学院長室でオールド・オスマンとコルベールは相対していた。
ソファに深く腰掛けたオスマンは、厳しい表情が張り付いた顔を、僅かに天に向け、眼を閉じて髭を扱いている。
髭を撫で付ける右手に対して左手は手持ち無沙汰で、彼自身の膝をぺしぺし叩いたり撫でたりと忙しない。オスマンはまったくの無意識で無意味な行為を左手に強いていた。
コルベールは居心地悪そうに僅かに身を捩る。オスマンにテーブルを挟んだ向かい側で対面し、ソファに浅く腰掛けて、その目線をテーブルに向けている。
始祖とその使い魔達。
テーブルの上におかれたその本は、あるページが開かれていた。
コルベールは膝の上においた両手をあわせ、何かに祈るように頭を垂れていた。実際に何かに祈っているのかもしれない。何に祈っているかは彼にしかわからないことだろう。
薄目を開けてコルベールの姿を認めたオールド・オスマンはその姿に溜息を吐きそうになった。が、強い意志を持って堪える。その間も彼の無意識は左手を動かしている。髭を扱く行為は、彼なりの計算である。彼のデフォルトの行為として認知されているこの行動は「オスマンが深く考え事をしている」サインであり、オスマン自身が望んでそう認知させる努力を行った成果だった。
おかげで、ただぼうっとしたいときでも髭を扱いているだけで周囲は遠慮してくれる。ありがたいことだった。努力のし甲斐もあるということだ。
無論、この場では本当の意味で深く考え事をしていた。それに間違いは無かった。
僅かな気配を感じて何気なく顔を上げたコルベールの前で、先ほどと変らず、オスマンは思慮深い表情を顔に浮かべ、その眉間に皺を寄せて相変わらず髭を扱いていた。
彼、オールド・オスマンのあり方を説明することは大変に難しい。
ただ人づてに聞きかじった場合における、
「彼の元」を巣立っていった貴族たちの総数は数千とも数万とも言われる。表向きはすべてが記録に残されているのであるから、実際に資料を精査すればその数値に確定した結果を出せる筈であろうが、その必要性を認める者は殆どいない。
はっきりとしているのは、トリステイン魔法学院で魔法を収めた、と、される多数のメイジに彼の存在が陰に陽に影響しているだろうという認識だった。
それもまた本当であるかどうかを知ることは大変に難しい。
オールド・オスマンという存在が、トリステイン魔法学院に赴任した初期、その時点で既に「校長」という立場にあったにもかかわらず、彼が教鞭をとったことはそれなりに知られたことである。
しかしそのことが実際に生徒である貴族に何がしかの影響を与え得たのかという点では、疑問だらけだった。
10年は人の世であり100年は時代の流転という。つまり、現在を生きる人々が一瞬で過ぎ去った光の矢の軌跡を手繰ってその過去を知ろうというのであれば、手がかりは、今現在を生きている本人に聞くのでなければ、書物等に得るしかない。
しかし、それなりに多くの人々が見知っているはずのオールド・オスマンの姿は揺れて安定しない。
80から100年おきに編纂されるハルケギニア年代記のトリステイン史に書かれたオスマンの姿は存命する人間に対しては異例なことに美麗賛辞に満ち溢れていたが、それを額面どおりに受け入れられる人間は少ない。
なにしろ生きているのだ。
その上で、国家に対してある程度の影響力を持ちうる魔法学院の校長という立場にある以上は、彼の事を貶めるような言葉は記しにくい。その程度の想像は誰もが自由に浮かべることが出来た。よって、彼の内面を探る資料としてはトリステイン史は価値が低いと言わざるを得ない。
他の場所に資料を得ようにも、トリステイン史に資料価値を見出すことが出来ないのと同じ理由がオールド・オスマンを知ろうとする人間を襲うことになる。
なにしろ生きているのだ。
後顧の憂い等を思慮出来ないような平民であるとか、断絶が決まった貴族であるとかならばいざ知らず、貴族としては、後に血を残すことが第一となれば、いつまで生きるのか知れない存在に対して、半永久的に残る文章等、残せるはずも無い。どのような一文が人の逆鱗に触るかは予想もつかない。
