◆征暦1935年8月
ガリアの季節が夏へと移り変わる頃、それまで小康状態にあった各前線で遂にガリア軍は行動を開始した。これ以上帝国軍に対して回復の猶予を与えてはならないとダモンが判断した為である。
未だ指揮系統が不安定な状況下にあるガリア軍が目指す次なる目標は【ファウゼン工業都市】。
この地に籠もるベルホルト・グレゴール将軍率いる帝国軍北部方面軍は、イェーガー将軍率いる南部方面軍とセルベリア・ブレス大佐率いる中部方面軍の一部を吸収しており、その圧倒的な戦力をもって彼の地に君臨していた。
ファウゼン工業都市は元々只の小さな村に過ぎなかった。ところが豊富な埋蔵量を誇るラグナイト鉱山が村の付近に集中していた為、ガリア政府の採掘政策も相まって徐々に人口が増え、それに伴いファウゼンは小さな村からヨーロッパ有数の鉱山都市として各国にその名を馳せていた。
ガリア北部の玄関口に近く、人類文明に必要不可欠なラグナイト鉱石も採れるという地理的にも戦略的にも重要な場所に位置しており、その上都市自体が山に沿って造られた為、天然の要塞としても名が高い。
それ故に守りに関しては金城鉄壁を誇り、容易には攻め落とせない天然の城塞都市であった。
その堅牢さは、ガリア軍ファウゼン防衛軍が3万5000という兵力――数は多いが弾薬及び医療品が不足していた――に対し、6万という圧倒的に数で勝る帝国軍に、文字通り満身創痍でありながら2ヶ月以上に渡って耐え抜いた事で証明している。結果として生き残ったのは僅か1万弱ではあったが…。
戦争が始まってから5ヶ月。
先に述べた様にグレゴール将軍率いる北部方面軍の数は、中部・南部から敗走した帝国軍の一部を吸収し約8万という数の兵力を有していた。決戦と呼べる戦いを行っていないからこそ持てる戦力だった。元々自軍の消耗を嫌うグレゴールの性格も関係があるだろう。ゆえに、北部方面軍だけが唯一ガリア軍に対して局地的に優位を保っている。
だが、ファウゼンの厄介な所は鉱山都市内に建設された『複合軍事施設』の存在。そして目下一番問題となっているのが、帝国が誇る技術力と工業力を活かして開発された大型兵器『装甲列車エーゼル』の存在だった。
チェス交渉の後、ファウゼンを占領した帝国軍は、この施設を利用して消耗した分の自軍兵器や弾薬をここで修理・量産し随時各前線に送っている。無論労働力となっているのは囚われているダルクス人達である。
加えて、もう1つの懸念である装甲列車エーゼルには超長距離砲台として大型榴弾砲が搭載されているだけではなく、全車両にカノン砲と機銃を設け、列車の装甲はあのゲルビルをも悠々と超える重装甲で固められており、極めつけはグレゴールが直々に搭乗して指揮を執っている事だった。
そんなエーゼルは常日頃から鉱山近くの高架橋に鎮座しており、近づくガリア軍を自慢の大型榴弾砲で蹴散らしているのだから、ガリア軍にして見れば厄介極まりない。
ダモンにとっても目の上の瘤であり、頭痛の種でもあった。
「やはりファウゼンを失陥させてしまったのは大きい。だがファウゼンを奪還せぬ限りガリアに勝利はない。ランドグリーズに貯蔵されているラグナイトの備蓄量は限界に近づいておる。ここで敗れる事になればそれは即ち降伏を意味する。何としてでも此処を奪還せねばならん」
このファウゼン攻略の為にダモンは、ガリア中部に存在するほぼ全ての戦力をファウゼン近郊に集結させた。
現在北部以外の帝国軍は部隊の再編成で攻撃の余裕が無く、最低限の戦力でも中部を守り切れると参謀本部が情報を提示した事で集結させることが出来たのだ。
ダモンが集めたガリア・ファウゼン攻略軍の総兵力は凡そ16万。ダモンは帝国軍北部方面軍の2倍の数を用意したということになる。彼の覚悟が分かる数字ではないだろうか。
しかし、堅牢鉄壁を誇るファウゼンと言えど、隠しきれない弱点が3つ存在した。
1つ目は、ザカを中心に強制労働に従事させられているダルクス人達を完全に掌握しきれていない事。
2つ目は、元々ファウゼンはガリア領であったのでグレゴールすら把握していない隠し通路や抜け穴がある事。
3つ目は、ダハウによる意図的な情報漏洩及び小規模な破壊活動によって鉱山内に配置されている帝国軍の情報並びに使用することが出来ない固定兵器がある事。
これらの弱点があるからこそファウゼン奪還も不可能ではないと、ダモンは考えていた。
