技師の力は何が故に   作:幻想の投影物

19 / 37
巴―――物が円形を描くように回るようす。

真実とは、金色の果実也


case19

 この音は、ずっと前に聴いた事がある。屠殺場にいた魔女は動物からの怨念すら吸い取って、醜くもどこか豚の面影が残っている魔女へと変貌した時の話だ。すぐさま討伐することに成功したが、使い魔はこちらに酷く不快な精神的な視覚効果を与えてくる使い魔だった。なんと、屠殺場だっただけに、様々な方法で自爆するのだ。

 肉がめり込み、血の詰まった肉の袋が弾け飛ぶ鋭い破裂音。なんとも形容しがたい感触を目の前で味わった私は、一度思い出してしまえばしばらくウィンナーを食べる事ができなかった。フォークが肉汁の詰まった肉袋にめり込む瞬間、あの時の生温かくも鉄錆び臭い匂いのする液体が吹き出る瞬間を思い出してしまうのだ。自分の体に返り血のようにして掛かった感触は、まるでドラマの誤って刺し殺してしまった犯人のワンシーンの様に呆然と突っ立っていることしかできなかった。

 今の状況はそれと同じかもしれない。でも多分殺されているのは、見滝原の名も知らない同じ人間で、私が守るべき筈の人。こんなところで殺されてしまっているとしたら、でもネクロモーフってどんな化け物なのか。好奇心と罪悪感がせめぎ合っているようにも感じて、でも私は―――この化け物を殺さないといけない。みんな、死なせないために、コイツらを殺すしか無いじゃないの。

 

「……ッ」

 

 マミはマスケット銃を空中に待機させ、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 音が止む。

 ぐちゃぐちゃと何かを貪る様な音が無くなって、此方に何かが投げ飛ばされてきた。

 人だった。それは、人だった(・・・)もの。

 四肢は無い。内臓は、顔まで貪りつくされている。肋骨だけが残されて、中途半端にへばりついた肉の塊がゴロゴロと地面を転がる度に撒き散らかされていった。赤い斑点を地面に残して、ソレが飛んできた方向に顔を出し――――自分の顔と距離は残り1センチ。

 

「ぁぁぁぁぁぁっぁぁあああああああああああああああああ!!!?」

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」

 

 手もとのマスケット銃が火を噴いた。魔力が点火し、背後に浮かべていた全ての待機銃が引き金を引く。プラズマライフルより貫通力に優れ、プラズマカッター並みの広い円の射程を持つ魔力弾がネクロモーフの身体に打ち込まれていく。細々としながら、生物学上有り得ない程のエネルギーと熱量が込められ硬質化したネクロモーフの四肢は神秘的な魔法と言う現象によって脆く崩れ去っていく。

 マミとの距離は5センチ、60センチ、2メートル。だんだんと離れていく度にマミの一斉放射の弾丸を一身に浴び、まるで狭い場所で跳ねるスーパーボールのように弾丸に接触する度に跳ねて行く。肉片がマミの頬に掛かり、生物として必要とされなくなったおかげで真っ黒に酸化した血が路地裏にへばりついて行く。卵の腐ったような腐臭が充満して、ネクロモーフは四肢をもがれた達磨になってゴミ箱にぶち当たった。

 ガランガランと馬鹿みたいに揺れるゴミ箱の傍には、最近流行りのコートらしきものを着た四肢の無い肉塊。自分の後ろには人のまま食われて肉を失った骸。自分の前には人を失って自分が殺した四肢亡き骸。自分の進む道を、戻る道すら表している様な前衛的なアートは、人として死ぬか、魔女として死ぬかを迫られているかのよう。

 ―――なんて思って、その場にへたり込んだ。

 

「……なんで、よ。みんな死ぬしかないなんて、どうして、私だけ」

 

 少女の咽び泣く声が路地裏に響く。

 幸か不幸か、彼女の近くに「敵」はいなかった。

 

 

 

 ずるずると身体を引きずり、唯一この町で明かりがついた家へと向かう。

 そこはかつての上条家。上条家はワルプルギス出現予測位置の近くに位置しているため、確実に全壊するというほむらの言葉を受け、魔法少女やアイザック達の全面的な使用を許可していた。そこで、ほむらは自分の家の様に空間をいじくり回した作戦会議場所としてこの家を使わせて貰い、魔法少女達の現在の拠点としても使われているようになる。

