わしを無能と呼ばないで!   作:東岸公

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第二十三話 ダモンは砕けない

◆征暦1935年7月26日~アスロン第2司令部 ダモン執務室~

 

「閣下。次はこちらの書類に目を通してください。それが終われば次はこの書類に。その次は―――」

大佐(・・)。今日は沢山仕事をした。もうよいのではないか?今日はこれ位にせぬか?」

「駄目です。閣下には休むという時間すらも惜しい程に事務作業が滞っています。それだけでなくとも閣下のせいで現在ガリア軍は非常に由々しき問題が―――」

「分かった分かったもう言うでないわ……わしストレスで禿るかも…」

「禿ても人間は死にません。私は別の会議に行かねばなりませんので、閣下は残った書類等の処理を済ませておいてください」

 

ゲオルグ・ダモンは、今この時ほど軍隊を辞めたいと願わずにはいられなかった。書類仕事の終わりが見えないのだ。

先日の晩餐会の折、それまで賑やかであったランドグリーズ城で粛清の嵐が吹き荒れた。

軍内部は現在、ダモンの見立てよりも遥かに多くのガリア軍将校並びに幹部たちが軒並み逮捕・処刑されてしまったせいで未曽有の大混乱に陥っていたのである。

ガッセナール家・ダモン家・エーベルハルト家などの御三家以外の派閥に属していた佐官クラスはほぼ皆無に等しく、アイスラーが放っていた毒手は軍部の奥深くまで入り込んでいた為に、ガリア軍の指揮系統は今やズタズタに寸断されているのだ。

 

ガリア上層部に至っては完全に国民の支持を失ってしまったが為に、遂にコーデリアによる解散命令が下されてしまった。解散後すぐにコーデリアはボルグや生き残った貴族に対して上層部に代わる新体制の組織を整えるように勅命を下す。ボルグはともかく他の貴族達は今回の事件を重く受け止めており、それまで貴族中心の体制から一転、各市町村から選ばれた国民からなる【国民議会】を設立。そして貴族達は新たに【貴族議会】というもう1つの新組織を立ち上げた。これにより今後ガリアの行政は慎重な判断のもとで運営されていく事となる。

上層部が持っていた権限はこの2つの両議会へと移された。貴族議会に限っては前組織である上層部の汚名返上を図るべく順調に立て直しが進められている。

こちらは特に言うことはない。

 

問題は軍部である。それも特に陸軍が中心だった。

ダモンは居なくなった者達の椅子を埋めるべく、秘書であるオドレイ中佐を大佐に、バルドレン准将を少将へ、ローレンス中将を自分が座っていた大将に、ギルベルト少将とエーベルハルト少将は中将へと昇進させた。他にも公国親衛隊や正規軍から新たに将校へと昇進させた者もいるが、消えてしまった幹部数を埋めるにはそれでも数が足りなかったのである。

緊急措置として数多の軍人達を昇進させたダモンだが、なお心配の種は尽きなかった。

その原因は新たに将校に就いた軍人達の年齢である。軒並み20代の者が大多数を占めているのだ。例でいえばバルドレンなども当て嵌まるだろう。若さというものは時に自信過剰となり慢心を生んでしまう。戦争で勝っているのであれば尚更である。だが問題は他にも存在していた。

 

新たに就任した将校や左官達が未だその立場に順応していないことだ。

 

余りの急な昇進は彼らに対して精神的ストレスになりつつあった。

しかも次の戦場はファウゼンである。多数の死傷者が出ることは明白であり、その責任を背負う心構えが不十分なのだ。この立場に立って初めて自らの右手の重さに恐怖する軍人もいるほどに。

戦場で自分が号令の合図を出すだけで、多くの仲間や友人が死んでしまうのだ。事実昇進してから4日目にも関わらず既に降格願いの届け出を出す者も出ている。彼らにとって、夢であった佐官や将校という階級は小心者にはとても担うことが出来ないと悟ったのだ。

 

「誰でも初めは緊張や興奮をしてしまい要らぬ心配までするものだ。しかし現在のガリアはその様な『自分には荷が重い』などと言って許される時期ではない。わしはお主達の能力を知っているからこそそれぞれの役職に昇進させたのだ。どうしてもと言うのであれば届け出を受理するが、今一度よく考えてくれ。今のガリア軍にはお主達が必要なのだ」

 

実際にダモンの人事差配はそれぞれ個々の能力を鑑みて行っている。そこには一切の妥協もない。

故にダモンは自信を持って新たに就任した彼ら軍人達を信頼している。

しかし、この件に関しては流石の彼らにも堪えるものがあった。

そんな彼らに対して「とりあえずは暫く耐えてくれ」と言うしかないダモンを見て、彼らは仕方なく職務に就いているにすぎないのだ。

 

