ZEROの使い魔 太陽の少女   作:伊豆擱 里弧芦

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20140502
改訂しました。ストーリー自体に変化はありません。


魔法の世界
銀髪の使い魔(1)


「あんたダレ?」

 

 そう問いかけられたのは、銀髪が美しい少女であった。

 

 前髪を僅かに正面に残してサイドで括り、オールバック気味に纏められた頭髪。頭部から後方に垂らされる、光に透けるほどの細い銀糸。それは、風に揺れるたびに光をあちらへ、こちらへ、と、千々に乱れて反射する。返照する太陽の光は様々に色を変えて僅かに地面を照らし、或いは、少女に相対する桃色の髪を抱いた少女の顔を照らす。

 髪を纏めるには不便、と思える場所に奢られているのは少女の頭、その左右に位置する円形のアクセサリー。それには不思議な文様が彫り描かれて、それも光に照らされて様々に色を変化させる。

 彼女が身に纏っている服は、不思議な設えを見せている。何かの組織に属する制服であろうか。知らぬ者にはその程度の想像しかできない。

 胸には大きな白いリボンをアクセントに持つが、少女の身を包む服は、ただ一見しただけでもわかるほどに上等な設えであると予想させるものであった。貴族であってもなかなかお目にかかれない上等な刺繍が控えめに縁を飾っているのを見れば、その服を纏う彼女の出自をいろいろと推測させてしまう。

 肩のみを守って肘の手前辺りまで垂れ下がるカプ(ケープ)は、何の役割か。想像もつかない。唯の飾りであると断言するにしても、全体の意匠にあまりにも自然に馴染んでいた。

 全体として空の青よりなお深い群青―――というより上質で、高貴な紫は、どうしたらその色で染色することが出来るのかわからない、高度な技術を予測させる。

 染み一つなく、解れ一つなく、彼女の細い身体を覆って飾る蒼は、彼女が身に纏うにはこれ以上の物は無いと、見るものに信じさせてしまう程に彼女の身体を自然な雰囲気で包み込んでいる。

 膝を露出させるほどに丈の短いスカートは、いっそ儚さすら感じる程である彼女の佇まいにあわせるには場違いにも思えた。だが、全体を見て取るとこれまた彼女の足を隠すのに(隠せていないが)はこれ以外の選択肢は無いと思わせる。

 細く、しかしがっちりと引き締まっていることが見て取れる足。その表面を覆うストッキング、或いは靴下は、女性が見てもため息を吐きたくなるような精巧なつくりで、皺一つなく、しかし、それでいて柔らかく、彼女のスカートが隠すことの出来ていない足を守っている。

 唯のローファーというにはありえないほどの光沢を見せる靴は、それだけで一つの美術品であるかと錯覚させるほどの存在感を示し、彼女が身に纏うべき服装を足元で引き締め、その全体の意匠を見事に完結させていた。

 長く伸びた腕と、それを覆う袖から突き出た手は、よほどの貴族であっても持ち得ないと思わせる、出来の良い純白の手袋に覆われて、その素肌を隠して見せない。彼女が身に着ける他の服飾品に負けず劣らず繊細な拵えを魅せるそれは、彼女の姿をその細く締まった腕の先端で引き締めている。

 

 そして、その顔。

 

 やや野生気味に微かに黒をまぶした白い肌は、整ったお嬢様的なつくりに対して若干の違和感を感じさせる。だが、総体としては不思議とその身にあっているとも思えた。

 小さすぎず大きすぎず、若干太いかと思わせる首の上に乗った顔は、深層の令嬢といった趣である。美しく飾ったティールームで、椅子に腰掛け、紅茶を飲んでいる風景が似合うつくりであった。他の女性の眉を痙攣させかねないほどに整った風情を醸し出している。

 横に一本、細い線を思わせる口は、芸術品を飾る、出来のよい装飾のように凛としてそのスペースを引き締めていた。バランスよく配置されて高過ぎず、低過ぎず、大きすぎず、小さすぎない鼻は、張り詰めた緊張感すら漂わせて、少女の顔面の造形を完成させている。

 その顔の上部に慎重に配された目は、若干広く思える、光沢すら幻視させるおでこの下で、猫のように大きめの瞳を供えてた。その中に踊る紅い光彩は、燃え盛る炎よりもなお強く紅で照らし、周囲を見渡している。

 

 

 

 刹那の間に、僅かの緊張感を持って周囲の状況把握に努めていたイングリッドという名の少女。その対面に立って、僅かな呆けを張り付かせた表情でイングリッドの顔を覗き込む少女は、呆れとも、恐れともつかない表情に顔面の筋肉を変化させていく。

 

 

 イングリッドは自身の身に起きた激烈な変化を潜り抜けて、唐突に現れた少女を内心に混乱を含みつつも、静かに観察した。

 

 年のころは、どうであろうか。少女から伸び上がって、女性へと昇る階段の一段目を踏み上がったというところであろうか?

 白いブラウス、グレーのプリーツスカートに隠された小さな肢体を、黒いマントが覆う。そのささやかな胸を張ってイングリッドに視線を送っている。その胸には五芒星をあしらったアクセサリーが、ともすれば殺風景とも思える少女の胸を程よく引き締めている。

 その顔は、イングリッドの個人的採点から言えば、マブイというには幼いが、マゴギャルと言うにはモッタイナイ。磨けばマジカワ間違いなしの微カワイイ。太陽光を反射する桃色のブロンドは後一歩行き過ぎれば、病弱とも取れる白い肌によく似合っている。その顔には「くりくりっ」とした鳶色の目が不安げな感情を見え隠れさせている。

 ざっと見て北欧系にも似たその外観は高価な人形の様でもあって、永い人生を飽きることなく歩んできた彼女をして、若干の驚きを覚えさせるかわいさでもある。

 

 彼女の着ている服は何だろう?

 

 イングリッドが先ほど見やった周囲には、殆どお揃いであると思わせる服を纏った一団が遠巻きにしてこちらを伺っている。一見して見て取れる特異性―――明らかな意図を持って特定年齢層で揃えられていると思われる集団性から想像すれば、どこぞの学校の制服といったところであろうか? 時代がかったマントはイケてないが、まあ、及第点ではあろうと判断する。デザインの統一感。裁縫に掛けられているであろう手間。一見しただけで判る高価で上質な材質。制服であっても、ただ単純に制服であるからとは無視できない高貴さを滲ませる服装であるとイングリッドには思える。

 黒いマントを微かな風に揺らがせながら、恐る恐るという風に近づいてくる人間の一団は、なかなかに滑稽な光景でもあった。

 よほどの田舎に足を運んでようやく見かけることが出来そうな、生命力を強く感じさせる豊かな緑に覆われた草原が広がる。その先に、ヨーロッパの観光地で見かけるような、程よく草臥れて、良い年老い方をしたと納得させ得る石造りの、大きな城のような建物が見て取れた。

 足元は激しい死合(しあい)でも行われたかというほどに酷く醜い荒れ果てた地面を晒しているが。

 

 まるで、ファンタジーじゃ。

 

 イングリッドは髪をかき上げて、額を揉んだ。すでに目に入り、肌で感じた情報のみしかない状況でも想像される、自身の置かれた現状に頭痛を覚える。

 何気ない表情を装いながら黙って周囲に鋭い視線を送る銀糸を頂く少女は、自身が対面する少女から最初に発せられた疑問に何の反応も示していない。その事実に不安を覚えたのか、桃色の髪の毛を頂く少女が、その整った顔に徐々に困惑の色を深めた。その顔を見やりながらイングリッドは小さく嘆息する。

