ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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20140502
改訂しました。ストーリーには変更ありません。


銀髪の使い魔(2)

 イングリッドが眼を覚ますと、その視界には木目が刻まれた天井があった。

 ぼうっとして霞がかかったかのような思考を持ったまま、しばらくそれを眺める。

 

 板と板の継ぎ目には僅かな段差すらなく隙間もない。突合せの造詣は見事で美しい。本来は別の木から取られたであろう隣り合った板の、視覚的な木目の連続性に配慮して組み合わせれたそのつくりは、明らかに一流の職人が丹精こめた造作である。また、その結論は、職人が納得するまで十二分に材料を吟味できるだけの材料を用意できるのだと言う事実も推測させる。

 どこからとも無く漂ってきて鼻腔をくすぐるアルコール臭は、飲用に適した物ではないと知れる。消毒用に高い純度を維持した合成エタノールというところか。

 白い壁。そこを打ち抜いて、大きな窓がある。窓枠にはまった透明度も平滑度も高いとはいえないガラス。やわらかな「春の日差し」が差し込んでいる。

 視線を移すと、自分の身を包む、真っ白い、と言うにはやや躊躇いを覚えてしまう、いろいろな色の糸というか、糸そのものを完全に白く染め上げることが出来ずに、わずかにマダラになってしまったと思しきシーツに包まれた、ペッタンコで重い布団が視界に入る。清潔なだけがとりえか。

 頭の下に差し込まれたふくらみは、枕とは思えない。毛布を巻いて、敷布団を包むシーツの下に差し込んだ。そんなところかと想像する。

 かすかに空気の流れを感じるが、換気扇の類は見当たらない。空気の流れは一定で、肌で感じる雰囲気で言えば、数時間程度である程度の空気の入れ替えが自然と行われると思われる。

 これはつまり、この自分が存在する部屋を内包する建物を設計する者が、非常に高度な設計能力を持ち、なおかつ、その設計を実現する建築能力を持った者が多数居るということである。

 

 頭を「枕のようなふくらみ」に預けたまま、小さく嘆息する。

 

 職業病じゃな。どうでも良いことから情報を得ようと努力してしまう。

 ……戦いは情報じゃ。闘いもかわらん。敵よりわずかでも情報が多いことが生死の分かれ目となることもある。だからと言って、こんな平和な空気のひと時に……!?

 

 

 刹那の時を経てイングリッドの意識が完全に覚醒した。銀髪を散らして飛び起きる。余り行儀がいい行いとは言えないが、彼女は思わず自分が寝かされていたベットの上に立ち上がってしまった。

 さっと鋭い視線を周囲にめぐらして一息、周囲に警戒心を抱いたまま、音を立てないようにゆっくりと慎重に、ベットの脇の床に素足をつける。

 

 なんじゃ。どうした、自分は。

 

 周囲に視線をやりながら周辺の気配を探る。

 

 

 部屋に差し込むやわらかな日の光の角度から見て、時刻は昼を回り、そろそろ小腹が空く頃。

 差し込む光の深さは、晩冬から初春。室温は非常に快適。湿度はそれほど高くないが、乾燥しているというほどでもない。

 光から感じる太陽の力の性質は、自分の知っているものとそれほど違いを感じられない。しかしそこから感じられる力の大きさは自身が知るものとは比べ物にならないぐらいに大きい。

 

 その年、その時代によって随分と力の大きさを変化させる太陽であるが、幾らなんでもコレほどまでに急激な力の変化を見せれば、地球環境は滅茶苦茶になろうとイングリッドは想像する。100年、200年と言う単位で変化してしかるべき違いが、光から感じられる。

 

 窓から見える風景は、風に揺らぐ、良く手入れされた花壇に名も知らぬ小さな花々。そこには環境の激変に伴う大混乱等は見当たらない。

 ちなみにイングリッドは、花の名前とか種類とかに頓着しない。彼女にとって重要なのは見て、知っているその存在が、食べられるか、毒があるか、臭いがあるか、その匂いや花粉などが自身に影響するか、おいしいか、不味いか、どういった地域に咲いているか、どういった季節になると咲くか。そういった部分である。名を知ったところで意味はない。地域、時代によって名は変るし、環境によって姿を移ろわせることもある。「知る」ことは重要でも「識る」事に重要性を見出せないでいる。

 そういった意味でも「名も知らぬ花々」のその向こう側に、人が歩くために良く手入れされた石畳。その左右にこれまた手入れの行き届いた芝生が風に揺れている。

 

 外の音が窓から伝わってこない。と、なれば、外の温度が室内環境に影響を与えないようにもなっている可能性がある。

 一応、窓の方向を南と仮定する。

 

 自分は西を向けてベットに寝かされていた。そういう事になる。若干どうでもいいことかもしれないが、それ自体も、文化的差異を予測する材料になる可能性があるため、状況を判断する材料としては蔑ろにするわけにもいかない。思考の隅に置いておく。

 

 

 そろりそろりと窓に近づくイングリッドに、徐々に記憶が戻ってくる。

 

 窓枠が入ったくぼみの側に背を預けて、室内を見渡す。外からは石畳を外れて芝生を踏み、なおかつ、花壇を乗り越えて覗き込もうという意思がない限りは、まずは自身の姿が見られることはない角度である。そういう事も意図して、イングリッドは自分の立ち位置を慎重に定めた。

 

 イングリッドが寝かされていたベットは、部屋の一番南側に置かれていたようだ。ベットと窓の間には人一人が立ち入るだけのスペースだけがある。パイプ椅子でも持ち込めば、それで人の出入りは難儀するだろう。

 西側にはクローゼットと言うには小さいがチェストと言うには大きい、非常に凝った造作の家具が作りつけられている。

 ベットをはさんだ北側には小さなテーブルと椅子が置かれ、その先を、天井から下がったカーテンが視界を遮っている。

 カーテンはカーテンレールを解さずに、直接天井から下がっている。天井の高さはざっと見立てて3メートル以上。非常に高い。カーテンの取替えに難儀しそうではあるが、カーテン自体は洗い立てのような清潔さを見せていた。

 東側は、かなりのスペースが開いていて、5~6人が立ってもなおスペースが余るだろうが、ベットを追加して置いてしまえば、人の出入りが難しくなるような中途半端なスペースである。

 床を見れば、正方形の大きな木製タイルが、木目の通る方向をアミダにして敷き詰められている。

 その平滑さ、その仕上げは、非常にすばらしい。見える範囲内だけではあるが、美しく磨き上げられた木目に、普通なら当然入り込んで木目を乱す節が一切見当たらない。素足で立っているのに、床に凹凸を感じることもなければ引っかかるような突起もない。見た目はガラス細工のようである。そうでありながら足の裏に伝わる感覚は、滑り止めを意図したと思しき細工がされていることを示している。非常に高度でありながら繊細な技術の存在を感じさせる。

 

 真っ白い壁に眼を向けると、大きな格子状の線が入っている。これまたうんざりするほど平滑に仕上げられた壁にあるその線の正体は、積み上げられた石材の継ぎ目が線として浮かび上がっているのか、はたまた、構造材の上に貼り付けられたタイルの突合せの目地なのか。判断がつかない。

 カーテンは東側で途切れて、人一人が出入りできるぐらいのスペースがある。今、自分が立っている場所からは、視線が斜めに遮られて北側の奥が見通せない。その範囲内であっても、壁が見えないことを考えれば、自分が眠っていたスペースと同じような配置が連続していると仮定して、この部屋はベットが5~6個は置けるぐらいの広さがあるのだろうか?

