ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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外伝です。
本編に繋がらない上に蜜柑ですので、読み飛ばしていただいて結構です。


タバサの冒険1
タバサの冒険 / タバサと吸血鬼と (1)


 「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 走る。

 少女は、走る。

 無心に。

 

 一見した外観は、12歳程度と想像される少女。

 息も絶え絶えに走る少女は、刹那、暗闇に包まれた道で、何かに足をとられて倒れた。

 勢い良く地面に投げ出される身体。少女は、体表を削り取られるかのような瞬間の激痛に襲われる。

 しかし、少女を苛む恐怖と混乱が、その一瞬の外的刺激に寸秒すら浸る贅沢を許さない。

 眉を震わせ、眼を痙攣し、口を戦慄かせながら、じたばたと手足を投げ振り、慌てて立ち上がる。

 だが少女は、気が急くばかりでうまく立ち上がれない。彼女を攻め続ける感情が、足を、腕を緊張させる。少女自身の身体であるというのに、少女の意思に背いて、素早い動きを見せない。

 

 少女は倒れる。

 

 背を反らして起き上がる。

 

 少女は倒れる。

 

 腕を付いて身体を起こす。

 足に力をこめて身体を起こす。

 

 少女は倒れる。

 

 力の加減が妙なことになった少女は、まともに自身の身体を操ることが出来ない。

 

 少女は倒れる。

 

 釣り上げられた海魚かと、少女は地面をのたうつ。僅かな砂埃を吹き上げて、必死の表情を顔面に張り付かせて、地面を這う。

 

 粗い息遣いと、地面を叩く音が、赤黒い夕暮れの空の下、()()()()()()()()()()に人の気配を見せない森に響き渡る。

 

 少女の短い人生の中でも、ウンザリするほどに歩んだ、見知った道のりが、今、余りにも遠かった。

 急速に夜へと歩みを進める世界で、生い茂った木々の枝葉が落とす影に遮られた路面は、少女の視界の中で、空虚を示す暗闇へと変貌している。

 見知った世界。馴染んだ光景。精通した道のり。把握し尽くした筈の界隈。

 

 恐怖。

 

 前に、右に、左に、そして後ろに。

 

 広がる景色に、恐怖がわだかまる。生物が根源的に持つ暗闇への畏敬が、少女の心を絞りつける。

 今、少女の知る世界は、少女の知らない世界へと。少女が知りつつも無視してきた、真実を曝け出そうとしていた。

 

 少女の心を後悔の念が埋め尽くす。

 

 どこかにのんびりとした表情を貼り付けた、少女に対して底抜けに優しい母はしかし、とある人間を指し示していつも忠告していたことを思い出す。

 

 「あそこに住んでいる人たちは、村の人間じゃないのよ。だから気をつけなさいね」

 

 煩いんです。

 

 そんな風に聞き流した言葉。

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 

 少女自身の声が、木霊となって彼女の耳朶を打ち続ける。

 

 私が間違っていました。私が軽んじてました。今までそうだった様に、今もそうでした。母の言葉は間違いありませんでした。

 

 少女は千路に乱れた思考の片隅で、柔らかな笑みを浮かべる母に謝まり続けていた。

 

 そうだ。あれはよそ者。あれは異物。あれは違う。あれは受け入れられない。あれはモノ。あれは……!

 

 その『モノ』につれられて森の中に開いた丘に、野いちごを摘みに出かけた。僅かに4時間前の話。

 

 こんな眼にあうなんて、思っていなかった。

 ごめんなさい。

 母は、私に忠告していた。

 ごめんなさい。

 朴訥とした表情は優しげで、盛り上がった筋肉に彩られた体躯は頼りがいがあって、飄々としたしゃべりは親しげで。

 ごめんなさい。

 まさかまさか。

 ごめんなさい。

 こんなことになるなんて知らなかったの。

 ごめんなさい。

 あの「人」があんな『モノ』だなんて知らなかったの。

 ごめんなさい。

 

 ごめんなさい!

 

 いつの間にか立ち上がる努力を放棄し、唯ひたすらに地面をつかみ、がむしゃらに四肢を振り回した結果として、遂に、村の明かりが姿を見せた。低い位置にある少女の視線の先に、揺らめく明かりが、少女の心の中にも光明を差し抱かせる。

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。助かったらもう2度とお母さんの言う事を違えません。もうお母さんの言う事を聞き逃したりしません。お母さんに煩いだなんて言いません。だからどうかどうかどうか私の身体をあそこに届かせて。始祖様ブリミル様。私はいままで傲慢でした。敬虔ではありませんでした。あなた様を馬鹿にしていました。古臭いモノだと思っていました。ごめんなさい。もう2度とそんなことを思いません。あそこにたどり着けたら始祖様の敬虔な使徒になります。間違いありません。毎日3度の祈りを欠かしません。お供え物も奉じます。自分で用意します。自分でとりに行きます。人に任したりしません。そんな始祖様の大事な信望者になる予定の私を守ってくださいますね?

