ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

19 / 27
初めてのお出かけ(2)

 きゅいきゅい喚くシルフィを追い立てて、厩舎に押し込んだタバサ。シルフィードがやたらと抵抗を示したために4人とも酷く気疲れしてしまった。気疲れだけではすまなかったが。

 今日行う筈の、目的の、行動の端緒にもついていないのにこれでは……。イングリッドにはひどく先が思いやられる事態だった。

 

 シルフィが暴れたといっても、彼女なりに力を抑制していたのは理解できる。なにしろ彼女は竜なのだ。本気で暴れるとなれば魔法を使わない人など、塵芥とばかりに吹き飛ばされてしまうだろう。だからと言って魔法を使って制圧等となれば僅かの間違いで殺し合いである。

 そもそも、本来の竜の力とはそういうものなのだ。使い魔だから良かったとかいうレベルでもない。シルフィに配慮されたとも言えるし、或いは彼女に生暖かい目で見られているのかもしれない。所詮は人間なのだから。手加減されているのは確実だったし、手加減されないとどうしようもなかった。召喚の儀でコルベールが同行するのも納得である。

 

 召喚されて一週間と経ていない筈の幻獣が、妙に物分りがいい事にタバサ以外の3人が疑問を思うことは無かった。

 

 とは言っても、やはり竜。

 足を踏ん張って羽をバタつかせただけで土塊が飛び、芝生が俟った。激しく。

 それはシルフィ自身にとっては悪ふざけ程度の意識だったのかもしれないが、その悪ふざけ一つで極僅かの間に、4人の外見は大変なことになった。

 特にイングリッドの外見は壮絶だった。シルフィの涎ですでに大変な状態だったのに、土塊、埃、砂、芝生の切れ端、その他なにやら訳の判らない物を体中に貼り付けてしまった。水糊を被った上で、更に砂場で転がったのだというような見た目だった。それでもイングリッドはシルフィに笑いかけて頭をなでたし、ルイズは苦笑いするだけだった。イングリッドの状況というのは言ってみれば自業自得だった。防ぎ得たかもしれない結果だが、発端を作ったのは自分自身だという納得がイングリッドにはあった。だが、タバサは割と本気の勢いで、彼女自身の大きくて物理的破壊力の強そうな杖をシルフィの脳天に叩き付けた。

 シルフィードの方も、イングリッドの状況を見て自身が仕出かした行動を遅ればせながら自覚して、必死に反省するかのごとく、その大きな顔をイングリッドに押し付けて情け無い声を上げたし、タバサの折檻にも耐えた。だからと言ってイングリッドの姿が元に戻るわけでもなく、無論のこと他の3人の姿も元に戻らなかった。

 よって、4人は互いに顔を見合わせて溜息を吐くしかなかった。

 

「着替えないとね……」

 

 胸のはだけた部分に入り込んだ砂を掻き出しながら、キュルケがぼやいた。

 お行儀悪く土色の唾を地面に吐き出し、身体を左右に揺すりつつ服についたなにやらを手で払いながらルイズがぼやく。

 

「あー、お風呂に入りたい」

 

 塹壕で一週間を過ごしたような見た目のイングリッドは、目元の土を拭いながら頭を振る。髪の毛に絡まった石が撒き散らされた。

 

「同感じゃの」

 

 タバサは肩を落として溜息を吐いた。

 

 これから出かけるのだという段でシルフィを厩舎に戻したのは、イングリッドが着替える必要性が出たためだが、まさか、全員が等しく着替える羽目になるとは思っていなかった。着替えるだけでは済まされない状況にもなった。酷く馬鹿馬鹿しい話だった。とはいえ怒るわけにも行かない。怒られるならイングリッドがまずもって怒られるべきだろう。だが、短い期間でイングリッドの行動原理を理解しているつもりになっている3人は、イングリッドの行動を眺めて止めなかった事に若干の後ろめたさもあって、複雑な表情でうつろに笑うしかなかった。

 

「今日は出かけるのやめようか……」

 

 髪の毛を手漉きして、何とか整えようとするキュルケがぼやいた言葉を聞いて、自身の身体についたアレコレを払い続けるルイズは首を振った。

 

「ただの買い物ならいいけどさ。イングリッドは何も持っていないのよ。一刻も早く、身の回りを整えないと、生活するのにも不自由しちゃう」

 

 払う程度でどうにかなるわけでもない見た目のイングリッドは、身体を傾いで溜息を吐いた。視線が自然と下を向いてしまう。

 

「すまぬの、ルイズや」

 

 いろいろな感情が乗ったその言葉に、自身の外観が手で払う程度でどうにかなるものでもないと諦めたルイズも、腰に手をやりながら首を振った。

 

「ううん。それはいいの。でも、ま、これじゃ出かけられないから、ホントにお風呂にしないとね」

 

 

 

 たまたま近くを歩いていたフットマンを捕まえて、キュルケがアレコレ指図してから4人は、2年生に指定された入浴設備へと足を向けた。

 レクリエーション棟の入り口で、イングリッド以外の3人が四苦八苦してブーツを脱いでいる間にメイドにフットマンにポーターと、20人ほど押しかけて、4人が脱いだ服を手早く払ったり、ランドリーに走ったり、土まみれのブーツの手入れをしたりと大騒ぎになった。

 まあそうなんだろうなというイングリッドの想像通り、彼らの前で3人が何の遠慮することもなくメイドに制服を剥かれて下着姿になるのを見て、イングリッドも躊躇うことなくメイドに脱がされるままに下着姿になった。すべてメイドに任せられなかったのは、イングリッドの服がこの世界の一般的常識とは掛け離れているせいで、ボタンや、金具の取り扱いについて一々口を出したり、実際に実演したりとしなければならなかった。キュルケとルイズは、サーキュラー・クロシュで身を隠してサンダルに履き替えた状態で、イングリッドの着替えを眺めることになった。

 タバサは、身長的な問題から一般的なサーキュラーを被るとすそを引きずることになるので、フレア・カプを被せられていた。タバサがいる場合のお約束のようで、わさわさと現れた彼らは最初からその用意を整えていた。なかなか優秀な使用人である。

 

 身を綺麗にする施設が風呂という場所のあり方とはいえ、土や砂を内部に持ち込まれても、後の入浴者や、なにより使用人たちが、掃除をしたりするときに困るので、クロークルーム(クロークフロント)でメイド達が3人の髪の毛に絡まったゴミやら土やら砂やらを払う。

 クロークに預けた物品をスタッフが取り出すのを待つために、クロークルームにはテーブルと椅子がいくつも置かれている。だが今は、それらは必要なかった。フットマンがそういった調度が汚れないようにとわっせっせと壁際に寄せる。珍しい時間帯に現れた団体客に、クロークスタッフが目を丸くする。

 メイドたちが困ったのはイングリッドである。下着姿のままで、ひとまず濡れタオルで身体を拭くことになった。シルフィの涎はイングリッドの服を見事に貫通しており、ショーツはともかくとして、ブラジャーは濡れ雑巾みたいな有様だった。顔も髪の毛も泥だらけなので、何枚ものタオルを汚してイングリッドの外見を何とか見れる所までは持っていく。見れるところまでで限界だった。

 埒が明かないと見たメイドは、結局、フットマンとポーターをクロークルームから追い出して、ブラジャーも引き剥がす羽目になった。

 そうなると、もはや面倒とばかりに靴下もストッキングもショーツも脱がされて、頭につけた二つのアクセサリー以外は何一つ身にしない姿になった。

 室内から異性が廃されてしまったので、更衣室手前の部屋であるにもかかわらず、まあ良いやとばかりに残りの3人も身につけた物全てを脱ぎ散らかした。

 ポーチやらバッグやらという貴重品はクロークスタッフ(勿論女性だ!)が預かって頷く。貴重品の筆頭たる杖も、躊躇い無く預ける姿にイングリッドは内心で感嘆の声を上げた。

 平民たる使用人に自身の命を預ける。それで平気な顔をしている3人にイングリッドは、良く出来た理想的貴族像を見た。

 

 4人が脱いだ下着はメイドが纏めて、一人分づつを一人一人で()()()して持ち、4人のメイドが並んでクロークルームの扉を開けて……空気の読めないポーターが一人、控えて待っている事に気がついて瞬間、パンチが一閃した。

 

 K.O!