ハルケギニアの歴史に於いては、外交文書に記された一文が気に入らないからと戦争になったとか、修復した教会に記された祈念の言葉が原因で破門になった小国とかいう実例もあるから、もしもオールド・オスマンの何がしかに意見するような言葉を残すというのであれば、あまりにも面倒であることは容易に予想されることだった。
で、あれば、面倒ごとを回避する一番懸命な手段は、オールド・オスマンの存在に対して何も触らないことである。
存命中であり、なおかつその功績に関して大きなものがあると喧伝されるオスマンという存在であったが、様々なしがらみゆえに、彼の事を知ることが出来る文献は恐ろしく少ない。それはそういった理由があったからだ。
うっかりオスマンの勘気を被るようなまねをして自身の子孫にいかほどの迷惑をかけるか。
オスマンはその存在上、平民より上、貴族より下という微妙な立ち位置にあったが、彼の教えを受けた―――彼が頂点に立つ魔法学院に教えを受けた大多数の貴族にとっては、オールド・オスマンは彼ら自身にとっての恩人、主人、或いは父であった。それらの認識が、なお一層、オールド・オスマンという存在の立ち位置をややこしくしている。
学院のあり方が捻くれて曲がってしまったことに誰もが気がついていたが、それを積極的に活用しているのはハルケギニアに存在する貴族たちである。その内心は極めて複雑であろう。
貴族たちにとってオールド・オスマンは一種、空気みたいな感じがあった。軽いという意味での空気ではない。
ごく「僅かな」本当の意味で貴族の主流をなす人間以外にとっては、オスマンは自身の子供時代を見つめ、知り、記憶する、一種のパンドラの箱である。
思春期における重要な3年間を閉鎖空間で過ごした少年少女の黒歴史を知り尽くした老人、オールド・オスマン。
これが脅威ととられないはずが無い。
しかし、ここ200年、或いは300年で彼がそれを政治的意図を持って利用したことは一度もなかった。裏はどうであれ、表ざたになったことは唯の一度も無い。
彼ら彼女らが学院に刻んだ歴史は、当然ながら華やかなものばかりという訳でもないから、ある意味で首に紐をつけられているようなものである。オールド・オスマンとはそのような存在なのだ。
しかし、彼らは好んで自身の子弟を学院に送り込んでいる。
現状、オスマンが「悪いようにはしない」事実は、現実に示され続けているし、どこにいようと、どう教育しようと逃れられない思春期特有の思考を抑える術は、血縁や両親といったくびきですら軽いものであるから、酸いも甘いも知り尽くした老人の下で大過なく過ごさせるほうがマシだ……。何がしかの悪いことがあっても彼ならばなんとしてくれる。彼なら周囲の目撃者に対しても何とかしてくれる。そういった「信頼」もあった。実際に何とかしてきたのが彼だった。
そういう「信頼」を寄せられる存在。オールド・オスマン。
彼を「知る」人々にとって精一杯の好意的評価はそういったところだった。
学院内部の評価で見た場合、その内情は更に混沌とする。
現実に彼に教えを受ける―――直接受けているわけではないが、彼が大筋を示した教育方針に従って、勉学を教える教師に学ぶ生徒、すなわち貴族の卵にとって、オールド・オスマンとは捉えどころの無い存在だった。
基本的にはいるのかいないのか分からないし、顔を見るといっても行事等で遠くから眺めるだけ。通り一辺倒の深くも無い、興味も湧かないどうでも良いことを言うだけの誰か。
せいぜい食堂で上から見下ろしているだけの老人。程度である。
それが幸せであることを知る人間は少ない。
彼が生徒と直接言葉を交わす瞬間というのは基本的に、生徒に面倒ごとが将来した時であるのだから。それであっても、基本的にはウラで解決に向けて手を回すのがオスマンである。だからオスマンと言葉を交わせる人間というのは、余程の偉業をなした人間ということになる。漆黒の歴史にまた1ページ。
