申し訳ない気分を持ってしまった。

 あの姿が彼の世界の常態だというなら、突如として人間世界に引きずり込まれてしまったその時に、大暴れするのも当然過ぎる結果であろう。自身に置き換えて想像するとよい。周りに存在するモノが、術からずハウザーだというなら。イングリッドであっても冷静ではいられないだろう。

 その大暴れの結果に対して、ハウザーを打ち倒す行動は常識的対応であったと今でも思うが、その前に、何か別の選択肢があったのではないかと思ってしまう。

 結局は、イレギュラーな事態の出立に関して、抜きがたい先入観があったのだろう。実際にそういう立場に置かれて始めて、彼がどのような困惑を得たか理解できたような気がする。

 いや、まだ自分は幸運なのだ。見た目が変らない人間に囲まれている。衣食住で困ることも無い。皆が優しく接してくれている。唯生活を営むだけなら、異世界であるという自覚無しに生きることも可能だろう。この世界はイングリッドに()()()()酷く優しい。呆けてしまうのも納得だった。

 

 いつの間にか思考が飛んでいたイングリッドを置いて、キュルケとルイズがどうでも良い会話をしている。教師がどうとか職員がどうとか。顔が良いとか、仕事ぶりが素晴らしいとか、トイレが綺麗になったとか、朝食がおいしくなっていたとか。

 会話をするうちに、内容がアッチにコッチに飛ぶのは女子特有の行動である。本当に平和な世界だと思う。

 それに苦笑いを送って、キュルケの横を這い、タバサの後ろににじり寄った。タバサは即座にイングリッドの気配に気がついて横目を送る。

 

「なに?」

 

 イングリッドは足を投げ出して、タバサの身体を挟み込む。風を受けて眼を細めつつ、胡坐をかくその小さな身体を抱きよせた。青い髪の下でその体表温度が僅かに上昇するのがわかった。イングリッドはそういったモノを「見る」能力に長けている。顎を整えられた青い頭髪の上に軽く乗せた。居心地悪そうにタバサは身動(みじろ)ぎしたが、イングリッドは構わなかった。

 タバサから本気で嫌がっている気配が感じられない。タバサもまた、人肌に餓えている雰囲気があった。それを理解しているからこそイングリッドは何気ない風を装って、抱きついたのだ。

 ……イングリッドの「カワイイモノ好き」という個人的嗜好を満たす部分も若干はあったが。

 

「うむ。いろいろと教えてほしいことがあっての」

 

 ルイズもキュルケの横を避けてイングリッドの背中に抱きついた。

 

「なによ。私に聞けないことでもあったの?」

 

 不満がありありと伺える気配に、イングリッドも苦笑いを浮かべる。その後ろからキュルケも抱きついてきた。

 その腕が大きく伸ばされてタバサを前抱きにしようとするが……流石に間に2人もいれば、タバサの前に腕を出すことまでは出来ないようだった。刹那、逡巡した後で、仕方なくイングリッドの前で腕を交差させる。

 

「むぎゅ」

 

 低い位置にある頭がキュルケの双丘で挟まれて、イングリッドの背中に顔を押し付けられて、ルイズが小さな抗議の悲鳴をあげた。

 悲鳴だろうか?

 

「いや、すまぬのタバサや。使い魔の能力……ああー、つながり、とでも言うのかや?そういうのを知りたくての」

 

「?」

 

 タバサがイングリッドの顎の下で首を傾げた。

 

「我はイレギュラーな様での。その、なんじゃ。視界の共有とやらとか、うまく出来んのでの。どういう風な感じなのか知りたいと思うのじゃ」

 

 キュルケに抵抗してもぞもぞとうごめくルイズの動きが一瞬強張った。その後ろでキュルケが刹那のルイズの反応に敏感に気がついて、疑問符を飛ばす。

 互いが互いの機微に長じる……良い事ばかりではないのだと、イングリッドは嘆息した。

 

 自身の後方で起きている出来事に疑問を感じて首を傾げたタバサだったが、無意識にシルフィの背中を撫でつつ、イングリッドに横顔を向けた。

 常と変らぬ鉄面皮であったが、そこには僅かに好奇心が浮かんでいる。

 イングリッドはタバサの鉄面皮が、訓練等で得られた技能ではなく、完全に自己流の工夫の結果であるのだと理解した。

 

「何が知りたい?」

 

 イングリッドがタバサの後ろについた時点で、つまり、イングリッドの顔がタバサの上に生えた時点でシルフィードは飛翔速度を落としていた。時速にして50キロにも満たない「ゆっくりとした」速度だった。なんとも気を利かす竜である。

 

「んむ。使い魔の視界を共有できるそうだが……どう見えるか、興味があっての」

 

 まったくの好奇心から出た言葉。そう聴こえる筈だと思う。しかし、大いなる緊張を心に抱きもする。

 はたしてタバサはそれを説明してくれるだろうか。特殊な特典がついて、闘争の場での大いなる利点となるのであれば、今、延々とイングリッドが悩んでいるが如く、その特殊性を誤魔化すのではないだろうか?