 

 メイドの放った鋭い一撃に、一瞬の幻聴を聞いたイングリッドであった。

 

 歳若い―――こういう場所で勤めるポーターというか、常傭というのは、ポーターという名の小間使いである。本来的意味でのポーターはフットマンが兼任しているので、この場所におけるポーターと言えば奉公に出された小児である。

 見た目こそ一著前にパシリと決めた、学院指定の高価な服装で身を包んだ姿だが、所詮は子供に過ぎないので、任される仕事もまたパシリというところだった。そういう意味では仕事熱心なんだろうが、他にもいたはずのポーターが彼一人を残して姿を見せないというなら、若いにしても経験が足らないのだろう。空気が読めなかったのだ。ラッキースケベを味わった彼に、ルイズたち4人は苦笑いを向けるだけで済ませた。顔を真っ赤にした哀れな子羊は「ごめんなさぁぁぁい!」という()()でドップラー効果を残しつつ、鼻血を押さえながら走り去る。メイドが振りかぶった拳がうまい具合に突き刺さったから鼻血なんだろう。そういうことにしておく。

 メイドがぺこぺこと不手際を詫びたが、ルイズが苦笑いを表情に浮かべつつ手をひらひらさせた。室内にいるメイドたちはそれを見て隠せない安堵の溜息を吐いた。

 自領で、自宅で、自身の直接の配下であると言うなら話は別だが、このような外部施設での使用人の不手際となれば、ましてや相手が貴族となれば、たかが子供一人に遠慮する言われもない。魔法の一つでも撃ちかけられて木端微塵にされても文句は言えないのだ。4人の心が広くて良かったと、メイドたちはルイズたちのおおらかな心持ちに感謝した。

 

 貴族の立場側からしても、入浴施設等で使用人にあまり強い態度に出られないという事情もある。メイジである貴族が力を発揮するには杖が必要であるが、入浴時に杖を持ち歩く者は余程に後ろ暗い物を背負っている輩となる。

 普通の貴族はそうではないから、当然のことながら、使用人に全てを委ねて入浴するのが普通だ。信用するしかないのだ。

 貴族の暗殺現場で成功率が高いところと言えば、入浴、排便、睡眠の3つが突出しており、使用人を蔑ろにする馬鹿は生活する上で死活的に重要なその3つとプラスして食事時に脅えて心休まる時をもてないとなる。裸を見られたぐらいのアクシデントは笑って済ますぐらいが調度良いのだ。裸一つで使用人たちのルイズたちへの好意が得られるならば、快適な学院生活を期待する上では安い投資とすら言える。

 イングリッドはともかくとして他の3人は無意識にそういう態度を取れるぐらいは貴族だった。

 

 100人くらいが同時に着替えをする事が出来そうな更衣室は天井が高く、広々としていた。

 天井近くに窓があって、一部が開かれているが、寒々しい雰囲気ではない。何らかの手段を持って空調が維持されているようだった。

 背の低い2段のロッカーが室内をいくつかに区切っている。ロッカーの背がやたら低くて、極一般的な背丈を持っている者ならば室内を端から端まで見渡せるのは、防犯上の理由もあるのだろう。ロッカーで区切られたような通路状形に区切られている、通路それぞれの突き当たりの壁に椅子が置かれて、いちいちメイドが一人座っている。2方向の壁の突き当たりで互いを見張るような格好でメイドが相対し、ただ更衣室内を見ているだけが仕事であるのに、そこに12人も人手を割いているのだから、イングリッドから言わせれば「大したものだ!」とため息を吐きたくなった。どれだけの人件費が費やされていることやら。

 それで別途、着替えを手伝うメイドが、更衣室の奥で扉の無い控え室に10人ほど控えて暇を囲っているのだ。平日の昼日中、というかまだ朝である。一限目の授業が始まったか始まるところかという時間帯である。本当の贅沢とはこういう事なんだろう。

 更衣室に入る時点で既に素っ裸になってるルイズたち4人を見て、控え室のメイドたちが驚き、その4人がぞろぞろと他にもメイドを引き連れてきて彼女達はもう一度驚いていた。控え室でごそごそと互いに言葉を交わしているのは引き継ぐためか。クロークルームで4人を世話したメイドたちが控え室にいる別のメイドたちと互いに頭を下げあって更衣室から出て行く。一人だけ残って、彼女達の行動を見守っていたルイズたちに近寄った。

 

「すぐに服は用意させますので、ご安心ください。ここの受け持ちに引き継ぎましたが、私は残りますので、何かありましたら控え室のほうに」

 

 柔らかい笑みを浮かべたメイドは手を控え室のほうに向けた。そちらにいるメイドたちが4人の視線を受けて、一斉に頭を下げた。

 それに頷いた彼女は、再度頭を下げた。

 

「では、私もあちらに控えさせていただきます。ごゆっくり」

 

 背中を向けて歩み去った。

 それを見送って、3人が視線を交わす。

 

「さっさと風呂にしましょ」

 

 伸びをしながらキュルケが言う。頷いたルイズとタバサがキュルケに続いた。その後ろを一歩送れて続くイングリッドはちらと、控え室に視線を送った。

 服を脱ぐときから気がついていたが、随分と注目されていた。今も、控えめな態度でちらちらとこちらに視線が送られているのがわかる。まあ仕方ないのだな、と諦めて、浴場に向かった。

 

 

 

 途轍もなく広い浴場だった。なかなかお目にかかれない風景だった。

 目測で3メートルほどの幅がある浴槽がT字を描き、その横棒側には一段、座れそうな場所を取って大きな窓があった。透明度の高い巨大なガラスで外界を区切っていて、浴場内を暖かく包んでいるのだから断熱性があるガラスなんだろうと想像する。現代でもあんなに巨大なガラスならば1000ドルでは収まらない価格になろうと思う。闘争の場で周辺の被害を気にすることなく遠慮会釈なくガラスを割り砕いて、かりんに引き攣った笑みを向けられたことがあった。それを思うと、豪華な浴場なんだなーとのんきに思ってしまう。

 温泉地の同様の施設でありがちな水垢にまみれて外が見えねーぞなことも無く、透明度が維持されているのだから清掃の手間も大変な労力が費やされているのだろうと想像する。

 その窓ガラスの向こう、外側にかなり間隔を開けて背の高い目隠しがあって、手前に自然石を積み上げた露天風呂が用意されている。ただし、現状、そちらにお湯は張られていない。入り口から見て左側奥に浴槽を避けて扉があるが、それが露天風呂への出入り口だろうか。目隠しの壁が高くて尚且つその外側にやたらと背の高い木が茂っているのは、覗き対策か。それでも露天風呂が存在する場が非常に広く取られているので、ちゃんと日が差し込んで暖かい雰囲気が保たれている。