 眩しいものを眼にしたかのように眼を細めて、微かに強い意思をこめた視線を対面に佇む少女に向けた。

 

「ダレ、じゃと?」

 

 少女は、イングリッドの口を吐いて出た、その外観から想定された通りの質を持った声と、想像の埒外にある口調に驚きの声を上げた。

 

「えっ!?」

 

 溜息と言うには随分と深く長い吐息を吐いて、芝居がかった仕草で両手を広げたイングリットは小さく頭を振った。両腕を腰にあて、やや顎を引き、ささやかに胸を張る。そうしてから、小さく肩を竦めて刹那、地面に逸れた視線を対面する少女に戻す。

 

「人に名を尋ねるには、まず、自分が名を名乗るべき、であろ。そう教わることはなかったのかや?少女よ」

 

 その言葉を浴びてキョトンとした表情を浮かべた桃色髪の少女は次の瞬間、その言葉にこめられた意図を理解したようで、さっと顔に朱を走らせた。

 次いで、その小さな肩がプルプル震え始める。うつむいた顔も震え始めた。美しく梳かれた、大事に扱われているだろうことがよくわかる、光沢を散らす桃色の金髪が細かく揺れる。

 

 なんともはや。ずいぶん撃たれもろい御仁じゃ。

 

 状況把握の第一撃。というつもりで友好的とはとても言えない、挑発的な言葉をあえて投げかけたイングリッドである。ぐだぐだとかみ合わない会話を続けて平和裏に双方の状況をすり合わせる事が、あるいはベストな選択かも知れないが、彼女はあえて波風の立つ方法を選んだ。

 イングリッド自身が過去に得た経験では、意味のわからない状況に置かれてひたすらに疑問をぶつけ合って、埒が明かない状況というのは少なからずあった。いや、彼女のストリート・ファイターとしての生き方からすれば、それこそが日常だった。そうした状況では、あえてトラブルを現出させて力ずくで双方の現況を引きずり出したほうが結果的に素早くコミュニケーションを通すことになる場面の方が多かった。

 無論、いらぬ諍いを起こし、場合によっては怪我人すら出る場合があるその下策を、しかし、彼女は好んだ。

 今、この場にいるイングリッド以外の人間にとっては迷惑極まりないことであるが、それが過ごす日常とは、出会えば殴り合い、話せば死合(しあい)。そういった殺伐とした世界であったから、自身の思考が世間一般で言う常識からすれば余りにも異状である事に自覚はあっても、実際の行動の段では頓着しなかった。また、そういう状況になっても、自身の力で無理やりねじ伏せることが出来るという自信も持ち合わせていた。周囲に居る者からすれば、なんとも迷惑な話である。

 そうした意図的な、悪戯じみた悪意ある意志の投げ付けに対し、真正面から馬鹿正直に受け止めた少女の反応に、イングリッドは小さな笑みを浮かべた。

 次にどういう言葉を出して、効率的に情報を得ようかと考える彼女の周りに、手が届きそうなほどに近づいてきた少年少女の集団。彼ら、彼女らは隠せない好奇心を表情に浮かべている。

 首を捻りつつ、一見してそれほどの危険を感じられない無力な人間達をイングリッドは見回す。

 相変わらず胸を張り、腰に手をやったままだが、一応の警戒心をもって意識を彼ら、彼女らに集中する。集団の中心に意図せずに位置することになったイングリッドの脳裏には、さくらという名を持った少女や、直接対峙した訳ではないものの、外見と内面のあり方が大いに乖離したバレッタという少女とすれ違った記憶が思い出されていた。

 さくらの爽やかな心持でありながら激しい闘争のあり方と、幸いにして闘争に突入せずにすんだバレッタは、初見のイメージで油断して許されるような生易しい相手ではなかった。

 その経験がイングリッドに警告を発しているのだ。

 

 唯の勘である。

 

 だが、一合が即座に死につながる闘争の場に身を置き続けてきたストリート・ファイターはそれを無視しない。刹那の直感が自らの死生を分けてきた経験を忘れることは無い。それに従って、やや無遠慮な視線で睨むように観察する。すると、彼ら、彼女らが何かしら手に棒のような物を持っていることにイングリッドは気がついた。

 彼女が内包する能力の特性上、気がつけたことである。その棒には何かしらの力が感じられた。

 イングリッドは無意識のうちにその力を「探る」。

 力は棒を持った腕を通じて、それを持つ者たちの随分奥深いところに通じていることに気がついて、大きく驚く。一見した表情に表れることはなかったが……、イングリッドという存在の、普段の態度を知る者ならば、彼女が信じられないほどに大げさな驚愕に身を震わせている事に気がつけたかも知れない。それほどに大きな動揺が彼女を襲っていた。

 

 おいおい……。なんじゃ、ここは。

 

 視線を少女に戻すと、少女もタクトのような棒を持っていることに気がつく。そしてそれから繋がる力を見るとはなしに見やって、その先を覗き込んで……。

 

 なん、じゃと……!!

 

 イングリッドはこんどこそ表情を崩す事になった。

 

 

 

 だが、周囲で唐突に湧き上った声が、それを覆い隠した。

 

「おい、ルイズ! 『サモン・サーヴァント』で、人間を呼び出してどうするんだ!」

 

 勝気で、余裕のなさそうな気配を漂わせる少年が声を出すと、イングリッドの対面でうつむいて震える少女を除いた()()()()()の少年少女が笑い声を出した。

 少女は一瞬身を竦めて苦い表情を浮かべた。僅かな変化をイングリッドは見逃さなかった。だが少女は、その刹那の変遷を振り切って、キッと表情を引き締めて顔を上げる。大げさな身振りを持って、腰に手をやりながら芝居じみたポーズを取って身を翻す。その身体の動きに一つ遅れて、マントが風を切る。

 いささか下卑た笑みを浮かべる少年少女たちに相対した彼女はしかし、腰にやった手に力をこめて胸を反らし、僅かに顎も突き出して微かに首を傾げて大声を上げた。

 

「ちょっ、ちょっと。ちょっとだけ、間違っただけなんだから!」

 

 引き締まった表情から放たれた少女の声は、しかし、つっかえてしまってなんとも締まらないものになった。それに引きずられて彼女の姿勢も乱れてしまう。

 身体を振り乱して弁解じみた言葉を発する少女の声が、鈴の音のように草原に広がる。何がしらその手の職業にある人間のように驚くほどに上品で、よく通る声は、だがしかし、はっきりとした嘲笑と侮蔑の入り混じった悪意の前には無力であるようだった。

 

「ハア? 間違いだって? ルイズはいつもいっつもそうじゃーん?」

 

「さっすがわ、我らがゼロのルイズ。やるね!」

 

「そーそう。俺たちにはまねできねーよ!」

 

 少年少女が畳み掛ける様に声を発すると、どっという勢いの爆笑が後に続いた。

 イングリッドは自身の前にいる少女が『ルイズ』という名を持つらしいことは理解した。

 その少女が悪意をぶつけられるにたる存在なのかどうかまでは理解に至れない。

 

 それはそれとして!!