生徒たちがオールド・オスマンという存在に対して一定の評価を下すことが出来るようになるのは、生徒という立場を逃れた後。すなわち「本当の貴族」になった後、なのである。
そして殆どの場合に於いて、彼ら、彼女らはオールド・オスマンに「見られた」「知られた」過去を思って、ベットの上で悶絶するのである。
教職員の立場で見ると、また評価が変わる。
基本的には彼がいなくては何も回らないし、彼の言うことに錯誤は合っても過誤は無いというのが基本的評価である。まずまずの評価と言ってよい。
彼の上にあるはずの人間がまったくの役立たずであるから、ますますその存在は重要である。
教職員の個人的意見となると複雑怪奇な様相を見せる。
彼に見出されて将来を展望し、大きな期待に胸を膨らませる新人は毎年のように学院に現れる。
その評価は天をも突かんばかりだ。まったく無邪気にオスマンを慕う教職員は少なくない。
ある程度時間がたつと疑問が頭をもたげてくる。
どれほどに時間を費やしても言葉を費やしても何も変らない学院。
更に時間が立つと諦観が頭をもたげてくる。
変わらないことこそが重要。
ここで思考停止すると、ただ日々をすごすだけの、繰り返される日常を守ることだけに汲々とする教師が出来上がる。
学院の教師で10年選手となれば、だいたいがそんなところで収まり、最後の日を迎えることになる。それに疑問は持っても意見はしない人間である。評価がどうとかすら考えなくなる。
そこを突き抜けた教師となると……つまり、コルベールのような存在である。彼によるオスマンに対する評価は極めて難しい。
そことは別枠にあって、立ち位置が微妙な「教師」の存在があるのだが……それらに関しては評価することも罪、となる。その立場の「教師」にオスマンは何の期待も抱いていないし、「教師」も期待をかけられたくはないだろう。そこもまた現在の学院のあり方である。
そのオールド・オスマンであったが、いまここでコルベールが持ち込んだ厄介ごとに関してその判断を迫られている事実は酷く不快なものがあった。
コルベールがそれを持ち込んだ。
それはいい。むしろ賢明な判断であったと賞賛できるものだった。なんの対策も取らずに、ただ知らぬままこの事実が世間に漏れ出でてしまっては……。
それを考えれば、今ここに示されている結果は大変に幸運なものだった。
しかし、それを判断する立場となっては話が違う。
オールド・オスマンは正直に言って、何故?という気持ちがあった。
何故、今なのか。
何故、今までなかったのか。
首を下ろして眼を開けた先にあるテーブルの上には、ページが開かれた「始祖とその使い魔達」。
少し目線をずらせば、置いてあるのはコルベールのスケッチ。
何度も見比べたルーン。
ミス・ヴァリエールが呼び出した使い魔。
それに刻まれたルーン。
常人には理解することも想像することも困難な時間を過ごしたオスマンである。厄介ごとなどは掃いて捨てるほどにぶつかってきた。
自身の命を失うのではないかと恐怖した瞬間も山のように経験してきた。
何かを飲み込み、何かを切り捨てる決断等はもう数えるのも億劫だった。
しかし、今。
使い魔に刻まれたルーン。
その名をガンダールヴ。ハルケギニア創生の伝説における伝説の使い魔「神の左手」と称される存在であった。
テーブルの上のメモをなんとなく見つめるオスマンの内心は複雑だった。
何故?何故、今頃になって。
6000年にわたるとされるハルケギニアの歴史でそれが現れたことは唯の一度も無い。
いや、一度あった。
それこそが伝説である。
だからこそ伝説である。
それが目の前にある。
オスマンはコルベールを疑わない。
コルベールを学院に呼んだのはオスマン自身であるし、オスマンはコルベールの実力がある一面で自身を上回っていることに疑問を持たない。
だからこそコルベールを捕まえたのであるし、コルベールを手元に置いている。
オスマンは自分が全ての手綱を取って何もかもを御することが出来る等と夢想しないほどには経験があったが、コルベールであれば手綱を持たなくても彼自身の判断に従って最善に近い手を取れるであろうという信用が有った。