 T字の縦棒両脇の壁側には、25、6のシャワーヘッドが用意されている。50人ぐらいが同時に身体を洗えそうだ。

 4人が浴場に入った直後に、T字の縦棒、右側の壁にある扉が開いて、すその無いマイクロミニのメイド服を着たメイドが8人も入ってきて流石に驚いた。身体を洗うのに一々そんなに人がいるのかとびっくりしているイングリッドの横でルイズたち3人が苦笑いをしている。内一人は常なる鉄面皮だったが。

 イングリッドは呆れてルイズに顔を寄せて、小さな声を上げた。

 

「おいおい、あんなに人が要るのでは、普段はどれほどの手間がかかるのじゃ、主ら」

 

 ルイズは笑いながら首を振った。

 

「アレくらいしかいないよ。そんな、子供じゃないんだから」

 

 いろいろな部分を端折ったとしか思えない言葉の意味を理解しかねてイングリッドは首を傾げてしまう。

 ルイズの頭をつついたキュルケが補足するために口を開いた。

 

「昼間は流石に暇だからさ、暇つぶしに全員出てきたのよ。きっと。就学時間後の入浴時間でも、あの人数しかいないよ」

 

 そう言いながらそれぞれ椅子に腰掛けた3人を見て、イングリッドもルイズの隣に腰掛けた。目の前にある鏡の中に後ろから近づいてくるメイドたちの姿が見えた。つまるところは、イングリッドが珍しいのだろう。さっさと彼女の両脇に控えた2人に他の6人のメイドが残念そうな視線を送りつつ、それぞれに分かれた。

 シャンプーやボディソープ、ボディタオルに軽石といった道具を収めたかごと、真っ白で気持ちよさそうな清潔に乾燥されたタオルの束が詰まったかごの2つを8人がそれぞれ下げていた。

 

「うん、普段は主らがそれを配って回るのかや?」

 

 シャワーから湯を出して温度を見ているメイドが小さく笑った。

 

「ポーレットです」

 

「?」

 

 イングリッドはそのメイドのほうに顔を回した。

 この世界では珍しくもない金髪を短く纏めた頭。ただボリューム感がある。大分癖のある髪の毛のようだ。ややくすんだ白い肌を見せる顔に散らされたそばかすが、特徴のない顔を特徴付けている。

 平均的な顔立ち、と言って良い顔だった。ただし、()()()感覚からするとどうかと思わせる年齢に見える。

 

「……主の名前かや?」

 

 小さく微笑んだポーレットはかすかに頷いた。

 振り返って、足元に道具を広げているもう一人に視線を送ると、そのメイドもイングリッドの視線に気がついて小さく頷く。

 

「ザザです」

 

 緊張が透ける笑みに、青い瞳が映えた。

 白いというにはぎりぎりの肌と、これまた金髪というにはぎりぎりの髪の毛をアップに纏めている。まあ、平均的な顔立ちだった。こちらもまた年齢的にどうかとは思わせる容姿だったが。

 それに頷いて首を回し、もう片方にも頷いた。

 

「うむ。覚えた。ポーレットにザザ。良い名前じゃの。我はイングリッドという」

 

 膝立ちでこちらを見つめる二人に鏡の中から視線を送った。

 

「唯のイングリッドじゃ。以後、よろしゅうに」

 

 2人ともくすりと笑みを浮かべた。その姿に訝しげな表情を浮かべてしまうイングリッド。

 2人ともあわあわ言いながら、身体を寄せて弁解を始めた。

 

「あ、ごめんなさい。シエスタさんが言っていたとおりの人だなぁって」

 

「すいません……お気に触るようなことがあったでしょうか」

 

 ポーレットもザザも、一見した印象に間違いなく、やはり人生経験が薄そうであった。この世界で言うところの貴族に対する言葉使いとしては危険を感じるところがある。とはいえ、右に座るルイズやその先にいるキュルケにタバサ、その3人を世話するメイドたちも皆、こちらの2人に負けず劣らず歳若い姿だった。歳若いという言い方も何かが違う。幼いと言い換えたほうがよさそうだ。

 

「あの、お湯をかけさせていただきます」

 

「ん。まかせる」

 

 イングリッドが左手を差し出すと、ポーレットはびくついた腕を刹那躊躇わせて、シャワーヘッドから勢いよく出るお湯を、何度か素早く断続的に当てた上で、最終的に連続して浴びせた。

 

「お湯加減はいかがですか?」

 

「よい」

 

 頷いたイングリッドの姿に安堵を見せて、彼女の後ろでザザと頷き会って、ザザの手にするボディタオルをお湯で浸す。

 ザザが若干の緊張感を含ませた声でイングリッドにしゃべりかけた。

 

「お身体をさわらさせていただきますね」

 

「ん、まかせた」

 

 

 酷く緊張感の溢れた時間が始まった。

 身体を洗う手順や方法はどうなのかという期待、或いは不安があったイングリッドはなすがままにやらせてみたのだが、なかなか興味深い体験になった。

 

 まさか、ボディタオルでがっしがしとやられるかと思ったが、まずは湯に浸しただけのボディタオルで身体の何箇所かを軽く撫でられた。まさに撫でるだけで、汚れを落とすとか何とか言うものではなかった。

 イングリッドの背に立ち、お湯をかけるポーレットに指示をしながら体中を「調べる」ザザは首を捻って、呟いた。

 

「イングリッド様の肌、すごく綺麗……」

 

 つまり、汚れが酷ければガシガシするということだったのか。ザザがイングリッドの腕をつかんで腋を露にし、素手で触って、それを鼻に近づけて匂いを嗅ぐと、再度首を捻ってザザはポーレットと顔を見合わせた。ポーレットは純粋に疑問符を浮かべていたが、ザザは驚愕と言って良い表情だった。

 息を呑んだザザは、刹那躊躇ってイングリッドに直接に問いかけた。

 

「あの……香水もお使いにならないので……?」

 

 苦笑いを浮かべてイングリッドは首を振った。

 

「ない」

 

 それでポーレットも表情に驚きを浮かべた。

 

「……朝に入浴されましたか?」

 

 それにも首を振った。振るしかなかった。

 

「ない」

 

 どうもこちらの会話に耳をそばだてていたらしいルイズ側のメイドからもぎょっとした反応が漏れて伝わった。

 

「……!」

 

 4人のメイドが一瞬忙しなく視線を交錯させた。

 それからザザが冷や汗を浮かべながら、手元に並べた各種のボディソープをまさぐって、一番使用頻度が低そうな、つまり、外のラベルの痛みも見られないし、かすかにガラスを透けて見える中身が殆ど減っていない小瓶を手にして、それをほんの少しだけ手に乗せた。

 

「あの……その、お身体を洗らわさせて頂きます……」

 

 微妙に困惑した表情を持って、ポーレットもシャワーヘッドをフックに掛けて、ザザに次いで手のひらにボディソープを乗せた。

 ポーレットがイングリッドの正面を、ザザが背中側を担当して、手のひらで手早くイングリッドを洗ってゆく。

 