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◆8月2日~アスロン第2司令部 ダモン執務室~
「なるほど。そのような出来事があったのですね。これで諜報部の持ってくる情報の正確さが分かりました」
「うむうむ。内通者がおるというのは非常に助かるわい。こうも的確に敵の位置や数を示してくれるのだからのう」
いつもの執務室でダモンは早速ダハウが送ってきた書類に目を通していた。
ただ内通の疑いを掛けられない為に、ダハウは意図的にガリア諜報部の目に映る所で情報を漏らし、ダモンの手に各情報を送り届けていた。
「ですが気になる点も御座います。何故ランツァート少尉が提出した『バリアス遺跡に関する報告書』を見せなかったのです?あれこそ証拠だと私は思うのですが?」
「それを見せた所で偽造書類として疑われるのがオチであろうな。話の結末は変わらんよ」
オドレイが持って来た書類にサインをするだけの単純な作業を行いながらダモンは告げる。
一定の区切りがついたところでダモンは葉巻に火を点けた。
「ところで閣下。また開発部から新たな報告書が届いています」
「おぉ。またあ奴らは何か作ったのか?」
帝国軍に一定の猶予を与えてしまったガリア軍。しかし彼らとて指を咥えてただジッとしていた訳では無かった。
研究開発部は、戦争予算に目を付けては日夜研究の試行錯誤を繰り返していた。普段では絶対に許可が下りない珍妙な発想を元にして兵器の研究を行ったり、それこそ「気が狂ったのではないか?」と思わせる設計図も書き上げている。例えば車輪に小型ロケットをくっ付けて自走できるようにした【自走地雷】など、多種多様である。
そして開発部は遂に納得のいく新兵器を開発したのである。
「大佐。説明してくれ」
「了解しました。順を追って説明させていただきます」
オドレイは一息入れると報告書に記載されている文字を自分なりに分かり易く解いて読み始めた。
「今回開発部が開発許可の申請を出したのは【多連装ロケット砲】という遠距離攻撃用の兵器です。我が軍のロケット技術向上によって開発が可能になった全く新しいタイプの新兵器だとの事。元々は花火を打ち上げる為に使用されていた単発の筒状発射機であり、それを6本に纏めて束ねただけという簡素な構造、なにより軽いとの事です」
「ほう。これまた何とも奇怪な兵器だのう」
研究開発部が開発した兵器は、財政に余裕がないガリアから見れば非常に嬉しい兵器の類であった。というのも、元となる兵器は元々民間用に造られていた代物である。数は余っているのだ。
「この兵器は従来使用されてきた砲弾とは一線を画す【ロケット弾】という弾が使用されます。但しこのロケット弾、未だ開発途上の代物ですので狙った所に真っ直ぐとは飛ばないようです。ですが私が思うに、『点ではなく面を攻撃する』分にはなんら問題は無いと、私情ではありますが一言付け加えさせていただきます。何より特筆すべき点はその飛距離です。火砲と比較したところ、こちらのロケット弾の方が遥かに遠くへと飛んだそうです。調べによると弾体が自らの推進力で徐々に加速するからだそうです。また、発射時の反動も火砲に比べればごく小さく済むので『持ち運びを含めても非常に扱いやすい』と、試験を担当した兵士から評価を受けています。そして更に付け加えますと、ロケット弾自体が簡素が作りになっているので非常に予算が低く抑えられている事も素晴らしいです。正直言って、自走砲を量産するよりもこちらを量産した方が私的には良い気がします」
現在ガリア以外のヨーロッパ各国でも研究が進められているロケット技術。
歴史を遡れば古代の文献にも登場するなどれっきとした兵器の1つなのだが、ある時を境にパタリと技術が途絶えてしまった。
その影響によりロケット工学は現代では全く新しい分野であるとされた。現時点で役に立たない物へ投資する国は怱々おらず、連邦や帝国を含めたヨーロッパ各国の技術者達は"とりあえず暇な時に研究しよう"程度にしか見ていなかった。
しかし、ガリアの技術者達は此処に目を付けた。敵を打ち砕くには此方もそれ相応の新兵器を開発せねばならない。ガリア兵器廠全体が一丸となってロケット工学という名の未知の領域を開拓し始めたのだ。世界で初めてロケットの実用化に向けて研究が開始された瞬間でもあった。
ガリアにとって幸いだったのは、国内で個人的にロケットを研究している人物がいた事である。