事実、彼はそれに応えている。
彼は他の何者をも差し置いて、まず自身にこれを持ち込んだ。カステルフィダルド、トリステイン魔法学院監督官に持ち込むことだって出来たはずだ。額面上は彼のほうが立場が上である。書類上、オスマンが処理する書類の決裁者もカステルフィダルドが最終決裁者になっている。面倒ごと、それも飛び切りの面倒ごとなのだ。コルベールが自身のみで判断するべきではないと考えたことは大変に自然なことであるし、上にそれを持ち込むこともまったく常識的判断であった。
であれば、本当の意味で学院の最上位者であるカステルフィダルド、トリステイン魔法学院監督官に「これ」を持ち込む行為もまた自然なことである。しかしその行為が巻き起こす結果は最悪であったろう。何しろ彼は「始祖ブリミル」に仕える司祭でもあるのだ。その彼が「始祖ブリミル」のゆかりの伝説が再現されたと知ったのならば……。
結果は想像するだけでも恐ろしい。
よっていまここにある現実は最善に近い。それは理解している。だからといって面倒ごとが消えてなくなった訳ではない。
誰かが下さなくてはならなかった判断を自分が下す。
ただそれだけの事である。
ただそれだけの飛び切りの厄介ごとである。
「さて……間違いはないのじゃな」
コルベールの視線に気がついたオスマンは、なんとなく口に出してしまった。意図しない言葉に自分でも僅かな驚きを感じつつ、仕方がないと身を乗り出すオスマン。
「伝説の復活、か……」
コルベールは緊張した面持ちで頷き返した。
「はい。何度も確認しました。間違いようがありません」
彼は右手で自分の描いたメモを取り上げると、本の上に置き、該当のルーンの横に滑らせた。オスマンはその手が僅かに震えていることに気がついたがそ知らぬふりである。
「偶然はありえないですね。たまたま似ているというのであれば、余りにもありえない話になります」
オスマンはその言葉を鼻で笑った。小さく表情を歪めて片眉を跳ね上げる。
「『たまたま』で伝説のルーンのそっくりサンが現れるようなら世話はないよ。いや、今まで混乱がなかったのだ。ありえんな」
こんな大事である。人が呼び出されるだけでも異例な使い魔の召喚で、次に契約をしたところ、現れたのが伝説。騒ぎにならないほうがおかしい。
コルベールが示したルーンを見て、状況を理解したオスマンにとって、召喚の儀から今までに起きたそれなりの騒ぎが、実はそれでも平穏無事であったと判断するべきなだと理解できた。魔法学院監督官が仕事に不熱心だったことは僥倖である。
考えるまでも無く、召喚で人間が呼び出されるのは『今までであれば』異常事態なのだ。それだけで魔法学院監督官が動く動機になりえる。ましてや腐っても司祭位をいただくロマリアの人間である。埃を被った伝説ではあるが、コルベールでさえ疑問を持ったのであるし、オスマン自身もすこし首を捻っただけで記憶から湧き上がった事実なのだ。カステルフィダルドが初日に動いていたのなら、今の魔法学院は消し飛んでいたかもしれないほどに微妙な問題であった。
「人間の使い魔、か」
オスマンも慨嘆を覚えて溜息を付いた。今度は隠せなかった。
何故それに気がつかなかったのかは今となっては恥ずかしいと思えるほどの疑問がある。
人間の使い魔。
ありえない。
常識として、無意識の常識として、そういう刷り込みがあった。
振り返ってみると確かにおかしい。
勝手に思い込んでいただけなのだ。人間の使い魔などというのはおかしい。それこそがおかしいと何故気がつかなかったのだろう?使い魔がすなわち動物であったり幻獣であったりするのは寧ろ自然では「ない」。
「始祖とその使い魔達」。そこにははっきりと示されていた。始祖は人間を呼び出したのだと。
始祖は始まりである。現体制、現魔法体型の始まりである。だからこそ始祖なのである。その彼女が呼び出したのが人間。で、あるならば人間を呼び出せない「始祖に連なるメイジ」とは何ぞや?