 イングリッドはいろいろと納得した。

 やはりこの世界の人も体臭がきついのだろう。体臭や汚れに合わせて洗浄力の違う石鹸……ボディソープを選ぶのだろうが、彼女たちが手に取ったのは、かすかに酢酸系の香りが感じられなくも無い、泡立ちも刺激も殆ど感じられない液体石鹸?だった。それの使用頻度が少ないということは、まあ、強力な石鹸を使わないといろいろアレな人が多いという事なんだろう。

 

 実はイングリッドは他人の体臭とかをとやかく気にかけない。

 イングリッドに相対する人間やら人間で無い輩やらは、体臭がどうとか、臭いがどうとかを超越したそれはそれはすさまじい()がいっぱいいた。

 個性的な体臭を感じて、それを相手の気配の一つ、なんて認識して闘争の一助にする事はあったが、体臭に対して個人の趣味趣向に根ざした評価なんてどうでもよかった。香水なんかはどちらかというと「臭い!」と敬遠するほうだったから、けつあごの軍服親父と戦う前に割り込んだ占い師なんかは、漂わせる人工的臭いで死に腐れこの野郎ぐらいに思ったのだ。()()()()()()他人の体臭等どうでも良かった。

 

 それが自身に体臭をまとわせて平気、という方向に行かないのがイングリッドだった。

 何ヶ月も風呂に入れないような状況に置かれたところで、汗腺を操作して臭いがつくのを未然に防止したり、水は無くとも身体を赤熱させて消毒したりするぐらいには気を使うのがイングリッド流だった。

 他人がイングリッドを個人的趣味の範囲内で評価する事はどうでもよいにせよ、酷い体臭を漂わせて変な注目を浴びるのは自身の任務上よろしくないし、臭いが故に敵に気が付かれましたではお話にもならない。

 糞の処理をおざなりにして、ブツは埋めて隠したにせよ、臭いが漏れて敵に奇襲されて壊滅した軍隊とか、体臭を数キロ先で感知されて待ち伏せを食らった軍隊とか言うのは珍しくともなんとも無いエピソードであるので、その中に自身の名を連ねるなんていうことは真っ平だった。よって、イングリッドの出来る範囲内で―――それはとりもなおさず明らかな人外的行為を持って、自身に個人を特定させるような特徴的体臭をまとわせない、つまり、付随的に身体を清潔に保ち続ける術を無意識下で継続していたのがイングリッドだった。

 

 これっぽっちも意識を向けていないが故に気にしていなかったのだが、よくよく記憶を掘り起こせば、ルイズも「現代的感覚」から言えば体臭がきつい方だし、キュルケは見たまんまかなりきつそうで、初見のときから香水を使って注意深く自身の体臭を誤魔化していた。タバサに関して言えば、はっきり言って臭い。悪い意味でその辺りに意識が向いていないのは明らかだった。体温の高い小児特有の「乳臭さ」があった。

 シエスタにせよレンにせよ、ここにいる別のメイドにせよ、かなりきつめの香水で体臭を誤魔化していたし、コルベールも悪い見本の筆頭に乗せたい臭さだった。オスマンの爺はえもいわれぬ加齢臭で身を飾っていたし、そこにニコチンの臭いが加わって大変にいろいろアレだった。香水で誤魔化しているようで双方が自己主張をして不協和音を奏でて素晴らしくもあるハーモニーを奏でていた。現代的な世界でアレが出てきたら思わずぶん殴っていただろうぐらいには、イングリッドは他人の体臭を気にしていなかった。

 そういうモノにルイズたちが余り気を向けていないのは彼女達自身がそれなりに香水を身につけていたせいだろう。ようは自分の発する臭いで鼻が馬鹿になっているのだ。それは言いすぎかもしれないが、他人が臭いことは仕方が無いみたいな了解があるのがこの世界のあり方なのかもしれない。そういえば毎日洗っているわけでもなさそうな彼女たちのマントは、臭いのみで個人を特定できるほどに臭かったし、やたらとルイズの頭をまさぐるのもイングリッドの個人的趣向にマッチした()()()―――ぶっちゃけフェリシアを髣髴とさせる臭いが心地よいからという変態的理由があったりした。最初の出会いの場でルイズの頭に顔を埋めたとき、慌ててシャンプー等と誤魔化したが、余りの香りの強さに意識が飛びかけた。幸せな香りだった。……気絶していたほうが後々面倒がなかったかもしれないと突然に思いついたが、軽く首を振って否定する。

 オスマンに顔を近づけられて身体を仰け反らせたのは、その雰囲気がどうとかではなく、臭いに対する防衛本能だったし、契約の儀の後で、左手のルーンを見せたコルベールを途中で払いのけたのも臭かったからなのだ!

 授業を行った教室に漂っていた匂いなんて改めて意識をして思い出すとスメル・テロもいいところだった。個々人が身に纏った様々な種類の香水と、それぞれの体臭が入り混じった地獄を垣間見た。ジュネーブ陸戦協定違反スレスレの惨事だろう。現代的感覚を持った小児が投げ込まれれば「かゆい……うま……」とばかりに中身をぶちまけるだろう。

 ()()()()()()()イングリッドは他人の体臭を気にかけなかった。

 ……この感覚はイングリッドにとっては正直久しぶりだった。数百年ぶりの感覚だった。久しぶりだからこそ、つまりは過去の経験があるからこそ、耐えられた感覚だった。

 4、500年前のレシピを完璧に再現した香水を作ってみると、現代人には耐え難い強力な香りを撒きちらすモノが出来あがって困惑した。なんて話があるのだが、イングリッドに言わせれば当然だった。

 衛生観念が極端に違う世界で、不愉快な臭いをシャットアウトすることが目的で合成された香水なのだ。その時代の香水を、その時代で当たり前であった使用量で使ったら現在の街路ではまさしく無差別テロである。ある時代で、丘の上に築かれた城砦とか岬の突端にある館とかで漂っている香りは、犬小屋か豚小屋かという状態だったのだ。財産を唸らせている貴族ならば住居スペース全体を統一した人工的香りで包むぐらいの工夫をしていたが、それをなすためにはとんでもない金額がかかったので、例外中の例外だった。

 だいたい、国王が住まう宮殿ですらアレな状態で後世、妙に有名になったのだ。その件に関して、トイレがないことをとやかく言う向きがあるが、その宮殿が設計された当時はおまるの利用が一般的だったので、トイレがなかったこと自体にたいして意見するのは問題の本質を見誤ることである。しかし、おまるの使用すら面倒くさがって、柱の影で臭い行為をするのが平気、という感覚は流石に腐りすぎだろうという意見には納得出来る部分がある。当時、女性向けスカートで流行った(男性向けスカートも一般的だった時代である)形態である、クリノリンとかバッスルなんかは、野糞をするのに都合がいいからという理由でもてはやされたのだ。当時の衛生観念を想像出来る話である。

 ヨーロッパで畜産設備が町のそばにあってNIMBY設備と嫌われないのは、そういう時代の残滓なのかもしれない。

 

 その感覚を思い出させる世界がハルケギニアだった。御不浄に関しては今のところ優れて恵まれた状態しか見えないが……それだからこそ、もう一度、あの秋葉原の情景を思い出して安堵する。

 あの少年がこの世界に引きずり込まれたら、接する人間の臭いにやられて寝込んだだろう。現代人には耐え難い……特に清潔であることで名を轟かす日本人の少年には耐え難い臭いが充満しているのだ。