 しかし、今のところは自分以外の気配は感じられない。

 ベットがいくつも配置されていたとしても、部屋の中に居ると確信できる気配は自分以外には感じられない。

 

 イングリッドはなんともちぐはぐな雰囲気を感じていた。

 

 建物自体の造作は、眼に入る範囲内であっても、緻密で高度な技術力の存在を主張する。何の装飾も無い簡素な風情だが、それをして質素と言って良いかは甚だ疑問であった。窓枠のはまった開口部は鋭角に切りそろえられており、だがその端部は柔らかなアールを描いて、攻撃的な姿を見せない。その工作は端から端まで一定にされており、高度な工作精度か、高度な技術力を持った職人の存在を幻視させる。

 その奥にはめ込まれた窓枠自体も、重厚な木製の窓枠であり、装飾のない実用一辺倒でありながら深みのある色を見せている。時折外を吹き抜ける風にあてられてもがたつくことはない。

 呆れたことに窓枠は、石材で出来ていると思われる構造材にただはめ込まれているだけのように見えるのに、隙間風が枠をすり抜けているような感じはない。窓自体も二分割して外に押し開ける構造のように見えるが、そうした稼動部を持つはずなのに、これまた隙間一つない。

 とんでもない工作精度である。

 窓を開けるための蝶番は、外からはうかがい知れない。つまり組み合わさった構造の内側に隠されているということで、その状態で隙間一つない構造を得ようとすれば、単部を斜めに突き合わせる必要があるはずだ。ガラスを支える枠自体の強度も相当あるのだろう。ガラスは重いのである。ガラスの重さに負けて、稼動部分が歪めば隙間が開く。或いは窓が閉まらなくなる。或いは窓が開かなくなる。その可能性は伺われない。そうでありながら、見たところ、結構な頻度で開け閉めされているように思える。

 技術力もさることながら、窓一つ、床一つ、壁一つとっても、この建物を建築するに当たり、途方も無い費用が投入されたであろうことが理解できる。もしこれらの造作が、この周辺における建築物の平均的技術力であるというのならば、それはそれで恐ろしい想像である。

 多分、あくまで多分、だが、そういう可能性はさすがに無いであろうから、そうなれば、ひどい成金趣味だ。と言いたくもある。が、控えめでありながら、さも当たり前のように手の込んだ構造。単純に成金趣味とは断じることができない。

 モノホンの金持ち、と言うことだろう。イングリッドは眩暈を感じた。

 

 さて、ルイズとやらに()()されたのじゃった。

 

 ささっ、と素早い動きで一瞬外を見渡し、刹那にため息をついて、それからゆっくりと身体全体を窓に向ける。

 白い石材の厚み分だけ奥まった位置に窓がある。窓枠を境に、自然石風に彫刻された、程よく古びた外装材の石材が外壁を彩っている。その厚み分だけ、窓が外から窪んでいる。

 窓の両脇に白い、薄手のカーテンと遮光カーテンが括られている。上を見れば2条で一組のカーテンレールが中央でぶつかって区切られている。

 

 あちらこちらに感嘆するほどの造作を見せるのに、なぜかガラスだけがいただけない。ガラスとしての最低限度以上の機能性は維持しているが、ガラス越しに見える外の風景は奇妙に歪んで、下に眼を向けるほど曇り、視界が遮られてしまう。

 最初、そういう装飾を施されたものかとも思ったが、上は薄く、下に行くに従ってごくごく僅かながらも厚さを増し、しかし、窓枠に接する部分はそれに引っ張られるように奇妙に盛り上がって……!?

 

 な……なんじゃと!

 

 イングリッドは窓ガラスが奇妙に歪んでいる理由に気がついて驚愕する。

 

 これは……!

 

 

 ―――ガラスはある意味、液体のような物質状態であるとも定義できる。そこからすれば、一見、固体で安定しているように見える板状のガラスであっても気の遠くなるような長い年月を経て、垂下するような現象が見られる可能性が「理論上の可能性」として存在することが示唆されている。

 あくまで理論上の可能性にとどまる話である。実際には1000年程度でそのような現象が顕著に見られる可能性はない、と否定されているが―――

 

 

 彼女が持つ特殊な能力を通して見ると、そのガラスが「気の遠くなるような長い年月を経て」いるのが見て取れた。

 

 どんな()()じゃ!

 

 イングリッドは確信した。

 

 

 

 イングリッドには「召喚」とやらを受けた時点で、僅かばかりの予感はあった。

 

 大地を覆う大気に濃密に溢れる『力』。

 大地に満ち溢れる精霊。

 大地の底から溢れる不安定な『力』の残滓。

 大地を踏みしめる(一部、何の力でそうしていられるかは不明だが、ふよふよしている奴も居た)訳が分からないよ、な生き物たち。

 

 煙が晴れて視界が開けた時点で得られた情報の内容のみを吟味しても、自身を包む状況が極めて異常であることはすぐに理解できた。

 

 一つ一つを考えれば可能性がないわけではない。

 

 

 大気に濃密に溢れる『力』。

 

 所謂『聖地』のような場所であればありうる。

 

 地球に於いても、世界中のそこここにそういった聖地は点在する。組織の命にしたがって世界中に足を伸ばしたイングリッドは5桁に上るそういった場所を巡っている。

 場合によっては破壊、抹消すらしていたが、その手の『力満ちる聖地』というのは様々な理由により人間に必要とされ利用されるから、組織の『力あるもの』達が、押し付けられた仕事の片手間程度に壊して回っても、時代が下がるにつれてそれらは漸増するばかりで、減りはしなかった。

 だいたい、悪意のみで満ち溢れた『聖地』なんぞという歪んだモノ自体が異常であって、普通は、街の気候を安定させるとか、人々の善意を集めて再分配するとか、はたまた人々の営みをささやかながらも守る「ぐらいはしてくれると助かるなー」程度の思いがこめられた『聖地』なんていうモノもある。

 例えば極東の島国なんかではその手の『聖地』が数えることすら馬鹿らしいほどに、やたら滅多ら多かったりする。街角に小さな石像をおいて、力を発散し、或いは悪意を堰き止めて浄化する類の『聖地』じみたものが溢れんばかりにあったりした。

 推物文明の極致にあると見れるような大陸東端の摩天楼であっても、ビルのデザインや、内装の配置、部屋の造りにそういった配慮がなされて、『プチ聖地』が用意されていることも多かった。あからさまなものだと神棚とか言う奴である。

 組織としてもイングリッド個人としても、箸にも棒にもかからないようなショボイ力の集合点なんぞはどうでもいいことで、だれぞ迷惑をかけん限りは、勝手に増えようと減ろうとどうでも良かった。