どこかで甘く見ていた。眼を背けていた。おかしい。人間が使い魔として呼び出される。そんな馬鹿な。
それを呼び出したのがミス・ヴァリエールであったという現実が視界を曇らせていたのだとしか言いようが無い。
それも言い訳に過ぎない。
ミス・ヴァリエールのあり方に関してはオスマンも含むところが大きい。
直接に間接に、様々な『要望』を受けている。彼女を思う人間は随分と多かった。愛された人間である。時としてオスマンを頭痛に苛むその手の『要望』のなかでミス・ヴァリエールのために寄せられた要望……寧ろ、嘆願とでも言える言葉は、オスマンを呆れさせる前に感心させてしまった。人とは人一人のためにこれほどまでに必死になれるものなのか。羨望すら一瞬抱いたほどだった。
実際に見た、聞いた、そして知ったミス・ヴァリエールという存在は自らが過去に諦めた一つの希望のある種の完成形であった。オスマンがコルベールに対してミス・ヴァリエールの世話を強く要請したのは、そこに希望と、諦観があったからだ。
オスマンはコルベールが、ある頃からその心を不安定にしていることを知っていたし、彼が割り切ることが出来ずに苦しみ続けていることも知っていた。
そしてオスマン自身の言葉でそんな彼を救うこと等できないことも知っていた。
そこに現れた彼女はコルベールにとっての希望であった。
それはオスマンにとっても希望だった。
そしてその実際のあり方は余りにも哀れだった。
メイジとしての『成功』が無い貴族。
魔法が失敗するメイジ。
ゼロのルイズ。
その事実に気がつき、あがき、悩み、苦しんだ人々。
ルイズという存在が魔法を使えないことで苦しんだのがルイズだけではないことは明白だった。
ルイズが愛され、そしてルイズのために『嘆願』した者達の考えは理解できた。
普通の魔法を使えないミス・ヴァリエール。
ゼロのルイズ。
ならば、ある種の『実力』だけは認めさせよう。
ルイズは魔法を使えない。
しかし『力』はある。それは、知らしめる。ルイズが決して無力ではない実績を作る。
なんともいじらしい話である。
そして、オスマンに『嘆願』されるわけである。
それはこの世界のあり方としては異端スレスレなのだ。
貴族である「ルイズ」。
普通の魔法を使えない「ルイズ」。
これは、通常結びつかない。
貴族はメイジである。
貴族は魔法を使う。
この世界の真理とはそういうものなのだ。
そこから外れたルイズ。
それを認めさせようとする周辺の人々。
『要望』ですむはずも無い。『嘆願』になる訳である。
普通ならそんな面倒なことをする「貴族」はいない。
自身の子供が魔法を使えない。配偶者に少しでも疑うところがあれば、お家騒動間違い無しである。
貴族の結婚相手は貴族。
つまりメイジとメイジが結婚する。そこからメイジになれない子供が生まれる。
ありえない。
そうであるからお家騒動にならないはずが無い。
と、なれば、お家騒動……不貞の糾弾はともかくとして、メイジになれない貴族はどうするか?
そういうことである。
相手に何の落ち度も間違いもないと心から信じる場合はどうか?
そこにあるのは誰にとってもうっそうと生い茂った茨を掻き分ける苦しい道であろう。
ヴァリエールはそれを選んだのだ。
そしてそこにオスマンを巻き込んだ。
えらい迷惑な話である。
しかしオスマンはそれに望んで巻き込まれた。今、自身が先頭に立って茨を掻き分けているといっても良い。それを望んだ。
そうした思いがオスマンの眼を曇らせていた。
そうとしか思えなかった。
通常のメイジとは根本的にあり方が違う『メイジ』であるルイズ。
ありえない現実は、ありえるかもしれない例外と摩り替わっていた。
それで納得し、思考停止していたのである。
ルイズという存在は、ありとあらゆる面で例外だった。その存在の有り様。メイジとしての、メイジと呼んでいいかも判断のつかない力の有り様。そして、そういう状況にありながら折れない心の有り様。
そうした「特殊性」が、人間の使い魔が呼び出された特異性に対する霞となっていた。
人間が呼び出された。おかしなこともあるものだ。まあ、ルイズだから。ルイズならば仕方あるまい。
それで納得してしまっていたのだ。
使い魔が呼び出されて4日。誰もそれに根本的な疑問を抱かなかったのはそれだけ『常識』が堅牢である証左だった。馬鹿馬鹿しい。