 

 どうでも良い事を考えている内に、ポーレットが正面に回って手を下のほうに滑らせた。

 

「ひゃん!」

 

 思わず自分の口が放つとはイングリッド自身でも信じがたい声が脳天をつきぬけた。ポーレットが驚いて手を引く。

 

「あっ、すいません!痛かったですか?」

 

 そうではなかった。永い人生でも他人に触れられたことなど記憶に殆ど無い場所を触られたのだ。悲鳴の一つもあげたくなる感触だった。しかし、全部任せると納得したのはイングリッド自身だった。若干赤らめた表情が鏡の中に見えたが、首を振ってポーレットに視線を向けた。

 

「ああ、いや、そのだな……」

 

 隣でルイズが気がついて声をあげる。

 先ほどの悲鳴に反応したようだ。

 

「あ!イングリッドはメイドに身体を洗ってもらうような経験が無いんでしょ。違う?」

 

 イングリッドは僅かに瞳を痙攣させながら、にやにやするルイズに首肯した。

 背中で腰から下に取り掛かろうとしていたザザも、イングリッドの正面で視線を彼女の顔に向けているポーレットも驚いて、イングリッドの肩越しに顔を見合わせる。

 イングリッドは慌てて手を振った。

 

「いや、まかせる。そう決めたのじゃ。普段どおりにするが良い!」

 

 冷静に返したつもりで妙に力の篭った声になった。それに気がついて顔を赤らめたイングリッドが気がついて顔を上げると、ルイズの頭を越えた向こう側から泡に埋もれたキュルケが下碑た笑みをこちらに向けていることに気がつく。

 その顔に向かって右手で何かを投げつけるような仕草をして誤魔化すと、咳払いをしてそっぽを向いた。

 

「さ、さあさ、続けるが良い!」

 

 ザザとポーレットはもう一度顔を見合わせた。

 

 

 なかなかに得がたい、哲学的体験をしたイングリッドだった。人生経験が永いとか短いとかを超越する経験というのは存外にまだまだ多いのかも知れないと嘆息した。

 

 

 身体を洗った上でなじませる効能もあるようなボディソープを身体に残したまま、髪の毛に作業を移した2人は太陽のアンクルに戸惑ったが、それを外す事をイングリッドは断固たる決意でもって阻止した。その代わりに、アンクルを泡だらけにすることは許した。そんなに柔なものでもないし、錆びたりする事は想像もつかない存在だった。

 波動拳を直撃させても傷一つつかないし、輝きが霞むこともない代物なので、柔な手の力一つでどうにかなるものでもないからと2人を安心させて、イングリッドは顔を泡の海に沈めた。

 イングリッドの首から上は顔面も含めてシルフィの涎の被害が甚大だったから、かなり乱暴な手つきで遠慮なく振り回された。おかげさまで身体を洗うのと同じくらいかそれ以上の時間がかかってしまった。

 長い髪の毛のケアも大変そうで、上から下までしつこく細かくお湯を通された上で、何種類ものケア用品を髪の毛に塗りたくられて、梳かされて、イングリッドは身体を強張らせる羽目になった。2人が楽しそうに作業をこなしたのは幸いで、すべてを終わり、ポーレットが何枚ものタオルを駆使して髪の毛から水気を切り、洗い流すことが出来なかった洗剤やら何やらを拭うのに四苦八苦している横で、イングリッドはザザの絶妙な手さばきで身体を揉み解してもらって恍惚とした表情を浮かべた。

 何となく鼻歌でも歌いだしたい気分だったが、楽しそうなザザの表情を見て、最初に刹那疑問に思ったことを問いかけてみた。

 

「のうザザよ」

 

 イングリッドよりも寧ろザザのほうが歌を口ずさみそうな雰囲気だった。

 

「はい。何でしょうかイングリッド様」

 

 それに苦笑いを返してイングリッドは、鏡の中の笑顔に視線を向けた。

 

「ん、主は今、何歳であったかの」

 

 笑みを崩さぬままザザは小首を傾げた。

 

「えっと、確か、11で……もうすぐ12になるはずです」

 

 結構な勢いで内心驚いたイングリッドだが、それを表情に出さぬまま、ポーレットに視線を向ける。

 

「あ……はい。私は12です。今年で13ですね。確か」

 

 イングリッドは複雑な感情を押し殺して頷いた。仕方ない事なのだろうと嘆息する。イングリッドが過去に経験した時代の流れではそれが常識だったのだし、実際に経験した中で彼女は、そのときその場所では疑問に思うことすらなかった。複雑な感情を抱けるのは時代の流れを実体験と経験して、「今の社会」を知っているからであって、それを過去に当てはめてどうこう言うのはお門違いだ。イングリッドもそれは理解しているつもりである。

 子供が「子供」という状態で区別すべき「特別」であると認識されたのは産業革命以後であるし、子供の人権がどうとかなんて話はイングリッドの人生経験からすればごくごく最近の話なのだ。古代まで目を向けると子供を子供として区別をつけてそれなり以上の手を尽くした時代があるのだが、そういう部分でも大半の世界は、文化を退化させていたのが地球の歴史である。中世辺りで文化水準に巨大な谷が口を開けているのだ。そこな常識を指差して「非常識」となじってもそれがどうしたという話である。

 そうではあっても、古代の或る時期或る場所の子供に対する対応なんていうのは例外中の例外で、はっきり言って人間が営んで形を成した世界に於いては子供なんていうものは圧倒的な期間に於いて、

 数撃ちゃ当たる。

 外れたら捨てる。

 が常識であったのだ。ある一定期間を生き延びることが出来て初めて人間と認めていいか。ぐらいなもので、そうでない期間では家畜よりは大事にされてる。ぐらいの存在であったのだ。

 

 イングリッドの思うところ、ハルケギニアでもそういうものなんだろうといったところだった。いや、ルイズたちは幸運な世界の住人と評してもよいかも知れない。地球に於いては地位、立場なんていうものも関係なく、数撃ちゃ当たる、扱いだったのだ。ところがハルケギニアの貴族は人間である前に始祖に連なる者であるという意識で持って扱われる。貴族の血縁に連なる者は、すなわち神に連なる者に等しいので、作りすぎたから間引こうか、とはいかないのだろうというのがイングリッドの認識である。

 ルイズに関しては非常に複雑な事情が感じられるし、実際に明らかになった事情は、複雑どころではないが、それが明らかになる前であっても、躊躇うべき理由はあったわけで、あっさりポイといかない点では大変に恵まれていると言ってよい。やはり幸せな世界なんだろう。

 

 刹那の想像を振り切ってイングリッドはザザに視線をもどす。

 

「学院での奉公は長いのかや?」

 

 ザザは小さく笑った。

 

「まだ一年もたっていないんですよ」

 

 イングリッドは頷いた。

 

「ほう。手馴れているようじゃから、我の勘違いじゃったか。余程に優秀なのだな主は」

 

 その言葉の意味を一瞬考えたザザは次の瞬間に僅かに顔を赤らめた。

 

「おからかいにならないで下さい……」

 

 笑っているのか怒っているのか判別しがたいその顔にイングリッドは笑みを向けた。

 

「ん、いや、本気でそう思ったのじゃよ。ザザもポーレットも良い仕事をしなさるな」

 

 突然に話を振られて顔を赤らめたポーレットは、大きく動揺してタオルを取り落とした。

 

