Illusional Space   作:ジベた

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46 兎の抱える鬼胎 【後編】

 しとしとと雨が降っていた。6階にある病室の窓から見える景色はどんよりとした曇り空。昼だというのに暗い印象が拭えない。夏の雨と違い、肌に張り付くような湿気がないのでそれほど不快ではないが、やはりどことなく気分が陰鬱になってしまいがちである。

 

「シズネはヤイバが好きなの?」

 

 病室内にある一つだけのベッドの脇で外の天気など関係ないと言わんばかりにニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべている少女、ゼノヴィアは好奇心で輝いている金色の瞳を静寐に向けている。永く眠りに就いていた彼女は実年齢である18歳と比較して精神が幼く、最近になって色恋沙汰に興味を持った。彼女にとって一番の女友達である静寐は格好の詮索対象なのである。

 

「大好きですよ。ナナちゃんと同じくらいに」

 

 しかしながら静寐は恥ずかしがったりせずに淡々と返事をする。その淡泊さはゼノヴィアの想像と食い違っている。だからこそより疑問が深まった。

 

「一緒にいたいって思わないの?」

「思うに決まってます。でもね、ゼノヴィアちゃん。私が本当に望んでいるのは今だけヤイバくんが近くにいてくれることよりも、後でナナちゃんと3人で笑っていられることなんです」

 

 やせ我慢の類ではない。静寐の目は前を見据えていて、言葉通りの未来がやってくるのだと確信しているかのようにゼノヴィアには見えた。

 

「シズネは強いなぁ……私は数馬が居てくれないと不安で仕方ないのに」

 

 ゼノヴィアは褒めたつもりだった。しかし静寐の顔は逆に暗くなる。

 

「強くないですよ。このままナナちゃんとヤイバくんに会えないなんてことになったら寂しくて死んじゃいますから」

「そんなに思い詰めた顔で言わないで! 本気で死んじゃいそうに見えるから!」

 

 慌ててゼノヴィアが大声を出すと、静寐はクスクスと笑い出す。

 

「冗談ですよ。今の私は昔のように受け入れるだけの私ではありません。もっとアグレッシブにいこうと思ってます」

「具体的には?」

 

 アグレッシブ。つまりは積極的。ようやくゼノヴィアの望む恋愛話(コイバナ)に進むことが期待され、金色の瞳に輝きが蘇った。

 

「顔が見えたら即座に落とす勢いで挑みます! ビルの屋上から獲物を狙うスナイパーのように!」

「それって結局待ちになっちゃってるよ、シズネっ! 割と受け身だよ!」

「そこに気づくなんて、ゼノヴィアちゃんは天才ですか……」

「言い回しが変なだけで、シズネってば奥手さんなだけだね」

 

 唐突で冷静な一言は静寐の鈍感マインドすらも揺らした。流石の静寐でも、見た目が子供なゼノヴィアに呆れた顔をされてしまっては平常心を保てない。

 

「いえ、私はヤイバくんとどうこうなりたいよりも、ナナちゃんが無事に帰ってくることの方が大事なので、ヤイバくんの邪魔をするわけにはいかないのでして――」

 

 次第に静寐の口数が増え、ところどころ声が裏返っている。呆れた顔を崩さぬままのゼノヴィアだったが、内心では普段と違う静寐を見られてホッコリしていた。

 

「やっぱり男の子は格好良くあってほしいもんね。シズネの気持ち、よくわかるよ」

 

 今日のところはとりあえず満足した。ゼノヴィアは静寐に微笑みかけると腕時計を見ながら立ち上がる。

 

「じゃあ、そろそろ帰らないと。数馬が心配するから」

「うん。ありがとう、ゼノヴィアちゃん。また来てね?」

「もちろん。ラウラが帰ってこないとシズネしか話し相手いないし」

「私が言うのもなんですけど、もっとお友達を作った方が楽しいですよ?」

「ムッ……わかった。次は友達を連れてくる」

 

 最後の静寐の一言を煽りとして受け取ったゼノヴィアは対抗意識を燃やして病室を去っていった。

 見送った静寐はしばらくバツが悪そうに頬を掻いていた。確実にゼノヴィアが離れたとわかるまで困ったような顔をし続ける。その間中、ずっと右手は布団の中にあった。

 足音が遠くなっていき、近づく音も無くなったところで布団の中に隠していたあるものを取り出す。

 

「では宣言通り、アグレッシブに動くとしましょうか」

 

 静寐が取り出したものはコンシューマー版のISVS。値段の張るものであったが、静寐は歩けない自分がISVSをするために母親にねだった。心配と迷惑をかけた上に我が儘まで言ってしまって母親には申し訳なく感じている。だがそれ以上に『自分も何か力になりたい』という欲求が勝っていた。

 静寐はベッドに仰向けとなり、イスカを胸の上に置く。正規の起動手順の後、彼女はプレイヤーとして再びISVSの地を踏むこととなる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラウラを黒ウサギ隊の人に任せて、遺跡(レガシー)の奥へと進む。その道中にゴーレムを始めとする敵は全くなく、静かすぎて不気味な雰囲気を醸し出している。

 もう奥に敵はいないのか。ラピスに通信がつながらないからこの場で確認しようがない。にもかかわらず、漠然とこの奥には何かがあるのだと俺の直感が告げてきていた。

 

「俺、あの頃よりも強くなれてるのか……?」

 

 この先にナナにつながる手がかりがあるかもしれない。そう思うと同時にふと先ほどの戦闘の光景が蘇った。

 VTシステムが再現した千冬姉は正しく千冬姉そのものだった。寸分の狂いもなく、俺の知ってる行動をしてきた。再現性が高かったからこそ今回は全く負ける気がしなかったけど、小学生だった当時はあの千冬姉に手も足も出なかった。

 昔は何度やっても千冬姉に勝てなくてムキになっていた。子供ながらに必死になって千冬姉の動きや癖を観察して、たとえ1回だけでもいいから勝ちたかった。

 束さんに無理を言って剣を教えてもらったこともあった。必死だったのはよく覚えてる。俺の我流の剣術はあまりにも不格好で束さんに笑われたっけ。結局のところ、完成した剣術は束さんの我流に近かったように思う。

 とにかく何でもいいから俺は千冬姉に勝ちたかったんだ。だけど、勝ってどうしたかったんだろう?

 答えはすぐに出てきた。

 

「そういえば俺、千冬姉に勝ったことを箒に自慢したかったんだっけ」

 

 気づけば難しいことなんてなかった。俺が執着していたのは千冬姉じゃなくて箒の方。昔から俺はそこだけは変わってないんだと思うと口が勝手に笑ってしまう。

 

「箒。偽物だけど、あの頃の千冬姉には勝てるようになったぞ、俺」

 

 また一つ、箒に言いたいことが増えた。

 

 そうして昔の思い出に浸りつつ飛んでいると、前方から若干の物音が聞こえてきた。戦闘音にしては金属のような甲高い音ではなく、硬い印象がない。もっと柔らかい――そう、生身での喧嘩のような鈍い音がしてくる。

 脳裏に過ぎったのはナナが何者かに痛めつけられている光景だった。

 気がついたときにはもう体が勝手にイグニッションブーストを使って前に前にと突き進んでいる。目的地に到着するのは一瞬だった。

 やや薄暗い通路から明るく開けた空間へ。最奥と思われる部屋には先客が2人確認できる。フードを目深に被った男が倒れている女性を足蹴にしている。事情を知らなくても虫酸が走るのに十分だった。

 

「そこで何をして――」

 

 とりあえず倒れている女性がナナでないことは見て取れた。だから俺は冷静でいられ、そのまま慣れない正義感を発揮してフードの男に雪片弐型の切っ先を向ける。

 でも最後まで言い切ることなく、俺は目を丸くせざるを得なかった。

 倒れている女性は知らない人なんかじゃない。

 

「イーリス・コーリング!?」

 

 既に意識が飛んでいて、現実への帰還すら許されないままサンドバックにされている女性はアメリカ代表のイーリスだった。

 俺は雪片弐型をフードの男の方に向けたまま、反射的に一歩後ずさる。

 

「織斑の血の本能か、それとも篠ノ之柳韻の教えによるものか。どっちでもかまわねーけど、その反応は正解だぜ、織斑一夏」

 