 そこのあたりでタバサのあり方が図れるかもしれないという淡い期待がイングリッドにはあった。

 人付き合いの形としては反吐が出る話だが、ルイズの安全が第一と定める今のイングリッドのあり方としては「仕方が無い」と納得するしかない。

 

 タバサは僅かに眼を閉じて、何かに悩む風に首を捻った。イングリッドが内心のみで緊張する。表情には微笑を浮かべて、小さく小首を傾げながらタバサの横顔を覗き込むように見つめる。

 キュルケから見ると、その姿は、単純に好奇心のみしか見えなかった。所詮は20年弱の人生経験である。いくらイングリッドが「普通」の経験に疎いとはいえ、イングリッド以外の3人からすれば百戦錬磨の練達と言っても良いほどに人生経験に隔絶した差がある。それを磨くために時間を費やしたのではないにせよ、折に触れてそれが必要になり、そして繰り返してきたイングリッドの経験は、通常の人のあり方とはかけ離れた数が繰り返されている。完全な欺瞞モードに入ったイングリッドの本心を知ることは3人には不可能だった。

 

「ん……。どう、説明して良いか、わからない」

 

「?」

 

 顔を覗き込まれていることに気がついて、顔を赤らめたタバサがぶっきらぼうに答える。キュルケはその姿にむずかゆい思いを抱いた。唇が震える。ルイズは身体を緊張させたままだった。

 

「そう。水中から空を見上げたような……そういう風に見える」

 

 その風景を想像しながら「ふむ」とイングリッドは頷いた。極僅かなためらいを乗せてしかし、更に突っ込んだ質問を口にする。

 

「そうじゃな……んー、意識してはっきりと見るとか、ああっと、んー、竜特有の視界と言うか何というか……」

 

 イングリッドの緊張とか葛藤とかというのは、この場では完全な空回りになっていた。

 

 イングリッドがタバサやキュルケを見極めることが出来ていない現実から来る弊害であって、タバサの方にはシルフィードの能力をことさらに隠す意図が無かった。

 タバサがシルフィの能力の隠匿にいい加減になっているのは、シルフィードの能力が隠すほどのものではないということではなく、シルフィードが風韻竜であることが隠蔽すべき第一義であるという認識があるからだった。

 その秘密が破られている。で、あれば、もはやその能力に関してことさら隠し立てすることも無い。タバサはそう認識していたのだ。

 これは2人のそれぞれの「常識」に埋めがたい溝があった事に端を発する認識の違いだった。

 タバサにとってはシルフィが「風韻竜」であることを隠すことが重要であって、それがばれてしまっている現状では、もう、隠すことは何もないという考えだった。

 翻って、イングリッドは「風韻竜」というものがこの世界に於いても特殊であることを理解しているつもりであったが、それはそれとして、個々の能力が有事の際に自身にどう影響するかを重視していた。固有の名称が明らかになったところで、それはそれ。隠せる能力は隠し通すことに利益があるというならば、隠すべきだ。そういう考えである。

 常識が違った。文化が違ーう!とでも叫ぶべきか。

 

 

 そういう認識であったからタバサはイングリッドの言葉を大いに誤解した。イングリッドが何を聞きたいかを「理解」した。実は勘違いでしかなかったが、タバサはイングリッドが「竜」という幻獣に並々ならぬ興味を持っているのだと思ってしまった。

 無理からぬところはある。初めての顔合わせであれほどまでに熱烈なコミュニケーションを図ったのだ。イングリッドのあり方に不審があるのはシルフィからの警告も含めてタバサは理解しているつもりだったが、時々イングリッドが不意に見せる、外見相応の行為はタバサにとって好ましくもあった。だから、そういう好意的な誤解もまた仕方が無い部分があった。

 また、この瞬間に、イングリッドの体温を感じて、その奥底にある、何もかもをも溶かす不可思議な温かみを感じて、タバサの意識が掻き乱されてしまっているのも影響していた。

 はたして、特に気負うことも無く、それを隠匿するべきものとも考えることなくタバサは、自然と答えていた。

 

「ん。シルフィの視力はすごい。自分の何十倍も良い」

 

「と、いうと?」

 

 どう説明して良いかわからないのか。何度か首を傾げてからタバサは、ふと、学院の南西方向に見えた山の頂に視線をめぐらせる。

 

「シルフィ」

 

 呼びかけながら首を叩くと、シルフィードが首をめぐらして、白を頂く山に視線を向ける。その間も飛行姿勢が乱れないのだからシルフィードという竜は、本当に大した物である。

 

「山」

 

 簡潔に示された言葉に、イングリッドは苦笑いを浮かべた。

 

「山じゃな」

 

 キュルケもシルフィードの首が向く方向から辺りをつけて、山脈のほうへ首をめぐらした。

 

「山ね」

 

 キュルケの言葉を受けてタバサが頷く。

 

「右端から22番目のピークの下、127メイル程の位置にある斜面を、雪華大箆鹿18頭の群れが飛び跳ねつつ左に移動している……僅かに小さな体躯の、角が小さい若い雄の固体が今、足を踏み外して斜面を滑り落ち……ん、持ちこたえた」

 

「……はあぁぁぁっ?」

 

 タバサは俄かに赤く充血し始めた眼を瞬かせて、眉間に皺を寄せている。タバサの言葉の意味を瞬間には理解できず、イングリッドの内心にその内容が染みてきたころには、シルフィードもタバサも前に向き直っていた。しかし、タバサは微かに前かがみになってこめかみを揉んでいる。その身体も僅かに揺れていた。

 イングリッドもキュルケも……いつの間にか、2人の身体の間から伸び上がって首を突き出したルイズも山を見つめる。

 あっけに取られてイングリッドは、何度か「山」とタバサの間で視線を巡らせてしまう。

 

 山。

 

 確かに山だ。それは判る。

 しかし右から22番目の山頂と言っても、霞んでよく見えない。だいたい、ピークのほとんどが雲に隠れている。いや、イングリッドの能力なら、実は、雲でも霞でも霧でもある程度は見通せる。山の輪郭については相当にくっきりと認識できる自信はある。

 

 だが、斜面に鹿だと!