 

 仕事柄、様々な悪意、或いは殺意に晒されることの多いイングリッドであっても、この無邪気な悪意というのはなかなかに対処が難しい。

 こうしたものは、時に、剃刀よりたやすく人の心を切り刻む物であり、そうでありながらまったく、含むところのない自然な感情であるところに対処の難しさがある。身構えることも出来ず、兆候を得ることも出来ず、突如として噴出し唐突に収束する類のこういった感情というのは、百人を切り刻む憎悪より、時として黒い力を押し付ける。

 実のところ、悪意や殺意といった仄暗い感情の発露を力で捻じ伏せる彼女にとって一番苦手な『力』であった。

 自然、唇が微かに引き攣る。

 

 苦手な『力』という以前に、それらの悪意をぶつけられた少女……ルイズの奥底に湧き上がる黒い『力』に汗ばむほどのプレッシャーを感じることも、彼女の表情を歪める原因になっていた。

 

 イングリッドには、不思議でしょうがなかった。

 

 なぜ。なぜ、この『力』の昂ぶりに周囲は気がつかないのであろうや。力のつながり。力の扱い。その一丁一石で得られる物ではない力のラインを確立した者が、ここに現れた、悪意への反射として膨れ上がる『力』を感じ取れない筈があるまいに。

 もしや、()()()()()()()()穏便な対処が難しいと思わせるこの『力』に、簡単に対処できるだけの隠し玉を用意出来ているとでも言うのではないだろうな?

 

 

 イングリッドは、涼やかな表情を顔面に張り付かせてつつも、俄かに沸きあがった修羅場に密かに冷や汗を垂らしながら、その先に訪れかねない本当の修羅場を想像する。

 この場で少女に対峙する前に潜り抜けた、あの恐ろしい修羅場が、実は前座と言うのにも容易いモノであった事実に気がつき、イングリッドは愕然とした。今、この場で彼女は、酷く遠い過去から変ぬ姿を持って存在する普段の姿からは想像もできないほどに、珍しく、本当に珍しく、動揺していた。本格的に始まった思考の混乱を纏めてすかして、対応に悩む。

 いきなり目の前に爆発寸前の爆弾を置かれて、さて、どうにかしろと対処を投げられたかと錯覚する、飛び切りの修羅場中の修羅場に、身じろぎすることすら出来ない。 

 

 イングリッドにとっての恐怖の大王と化した少女が、視線を巡らせた。数瞬の時間を経て、少年少女の群れから僅かに離れたところにあった、悪意から外れた強い意思を此方に投げかけるだけの大人に視線を投げる。

 彼女の感情に高ぶった甲高い声が、人名と思しき言葉を叫ぶ。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 その声を受けて、突然、自身の存在を知覚した、とでも言うように、強い緊張感を周囲にも感じられるほどに漲らせて、小さく頷く彼。

 小さな人波の上に、頭一つ飛び出したその男性は、自身とルイズ、或いはイングリッドを遮る人垣を押しのけてチョーク・ポイントに分け入る。随分と頭頂部が寂しいが、ただ「大人」であると断じるにはずいぶんと含むところの多い男に片方の当事者が軽く視線をやると、はっきりとした警戒の視線がぶつけて返された。

 随分と力を蓄えた、自らの身体に等しい大きさの杖を油断なく構えながら、彼はその身に纏った真っ黒いローブを翻して、ルイズとイングリッドの間に割り込む。

 その収束した『力』の塊はイングリッド自身が()()()()()()からの刹那の間に用意されたと考えるには随分と大きいものだと感じられた。

 或いは、そのごく短時間に力を収束させるだけの実力が、この男性にあるのかもと、思いなおす。

 そうであるならば、この「彼」に対してまったく油断出来ない。

 銀糸を僅かに揺らしつつ彼女は表情を強く引き締めて、彼の顔を見上げる。

 

 それはこの場で唐突に始まった、力ある者が力あることを理解した上で行う駆け引きだった。

 男は最初からイングリッドをはっきりと警戒するべき対象と認識していた。普段のあり方からすれば些か無思慮なことに、イングリッドは男が自分自身を警戒しているという事実にこの瞬間まで気がつけなかった。それは、場合によっては致命的ともなりうる隙であった。

 それはそれ。過ぎ去りつつある事であり、ストリート・ファイターとしての立場にある彼女にとっては隠しようのない過失ではあったが、そこから結果が出ることは無かった。男は彼女の誤謬に乗ることが無かった。で、あるならば、ここから失点を取り返せば良いということであった。よって、イングリッドは自らのミスをミスとして記憶にとどめつつも、男が自分を警戒している事に気がついているのだとアピールした訳である。

 

 彼の視線は刹那もイングリッドから外される事はない。にもかかわらず、周囲に油断なく注意が払われている。

 素人ではない。

 人殺しの、それも職業(なりわい)として、人を危める類の、強くコントロールされた、感情を抑制することの意味を理解する―――生き残るために、それが必要であると体感した者だけが発する事が出来る雰囲気を纏う、実戦慣れした手練れであるとイングリッドは彼を評価する。

 単純な力のぶつかり合いの最中に合って、実力差を覆い隠して生き残れる類の、厄介な「ファイター」であると認識する。

 

 

 情報量が少なすぎる現状で、自分の過去に得た経験と照らし合わせることすら馬鹿馬鹿しい状態では、対処の仕様がないと理解する。受動的に過ぎるきらいがあるのは自覚があるにせよ、相手の行動、その出方を待って、状況を見極めざるを得ないと嘆息する。

 自分が弱いなどとは思いもよらないが、自分が最強であるとは妄想の中ですら想像しない。

 ましてや、まったくのイレギュラーな状況に置かれれば、後は僅かな幸運を祈るだけである。

 彼女の経験した異常事態、特異事象の中でも、なかなかお目にかかれない、意外な出来事の連続である。この状況が、それの収束点であればいいのだが、とイングリッドは密かに祈った。

 彼女の評価によれば、ルイズという少女を核とした状況は悪化の一途をたどっているものの、コルベールと呼ばれたおっさんの表情以外は、いっそのほほんとした風情を漂わせる現状は、自身が感じている局面が杞憂に過ぎないと語っているに等しい。

 とりあえず今は、状況の推移を見守るしかないだろう。

 

 ルイズという名の少女は、自身に背を向けてイングリッドに対峙するコルベールとやらに必死で捲くし立てている。もう一回。もう一回やらせて下さい!次は間違えません!お願いです!そう言って、華奢な身体全体を使って、必死のアピールを続けている。

 その少女の中で順当に膨れ上がる黒い『力』の底なしさ加減にイングリッドは眩暈すら覚えてしまう。

 彼女が今、身を抑えた()()()の中で出せる力に対して児戯にも思えるほどの『力』である。それ程のものを背負った少女に相対して、なお、自分のほうが危険な存在であると、彼は言うのであろうか。殺気すら感じられる視線がイングリッドから外される事はない。

 まさかに、こういった力が普遍する場所なのであろうかとも想像する。そうであるならば、他を守るために科せられた自身を縛る制限は、寧ろ、自身の身を危険に晒すだけなのかもしれない。制限なしの闘争など何千年と経験してこなかったイングリッドではあるが、そうしなければいけない時が来るとは思いもよらなかった。

 

 

 

 その得体の知れない少女と対峙する男の心もまた、修羅場であった。

 

 只者ではない!

