暗い、暗い、闇の中。吸い込まれてしまうような錯覚を抱くほどに黒い、深い漆黒の空間。
一切の光源もなく、自分の姿さえ確認できないその暗闇に、雄一郎は存在した。
……ここは、どこで。自分は何故、ここにいるのだろう。
霞がかかったようにぼやけている頭で、彼はそんな疑問を浮かべて。しかし何をするでもなく、プカプカと、闇の中をただ流されままに漂っていた。
人間というのは、本来暗闇を怖がる動物であるらしい。そんな話を、雄一郎は誰かから聞いた覚えがある。
火を得て、夜でも灯りを確保できるようになってから、人類は闇への恐怖を徐々に克服してきたものの。それでも人類にとって、一般的には暗闇は未だに恐怖の対象とされている。
雄一郎としても、暗闇はあまり歓迎できるものでもない。
彼の幼少期、田舎の親戚の家に泊まった際の夜の思い出が半ばトラウマになっている彼にとって、暗闇に好感情を向けることは不可能とは言わないものの、難しいことだった。
しかし、今、彼に周囲に広がる闇は違う。
雄一郎は決してマイナスの感情を抱くことはなく、むしろドロリとした心地よさを、一種の安らぎすらその暗黒に感じていて。
まるで意識が溶けていくような、夢に落ちる微睡みのような不思議な幸福感を、彼は味わっていた。
もっとこの気持ちを味わっていたいと、彼はそのまま、闇に身を委ねて――――
『――――まったく、何を勝手にここまで来てるんですか。レヴィより危なっかしいですね、貴方』
彼が変身する少女と全く同じ姿をした少女が、それを止めた。
「……ん……?」
ぱちくり。瞼を開いて、閉じて、また開く。
視界に映ったのは、知らない天井で。寝ていた身体を起こし、周囲をキョロキョロと確認すると、雄一郎は自分がいる場所をようやく認識した。
彼も何度か見たことがある、高町家の士郎の部屋。その部屋のベッドに寝ていたという事実を理解すると、どうして自分はここにいるのか、と思考を巡らせて。
「――あー。助けてくれた、のかなぁ」
自分が花咲葵という少女に襲われ、その際に背後から一撃をもらい、地面に激突した時点で気を失ったという記憶を思い出して。おそらく、その後に士郎達が自分を助けてくれたのだろうと、彼はその理由を推測した。
雄一郎はとりあえずベッドから体を出し、眠気を飛ばすために伸びを一つ。
その際、記憶通りなら重症を負っていて当然なはずなのに、何故かあまり強い痛みを感じることがないことに気づいて。慌てて自身を確かめてみても、怪我らしい怪我がついていなかったことに、彼は訳が分からないといったような表情を浮かべる。
首を捻りながらも、そのまま気を失っていたからだろうか、未だに少女の姿のままだった雄一郎は、元の青年の姿へと変身。
ひとまず士郎と話をしようと、彼を探すために部屋を出ようとして、
「――アワッ!?」
「うおわっ!」
扉を開けた時、ちょうど反対側からも開けようとしていたのか、雄一郎と反対のドアノブを掴んでいた少女がいて。
雄一郎が扉を引いてしまったことにより、少女はバランスを崩すと、扉に従って部屋の中――つまりは今まさに部屋を出ようとしていた雄一郎へと、勢いよく倒れこむ。
それを見た雄一郎は、反射的にその場に踏み留まり、彼女の体を受け止めて。
「「………………」」
結果として。部屋の入り口で男の胸に飛び込んだ少女と、それを抱きしめる男性。所謂熱烈に抱き合う男女、という構図が完成したのである。
「……」
雄一郎は、無言で、少女を見つめる。
突然の事態に驚いた彼は、寝起きだということもあり、どうにも頭が素早く働かず。このアクシデントに対し、彼はただ呆然と、自身の胸に埋まる少女の顔を眺めていた。
一方で、少女もまた、突然のことに頭の理解が追い付いていないようであり。雄一郎に密着したまま、キョトンとした表情を浮かべて顔を上げた彼女は、彼と視線を混ぜ合わせる。
そのまま数秒ほど見つめあった少女は、ようやく現状を認識したのか、みるみる頬を紅潮させ。
「ワ、ワワッ、悪イッ!? ――イヤ、違ッタ、申し訳ございまセンッ!」
飛び退くようにして彼から離れた少女は、顔を赤くしたまま彼に向けて敬礼。随分と慌てているのだろう、言葉の端々を裏返させながら謝罪を告げた。
別に気にしていない、と雄一郎が軽く手を降れば、少女はホッと一息吐き。気をとりなおすためだろうか、コホンと一つ咳払いをする。
頬の赤みがまだ若干残っているものの、表情を真面目なものに引き締めた彼女は、先程のものとは違ったビシッとした敬礼を行って。会話をまず始めるための自己紹介を、彼と交わした。