「やはり早すぎたかのう…。このままでは士気に関わる。どうにかせねば……」

 

自分が下した判断が現在の混乱を招いていると自覚しているダモン自身ですら、後悔の念に囚われていた。これ以上帝国軍に回復の猶予を与えないためにもファウゼン奪還作戦はどうあがいても延期できない。しかし足並みが揃っていない状態で帝国軍との戦端を開いてしまえば、まず敗北は免れないだろう。タウンゼントと裏取引をして手に入れた秘密兵器はまだ準備が出来ていない。ナジアルで間に合うくらいだろう。全ての方面において状況が悪いのだ。

 

「くっ…。己の未熟さに殺意が沸いてくるわ。やはりどう足掻こうとも、わしは無能なのか…」

 

どう足掻いたところで現在の状況を打開できるような案が思いつかないダモンは、息抜きとして葉巻に火をつけた。考えてみれば久しぶりに葉巻を吸ったかもしれない。そう思ってしまうほど切羽詰まっているらしい。

隣の部屋からは明るい子供達の声が響いてくる。愛する我が子達の声は戦争というものを忘れさせてくれる。だが今回だけは忘れることが出来なかった。

いつもは温厚なダモンもこの時ばかりは完全にお手上げであった。表情は暗く、軍帽をいつも置いてある所に無造作に投げた。もしここにワインが置いてあるならば飲んで全てを忘れ去りたいと思わずにはいられなかった。

 

暫く葉巻を燻らせて思案に暮れている時、"コンコン"と誰かが執務室の扉を叩いた。

ダモンは休息の時間を邪魔されて不機嫌になりつつも吸っていた葉巻を灰皿の上に乗せる。

 

「誰だ。わしは今非常に忙しいのだ。重要案件で無いならば―――」

「あたしだよ。おじいちゃん」

 

言い終わる前に扉の向こうから返事が返ってくる。その声の持ち主はアミラであった。

相手が軍人ではなく実の娘同然のアミラが珍しくダモンの部屋をノックしたのだ。

不機嫌であったダモンでも、流石に目を丸くして自ら扉を開いた。

 

「おぉアミラか。どうしたのだ?隣の部屋で他の子らと遊んでおったのではないのか?」

 

開いた扉の外では、何やら俯いてモジモジしつつ大きな紙を後ろに隠しているアミラが居た。

彼女の頭にはダモンがこの前買ってあげた綺麗な髪留めがあった。

アミラは恥ずかしながらも、ダモンの問いかけに答えた。

 

「あ…あの!あたし、おねえちゃんから絵の描き方を習ったの!だ…だから、あたしおじいちゃんの絵を描いたの!」

 

若干顔を赤らめ、後ろに隠していた1枚の絵をダモンへと手渡した。

戸惑いながらもダモンはそれを受け取った。そこには自分と思わしき顔が描かれており、6歳にしてはとても上手ではないかと心の中で率直な感想をダモンは呟いた。見方によってはキュビズムのように見えなくもない。しかし、アミラを見ると少し心配の目をしている。恐らく自分の感想が気になるのだろう。純粋で可愛げのある愛娘である。

目に入れても痛くないという(ことわざ)を作った人物に対して感謝したいくらいだとダモンは思った。

 

「ほほぅ!上手く描けているではないか!アミラは将来凄い画家になるやもしれんのう!」

「ホント!?嘘じゃない!?」

「わしが嘘をつくわけなかろう。本当に上手く描かれておる。これはまた何か買ってやらねばならんの。何か欲しい物はあるか?」

 

"やったー!"と廊下で騒ぐアミラを見て、ダモンは先程までの憂鬱とした気分を和らぐことができた。誠に子供の笑い声というのは心が洗われるものである。気が付けば己も笑顔になっているのだから。執務室のような空気が悪い所にいたからか、気分が落ち込みつつあったダモンにとって彼女の笑顔は天使のようにも思えた。因みに他にも子供はいるが、中でも彼女が一番ダモンの寵愛を受けている。

 

「じゃああたしね、新しい絵の具セットが欲しい!今使ってるのはもう汚くて使えないの!」

「うむうむ。よかろうよかろう。使いやすいやつを買ってきてやるわい」

「それとね……」

「む?まだ何か欲しい物があるのか?」

「あたしね。おじいちゃんと一緒にどこかにお出かけしたいな。今じゃないよ。せんそーが終わってからだよ。へーわになった後で、他のみんなも連れて一緒に行きたいな……」

 