 

 イングリッドが過去の経験に照らし合わせて、目分量でざっと乱暴に計測して350キロから400キロは離れた「山」だ。モンリュソンからマルセイユを見渡せと言っているに等しい距離である。イングリッドの眼をしてもその距離では、流石に街は見えても人がいるとまでは確認できない遠距離だ。だいたい、350キロから400キロという距離は、大抵のスパイ衛星の軌道高度よりもなお遠い距離だ。しかもここから山を見る視線は、大気の擾乱の影響をもろに受けている。

 スパイ衛星が能力を発揮するのは存外に「薄い」大気の層を「上から」覗いているからなのだ。いくら高性能分解能力を持っているスパイ衛星のカメラといえど、大気の井戸の底では糞の役にも経たないだろう。精々50から70キロを見通して、なんとか人の輪郭を捉えることが出来る程度だ。

 これはどれほど高性能なカメラであっても変らない。大気の擾乱の影響は、それほどまでに大きいのだ。大気の底で見る限り、どれほどまでにカメラの性能を引き上げたところで、大気の揺らぎをくっきり確認できるようになるばかりで、実際の目標物がはっきり見えるわけではない。結局のところ大気も「モノ」である事に変わりは無いので、カメラの性能を上げれば、大気を良く見ることが出来る。その先に何があるかは判らない。そういう結果になるのである。

 イングリッドがうまく視線を通せない最大の理由は、そこなのだ。宇宙空間なら相当に細かく見通すことも出来よう。なにしろ視線の途中に「何も無い」のである。だが、ここは地上である!

 キュルケもルイズも、信じられないものを見て、口をあんぐりと開けていた。その4つの眼は、しばし瞬くことを忘れている風だった。

 タバサは3人の様子に気がついているのかどうか。何度も首を振っていた。

 

「疲れる。すごく」

 

 その一言でイングリッドは納得した。やはりそうなのかと理解を得た。

 

「すまぬの。つまり、普段は制限された視界が……視界のみが見られるのじゃな」

 

「そう」

 

 いつの間にか緊張を解いていた、といよりも、緊張がぶっ飛んでいたルイズはイングリッドと顔を見合わせて頷いていた。初日の夜に交わした推測が正しかったことを理解して、互いに納得する。

 キュルケのみがそこからつまはじきにされた訳で、キーキーと喚かれたので、説明をすることになった。

 

 

 タバサとキュルケの言をもって、ルイズも加わって推測した結果としては、やはり、あの深夜の会話がだいたい正しいのだという結論になった。

 シルフィードはやはり竜である。それも風韻竜という「特殊な」存在だ。何らかの特殊な能力がその視線にも備わっていた。

 しかし、タバサがその能力を十全に生かすことは難しかった。余りにもシルフィードの見る世界が人間にとって異質であったのだ。

 通常常態でも、恐ろしく精密且つ遠距離を見渡せる視界、視力。それを見ただけでもタバサは激しい頭痛を覚えるという。やはり、人間の頭脳では情報処理がおっつかないのだ。

 さらにシルフィと深く繋がると、魔法の流れ、としか説明のつかない何かが見えるのだという。シルフィの語彙の少なさから、彼女が言葉を尽くして説明したところで、他人がそれを理解することが出来なかったが、そういうものなのだろう。常識をただ常識と認識している事というものを他人に理解させるのは非常に難しい行為なのだ。ましてや異種族間で、となると困難どころではなかった。例えばアメンボが持つ4つの眼で得られる視界を言葉で説明せよといわれても、そんなことは事実上不可能だ。そういう難しさがあった。

 

 その【不確定名称:魔法の流動】を見る事は、タバサにとって相当な苦痛を伴うという。一度だけためして、以後は「直接」見ることはやめたという。賢明な判断だと言える。シルフィがそれで捉えたものを説明させることで情報として得るようにしているのだという。その辺りが現実的な妥協点だろう。

 その何かが本当は何であるか、シルフィード自体がいまいち理解しきれないがために、情報としての質が著しく劣化してしまうのが悩みの種だという。

 

 更にシルフィードは風を「見る」事が出来るという。様々な色がついた水が、模様を描いて水面を彩るが如くに、流れを読むことができるのだという。

 ややこしいことに、水面という2次元だけでなく、水中まで含めた、奥行きがある3次元的世界でそれが見えるというのだから人間では確かに処理出来る筈も無い情報だ。頭がパーンで終わるだろう。大きさ、重さ、速度。それらが違う物の動きを個別に区別できる―――視界の通る範囲内全てにおいて!というのだから、イングリッドも恐怖するばかりである。

 

 遠くを見ることが出来るのだといってもただ単純に「すごいね」では済まされない事実があることをイングリッドは理解したが、それを3人に説明することもまた大変に難しい。よって、すごいね、で済ますしかなかったのがもどかしくもあり、また、安心も出来る結果だった。

 

 タバサがあっさりとシルフィードの能力を開帳してしまった事実にイングリッドは困惑する。タバサにとって、突然現れたに等しい存在のイングリッドはそれほどまでに信用してよい存在なのか。或いは取るに足らない存在と思われているのか。それとも、未だに明らかにされていない秘密があるのだろうか。