 フードの男はイーリスを踏みつけるのをやめた。男はそっぽを向いたまま、俺の現実での名前を呼んできている。

 

 エアハルトは俺の正体を知ってもずっとヤイバと呼んできた。

 戦えなくなったプレイヤーを痛めつけているコイツは十中八九、敵である。

 この2点だけでわかる。目の前の敵はエアハルトの配下ではない。そして、状況的に今回のレガシー襲撃の主犯格と考えられる。

 

「ナナはどこにいる!」

 

 ナナの行方と無関係だなどと思えなかった。返事など期待できず、ダメで元々、感情的に叫んだだけ。

 だが意外なことに反応がある。男は肩を小刻みに上下させるようにして笑っていた。

 

「わかりやすいねえ。全体のことなんて気にせず、己の欲に従って突き進む。オレ様はそういうの嫌いじゃないぜ!」

 

 ようやく男は俺の方へと振り向いた。フードの中から覗く顔は全く見覚えのないものではない。つり上がった細目が特徴的なやや青白い顔。知り合いというわけでなく、楯無さんが要注意人物として情報を寄越してきた顔である。

 

「平石ハバヤ……」

 

 聞いただけの話だが、俺と数馬が戦うように仕向けた元凶らしい。ナナとラウラがエアハルトにさらわれたのも、この男がいたからこそ。

 ――この男さえいなければ、ナナがいなくなることもなかったかもしれない。

 

「睨むなっての、織斑少年。()を通す人間が一人いれば、いずれ争いは起こるものだろ? テメエと数馬が戦ったのは単なる必然に過ぎねえ」

「もう一度聞く。ナナはどこだ?」

 

 過ぎ去ったことはこの際、どうでもいい。

 ナナさえ取り戻せれば、今はそれでいいんだ。

 

「オレ様が知ってると確信してるのか、当てずっぽうなのかは知らねえが、まあ知らねーこともねーな」

 

 はぐらかされるかと思っていたが意外なことにハバヤはナナの行き先を知っていると仄めかしてきた。

 ニヤニヤと笑みを崩さないヘラヘラした態度が癪に障るけど、今はコイツから情報を引き出すのが得策。

 

「ナナをどうするつもりだ! アイツを連れ去って何をしようっていうんだ!」

「そりゃ美少女をさらったらすることは一つだろ?」

 

 考える余裕すらなかった。自分を抑えるなんてとても無理だ。

 気づいたときには俺の体が奴の傍に移動してて、雪片弐型を振り下ろした後。

 ……手応えはない。

 

「悪い悪い。今の冗談はお子様にはきつかった。残念ながら、あの娘を捕らえているのはオレ様じゃないし、オレ様があの娘に近づくことは保護者に固く禁じられてんだよ」

 

 俺が斬ったものは幻。これが楯無さんから聞かされていた平石ハバヤの単一仕様能力“虚言狂騒”の力か。

 幻が消えたと同時に視界の右端にハバヤの姿が見える。だけど今度は考えなしに飛び込もうとは思わない。

 見えない相手と戦うのとはわけが違う。下手に情報が与えられる分、実像を探すのは難しい。ラピスの力を借りなければまともに戦えない相手だろう。

 

「さてと。織斑少年と話ができそうだし、邪魔者は排除しとくとすっか」

 

 どう戦うべきか。悩んでいる間に、ハバヤは傍らで倒れているイーリスの首を掴んで持ち上げる。

 このまま放置してはまずい。そう認識するよりも早く、ハバヤの手の中でイーリスの体が光となって消えてしまった。

 これが意味するところを俺は知っている。なのに、俺はハバヤに斬りかかることができず、黙って見ていることしかできない。

 イルミナントに掴みあげられたリンの姿がフラッシュバックする。足が……動かない。

 

「勿体ぶっててもしょうがねえから、ハバヤお兄さんが織斑少年のためにとっておきの情報を授けてやろう。耳の穴をかっぽじってよく聞けよ?」

 

 俺は平石ハバヤという敵の情報を知っている。強力な単一仕様能力を保有しているが直接的な戦闘力が低いのだと、ハバヤを倒したことのある数馬もそう言っていた。

 だけどおかしい。もしそうなら、さっき俺の前にあった光景は何だ?

 イーリス・コーリングの強さは俺が身を以て知っている。幻を使うだけで倒せるほど、国家代表は甘くないのに……ハバヤはイーリスを倒した。

 イーリスが倒されていたのはハバヤが俺に見せている幻という可能性もある。だけどイーリスというチョイスが幻ではないと俺に思わせた。俺を萎縮させたいだけなら、ブリュンヒルデの方が効果的に決まってるからだ。

 

「テメエが会いたがってる文月ナナがいるのはあっちだ」

 

 考え事をしててもナナに関することは聞き逃さない。ハバヤの指さす先を見逃すまいと食い入るように見つめていると、奴の指は真上を向く。

 天国? 冗談じゃない。死んだなんて認めるわけにはいかない。

 だからこれを前向きに受け取ると答えが一つ出てくる。

 

「宇宙……」

「ご名答。ISは宇宙用に造られた癖にISVSでも未だ宇宙に進出していない。だからISVSプレイヤーは宇宙というフィールドに目を向けていない。全く以て視野が狭いことこの上ないぜ」

 

 俺の答えをハバヤは機嫌良さそうに肯定してきた。嘘を得意とするというこの男の発言をどこまで信用すべきかは判断が難しい。だけど情報が少ない中、今まで全く調べていなかった場所を示された俺は敵の言葉に希望を抱いてしまっていた。

 

「残念だったな、織斑少年。ここにナナはいなく、オレ様を倒したところでナナは帰ってこない」

 

 無理にハバヤと戦う必要はないのではないか。俺がすべきは――箒の情報を持ち帰り、宇宙での捜索を開始すること。もしハバヤと戦って負けてしまえばそれで全てが終わってしまう。

 だからこの場は戦わなくていい。

 

 ――そう考えた結果、安堵を覚えている自分に気がついた。

 俺が勝てなかったヴァルキリーをもハバヤは無傷で倒した。奴はIllと同じ存在にもなっている。負けたときのことを考えてしまい、振り払ったはずの恐怖が蘇ってくる。

 

「まだ答えを聞いてないぞ!」

 

 俺は雪片弐型を床に向けて振り下ろす。体にまとわりついてくる恐れを強引に斬り払った。

 気持ちで負けるな。敵に言われるがままでいてしまえば、イルミナントに負けた頃の俺に逆戻り。数馬に負けて、マドカに喰われたときと変わらない。どんな絶望的な状況でも、それでも前に進むと俺は決めたはずだ!

 

「お前たちはナナをどうするつもりだ!」

 

 さっきハバヤは『ナナに近づくことを禁止されている』と言った。つまり、ハバヤに対して指示を下す黒幕が他にいる。だったらこの場でハバヤから黒幕の正体を聞かなくてはナナに近づけない。

 もはや俺たちと対立する敵がエアハルト以外に存在するのは確定している。その敵がナナを連れ去った以上、ナナを助け出すには戦うほかない。

 まずは情報を手に入れることが先決。お喋りなハバヤからさらに情報を引き出そうとして俺は質問を重ねた。

 だけど返事は正面からでなく後ろからやってきた。

 

「どうもしないよ、いっくん。箒ちゃんは在るべき場所に在るだけだからね」

 

 俺は目を見開いた。しばらく聞いてなかった声音。知らないわけじゃないどころか親しい人のもの。ISVSに入る度に世界が楽しいか問いかけてきていた声の主はあの人しかいない。

 振り返って正面から見る。ISを装着せず、以前にも見たことがある不思議の国のアリスをモチーフにした衣装でふんぞり返っているのは間違いなく篠ノ之束その人だ。

 ……もう姿を見せないと言っていたはずの束さんなんだ。

 

「束さん……何を言ってるんだ?」

 

 俺はハバヤたちに質問しているのであって、束さんは関係ない。

 というか、どうしてここに束さんが居る?

 まだこうして話すことができるのに俺のところに来てくれなかったのは何故なんだ?