 人の手が加わらなくても、時と場所がそろえば、人の手に余る『大いなる意思』とやらでしか説明できない偶然、あるいは必然でいつの間にかしら山の中に『聖地』じみたものが自然に出来上がる事すらある。勝手に力が集まって、勝手に力が淀んで、勝手に力が爆発して、謎の自然現象現る! と騒がれてお終い。という事もあるし、山や川、自然の営みで出来た複雑怪奇な地形や巨岩なんぞは、大地の平滑を乱した時点で『力』の集まる特異点になりうる。所謂『竜脈』とか呼称されているのがそれで、そこに人の目が集まれば無意識の意志の集まりでなお強力な聖地になってしまう事もある。注連縄がまかれた岩とかはその典型例だ。

 宗教施設だの、公共施設だのはさらにあからさまで、教会などはまさに人工的『聖地』の最たるモノである。

 一つの方向に揃えられた人の無意識の意志の集合は、聖遺物だの、御神体だの、彫像だのの目標物を持って更に掻き集まり『力』の特異点となる。

 公共施設などは、人を圧する重厚なつくりとか、人の意識に語りかける特異で特徴的なデザインとかで無意識の畏怖を集めて場の『力』を整える。それはそのまま施設に入る組織の力となる訳で、中には公然たる態度で政治討論を行う場の建物を不安定な力場に置いて、意識を混乱させる。そうしておきながら、政府組織の建物を強力な結界で覆い隠すようなことを積極的にやらかす。そのような国々すらある。

 まあ、つまりは、大気に濃密に溢れる『力』を感じられる場所というのは探せば結構あるものなのだ。

 

 

 大地に満ち溢れる精霊。

 

 人の行き着くところに果てはなく、地上で人の足が踏んだことのない場所はないとうそぶく馬鹿もいるが、そんなわきゃぁない。

 人が踏み込んだ事の無い場所なんて、そこの土地の広さの大小はあれどまだまだ果ても無く多くあって、そこにあると見ればこぞって命知らずが飛びつくような山の頂ですら、なお、人の侵入を拒んでいる場所はある。

 極めて極端な例を挙げれば、1000年にわたり人が住んでいる家であってすら、庭の片隅とか、植え込みの下等に、本当にたまたま偶然の産物の結果として、唯の一度たりとも人の肌が振れた事が無い場所がある、という場合すらありえる。

 何千、何万と人が押し寄せたような『秘境』であっても『秘境』である事が「ウリ」であるがために決められた散策コース以外の大地がまったくの手付かずで、大々的に観光地として売り出されたが故に人の手によって守られて、呆れるほどに豊富な精霊の気配に覆われた場所。などという矛盾した存在も、まま見受けられる。

 精霊もある種の生き物である事には変わりないから、そこに山ほどの有象無象が押しかけたところで、そのうっとおしい意識の撹拌すら上回る居ごごちのよさを感じられるというなら、極端な話、東京砂漠のど真ん中でコンクリートジャングルに囲まれた公園が精霊の満ち溢れる場所になりえたりする。

 まあ、ある種の猛禽類が、好んでビルの林立する大都会で繁殖して数を増やすようなモンである。ちょっと違うか?

 どちらにせよ、『精霊』さまの気まぐれに任せるほかないのであるから、精霊が集まる場所なんていうのは、しがない人間にはせいぜい経験則に照らしてこういうところが。なんていうばかりで、実際に精霊の都合で、精霊が押し寄せて集まる場所なんて人間の理解が及ぶところではない。

 

 

 地の底に溢れる不安定な『力』の残滓。

 

 大昔の聖地の残骸とか、文明の残りかすとか、宇宙人が地球にたどり着いて土に埋もれた宇宙船とか、謎の政治結社やら謎の組織やら(そこにはイングリッド自身が属する組織すら加わってしまうが)そういった『力』が地面に埋められて忘れ去られたり、地面の下に埋めて隠すなんてのはよくある話で、まっことテンプレである。

 だいたい、そうやって忘れ去られた『力』の残滓が誘蛾灯になって人が集まり街になったり、施設が建ったりは当たり前なので、人がいる大地の下に地の底に溢れる不安定な『力』の残滓なんてのは当たり前すぎて珍しくもない。

 これまた極端な例だが、大昔に造営された巨大な墳墓が忘れ去られて、そうでありながら、そこから漏れる力の残滓によって、後々、宗教施設が作られたり、大きな城が建ったりする例がそこここにあったりする。

 今を生きる人々の営みも、或いは時を経て地に埋もれ、それが力の残滓となって、未来の人を引き寄せて街が生まれる。或いは、それが人の営みの繰り返しなのかもしれないとも思ってしまう。

 

 

 わけのわからない生き物たち。

 

 長く生きていると、わけのわからない生き物なんてのは何度も見るし、どれほどの経験を積もうとも初見の得体の知れない存在などというモノにぶつかり続ける。

 まさに宇宙人が押し寄せて滅茶苦茶な闘争が繰り広げられたこともあったし、何千年もの間、表立った人の歴史の流れから隔絶して、こっそりと生き続けた集団なんぞというのも居た。地の底を割ってあふれ出た化け物の集団とか、神か悪魔かはたまたそれすら超越するかと言う、力そのものの表れなんぞというモノすら存在した。

 吸血鬼やら雪男やら猫女やらとわけのわからないモノが居たし、人造人間とか、機械人間とか、精霊の側に踏み込んだとしか思えないほどに魂を高位の次元に晒した奴もいた。

 ブランカなんかは人間と言うにはやや躊躇うところがあるし、自分の闘争の相手はドイツもコイツも人間離れして世界をかき乱す。

 リュウや神人・豪鬼なんかはある意味わけのわからない生き物の最右翼であるともいえる。

 どれほど長く生きようとも、人の身である以上は見知らぬ生き物、見知らぬ生き様は、どこにでもありふれているんだろう。

 

 

 イングリッド自身に自覚があるかどうかは判らなかったが、わけのわからない生き物の彼女なりの定義の中に、まさしく自分自身がはまり込んでいる事実は華麗にスルーされた。

 

 

 

 しかし、四つすべて……か。

 

 イングリッドは悩む。

 あの修羅場に落ち込んで、更に感じたイレギュラーもまた特異であった。

 杖をもってする『力』の発現。ソレを行いえるであろう少年少女たち。1人、少年と言うには歳を取り過ぎた者もいたが。

 そして、あのルイズに吹き溜まった『力』。

 時間をまたいで、自分が眼にするこの建物の異常なほどのすばらしい造作。

 そしてこのガラス。これは飛び切りの異常だ。

 ざっと彼女自身の力を持って鑑定する限りでは、なんともはや、5000~6000年は軽く飛び越えた年月を刻んだと思われるガラス。さすがにこれほどの物があれば噂になるどころではあるまいに。とんでもない()()じゃ。

 

 そう。世界。

 

 間違いなく異世界であろう。

 

 

 

 記憶の中に、自身の心を「キュン」とさせた、あの()()()も誇り高い王の姿を幻視する。

 

 

 

 つまりは、あの手の現象の逆バージョンと言うところか……。 

 

 芝居じみた仕草で両手を広げると肩をすくませ両の手のひらで宙を仰ぐ。

 軽く身体を傾がせてふわふわと腕を揺すると、右手を突き出し、次いでゆっくりと顔に当てて、額を揉む。

 そこで初めて自分が貫頭衣じみた服に包まれていることに気がつく。

 