オスマンは視線を移す。部屋の隅、入り口に近い場所におままごとでもするのかという小さな家具が設えられた一角がある。
そこでナッツをかじるねずみがオスマンの視線を感じて振り返り、小さな首を捻る。
彼の使い魔である、モートソグニルである。ハムスターン・キヌゲネズミで、すばしっこく、人間では思いもよらないような場所にもぐりこみ、人が危険を感じることが無い場所から他を監視することが出来るオスマンの長い手の一つである。
オスマンの力量を知る者にとってはオスマンの使い魔がねずみであるというのは意外であったが、オスマン自身にとってはこれの出現は、必然と納得できた。
魔法の力量では他に比べるものも無く強力無比であるという自負があるオスマンである。実はその人間としての能力も、ただに長い生を生きてきたという部分から言っても、その中で経験した様々な部分から言っても、単純に推し量れるようなものでもない実力を誇っている。本気を出せばなんでも1人でこなせるだけの実力を持っていると自負していた。
しかし、使い魔を召喚して初めて、自分が井の中の蛙であったと納得もし得た。単純に小さくひ弱な生物でしかないねずみであってすら、その視線が映す世界はオスマンの知らない世界の連続だった。オスマンが出来ることでモートソグニルが出来ることは少なかったが、逆にモートソグニルが出来ることでオスマンが出来ることも少なかった。
使い魔は召喚するメイジ自体に近しい、或いは、メイジに必要とされる力そのものだといわれている。また、召喚された使い魔は召喚したメイジと相性のいいものが呼ばれるといわれている。
それを実感することは実際に召喚して、実際に契約を経た後になってしまった。言葉として知っていることであっても、本当にそれに納得できたのはモートソグニルとの出会いのおかげであった。オスマンは素直にモートソグニルに大いなる感謝の念を抱けたし、モートソグニルはオスマンによくなついている。今となってはモートソグニル以外の何かを使い魔とする自分の姿を思い浮かべることは難しい。
しかし、つい先ほど思い知らされた現実を見た場合、それがなんなのだ、という思いも浮かぶ。
メイジとは始祖の血を受け継ぎ、始祖の起こした、或いは、興した、奇跡を再現できる者の総称である。
決して口に出せることではないが、メイジであることが大事であって、貴族という立場にあることはオスマン自身にはどうでもいいことだった。メイジをメイジたらんとするトリステイン魔法学院に校長としての立場を受け入れたうえで、収まったのはその思いがあったからであるし、そうであるからこそ、最終的には貴族という枠を破壊してでも始祖の奇跡を世に広めたかった。
この思いは世界各地にある、あった、魔法学院の共通した願いであったし、そういう人間であるからこそ教壇に立ち上った優秀なメイジが何人もいた。
だからこそ、何もいえなくなった。
希望を胸にトリステイン魔法学院に立ったときには魔法学院は既にトリステインにしかなかった。それもまた存続の危機に瀕していた。貴族にとって魔法学院が掲げる理想は彼らの存在とは相容れなかったのだ。
オスマンを外から引きずり込んだ前任者は、それらを飲み込んだ上で、今ではない明日のために魔法学院を残せるモノとしての能力を買って、オスマンを校長に推挙したのだった。
残念ながらそのときのオスマンは聡明で思慮深く頭も切れたので、それらの事実は簡単に理解できた。自身の理想が夢想に過ぎないことは直ちに納得できた。
だから彼の夢は唯の夢で終わってしまった。それを胸に押し込んで生きる術を彼は知っていた。確かに、これほどまでに魔法学院という「組織を守る」事に秀でた人間は他にはいなかったのだ。
しかし「メイジ」である。
始祖の奇跡を受け継いだ人間。
それが、始祖が呼び出した使い魔を呼び出せないでいて、それを当然のこととして納得していた事実。
そんな馬鹿な話があるだろうか。あったのであるから笑えない。いや、ここはコルベールと2人で爆笑するところであろうか……。
思わずモートソグニルから視線をそらす。思考は断絶して彼に伝わっていない。使い魔との思考の共有を意図的に遮断する術は、オスマンのオリジナルな術である。こうすることで妙に存在感のある「ねずみ」を唯のねずみに見せかけることが可能となるのだ。