 

 声を上げる。上げようとする。それは少女の心に射し込んだ、僅かな希望が少女を突き動かした無意識の衝動の結果だった。灯りが見えただけである。冷静な状態であれば少女自身であっても、自身の幼い身体が発する声では、例えそれが、限界を超えよと発せられた力の限りの結果であったとしても、誰にも届く事のない無意味な音声であると知るだろう。少女の幼い体躯では未だ、灯りの点る世界は絶望感を抱かせるに足る距離があった。

 しかし、少女は冷静ではなかった。冷静とは程遠い世界にあった。肺にある酸素を全て使い尽くしたかのような苦しみを耐えて、力を搾り出して、声と共に血も吐けよと、12年ほどの人生の中で今、少女が経験した最大の努力と勇気を振り絞って、叫び声を口から突き出した。

 例え無意味であっても、今の少女は、それをなさざるを得なかった。

 

 そしてそれは、確かに無意味であった。

 

 

 「……!……!!」

 

 !?

 

 声は出なかった。

 

 違う。

 声は出た。

 確かに声を出した。

 

 しかし、音にならなかった。

 空気が咽喉を震わせた。

 唇を撫でた。

 間違いなく自分の身体から空気が外に噴出した。

 それは「声」という形を成すはずだった。

 だが「声」にならなかった。

 わずか、口から数サントの位置にある自らの耳に届かなかった。

 

 そんな馬鹿な!!

 

 必死に叫ぶ。つばが飛び、暗闇に吸い込まれる。千切れよとばかりに四肢を振って地面をのたくる。強いストレスに晒された少女は、冷静を欠き、視野狭窄に陥った思考が「立ち上がる」動作を忘れ、自分は地を這うのが常態の生き物なのだとばかりに、地面を這う。

 

 叫ぶ。喚く。怒鳴る。

 声にならない。

 

 そんなはずはない。

 

 声が聞こえない。

 

 そんなことはない。

 

 ありえないありえないありえない。

 

 自分の身体だ。自分の身体なんだ。自分が一番良く知っている。何をしても何をやってもどう動くかは一番に自分が知っている道具なのだ。ありえない。

 

 ありえない!

 

 少女の身体が唐突に地面から遠ざかった。急に空中を舞った感覚に、少女の混乱した意識が更に掻き乱された。刹那、視界が朱に染まる。少女は首に強い圧迫感を感じた。

 

 なんなのこれ!?

 

 知らない。

 こんな感覚は知らない。

 そんな経験をしたことがない。

 

 なんなのこれ!!

 

 罠にかかった小動物のように四肢を振り回して、宙を切り裂く少女自身の身体の先に、男の姿があった。

 

 今の今まで、自分が振り切ろうとした、逃げ出そうとした、あの「モノ」がそこにある!

 

 「……!……!」

 

 少女は腕を滅茶苦茶に振り回して身体を捩る。

 しかし、少女が全力を振り絞ったその抵抗はだが、あまりにも弱い。体格が違いすぎる。そも、力が違いすぎる。

 伸ばされた男の腕の先、その手に握られた少女の首から、宙に位置を固定する少女の身体から、男の身体までは絶望的に距離があった。

 気がつけない。理解できない。自身の身体の状況を認識できない少女は、ただただ手を振り回す。

 男は手を緩めない。激しく揺れる、それなり以上の重量を持つ、生きた存在の動きにも微動だにしない。

 その異常性に少女は理解が及ばない。

 必死の抵抗を続けて身体を震わせる少女の視界の先に、男の顔があった。

 無表情。

 口が開いている。でも、それは開いているだけ。そこに表情は伺えない。

 アレキサンドル。

 彼の名前だ。

 数ヶ月前に、村の片隅に住み着いた占い師のおばあさんの息子。

 丸太でも一人で担いで歩ける、身体が大きくて、でも、ちょっとぼんやりした雰囲気を持つ人。

 

 周囲の大人たちは、彼を遠ざけていた。

 よそ者だからと決め付けて、敬遠していた。

 

 そんなことはない。

 

 薪割りを手伝ってくれた良い人。

 割った薪を運んでくれた良い人。

 水を運んでくれた良い人。

 鳥の血抜きを手伝ってくれた良い人。

 畑の石除けを手伝ってくれた良い人。

 その顔が無表情に自分を見ている。

 

 そんなはずはない。

 

 彼は、苦い思いを乗せた笑みを隠しきれずに、どこか困ったような風で、自分に野いちごのなる場所を教えてくれと頼んだ。おとなりのジョセットさんが籠いっぱい野いちごを井戸から引き上げて、裏庭でへたをむしっていたのを見かけたのだという。

 彼は、それを見て、寝たきりでベットの上から動けないおばあさんに、それを与えたいのだと、はにかんだ表情で言った。

 少女は思ったのだ。

 