 

「おや、お早いお着きで。既に準備は完了していますので、奥へとどうぞ」

 

 ハバヤが束さんに話しかける。知らない人間に声をかけられたところで束さんがまともに反応するはずがない。だというのに――

 

「ご苦労。それじゃあ、ちゃっちゃと作業を終わらせちゃうよ」

 

 俺の脇を通過していった束さんがハバヤに案内されるまま奥へと歩いていく。

 俺の疑問よりもハバヤへの返答を優先した。

 

「どうしてだよ……」

 

 束さんは俺が生まれた頃からずっと亡国機業と敵対していた。

 俺がISVSを始めてからずっとナナを助ける手伝いをしてくれていた。

 なのにどうして?

 

「どうしてそんな奴と一緒にいるんだよ!?」

 

 ハバヤは亡国機業に居た人間。束さんと相容れないはずなのに、束さんは奴を受け入れている。

 自分の目に映っている光景が信じられない。

 

「そうか! これはお前が見せている幻か!」

 

 そういえばと思い至る。ハバヤはISに対して自分が思うままの幻を見せることができる。だから俺が見ている束さんはハバヤが見せている嘘なんだ。

 

「織斑少年にアドバイスだ。オレ様の虚言狂騒はISにしか効かない」

 

 ハバヤが言っていることは本当だと俺は知っている。楯無さんから聞いた情報で、虚さんが実証したことらしい。楯無さんが俺に嘘をつく理由がないから、俺はISを解除すれば幻を見ずにすむ。

 だから俺は白式を一度解除することにした。

 

「は……ははは……」

 

 乾いた笑いが漏れる。笑わずにはいられなかった。

 虚言狂騒がなくても、ハバヤの傍らに束さんの姿がある。

 ハバヤが見せている幻じゃない。

 

「……ねえ、いっくん。今の世界は楽しい?」

 

 束さんは俺に背を向けたまま、いつもの問いかけをしてきた。

 よく知ってる背中。でもその表側で顔がどうなってるのか俺にはわからない。

 俺はよく考えないまま、思ってるままのことを口にする。

 

「箒さえ帰ってくれば楽しいと思います」

「そっか……じゃあ、質問を変えようか」

 

 どことなく束さんの声が寂しげに変わった。その理由は俺が今まで考えもしてこなかったこと。

 

 

「束さんのいない世界は楽しい?」

 

 

 何も言葉を返せなかった。

 だって箒が戻ればそれでいいと俺は言った。現実ではもう束さんが死んでいることを知りながら、箒さえいれば楽しい世界がやってくるのだと、他ならぬ束さんに宣言してしまったんだ。

 束さんの問いかけは俺と束さんが決裂することを意味してしまっている。

 これ以上言葉を交わしてしまえば束さんとの溝がもっと大きくなるとしか思えなかった。

 

 俺が黙り込んでいると束さんは無言のまま奥へと消えていく。その背中を目で追っていると、視線を割るようにハバヤが立ちふさがってきた。

 

「……真実ってのはいつだって容赦がない。厳しさが全てってわけでもないが、望む望まざるにかかわらずオレ様たちの前に現れる。テメエもまた幾度となく現実とぶつかってきたはずだ」

「何が言いたい?」

 

 ハバヤは何故か俺に攻撃を仕掛けてこない。イーリスを圧倒した戦闘能力なら俺を倒すくらいわけないのに。

 何が狙いだ? 束さんの指示なのか?

 少なくともハバヤと束さんにつながりがないだなんて全く思えなくなった。

 

「現実逃避という名の虚構世界に逃げ込むなら今の内だってことだ。ISVSは現実逃避する場所にしてはやたらと現実を押しつけてきやがるからな」

「俺に戦うなって言いたいのか?」

「選ぶのはテメエだ。オレ様が篠ノ之束の配下にいるのが気に食わないなら今すぐかかってきても構わないぜ?」

 

 ハッタリでもなんでもなく、ハバヤが自信に満ちあふれているのはわかる。

 俺の直感もイルミナントのときよりも危険だと告げている。

 束さんの真意を確かめなきゃいけないけど、俺が束さんを追いかけるには立ちはだかるハバヤを倒す必要がある。

 選ぶのは俺。

 

「俺はナナを……箒を助けたい」

 

 雪片弐型を構える。切っ先を向ける先にはフードを被った男、ハバヤ。奴の周囲にはエアハルトが使っていたものと同じ黒い霧が渦巻いていて、俺の腕が斬り飛ばされたときの激痛を思い出してしまう。

 体は正直だ。雪片弐型を握っている手の感覚がほとんどない。ちゃんと握れているのかも怪しい。カタカタと音でもなっていそうだ。

 それでも前に進まないと解決しない。逃げてはダメだと言い聞かせる。目の前にナナの手がかりが転がっているのを見逃していて、いつナナを助け出せるというのか。

 

 こういう挫けそうなとき、俺はどう切り抜けてきただろうか。

 そうだ。俺には自分を奮い立たせる魔法の言葉があったはずだ。

 たしか内容は――

 

「くそっ!」

 

 俺は即座に後ろに向かってイグニッションブースト。突っ立ったまま動かないハバヤの姿が急速に遠ざかっていく。

 結局、来た道を戻ることを選んだ。その理由は簡単だ。

 

 彼女(ラピス)が見てくれてない。

 だから今の俺は無敵の刃なんかじゃない。

 

 何度も失敗してきた。

 そのときは決まって自分だけでどうにかしようとしてきたとき。

 イルミナントのときも数馬のときも俺の過信と焦燥に原因がある。

 ここでハバヤに挑むのは絶対に間違いだと言い切ってやる。

 

 何もなかったとは思わない。少なくとも情報は得られた。

 ナナは消えたのでなくさらわれた。信じたくないけどおそらくは束さんに。

 そしてナナは宇宙にいる可能性がある。

 

 まだ終わってない。まだ俺は箒を助け出せる。だから今は逃げるのが正解なんだ。

 

「ごめん、箒……」

 

 だけどいくら自分に言い聞かせても、悔しさだけは晴れなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 結果的に亡国機業を壊滅寸前にまで追いやった銀髪の男性プレイヤー、ヤイバ。ハバヤが直接彼と対峙したのは初めてのことであり、ハバヤは戦わずして勝利した。逃げていくヤイバをハバヤは追いかける素振りすらせずに見送る。

 

「低レベルとは言え、煽ってやったのに逃げる選択をした。ムカつくくらい正しい選択をしたぜ、織斑一夏」

 

 ムカつくだなどと口に出しているが顔は醜悪な笑みで歪んでいる。概ね満足そうである。

 

「もしもだ。もしもう一度イノシシみてーに飛びかかってきていたとしたら、テメエを生かしとく価値はなくなってたんだが……それなりに強かで安心した」

 

 狭い部屋に反響した独り言は誰にも届かず消えていく。聞かせたい相手は他ならぬ自分自身なのだから何も問題はない。

 ハバヤはただ現状を確認しているだけだ。己の思い描く未来に沿っているかどうかを。

 

「是非とも、このまま心折れることなく邁進(まいしん)してくれたまえよ、織斑一夏クン。少なくともテメエが何もしなかったとすれば――人間は滅ぶ。オレ様としてはどう転んでも構わないが、最良ではないわな」

 

 再びフードを目深に被り直したハバヤは踵を返して篠ノ之束が向かった先へと歩を進める。

 

「……神様は気に入らない世界を壊そうと考えた。ただ単純に楽しくないが故に。幼稚な癇癪も至極当然。神様はずっと見た目通りのガキのままだったのさ」

 

 彼が歩む先にあるのは誰の希望だというのか。

 あるいは希望など最初からどこにもなかったのかもしれない。

 

「折角見逃してやったんだ。精々、最後まで足掻ききってみせてくれ。テメエは神を討ち倒すための(ヤイバ)なんだからよ」

 

 ハバヤの高笑いが闇の中で響く。先を見通す目を持つ彼にとって、今起きている何もかもが手の平の上での出来事に過ぎなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月27日の夕方。まだ一夏たちがISVSで激戦を繰り広げている頃、珍しい組み合わせの3人が人里離れた山奥へとやってきていた。

 3人の内、案内人という立場である布仏本音。彼女は更識簪経由で依頼されたために二人の人間を更識が管理する特殊な施設へと導いている。

 先頭に続く少年は藍越学園の高校生、御手洗数馬。藍越エンジョイ勢の一員である彼ももちろんISVSに誘われていたのだが今回はパスしている。その理由は、保護者としての同伴が予定としてあったからだ。