 全員が集合するのは今回が初のことであったが、最後に訪れたのはさやかのようだった。彼女は明かりの向こうから聞こえてくるネイティブの英語交じりな愚痴や女子特有の高めの声を耳に拾いながら、その家の扉を開ける。思えば、こうして上条家に訪れたのも久しぶりだと思いながら。

 

「こんばんは! お土産持って来たよー」

「来たわね……って、なるほど。お手柄よお調子者(美樹さやか)

「ふふんっ! ……ん? あれ、ちょっと待って。今お調子者とか言わなかった? ねえ、あたしのことお調子者って言ったよね!?」

「美樹さん、ちょっと静かにしてもらえるかしら。ちょっと、私、調子悪くて」

「あ、マミさん。ネクロモーフと会った、ってトコですか」

「そのようなものね。巴マミのケアはアイザックに任せておくから、とりあえずそこ佐倉杏子(手土産)を持ってこっちのソファに座りなさい」

「はいはい」

 

 さやかは魔法少女の変身を解き、杏子を寝かせてグリーフシードが山積みになっている一角の近くに寄せる。ソウルジェムは回収し、ほむらの方に渡しておいた。

 

「あと少し。一週間後でワルプルギスは現れるわ」

≪ザザ……え…るかい。聞こえるかい、暁美さん≫

「恭介。ってことは無線で連絡とってんだ」

≪わたくしもおりますわ。暁美さんは本当に優秀な指揮官らしくて≫

「情報統制は私がやっているわ。愛しの彼の声が聞けなくて寂しかったかしら?」

「さっきちゃんと街から出る前に会えたから大丈夫」

「そう、それならいいけど」

 

 寝かされた杏子、そしてほむらとさやかの二人に無線越しの恭介と仁美。

 四人を交えた会合が始まった。

 

≪こっちの方でプラズマカッターの仕組みは分かったから、この戦いが終わったら即分解する事を血判押させて研究者にはプラズマ銃によるネクロモーフ対策を施しておいたよ。事態の後には記憶処置も行ってくれるよう父さんがやってくれた≫

≪こちらの被害状況はありませんが、遂に街の外に出ようとしたネクロモーフの姿が確認されておりますわ。10体、試作型のプラズマカッターでも対抗できる事が証明されているようです≫

「そっか。被害は出てる?」

≪さやか、心配しなくても無いから大丈夫だ。それから、これからは戦いになるだろうし無線変わるね。……自衛官さん、どうぞ≫

 

 無線が向こうで切り替わった音がした。

 

≪こちら自衛隊。君が魔法少女の暁美ほむらちゃんで合っているね?≫

「お初にお目にかかるわ。魔法少女の代表として、協力してくれることに感謝します」

≪いや、こちらは君たちじゃなくても倒せる相手しか倒せない。件のスーパーセルについてはどうしようもないんだ。大人のできる事がこれしかないが、これが君たちの助けになるのなら甘んじて請け負う事を誓おうではないか≫

「ありがとうございます。それで、ネクロモーフの状況ですが元凶となる狩人(Hunter)の個体はまだ見つかっていません。一週間以内に人々の残留思念から魔女が4体孵化したのが確認されていますが、それらは全て此方側で討伐しました」

「ネクロモーフも確認したよ。それから、多分行方不明になった難民の中に居ない人だから、殺した張本人のあたしから特徴を伝えておくね」

≪……すまない。美樹さやかちゃんだったね。どうか教えてくれたまえ≫

 

 さやかがしばらくの間、ネクロモーフと化した人間達の残っていた特徴を教えて行く。自衛官の人間はそれらをこんな少女に背負わせてしまっている事に悲痛な感情を覚えずには居られなかったが、ここで弾劾してもその人間達は戻って来ない。そして、彼女自身の心が救われることも無い。