「大変失礼致しまシタ。ワタシはドイツより参りまシタ、インテリオル社ドイツ支部所属のテストパイロット、ヘンリエッタ・エールラーと申しマス。以後お見知りおきヲ」
「あ、これはどうもご丁寧に……。海鳴大学理工学部二年、尾崎雄一郎です。どうぞよろしくお願いします」
少女の自己紹介を聞き、ペコリと頭を下げて礼を返しながらも、内心疑問を浮かべる雄一郎。
それが外に出てしまっていたのか、彼の表情を見た少女は「ああ」と呟いて。その疑問への返答として、彼女は言葉を続けた。
「ワタシは任務のタメ、この町の見回りを行っていたのですガ。公園に張られた結界を捕捉シ、その場に急行したトコロ、大ケガを負っていたあなたを救助しまシテ。
そのためワタシがあなたをこの家に運ビ、回復魔法をかけて傷を治療させていただいタ、という訳デス」
「え、回復魔法?」
「ハイ。インテリオル社製試作魔導型パワードスーツ、名称『ストライカーユニット』には異世界の魔法技術が用いられていマス。魔法の行使も可能なのデ、インストールされていた回復魔法を使用しまシタ。
おそらく外傷は完治していると思いますガ、いかがでショウ?」
少女の言葉に、雄一郎は大丈夫だと頷く。
成程、怪我が治っていたのはそのお蔭か、と。先程抱いた疑問が解け、納得したように首を頷かせた彼は、しかし次の瞬間にはあれ、と首を捻らせた。
「……えっと。エールラーさん、でしたっけ」
「ハイ。どうぞヘンリエッタ、とお呼びくだサイ」
「じゃあ、ヘンリエッタさん。幾つか聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
その言葉に、答えられるものならばとヘンリエッタが頷いたのを見て。
雄一郎は早速、彼が感じた幾つかの疑問、気になる点を、彼女に投げ掛けた。
「じゃあ、まずは魔法のことなんですけど。ヘンリエッタさん、魔法には詳しいんですか?」
「ハイ。インテリオルは異世界の魔法技術を利用しておリ、異世界の魔法には地球上で最も造詣の深い組織の一つと言えマス。あなたに使用した回復魔法モ、異世界の魔法デス」
「……異世界の、魔法?」
「発達した科学技術を基礎基盤にシタ、科学的アプローチで超自然的な事象を発生させるものデス。自身の魔力、あるいは『魔力素』という大気中に存在する現代科学では認識出来ない粒子をエネルギーとシテ、発動を行いマス」
「その魔法に『プロテクション』とか、『パイロシューター』ってあったり、します?」
「存在しマス。プロテクションは防御魔法、パイロシューターは攻撃魔法に分類されますネ。炎熱変換の性質か技術を必要とスル、難しい魔法デス」
ヘンリエッタの返答を聞いて、自身が変身する魔法少女は異世界由来のものだったのかと、雄一郎は驚愕する。
が、トンデモ事態にはだんだん慣れてきた彼は、そういうこともあるかとすぐに納得して。それ以上慌てることはなく、次の質問へと移った。
「じゃあ、次に。俺って倒れてた時は女の子の姿だったと思うんですけど、今は男ですよね。普通なら同一人物とは思わないはずですけど、なんで俺と女の子が同じだって思ってるんですか?」
「ン、アア……簡単ですヨ。あなたが元は男デ、とある理由で少女に変身出来るのだト、ミスタ・タカマチから聞いていましたシ。少女を寝かせた部屋からあなたが出てきましたシ、ネ」
それに、と。直後にヘンリエッタが続けた言葉は、雄一郎にとっては青天の霹靂だった。
「あなたが変身出来るようになった理由と思わしきものモ、ミスタ・タカマチから聞いていマス。私見デハ、おそらくジュエルシードが引き起こしたものでショウ。
魔法によるものでしたラ、インテリオルで魔法技術による検査を受ければ詳細な原因がわかるかもしれませんシ、治療も可能かもしれまセン」
それを聞いた瞬間、雄一郎は思わず、ヘンリエッタの肩をガシリと掴んで。
「本当ですか」と顔を近づけて尋ねる彼に、彼女は再び頬を赤らめながら、「断定は出来まセン」と半ば悲鳴をあげるように答えた。
「そもそもこの事態についテ、我々もまだ詳しく把握できていないんでデス! 日本にも本日来たばかりデ、ジュエルシードも現物は一つも回収できていまセン! ジュエルシードを回収、本国に回して解析しなけれバ、ジュエルシードが原因だろうあなたの異変も解明はほぼ不可能デス!」