 考え過ぎだった。しかし、自身の常識から照らし合わせて、こういう結果を得られるとは想像していなかったイングリッドは、タバサから情報を得て余計に混乱してしまった。()に恐ろしきは固定観念というべきか。

 

 

 使い魔の能力。というか、幻獣の能力がその実、とんでもないことを全てのメイジが理解に及んでしまったら、そこから発生する問題は相当に大きいだろうとイングリッドは思う。

 例えば、下世話な話、のぞき目的となれば、シルフィードの能力はある種の特殊性癖の人間には垂涎の的となる。軍事目的に転用する発想があれば、恐ろしく高性能な偵察機の出来上がりだ。何億ドルもする偵察機ですら鼻で笑ってすませてしまえる「超」能力だ。とんでもない高性能ぶりだ。

 夜間も見通せるというのだからますますもって驚くより他無い。タバサがその状態でシルフィの視界を借りても何が何だか判らないと言うのは僥倖なのか……。しかし、シルフィードは人間と高度なコミュニケーションを交わす能力がある。シルフィードを訓練すれば、彼女自身が見たものを詳しく説明して情報に昇華する事も可能だろう。そんなことが常態になったら、それはまさしくトランスフォーメーション(軍事革命)だ。

 

 フレイムについても恐ろしい事実が判明した。キュルケはそれが凄まじい能力である事に気がついていなかったが、イングリッドがある程度予想していたとおり、熱で物を見分ける能力を保有している事実があった。熱のコントラストを見極めて壁の向こうもそれなりに見渡せるというのだ。

 キュルケと顔を合わせたあの朝。キュルケがルイズの動きを認識し得たのはつまり、フレイムのその透視能力ゆえだったのだ。キュルケはフレイムの視界を持って、ルイズの部屋で起きていたごたごたを眺めていたのである。だからルイズとイングリッドの行動にあわせて、部屋を出ることが出来たのだ。

 それを聞いたルイズはキュルケを激しい勢いで殴ったが、それを視界に捉えながらイングリッドは身体を震わせた。

 

 甘かった。

 周辺状況に対する認識が甘かった。

 

 あーだこーだと騒ぐ3人の局外に合って(とはいえ、タバサはキュルケになすがままに身体を揺すっていただけである)、イングリッドは自身が眼にした様々な「使い魔」を思い出す。

 

 それらにどういった常識外れの能力があるのか。

 

 視力だけではない。

 5感がどれほどのものなのか。第6感もあるのだろうか?それらを敵にした場合、例え攻撃力が無い手合いであったとしても、情報を適切に扱える主と組み合わせれば相当に危険を感じる相手となる。そういった存在がゴマンといる世界!

 

 ……なるほど。異世界である。

 

 どうも余計なことをした気がするイングリッドである。

 タバサはシルフィードの能力を召喚してからの()()()に相当程度使いこなしているようだったが、キュルケに関しては薮蛇だった様な気がしてならなかった。認識していない、出来ていないフレイムの能力を穿(ほじく)り出す可能性がある。隣の部屋から壁越しに四六時中観察されているというのは落ち着かない。冗談では無い!

 その危険性に気が付いたイングリッドは眼を細めて、キュルケの顔を睨んだ。

 

「キュルケや」

 

 ルイズとキュルケは互いの頬をつかんで捻りあうのに忙しかった。イングリッドはそこに割り込む。意図的に強い感情を載せて、キュルケの瞳を覗き込む。

 その雰囲気に気がついて2人は自然と手を離して、何となく居住まいを正した。

 

「のぞきは感心せんの」

 

「……」

 

 緊張するキュルケの肩に、イングリッドの手が乗る。反射的に身を引こうとしたキュルケだったが、途轍もなく強い力で逆に引き寄せられてしまい、唸る事しか出来なかった。

 

「のぞきは、感心せんの」

 

 眼を泳がせたキュルケはイングリッドの視線から自身の視線を逃れさせて、ルイズに眼を合わせた。

 ルイズはそれに気がついて肩を竦めた。

 

「良い趣味とは言えないよね」

 

 青い顔をしてだが、キュルケ固有の体表の色にそれを隠してしかし、絶望感に身を溶かして、タバサに視線を送る。その気配を受けてタバサが振り返る。若干の希望が差し込んだことに気がついて、キュルケが小さな笑みを顔に浮かべたが、タバサの言葉は更なる絶望の刃だった。

 

「悪趣味」

 

 さっさと前に視線を戻したタバサの背中を、ぱくぱくと口を震わせて刹那の間見つめるキュルケ。次いでルイズに視線を移し、そしてイングリッドに視線を戻した。

 数瞬唸り声を上げたキュルケは、遂に観念したかのように肩を落としてうなだれた。

 

「もうしません……」

 

 イングリッドは笑顔を浮かべつつキュルケの顎をつかんで強引に視線を絡めた。キュルケの抵抗は簡単に破られた。まったく抵抗になっていなかった。どれほど力をこめてもイングリッドの腕は微動だにしなかった。

 強引にあわされた視線の先でイングリッドは柔らかな笑みを浮かべている。しかし、その眼は笑っていなかった。

 

「絶対かや?」

 

 その強い視線を浴びて身体を震わせたキュルケは頷くしかなかった。

 

「絶対です」

 

 イングリッドは満足げに頷いて更に言葉を連ねた。

 

「未来永劫?」

 

 細められた視線にキュルケは更なる恐怖を感じてこくこくと激しく頷いた。

 

「未来永劫です!」

 