 

 全身が総毛立つ恐怖。

 この女性は自分に近しい。

 

 ()()()()から現れた、この銀髪の女性は、コルベールの身を竦ませるに容易い気を纏っていた。

 

 瞬間の混乱の中から立ち直った後のその僅かな立ち振る舞いから、決して弱くはないはずだという自身の自己採点を投げ捨てたくなる気配を感じた。

 刹那の衝動に身を委ねるような存在でないのが不幸中の幸いであった。「これ」が「召喚」による突然過ぎる状況の変化に驚いて、その衝動のままに暴れる幻獣の類であったら、生徒を守るには自身の力は余りにも無力だ。

 彼が正直に感じている思いに身を委ねれば、振り向いて走り出してしまいたいほどの恐怖が彼を苛むところである。すべてを投げ出してしまいたいと、感情が訴える。

 

 出来ない。それは。

 

 彼の立場を考えれば、まずは生徒を散らして、ここから遠ざけるべきではあろう。しかし、それをして「彼女」の感情を荒立ててしまっては、後に、いかなる惨状を呈するか、予測もつかない。

 情報量が少なすぎる現状で、自分の過去に得た経験と照らし合わせることすら馬鹿馬鹿しい形勢では、対処の仕様がないと理解する。受動的に過ぎるきらいがあるのは自覚があるにせよ、相手の行動、その出方を待って、状況を見極めざるを得ないと嘆息する。

 自分がこれほどまでに弱いなどとは思いもよらなかったが、自分が完全に無力であるとは想像することすら罪である。

 少なくとも、自分が守るべき存在がそこにあるこの局面では、最後の瞬間まで抗う力でなければならない。

 とりあえず今は、状況の推移を見守るしかないだろう。

 

 奇妙な膠着状態に、周囲の少年少女たちにも困惑が広がる。修羅場に聡いとある少女が、杖を握り締めて冷や汗を流し、強い感情の発露に当てられた、様々な種類の生物たちが身を竦ませて表情を強張せる。そんななか、その空気に当てられる事のない……自身の内に荒れ狂う感情ゆえに、周辺の変化に気が付く事の出来なかった少女が、その身から溢れる感情に突き動かされて悲痛な声を上げる。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 呼ばれた彼の視線は蒼を抱く少女から外れることはない。

 

「……なんだね? ミス・ヴァリエール」

 

 緊張した面持ちを顔面に張り付かせた男から、地の底から沸き上がったのではないかと思えるほどに力のこもった声が返る。

 それを聞きとめて、少年少女たちが驚きの表情を浮かべた。

 今までの短い人生の中で、それほどに力のこもった言葉を耳にした経験のない彼らにとっては、その言葉から発せられるプレッシャーだけで、身を震わせるに足る経験であった。

 それを、一番の特等席で味わったルイズも、一瞬呆けて、次いで知らず知らずのうちに身を震わせてしかし、次の瞬間には、彼の前に身を乗り出して決意を漲らせた。強張った表情を彼のイングリッドに向けられる視線に割り込ませた。

 コルベールと呼ばれた男とルイズには随分と背丈に差異が合ったため、イングリッドを見つめる男の視線を遮るために彼女は、相対するべき少女の視線を振り切ってそれに、背を向ける必要があった。客観的に見ると、イングリッドを守るためにルイズが身を呈しているような、不可思議な光景になった。

 自身の身体の大きさをはるかに超える大きな杖を持った小柄な少女が、少女には似つかわしくない表情を崩して、ルイズの動きを視線で追う。

 

「ミスタ・コルベール! あの!えぇっと……! そう……、そう! もう一回。もう一回召喚させて下さい!!」

 

 その小さな身体のどこにそれほどの胆力があるのかと、大きな杖を持った少女を驚かせる。ただしその胆力の方向性が間違っている。ルイズは(彼女だけに限らなかったが)眼前に発生している()()()問題に気が付いていない。ルイズは自分自身を苛む問題のみに深く囚われて、視野狭窄を起こしているのだろうと少女は推測する。

 知らない、知ることが出来ない、と言う事は随分と幸せなことなんだな、と、自身の短くも激動の人生を振り返って嘆息する。

 青髪の少女とコルベール。そしてイングリッド以外の人々も、さすがに異常すぎる状況に気がついたようだった。その理解が広がるにつれて、問題の焦点から人垣がゆっくりと遠ざかる。

 じっとりとした汗が頬を伝って、顎の先から垂れるにまかせるコルベールは片目を痙攣させつつ、一瞬、本当に一瞬だけルイズに視線を合わせて再びイングリッドに戻される。その極刹那の空白に状況が動かなかった事実に、彼は安堵する。

 僅かの躊躇を持って、しかし、次の瞬間に状況を打破できるかもしれない可能性に気が付いて、彼は慎重に口を開いた。

 

「それは……、それは、駄目だ。ミス・ヴァリエール」

 

「そんなっ……。どうしてですかっ!」

 

 コルベールは微かに顔を歪めて、言葉を慎重に選びながら続きを口にする。

 

「決まりだ。決まりなんだよ。ミス・ヴァリエール。君たち魔法学園の生徒は2年生に進級するに当たって、君たちは『使い魔』を召喚する。たった今、君もやって見せたとおりだ」

 

 二人のやり取りをただ、眺めるのに任せていたイングリッドは小さく首を傾げた。

 

 使い魔?

 

 微かに眉をひそめる。

 

 銀髪の少女が見せた、その僅かな反応。それだけで、コルベールの緊張が高まる。

 大きな杖を持った少女が、青く輝く髪を揺らしてじりじりとイングリッドの死角から回り込もうとする。

 少女が対象とする一方の当事者の、手袋に覆われてだらしなくゆるゆるとゆらぐ腕が静止すると、右手、その手のひらが、緊張で眼を見開く青い髪の少女のほうに向けられる。

 かすかに立ち止まり、意を決して、再度、動き始めた少女。それに合わせて手のひらが動いてゆく。そこには明確な意思がこめられていた。

 手首だけの動きではあったが、疑いようの無い意識的なそれに驚いて、次いで少女は嘆息する。

 刹那の葛藤を持って緊張を解いてその場に立ち止まり、僅かの逡巡の経て、諦めたように肩を竦ませた後に少女は、崩れ落ちるようにして座り込む。驚くべき事に彼女は、その場で左手で抱えていた本を広げて我関せずとばかりに文字を追い始めた。そうしている少女に対してしかし、手袋に覆われた右手は「向けられ」たままである。

 

 

 

 色気過剰、燃える様な赤い長髪をたなびかせて浅黒い肌をした長身の女性が、イングリッドの背に視線を向けつつ、座り込んだ青い髪の少女に小走りで近寄る。

 

「ねえ、タバサ。どうしたの? なにがあったの? いったい、なんなの?」

 

 タバサと呼ばれた少女は、僅かに憂鬱そうな表情を浮かべて、困惑した表情を隠さない長身の女性に顔を向けた。

 

「危険」

 

「えっ?」

 

「危険。キュルケもあれの間合いに入ってる」

 

「ええっ!?」

 

 キュルケと呼ばれた女性が、眉目秀麗な顔に驚愕を浮かべる。

 

「えっ? ええっ? なに? なんなのよ。分かるように言ってよ!」

 

 タバサが僅かに表情をゆがめる。

 

「あれは危険」

 

 タバサは、つっと視線を左右に振って、まずコルベールに、そしてキュルケに視線を彷徨わせて、次いで後ろに放って置いた、実際には刹那に忘却してしまった自身の()()()()()()()使い魔に意識をやる。その視界が酷く強張ったものであることに嘆息してから、手元の本に視線を落とす。

 

「私たちが束になっても、あれには敵わない」

 

 頭の上に知覚出来そうなほどに大きな疑問符を浮かべたかのような表情を、顔面に貼り付けたキュルケは何度かタバサとイングリッドの間に視線を往復させてからその疑問を思う以外に反応を示せない言葉を発した少女にそれを戻した。長身を屈めてその顔を寄せ、囁くような小さな声で尋ねる。

 

「そんなに危ない人なの? あの人」

 

 その問いに対してタバサは、戸惑ったかのように、その戸惑いは自分自身に向けられるもののように、僅かの間、微かな感情の揺らぎを彼女の顔面に表した。長いとは決して言えないが、そこに秘められた濃密さでは短いと言われるのは心外な付き合いをタバサとの間に経験していると断言できるキュルケは、その彼女の顔面を歪ませた動きに、不思議そうな表情を浮かべてしかし、それを意識的に無視して、後に続くであろう声を待つ。