それでも、そのプロセスを終えた後でなら、少なくとも現状の把握ぐらいは出来るだろう、と。
そう言いながら雄一郎の手を肩から離したヘンリエッタに対し、雄一郎は「そうですか」と呟くと、その場で深く一礼。どうか検査をお願いしますと、彼女に頼み込み始めた。
それに慌てたのは、ヘンリエッタの方である。
雄一郎に顔をあげるように言うものの、お願いしますと繰り返すだけでいっこうに動こうとしない彼に、彼女は困ったように頭を悩ませて。
「……ハァ、分かりまシタ。こちらの要望を聞いていただけるナラ、今回の事態が一段落した後、ドイツのインテリオルの研究所で検査を受けられるように手配しマス」
仕方ないといった風にヘンリエッタがそう言うと、雄一郎は直ぐ様頭をあげて、今度は「ありがとうございます」と何度も繰り返し始めた。
さすがにそれは彼女が無理矢理止めさせて、頼むから普通にするようにと彼に強く念を押し。
また咳払いをして気を切り替えた彼女は、雄一郎のせいで脱線しつつあった話題を元に戻し、話を続けた。
「……ソレデ、あなたへの要望ですガ。ワタシの任務への助力、つまり現地における様々な面でのサポート、そして可能であれば戦闘面でのサポートをお願いしたいのデス」
「え? 戦闘?」
「ハイ。あなたが変身後に所持していたあの杖、あれは『デバイス』という魔法の行使を手助けするものデ、異世界の魔法使いは殆どが所持しているものだそうデス。
そんなものを持っているならバ、おそらくあなたは魔法が使えル、というコト。そう思ったのですガ……違いましたカ?」
「い、いえ。確かに俺は、少女に変身すればあなたの言う異世界の魔法、とやらが使えるみたいなんですけど。
でも、戦闘の経験とかは全く無くてですね。正直お役にたてないかなぁ、なんて……」
そう言って頬をポリポリと掻き、情けなく笑う雄一郎。
自虐と言うよりも、自分の今の強さを客観的に見て、それをただの事実として捉え、しょうがないと割りきっているようで。
先の戦いは彼が全力で戦い、全力で抗い、その上でああも一方的に負けてしまった。その事実があるがゆえに、彼は自身が戦闘に介入することに対し、そもそも介入できるだけの実力があるのかと懐疑的になっていた。
とはいえ、そんなことはヘンリエッタも百も承知で。
彼女はニコリと優しげな笑みを浮かべると、諭すように彼に言葉を返した。
「ご心配ナク。ワタシがあなたに訓練を施しますシ、その訓練で一定の実力を得たとワタシが判断するまでハ、戦闘のサポートは要求しまセン」
「……訓練?」
「ハイ。見たところ体は出来ていらっしゃるようですカラ、技術や経験面を伸ばす形になると思いますノデ、過酷なものにはならないと約束しマス。またあなたが襲われないとも限りませんシ、どのみちあなたには必要になるかト。
……アア、勿論実戦でハ、ワタシが出来る限りあなたの命は守りまショウ。あなたに自衛出来る力を与えた上デ、カバーをしマス。あなたはワタシの援護の中デ、比較的安全に経験を積めるのデス。
あなたは実力をツケ、あの少女のような人間から身を守ル。ワタシは心強い仲間を得ル。どちらにとってもいい話だト、そうは思いませんカ?」
「……」
少女の言葉に、雄一郎は悩みだす。
確かに雄一郎にとって、何らかの自衛手段を確立するのは急務である、と言えるだろう。
明らかに狙われて襲われた以上、彼は最早抜け出せないところまで足を踏み込んでしまっている。これで事件から逃げようとも、再び襲撃される確率は決して少なくない。
しかし、おそらく相手は、現代科学の常識を遥かに越えた存在達だ。
相手を異空間に強制的に連れ去る、空を走るといった超人達の相手は、士郎でも難しいかもしれない。
現に、士郎の弟子である美由希は、今回の襲撃に対して無力だった。
入れる相手を取捨選択できるらしい謎の空間に雄一郎が引きずり込まれた際、美由希は何が起きたのかも分からず、彼を助けに行くことは出来なかったのだ。
しかし、目の前の、少女ならば。
雄一郎よりも魔法に精通しているであろう、ヘンリエッタというこの少女の力を借りれれば、自分の身を守ることぐらいは可能になるのではないか。
そう思考した雄一郎は、数分ほど熟考した後に、ヘンリエッタの顔を見つめて。
「……分かりました。とりあえずお話、詳しく聞かせてください」
肯定に近い前向きな返事を、彼女に返した。
ヘンリエッタ「インテリオルはあなたを高く評価していマス。よい返事を期待していますネ?」
こう書くと胡散臭く見える! ふしぎ!