 その言葉を受けてイングリッドは目を瞑り、僅かな間を経て瞼を開いた。

 そこには確かに華やかな感情が浮かんでいた。それを確認してようやくキュルケは緊張を解いた。

 

「うむ、良かろう。信じた!」

 

 その体躯の違いを乗り越えて、イングリッドはキュルケの頭を撫でた。唐突にキュルケは、イングリッドに随分と大きな影を感じた。影だと思った。それがなんであるかをキュルケは自身の経験からすり合わせることが出来なかった。

 ただ、暖かいものだと思った。キュルケはその感覚を知らなかった。ただ、安心できる感覚だった。

 キュルケは知らず、眦を下げた。体が弛緩する。

 その姿を見てルイズは噴出してしまった。

 

「くっ……キュルケ。あなた、借りてきた猫みたいよ!」

 

 呆けた顔でゆるゆると視線をルイズに移すキュルケ。どこと無く呆れた雰囲気を持ってタバサもキュルケを見つめている。

 僅かな時間を持って状況を理解したキュルケは急速に顔を紅潮させて、だが、その特徴的体色からそれを外部に認識させ得ずしかし、恥ずかしそうに身を捩った。

 指でシルフィードの背に「の」の字を描くキュルケをルイズが抱き寄せる。キュルケは今までの人生経験の中で得たことの無かったモノをイングリッドのなかに幻視して混乱し、それを受けた自身の反応に困惑し、なすがままにルイズに頭を撫でられた。

 視線に気がついたルイズが頭を挙げると、タバサがキュルケの姿を見つめていた。

 随分な嗜虐の感情を載せた表情でルイズはタバサを見つめると、ニヤリと笑って右手を差し出した。

 

「タバサも、キュルケを撫でる?」

 

 その言葉にびくりと身体を震わせたキュルケがルイズの薄い胸に頭を埋める。

 タバサは見開いた眼で数瞬、ルイズの手のひらを見つめたが、やがて首を振った。

 

「……悪趣味」

 

 ルイズはその言葉で眉を跳ね上げた。イングリッドは苦笑いを浮かべながら溜息を吐く。

 

「やれやれ。毒舌よの、タバサよ」

 

 姿勢を戻してタバサを後ろから抱き寄せたイングリッドに、尖った視線が刺さる。

 

「イングリッドほどではない」

 

 ニヤッと笑ったイングリッドは、ぷいっとばかりに前に向き直ったタバサの頭を撫でて、首を回してルイズを見やる。

 わなわなと唇を震わせるルイズを見て微かに笑い、それに反応を示したルイズが行動に移る前に言葉を被せた。

 

「さてルイズよ」

 

「なに!」

 

「メイルとはなんぞや」

 

 タバサはこけた。が、イングリッドが後ろから支えたので、激しく身体を揺すっただけですんだ。

 ルイズもこけた。ルイズの顎がキュルケの脳天に突き刺さった。

 キュルケはシルフィードの背中で悶絶した。

 

 強打した顎をなでながら、ルイズががくがくとした仕草で身体の位置を戻してイングリッドを見つめる。

 

「そこから説明しないといけないんだ……」

 

 

 

 ルイズが右腕を水平に出して、左手で右手の先端を指し示す。

 

「1メイルというのはね、だいたいここから……」

 

 左手をそのまま滑らせて、左手の付け根に持っていく。

 

「このあたりぐらいかしら」

 

 そう言ってキュルケに確認を求めた。

 妙な表情をしたキュルケが、しかし頷く。

 

「そうね。正確ではないけど……当たり前か。だいたいはそんな感覚で良いんじゃない?」

 

 イングリッドは顎を持って頷く。

 今、シルフィードの上は、タバサを先頭に、キュルケ、ルイズ、イングリッドの順番になった。キュルケとルイズはタバサを背にして後ろ向きになっている。前を向くイングリッド一人に2人が相対する形だ。

 ルイズとキュルケの体格差を考えれば、ルイズの頭の上にキュルケの顔が見えるので、会話を交わすならばこれはこれで合理的配置なのだ。

 空を翔る竜の上で、進行方向を見ない。「御者」であるタバサを視界に納めない。これは大変に勇気のいる行為であるとも思える。しかしキュルケもルイズもそのことに何の屈託も無い。

 

 信じているのだとかことさらいう必要も無く、タバサに全幅の信頼をおいているのだ。キュルケは、まあまだ判る。極僅かな邂逅からしても、タバサに対するそこそこの長い付き合いが感じられた。その経験がキュルケのタバサに対する信用なのだろう。

 

 ルイズはどうなのだろうか。シュヴルーズの授業のときに見せた反応を見ると、どうも、ただのクラスメイトという位置から昇格して2日と経っていないような気がする。赤の他人とは言わないまでも、知らない人ではない程度のつながりだったはずだ。しかし、あっさりとタバサを許している。

 ルイズと会話していると、ルイズに自覚の無いところでやたらと使用人や職員がルイズに心を許している状況が想像された。風呂の騒ぎでも、やたらと気安い雰囲気がルイズと使用人の間にあった。

 随分な緊張を持ってキュルケが接してきたにもかかわらず、口では憎まれ口を叩きながら、結局はキュルケが側にいることに何の嫌気も感じていないように思える。キュルケもすでに緊張が見られない。この関係を外から見た人間が、僅か数日の内に構築された関係なのだと言われて、誰も信じることは出来ないだろう。

 これがルイズの特性なのだろうか?思えばイングリッド自身もあっさりとルイズに「懐いて」しまった。生来の誑し気質なのだろうか?