 最後の一人。数馬の背中にくっつくようにして歩く小さな少女はゼノヴィア。彼女こそがこのメンバーの主役であり、この場にやってきたのも彼女の願いと更識の思惑が一致したためだった。

 

「さ、もうすぐ着くよ~」

 

 ほぼ初対面であるにもかかわらず、誰に対しても間延びした応対をする本音。しかしそうした言動とは違って意外と歩くのは速く、数馬たちのストレスにはつながっていない。

 本音の言葉通り、木々ばかりだった視界の中に人工的な建造物が見えてきた。建物の周囲はコンクリートの壁で覆われていて、その上には有刺鉄線が張り巡らされている。

 

「なんか、いかにもって感じだな」

 

 数馬に驚きはない。むしろ事前に聞いていた施設の機能にマッチした外観だったからだ。

 感想もそこそこに一行(いっこう)は建物へと入っていく。入り口での手続きは本音の顔パスのみでほぼないも同然。これで大丈夫なのかと数馬は不安を覚えながらついていく。

 

「なあ、本当にここに()()エアハルトがいるのか?」

 

 エアハルト。一夏の前に幾度も立ちはだかった亡国機業の親玉だと数馬も聞いている。本当ならそんな危険人物とゼノヴィアを引き合わせるような真似をしたくなかったのだが、他ならぬゼノヴィアが『会いたい』と言ってしまったので数馬は素直に応じた。

 ゼノヴィアはゼノヴィアなりに前に進もうとしている。それを実感している数馬は彼女を応援こそすれど、妨げにはなりたくないと強く思っている。危険がありそうなら自分がついていって守ればいい。暴力から身を守る力はなくとも、精神的な防壁にくらいはなってやると意気込んでいる。

 そうした数馬の決意とエアハルトの監獄のセキュリティに温度差があるように感じられたのだ。

 

「それがねー、脱走どころか生きる気力すら感じられないんだって」

 

 本音が語るのは囚人の現状。捕まってから一度も口を開いておらず、魂が抜けたような放心状態が続いている。食事にも手を着けておらず、点滴で強制的に生き長らえさせているのだが、このままではすぐに限界がやってくることは想像に難くない。

 重犯罪者なのだから死んでも構わない。そういった声もあるにはあるが、更識としてはこのままエアハルトに死なれては困る。まだIllを巡る事件は解決していなく、事件の中心にいたエアハルトの存在は貴重な手がかりであるのだ。

 

「それで、ゼノヴィアなら話を聞いてくれるかもって思ったわけだ」

 

 亡国機業の基地で見つけた資料にあったゼノヴィア・ヴェーグマンの名前を数馬は忘れていない。遺伝子強化素体の生き残りであったゼノヴィアにヴェーグマンの姓を与えたのはエアハルトであるらしい。何かしらの思い入れがなければ、そのような真似をする必要がない。

 数馬と本音が話している間、ゼノヴィアは終始無言だった。緊張だろうか。不安が表に出ていて、数馬の服の裾をギュッと握っている。

 間もなくエアハルトのいる部屋。未だに数馬の服から手を離さないゼノヴィアの方へ数馬は振り向いた。

 

「怖いなら、ここで帰ってもいいんだよ」

「大丈夫。私は博士と向き合わなきゃいけないの」

 

 即答だった。意志が固いことを見て取った数馬はゼノヴィアの背を押す。

 

「俺はここで待ってる。何かあったら呼んでくれ」

「うん。行ってくる」

 

 ゼノヴィアは数馬の服から手を離し、一人で歩き出した。

 暗闇の奥、金色の目が光っている囚人の牢屋へと。

 扉を開け、一歩踏み込んだ。その瞬間――

 

「生きていたか。まさか人間どもがお前のために貴重なコアを割くとはな」

 

 エアハルトの方から声がかけられた。

 どう声をかけたものか悩んでいたゼノヴィアだったが、向こうから話してくれるのは渡りに船。自分の胸に両手を当てて、誇らしげに返答する。

 

「違うよ。このコアはあの世界の私が作って数馬が与えてくれた。元を辿るとあの世界を私に与えてくれた博士のおかげなの」

 

 完全に想定外の返答だったためか、エアハルトは目を見開いてキョトンとする。

 

「すっかり変わったな。他人を恐れることしか知らなかったお前が他人に感謝をするのか」

「博士も変わったよ。今の博士は怖くないもん」

「怖いのは理解が及ばないからだ。今の私はお前が理解できるレベルの存在になっているだけのこと」

 

 独特な言い回しで自らのことを変わったのだと言うエアハルト。やせ細った顔になっているが、ゼノヴィアから見て活力を失っているようには見えない。

 

「ちゃんとご飯を食べてる?」

「何の話だ?」

「聞いたよ。ここに来てからずっと食事に手を着けてないって」

「だからなんだと言うのだ?」

「そんなんじゃ死んじゃうよ?」

「率先して死のうとは思っていないが、逆に生きる意味もない。織斑一夏の手に掛かって死ぬ方が楽だったとは思うが、このまま餓死するのも敗者の末路としては自然なものだろう」

 

 淡々としたエアハルトの答えを聞いたゼノヴィアは胸を強く押さえた。

 苦しい。その理由を今のゼノヴィアは言葉にできるようになっている。

 

「死んだら嫌だよ、博士」

 

 饒舌だったエアハルトが言葉に詰まって黙り込む。今までのように自らの意志で黙っているのでなく、話したくても言葉に出せなかったのだ。

 

「生きる意味がないと生きられない。だったら、今までの博士が生きる意味は何だったの?」

 

 質問が出された。回答の方向性を示されたことでようやくエアハルトは言葉を発することができるようになる。

 

「私は理想郷を目指していた。我ら遺伝子強化素体が心置きなく過ごすことのできる、そんな理想郷を……」

「知ってる。博士は他の皆にもそう言い続けてたもんね」

 

 “他の皆”とはISVSにしか生が与えられなかった遺伝子強化素体たちのこと。マドカに対してだけは辛辣に接していたが、少なくともエアハルトは彼女らを一度として道具扱いしたことはない。

 

「理想はあくまで理想だった。破れた夢は風に吹かれて消えていくのみ」

「ふーん。もう博士の夢は終わっちゃったの?」

「勝てなかった私に未来はない。こうなってしまえば、私の生涯にすら意味はなかったのだと言えるな」

 

 なぜそのようなことまで淡々と言えてしまうのか。

 ゼノヴィアの右手は考えるよりも速く動き、エアハルトの左頬をひっぱたく。

 

「今日はね……私は博士に伝えたいことがあって来たんだ」

 

 叩いた右手を左手で(さす)りながらゼノヴィアはキッと強くエアハルトを睨みつける。

 

「博士のことを今でも悪者だと思ってるけど、生まれてきちゃダメだったなんて私には思えない……」

 

 まずはエアハルトの発言を否定する。生まれた意味がないと自虐するエアハルトを許すことなどできない。

 

「結果論だって笑われるかもしれないけど、博士のおかげで今の私がある」

 

 少なくともエアハルトが何もしなければゼノヴィアは15年前に死んでいた。エアハルトが足掻いたからこそ、ゼノヴィアはこの場で息ができている。

 当然、結果論だ。だが結果を出すには原因となる何かが必要。原因なくして結果はない。

 

「博士のした何もかもが無駄だったなんてことはなくて――」

 

 言いたいことは、実を言えばたった一言。その一言をゼノヴィアなりに精一杯に飾りたてて贈る。

 

「私の気持ちはありがとうでいっぱいなんだ」

 

 今にも泣きそうだった顔のゼノヴィアは精一杯の笑みをエアハルトに向けた。

 ゼノヴィア・イロジックとしての記憶はエアハルトの悪行を知らせてくる。それでもそれだけがエアハルトの全てでないことをゼノヴィアは知っている。遺伝子強化素体が生きる世界のために粉骨砕身に働いていた背中を忘れたことはない。

 

「また来るね、博士! 今度、友達に博士を紹介したいから、ちゃんとお話してよ!」

 