 

「経験も、能力も違いすぎる。……たぶん、あれは大勢の人を倒している……と、思う」

 

「?」

 

 キュルケもタバサの横に座り込んで、彼女の小さな顔に自身の顔を近づけて問いかける。

 

「強いの?」

 

 問われた彼女が視線を下に向けたまま小さく頷く。

 

「強い」

 

 そこで言葉を区切り、顔を下に向けたまま視線だけ僅かにイングリッドの背中を見やる。

 

「勝つことは難しくない。生き残れるように勝つのは……難しい。生き残って、尚且つ勝つ。そして自分を保つ。保つことが出来る人間は、そんなにはいない。普通は……勝ち続けて、そして、変わる。そして、いつか、勝てなくなる。そして、おわる。でも、彼女は……」

 

 視線を落とす。その視線はキュルケの見たところ、どうやら手元にある本を見ていない。それを突き抜けて、その下にあるタバサ自身の膝も、その下にある地面すらも突き抜けて、どこか遠いところを眺めているように見える。

 

「勝つ事と、生き続けること。その意味を知っている人……だと、思う」

 

 キュルケは首を傾げた。

 

「こんな短い間で、さ。まだちょっとだけの時間しか経ってないのよ。そこまで分かるものなの?」

 

 彼女は胡散臭そうな表情を銀髪の揺れる背に向けている。

 タバサは身じろぎ一つしない。彼女の心の中では人に言えない葛藤が渦巻いている。親友と信じる、()()()()()キュルケにも言い出すことが出来ない葛藤がある。

 いつの日か、()()()()()()ならば、ごく一部の例外を除いた()()()()()を犠牲にしてでも守りたいと思う親友に対してすら、言葉に出せない思いがある。

 

 タバサには理解できていた。そして、それと同じくらいの立ち位置で同様の理解を得ているのが、この場にあってはコルベールしかいないであろう事も理解できていた。

 

 否。

 

 タバサは否定した。もう一人いる。あの、銀髪の少女だ。

 彼女はそこにいる銀髪の少女を「少女」と表現していいかどうかに対して深刻な疑問を思っていた。

 タバサのややこしい出自は、タバサに自身が望まない経験を強要していた。

 妖魔。異人種。力ある悪意。

 そういったものに触れざるを得ない生活の中で、そうではあっても、なお、上があるのだと思い知らされる「力」が銀髪の少女から感じられた。彼女はそれを感じ取ってしまったのだ。今現在、タバサの力として外部より影響を与え得る自身の使い魔の能力が、その分析を大いに補強していたのは決定的だった。

 

 少女の手のひら。

 

 こちらに向けられる手のひら。

 

 タバサは、銀髪の少女を危険だと断じた。彼女の生存本能は無意識の内に、少なくとも自身が銀髪の少女と力を持って相対するとして、出来うる限り有利な場所へと身体を動かした。

 有利な場所等なかった。

 ただ、手のひらが向けられる。それだけで、タバサの闘争本能は手折られた。

 屈辱であった。

 自身がそれほどまでに力がない事を自覚させられて彼女は愕然とした。地面に腰を落としたのは、その無力を自覚した故だった。

 

 

 あれの臭いは私に近い感じがする。あれの生きている場所は私も踏み込んでいる気がする。

 でも。

 

 あれの生き方は私とは違いすぎる。

 

 

 

 汗を拭う事も出来ずにコルベールがルイズに言い聞かせる。

 それは、ルイズに対する説得という体裁を取りつつ、実のところイングリッドに対する現状説明でもあった。

 膠着状態を打開できる可能性の一つであると信じた上での、自分自身に言い聞かせるような言葉であった。

 

「『召喚の儀』によって現れる『使い魔』は、召喚するメイジ自体に近しい、或いは、メイジに必要とされる力そのものだといわれている。また、召喚された『使い魔』は召喚したメイジと相性のいいものが呼ばれるといわれている。

 魔法学院では、召喚された『使い魔』によって召喚したメイジの属性を固定し……、いや、確認して、それによって専門課程へと進むんだ。一度呼び出した『使い魔』を変更すること等はありえない。なぜなら春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。好むと好まざるに関わりなく、君自身の呼びかけに()()()『使い魔』を……『使い魔』の候補を突き放すこと等、メイジとして許されることではない」

 

 諭すような口調でありながらそこに秘められた強い意思にたじろぎながら、ルイズはなお反発する。

 

「でも……、でも、でもでも! 平民を使い魔にするなんて聞いたこともありません!」

 

 ルイズがそう言うと、幾分か離れたところから遠巻きにしていた少年少女たちが再びどっと笑った。銀髪の少女の視線が一瞬、そこを彷徨う。高まる緊張感にコルベールの目が充血する。

 ルイズは歯を食いしばって肩を怒らせて少年少女たちを睨み付ける。そうであっても笑いは止まらない。

 

 

 

 春の使い魔召喚?

 なんじゃそれは。

 聞いたことがない。こやつらは先ほどから何を言っておるのじゃ。

 

 対面する少女の中で渦巻く、暗くよどんだ感情に当てられて、冷戦な判断力をそがれているイングリッドはそれでもなお、現状を確認するために必死で彼らが交わす会話の意味を考える。

 彼女の右腕が無意識に髪を巻き上げて、頭につけられた太陽の紋章を刻んだアクセサリーに触れる。

 「太陽のアンクル」と呼ばれるそれを撫で付けながら、忙しく思考を走らせる。

 

 幾度となく行われた()()にそれに適合した状況がないか探す。

 見つからない。

 組織との付き合いの中でそれに適合した状況がないか探す。

 使い魔?

 確か、過去に組織が対応した、人間ならざる存在の中に、サーヴァントなる存在を使役した存在があったようじゃったな。

 猫? 蝙蝠? トカゲ? そんなたぐいじゃったか。

 

 視線を周囲に這わせる。推測を現状に摺り合わせる。

 

 目玉のお化け。でかいトカゲ。カエル?もこもこでふわふわタイムななにか。梟。カラス。狼?なんだか分からないぎりぎりで生き物ちゃあ生き物かもしれない生き物のように見える生き物。

 そして、この場所が、自身のあずかり知れぬ場所であると強く信じさせるに足る証拠である、ドラゴン。

 

 いかなる強者であってすら、その頭を自然と垂れさせる、最強の幻想種。

 ドラゴン。

 それが実体として存在する「場所」。

 

 自分の普段の生活の中でそれに適合した状況がないか探す。

 生活の中で……、生活の中で暇つぶしに見たTV。アニメーション。シネマ。漫画。

 そう。

 ある。

 適合する。

 

 組織の持つ記録は、後学のために。或いは自身が陥るとも限らない窮地を打開する手助けになるやも知れんと、暇さえあれば、見れる範囲は読みつぶした。

 確かにそこに記録されたなかにある『サーヴァント』は、物語にある『使い魔』そのものじゃ。

 『使い魔』。

 人間の『使い魔』?

 そんなことがあるのか?

