すうすうとルイズのベッドで寝息を立てているキュルケ。だいぶ痛みは治まったようで、一安心だ。
あの後、よくよく考えるとキュルケを廊下に放置しておくのもまずいということでルイズの部屋へ運び込んだのだ。
ルイズはキュルケの顔を覗き込む。
「起きないわねぇ……。ちょっともう一回やってみましょうか」
「まずは振り上げた手を下ろそうか」
でないと事態は解決しないに決まってる。
せっかくここまで回復したのに、また逆戻りしてしまう。
俺は必死にルイズを羽交い絞めにした。
一体、何がルイズをここまで駆り立てるのだろう。
何度も起こる主人のピンチに対し、必死に警戒音を出し続けるトカゲが健気すぎる。
「ううん……」
その時、キュルケが声を漏らした。少し苦しそうにしているのはさっきの出来事を思い出しているのだろうか。
「早く起きなさいよ」
キュルケの声に気を取られた俺はいつの間にか、ルイズを離していたことに気が付いた。
「ちょ、キュルケは怪我人なんだぞ!」
「分かってるわよ」
そう言って、ルイズはキュルケの額についた汗を自分のローブから取り出したハンカチでふき取った。同時に小さな声で「早く起きなさいよ」と呟く。
その様子を見ていた俺は安心し、息を吐いた。
そうだよな。毎回ルイズもひどいことをするはずがないもんな。
俺はそのまま介抱をするルイズを眺めた。自分の眼差しが優しいものになっている気もする。
ルイズは汗をハンカチで吹き続ける。
よほどキュルケは夢見が悪いのか、汗がひどい。それをふき取るハンカチもかなり濡れている。もうすぐあのハンカチでは汗を拭き取れなくなってしまうだろう。
俺はルイズの部屋を見渡した。
ハンカチがありそうな場所ということで衣装ダンスを開ける。中から女の子らしい服が何着も目に入り、ひどく居心地が悪い。
それでも、ルイズにハンカチを早く渡そう。そう思い、探し続ける。
しばらく探し続けた俺は、制服が入っている段の下にハンカチを見つけた。
「ルイズ。新しいハンカチを見つけたぞ」
俺がルイズに渡そうとベッドの方に移動した時、何やらルイズの位置が先ほどと変わっていた。
汗を拭きとるためにキュルケの横にいるのは変わりないのだが、少しだけ後ろに下がっている。
訝しみながらも、俺はルイズに近づく。
ルイズはハンカチを手に持って何やら考え込んでいた。
「今、これをキュルケの顔に乗せたらどうなるのかしら……」
「物騒なこと考えるなよ!?」
またもやキュルケのピンチだったらしい。ルイズのことは片時も目を離せない。俺は改めて、そのことを認識した。
ルイズは俺を見つめると首を傾げた。
「どうして? サイトはキュルケに濡れたハンカチを乗せたら、どうなるのかわかるの?」
その言葉を聞いてハッとした。
もしかするとルイズは記憶をなくしてしまい、不安なのかもしれない。分からないことを必死に吸収して、少しでも失った記憶を取り戻そうと無意識に行動しているのかもしれない。
俺は、この記憶を失ってしまったルイズをどうにかして助けていかなければ、ならないのではないだろうか。俺はこの子に召喚されたのだから――
「ま、その方が面白いっていうのがやってみたい理由なんだけどね!」
「俺の感傷を返せ!」
朗らかに笑うルイズに、俺は半泣きになりながら叫んだ。やっぱり、こいつは間違いなく天然外道だ。いや、天然かどうかも疑わしい。
俺はキュルケの前に立った。
「もう何もさせないからな! これ以上キュルケにひどいことするなよ!」
「ふーん……」
ルイズはにやにやと笑う。その様子に俺はたじろいだ。
「じゃあ、キュルケのそばにずっといるってことなんだ?」
「あ、ああ」
いったい何を言おうとしているんだ。ルイズの言葉に少しずつ嫌な予感を感じてくる。
「今のキュルケは半裸よ?」
「……………………は?」
言っている意味が分からない。キュルケを運んだのは俺だ。脱がしたりなどしなかったはず。
ぐるぐると俺の頭の中でクエスチョンマークが飛び交う。
「ああ。別にサイトが脱がしたわけじゃないわよ。私が脱がしたの」
「な、なな……!」
なんで脱がしたんだ。驚きすぎて、その言葉を声にすることができなかった。
「普通に考えてよ。寝汗がひどいのだから、額だけじゃなくて他の場所も拭くでしょ?」
普通。ルイズの口からそんな言葉が出て来るとは思わなかった。
「私だって、小さい頃に風邪を引いた時にはちい姉さまに拭いてもら――ちい姉さま?」
自分が口にした言葉が予想外だったのか、ルイズが何も言わなくなる。
少しずつ顔が悲しみを帯びていく。とうとう、ひどく悲しそうな顔になってしまった。おそらく忘れたくない人を忘れてしまったのだろう。悲痛な顔からそのことが読み取れる。
先ほど口にした単語を考えるにルイズとよほど関係が深い人物なのだろう。なら、その顔色が悪いのも納得できた。
「……思い出せそうか?」
「……ううん。思い出せない……」
俺が大切な人を忘れてしまった時、どうなるかを考えてみた。
もちろん、実際に忘れてしまったことはないから想像するだけだ。
でも、ひどく悲しくて、やりきれなくて、心が痛くなるんだろうな。そこまで思い至った時、ルイズが大声で泣いている小さな子供のような気がしてきた。
現実には声を出してない。しかし、心ではきっと泣いている。その気丈に振る舞っている姿は、まるで小さな子供が意地を張っている姿のようだ。
「ゆっくりと思い出していけばいいさ」
「うん……」
ルイズの頭に手を乗せ、ゆっくり撫でる。そこに何か触れた気がした。
「いたっ!」
「……え?」
ルイズが俺の手を払いのけ、自分の頭を押さえた。
「ちょ、ちょっといいか?」
俺はルイズの髪をかき分け、何があるのか見てみた。
そこには大きなたんこぶがあった。
……あれ?