 言いたいことは言えた。また黙り込んでしまったエアハルトを置いて、ゼノヴィアは足早に立ち去っていく。言うだけ言って満足し、無邪気な笑顔をして数馬の元へと駆けていった。

 残されたエアハルトは天井を見上げる。虚ろな瞳はもう無く、焦点の定まった目が見る先は存在する。

 

「……生き延びれたじゃないか。馬鹿馬鹿しいにも程がある」

 

 ふっ、と小さく小馬鹿にするように自嘲する。人間らしい感情がほぼなかった男の目から大粒の涙が一滴、頬を流れた。

 

「プランナー、イオニアス。私の欲しかった世界は貴方の示した道以外にもあった。もう私に貴方の思想は要らない」

 

 泣きながらもエアハルトは笑ってみせる。遺伝子強化素体の未来のために戦っていた男は敗北こそした。しかし、その手は確かに希望への道を切り開いていた。

 金色の瞳は理想の景色の一部をしかと映したのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月27日の夜。もう今年も残すところ4日。ようやく箒の手がかりを見つけたのはいいけど、次のタイムリミットは刻一刻と近づいてきている。

 

「宇宙……か」

 

 自室のベッドで横になり、天井の模様を目で追いながら呟く。言葉の響きだけでも途方もないイメージばかりが先行する。曖昧でいて巨大な領域を前にした俺は1月3日までの時間の短さばかりを気にしてしまう。

 そもそも、『ナナが宇宙にいる』という情報は『地球上ではない』というだけのことで少しも居場所を絞れていない。捜索範囲で言えばむしろ広がったとも言えるし、今の俺には宇宙での探し方自体に見当がついていない。

 

「いや、それよりも束さんの方が問題か……」

 

 俺の前に現れた敵は束さんとしか思えない。根拠は俺の呼び方。束さんが俺のことを「いっくん」と呼ぶのは平石ハバヤという男も知らないことのはず。

 束さんがナナを連れ去っている。普通なら束さんがナナを保護できたと安心するところなんだけど、平石ハバヤの存在がそれを許さない。束さんが亡国機業とつながっているという考えづらかったはずの最悪の可能性が浮上してしまった。今の俺には束さんの真意が全く掴めない。

 今まで知らなかった束さんの過去を知った俺は束さんのことを全部知った気でいたけど、俺は束さんのことをまだまだ知らないんだ。

 

「今日は千冬姉、帰ってくるかな……?」

 

 年越しまで10日を切った頃からまた千冬姉は家に帰らない日々が続いている。それどころかアーリィさんの話によると海外にまで出て行ってるらしい。例のゴーレム事件がまだ解決してないから仕方ないとはいえ、そろそろ千冬姉と話がしたいところだ。

 などと考えていたときのことだ。もう夜も遅いというのに下の階で足音がしたのに気づく。

 ……チェルシーさんが俺の部屋にまで届くような物音を立てるとは思えない。シャルはラウラの様子を見に行ってて今日は帰ってこないから、ありえるのはセシリアだろうか。

 見に行ってみることにした。ついでにセシリアと話すのも悪くないし。

 

 部屋を出て、階段を下りる。

 すると廊下に凛として仁王立ちしている千冬姉と目が合った。

 

「おかえり。いつ帰ってきたんだよ」

「今、帰ってきたところだ。色々とこちらの話は聞いている」

 

 久しぶりに帰ってきたというのに『ただいま』の一言すら言わないまま、千冬姉は指でチョイチョイと俺についてくるように促してくるとさっさと客間の方へと行ってしまう。大事な話があるということだ。俺の方も聞きたいことがあったから丁度いい。

 客人を招かない客間で姉弟が向かい合うのも久しぶりのことだ。以前に客間をこのように使ったのは鈴の狂言誘拐の直後だったか。要するに家族会議を意味していて、あまりいいイメージがない。

 

「アリーシャから聞いたぞ。よく無事だったな」

 

 向かい合って座った後の第一声は千冬姉。怒声だった以前とは違って口元には笑みが浮かんでいる。

 

「アーリィさんに助けられた。俺だけだったら死んでたかも」

「アイツの風は私と違って護衛向きの能力だからな。おそらくその場にいたのが私だったなら一夏の安全を確保できなかったことだろう」

「謙遜だろ?」

 

 千冬姉の強さは知ってる。だから千冬姉にできないことなんてないとすらも思ってる。だけど謙遜と言った俺の言葉に対して千冬姉は即座に首を横に振った。

 

「私が守れなかった者は多い……」

 

 ここまでの弱音を吐く千冬姉を初めて見た。

 俺が箒の見舞いに行くときに見せる暗い顔とは種類が違う。

 初めてなのにどこかで見たような既視感を覚えているのはきっと俺が毎朝眺めた鏡と似ているからだ。

 

「父さんたちのときは幼くて力を持っていなかった」

 

 俺の記憶にも残ってないような昔。俺と違って自意識が確立できていた千冬姉は父さんたちの死と向き合った。

 

「束のときは傍にいてやれなかった」

 

 今年の年始。もう1年前のことになるが、束さんは亡国機業の親玉である爺さんと相討ちとなって死亡した。千冬姉は全てが終わった後に変わり果てた束さんを抱き抱えた。

 

「もう失敗などしてやらない。何を利用してでもお前を死なせはしない。そう決めた」

 

 これまで俺は自分のことでいっぱいいっぱいで千冬姉が普通に生活してると思ってた。箒のことで苦しんでる俺が変人で、サバサバしてる千冬姉が普通なんだとも思ってた。

 でも千冬姉は千冬姉で抱え込んでるものがある。千冬姉も俺と変わらないんだと思うと、俺は今のまま突き進んでいいんだと安心できた。

 

「ありがとう、千冬姉」

「礼などいい。それよりもお前に聞きたいことがある」

 

 ここまでの話は前置き。本題はこれから。

 

「私がいない間、敵からの接触はあったか?」

 

 先ほどまでの姉としての顔が消え去り、尋問官のような冷徹な視線が俺に突き刺さる。

 しかし問いかけの内容が絶妙に変だ。『敵()接触したか?』でなく『敵()()接触されたか?』と俺に聞く時点で、千冬姉には心当たりがあるんじゃないか。

 

「束さんには会った。けど束さんからの接触とは違う。偶然会っただけだ」

 

 嘘はついてない。俺が自分から飛び込んだ場所に束さんが姿を見せた。束さんと言葉を交わしたけど、束さんが俺に対して何かを求めたわけじゃない。

 過去に束さんが敵である可能性を千冬姉に提言したことがある。そのときは決まって『そんなはずがない』という返事だったけど、今はどうなんだろうか?

 敢えて俺は『敵=束さん』として返答した。千冬姉の反応が見たかった。以前なら鼻で笑われたことだけど、今日の千冬姉は真剣な眼差しのまま変化せず。

 

「……一夏が狙いというわけでもないのか。束の奴、何を企んでいる?」

 

 決定的だ。千冬姉も束さんを敵として見ている。

 こうなったら単刀直入に聞いてもいいだろう。

 

「束さんは敵じゃないんじゃなかったのか?」

「心情としては元々50:50(フィフティー・フィフティー)だった。やるはずがないと思う反面、アイツならやりかねないという危うさがあることも知っている。加えて、敵は短期間の間でゼノヴィア・イロジックの単一仕様能力“想像結晶”をISVS上に再現した疑いがある。そんなことができるのは私の知る限り1人だけだ」

 

 千冬姉が言及しているのは現実でのゴーレム出現の件だ。現実にないはずのISコアで暴れていた無人機はISVSからやってきたという仮説を千冬姉は立てているらしい。

 以前にISVSのみの存在であったはずのゼノヴィアという遺伝子強化素体が自らの単一仕様能力を使って現実にやってきていたことがある。その能力の名前が想像結晶。世界中のIS関係者が欲しがっていた無限の資源、無限の軍事力となりうる力だとセシリアから聞いている。

 千冬姉の仮説が事実なら敵はこの危険な力を既に手にしていることになる。そして、今の俺にはこの話を眉唾物だと受け流すことができない。

 白騎士の力を貸してくれた束さんは俺に箒のことを託してくれた。でもあれは現実のことじゃないから、もしかしたらあの束さんは俺の想像が生み出しただけの存在だったのかもしれない。そう思い始めると、何が正しいのか全くわからなくなってくる。