 だから聞き届けた。銃数分に及ぶ特徴の羅列に、37人分の名簿が向こうで書き込まれていく。避難民の中でも行方不明になったのは42人。あと五人、少なくともこの見滝原に取り残されているか、怪物と化しているか、はたまた魔女に喰われたか。

 

「あと5人、ですか」

≪君たちの余裕があったらで構わない。本懐はワルプルギスだったか≫

「分かりました。アイザックがネクロモーフの事態収拾に当たっていますので、またネクロモーフの結界巣が見つかったら報告します」

≪街の外の様子は静かなものだ。風当たりばかりが強いが、応援させていただく≫

「お気持ちだけでも頂いておきます。私たちがいなければ魔女すら生まれる事は無かったので」

≪……すまない≫

 

 最期の最期で、そう言って通信を切ってしまうのは情に厚く実戦経験のない日本の自衛官だったからなのだろう。バリトンボイスが断ち切られた先では通信していた自衛官の男が無力さに嘆いていたのだが、それは彼女達に知らせることでもない。

 

「……何度もごめんなさい。やっと戻って来れたわ」

「このままメンタリストにでも……いや、自分が幻覚を見ているようでは無理、だな」

「お帰りなさい。頭はすっきりしましたかマミさん?」

「いっそのこと脳を洗って貰いたいわ。だったらこんな思いなんてしなくて済んだのに」

「全部終わってからにしてちょうだい」

 

 マミ達がちょうど、その時になって戻ってきた。

 そしてもう一人、この作戦会議に必要不可欠な人物が現れる。

 

「……来たわね」

「え?」

「やあ、みんな。頑張っているようでなによりだよ」

 

 白いふわふわとした尾っぽ、耳から垂れる正体不明の毛に金色のリング。

 全てを見通す紅玉の瞳を持った、猫とウサギを足して2で割ったような生物。

 この地球の管理者インキュベーターが一体、キュゥべえそのものであった。

 

「……!?」

「コイツとは協力関係にあるわ。地球の存続はインキュベーター側からしても利点だから、と言う理由でね」

「やっぱり、そう言う理由なのねキュゥべえ」

「当たり前だよマミ。それよりさやか、その表情はなにかな? 感情が理解できない僕としては、そんな微妙な表情をされても感情の色すら読み取れないのだけど」

「……うーん。その、ね? アンタがいなけりゃどうにかなってたのは真実だけど、アンタがいないと駄目っていう現状に納得してる自分が不可思議と言うか」

「俗に言う、恋のキューピットという役割を果たしたから、という予測を立てさせてもらうよ。人間の行動理念を当て嵌めるとこの一例が君には相応しい」

「そうかも、しれないなぁ……うん。やっぱワケ分かんないなぁ、キュゥべえって」

 

 もとより地球外生命体と会話が交わせているだけでも軌跡に等しい。地球と同じか、もしくは同じ文明を誇っていても言語形態の違いは普通ならば解消できないはずなのだから。どちらにせよ、関係無しに襲ってくるネクロモーフや月の兄弟どもよりは遥かにマシな部類とも言えよう。インキュベーターがマシ、というだけ地球が切羽詰まっているのも心苦しいものである。

 

「さあ雑談はここまでにしよう。有限の時間は有意義に使わなければならないんだからね」

「あなたに言われるまでも無いわ。じゃあ、ワルプルギスの作戦会議を始める前に佐倉杏子、起きているんでしょう? グリーフシードにずっと魔力を吸い取らせていたから例え首が取れていても回復できる筈よ」

「……いや、流石にそれは無理だと思うんだけど?」

「起きてたのっ!?」

「はっ、やっぱ素人だな」

「お、起きてたのね……」

「マミさんってベテランじゃなかったっけ?」

「いいじゃない! わ、分かるわけ無いわよ! 普通っ」

 

 むくりと起き上がった杏子がふてぶてしくソファーに身体を預ける。彼女とて手元にソウルジェムが無いことから、抵抗は無駄だと心得ているらしい。そればかりでなく、ソウルジェムがあったとしてもずっと変身して睨みを利かせているほむらの姿を見れば、変身と言う一工程を踏んでいる間に抑えつけられるのは目に見えていたのであるが。

 