猛烈に嫌な予感がする。
そういえば、俺って石投げてたよな? ルイズのたんこぶって……俺が原因?
「あ、えっと。もしかしなくても、あの鏡から石が飛んできた?」
できれば否定してほしい。いや、可能性は低いと分かっている。それでも、一縷の望みをかけて尋ねてみた。
「鏡? それってゲートのこと? それなら確かに石が飛んできたわよ。……サイトを召喚する前は結構記憶があやふやなんだけど、そこは覚えているわ」
やばいやばい。ルイズの記憶喪失ってやっぱり俺のせいじゃないか!
俺の姿を見ていたルイズが不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「い、いや! なんでもないさ!」
声が裏返りそうだったのを必死で抑えた。
「?」
ますます不思議な顔をルイズがするが、こればっかりは仕方がない。仕方がないに決まっている。だって、目の前にあんな不思議なものが出てきたら、色々と確かめてみようと思うのが当たり前じゃないか。
自己弁護をひとしきり終えると、俺は頭を振った。
「石が飛んでくるなんて不思議なこともあるんだな!」
「え……。あれ? でも、よく考えたらゲートの向こうから飛んできたってことは……」
「ああ! 本当に不思議だな!」
「でも……」
「本当に不思議で仕方がないな!」
ルイズの言葉は全部遮った。続きは言わせてなるものか。
しばらく続けると、ようやくルイズは聞くことを諦めてくれた。
そのことに安心し、俺は額の汗を拭った。
その時、
「ふぁああ」
ベッドで寝ていたキュルケが目を覚ましたようだ。あくびをしながら、目を擦っている。
ベッドのシーツを纏いながら、上半身を持ち上げていた。ちょうどベッドに座るような状態だ。
その時、シーツが落ちた。
「――っ」
俺は急いで目をそらした。今、見てしまったらルイズからさらにからかわれてしまう。
一瞬、ちらりと見えた褐色の肌が――あれ、見えなかった?
「へ?」
俺は目をまたキュルケへ戻した。別に服は脱がされていない。気絶する前と同じく制服を着ていた。
「ああ」
ルイズが俺の顔を見ながら、思い出したというかのように声を出す。
「キュルケは別に脱がしていないわよ。ただ、サイトがあまりにも反応するから、言ってみただけよ」
「なっ」
信じられない。ルイズの矛先が俺に移っているとは……。そして、何よりも怒りがわいてきた。
「男の純情をからかうんじゃねえよ!」
心からの叫びをあげた。若干、涙目になっているかもしれない。
「…………」
ルイズは俺の様子を見る。
そして、
「はっ」
鼻で笑った。
「くっ……」
こやつをどうしてやろうか。
ふつふつと湧いてくるルイズの怒りに身を任せるべきかどうか。そんなことを俺が考え始めた時、
「ねえ」
キュルケの尋ねる声が思考を遮った。
「どうしたんだ?」
「どうしたのよ、キュルケ?」
「私の名前はキュルケっていうの? 何も覚えていないんだけど……」
きょとんとした顔で言うキュルケ。
第二の記憶喪失者が誕生した瞬間であった。
どんどん話がカオスになっていく……。一巻が終わるまでに何話必要となるのやら……。
我ながらだんだん収支がつかなくなっていきそうなので、更新が遅くなるかもです。いや、今が自分にとっては早すぎるほどですが。