しかし、いまここではその理由で思考を断絶したのではなかった。単純に自身の淀んだ思考がモートソグニルに伝わることを良しとしなかっただけである。
いたたまれなくなって彼は応接室の窓を見る。
美しく磨き上げられたガラスが春の沸き立つような空気を遮断して、寒々しい雰囲気をこの部屋にもたらしていた。
何故、窓を閉めているのだろう。
何故、窓などというものが存在するのだろう。
ふと疑問に思ってしまう。
魔法によって創られた「ガラス」というものは、メイジ達の世界を快適に過ごせるようにという思考から湧き出でた想像の産物だった。
それは今ここで自身と自然の境界となって自分の前に立ちふさがっている。
それが途轍もなく腹立たしい出来事であるような気がして、オスマンは自身の脇に、ソファにもたれかかるようにして立てかけていた杖を取り、その先端を窓に向けた。
「われが願うところに於いて、窓よ。その閉じた口を開けよ」
一瞬の激情は攻撃魔法を思考に思い浮かばせていた。しかし口を突いて出た言葉はコマンド・ワードである。思考にふけるコルベールは気がつかなかったが、これは杖を向ける必要がない。魔力がある人間ならば、誰でも行い得る行為であって、ただ意識を対象物に向けて、そこにこめられた定型の行為を行わせるだけの命令でしかない。
魔法で創られた道具に創られた時点でこめられた魔法用量の上限内で行い得る行為を、メイジが製作途上で覚えさせたことであり、言ってみれば飼い犬に芸を仕込んだようなものである。
一度芸を覚えた犬が芸を忘れることはよほどのことがない限りはありえない。
こうした付与魔法がこめられた道具も似たようなところがあって、一度設置されれば、元の形状を失うまでコマンド・ワードを「忘れること」はない。魔法を知っている者、つまりメイジであるならば、自身の杖を使うかのごとく、それらを扱うことが出来る。これらの道具はある種、固定した主人を持たない「杖」であるから、メイジであれば誰でも使うことが出来るのだ。それを「使う」のに自身の杖は必要なかった。
自分のちぐはぐな行動に眼を震わせて、誤魔化すようにそれに体重を預けて立ち上がる。コルベールがオスマンの動きに気がついて視線を上げる。
特に何か意図があるわけでもなかったが、オスマンは、常の威厳をたたえたまま窓際に歩み寄り……そして馬鹿げた騒ぎが起きていることを知った。
「見よ、コルベールよ」
身体を室内に向けて、コルベールに視線を戻したオスマンは僅かに呆れた雰囲気を滲ませながらコルベールを呼ぶ。
どこか有無を言わせない雰囲気に困惑しながらも、コルベールは杖を手にして立ち上がり、窓際でオスマンの横に立った。
オスマンの全身を治めてなお余裕がある窓は、コルベールが気がつかないうちに開け放たれて、外の空気を僅かに室内に運ぶ。
2重構造の外壁はオスマンの居室の直下で途切れて、そこに渡された床で、バルコニーのようになっている。先に手すりなどは存在しない。ごく普通に魔法を収めたものならば空はそれほど珍しい場所でもないから、手すりがないことなどどうでもいい事なのだ。
重々しい足取りで「バルコニー」の縁に立つオスマン。その横に自然に並んだコルベールの耳に「怒」っという歓声が響き渡る。
「決闘とはのう……」
常人では聞き取れない眼下の騒ぎから重要な単語を抜き出したオスマンは溜息を付いた。
「暇をもてあました貴族ほど下らない存在はないの」
コルベールも眉をひそめた。
「世界よ願う。その視界を広げて我に、遠い場所の真実を見せよ。ナイル・レープル・ハガント」
顔の前で手をかざし左手で杖を振るうと、視界が歪み、絞られて、針の穴ほどの一点のみがクリアになる。
次の瞬間にそれがコルベールの意識上は「引き寄せられて」彼の視界を埋め尽くす。
遠見の魔法だ。
実は大変に使い勝手が悪い魔法である。
ただ遠くを見る。
それだけの魔法だが、大きな問題として、視界が「見ている遠くの場所」を「近くで普通に」見ているように摩り替わってしまうということがある。
コルベールが見ているのは、高い場所から低い場所を「見ている」形だが、角度的な問題で「そこにいる人間の肩越し」に目の前を見ている、そんな風に視界が広がる。