 

 

 イングリッドには、仄かに香水が香る湯船というのは余り経験のない感覚だった。

 窓際のスペースに両腕を組んで顎を乗せると、髪の毛が湯船に広がった。髪にするりと抵抗無くお湯がなじむ感覚は気持ちよかった。視線を上にすると、春特有の薄く霞を引いた空が高くに見えた。断雲がところどころに散らばった空に、大きな羽を広げた鳥が、円を描いていた。

 キュルケとタバサはシャワーの前でメイドたちと共に四苦八苦していた。それを横目にイングリッドに次いで作業が終わったルイズが湯船を掻き分けながらイングリッドの横に並ぶ。

 

「昼間からお風呂って言うのも贅沢よねー」

 

 イングリッドが横を向くと、緩んだ表情のルイズが近くにあった。

 

「ルイズや」

 

「なーに」

 

 ルイズを手伝っていたメイドたちが、こちらに会釈しながら控え室に戻っていくのが見えた。それを見送りながら、何となくルイズの髪を触ってしまう。さらさらのすべすべで気持ちよかったが、あの香りが失われ、かすかにフローラルな香りと取って代わられてしまったのは、何となく残念に思うイングリッドだった。

 

「……主はどれくらいの頻度で風呂に入るのじゃ?」

 

 窓際に手をついて、イングリッドが見ているものを一緒に見ようとするルイズは、空を見上げて視線を揺らせている。

 

「そーね。今の時期なら週に1回かな?」

 

 メイドにわしわしやられているタバサの姿を見ながら、イングリッドはルイズと肩を寄せ合った。ルイズも、腕を投げ出してその上に顔を乗せ、イングリッドの方を眺める。

 

「夏になると、昼間でも入るのかや?」

 

 軽く目を瞑ってしばし考え込んだルイズは、目を開くと鳶色の瞳をイングリッドの紅い瞳に合わせた。

 

「そんなことも言ったねー」

 

 だらだらと笑いあう2人の後ろで水しぶきがあがり、波がその背を越えて頭を濡らした。

 

「なにしてんのっ。2人とも!」

 

 慌てて振り返った2人の視界に巨大な黒パンの塊が押し寄せた。

 

「あやしー、何の相談?」

 

 2つの丘の上にかすかに見えるキュルケの顔を見上げて、顔に張り付いた髪の毛を払いながら2人は顔を見合わせた。

 それからイングリッドがキュルケを見上げる。

 

「このラードを使って、何を調理しようか、とか?」

 

 イングリッドは目の前の突起物をぺしぺし叩いた。

 

「この脂身を捨てると、食堂の調理人に怒られそう、とか?」

 

 ルイズは目の前の突起物をつまんでぐるりと一回転させた。

 キュルケは2人の腕をつかんで引き剥がした。

 

「羨ましいならそういいなさいよっ!」

 

 水しぶきを上げながらキュルケが後ずさった。2人は顔を見合わせて笑った。

 

「ま、それは半分冗談にしてもじゃ」

 

「半分は本気なんだ……」

 

 胸を両手でガードして身体を捻るキュルケから視線をルイズに戻しながら、イングリッドは窓を背にしてキュルケに相対し、湯船に身体を沈めて肩まで水面に潜らせた。銀色の髪の毛が湯船に広がる。

 つられてルイズも同じように身体を縮ませる。桃色の金髪が、銀糸と混ざり合ってキラキラと輝いた。

 

「あのメイドたちは新人なのかや?」

 

 タバサにシャワーを浴びせているメイドを眺めながらルイズは頭を傾げた。

 

「そうね。どこか外でメイドの経験があるような子でもない限り、新人メイドは、まずはバス・スタッフよね」

 

 湯船の中で胡坐をかいて、2人の対面に座るキュルケが頷く。

 

「2年ぐらい、長くても3年ぐらいで別のことをやるね」

 

 ルイズも頷いた。

 

「風呂掃除とかもあの子達の仕事だから……意外と力仕事なのよね」

 

 身体を揺すりながらイングリッドに視線を移すキュルケ。

 

「ここで身体を作ればつぶしが効くモンね」

 

 そこでニヤリとすると、ルイズに視線を移して顔を近づける。

 

「う……なによ」

 

 「ふっふーん?」とでも言いそうな息を鼻から吐いて、ルイズの顔を見回すキュルケ。

 

「風呂掃除が大変だって知ってるのは……お母さんに罰でも食らったのかしら」

 

 その言葉に目を丸くしたルイズはしばし身体を硬直させて、ついで両手を湯船の底から勢いよく持ち上げてそのままキュルケの顔面にお湯をぶっ掛けた。

 顔面を伝うお湯を避けて眼を細めたキュルケはルイズににじり寄った。

 

「図星?図星??図星なんだ!」

 

 ルイズの顔に直行するように、身体を傾げて頬を触れ合わせたキュルケは、華やかならざる笑みを浮かべて言葉を繰り返す。

 たっぷりとお湯を含んで、自身の右肩に絡むキュルケの髪の毛を嫌そうに払いながらルイズは顔をイングリッドに向けた。

 

「……知らない!」

 

 ルイズの体重を自身の右肩に預けられたイングリッドは身じろぎして、キュルケに呆れた表情を向けた。平均から高いほうにあるルイズの体温が直接肌に感じられて心地よい。

 

「それを言えるということはな、キュルケよ」

 

 キョトンとした顔を傾げて身体を戻すキュルケ。それで頭の位置が殆ど変らないのだから、つまりは足が長いということになる。理解はしていたが女性同士としてみても、いや、女性同士であるからこそ、その抜群のスタイルにかすかな嫉妬を感じてしまうイングリッドだった。

 

「主も、風呂掃除の大変さを実体験として知っているという事になりゃせんか?」

 

 眼を真ん丸くしたキュルケに、ルイズも僅かに眉を上げて振り返る。

 刹那の間を経て「ぷっ」とかわいらしい笑いを噴出したルイズに釣られてイングリッドもかすかな笑いを漏らし、キュルケは不満そうに頬を膨らませた。

 キュルケが何かを言おうと身体を乗り出したところで、湯船を揺らせてその背中に張り付いた小さな身体から腕が伸びて、その双丘を横からつかんだ。

 体格的問題から、突端部まで手が届かないのは明らかなので、両脇からわしわしとキュルケの統治する丘を揺らせるだけである。

 

「あんっ!」

 

 普段のキュルケから想像もつかないかわいらしい声が彼女の口を裂いた。

 その身体にさえぎられて見えない後ろから、低い声が響く。

 

「妬ましい」

 

 普段、タバサが醸し出す雰囲気からすれば、随分と感情の篭った声だった。

 「ちょ、ま、いやっ」とか言いながら身体を捩るキュルケの姿を見て、顔を見合わせた2人は溜息を付いて、突発的な地震に揺れる丘を眺めて呟いた。

 

「ま、羨ましく思わなくは無いかなぁ」

 

「これだけ立派なら、役立つことも多かろうぞ」

 

 イングリッドは呆れるばかりだったが、ルイズの手が湯船の中でわきわきしていたのは見逃すことにした。

 

 

 

 しばらく4人でかしましく騒いで、ようやく湯船からあがって、そのまま更衣室に行くのかと思えば、3人はシャワーの前に足を向けた。それに連なって、イングリッドも先ほどのシャワーの前に足を向ければ、再びメイドたちがぞろぞろ姿を見せて、シャワーからお湯を出して、身体をすすぎ始めた。