「美樹さやか、早速お願いね」

「……え? あたしがやんの?」

「何の話だよ?」

「うーん、しょうがないなあ。アイザックさん、キャッチよろしく」

「だから何を」

 

 アイザックが部屋の向こう側に歩いて行ったと思えば、さやかは自分のソウルジェムをアイザックに向かって放り投げる。102メートルほどの距離をとった二人の間をソウルジェムが放物線を描いて飛んで行き、アイザックがそれを受け止めた瞬間にさやかの身体はその場に崩れ落ちた。近くにいた杏子が思わずさやかの肉体を支えるが、マミはその様子を見て御愁傷さまと言わんばかりの視線を投げかけている事には気付かなかった。

 

「は、いきなり何してんだ?」

「…………」

「おい、起きろって!」

「無駄よ佐倉さん。だって今、美樹さんは死んでるもの」

「マミ? 死んでるって、おまえ何を言って―――?」

 

 ようやく気付いた。

 アイザックはさっさと身体に戻してやりたいと眉を潜ませているが、杏子がそれを自覚するまではさやかのソウルジェムを圏内に戻すことは許されない。そう言うほむらの指示で在り、説得方法であるからだ。なんとも胸糞の悪い方法だが、マミが真実を知った時もこれで平静を保つ事ができた。なら、ここは一番杏子と接点のあるさやかが検証した方が信憑性も増すと言うものだ。あくまで希望、ではあるが。

 

「どう言う事だよ、おい」

 

 どんどん冷たくなっていくさやかの肉体。開けっぱなしの目は瞳孔が開き切っていて、心臓の音も血液が流れる鼓動すら感じられない。息をするための肺はこの数分の間ずっと止まっていて、まるでビデオの一時停止を見ている様な不気味な雰囲気がある。

 死体を、抱きとめている。

 その事実を知った瞬間、杏子は薄気味の悪さにソファへさやかの肉体を取り落とした。ぼすん、と少しだけ揺れるソファー。何も動かないだらりと下がったさやかの腕。その様子を見守っていたアイザックはほむらからサインを受け取り、マミは口を開く。

 

「佐倉さん、アイザックの方に行ったソウルジェムを見てなさい」

 

 言葉に反応し、杏子は無言のままに未知の鎧に身を包んだ男を見る。

 アイザックがソウルジェムを投げた。マミの手に向かって投げられて、100メートル圏内にソウルジェムが戻った瞬間さやかが起き上がる。止まっていた心臓を動かす為、思いっきり息を吸い込んでは吐き出して、咽ながらその場から蘇ったゾンビの様な動作に杏子の視線は再びさやかに注がれる。

 信じられない様なものを見る彼女の反応に、さやかは悪役張りの笑みを浮かべた。瞼の筋肉が引き攣り、見開いた眼球が飛び出るように杏子を縛り付ける。自分と同じ人が、魔法少女が、そんな訳の分からない現象によって死んでいて、生き返って、でもあの時も、刺した筈なのにこの女は生きていて……?

 

「あ、な、なんだよオマエら……?」

「これが私たちの真実なのよ」

「死んだって、そんなワケ。だってコイツは今動いて」

「貴女にできるかって? ええ、出来るわ。だって魔法少女はソウルジェムが本体」

「だったら、アタシの体は」

「ソウルジェムさえ無事なら、頭を失っても生きていられるわ。あなたの体は美樹さやかの手によって、一度内臓がズタズタにされた。でもショック死はしなかったでしょう? その怪我も、痛みすらグリーフシードのおかげで治ってる」

「……あ、アタシも一緒だって言うのかよ!?」

 

 信じられない。信じたくは無い。

 キュゥべえが真実を必ず言う事は知っていた。だから、助けを求めた。

 でもキュゥべえは、その手を取った。顔の表情一つ動かさずに。

 

「変わらないさ。魔法少女は皆、僕たちがそういう風に作ったんだからね」

 

 佐倉杏子の常識は終わりを告げる。

 

 

 

 

「やり過ぎた感があるけど……いいの?」

「いいのよ。二日も誰かが掛かりきりになれば元には戻るし、キュゥべえと巴マミが昔のよしみと言う事でついてくれている。インキュベーター側もこの問題ばかりはまどかの契約に頼る意味も無いと言っていたし、なによりキュゥべえが言ったのだから裏は無い筈よ」