 

 それは脇に置いて、イングリッドはルイズの身体をしばし見つめる。

 

「ふむ。となると……ルイズの背丈は、1.51メイルというところか?」

 

 ルイズが眼を見開いた。キュルケはそのルイズの背中を不思議に思いながら見つめる。

 

「どうしたの?」

 

 ルイズはキュルケに一瞬視線をやって、次いでイングリッドに視線を戻した。

 

「153サントなの……私の身長」

 

 キュルケも驚いて、思わずイングリッドを見つめた。

 イングリッドはニヤリと笑う。

 

「だいたいあっていたか……サントと言うのはメイルの下の単位でよいのかや?」

 

 キュルケもルイズも揃って頷いた。

 

 

 正確な物差しを持っているわけではないのでなんともいえないが、サント=センチと見ても大して間違ってはいまいとイングリッドは見立てる。偶然だろうか?メートル原器のようなものが作られたのだとすれば偶然とも言えるし必然とも言えるだろう。

 ハルケギニアを抱く惑星が、地球とほぼ同じ大きさ、組成を持っていることはまず間違いないと思われた。重力に特段の差異は感じられない。あったとしても極僅かで、その極僅かの差異はイングリッドでも流石に高精度では確認できない。

 地面の下に大きな岩のひとつでもあれば「極僅かの差異」等どこにでも発生するのだ。確認のしようも無い。

 となれば、メートル原器の製作方法と同じ考えで統一度量衡を求めれば、長さの単位も重さの単位も術からずメートル法に近接するだろう。若干の違いは誤差の範囲で収まるのではないだろうか?

 

「メイルの上にも単位があるのじゃろう?」

 

 ルイズはもう一度頷いた。

 

「そう。1キロメイルで1リーグ。1リーグは1000メイルで、1メイルは100サントなの」

 

 キュルケも頷く。

 

「普段の生活ではメイルとサントで済ませちゃうの。例えば学院の広さは3000メイル四方ぐらいだけど、いちいち3リーグとは言い換えないで、寮塔から南門までは1400メイル位の距離、って言うわね」

 

 それを受けてルイズが続ける。

 

「キロメイルって言う言い方も算学的な言い方ね。成るべく簡単に記すための工夫で、リーグって言う言い方は街と街の間の距離とか、国境までの距離とかを適当に説明するときぐらいしか言わないね」

 

 イングリッドは頷いた。キロという言い方があって、センチが無いのもどうかとは思ったが、まあ、そのあたりは「誤差」なんだろう。あるいは「センチ」に類する単位系が長く使われる間に形を変えて「なまった」のが「サント」である可能性もあるが、重要なことではないので、その考え方はこの場で切って捨ててしまう。

 

「うむ。と、なるとじゃ。今我等が向かっておるトリスタニアとやらは学院から何リーグの距離があるのじゃ?」

 

 キュルケが頭を捻る。詳しくは知らないのだろう。その姿を見てルイズが苦い表情を浮かべたが、肩を竦めてイングリッドに向き直る。

 

「学院正門からトリスタニア・キブヴィル・ロッシュ門までピアス・カレッジ街道を使って133リーグよ」

 

 キュルケがその言葉を受けて肩を竦めた。

 

「他の国の事なんて知らないわ」

 

 ルイズが眼を細めて眉を跳ねた。

 

「一年の最初の授業で習ったじゃない!」

 

「そんなの覚えてないって」

 

 イングリッドは取っ組み合いを始めそうになった2人を抑えて、苦笑いをする。

 

「まあま。直線距離ではどのくらいだろうかや?タバサよ」

 

 時速200キロ程度の速度に戻した……時速200リーグぐらいと言い換えるべきか、シルフィードが虚空を切り裂いている。

 「キロ」という言い方も、勿論おかしい。本来はキロメートルというべきである。この世界でも「キロ」という表現があることがわかったのだから、距離単位系を考えるときには気をつけないと、会話等でうっかり勘違いが生まれかねないと注意することにした。

 例えばセンチメートルに近い単位がサントという独立した単位になっているのだ。ありえなくも無い表現としては、キロセンチメートルという言い方は、地球での表記方法では絶対にありえない異常な表現となるが、ハルケギニアではキロサントいう表現は「アリ」なのだ。

 そういう表現が実際に「アリ」かどうかは別として、度量衡が混じった会話では留意する必要があるだろうと身構えておく。

 

 タバサはイングリッドの質問に刹那振り向いて、僅かに首を傾げた。

 

「ん……今シルフィードが目指すフォーテンブロー飛竜場までは直線距離で150リーグぐらい。実際はトリスタニアの外周を迂回しないといけないから、直線距離という言い方は意味がない」

 

 イングリッドはその言葉に2重の意味で驚いた。

 直線距離で150リーグ。そこに空を飛ぶ乗り物が発着する場所がある。単純には考えられないが、トリスタニア・キブヴィル・ロッシュ門とやらとの距離に、数値上は17リーグもの差がある。これはつまり、トリスタニアの市街域が想像以上に巨大である可能性を示唆する。

 外周を迂回する必要があるというのも驚きだった。

 つまり、市街地域は飛行禁止というルールがあるということだ。フォーテンブロー飛竜場なるものは飛行場みたいなものだろうか?ファンタジーな世界であるので、勝手気ままにワイバーンやペガサスが街地上空を飛んでいるのかとも思ったが、そこまで甘くないということか。

 

「ふむ。つまり、トリスタニアの街中では貴族も飛んではいけないということじゃな」

 

 イングリッドの出した答えにルイズは無邪気に頷いたがキュルケとタバサは驚いてしまった。結果からたどれば当然の結論だが、実際に出されたヒントは極僅かどころではなかった。

 

 門と飛竜場の距離が違うこと。

 トリスタニアを迂回しなければならないこと。

 直線距離は意味がないということ。

 

 この場で出されたヒントはこれだけである。

 ここから「飛竜」などがトリスタニア上空を飛んではいけないことを推測するのは簡単である。しかし、貴族が飛行魔法を使ってはいけないことに関しては話が繋がらない。

 どこからそういう推測が成ったのか?