その人物の名は『エルナンド・ブラウン』。本業は花火屋なのだが、趣味の一環として自作で小型ロケットを作っては空に飛ばすなど近隣住民からは変人とされた45歳の中年男であった。兵器廠はすぐに彼を引き抜いた。
引き抜かれたブラウンは直ぐに店を畳むと、研究開発部に着任。構想していた代物を作り上げた。それが試作型多連装ロケット砲であった。
安価で大量に、それでいて使い勝手がある兵器という兵器廠の思惑をまんまと叶えた訳である。
言うは易く行うは難し。だがブラウンの鬼才とも呼べる発想とロケットに対する並々ならぬ熱意は、諺を超えた。
値段・数・評価という3つの点で文句なしの兵器を造り上げたのだから、流石のダモンも唸った。
「うぅむ。デメリットを差し引いても十分使えそうな兵器だな。デメリットである精度の悪さも今後の技術力向上によって改善されていくであろうし、そもそも使わねば改良点も浮かばん。よし、ファウゼン攻撃の際に使ってみるとしよう。それで真価が問われるであろう。兵器廠に量産命令を下しておけ。間に合わせるのだぞ」
「承知いたしました。それともう1つ。鹵獲した敵戦車についてのことでお話が御座います」
オドレイの口から出た言葉に、ダモンは葉巻を燻らせながら耳を傾ける。
敵が乗り捨てた戦車や兵器と言う物は、質に劣るガリアには嬉しい産物であった。
他にも鹵獲した戦車を直す為に、必要な予備パーツを奪うために対戦車兵と技工兵だけで構成された部隊、通称【
「鹵獲した帝国軍戦車なのですが、これらを数が足りていない戦車部隊に編入しようと考えております。予備のパーツは大破した敵戦車から幾つか回収されているので、十分に役に立つはずです。ご一考願います」
「愚問よの。考えるまでもないわ。鹵獲した敵戦車については随時編入しておけ。…それで思い出した。わしが戦争初期の頃に進めていた国産中戦車の開発はどうなっておる? 何か報告はないのか?」
現在ガリア軍で使用されている機甲部隊は【軽戦車2割・自走砲3割・駆逐戦車4割・鹵獲戦車1割】という比率になっている。しかし、帝国軍の機甲部隊は標準で【軽戦車3割・中戦車5割・重戦車2割】となっており、ガリア軍の戦車部隊は駆逐戦車が開発されたと言えど今尚劣勢であった。特に重戦車で編成された帝国軍機甲部隊に出くわした日には何もせずに退却を余儀なくせねばならなかった。
対するガリア軍の重戦車と言えば『ルドベキア』1両。中戦車も『エーデルワイス』1両という現状である。ダモンが国産中戦車開発を強力に推し進めたのも無理はなかった。
「残念ながら、研究開発部からは多連装ロケット砲に関する報告しか来ておりません」
「むぅぅ。予算に余裕がある国でも無いから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれんが…。願わくば早く量産にこぎつけたいのう」
咥えていた葉巻を灰皿に置くと、ダモンは残っている書類をとっとと一掃すべく再び羽ペンを手に取る。
作業を行いながらもダモンの口は閉じなかった。
「2日後に各指揮官を会議室に集めよ。ファウゼン攻略に向けた作戦会議を行う」
窓から差し込む眩い光が、ダモンの背中を暖かく守っていた。
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◆8月4日~アスロン第2司令部 中央会議室~
「これより、ファウゼン奪還に向けた作戦会議を行う。意見は説明が終わり次第頼む」
全ての指揮官が見渡せるテーブルの中央で、ダモンはファウゼン攻略に向けた軍事作戦概要を口にする。
指揮官は正規軍だけでなく、主力となる義勇軍指揮官も追随しており、各々が静かにダモンの言葉に傾聴した。ネームレス指揮官であるクルトも今回の作戦のカギを握る部隊長として参加していた。
「此度の作戦の最終目標は言わずもがなファウゼンの奪還及び囚われている民間人の解放である。まず作戦の第1段階として、ファウゼン近郊に存在する帝国軍防衛部隊を殲滅と近隣の村々を確保せよ」
テーブルに敷かれた地図を指でなぞりつつもダモンは滞りなく進めていく。
「次に第2段階として義勇軍第3中隊に所属する第7小隊及び正規軍第422部隊は本隊と別れファウゼン鉱山内部へと潜入せよ。本隊は敵の目を此方に引き付けるべく自走砲を中心に断続的な攻撃を行うのだ。潜入後、第7小隊は鉱山内部にいる内通者と連絡。422部隊は鉱山内にいる帝国軍部隊を駆逐せよ。鉱山内部に侵入後は敵に無線傍受されないよう無線を切っておくのだ。その後の判断は部隊長に任せる。臨機応変に対応するのだぞ」