 ハア、とため息を吐いて身体を回してベットに腰掛ける。

 

 お尻に伝わる反動から、このベットが単なる板張りであることを知る。スプリングも何も無い。

 ベットに敷かれた敷布団もなかなかに適当なものであるようだった。

 羽毛とか言う「高級な」感じはしない。ざらついた、かさかさの感触が帰ってくる。もしかしたらわら束でも入っているのかもしれない。まあ、よくよく乾燥させた清潔な藁ならば、布団の材料としてはそれほど特異なものでもない。保温性は高いし、除湿性もある。ただし手入れを怠ると、極東の地で見られるある種の発酵食品の臭いが漂ってくるのが難点ではある。

 幸いにして、ここにある布団からはそのような匂いはしない。随分と清潔で手入れの行き届いたものであると想像された。

 

 

 

 様々な思考を持って観察した結果、大変に常識的な判断をもってこの場所が、病室じみた医療用の部屋のようであると結論つけた。だが、イングリッドは首を捻る。

 

 自分のような得体の知れない人間を一人放って置くとはどういう了見じゃ?

 

 彼女が気配を探ったところ、この【推定名称:病室】の隣あたりに複数の人の出入りを感じるし、この部屋が属する建物全体ではたいした数の人間がうごめく様が見て取れる。

 コルベールと呼ばれていたおっさんの対応から考えれば、自分が危険人物と見なされていたことはまごうことのない事実であろうし、監視の一つがあってもおかしくはないとイングリッドは思うのだが。まさかに、現状の制限された自分「程度」の力など一ひねり等という者の集団がいたりするのであろうかと首を捻る。

 

 大体からしてイングリッドの推定が、この部屋を【推定名称:病室】から【確定名称:病室】に出来ないでいるのは、医療器具が見当たらないし、水嚢一つ、水差し一つない殺風景だからで、実はある種の監獄であるのではないかとすら思えてしまう。エタノールの臭いと見た目の印象から「病室」と想像しただけである。壁の向こうでうごめく気配は、実は看守で、カーテンの向こう、いまだに眼にしない北側の壁は、そもそも壁等なくて鉄格子。等という妄想すらしてしまう。

 イングリッドは敵対する組織に踏ん捕まって、隔離されたりなんという経験はそれなりに豊富に持っていたりはしたし、場合によっては、豪奢な貴族風の部屋で何年も軟禁されて腐った経験も持っている。

 彼女の感情を苛む影響力としては、壁からも床からも窓からも感じられる得体の知れない力の発露がある。微弱ではあっても、全周から放出されてイングリッドの肌を刺激し続けている。そして彼女はそれの正体を図れないでいる。地球では一切感じた事のない、比較対象のない「力」だ。

 

 自分の記憶の中から比較対象を見出せない力というのは恐ろしい。理解できないというのは人間にとって最も原初的な恐怖を沸き立たせる。それはどれほど力ある人間であっても変わらない真理だ。自身を力ある人間と冷静に自己分析できる人間というのは、そうであるからこそ、自身の理解の及ばない力に対して極めて慎重な態度を取る。だからこそ、彼らは生き残れる。イングリッドという存在も、疑いようもなくそういう人間に列する。

 そうであるから彼女は、自身の力が、まあ全快状態であると自己採点してもなお、強硬手段を持って部屋を飛び出して周辺を探ろうという気分にはならなかった。

 

 ……待ち、じゃな。

 

 身体を捻って足をベットの上に投げ出し、イングリッドは眼を閉じる。

 イレギュラーな事態というのは山のように経験してきた。

 状況そのものは飛び切りの異常事態ではあるが、自身の現状も含めた状態そのものは悪い訳ではない。自身がどうしようもない危険物と断じられれば、あの場で存在を抹消されてもおかしくはなかった筈である。

 しかし、自分はココにいる。確証はなかったが、どうやら治療まがいの行為までされている可能性がある。で、あるならば。

 

 まあ、なるようになるじゃろ。

 

 イングリッドは深い息を吐いて、布団に身体を預けた。その後、極僅かの間をおいて、小さな寝息が空気を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イングリッドという名の剣呑な『人間』がベットに身を預ける施設は、その総体を指し示してトリステイン魔法学院と呼ぶ。

 

 トリステイン魔法学院は、ハルケギニアと呼ばれる人類の版図に於いて、始祖と呼ばれる存在の『終わり』の時代から続く由緒正しい3王国のひとつ、トリステイン王国の王都、トリスタニアの南西、馬に鞭をくれて20時間といった場所にある。

 

 トリステイン魔法学院とその周辺は、学院で勉学に勤める生徒達を雑音から遮るために、広大な範囲が魔法学院所有の土地となっており、出入りが制限されている。

 

 ・・・・・・事になっている。

 

 横断するのに馬を駆って5時間以上はかかると言う、その広大な土地、その隅々まで眼を光らせる方法等存在し得ない。基本的に『土地』という財産は王国の所有であり、各地に存在する領主に配分され、維持管理が委託されているとはされているが、それもまた建前。

 魔法学院という存在が所有する周辺の土地は、この国のあり方としても、この世界のあり方としても特異ではあるが、そうであるが故にその扱いが曖昧であった。

 魔法学院としては別段、通行税等を始めとした諸税を地域に住む者達から吸い上げるわけでもなく、周辺の土地の管理も一部を除いて半ば投げ出した形であるから、一種の治外法権である。

 となれば、各地で生活に困窮して税の徴収から逃れようとする者達が押しかけかねなかったが、実のところ、魔法学院という『得体の知れない存在』が周囲からの平民の侵入を拒んでいた。

 

 現実問題として、魔法学院という存在は非常に特殊なものである。

 

 個人の資質によるところが大きい魔法という技術は、血に頼るところ大であり、ある意味で一子相伝の伝統によって一族に受け継がれる技術である。

 基本は基本として、まとめて教える事にある程度の合理性があることは否定できない現実ではあるが、本格的な技術の習得・研鑽に置いては、能力の高低差がついた集団に対する、時間を区切った一律の教育は害悪ですらある。

 魔法という特殊技術が『貴族』という存在による独占技能であるとされている『ハルケギニア』という世界では、魔法能力の優越が、実務的な面で貴族の良し悪しを規定する側面があるから、個々の貴族に受け継がれる特殊技能としての魔法が外部に漏れ出る可能性のある集団教育の場など、本来はありえないとも言える。

 

 しかし、現に魔法学院は存在する。

 

 歴史を探ればハルケギニア全土に多数存在したといわれる「魔法学院」がトリステインにのみ生き残ったのは、過去のトリステインの人々の深謀遠慮故であるがそれはともかくとして。

 

 現状に於いて魔法学院を冠した施設はハルケギニア全土を見回しても、トリステインにのみ存在を許されている状況である。

 よって、魔法の習熟を得て上を目指す諸氏にとってはトリステイン王国貴族のみならず、他国の者も、ここに留学する以外の選択肢を持たない。

 

 建前である。

 