 それを予想するのが難しい。恐らくは、3人が貴族であることを想定したのだろう。貴族が街を勝手気ままに飛んで良いなら、貴族が騎乗する乗り物も問題ないだろう。ましてやシルフィードは使い魔なのだ。乗り合い竜籠などが駄目で、貴族の私物は良い、などとなれば話が違ってくるが、シルフィードが着陸できる場所が限定されているのだという言質は、たしかにタバサの口から漏れた。

 それ「だけ」の材料から即座に結論を導いた。

 タバサもキュルケも驚くより他無い。やはりイングリッドは「平民」で括ってよい存在ではないと思いなおした。

 

 2人がイングリッドという存在に対して思考をめぐらせている間にも、イングリッドとルイズは会話を続けていた。

 

「トリスタニアとは存外に大きな街のようよな」

 

 ルイズが待ってましたとばかりに胸を張る。

 

「そうよ。大トリスタニアの市街域は半径25リーグ。公称住民は100万人を超える大都市よ!」

 

「ええっ!!」

 

 ルイズも他の2人もまったく想像し得なかった驚愕を持って、イングリッドが仰け反って驚いた。

 大げさではなく飛び跳ねて、危うくシルフィードの背から墜ちるところだった。

 イングリッドの顔面に表れた表情も、まったくの純粋な驚き……驚愕だった。

 ルイズはイングリッドの反応に大満足して「ふふん」と笑った。

 しかし、イングリッドは冷や汗を流してルイズを見つめる。

 

「ちょ、ちょっと待つんじゃルイズ」

 

 顎を突き出して得意げに背を反らすルイズに、イングリッドはすがりつくように手を伸ばした。その先端が震えて揺れている。

 ルイズは気がつかなかったが、キュルケとタバサはイングリッドの驚きの様が余りにも大きいことに疑問を思った。

 

「なになになに?何でも聞きなさーい!」

 

 底抜けに明るい声に、身を震わせながらイングリッドは躊躇いがちに尋ねた。滴り落ちる汗に気がついたシルフィードが訝しげに首をめぐらした。

 

「……トリステインの人口は幾らじゃ?」

 

 一転、疑問を浮かべたルイズは他の2人と視線を合わせて首を捻る。その外側でシルフィードもかわいらしい仕草で首を捻った。

 ルイズは頭を垂れて右手をイングリッドに突き出し、左手で眉間を揉みながら、顔を顰めて必死に思い出す。過去に知った情報に、人口の具体的情報が無かったかどうか……。

 

「まってまってまって!ちょっとまって!今思い出すから。えーと、えーと」

 

 明らかにされるかもしれない驚愕の情報に、冷や汗を流しながらしかし、イングリッドは大して期待はしていなかった。

 人口動態に関してある程度以上に確度が高い調査がなされたのは18世紀中盤以降である。

 首都人口100万人というのも驚いたし、都市圏が想像以上に広いのにも驚いたが、多分に「ふかした」数値だという予想があったのだ。

 そういう想定は捨てるのだ!とつい先ほど覚悟完了したはずなのに、未練たらしくこの世界の文明度を15世紀あたりで固定したがっている感情がイングリッドにはあった。そうであって欲しかった。そうであればいろいろと面倒が少なくて済むのだ。

 ルイズを守るという一点で、大変に楽になれるのだ。

 だが、イングリッドの願いは脆くも、しかし激しく突き崩された。

 

「そうだ!アラトリステ・レオ・アフリカヌス分割諸国会議で公式発表があったわ!」

 

 キュルケが「おおっ!」と唸って、手を打ち付けた。

 

「そういえばそうね。あれはかなり正確な数値だったはずよ」

 

 イングリッドは「いいっ!」と変な悲鳴をあげた。聞きたいが聞きたくない。とんでもないデータが飛び出る危険を感じる。これを聞いてしまえばイングリッドの固定観念が全て爆砕粉砕されてしまう。そんな予測があった。駄目だ駄目だ駄目だ、聞きたくない!