 

「束が敵だとお前に不都合があるのか?」

 

 俺の苦悩が表に出ていたのだろうか。いや、昔から俺は千冬姉に隠し事ができた試しがないか。とにかく、千冬姉らしくない発言が飛び出しているのはわかる。

 

「束さんと戦いたくないのは当たり前だろ。箒の姉さんだし、千冬姉の友達だし。何よりも相手にして勝てる気がしない」

「私が聞きたいのはそういうことじゃない。これまで無茶をしてきたお前が足を止めるほどの何かがあるのかと聞いている」

 

 戦いたくないのと戦えないのは違う。千冬姉はそう言っているのだ。

 ああ、そういうことか。だったら俺の返答は決まってる。

 

「相手が誰であっても、俺がすべきは箒を助けること。邪魔する奴と戦うのに容赦はいらない。たとえ千冬姉が立ちはだかっても俺は戦う道を選ぶ」

「ふっ。そこまで言えとは言っていないが、目的を複雑化させる必要はないとだけ姉として言っておこう。一夏は単純でいい」

 

 笑われたけど心地がいい。俺の在り方をまた再認識した。

 あの幻かもしれない束さんも言っていたじゃないか。相手が誰であっても倒さなければいけない相手に手加減は無用だと。

 ……今思うと、あの言葉はまるで俺が束さんと敵対することを予見していたかのようだ。気のせいかな?

 

「とりあえずもう束さんの真意は無視する。それよりもこれからどうするかが肝心だ」

「その通りだが、まだ私はアメリカでの件の詳細を聞いていない」

 

 そう告げた千冬姉はすっくと立ち上がると客間の入り口を見やる。

 

「盗み聞きはその辺にしてお前も入ってこい。一夏よりもお前から聞いた方が早いからな」

 

 すると客間の扉が開き、セシリアが入ってきた。盗み聞きと言われたにもかかわらず、当の本人は少しも悪びれずに俺の隣にまでやってくる。

 

「わたくしも最後の方は戦況を把握できなかったので、参加していたプレイヤーやクラウス社内部の情報をかき集めてきました」

 

 そういえば、と思い出す。俺がハバヤから逃げ帰った後、Illの領域から離脱しようと飛んでいたら生身でレガシーに向かって突っ走るラピスを見かけたんだっけ。逃げるのに必死だった俺は有無を言わさずにラピスを捕まえて一緒にIllの領域外に出たんだ。

 あの後、現実に帰ってきてからずっとセシリアは悔しそうな顔をしていた。俺たちの目標であるラウラの救出を果たしたとはいえ、納得いかないことがあったんだろうと思ってる。それが何かはよくわかってないけども。

 

「結果だけ先に言っておきます。クラウス社を中心とした企業連合軍はゴーレムの軍に敗北しました。ロサンゼルス近郊の遺跡は敵の手に落ちたままであり、Illの領域は遺跡を中心にして広範囲に展開されています。クラウス社はイーリス・コーリングを始めとする専属操縦者の大半を失って壊滅。彼らの手による遺跡奪還は事実上不可能となりました」

「イーリが負けたのか。尚更、束が関与している可能性が高い」

 

 千冬姉の眉間に皺が寄る。やっぱりアメリカ代表が負けた事実は重いとうことか。

 ……しかし、イーリ?

 

「千冬姉はイーリス・コーリングと親しいのか?」

「国家代表は第1回モンド・グロッソから顔触れが大して変わらない。必然的に顔見知りくらいにはなるさ」

 

 淡々と言い終えた後であからさまに溜め息を漏らしている。強がるなよ、千冬姉……

 

「一夏さんの話だとイーリス・コーリングは平石ハバヤに敗れたそうですわね」

「ああ。直接負けたところを見たわけじゃないけど、少なくともあのハバヤって男はギドくらいにやばい雰囲気があった」

「わたくしの持っている情報と食い違っていますが、おそらくは平石ハバヤにも篠ノ之博士の手が加わっているものと考えられます」

「それは同感だけど、同時に不可解なんだ。だろ、千冬姉?」

「束が見ず知らずの男に力を貸す……ツムギのメンバーにすら滅多に手を貸さなかった束が亡国機業とつながりのあった男と協力関係になるなど本来は考えづらい」

 

 本来は、と付け加えた。だから千冬姉の中ではもう結論はでている。

 

「少なくとも篠ノ之博士が戦場に姿を見せたのは事実ですわ。未知の攻撃手段を使ってきていたり、ゴーレムの軍隊を使役していたりと偽物にしては高次元過ぎますわね」

 

 さらに追い打ちが入る。セシリアも束さんを直接目の当たりにしていて、ブルーティアーズを機能停止させたのは束さんの仕業らしい。

 

「束の真偽はこの際どうでもいい。偽物だとしても束と同等の力を有しているのだから脅威と見なすには十分だ」

「しかし本物か偽物かで次の行動予測が変わってきますが……」

「いや。どちらであっても次に起こす行動は現実への干渉に決まっている。場所はアメリカ東海岸。ナタルを始めとする現実での操縦者に近隣で待機するよう既に要請を送ってある」

「千冬姉。どうして敵の次の行動が現実への干渉になるんだ?」

 

 俺もセシリアも全く話についていけない。ということは千冬姉が俺たちの知らない情報を握ってると思われた。

 

「現実におけるゴーレム出現の条件を特定できたからだ。想像結晶という能力でISVSから現実に物質を送る場合、地球を基準とした現実における出現座標かその座標と一致するISVS上の座標のどちらかに触媒がなければならない」

「つまり、現実側から想像結晶で干渉して物質を転送して持ってくる場合はISVS上のどこからでも持ってこれるけど、ISVS側から送るには現実の同じところにしか送れないってこと?」

 

 俺の返答に千冬姉が目を丸くする。

 

「一夏……頭でも打ったか?」

「今更、俺を頭が残念な子扱いするな!」

 

 全く失礼な姉だ。

 ……よく見たらセシリアまで驚いてる。ちょっとショック。

 

「条件を特定したということは、ISVSの方に想像結晶の触媒が観測できたというわけですわね?」

「元々ゼノヴィア・ヴェーグマンから断片的な情報は得られていた。今のあの娘に想像結晶の力はないが知識だけはある。彼女の情報に従い、ゴーレムの出現位置に該当するISVS上の座標に小型の建造物が確認できた」

 

 そう言って千冬姉が取り出した写真には鉄骨でアルファベットのAのように組まれた簡素な塔が映っている。

 

「この建造物を破壊することでゴーレムの湧きは潰された。でなければ私が日本に帰ってくることも難しかっただろうな」

「なるほど。対処法がわかれば敵の攻撃を未然に防げるってことか」

「論点が変わってますわ、一夏さん。これは良い報せと言い切れません」

 

 言われて気づく。敵の現実への侵攻の防ぎ方がわかったという前向きな話ではあるが、今となっては次の出現を事前に防げないという話につながるんだ。

 

「……だからアメリカの遺跡が話題に上るのか」

「そういうことだ。敵の勢力下で想像結晶の基地が造られてしまえば敵の現実への侵攻を許すことになる」

 

 俺が正面から向き合ってこなかったゴーレムが現実に出現した事件はここにきて立ち位置が大きく変わってきている。既にこれは敵からの明確な攻撃の意思表示であり、仮想世界から現実への侵攻を意味していた。

 

「戦争……なのか……?」

「ああ。このままだと我々は現実のIS467機で仮想世界から送られてくる無尽蔵のゴーレムと戦わねばならなくなる」

 

 その戦力差は歴然。どれだけ国家代表操縦者たちが優れていてもたった467機で無限とも思えるゴーレムの群れから人類を守れるのかという無理難題を解決できるはずもない。もし白騎士がいたとしても地球上にいるゴーレムを殲滅するのは不可能だ。できたとしても人類も共に滅ぶ。

 

「どうにかならないのか……?」

 

 この問題を無視するわけにはいかない。箒を取り戻しても、彼女と共に過ごす世界が無くなってしまっては意味がない。

 

「敵が遺跡を占拠したもう一つの理由がISVSプレイヤーを減らすことにあります。遺跡を使えないと一般プレイヤーがISVSに入れません。敵はISVSプレイヤーを減らす戦略を取っていると言えますわね」

 

 遺跡襲撃の意図についてセシリアが推論を述べた。なるほど。

 

「敵は現実の操縦者よりもISVSプレイヤーを警戒しているのか」

「連中はISVSの住人だ。我々にとって造られた世界であっても奴らはそこで生きている。むしろ奴らにとってISVSの方が現実とも言える」

 

 千冬姉の発言から俺が今まで倒してきた遺伝子強化素体を思い出した。

 アドルフィーネとギド。どちらも仮想世界での死で存在が消え去った。

 もう現実で生きてない束さんが仮想世界で死んでも同じ末路を辿る。

 

「我々の方からISVSに攻め込み、元凶を討てばそれで解決する」

 

 言いたいことはわかる。だけどさ、千冬姉。それはもしかしなくても……束さんを殺すという話だよ。

 わかってる。俺は箒を取り戻す障害となる束さんを倒さないといけない。

 だけど千冬姉はそれでいいのかよ……?