 実際のところ、トリステイン魔法学院における最大の存在意義は、幼い貴族たちにとっての社交界デビューの前にあるワン・クッションといったところだ。

 ここで顔をつないで、実際の社交界において、恥を掻かない程度には貴族社会に慣れる様にという事である。

 また、一癖も二癖もある有象無象の百鬼夜行が連なる貴族社会に、今まさに泳ぎ出そうとする幼い貴族たちに、それなりの『社会常識』を身につけさせる場、という側面もある。

 

 しかし、その本音の部分すら危ういのがこの魔法学院の現状である。

 

 入学時点での年齢層はばらばら。教師の質は落ちるばかり。入学持参金の多寡が先生と生徒の間の関係を決めている。

 授業もおざなり。何十年か何百年か前に決められたカリキュラムが飽きることなく繰り返されて、生徒の上に垂れ流されている。

 本来的意味の学校という存在であれば、学校の卒業時点である種の鋳型に嵌め込んだかのごとく、一律平均的能力を持った人間の大量生産が発揮され得るのが筋ではあるが、この学院にそれはない。せいぜいが「名門トリステイン魔法学院」を卒業したという箔が得られるぐらいである。

 それも技術的に優れる人間に対する賞賛の意味としての箔ではなく、トリステイン魔法学院における在籍期間中に対して、莫大な授業料を払い得たという貴族の格を示す物としての箔である。

 本当に技術も能力もある「魔法使い」としての「貴族」、つまり「メイジ」の格を高めるのであれば、貴族が個々に、子供達に教育を施して研鑽するのが筋である。

 

 では、現状のトリステイン魔法学院の位置付けとは何であろうか?

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという少女は自身の能力に懐疑を抱き続ける人生を送ってきた。

 

 

 2年生になって3日目の座学となる授業は、デュピュイ・ド・ローム先生の子守唄のような声の下に進行する。

 

 実技に集中し、専門課程に細分される2年生という学年ではあるが、初学期始まってすぐのこの一週間は、1年で学んだ教育の総括ともいえる授業が連続して行われる。

 ここで1年の勉学を振り返り、基本を見直して、新たなステップを踏むための準備に当てるというのが建前だが、あくまで建前である。

 実際には学年をまたぐ間に差し込まれた、休みの期間中にだらけた生徒達の頭を、学院における学業へとスイッチさせるためのインターバルといったところで、学院の空気を思い出させる場でしかない。

 更に言えば、新学年が始まったこの時期と言うのは、今の今まで不特定多数による集団生活等思いもよらなかったわがまま放題の貴族の子弟が大挙して「新入生」と言う形で押し寄せた直後であり、学院の大多数の教師や使用人は、そのような『自由奔放』さを隠せない糞餓鬼をなんとか秩序に押し込むのにてんやわんやである。そんな状況では一応それなりに集団生活らしきものに慣れた2年生や3年生なんていうのはとりあえずのこと、授業と言う形で集めて教室に押し込み、大騒ぎする教師の邪魔にならなければそれでよいという、なんとも後ろ向きな理由があった。

 

 そんな意味を持つ、あるいはその程度の意味しか持たない授業であるから、座学において、非常にまじめで優秀な生徒であるルイズは、ノートを広げ、ペンを走らせて、必死にド・ロームの声を聞き取っていたが、そういった姿勢はこの教室内部では例外中の例外であった。だいたい教師からして、生徒に対してそのような姿を見せることを一縷も望んでいないという末期的状況である。他の生徒達はだらけきって椅子の背にもたれ、或いは机につっぷし、思い思いの時間を過ごしていた。それで良い。それが許される時期であった。

 

 ある生徒は異性との間で指を絡ませて愛をささやき、ある生徒はつめにやすりをかけて、ある生徒はどう考えても教科書とは思えない巨大で年季の入った本に視線を走らせる。

 或いは、ある生徒は気の入った異性に認める手紙の文章を推敲するところであるし、ノートの空きスペースに、召喚の儀で姿を見せた「神秘的な」女性の姿を個人的趣味を上乗せした形でスケッチする者もいた。或いは椅子に広げたカードでゲームに興じる者達もいる。

 ルイズは、そうした周囲の状況に流されることもなくただ一人「建前」の授業を、必死で追いかけていた。

 

 ルイズがある種の恐怖と不安に苛まれつつも必死で勉強に勤しむのには、トリステイン魔法学院の現状の存在位置があった。

 

 

 

 長い長い歴史の中で、すでにハルケギニアの人類版図では、貴族に対する新規の土地の再分配は限界に達していた。

 ある時には、南の海を越えて、レオ・アフリカヌス大陸におけるコロニーの建設を目指した時期もあったが、現地に蔓延る強力なモンスターや、過酷な気象条件等により頓挫。それに追い討ちをかけるように、風土病が侵攻部隊を襲って壊滅。撤退した彼らと共にハルケギニアへ風土病が持ち込まれて大惨劇を巻き起こすという悲惨極まりない結果となった。

 現状は、偶然に発見されたいくつかの貴金属鉱山と、レオ・アフリカヌス大陸北部から北西部沿岸部における土地の所有のみが何とか維持されている状況で、ごく一部の冒険心溢れた変人貴族の努力(趣味)を除けば、更なる勢力拡大には1000年は待たないといけないだろうと言われている。

 一度は大部隊を渡海させながら、それほどまでに否定的な予想がされているのは、レオ・アフリカヌス大陸開発運動により、その望まれぬ結果として大陸よりもたらされた風土病がハルケギニア全土を覆って猖獗を極め、おもに平民レベルでの大量虐殺を引き起こしてしまったためである。この大虐殺を逃れたのはごく僅かな国のみであった。

 400万とも500万とも言われる犠牲者を出したとされるこの悲劇は、貴族の荘園経営に致命的ともいえる甚大な被害をもたらし、多くの貴族が没落して離散し、野に下った。この事件がハルケギニアにおける統治体制に対してまことに致命的であったのは、犠牲者の多寡によるところではなかった部分が問題をより混沌としてしまった。

 

 皮膚が崩れるような凄惨な外観を持って人を死に至らしめる疫病。「アフリカヌス疾病」、あるいはこの病気を研究し、それなりに有為な治療法を確立したメイジの個人名を冠して「バーセット氏病」がハルケギニアの統治問題に与えた影響で最大の所は、土地に住まう平民に土地への愛着や帰属意識を振り切って離散する事を強要した部分である。

 ハルケギニアに住まう平民は、従来であれば基本的に、生まれ出でてから死を迎えるまで、一所の土地から離れる事が無いのが普通であった。ましてや一生の内で国外に出る機会等というのは、精々のところブルミル縁の聖地巡礼程度で、それこそ物見遊山などというのは例外中の例外であった。

 「アフリカヌス疾病」がその常識をあっさり粉砕してしまった。

 経験則として、或いは、単なる恐怖心からかもしれないが、この種の疫病が流行した場合における最大の対策というのは、病人から遠くはなれる事であることを、平民たちは「知って」いた。ただし、通常の病気であれば、病人を家に閉じ込めるだとか、村ごと隔離するだとかの対応を取るのが普通である。それで隔離できる事を皆「知って」いた。

 ところが「アフリカヌス疾病」はその常道が通じなかった。どれほどに隔離をしても、厳重に管理してもそれをすり抜けて外部に拡大した。常道が、経験が通じない事実が知れ渡ると、大混乱が発生した。周辺域で「アフリカヌス疾病」が発生すればパニックが起きる事が常態化し、死への恐怖が平民を突き動かした。