 特に、髪の毛を入念に流した。

 それぞれに一人づつがついて、櫛で髪を梳かしながらお湯を通す。

 ザザとポーレット、それに他の2人を合わせた4人が、小さなタモみたいなものを手に、湯船を歩き回ってゴミを……4人が落とした髪の毛をすくって、バケツに落としていく。

 10分近い時間を費やして、ルイズたちの身体をすすいだメイドたちは、大量のタオルを駆使して、4人を包む水気を切っていく。あっという間に使用済みタオルの山が出来て満足がいったのか、互いに視線を交わして頷くと4人のメイドは一歩下がって頭を下げた。

 ルイズとキュルケが頷きかえすとさっさとその場を離れたので、タバサとイングリッドが後を追って更衣室に移動する。

 僅かに振り返ると、頭を下げているメイドの向こう側に湯船の中を移動するザザとポーレットの姿が見えた。ポーレットはイングリッドの姿に気がつくことは無かったが、ザザはイングリッドの視線を受けて、小さく微笑んだ。それにむかって手を振り、更衣室に下がる。

 更衣室に入ると、メイドたちがわっと集まって、バスタオルで攻め立てた。レクリエーション棟の入り口から付き合ってくれたメイドが一人、キュルケと言葉を交わしている。彼女がキュルケに頷いて足早にクロークルームのほうへ向かうと、僅かな時間を経て、別のメイドたちがぞろぞろと入ってくる。

 手にしているのは間違いなく着替えだった。一人分の下着を持つ者、一人分の上着を持つ者で、合計8人。随分手間のかかる騒ぎだった。

 

 19人のメイドがルイズたち4人を囲んでわいわいと騒ぎ、12人のメイドが椅子に座ってこちらを静かに眺めている。なんとも不可思議な情景であった。

 更衣室付きのメイドが手早く4人の姿を整えていく。ここでも手間取ったのはイングリッドで、すっかり綺麗になったいつもの服を身につけるのにイングリッド自身が手伝うことになった。

 自分の服を着るのに「手伝う」というのもおかしな話だが、事実としてそういう形になった。これもまた、なかなかに得がたい体験だった。

 

 サンダルを履いてクロークルームに移動し、ポーチやバッグ、そして杖を受け取る。イングリッドも小切手の束を受け取った。イングリッドは気がついていなかったのだが、小切手の束も、シルフィの涎の餌食になっていたようだ。イングリッドの失態だった。いまここで手にした小切手は、明らかに新たに用意されたもので、インクの臭いが漂ってきそうだった。後ほどオスマンに頭を下げに行かなくてはなるまいと一人ごちる。

 玄関ホールまで移動して、フットマンに手伝ってもらいながら、ルイズはポーチとマントを身に付け、そしてブーツを履く。ブーツの靴紐をフットマンが調えようとしたが、ルイズが遮って「ごめんなさい。それは使い魔にやらせる仕事にしたの」と断って、手持ち無沙汰のイングリッドを手招いた。

 頷いて足早にルイズの前にかがんで、すばやく紐を通した。周囲で見守るポーターや、横で視線をやっていたフットマンが感嘆の声を上げた。

 ルイズの足を最初に取ったフットマンが頭を下げた。

 

「見事な手前ですね。御見それしました」

 

 大げさに言う彼に、気恥ずかしくなったイングリッドは小さく笑いかけた。

 

「ま、これぐらいしか芸が無いのでな……。主らのように何でも出来る者が羨ましいよ」

 

 立ち上がって首を回すイングリッドに何故だか嬉しそうな表情を浮かべて彼は顔を上げ、再び頭を下げた。

 

 すっかりと準備が整った4人は最後に互いの姿を確認して互いに背中を向けたり身体を捻ったりして満足すると、メイドたちに頷いた、ルイズは自然な動きで手を挙げて謝意を示した上で、声を出した。

 

「手間を取らせてゴメンね。有難う」

 

 若干の動揺を見せる彼らの中から、最初から何くれとこなしていたメイドの姿を認めて、彼女に改めて笑いかけるルイズ。

 

「有難うね」

 

 かすかな困惑を表情に乗せて一瞬視線を交わした彼らは、再度、深々と頭を下げた。代表して件のメイドが、華やかさを感じさせる声を上げた。

 

「行ってらっしゃいませ。よい一日を」

 

 それに続けて全員が唱和する。

 

「行ってらっしゃいませ」

 

 身体を斜めに引いたルイズが笑顔でそれに手を振ると、彼らも笑顔を返した。

 厩舎に向かう4人を彼らは、レクリエーション棟の角を曲がって視界から消えるまで見送った。

 

 

 

 3階建ての厩舎にたどり着くと、柵の向こうでシルフィードが情けなく「きゅいきゅい」と喚いた。

 ピロティ形式で一階が駐車場ならぬ、駐馬所になっているそこは、シルフィのいるスペースだけ、急遽、作り変えたことが明白で、そこに繋がれている他の馬から完全にシルフィの姿が遮られるように囲われていた。

 間を開けて2重にされた囲いのスキマに、香木が積み上げられているのは、シルフィの臭いで他の馬が脅えないようにする対策だろうか?

 それを疑問に思って、タバサに問うたイングリッドだが、なぜかキュルケが答えを返した。

 

「空いている寮塔の壁をぶち抜いて、シルフィードの住処を作っているところよ」

 

 何だそりゃと聞けば、つまり、竜や、ワイバーンとなれば、地面をのたのた走るより、高い場所に降り立って、そこからまた飛び立つほうがはるかに効率がいいということだ。

 「竜籠」と称される、大型亜飛竜とそれが下げる「籠」も、地面から飛び立つのでは、人や荷物を載せたままでは困難で、通常は、背の高い竜舎の屋上から飛び立つのだそうだ。

 それが出来ない場所では、先に御者が竜籠を浮かべて、荷物を担いだ乗客が自身の魔法で空を飛んで空中で乗り移るのだと言う。それに感心してイングリッドは頷いた。

 

 柵を空けてシルフィを引っ張り出すタバサだが、俄かに厩舎が騒がしくなった。あちらこちらから馬やら鳥やらの鳴き声が響いて、何かを打ち付けるような音も響く。あわてて走り回る人の気配が多数感じられるところを見れば、確かにシルフィがここにいることは大迷惑なんだなと納得する。

 馬の嘶きが響く中で、ルイズがふと顔を上げ、それからタバサ、キュルケの順に視線を合わせた。

 両手で拝むようにして頭を軽く下げる。

 

「ゴメン、ちょっと待ってて」

 

 2人がそれに返事をする間もなく、ルイズが走ったのでイングリッドも慌ててそれを追った。

 存外に素早いルイズが、厩舎の一角で一頭の馬を宥めている所でイングリッドは追いついた。

 

「どうなさったルイズよ……主の馬かや?」

 

 馬丁が宥めていた牝馬は、ルイズが前に来たことで落ち着いて、しかし荒い息をルイズに吹きかけて、顔をルイズに押し付けてしきりに上下させていた。

 馬丁が溜息を付いて肩を落とし、ルイズに頭を下げた。

 

「申し訳ないっす、嬢様。わしが面倒見切れないばかりに」

 

 横面を撫でて馬を落ち着かせるルイズは首を振った。

 