いつもの親馬鹿っぷりが炸裂しているダモンも、2つ目の言葉に対してはすぐに返答が出来なかった。その願いは戦争に勝つ事ができるのかという今まさにずっと悩んでいたことに関係しているのだ。八方塞がりの局面を打開したいのは山々である。しかし、愛娘であるアミラの言葉に対してダモンは胸を張って答えた。

 

「うむ!ガリアが勝利した暁には、必ずやその約束を果たそう。心配せずともよい。わしがおるから負けることはない!全てわしに任せておけ!」

 

ドンと胸に拳を叩きつけてダモンは宣言した。叩いた振動で贅肉がぶるぶると動いた。

再びアミラは喜び、似顔絵も渡せたとあって飛び跳ねるように自室へと帰っていく。一瞬ではあるものの彼女の背中を見守りながらダモンは改めて自身の決意を固めた。心の中に蔓延っていた霧が晴れていくような気持ちであった。

 

「(そうだ。わしにはあやつらの様に、ガリアに住まう国民達を護る責務がある。此れしき程度の苦難で弱音を吐いてどうするのだッ!それにわしは自らの運命を変えるために今まで頑張ってきた!この戦争は絶対に勝たねばならんのだッ!やるぞ!わしはやってみせるぞ!)」

 

意気揚々と部屋に戻ったダモンは椅子に腰かけ、火が消えた葉巻に再び火を点けると引き出しから1枚の紙を取り出す。普段の白い紙ではなく、ガリアの国色が薄く入っていた。

 

「物事は表面だけで考えるものではない。裏の中まで考えて判断を下さなければならん。そんな(はかりごと)の基本をわしは失念しておったわ。この策さえ成ってしまえば後はどうとでもなる。覚悟しておけ帝国軍。わしにはまだまだ奥の手があるのだぞ…!」

 

三度(みたび)葉巻を吹かしながら、ダモンはペンを走らせる。宛先はとある帝国軍部隊であった。

 

 

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◆7月28日~帝国軍 カラミティ・レーヴェン~

 

「戦争中だというのに、ガリア軍は内紛をする余裕があるらしい」

「はっ。味方同士で争うなど愚かな行為です」

「リディアは何処にいる?また猊下の使者の元へ行っているのか?」

「自分は見ていないので分かりませんが、いつもの事を考えるとそのはずです」

 

司令テント内でコーヒーを啜りながらダハウは目の前にいるジグと軽い雑談をしていた。

現在カラミティ・レーヴェンはガリア各地で遊撃戦を繰り返している。

だが最近は部隊の消耗を抑える為に『戦闘のフリ』を行っているに過ぎなかった。

ダハウ率いるカラミティ・レーヴェンという名の部隊は、帝国軍随一の情報収集能力を持っていると言っても良いほどに地獄耳である。

 

「ボルジア猊下もよく手紙を寄越すが、内容は毎回同じ『ネームレスを討て』だ。我々を都合の良い駒に見立てているのだろうが、物事には順序というものがある。それをあの御仁は理解していない」

「どうしますか?このまま遊撃戦を繰り返しますか?」

「ジグよ。お前はもっと視野を広げて物事を見定める必要がある。遊撃戦はそろそろ潮時だろう」

 

コーヒーを飲み終えるとダハウは立ち上がって机に広げてある地図を見る。

彼は思案しながら地図を指でなぞる。その終着点の場所は『ユエル市』と記載されていた。

 

「ユエル市…ですか?」

「あぁ。敵の目を逸らせとマクシミリアンが言ってきている。だとすればここ、ユエル市が一番手っ取り早く敵の目を惹ける。何故だかわかるか、ジグ?」

 

自らが崇拝するダルクスの英雄に問われた青年は、顎に手を添える。

普段は思ったことに対してストレートに受け答えをする若きダルクス戦士であるジグは、今後の部隊運用の為に自らがダハウであればと思案する。

暫しの沈黙後、彼は答えに辿り着いた。

 

「物資補給拠点だから…でしょうか」

「うむ。その通りだジグ。ここには広域に渡ってガリア軍の補給線を担っている。ユエル市以外にもメルフェア市とアントホルト市がガリア軍の兵站基地として存在しているが、現状ユエル市が一番手っ取り早い。我々が侵攻すればガリアの連中は直ぐにでも反転してくるだろう。だが―――」

 

一通りの説明をし終わると、ダハウは再び椅子に座り込む。しかしダハウは今一パッとしない様を見せた。ジグから見るに、彼は迷っているようにも思えた。

 

「どうかなされたのですかダハウ様?」

 