「本当に真実しか言わないもんね、アイツら。こっちとしては分かりやすいからいいけど、人間としてみたら絶対に受け入れられないよねえ」

 

 ふぅ、と一息ついたさやかは見滝原の制服ではなく、動きやすい私服に着替えていた。近くにあった洋服店から盗んできたものだが、在庫の処理も時間が間に合わずコンビニなどにも売れ残りは多い。魔法少女一同はそうした場所から食料品や衣類を拝借し、実質このゴーストタウンを満喫しているようだった。

 唐突にアイザックがヘルメットを構築し、すっと立ち上がってプラズマカッターに弾を込めた。明るめのライトを増設したそれを手に、薄暗い街へ向かう準備を進めていたようだ。

 

「……アケミ、少し見回ってくる」

「アイザックさん、それならあたしも行きます」

「分かったわ。佐倉杏子が戦線復帰できるようになったら連絡する。……ええと、いつも通り携帯の方で良いのよね?」

「ああ。万が一を考えてミキも持っておくといい。ショートカットコールなら面倒を挟む必要もほとんどない」

「分かった。転校生…っていうのももう変だよね。ほむら(・・・)、ひとつ頂戴」

「一応全員分は確保してあるわ。持って行きなさい」

 

 簡易携帯をほむらから受け取り、さやかはサンキュと其れを持った手を掲げる。

 電波事態はまだ生きているから決して無駄では無い。

 アイザックとさやかはHunter発見のため、曇天に見舞われた見滝原へと繰り出した。

 

「……行った、わね」

 

 ふぅ、と考えなければならない件が多すぎることに息を漏らすほむら。ちょうどその時、キュゥべえとの交代で杏子がうずくまっている部屋から出てきたマミが、額に一筋の汗を掻きながら出てきた。

 

「暁美さん、紅茶でも一杯どう?」

「そうね、いただくわ」

「あら珍しいわね。素直に私の好意に応えてくれるなんて初めてじゃない?」

「……ここまでの展開が既に、初めてだらけで不安なのよ」

「ふーん…? 初めてねえ」

 

 こぽぽぽ……。湯気を上げる紅茶が注がれていく。

 上条家の最高級クラスの茶葉をふんだんに使った、紅茶の名人とまでは行かずとも素人としては良い腕をしたマミ。美しい琥珀色の液体を清潔な白いロイヤリティ溢れるカップに注いだ彼女は、ほむらと自分の分を含めてトレーにのせ、砂糖とミルクを二つずつ乗せた。

 香ばしさは紅茶のなんたるかを全く知らないほむらの鼻孔をくすぐり、魔法少女の体にはほとんど必要ない筈の喉の渇きを訴えさせる。

 

「お待ちどうさま。テンプレートを踏襲してダージリンなんて淹れさせてもらったわ」

「紅茶の柄は良く分からないんだけど……」

「良いから飲んでみなさい。実は私も飲むの久しぶりで、ちょっと楽しみなのよね」

 

 マミが優雅にティーを口元に運ぶ姿はとても様になっている。

 いつも撒かれている金色の髪は一つに下ろされ、マミ自身は一度完全な休憩を取ろうとしていたためか、清楚な見た目の私服はこの上流階級の家の雰囲気に似合わない自分とは大違いだ。

 恐る恐る、ほむらは紅茶のカップを手にとって一口。熱さはあったが、それ以上に全身に澄み渡るような香りが一緒に流れ込んできて、普通の御茶とは全く違う特有の味が舌の上に転がる。口の中に溜めず、すっと飲み下して一度カップから口を離す。自分の何かが温まって、思わず「ほぅ」と吐息がもれた。

 

「お気に召したようでなによりだわ。イメージは大切にしないとね」

「あなたの場合、イメージに頼り過ぎている気もしないでもないわ」

「毒舌ねえ。それより、私の事は名前か、この前みたいに巴先輩って呼んでみない? ちょっと気に入っちゃって」

「……それであなたの士気が上がるなら、私からはそう呼ばせて貰うわ。巴先輩」

「うんっ、良い感じね!」

 