「ううん。私こそゴメンね。最近顔を見せなかったから」

 

 馬丁は手を振って慌てた。

 

「いや、申し訳ないっす。新学年が始まって忙しいとこで、それは知ってますからに」

 

 頭を挙げた彼は、こちらを訝しげに睨んだ。まず背中側に視線を送って、対応を変える必要のあるモノが無いことを確認して、胡乱げな眼でイングリッドをねめつけた。

 

「で、こちらさんは?」

 

 馬の頭に額を擦り付けて離れたルイズは、腰に手をやって苦笑いを浮かべながら溜息を付いた。

 

「もう。直接会うのは初めてかもしれないけど、説明したでしょフランツ」

 

 小さく驚いて、フランツと呼ばれた馬丁は慌てて頭を下げた。

 

「こりゃ、もうしわけないっす。嬢様の使い魔になりなさったイングリド様ですね。始めまして」

 

 顎を引いたルイズが呆れた顔を浮かべて訂正した。

 

「イングリッドよ」

 

 フランツは手を振ったあと頭をかきながら頷いた。

 

「ああーすいませんで。イングルリード様」

 

 イングリッドは首を傾げてルイズに視線を移すとどちらとも無く笑ってしまった。

 確かにイングリッドと言うのは「フランス語」的発音を常態にしているものからすれば発声が難しかろうと納得する。ルイズもそれを理解しているのか苦笑いするばかりだ。

 

 考えてみれば、名を名乗って即座に正しい発音に「近しい」表現をこなせるルイズたちが例外だろう。やはり「メイジ」であるからだろうか。ホンの僅かとはいえ、実際に魔法をこなす姿を見た際、非常に完成された発音をしていた。授業でシュヴルーズが唱えた呪文とルイズが唱えた呪文は殆ど完全に同一の発声が行われていたことを思い出す。

 魔法の行使にあたり発声や発音も重要な意味を持つのだろう。それがして、ルイズたちがイングリッドの名前を正しく呼べる事に繋がっているのだろう。そういえば、ルイズの声は、ある種の歌声を売りにする生業の者にも劣らない、美しい声だと内心で評したことを思い出した。

 イングリッドは彼に頭を下げた。

 

「ルイズの使い魔をやっておるイングリッドじゃ。よろしゅうな、フランツよ」

 

 彼は差し出された手を躊躇いなく握り、嬉しそうにそれを上下に振った。

 

「よろしくですだ、イングリド様。嬢様をよろしゅうにして下さい」

 

 純朴な顔に刻まれた険しい皺も頼もしく思える顔が、愛嬌のある笑顔で飾られた。よく日に焼けた肌が健康的で気持ちの良い雰囲気で、外見から年齢を推測させることを難しくしている。無精に適当に剃刀を当てている程度に思える顔には、ひげが茂って、ますます年齢不肖な姿であった。

 ただ、ルイズの事を心配しているのは存分に伝わってきた。恐らくは、ルイズの領地から馬と共に学院についてきたのだろう。

 馬を世話する立場からすれば、馬の持ち主に対する情愛は、馬に対するものと重なる。いろいろと難しい立場に会ったことが知れるルイズであっても、馬丁と言う立場の職業人からすれば、自身が世話をする馬が愛する持ち主は、何がどうあれ、馬丁も愛する。シンプルな思考ですむのだ。魔法が使えないメイジがどうとかなんていうのはどうでもいいのだ。馬が心許すルイズ。だからフランツもルイズに心を許すし心配もする。その使い魔たる立場のイングリッドにルイズを託す。

 この世界に出でて初めて、極めて簡単でそれでいて本心で主たるルイズに対して一切の打算の無い感情を感じて、イングリッドも華やかな笑みを返した。

 

「まかせておけ」

 

 胸を張って、力強く応えた。

 

 

 名残惜しそうな馬の姿を振り切って、フランツに手を振りながら、ルイズは溜息を付いた。

 

「ホンとは、今日も馬にしたいんだけどな……」

 

 ほう、と首を捻って、ルイズに視線を移す。

 

「ルイズは乗馬が好きなのかや」

 

 ルイズも馬からイングリッドに視線を移す。

 

「うん。そうね。先週までは、3日と空けずにダルジナに触っていたし、ダエグの曜日の午後や、虚無の曜日はなるべく乗馬していたわ。

 ダルジナには寂しい思いをさせちゃったかも」

 

 「ダルジナ」が馬の名前なんだろうと当たりを付けて、頷く。

 

「家からつれてきたのだな」

 

 ルイズは頷いた。

 

「うん。ダルジナが2頭目の私の馬なの。ダルジナに乗って直接学院の正門をくぐったわ。最初の仔は父のお下がりだったんだけど、足を折っちゃってね」

 

 思い出したのか、沈んだ調子で足を遅くするルイズにイングリッドは寄り添った。

 

「……主が扱いを誤ったとは思えんが」

 

 小さく頷くルイズ。

 

「歳だったからね。優しい仔だったんだけど。

 ……乱暴にしても怒らないアスタルテに、いい気になった別の貴族が魔法で驚かして……、ひっくり返っちゃった」

 

 情景を思い浮かべたのか、足が完全に止まってしまったルイズを複雑な表情を浮かべてイングリッドは抱きしめた。

 

「いらぬことを聞いたの、ルイズよ。許せ」

 

 首を振って否定するルイズ。顔を上げて視線をイングリッドに戻す。

 

「ううん。勝手に思い出しただけ。イングリッドには関係ない話よ」

 

 身体を離して、両手でルイズの肩を叩いたイングリッド。

 

「うむ。そうかもな。だが、そういう話を自然に向けられるというのは、存外、嬉しいことじゃて。そこは有難うと言っておこう」

 

 一瞬身体を跳ねさせたルイズは、慌ててそっぽをむいて、大げさな動作を持って歩き出した。

 準備を整えたキュルケとタバサ、そしてシルフィードがその先に待っている。

 イングリッドは小さな笑みを表情に浮かべてルイズを追う。

 

「そういえばキュルケやタバサも馬を持っているのかや?」

 

 行進練習でもするように両手を大きく振るうルイズが乱暴に答えた。

 

「そうよ!キュルケの馬は黒くて大きいし、タバサも藍が美しい牝馬を持っていたわ!」

 

 ルイズを追いかけながらイングリッドは首を捻った。

 

「持っていた?」

 

 徐々に歩くペースを普段のものに戻しながら、ルイズが頷いた。

 

「召喚の儀の前日、虚無の曜日にタバサの馬丁が引いてどっかいったわ。あれはきっと、使い魔を受け入れるための準備だったのね」

 

 ルイズは自分が言った言葉にかけらも疑問を持っている風ではなかったが、イングリッドは頭を傾げた。

 召喚する前に、厩舎を空けた。なんだそれは。

 うっかりインコや兎を召喚していたらどうする気であったのだろうか?

 リュクスであるなり、ペガサスであるなり召喚したにせよ、それを見届けてから考えればいい話で、実際にそれをなしていないのに馬を追い出すとか。タバサってば実はうっかりさん?それとも自信過剰??

 

 ルイズとキュルケが騒いでいる。

 どこ行ってたの。ダルジナが騒いでいたから。ああ、あなたの馬ね。そういえば私のアクセルはどうかしら。後にしなさい!

 

 その騒ぎを横目にタバサに相対するイングリッド。その視線にタバサは首を傾げた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。