自分を心配する若きダルクス人に対して、彼は一瞥すると腕を組み目を伏せながら口を開いた。

 

「―――実は、私に手紙が届いているのだ」

 

ダハウは懐から一通の手紙を取りだした。至って何の変哲もない普通の手紙である。強いて言えば普段使用されている紙ではなく、少しだけ淡い水色がかった手紙であった。

 

「手紙?一体誰からなのですか?帝国軍ですか?」

 

的外れな言葉を紡ぐジグを見て、ダハウは言うべきか黙っているべきかを己の中で思案する。

正直言ってしまえば、手紙の内容よりも送り主に問題があった。

それ故に彼にとっても非常に判断が難しい案件であった。

 

「帝国でも…ましてやミュンヒハウゼンでもない。ジグよ、この手紙の送り主はガリア人で、それも帝国軍に属する人間であれば間違いなく知っている御仁…大猪からの手紙なのだ」

 

伏せていた目を上げながらダハウはジグに手紙のネタをばらす。それを聞いたジグは2つの意味で驚愕した。何故敵の総大将が我々の元へと手紙を送ってきたのか。何故その手紙をダハウが受け取り、あまつさえ手紙について思案しているのかを。

 

「大猪…ダモン!」

「手紙の内容は至って簡単(シンプル)な事しか書かれていない。中には簡単な地図と『貴殿と会って話がしたい』と書かれた紙の2つしか同封されていない」

 

手紙を地図の上に置くと、ジグは未だ信じられないと言わんばかりに置いた手紙に目を通す。確かにダハウの言う通り、地図と一言(したた)められた手紙が入っていたが、その封筒には密封するために使用される封蝋の上に見覚えのない紋章が捺されていた。

 

「その蝋には帝国では見られないガリア特有の紋章が刻まれている。それに指輪印章(シグネットリング)という物はおいそれと偽物を作れたりはしない。間違いなく本物の手紙だ。私が考えているのは、この手紙の真意が読めないという所だ」

 

普段であればダハウの言葉にも賛同するジグでも、この時ばかりはどうすべきか理解できずにいた。敵が自らがいる場所をばらしているのみならず、相手はガリア軍総司令官である。恐らく自分などには到底理解できない権謀術数が張り巡らされているのだと思わずにはいられないのだ。故に今は静かにダハウの言葉に耳を傾けていた。

 

「だが私は、この誘いに乗ってみようと思うのだ。態々我らに自身の存在を明かすという事は、それ相応の内容の話があるのだろう。臆病者には到底出来ぬ芸当だ。余程の事なのだろう」

「……自分は反対です。ダハウ様自らが動くのは余りにも危険です。もし死んでしまったら部隊はどうするのですか?この部隊は全員ダハウ様に忠誠を誓っているのです。ダハウ様が居なくなれば部隊は瓦解してしまいます」

 

ジグの言葉は至って当然とも言える内容だった。

カラミティ・レーヴェンとは、元々は帝国によるダルクス人圧政に対してダハウと彼の妻であるミガを中心とする武力をもって抗議していた人々の集まりなのだ。しかし皮肉な事にダハウ達が起こした武力抗争は更に帝国内にいるダルクス人に対して弾圧が激しくなるという結末に終わり、中心的人物の1人であったミガも死亡してしまう。

この失敗を機にダハウは武力による抵抗を止め、戦争による功績を持って皇帝に帝国領内にダルクス独立自治領建設を認めさせる方針に転換した。つまりダハウが戦死した時点でこの方針は崩れ去ってしまうのだ。

 

「お前の言う事は尤もだ。だが私は、あの大猪がそのような奇手を使ってまで一帝国軍部隊長である私を害するとは思わないのだ。無論私も馬鹿ではない。多少の護衛を連れて行くつもりだ。ジグよ。ここは私を信じて行かせてほしい。根拠は無いが、これはある意味で転換期となるかもしれん」

 

「…そこまで仰るのであれば、自分は構いません。ですが少しでも危機を感じ取ればすぐにでも脱出を願います。ダハウ様亡き後のカラミティ・レーヴェンなど存在する意味がありませんから」

 

ダハウはジグの言葉に対して彼に無言の視線を送ると、颯爽とテントから出歩く。

選りすぐりの古参兵達から護衛を抜擢すると、ダハウは記されている地図の元へと足を運び始めた。

地図を小さく折りたたみ胸ポケットへと仕舞う。

 

「(大猪がどれ程のものか…見定めさせてもらうとしよう)」

 

ダモンの手により、彼もまた運命の分岐点へと赴くのであった。

 

 

 


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