 病気を発症しているものから離れる事が、疫病対策の基本である。平民達が知る限りに於いては。しかし新興伝染病である「アフリカヌス疾病」はそうであるがゆえにどれほど離れれば安心できるか誰も知らなかった。ましてや隔離をすり抜けるのである。と、なれば。

 病気が発生した地域で、土地を捨て、遠く離れた地域へ移動しようとするものが続出した。簡便に言えば難民が発生したのである。「アフリカヌス疾病」が流行中は各地域は疫病の侵入を警戒して人の移動を制限したから、まさに難民である。十分な警戒を怠らなかった地域であってすら疫病の発生を免れ得なかったことから、難民問題はあっという間にハルケギニア全土を覆ってしまった。貴族も例外なく病魔の侵攻を抑えられないどころか、病魔に倒れる者が現れるに及んで混乱は頂点に達した。

 ハルケギニアの政治体系そのものを崩壊させかねなかったこの問題を収束に向かわせたのが、ジョージ・ドウリ・バーセットによる治療法と感染ルート特定の発表であった。

 トリステイン生まれの母、東方辺境生まれの父を持つアルビオンのメイジであった彼は、当時仕えていたゲルマニア政府の強力な援護の元に、「アフリカヌス疾病」の研究に没頭し、僅か数年で「アフリカヌス疾病」の病理を解明した。彼の研究成果であっても、発病した者を確実に救う手立ては無かったが、感染予防と、感染ルートの根絶は図ることが出来、実際に、パンデミックは収束したために、ハルケギニアにおける混乱は劇的な収束を見た。

 

 だが、離散した住民が元の土地に戻ることはなかった。

 

 戻れなかった、が正しいかもしれない。

 

 同時多発的に各地で難民が発生したのであるから、元の住民が住まう土地に入れなかった彼らは、住民が難民化して、無人となった地域に根を下ろしてしまった。そういう状況が玉突きに発生したため、もはや誰がどこにいたかなんていうのは言い出したところでどうしようも出来なかった。

 本来であればそういった状況を管制する筈の国家や、地域管理者たる貴族においても「アフリカヌス疾病」は等しく平等に襲い掛かっていたため、彼ら自身も混乱して管制も管理も出来なかった。

 彼らが病魔に倒れてしまったのだからと言う理由ならばともかくも、病気を恐れて管理すべき土地を放棄した貴族が少なからずいたことが問題を深刻化した。その問題を上部で管制すべき管理者たる国家為政者の中にも姿をくらませたものが続出したから、どうしようもなかった。一時的な無政府状態があったのである。

 管理が放棄された土地の住民台帳などは離散してしまい、もはや地域にもともと誰がいたかなんていうのは確認の仕様もなかった。後年の調査では流入した難民が現地に残されていた書類を意図的に破棄したらしい疑いも出てきたから、誰がどこの土地に住んでいたかの確認は不可能事になって当然だったともいえる。

 東方辺境に新興貴族がやたらと多い理由でもあるこの出来事であるが、ひとつだけ利点らしきものを見出せば、各国で再配分可能な「新たな土地」を突然に生み出した点があるかもしれない。

 

 しかし、ハルケギニアにおける土地問題の長期的解決には貢献しなかった。深度化しつつあった土地の再分配問題を収拾のつかない混乱へ投げ込んだだけとなってしまった。

 貴族たちがせっせと拵えた子供達に分配するには、肥沃さと多数の住人の居住による税収を期待できる土地は余りにも少なくなってしまっていた。6000年という歴史の積み重ねが、あまりにも貴族の絶対数を積み上げ過ぎていたせいでもあった。その貴族達が減ったとは言っても、もともとの貴族の絶対数が適正と思われる数を大きく上回っていたのだ。

 レオ・アフリカヌス大陸開発運動後に発生した出来事の結果として、住民が離散してしまったが故に荒れ果て、再興を図るには莫大な持ち出し予想される土地があちらこちらに現出してしまった。その結果として困窮、離散した貴族が続出したのではあるが、貴族が適正数に近い数に減ったと言っても、その適正な数の貴族を養える土地自体も減少していたから、アンバランスが逆に先鋭化してしまった。

 各地に散在する、そういった状況から免れた「資産価値の高い」土地も、いい気になって過酷な税の取立てをしようものならあっという間に住民が離散する結果を招いて貴族の生活を粉砕して終わりとなってしまい、貴族制度を根幹とした国家経営と言う名の収奪制度の維持が酷く面倒になっていた。レオ・アフリカヌス大陸開発運動後の地獄の記憶の残滓が、平民の、自身が住む土地に対する執着心を完膚なきまでに破壊してしまっていたのだ。「少し昔」と違って、一丁有事あれば、あっさりと生まれ育った土地を見捨てて彷徨う事に躊躇しない平民が酷く多くなっていた。レオ・アフリカヌス開発運動とは関係のないところで発生していた経済活動の発展の結果として増大しつつあった中産階級社会の成立がその問題をややこしくしつつもあった。

 中産階級の職業の場は、第二次産業、第三次産業である事がほとんどだが、そうであるが故に労働力として流動性が高い。土地に縛り付けられているわけではないので、適切な労働の場があればあっという間に他に流れてしまうのだ。

 今現在は、どこの貴族も平民の住人が外部に流出しないよう対策するのに腐心しきりである。産業を振興し、インフラを整備し、住み易い環境を整えてと、大変に忙しい思いをしている。優雅さとは程遠い。

 6000年にも及んだ現ハルケギニア専制君主王朝期は、制度疲労を起こして綻びを見せていたのである。

 

 基本的に、男性長子が相続する貴族制度において、2子、3子の扱いは悲惨であり、女児であれば結婚相手を探して嫁がせることも出来得たが、男児に関してはそうもいかなかった。分配するべき土地はすでに荒地か荒野かと言う有様とほぼ同様な状況に陥っていたし、そのような情勢の土地を腰をすえて再開発を図ろうとする貴族の存在は例外中の例外だった。

 大多数の貴族は現状維持で破断点の上でなんとかバランスを取っている有様であり、荒れ果ててしまった部分の領地を再開発するための資金なんてどこからも捻り出す事は出来ない情勢である。収益を挙げる土地を細切れにして配ってまわる余裕などもあるわけも無く、長子以外の子供に分けて与える資産は無いのが正直なところであった。

 土地の再開発を図ろうとするがために税の収奪を強めれば、現状、辛うじて税の徴収に応じている住民の流出を招いてすべてがご破算になりかねないから、特に、レオ・アフリカヌス大陸開発運動で先頭を切って財産を放出し、開発に奔走した貴族ほど、状況は苦しいという状態である。

 ある程度以上に優秀な人間であれば土地を持たない実務的政治家としての一代限りの分家を造ることも可能ではあるが、そうしたところでその子孫が野に下らざるを得ないことには違いない。ましてや由緒正しい貴族の血族である。

 必要ないから間引くわけにもいかない。ある程度、能力のある貴族などは溢れて久しいから「ちょっと能力がある」程度では王都に上がることすら出来ないし、他家に婿に行くことも出来ない。6000年という歴史が営々と築き上げてきた貴族制度はその結果として、溢れんばかりの貴族とそれに連なる血縁を山のように吐き出してきたのである。