 にっこりと、しかし微笑の域を出ない不思議な温かさがマミの表情から読み取れた。

 思わず同じ女性でも見惚れてしまうほどの笑みに、ほむらはまた彼女が失われてしまう事があれば、と心を痛ませる。別段、これまでのループで仲間になった魔法少女を見捨てた時、心が痛まなかったわけではないのだ。まったく同じ顔、まったく同じ人物の死を、ここまで背負ってきたに過ぎない。

 背負って引きずって、少しは擦り減って欲しいものだとは思う。だが、この重さに慣れてしまうと言う事はつまり、自分がまどかを救うべき人間ではなくなってしまうと言う事でもあるのかもしれないと。そう気付いたのは何巡目だったろうか。

 

「いい加減、私に話してくれないかしら」

「詮索はもう止めると、そう言ったのはそっちだった気がするのだけど」

「最期の闘い。死ぬかもしれないまさに人類を代表した戦争みたいなものでしょ? 最期の最期まで、しこりを残していたら戦いきれないと言うか、後悔するかもしれないから」

「……ネクロモーフの恐怖すら、拭えていないのに」

「っ!」

 

 マミの目は大きく見開かれる。

 何もかも見通されていると知って、観念したように彼女は首を振った。

 

「……そう。だからこそ、些細な事も大きなことも。全部聞いておきたいのは駄目なのかしら。私は初めてネクロモーフをバラバラにした時、あの化け物に食べられてまるで魚の開きみたいになった死体を投げつけられたわ。そしたら、パニックになって、訳も分からないうちに悲鳴と一緒に撃っていた。目の前にあったのよ!? あの、人間の面影が残っているのに、化け物でしか無かった、あの肉の塊みたいな顔が! ……それが、怖かった。面影が残っていたから、魔女なんてものじゃないの。人間を殺したって、そう思って何度も何度も、吐きそうになった」

「それは人間として正しい反応よ。だれも責めたりしないし、それが当たり前だわ。囃し立てる馬鹿がいるとしたら、実際に人間に似た何かすら殺した事のない野次馬か、シリアルキラーくらいのものよ」

「…ありがとう。慰めだって分かっていても、その言葉は素直に嬉しいって思うわ」

「素直に、ね。……こちらは何も言ってないのに、不公平な事もあったものね」

 

 其れを言ってしまえば、キュゥべえはその極みであるとマミは無理な笑みを浮かべた。

 儚げで、消えてしまいそうな。次に控える戦いが死に場所である事を悟ってしまった様な、それでも恐怖に怯えた笑顔。目の淵から流れ出る涙は、彼女の心を表していたのかもしれない。

 

「お願い。あなたの隠している事がどんなに辛いことでも、私はそれを聞きたいの。私は、いま、話したら少しだけ軽くなったけど……もしかしたらあなたは、私なんかよりずっと深く傷ついている」

「……」

「誰にも話さない。墓にまで持って行くと誓うわ。あなたとアイザックさんが何度も私を励ましてくれたように、私もあなたの力になりたいの。単純な戦力だけじゃなくて、あなたをほんの少しでも支えられるような―――そんな、力に」

「それが、あなたの祈りなのね」

「そうよ。契約した時、自分だけでも助かりたいと思った利己的な私。そんな私ができる、唯一の償い。いま、ここで暁美さんと話してそう思ったわ」

「……それがあなたの欠点よ、巴先輩」

「知ってるわよ。誰もかれもが心を開いてくれる訳じゃないのは、嫌ってほど」

「でも、それこそがあなたにしかできない事かも知れないわね」

 

 自分にしかできない事、という響きは甘い。マミはその言葉を吟味して、それで満足しそうになってしまう。だが、そこで彼女は踏みとどまった。

 視線はほむらに向けられる。真摯な鳶色の目がほむらの深淵の様な瞳を見つめ続ける。折れたように、ほむらは息を吐き出した。

 




そろそろ、ワルプルギス戦に至るまでの1週間による章が始まります。
出会いの市章 共闘の似章 真実の酸章
そして、混沌と悲壮なる第死章

もう少しだけ、お付き合いくださいませ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。