 守りたかったんじゃないのかよ!

 

「そんな顔をするな、一夏。暴走した束を私の手で止めるのは昔にアイツと交わした約束だ」

 

 約束。そう言われた俺は黙っているしかなかった。

 ……約束は守らないとな。

 

「近いうちにロスの遺跡に塔が立つはずだ。現実での対応はナタルたちに任せて私は元凶を討ちにいく。これで全てを終わらせるんだ」

 

 千冬姉の誓いを聞いた俺は違和感を覚えていた。

 今まで俺は千冬姉が自分の予定をまともに話すのを聞いたことがない。

 いつだって突然だった。出張の連絡もセシリアのホームステイも。

 

「俺も行く」

 

 放っておけない気がした。そもそもこの件は箒の救出にも関わること。俺も全力で立ち向かわないといけない戦いだ。

 千冬姉が居て、セシリアが見ていてくれる。今度はハバヤから逃げなくても大丈夫。そう信じられた。

 

「ロスへの攻撃予定時刻は明朝5:30。私はそれまで休むことにする。流石に世界一周に近い遠征は疲れた」

 

 俺が返事をする前に千冬姉は客間を出て二階へと上がっていった。その足取りがどこかふらついていたから疲れてるのは嘘じゃない。アーリィさんの代わりに世界中を飛び回っていたのは想像以上にキツいことだったようだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 畳が敷き詰められた12畳ほどの和室。周囲に壁はなく、全面が障子の戸で囲まれており、家具らしいものは何もない。あるのは座布団が2つと向かい合って正座する高校生のみである。

 

「それで? このタイミングでたけちゃんが私のところに来たってことは、“あの男”に動きがあったということでいいのね?」

 

 一度開いた扇子を勢いよくピシリと閉じる。更識楯無。普段は飄々として掴み所のない彼女であるが、今の表情はとても険しいものとなっている。

 正面に座っているたけちゃんこと朝岡丈明は更識の忍びとして名を連ねている男子高校生。この場にいるのはもちろん表向きの顔である高校生としてでなく、更識に仕える者としてだ。

 

「例のアメリカ西海岸の遺跡の件はどこまでご存じで?」

「クラウス社がなりふり構わないフリをしながら結局のところ自分たちの面子を優先した果てに、最高戦力であるイーリス・コーリングを失ったってことなら聞いてるわ」

「そのイーリス・コーリングを倒したのが平石ハバヤです」

 

 瞬間、楯無の眉間に大きく皺が寄る。あまりにも想像から離れていて不可解だった。

 

「待って。アメリカ代表はこの私でも普通に勝てないレベルなんだけど、“あの男”が誰を倒したって?」

「ですから、イーリス・コーリン――」

「あ、うん。言わなくていいわ。ただの現実逃避だから」

 

 額に右手で押さえながら小さく頭を振る。過去に楯無を継ぐ候補者として名前の挙がっていた男、平石ハバヤ。彼が現楯無である自分を超えた力を見せた事実をそう簡単に受け入れられない。

 だが認めなくてはならない。信頼する部下のもたらした情報を感情だけで否定するような当主であっては更識の恥である。

 

「一応確認よ。たけちゃんがその情報を得たルートは?」

「目撃した一夏殿から直接です」

「だったら嘘じゃなさそうね」

 

 まだ一夏がハバヤの虚言狂騒に騙されている可能性も考えられないことはなかったが、楯無は自分でその可能性を否定する。なぜならば、平石ハバヤという男は“己の力”を誇示しようとする傾向があるからだ。もしハッタリで強さを示そうとしたならば、それは弱さを認めることであり、ハバヤが自らの精神を殺すのに等しい。

 

「一夏くんは他に何か言ってた?」

「危険だったから逃げたとだけ」

「そっか……」

 

 一夏が敵を前にして逃げた。それも箒が関わっているかもしれない状況でだ。これもまた事態の異常さを楯無に訴えてきている。

 

「大体理解したわ。“あの男”はもう現実(こっち)の住人じゃないのかもね」

「と、言いますと?」

「知ってのとおり、“あの男”の身柄は更識が押さえてあって、ずっと昏睡状態が続いてる。強制ログアウトもできなかったから例のIllの領域に自分から逃げ込んでるものだと思ってたけど、今回ので別の可能性が浮上したわ」

 

 平石ハバヤの仕組んだ富士での決戦に楯無は参加していなかった。その理由はハバヤの現実の体を拘束する目的にあり、楯無は見事にハバヤの潜伏先を突き止めて、動けない状態のハバヤを捕まえた。だがそれ以降、ハバヤが現実に帰ってくることはなかった。

 ISVS上の精神体は現実の体が死んでいても生きているのだということを、ナナと共にいたツムギのメンバーが証明していた。もしハバヤを現実で殺したとしても、ISVSにいると思われるハバヤは変わらず活動を続ける。現実の肉体が枷となっていなく、未だに逃げられているも同然と言えた。

 そして、Illと行動を共にしているという説も否定するときがきた。イーリスを倒した戦闘力と、一夏がハバヤを前にして逃げたことから楯無の中で答えが導かれた。

 平石ハバヤはIllとして活動している。方法は不明でもそれが事実だと認めざるを得ない。

 

「とりあえず尻尾を出したことは朗報と受け取っておきましょう。水面下でこっそりと悪事を働かれる方が面倒だし」

「では拙者は引き続き一夏殿の周囲を監視しておきます」

「うん、お願い。私は私で情報を集めておくわ。“あの男”相手に事前情報なしで戦闘を仕掛けるのは丸腰で挑むのも同然だから」

 

 先に朝岡が席を立ち、無駄な動きなくきびきびと退出する。見送る楯無は障子が閉まるのを視認した後に盛大に溜め息を吐いた。

 

「これは更識家の……いいえ、私の不始末ね。いい加減に向き合わないと。私の願いが生んでしまった歪みは私がこの手で片を付ける」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 千冬姉が寝室に戻った後、俺も自分の部屋に帰った。ロスの遺跡への次の攻撃は朝のこと。俺も明日に備えて寝るべきだ。

 ……と、頭ではわかってるんだけども。

 

「寝れない」

 

 やたらと目が冴えてしまっていた。今日は本当に色々とあったから必要以上に考え事をしてしまう。

 

 ラウラを無事に救出した。

 ナナの行方の手がかりを得た。

 敵の中に束さんの姿があった。

 

 ナナを取り返すための障害は排除すると決めた。だから束さんが立ちはだかるのなら俺は束さんを倒さなければならない。

 頭ではわかってる。だけどまだ口先だけだ。実際に束さんと向き合ったときにちゃんと立ち向かえるのか、自信はない。

 ぐるぐると脳内で同じところをうろついている。迷路で袋小路に突き当たったと感じる頃になったタイミングで、机の上に置いておいた携帯が俺を呼び始めた。誰かが電話をかけてきた。おかげで下手な考え事をしないですむと考えるあたり、実は結構追いつめられてるのかもしれない。

 

「もしもし」

『あ、やっと出た。もう寝ちゃったかと思っちゃったわよ』

 

 相手は鈴。基本的に用があれば俺の家にまで来る奴だから、こうして電話で話すのは少しだけ珍しいことだったりする。

 