 となれば、長子以外の兄弟は部屋住まいとなり腐るばかりで、問題は、ある程度以上に教養があり行動力がある者が腐っている場合となる。

 当然ながらお家騒動の火種となるわけで、レオ・アフリカヌス大陸開発運動の頓挫以降における貴族内で頻発する騒動は各国とも頭を悩ませるところである。

 レオ・アフリカヌス大陸開発運動自体が、深度化の度合いを深めていた貴族の財産再分配問題に対する切り札とされていたのではあるが、それが招いた結末は悲惨で皮肉である。

 

 

 

 現状、トリステイン魔法学院に入学してくる生徒は、長子以外の貴族。しかも年齢層はばらばら。おおむね18歳程度までの年齢で入学してくるが、それにしたところで限度はある。

 ルイズは15歳で入学したが、実は平均としては遅い部類である。

 概ね13~14歳で入学する例が多く、ルイズの同級生の中には17歳で入学という例すらあるが、かなり特異な部類である。

 同じ家から2子3子が同時に入学することすらあり、歴史の中で、一度は急減を見せたトリステイン魔法学院の生徒数を激増させる結果となっている。

 

 現在、それらの者達の魔法学院入学に対する最大の動機は出会いである。

 

 伴侶を求めて魔法学院に押し掛けて、それなりの相手を捕まえてこいということである。

 それに付随して、裏の理由があるのだが、それを含めてルイズの立ち位置は微妙である。

 

 

 

 ルイズは板書をノートに書き写しながら強い焦燥感を募らせる。

 

 自身では成功したと、到底納得できないサモン・サーヴァントの儀式。

 コルベールのとりなしで、一応は2年生の授業に参加しているが使い魔を持たない自分の立場は微妙に過ぎる。

 

 大混乱の中で終わってしまった春の使い魔召喚の儀式で、コルベール先生が予想外に生徒思いのよき先達であることを知れたのは僥倖だったが、自分の立場に変わりはない。

 貴族制度からあぶれたごくつぶしの吹き溜まりと化しつつある魔法学院における自分の立ち位置。

 トリステイン屈指の名門貴族であるヴァリエール公爵家の三女という状況は、狼の群れに投げ入れられた哀れな子羊というところであろうと想像してしまう。

 しかも自分の魔法特性。いや、特性ともいえない能力。いや、能力すらない。

 ただ、ヴァリエールの名を汚さぬように必死でもがいた1年。いや。それも違う。

 自身の特異性、あるいは無能に気がついてしまってからの茨の人生。

 魔法学院への入学。

 

 

 

 そういうことなのだろうか?

 

 

 

 トリステイン王立魔法研究所に勤める優秀な長女。不幸にもその出自から病を得て、先の暗い次女。

 順当に行けば、長女が婿を得て、家を継ぎ、心優しい次女は短い生涯を部屋住まいで過ごしておしまい。三女として必要なことは?

 

 暗い思考に押しつぶされそうになる。

 

 

 

 そういうことなのだろうか?

 

 

 

 ましてや使い魔ひとつ得ることも出来ない無能。

 誇りやプライドといったやくたいもない物を除けば、自分にあるものといえば血筋の良さだけだ。それでヴァリエールの名を汚さないようにという考えがどれほど滑稽なことか。

 

 

 涙に視界がにじむ。必死でペンを走らせる。大げさな仕草で教科書を手に取り、何かを探すかのように無意味にページをめくる。そうやって自身の思考を紛らわせるルイズ。

 

 

 

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。

 微熱を二つ名に冠する、ルイズの「級友」である。

 ルイズの故郷であるトリステイン、ヴァリエール公爵家に直接境界を接する、ゲルマニアのフォン・ツェルプストー家からの留学生である。『火』の系統魔法を得意とする、優秀なトライアングルメイジではあるが、その出自は、結果的に後妻として認められた女性との間に儲けられた庶子というややこしい立場であり、実子からは随分歳の離れた子供であった。その肌の色が示すとおり、レオ・アフリカヌス大陸開発運動中に父がレオ・アフリカヌス大陸でやらかした現地妻との火遊びの結果である。

 そうした彼女が本家に足を踏み入れることが出来たのは、平民に大いに牙をむいた地獄のケモノがツェルプストー本家の人間を掠めたからであり、父を除いた血筋がそれによって、ほぼ一網打尽になった状況では嫌も応も無かった。

 キュルケの殆ど記憶に残っていない本当の母親は、キュルケ自身も、その周囲も、理解する事も納得する事も出来ないが、しかし、さもありなんとうっかり頷いてしまえる理由で往生してしまっており、現在は貴族の体裁を守るという理由以外はかけらも存在理由が無い女性が「母親」である。ただしレオ・アフリカヌス大陸開発運動における過酷な現実が肉体に与えた影響として、キュルケの父親が女性に対して性的反応を見せることはなくなっていたから、現状、フォン・ツェルプストーという家の血筋を後世に残す可能性のある存在は彼女だけであるという、本人には迷惑極まりない状況がある。

 実際的な問題としてキュルケには、本家に対する愛情は、愛想の欠片位は深く持っているかもしれない程度にはあったが、フォン・ツェルプストーの跡取りを期待されるのは至極迷惑極まりない現実であった。

 そうした出自を持つ彼女にまともな縁談があろう筈も無く、実家よりとある老公爵との縁談を押し付けられそうに至り、彼女はトリステイン魔法学院への留学に走った。

 燃えるような赤い髪と瞳、褐色の肌を持つ18歳の成熟した女性である。

 留学理由から考えて見ても、学院における勉学等どうでもいいと考えている。なおかつ、実家からの縁談を跳ね除けるにたる出会いが得られれば良い。そういう理由から、現在のトリステイン魔法学院の状況をもっとも体現している女性とも言える。

 

 しかし、異性に向けられるはずの彼女の微熱は、教室の前の席で身を縮ませる少女の背に向けられている。

 

 やすりがけが終わって整えられた爪に息を吹きかけて、満足げに笑みを浮かべると、しかしその視線は桃色の髪の毛に吸い寄せられてしまう。

 彼女は自身が出会いを求めてこの学院に飛び込んだことを否定しない。そこに情熱を傾けられる伴侶を得ることが出来るのであれば、その相手が田舎の貧乏貴族であってもかまわないとすら思っている。そういう点では、ある種のロマンチストであるとも言える。

 しかし、1年の学院生活は失意の連続であった。

 家柄も顔もよい貴族たちにコナをかけまくって得られた教訓は、ここがゴミ溜めであるという事実であった。

 成熟した女性の身体を見せ付ければ腰を振ることだけに汲々として、気の利いた言葉をささやくことすら出来ず、何かといえば家柄を持ち出して上から視線を向けることしか出来ない無能。

 時間も行動も惜しまずに、身を飾ることにも労力を費やし、自分の価値を高く飾る事に能力を傾けて多くの男性を振り向かせてきた結果、それのみに嫉妬して、心無い言葉を吐きかける若いツバメ達。

 情熱どころか、微熱すら拭き消えかねない。

 そうした中で、事あるごとに眼に入った少女は、彼女の微熱を熱く燃え上がらせた。

 