 

 

 

 無意識に頭を捻るイングリッドを置いて、コルベールとルイズの会話が続く。彼の視線は、銀糸とと桃色の間を忙しなく往復している。

 

「伝統なんだよ、これは。ミス・ヴァリエール。例外は、ない」

 

 コルベールは強張って固まる片手を自身の杖から些か難儀しつつ引き剥がし、関節を鳴らし、大きく震わせながら、酷く苦労してイングリッドを指差した。その指先が滑稽なほど大きく震えている。

 

「彼女は、その……ただの、平民、かもしれない」

 

 つっかえつっかえで言葉を続ける。

 『平民』と言う言葉に、指を差し向けられた少女の眉が僅かに跳ねる。

 それに気が付かなかったコルベールは、幸運であったか。

 

「呼び出した以上、そして、彼女がそれに()()()以上は、彼女は君の『使い魔』に()()()()()()いけない」

 

 その説明の対象となった少女はその言葉に、額面以上に別の意味が強く含まれていることに気がついて僅かに唇を歪める。

 説明というか半ば弁解じみてきた言葉を紡ぐコルベールも対象が好意的ならざる反応を示した事に気がついたが、一瞬の間をおいて、小さく首を振って何かを吹っ切ったかのように強めの口調で言葉を続ける。

 

「そう、古今東西、人間が召喚に応えた例など記録には残っていないが……、春の使い魔召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優越する。彼女には君の使い魔になって()()()()()()()ならない!」

 

 最後は彼自身も気がつかない内に叫ぶような声になっていた。

 いつの間にか面白そうな表情へと顔を歪ませた銀髪の少女に、彼は感情が乱されてしまっている。

 

 ルイズは、整った顔を絶望に染めて、がっくりと肩を落とした。

 

「そ……そんなぁ……」

 

 一連の流れの中でルイズの中から黒い『力』の発散が急速に衰えたのに気がついたイングリッドも、ようやくのところで緊張を緩めることが出来た。

 小さく溜息を付いて、弛緩した両腕を垂らした。銀糸が輝きを放って、大きく揺らめく。

 斜めに傾いだ身体の横でゆらゆらと腕が振られ始める。自身の額に汗が流れていることに気がついて、ざっと、髪の毛を捲り上げる。ついで、指についた汗を吹き散らすようにそれを振った。

 

 

 

 指先についたごみを、遠心力をもって吹き散らすかのような何気ない仕草だったが、コルベールも、タバサも、そしてタバサの言葉に半信半疑ながらもイングリッドの一挙手一投足を逃すまいと注目していたキュルケも戦慄した。

 余りにも鋭く、重く、すばやい動きだった。まったくの錯覚ではあったが、かなりの距離があるタバサやキュルケの耳にすら、空気を切り裂く音が聞こえた気がした。あの動き一つでルイズの首が飛んでいってしまったとキュルケが幻視するほどであった。

 

 どっと冷や汗に包まれた顔を痙攣させて、慌ててコルベールが言葉を紡ぐ。

 

「さ、さて、ミス・ヴァリエール! 儀式を続けるのです!」

 

 伺うような視線をイングリッドに向けるコルベール。微細な意識のやり取り等気がつかぬまま、自身の思考の闇にとらわれたまま、滑稽なほどの同様に身を窶す彼に釣られるようにイングリッドに視線をやるルイズ。

 二度、三度と、二人の間に視線を彷徨わせたあとに、一転して「にまあ」とばかりに笑みを浮かべたイングリッド。

 突然の笑顔にたじろぐコルベール。

 むっとするルイズ。

 驚愕するタバサとキュルケ。

 「ルイズが平民に馬鹿にされたぞ!」とはやし立てる少年少女たち。

 突如として緊張の空気が霧散して、気が抜けたように呆ける他の百鬼夜行……使い魔達。

 随分と弛緩した雰囲気の中で、嫌そうにイングリッド、ついでコルベールを見るルイズ。

 だらしない動作で、銀髪の少女を指で指し示す。

 

「……彼女と?」

 

 慌てたようにコルベールが声をかぶせる。

 

「そ、そうだ。えー、えーと。そうだ! 早く。

 次の授業が始まってしまう。召喚の儀式に君は……彼女が! ()()()()()! どれだけの時間をかけたと思っているのだね? 何度となく、そう、何度となく失敗を重ねて、ようやくっ、彼女が召喚に()()()、ようやく! ()()()てくれたではないか! 何回も失敗して、何回も、だ。失敗を重ねたが! 彼女が呼び出しに()()()()()()()くれたのだ! いいいい、いいいから、早く契約に移りたまえ!」

 

 

 

 だんだんとあからさまになってきた言葉に、イングリッドは噴出した。このはげちゃびんは、心優しくも、どうやら前代未聞の事態に陥ったと思しき召喚の儀式とやらで、ルイズの引き起こした結果に対して、それを成した本人には何の落ち度もない。呼び出された私がわるいんじゃ! っと、言っているわけである。 

 

 お優しいことじゃ。

 

 イングリッドはにんまりしてコルベールに顔を向けて、そしてルイズに向き直る。

 

 しかし、伝わっておらぬぞよ?

 

 ルイズは失敗!と言われるたびに身体を震わせた。どう考えても自分が行った行動の結果にも経過にも満足している風には思えない。コルベールが行ったフォローはどう考えても本人に届いていない。傍から聞いても、どちらかというと彼自身が言い訳をしているようにすら聞こえてしまう。

 

「そーだそーだ!」

 

「そうだぞ!」

 

「はやくしろよ!」

 

 悪い事に、心無い野次が飛ぶ。

 ルイズは困惑した表情を浮かべてイングリッドの顔を見つめた。

 極僅かの間に、涙、と思しきふくらみが少女の目に浮かび始める。

 

 んー。こういうのは苦手じゃ。どうすればいいんじゃ。

 

 銀髪を揺らして首を捻る。

 

「……ねえ」

 

 意を決したかのように、覚悟をした表情にすばやく切り替えてルイズはイングリッドに声をかけた。

 

 

 ほう……。いい表情じゃ。決断も早いし、決断力そのものもある、とな。

 

 

 

 ルイズは、自身が呼び出した『使い魔』候補が自身とそれほど背の高さも身体の大きさも変わらないことに初めて気がついて、小さく驚嘆した。

 呼び出した瞬間に視線を合わせたときは、その存在感の大きさに眩暈を起こして倒れるかと思ったのだ。倒れなかったのは、失意ばかり目立つ短い自身の人生の中で、それでもなお、すがり、失わず、磨き続けた、誇りとプライドゆえであった()()である。

 

 だけ。

 

 それだけ。

 

 ハルケギニアと呼ばれるこの世界における貴族のあり方としては随分と歪んだものであることに自覚はあるが、それだけ。ルイズにはそれしかなかったから。それに縋るしかなかったから。

 

 ふっと、銀髪の少女が笑った。ルイズはその笑みを好ましいものだと感じた。嘲笑。侮蔑。暗い感情に晒されてきたなかで、家族以外の人に始めて見せられた何の打算も感情もない笑みだと思った。

 ただ笑いたいから笑った。

 笑うときが来たから笑った。

 そういう笑みだと思った。

 

 ふと、ちょっと仰ぐだけで視線が合うのに、彼女を山のように大きい存在であると思った自分が酷く滑稽に思えて、ルイズも自然と笑みを浮かべた。

 

 杖を掲げながら近づき、彼女の右肩に手をやろうとして……。頭を撫でられた。

 

 わしゃわしゃと。両手で。

 

「んー、めんこいのー、お主。いい表情じゃったぞ。これほどまでに笑顔が似合う奴はなかなかおるまいて」

 

 一転して硬直した笑みを張り付かせて、わなわなと震え始めるルイズ。

 満面の笑みで頭から耳、後頭部と遠慮なく彼女の頭を撫で回すイングリッド。

 

 拳を握り締めた左腕がイングリッドの顔面を襲う。ひょいっとばかりにステップを踏んで、彼女はルイズの後ろに回りこむ。

 腰に手を回して背中側から抱きつき、彼女の豊かな髪の毛に顔をうずめてくんかくんかする。

 