「一応言っておくが、もう日が変わってるぞ?」

『小学生じゃあるまいし、0時過ぎた程度で寝るなんて真っ当な高校生じゃないわよ』

 

 いや、その価値観はおかしい。まあ、それを鈴に言ったところで俺がジジ臭いとかそういう扱いで終わるだけだから黙っておくけども。

 

「それで? なんかあったのか?」

 

 たとえば親さんらが喧嘩でもしたのかとか。そういう意図だったんだけど――

 

『アンタのことはアンタがよく知ってるでしょ?』

 

 こんな返答が来てしまっては俺は誤解しようもなくなる。

 鈴は自分の話をするために電話をしたわけじゃない。だったら残るのは俺の話だけ。でもって俺の話題となると、昼間のISVSの話になる。

 

「“何か”はあった。鈴はすごいな。最近あまり一緒にいないのに俺のことをよく知ってる」

『ごめん、今回はただの鎌掛け。それっぽい予兆はあったけどね』

「予兆?」

『今まではミッションの後、ISVS内で軽く反省会してたでしょ? ラウラが帰ってきたと聞いてたのに今回はそれがなくて、一夏もセシリアもさっさと帰っちゃったから他に何かあったんだとしか思えなくてさ』

 

 なるほど。もし進展がなかったら、俺は最近のセオリーに従って皆と駄弁(だべ)ってから帰ってたかも。言われてみれば俺はわかりやすいのかもしれない。

 でもそうだとすると、いつもと違うのは俺だけじゃないような。

 

「いつもの鈴ならその後で俺の家にまで来てそうなんだけど、今日は来てないよな?」

『行こうかとも考えたんだけどね。でも、アンタの家ってセシリアもいるでしょ?』

「ん? セシリアがいるとマズいのか?」

『ちょっとだけね。たまには一夏と1対1で話したかったから、こうして電話にしてみたの』

「甘いな、鈴。この会話もセシリアには筒抜けだぞ」

『それはそれで別にいいわよ』

 

 どうしよう。テキトーに冗談を言ったのに受け入れられてしまった。

 ごめんな、セシリア。でもたぶんこの原因は普段の行いにあると思う。

 

『……声色は元気そうね。でも喜んでるわけでもない。良いことも悪いこともあったって感じかぁ』

「ご名答。ナナの行方に当てができた。だけど敵が誰なのかも見えてきた」

『それが篠ノ之博士ってわけね』

 

 俺は目を見開く。

 まさか鈴の口から束さんの名前が出てくるとは思ってなかった。

 

『なぜ、って顔してるわね? 見なくてもわかるわ』

「鈴は何でもお見通しだな」

『敵の正体は弾の予想をそのまま言っただけなんだけどね』

「弾が?」

『要するに一般人レベルでも篠ノ之束を連想するくらいの規模になってきてるのよ。例のゴーレム事件とかさ。ネット上だと白騎士事件のときに騒いでた連中がまた息を吹き返してるわ。篠ノ之束はテロリスト、って』

 

 俺が思ってるよりも世間に情報が流れるのが早いようだ。現実にゴーレムが出現したのはどう考えても一大事だし、派手に暴れてたから隠蔽しきれないのも仕方ないのか。

 ゴーレムの出現は世界中の研究者連中が出し抜かれているようなもの。これは白騎士事件を連想するには十分だったろう。人類未踏の地には常に篠ノ之束の影があるというのは世界共通の認識だろうし。

 

「やっぱ束さんが敵……なのか」

『なるほどね。ナナのお姉さんだからアンタの知り合いでもあるってことか。それで悩んでるの?』

「悩んでない、と言えば嘘になる。けど、ここまで来て止まるつもりはない。箒を助けるために必要なら俺は束さんを倒す」

『でもそれをナナが望まなかったら?』

 

 ああ、そこを突っ込んでくるのか。本当のところ、俺が一番悩んでいるのはそこだ。俺と束さんの関係は実は全く関係なくて、全ては箒と束さんの関係が関わってる。

 もし箒が束さんとISVSに残ることを選んだら。それでも俺は箒を助けるべきだろうか。

 姉の存在と引き替えにして現実に帰ってくることを箒は願ってくれるだろうか。

 全ては箒の考えを聞かないとわからない。

 でも、個人的な願いを言わせてもらえば――

 

「ナナが何を言おうと俺はアイツを現実に連れ帰る。そう約束した」

 

 約束など単なる言い訳。俺が箒を助け出したいのは箒のためを思ってのことじゃなくて、もう俺個人の願望に等しい。

 

『こりゃ、あたしがわざわざ電話する必要なかったわね。ちゃんと振り切れてるじゃん』

「自分で言うのもなんだけど、俺って変だろ?」

『変ってとこは否定しないけどさ。こういうときに必要なのってとにかくブレないことなんだとあたしは思うわけよ。うじうじしてたらその間に大切なものを落っことしそうじゃない?』

「そうかも」

『一夏は少し我が儘なくらいでいいのよ。あたしが保証してあげる』

「どうも。少し楽になった」

 

 俺は俺のことを何度も自分勝手な奴だと思ってきた。

 だけど自分を抑えていた頃と比べて、周りに人が増えてきた気がする。

 こうして鈴に太鼓判まで押されると、自分に自信がついたのが実感できる。

 

『でさ、一夏。明日なんだけどさ……ナナの行方を追うのはいいんだけど、もし良かったら――』

「一夏さんっ!」

 

 真夜中の電話の最中だというのにいきなり俺の部屋のドアが開け放たれた。廊下に立っているのは寝間着姿のセシリア。慌てているようで息を荒げており、肩を上下させている。

 とりあえず、何かマズいことが起きていることだけは伝わってきた。

 

「どうしたんだ、セシリア?」

 

 電話の先の鈴にも聞こえるように尋ねる。鈴は何かを言い掛けていたと思うのだけど、緊急事態を察してか黙ってくれている。

 

「先ほど病院に張らせていたSPから連絡が来ましたわ」

「病院? 箒に何かあったのか!?」

 

 セシリアは首を横に振る。

 

「異常があったのは静寐さんの方です。彼女が再び目を覚まさなくなったそうです」

「え……?」

 

 しばらく頭が理解を拒絶していた。

 だって、静寐さんはもう助かったはずだろ?

 なのにどうして、また目覚めないなんてことになるんだ?

 

「わたくしの油断、と言うべきでしょうか。まさか家庭用のISVSを手に入れているとは……」

 

 家庭用のISVS? それってつまり、静寐さんは自分からまたISVSに戻ったってこと?

 なぜそんなことを、と疑問に思う余地はなかった。よく考えたら静寐さんがISVSに入ろうとするのは必然。

 

「……セシリアのせいじゃない。俺の……せいだ」

 

 俺がナナの危機を静寐さんに伝えてしまった。それで静寐さんが黙っていられるはずもないのに。

 俺は机の上に置いてあるイスカを手に取る。

 

「行こう。まだIllに喰われたと確定したわけじゃないんだろ?」

「そうですわ。ではわたくしも準備してきます」

 

 まだだ。まだ静寐さんがIllの領域に足を踏み入れているだけの可能性もある。だったら連れ帰ればいいだけのこと。

 俺はつながったままの携帯を改めて耳に当てる。

 

「そういうわけだ。俺は今からISVSに向かう。話はまた明日な」

『待ちなさい、一夏! あたしを蚊帳の外にするな!』

「悪いが鈴が家に来るまで待ってる余裕はない」

『あたしも家にISVSがあるからそれで入る。待ち合わせはロビーよ! わかったわね?』

 

 電話が一方的に切られた。勝手に段取りを決められてしまって、俺が言い返す隙間もない。

 何よりも俺はポカーンと間抜けに口を開けていたから答えられる状態じゃなかった。

 

「鈴の奴……いつの間に家庭用ISVSなんて手に入れたんだ……?」

 

 予想外なことだったが結果オーライだ。

 

 静寐さんがISVSで行方不明になっている。この状況に対処できるのは俺とセシリアだけ。そこに鈴が加わるのは頼もしい。

 絶対に静寐さんを助ける。箒が戻ってくる世界に静寐さんがいないなんて悲劇は起こさせない。

 ……他ならぬ、俺自身のために。


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