 何があっても貴族であることを失わない少女。

 実技で失敗を繰り返してなお折れない心。

 汚い言葉を浴びせかけられて、それでもうつむくことのない強い意志を秘めた瞳。

 

 ああ、今ならば言える。今ならば断じることが出来る。

 

 私は彼女に恋をしている。

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという少女は、無能かもしれない。魔法こそがすべてであるトリステインにおいては尚の事であろう。しかし、無力ではない。こんなにも私の心を熱くさせる。

 

 キュルケには深い後悔の念がある。

 

 最初にルイズと言う少女に声をかけたのは、トリステイン王国一の大貴族、名家の三女でありながら貴族としてあるまじきことに魔法を使うことの出来ない無能と言う、嘘にしても余りにも稚拙でありえない噂の醜聞に興味を引かれた結果である。その噂の内容が僅かの可能性を持って真実であったとすれば、ある種のシンパシーを感じたという、後で考えてみれば余りにも浅ましい、ルイズのプライドを打ち砕く浅慮があった。

 その交錯は、それは酷い衝突になった。出会うたびに罵り合う「仲」になってしまう結果を招来した。自業自得だと嘆息するのは容易いが、時がたつにつれて自身の短慮の様が、キュルケを苛んだ。そして実際に魔法の実技で失敗を見せるにいたり、そしてキュルケ自身がその素晴らしい自身の才能を披露してルイズに爽やかならぬ感情をぶつけたことで、その対立は決定的になった。ルイズとの関係を修復する可能性は絶望的だとキュルケは嘆息する。

 所詮は自分も歳若い無能な少女だったのだろうか?

 心の底をちろちろと焼く、残り火のような炎は、ルイズに対する好意の裏返しだった。

 

 

 私はあの立ち振る舞いが好き。

 私は決してうつむくことのないあの顔立ちが好き。

 私はいかなるときも晴れることのないあの緊張をはらんだ小さな身体が好き。

 私はどこまでも遠く彼方まで届きそうなあの涼やかな声が好き。

 私は決して曇ることのない矜持を出し惜しみすることのないあの行動が好き。

 そして、私は、いつ、いかなる困難にぶつかっても決して折れることのない意志と覚悟を秘めたあの瞳が好き。

 

 私はあのルイズの、人としてのあり方が好き。

 

 

 暗い感情がよぎる。

 彼女はサモン・サーヴァントを成功させた。失敗ではない。確かに『使い魔』を……使い魔候補を呼び出した。それは疑いようもない。

 呼び出されたモノが人間であるとかどうとかは関係ない。何かを呼び出した事実すらもキュルケの心中では、実はそれほど重視されることではない。

 重要なのはルイズが、僅かな疑いもなく、()()()()()()()()のだという1点である。

 失敗を続けたルイズ。

 その彼女が魔法を成功させた。

 魔法を成功させ得たのだ!

 

 きっと、大丈夫。

 

 相手が意思を持った人間であるがゆえに不幸な行き違い、そして事故へと繋がったが、それはそれ。魔法を「成功させた」のだという事実は変わらない。間違いない。

 

 呼び出した『使い魔』候補にコントラクト・サーヴァントを行え得なかったという1点で彼女の心が折れそうになっていることに気がついて歯噛みする。

 

 大丈夫。

 

 そう、声をかけたい。

 

 もう大丈夫。

 

 その言葉を送りたい。

 

 しかし、入学からの1年で固定されてしまったルイズとキュルケの関係が、2人の立ち位置がその言葉を難しくさせる。

 何を言ったところで彼女は悪くしか取らないだろう。

 誇り高いプライドの鎧でその身を着飾った彼女は、そうであっても、いかなる言葉も跳ね返して強い反骨心でそれを切り伏せてきた。

 しかし、今のルイズはもろい。

 今にも砕けそうな小さな背中が切ない。

 

 せっかく綺麗に整えた爪を無意識に乱暴にかみながら、キュルケはルイズに強い視線を送ることしか出来ない。

 青い髪を輝かせる少女が、眼鏡の位置を直す仕草をしながら、キュルケに視線を向け、次いで、桃色の髪に視線を送る。

 彼女は小さな、本当に小さなため息を吐く。

 

 

 時間ばかりを気にして、辛うじて読める程度の板書を殴り書きし続けるド・ローム先生の脇の扉が勢い良く、しかし静かに開かれる。何事かと視線を向けるド・ロームに、なんでもないとばかりに手を振るのは、コルベールであった。

 ルイズの表情に緊張が走る。

 教室を見渡して、思ったよりも近い場所にルイズの姿を認めたコルベールは一瞬、小さく驚いて眉を跳ね上げ、僅かに首を振ってから、音もなくその小さな身体に走りよった。ルイズの整った顔に、その耳に自身の顔を寄せて、周囲に僅かな音をも漏らすことなく、囁いた。

 ルイズは自身の耳に入って伝わったその言葉に、かすかに顔を紅潮させて、ゆっくりと立ち上がる。そうして一息、見つめ続けているキュルケであったからわかるほどの小さな震えを身に宿すと、すでに教室の出入り口へと、身体を向けたコルベールの後に続いてド・ロームの前を横切る。

 興味なさげな表情でそれを見送ったド・ロームは、2人の身体が間違いなく教室の出入り口をくぐったのを見届けて後、振り向いて黒板に向き直り、板書を再開する。

 コルベールとルイズは教室から立ち去った。廊下を、かすかな足音が遠ざかる。

 なんとなく教室全体がざわつくなかで、黒板をリズミカルに叩くチョークの音が響き渡る。

 

 キュルケはため息を吐いた。

 

 あの子、インクつぼの蓋もしていないじゃない。

 

 ゆっくりと立ち上がって、音を立てないように教室の前に移動する。その姿を興味深そうな視線で追う、幾人かの生徒達。

 何を勘違いしたのか小さな笑い声が沸き起こるが、その声に反応したド・ロームの視線に口を紡ぐ。彼は教室を見渡し、いつの間にか席を移動した目立つ立ち振る舞いの女性の姿を眼にして、その行動内容に気が付いて僅かに眼を見開いた。だが、すぐに興味なさげにその姿を振り切ると三度、板書を再開した。

 

 キュルケは握りの部分にふんだんに象牙をあしらった拵えのいいペンからインクを切り、机の隅に置かれたガーゼでペン先を拭う。

 ペンを持ったまま窓の方向に向き直り、ペン先を光に透かす。手入れの行き届いたペンは、歪み一つなく、慎重にやすりがかけられた端部は、カーゼで一拭き、軽くなぞっただけで元の輝きを取り戻していた。鈍い金属光が心地よい。

 ページの開かれたルーズ・リーフを見渡して、ルイズが記した文字が完全に乾いていることを確認すると、ページを閉じて、表紙を上に向ける。

 分解しかねないほどに使い込まれて、縁が手垢で黒く染まった教科書に、金で鍍金された金属製のしおりを挟んで慎重に閉じる。

 砥石を出して、僅かな授業時間の間に磨り減ったペン先を慎重に整える。

 

 

 それを見ていた青い髪の少女は小さく呟いた。

 

「不器用」

 

 

 

 


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