 

「下駄を履かせた……水増しした数値ということはないんかや?」

 

 キュルケが振り向いて首を捻る。

 

「んーん。それはないよ。ガリアのジョゼフ1世がうまいこと考えてね」

 

 その言葉に一瞬、タバサの背が跳ねたが、動揺するイングリッドは気がつかず、背を向けたキュルケとルイズには気づく余地が無かった。ただ若干、シルフィードの飛行姿勢が乱れたが、考え込む2人を揺るがすほどではなかったし、内心に修羅場を抱えたイングリッドも気が付けなかった。

 

「レオ・アフリカヌス開発運動は、参加国家の人口ごとに土地を割り振るのが建前だったけど、それに比例して出兵兵力と、共同開発地の出費比率もうまいこと調整してね。変に数値を弄るとどうしても馬鹿を見るようになってたから、結局はどこの国も正しい数値を出したのよ」

 

 キュルケの言葉を受けて頷いたルイズは、しかしキュルケの説明に若干の補足をした。

 

「正確って言うか、アラトリステ永世中立諸侯連合に全ての調査を任せたから、誤差があるにしても一定の誤差でしょ。比例配分するための基準数値としては『正しい』と相対的に認められる数値というわけね」

 

 イングリッドはごくりと咽喉を鳴らしてしまう。破滅的な結果が示されるような気がする。15世紀。15世紀ぐらいの予想数値で収まってくれないかなぁ……。

 瞳を震わせながら、キュルケを見、そしてルイズに視線を移した。

 

「……で、幾らなのじゃ?」

 

 イングリッドは結果を知りたくは無かった。人口動態というのは文明の習熟度を知る手がかりとしてはこの上ない基準データとなるのだ。

 国家の面積データが無ければ意味が無い数値ではないかという意見もあるが、それが当てはまるのは爆発的な医療技術の進歩と、高層建設技術の進展を見た20世紀後半以降である。高層建設技術の進展にしても実のところ、都市部の人口密度を飛躍的に増加させ得ただけで、国家全体で見た場合の人口動態に対しては大して影響を及ぼさなかった。

 20世紀中盤以前は、人口密度に関して絶対的とも言える指数があって、それをどうしても乗り越えることが出来ずに、何千年にもわたって人間を縛ってきた。国家面積あたりの限界人口密度が一定だったのだ。それの限界値方向で定数を定めれば、殆どの場合で国家の国力を推定できてしまう。それは即座に国家の文明習熟度を規定してしまう。歴史シミュレーションゲーム等でよく使われる手法なのだ。それはそこそこ正確であるが故にゲームに取り入れられる。その関数に取り入れる変数がここで明らかにされる。

 

 聞きたくは無い。

 しかし聞かなくてはいけない。

 それがこのハルケギニアの文明レベルを推定する決定的材料になるだろう。

 

 ルイズが額を揉みながら、遂に、その数値を口にした。

 

「えっとね。トリステインで公称4700万人だったかな」

 

「……!」

 

 キュルケが後を受けて言葉を紡ぐ。

 

「ゲルマニアで5000万人ね」

 

 こちらに背を向けたままタバサがぼそりと言う。

 

「ガリアは5500万人」

 

「……!!」

 

 ルイズがこくこくと頷いて、指を鳴らした。

 

「思い出したわ!ロマリアが1200万人でルテニアが6500万人。オスタルリキで1900万人。パンノニアで1500万人。ヴェストヴァーレンが400万人。アルビオンが1100万人ね!」

 

 顔を青褪めたイングリッドはもはや声も無かった。最悪に近い結果が出たのは確実だった。4700万人。4700万人!

 ルイズは得意になって更に絶望的な言葉を連ねる。

 

「レオ・アフリカヌス開発運動に参加しなかったネーデルランドやパーガニア半島、アラトリステ、ヴィッシュトユラントも含めれば、全部で3億人以上かな?」

 

 3億!

 

 結果は出た。

 3億人。

 3億人!!

 

 イングリッドは、余りにも甘い希望にすがり付いていた事実を突きつけられて膝が砕けたと思った。力なくシルフィードの背で身体を弛緩させてしまった。

 

 3億人……。

 

 この数値が意味することはハルケギニアが、20世紀初頭のヨーロッパに近い世界だということである。

 必死で眼を背けてきたことであるが、実は大いに納得もしてしまう。

 

 納得してしまった。

 

 電灯の代わりになる魔法の灯り。トイレ。水道。疑いようも無く先進医療である魔法の治療術。何の疑問も無く出されたシーフード。勘定を計算したレジスター。

 一部分を取り出してみれば、20世紀中盤以降と断じてもおかしくは無い文明なのだ。唯単に、魔法が科学を取り替えただけ。

 魔法を使えるメイジという存在が特別だと言い連ねて眼を背けてしまっていたが、考えてみれば、文明の産物たる電化製品なども「誰でも使える」だけであって「誰でも作れる」わけではないのだ。

 生産者たるメイジの人数が一定以上の数があるというならば。

 

 つまり。

 

 この世界は。

 

 




 設定数値を見直せば見直すほど矛盾やら何やらが噴出して、変更に告ぐ変更。確認に継ぐ確認となって執筆が遅れに遅れました。
 ある程度満足がいく数値をすり合わせましたが、かなりとんがった設定になった自覚はあります。
 他の魔法設定等を考えると、このあたりの数値が納得のいく落としどころでした。
 一応は、しつこくしつこく書き連ねた説明が、殆ど全て、伏線になっていましたが、納得できるでしょうか?

 シーフードがどうこういう描写は、実は当初存在しない話だったんですが、結局、自分の文章に自信がもてなくて、極めてあからさまにハルケギニアの(歪な)文明レベルを説明する結果となりました。
 レオ・アフリカヌス開発運動後に発生した疾病による犠牲者も、コレラ大流行等の一部のイレギュラーな事例をのぞけば、歴史上の流行伝染病被害者数における、当時の人口比被害者数に当てはまるような設定になっています。つまり人口比率で逆算すると、それなりに(このお話の)正確なハルケギニア人口が推定できるように設定してあります。

 計算ミスとか、設定ミスの可能性はありますので、どうしても納得がいかないのであれば、是非、感想で指摘してください。お願いします。

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