両部隊の隊長であるウェルキンとクルトは小さい手帳にかりかりと鉛筆を走らせていく。
ダモンは地図に記された印を指で順に追いながら作戦概要を進める。白手袋に包まれた指先は次第にファウゼンへと向けられた。
「そして第3段階、両部隊は内通者の力を借りてグレゴール将軍が指揮すると思われる『装甲列車エーゼル』を撃破するのだ。この間も敵の注意を此方に引き留める為に、本隊は引き続き遠距離攻撃を行う。そして装甲列車エーゼルを撃破後、本隊はファウゼンへと進軍。残存帝国軍を撃滅しファウゼンを奪還する。以上で作戦の説明を終了する。意見がある者は?」
指先を最終地点までなぞるとダモンは手のひらを開けて"バンッ"と地図を叩いた。
同時に何か意見や文句があるか、ダモンは各指揮官に確かめる。
2人ほど手を上げた者がいた。どちらも正規軍指揮官であった。
「そこの者。意見を聞こう」
「閣下!我が方は敵の数を圧倒しております!ここは一気に敵を押し潰しましょう!さすれば我が軍の勝利間違いなしです!」
「うむ。もう一度士官学校をやり直してこい」
経験不足な指揮官が作戦会議室の7割を占めるガリア軍。
それまで数で負けていたが為に、数に勝る戦いとなると途端に楽観主義的な考えをする者が後を絶たなかった。この指揮官1人だけが楽観的な考え方ではなく、口には出さないがそう思っている輩も会議室内に多くいた。彼は言わばそんな者達の代弁者とでも言えるかもしれない。
ダモンは彼を軽くあしらうと、手を上げたもう1人の意見を聞くべくそちらに目を向けた。
目を向けられた別の指揮官は、少し緊張しつつも勇気を出してダモンに顔を向けた。
「お…恐れながら、自分が思うに、帝国軍も馬鹿ではないと思います。て…敵将はあのベルホルト・グレゴール将軍です。で、ですので、我が軍の動きを悟られない為に、本隊を更に分けて本当の攻撃と思わせるのは如何でしょうか?」
「本隊を分けたとして、その別動隊を率いる人物がおらねば意味が無かろうが…」
「そ、そうですよね…すみません……」
2人目は1人目と違い、まだ真面な意見を行った事にダモンは幾分か安心した。これで2人揃って似たような事を言われた時には、愛ある拳が彼らを襲っていただろう。だが2人目の意見もダモンは蹴った。
約16万の軍集団を率いるに足る器が自分しかいないと悟っての事だからだ。
一度はダモンも軍を分ける策を考えたのだが、別動隊を率いるに値する将軍を見つけられなかったという理由がある。粛清前ならば評価はどうあれアイスラー少将という名のある陸軍将校が存在していたのだが、彼は既にこの世の者ではなかった。彼の周りにいた歴戦の側近達も同様である。
確かに相手はこれまで対峙してきた敵指揮官ではない。東ヨーロッパ帝国連合の元首である皇帝から直々に指名を受け、準皇太子マクシミリアンのガリア公国侵攻に参加するほどの手腕を持つ男――ベルホルト・グレゴールなのだ。この指揮官が言うように生半可な考えで軍を構えてはいけない。
今や滅びてしまったフィラルド王国軍は、グレゴールに敗れたと言っても過言ではないからだ。
さらに遡ると第一次ヨーロッパ大戦時には数々の勲功を上げている。
結局彼らの意見は受け入れられず、作戦は説明のままに決行される事と相成った。
「だが1人目と比べて意義ある意見である事には違いない。今回は却下するが、今後も意見を出してくれると助かる。わしも人間、気付かぬうちに間違いを犯している可能性があるかも知れんからな。精進するのだぞ」
「は、はい!閣下のご期待に沿えるよう精進していきます!ありがとう御座います!」
自信が少なかった正規軍指揮官は、自分を鼓舞してくれるダモンに凛とした敬礼をする。
実戦経験の不足分は士気で補う。これもダモンの考えの1つであった。
「では現時刻をもって、ファウゼン奪還作戦第1段階の開始を宣言する!各指揮官は速やかに部隊へ戻り、行動に移るのだ。功を焦るでないぞ。着実に歩を進めるのだ。ヘマをせん限り必ず勝てる戦いである!」
「「「「オォーッ!!!」」」」
一抹の不安が残るガリア軍はダモン指揮の元、祖国勝利の為にグレゴール率いる北部帝国軍が待ち受けるファウゼンへと一路足を進めるのだった。