「んー。いい香りがするの。どんなシャンプーを使っておるんじゃ?」

 

 羞恥に真っ赤に染まった顔を怒りに歪ませて、大きく身体をよじってイングリッドを振り払おうとするルイズ。突然の喜劇の開幕に、どうしていいか分からずにおろおろとするコルベール。笑い声をあげてはやし立てる少年少女たち。あっけに取られて見詰め合う、タバサとキュルケ。

 

 キュルケの元に大きなトカゲモドキが走り寄り、タバサの隣に美しい肢体を輝かせて、ドラゴンが降り立つ。トカゲモドキとドラゴンもなんとなく顔を見合わせてからそれを外し、二人の少女の飛び跳ねる様に視線を送って、次いでそれぞれのご主人様と視線をあわせる。

 力を抜いて、やれやれといった風情で首を振りながらキュルケが立ち上がり、タバサは無表情のままそれに続く。のろのろと歩く先には美少女二人のじゃれあいが続いていて、その周囲で、クラスメイトが笑い転げている。なんという混沌。

 

「はあぁ。なんだったのかしらねぇ……」

 

 先ほどまでにあった緊張のひと時が馬鹿馬鹿しいとばかりに、キュルケがタバサに笑いかける。笑顔を向けられたタバサはしかし、僅かな緊張感を残したまま無表情に前を見つめていた。

 

「馬鹿っ、やめなさいよ! 放しなさいっ。放せー!!」

 

「よいではないかよいではないか、愛いヤツめ。うりうり」

 

「バカバカバカー!」

 

 

 

 実はこのとき、息が止まるほどの緊張感から解き放たれて、イングリッドは軽い興奮状態にあった。シャドルーとかいう組織の軍服マントのヒネクレ顔と相対したところですら感じたことがない緊張感であった。

 ルイズの中からあふれ出しそうになっていた『力』はまごう事なき比類するものの無い純粋な破壊の力であった。彼女が特段ソレに恐怖したのは、ソレが「破壊」に特化して「暴力」的な力ではないと区別できたからだ。

 人が人の中から湧き立たせる力には多かれ少なかれ、感情が混濁して、単純な力としては方向性が歪む。それは当然イングリッドであっても避けられないことであって、性格的な面からも、その日の気分からも、肉体的特長の部分からも、性別からでも、力の方向性に個人的な特徴が生まれる。

 ソレを肌で感じて所謂「気配」等と称するのだが、ルイズから湧き上がる力にはソレがなかった。暗い感情を乗せてソレを膨れ上がらせたのに、それ自体のあり方は単純に「破壊」。余りにも純粋な『力』。感情はソレを引き出すためのきっかけ程度だ。火を起こすのに風を送るのにも似ている。

 イングリッドはその『力』のあり方に恐怖し戦慄した。

 無垢で無色透明な破壊の『力』だった。

 今、じゃれあうかのごとく飛び跳ねて、ルイズにセクハラじみたタッチを行うのも、躁状態にあるのが半分、彼女の中を探るのが半分といったところで、深いのか浅いのか自分でもよく分からない感情に引きずられた行為であった。

 どうしようもなく非生産的、非合理的な行為であるとの強い自覚がありながらも、なかなかに感じることの出来ない、自身の強い感情の発露は、そうであるからこそ止める術が分からず、馬鹿馬鹿しくも飛び跳ねて走り回ることでしか発散できなかった。

 結局、彼女は、人が持つものとしては、その特殊で強力な能力があるにもかかわらず、或いはその能力故に、普通の反応、対応、そういったものに疎く、自身の感情をもてあますばかりであったのである。

 これに近しい状況としては、彼女が思い出す限りでは、黒い色に染まった肌で、わけの分からない喚き声を上げながら襲い掛かってきた、ちょっと普段の様子と違っていたリュウや、随分と感じたことのなかった死の恐怖を身近に纏わせた、神人・豪鬼あたりがここ数十年あたりで該当しそうであった。だが、それらと相対、接触で自身の身に生まれた感情の高まりと激しいうねりは、ほかならぬそれらとの闘争そのもので発散されてしまった。そのため、今回の参考にはならない。

 ルイズから感じた『力』の強さそのものは神人・豪鬼に勝るとも劣らぬものであったから、突然に幼児退行してしまったかのごとき振る舞いは、実際に、そうする以外に方法を思いつかなかったという意味ではまさに幼児退行そのものの、児戯じみた行為であった。

 

 大きな問題としては、リュウや神人・豪鬼の時と違い、ことここにいたり、問題が根本的に解決した訳ではないという事実を、興奮状態であるがゆえにイングリッドが意識からそれを吹き飛ばしてしまっていた事であった。

 

「うがー! あったまキタ! 何なのよ、あんた!!」

 

 にゅっと胸を揉んで切なそうな表情を浮かべたイングリッドに、茹だって完全に出来上がったルイズが杖を向けようと振り返る。それを避けて距離を取って向き直り、顔の前で両手をわきわきさせながら、イングリッドは満面の笑みを浮かべた。

 

「にょほほほほほほほほ! まあま。怒るでないぞ! ニヤッとして笑うのじゃ」

 

「ミス・ヴァリエール……! ミス……その、あなたも落ち着いて……!」

 

 なんでこうなったか分からない、急な状況の変化に取り乱して、ローブを振り乱し、杖を振り回して、少ない髪の毛を吹き散らしながら、滝の汗を流してコルベールが走り回る。クラスメイトたちは無責任にはやし立てて笑い転げる。凹凸の少女二人組みは苦笑いを(片方だけ)浮かべながら、ゆっくりと混沌の支配する『闘争の場』に歩み寄る。青い髪の少女は、遊んでいるように見えてその実、恐ろしいほどにすばしっこいイングリッドの動きに表情を引き攣らせている。

 

 爆発した感情に身を委ねたまま、ルイズはイングリッドに杖を向けて「力ある言葉」を叫んだ。

 

「風よ! 我が望みに応えてあれなる敵を打ち据えよ! ラナ・デル・ウィンデ、エア・ハンマー!!」

 

 イングリッドはその言葉と、それにあわせて湧き出た力の奔流に対して正確に反応して、回避を取ろうとして……出来なかった。

 まったく唐突に自身の頭の数センチ先で何の兆候もなく爆発が起きて、もろにその重く激しい衝撃の激発を受けてしまった。

 

 ルイズの身体から力が湧き出したのは分かった。

 それが杖の先に収束したのも分かった。

 そこから爆発にいたるプロセスはまったく分からなかった。

 ルイズが向けていた視線の先、イングリッドのつま先辺りの地面には何の力の動きもなかった。

 空間を何かが渡った気配も感じなかった。

 唯唐突に自身の眼前で、ルイズの中にあったのと同じ力が突然に収束し、そしてはじけたのだと理解しただけだった。

 

 バック・ステップが間に合ったのは奇跡に近い。何の確証もなく、ただ、いつもの()()のなかで、敵の放った足払いを避ける。それぐらいの勢いでステップを踏んだ「つもり」だった。それが思ったより大げさな動きで予想外の距離を動いたのはまったくの偶然。単純に興奮していたからに過ぎない。間に合わなければ、ブランカに投げ与えたスイカのごとく、頭が砕け散っていたであろう。

 

 否。

 

 眼、鼻、口、耳。

 

 ゆっくりと溢れる血の味を感じながらイングリッドは、呆然としてルイズの持つ杖の先を見る。

 

 間に合わなければ、頭のあった「空間」が爆発していたに違いない。結果として、自分の頭もバットで力いっぱい殴りつけたスイカのごとく砕け散っていたであろう。

 