 やっぱりそうなんだ。

 

 この人は良い人。

 おばあさんを思う良い人。

 おばあさんにおいしいものを食べさせてあげたい良い人。

 でもみんな無視する。

 みんな遠巻きに見るばかりで、近づけば逃げ出す。

 だから彼は私に近づくしかなかった。

 しかたがないじゃない。

 私しか頼れないんだから。

 

 幼少期の子供が、不意に頼られて、自身が人の役に立つのだと告げられて、突如として自己の存在意義を見出して、その場の全てをなげうって使命感に燃える、あの感覚が少女を撃った。

 今の今まで与えられるだけの人生で、唐突に訪れた、自身が誰かに何かを与えられるかもしれないという直感。

 その誘惑を振り切れる者は少ない。それを無視できる者は殆どいない。

 自身の存在が無意味ではないと知る瞬間。

 そのチャンスを見棄てられる者は余程にすれた心根の者だろう。

 

 ましてや良い人。

 

 だのに、周囲から孤立し、悪く言われている人。

 でも少女は知っている。

 彼は良い人。

 少女しか知らない。

 彼は良い人だった。

 その自身が知り、他は知らない事実を少女のみが独占しているのだと言う「事実」。その優越感もまた少女を強く後押しした。

 

 彼女は少女だった。人並みの子供だったのだ。

 

 しかし、その「ヒト」は夜の帳が近づき、夕闇が大地を覆い隠そうとしたその刹那に豹変した。

 突如として何かに入れ替わった。

 ただ何の意味もなく開け放たれた口から見える牙。

 「ヒト」ではない。

 「ヒト」のはずがない!

 

 少女は暴れる。手を振り回す。足を蹴り上げる。届かない。

 1メイルほどの距離が絶望的に広い。

 足の下、同じく1メイルほどの距離が銷魂するほどに遠い。

 ヒトとしての存念が砕ける。砕けかける。ヒトとしての意識が揺らぐ。

 

 狼狽。

 

 恐怖。

 

 戦慄。

 

 恐慌。

 

 少女の心を傷め続けてきた感情が少女の思考の一線を破砕しようとしている。

 

 刹那、少女は猛烈な眠気に襲われた。追い詰められて心乱す少女は、その感覚を理解することは出来なかった。ただ、眠気に誘われて、自身の身体の反応にも理解を示すことのないまま、動転した視界を薄れさせて意識を霞ませた。

 空気に融けていくような感覚の先に、囁きが届く。

 もはやヒトとしての感情を保ってはいられない少女は、ただその言葉を耳にしただけだった。言葉であることも理解し得なかった。唯の音であった。それだけだった。それが彼女の人生における、最後の外的刺激の一端であった。

 

「あなたが摘んだいちごを添えて、あなたを食べてあげるね」

 

 

 

 ヨランド。享年12歳。肩まで伸びた金髪と、年のころの割りには大きいと称された体躯が目立つ、だが人並みの少女だった。

 

 とってもいい子だったんですよ。

 

 村人による言葉ではそうであった。

 

 母親の言うところ、少し、早熟で、他の子供より聡明だったという。ヨランドの事を問われたその母は、それを否定しなかった。周囲はそれを覚えていた。ヨランドとその母、ビゼットは、12歳と28歳という組み合わせを超えて、娘と母という立場を超越したところで、なお、家族であった。

 

 それが村人の記憶に残る2人のあり方だった。

 

 その態度がヨランドの行動にいかなる影響を与えたかについては確かめる術がない。

 

 残されていたのはヒトだった物の残滓。

 

 ひび割れた体表を晒して、乾燥して色を失い、体積を大いに減じて、衣服を身にするが故に辛うじて人間であったと人々に思わせる程度の姿を残していた。

 その上のほうに、触れただけで折れてしまいそうな細い首の上に、落ち窪んで澱んだ眼、沈み込んだ鼻、割れて裂けた唇、むき出しになった白い歯。

 それは、口の中でむき出しになっているわけではなかった。そのほとんどが地面にばら撒かれてむき出しになっていた。唇の奥で萎びた歯茎に僅かな数だけがすがり付いていた。赤黒く変色した舌が奇妙に膨れて、口から突き出されている。なぜだかそこだけが奇妙に瑞々しかった。

 

 痩せこけたとのだという表現では到底足りそうにない輪郭を表す顔。抜け落ちた髪の毛が風に舞う。それが大地に列を成して滑る姿だけが、生前の快活としたヨランドの残影だった。大地に力なく投げ出されたその遺骸を眼にしてビゼットの心は砕け散った。

 

 ヨランドの心はヒトとしての最後の一線に踏みとどまって、ヒトとしての生涯を終えた。

 多分に偶然であったろうが、彼女はヒトとして死んだ。

 

 残された女は、ビゼットはヒトとしての姿を保ったままヒトであり続けることを諦めた。

 

 残された結果は残酷で、余りにも辛辣な皮肉であった。 


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