この状態では違和感しか感じないのだが、意識上「そこにある」つもりで視線を振った場合、例えばそこにいる人間の横顔を見ようなどと思って視線を横に動かすと、はっきりと見える視界が超高速で動いて横を見る―――この場合、オスマンの頬の毛穴でも見る羽目になる。
例えば遠眼鏡を覗いている場合にそのような馬鹿な行為に及ぶものは滅多にいないだろうが、遠見の魔法ではそういうことをしでかすことが多い。遠くを見ている事実を認識できない、自身が通常の視界を持っているのか、魔法によってその視界が摩り替わっているのかを区別できないのだ。
ただ眼を回しただけなら笑い話だが、今コルベールのいる場所のようなところで区別が付かないとなると大きな問題になる。
視界が摩り替わっていることを忘れて足を踏み出せばバルコニーから空中に投げ出されて地面を目指すことになる。
大抵のメイジは空中を駈ける事が出来るが、落ち着いて魔法を唱えることが出来ればの話で、基本的に二つの魔法を同時に使えないハルケギニアの魔法体型では、まずもって遠見の魔法を解除して、尚且つ、何種類かある空を飛ぶ魔法を選んで唱える必要があるが、そも、自身が魔法を使っている認識に混乱をきたしやすい遠見の魔法で、その区別がつかないがゆえに事故が起きると、自身が別の魔法を使っていることに気がつく前に地面に叩きつけられることになる。必死で空を飛ぶ魔法を唱えながら、それが果たせずにのしいかになるか、或いは遠い視界を近くに感じて、自身を包む浮遊感と風を切る音に疑問を抱きながら意識を暗転させるか……。
遠眼鏡という道具がハルケギニアの歴史の中で極めて早い段階で生まれたのは無理からぬ悲喜こもごもが合った故なのであろう。
コルベールは違った。
彼は自身のアレンジで片目のみに遠見の魔法を使ったり、或いは、魔力を調整することで、通常の視界に遠見を重ねたりすることが出来た。これは彼の過去の生き方から必要性にせまられて工夫した結果であり、そういう生き方でもない限りは、必要性の感じられない我流の技であったから、人に伝える気は無い術だった。
「片方はミスタ・ヴィノグラドフのようですが、相手はまだ来ていないようで……」
傍目から見ていると薄気味の悪い見た目とでも表現するしかない、虹彩が失われた眼をすぼめるコルベールが一瞬息をのむ。
「どうしたのかな?相手は『使い魔』とでも言うのかね?」
自分の眼にしたものを言い当てられて虹彩を戻した眼でオスマンを振り返って見つめてしまうコルベール。
苦い笑いを浮かべたオスマンが、眼下を見つめる。
「ま、そうじゃろうな」
コルベールはこういうオスマンの鋭い感性が苦手だった。過去には頼もしいと思えるときが確かにあったのだが……今となっては気味が悪い。この瞬間はたいしたことがないことは分かる。ある程度鋭い者なら、先ほどまでの会話の後におきた出来事だ。そこで息を飲むとなれば容易に想像が出来るだろう。
だが彼は、今、ここで起きたオスマンの鋭さを示す事態と共に、自身が舌を巻いた過去のオスマンの鋭さを思い出してしまって、口に苦いものが広がる気がした。
眼を閉じて、小さく首を振る。
今はそんなことどうでもいい。それよりも下で何が起きているというのだろうか。それを見極めるほうが大事だ。
再度『中庭』に視線を戻そうとしたコルベールの肩をオスマンが触る。訝しげに首を回したコルベールにオスマンは小さく笑った。
「部屋に遠見の鏡がある。それを使えば声も聞こえよう。そちらのほうが都合が良いのではないかね」
それに一理あることを認めたコルベールは頷いて、窓から部屋に戻ろうとするオスマンの背に続いた。
遠見の魔法を解除する前の刹那に、一瞬、『中庭』に戻された視線がイングリッドと交錯する。
イングリッドはこちらを見ていた!
コルベールは慌てて首を振って魔法を解除した。そんな馬鹿なことがあるか。魔法を『使わない』人間がただ自身の視線だけでこちらを見つめる等ありうるものか。
「どうした、コルベール君。アボーツで遠見の鏡を引き寄せたよ。早く見ようではないか」
「はい、申し訳ありません。すぐに行きます」
首を振りながらコルベールも部屋に戻った。
遠見の鏡で見た一部始終に、コルベールもオールド・オスマンも酷い頭痛を覚える羽目になった。