 彼女は衝撃で頭をシェイクされ、激しい痛みを覚えてあっけなく意識を手放した。

 受身も取れずに顔面から地面にダイブしたイングリッドから少なくない量の血が地面にぶちまけられる。

 誰もが硬直し、時間も空間も制止したかのようになったなかで1人、少女が青い髪を振り乱しながら、小さい身体で駆け寄り、倒れこんで伏した顔を覗き込む。

 さっと、首を上げると、一瞬躊躇して、コルベールに眼を合わせた。

 

「危険。ものすごく」

 

 一瞬の硬直。その後に、ハッと正気を取り戻した彼も慌てて駆け寄り、イングリッドの倒れ伏した顔を覗き込む。身体を触らないように、地面に自分の顔をこすり付けるようにして、血に染まった銀髪の少女の表情を見る。

 見開いた眼は白目を剥いて、まったく反応が見られない。流れ出す血は、赤というより赤黒く、ドロッとしている。勢いは弱く、徐々に地面に広がる血の染み。一定のリズムを刻んで震える身体。

 よし。まだ大丈夫。だが危険だ。

 

「ミス・モンモランシー! ミス・モンモランシー!!」

 

 突然の惨劇に、身体も意識も硬直させた一団から、ボリュームの多い金髪を巻き毛に整えた少女が、後頭部を飾る鮮やかな赤い色の大きなリボンを風に翻しながら慌てて駆け寄る。

 

「彼女の状態を見てもらえますか?」

 

「は、はい!」

 

 激しく動揺しながらも、訓練された動きできびきびと状況を見る。

 モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシという名のその少女は、水系統の魔法という、人間に限らない生命力の根源をつかさどる力に優れ、歴史ある貴族の家に生まれた故に、幼い頃から当然のたしなみとして怪我や傷に対処する方法を叩き込まれていた。感情によらないたたき上げの技術力の発露の結果として、ただちに、自分に対処しきれない類の負傷であることを冷静に判断する。外傷の見えない、内部の傷である。彼女の持つ能力、技術で何とかなるようなものではないと直ちに断定した。

 彼女は自身が下した判断を大きく首を振ることで表現した。そうしてからコルベールに視線を移す。

 

「私では駄目です! すぐに医療室に運びましょう!」

 

「わかった! ありがとう。ミス・モンモランシー。無理を言って申し訳なかった!」

 

 モンモランシーの発した回答を聞いて、自身の見立てよりあまり猶予の無い事態を悟ったコルベールは、さっと首を振ると、片膝をついて状況を見守っていたタバサに眼を合わせる。彼女の後ろにキュルケが慌てて走りよる。その後ろを、ドラゴン―――風竜が大きな翼で風を巻き上げて降り立つ。

 

「ミス・タバサ! 先に学園に行き、医療室の準備を整えてくれないか!」

 

 強張った表情を押し殺すように小さく頷くと一転、タバサは小さな身体を翻して驚くべき跳躍力をみせて風竜の背に飛び乗る。

 

「あそこの建物。急いで」

 

「きゅいきゅいー!」

 

 甲高い声を残して竜が羽ばたき、強い弓に番えて放たれた矢の様に飛び去る。

 

「あっはははははは! ルイズが使い魔を殺したぞ!」

 

「わはははははは! さすがはゼロのルイ……」

 

 

「黙れ!!」

 

 

 硬直からさめた少年達が、笑い声を上げてルイズを指差したが、コルベールの怒声がそれを遮った。強い殺気すら秘めた視線が少年を射抜く。

 

「……!」

 

「………!!」

 

「ひっ!」

 

 至近距離でその力の欠片を浴びせかけられたモンモランシーが、身を竦ませて地面に腰を落とす。

 それに気が付かぬままコルベールが呪文を紡ぐ。

 

「この物の重さを疎に託して、宙に引き寄せたまえ。フル・ソル・ウィンデ、レビテーション!」

 

 倒れ伏した少女の身体が浮かび上がる。焦った表情を隠せないコルベールは、怒声を張り上げながら、力の限りすばやい動きでイングリッドの身体を運ぶ。

 

「授業は中止だ!! 解散しなさい!! 自由に寮に戻ってよろしい!!」

 

 生徒に指示を出し、走り出す。

 その彼に走りよったのは、あまり恵まれたとは言いがたい体格を持った、或いは随分と恵まれた体格を持っていると言い換えることも出来る少年だった。

 

「先生! 僕も手伝います!」

 

 コルベールの強い感情がこもった視線を受けて一瞬ひるんだ少年だったが、彼自身も同じくらいに強い感情をこめてコルベールを見つめ返す。その間も、コルベールは必死で少女の身体に魔法の力を浴びせ続ている。

 一瞬悩んだ表情を見せたコルベールであったが、次の瞬間には小さく笑みを浮かべて頷いた。

 

「ミスタ・グランドプレ。ありがとう。手伝ってもらえますか?」

 

「はいっ!」

 

 グランドプレと呼ばれた少年は、小太りな体を揺すって、普段のひょうひょうとした態度からは想像もつかない素早さで動くコルベールに必死で追いすがり、必死にサポートを続けた。彼の頭上を心配そうな表情を浮かべた梟が飛ぶ。

 なにか思うところがあったのか、幾人かの少年少女がミスタ・グランドプレと呼ばれた少年を追って、コルベールの周辺を併走しつつ、魔法をかける。レビテーションを交替でかけ得る状況になったことを理解したコルベールが一層素早く走る。

 場に取り残された生徒達も、どこかとぼけた当たり障りのない、変人気質のさえない中年先生という評判の余り目立たない教師が、魔法をかけつつ、なおその状況で全力疾走に近い動きをすることに舌を巻く。誰とも無くお互いに顔を見合わせた後、すでに小さくなった彼らの背中を追いかける。

 走り始めた生徒達の後を様々な動物たちが続いて追いすがる。

 地面にへたり込んでいたモンモランシーはかなり出遅れて走り出したが、慌てた表情を顔面に貼り付けて一度戻ってきた。視線を彷徨わせて必死の形相で飛び跳ねるかえるを見つけると、それを掬い上げた。

 

「ゴメンね。ロビン」

 

 モンモランシーは手のひらにのせたかえるに優しく声をかけながら、頭を指でなでつけて、一息、溜息を吐くと、きびすを返して再度走り始めた。

 

 

 

 後に残されたのは、腰を落としてへたり込んだルイズと、走り始めようとしたところで少女の状態に気が付いて硬直してしまい、走り出そうとした刹那の滑稽な体勢のまま、コルベールの後を追うタイミングを逸したキュルケであった。

 

 キュルケは両足を地面に戻して、小さく肩をひそめる。そうしてから、所在無げに頭を掻いて首を傾げつつルイズを見つめる。

 うつむいて地面を掻き抱くその彼女の表情は、キュルケのいる位置からは伺うことが出来ない。

 キュルケは、唯黙って、足音を立てないようにゆっくりと、唯身体を震わせる彼女の背に近づく。

 切なそうな表情を浮かべた彼女は、小刻みに震える小さな肩に触れるか触れないかのところで伸ばした腕を止めて、それを戻すことしか出来なかった。

 










20130411追記

 この作品を書くに当たって準備をし、プロットを上げ、原作を読み直して、話をうんうん唸って考えている時点で原作者は既にこの世になかった事実に接し、恐ろしいほどの動揺に身を震わせています。
 
 もうこれはやめられませんね。
 絶対。
 絶対に最後まで書き上げます。


 ありがとう。さようならヤマグチノボルさん。私はあなたの作品が大好きだった。
 違うな、この言い方は。言い直します。

 あなたの作品が大好きです。

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