Illusional Space   作:ジベた

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45 兎の抱える鬼胎 【前編】

 不安を拭えたことは一度もなかった。

 物心がついた頃には既に地獄絵図が脳裏にこびりついていた。

 燃えさかる炎。飛び交う銃弾と悲鳴。テレパシーのように頭に次々と飛び込んでくる痛みと近づいてくる死の恐怖。

 平穏な世の中で生活していても、それらの記憶は常に少女の頭の片隅に残っている。

 

 少女には家族がいなかった。とある研究施設。フラスコの中で量産された彼女に遺伝子上の親は居るのかもしれない。しかし腹を痛めて生んでくれた母親は存在しない。

 生まれたときから愛されぬことを宿命づけられた命。少女はそれを悲しむ間もなく失敗作という理由で廃棄されることとなっていた。

 どこまでも恵まれない。歪な命として生きることすら許されない。こうして人知れず消えていくだけの運命だった。

 

 そのはず()()()

 

 しかし少女は生き延びた。まだ物心が付く前のこと。目に映るものが何かを判別することもできなかったというのに、少女は自分が救われたのだと本能で理解した。

 

 ――大丈夫だ。お前は生きられる。

 

 まだ喜ぶという感情すら知らなかった少女の眼前で、彼女を抱えている大の男が涙すら浮かべて歓喜の声を上げる。

 絶望しかなかった記憶の最後。心の奥底に刻まれた男の笑顔がなければ少女の心はとっくの昔に壊れていたことだろう。

 この笑顔がギリギリのところで少女の心を支えていた。

 喜びの感情が少女の人格を人間につなぎ止めていた。

 

 以来、少女――ラウラ・ボーデヴィッヒは人間として育てられた。

 戸籍上の父親も居て、姉のような人も居てくれた。

 不満など全くない。捨てられた過去を理解しているラウラは自分が恵まれていることを自覚している。多くを望まぬ彼女は現状を維持できればそれで良かった。

 だが彼女を取り巻く環境は歪なままだった。

 まず軍人としての英才教育を叩き込まれた。これは軍人である義理の父、バルツェルが独断で決めたことである。ラウラを守るため、彼女の地位を確立させるという目的の元、彼女の自由意志を無視した。ラウラも自由を求めなかった。見捨てられたくなかったのだ。

 普通の学校に通ったことはない。ラウラは危険分子と見なされている。何か問題が起きて公にその存在が公表されてしまえば、ラウラを守ることのできる者はいなくなる。バルツェルの庇護の元、軍人としての道を歩むのが最も安全だった。

 バルツェルの娘として扱われたことはない。しかし、どこにいても特別扱いされていたことは間違いなく、年齢や実績に相応しくない権限まで与えられた。どこまでもラウラを守ろうとするバルツェルの措置だったが、それが逆にラウラを苦悩させた。

 

 自分は人間とは違う。

 

 恵まれた環境の中であっても優越感に浸るのでなく疎外感を覚えていた。

 強い権限が自分にある。ならばそれに相応しい実績を積まなければならない。そうでなくては『人間になれない』。人間でなくては『見捨てられる』。

 何か1つでも間違えれば捨てられる。たとえ記憶に残っていなくとも失敗作の烙印を押された過去を持っている。少女は環境が変わっても本能として悩みを抱えていたままだった。

 強くなければ生き残れない。そうした強迫観念の中、周囲が期待する人材で在り続けたのは、ただひたすらに必死だっただけである。少女の健気に頑張る姿を見た年上の隊員たちが“隊長”と慕ってきているのだが、当の本人はそうした尊敬の眼差しに気づいていない。

 

 

 

「この……化け物め」

 

 手にした大剣の一振りで1人のプレイヤーが倒れ伏す。相手はアメリカのクラウス社所属の専用機持ちであるのだがラウラの敵ではなかった。

 化け物。そう呼ばれても心が動かなくなった。自分は人間と違うと自覚していたのはいつものこと。実際に化け物として活動している今、そう呼ばれたところで心が傷つくはずもない。

 だからだろうか。とても気楽に思えていた。黒ウサギ隊の隊長としての自分が悪とすることでも、今の自分には何が悪いのかを判断することはできない。むしろ煩わしい不安から解放されているのだから、これが正しい姿なのだとすら思えている。

 

「流石はイラストリアス、仕事が早くて助かりますよー♪」

 

 ラウラの後方でハバヤが今にも鼻歌でも垂れ流しそうなくらいに上機嫌になっていた。

 

「では、あとは私の仕事。ロビー(ここ)の深部に潜って来ますから、プレイヤーどもの迎撃をお任せします」

 

 ラウラが倒したプレイヤーを最後に、ロビー内の敵対勢力は全滅。制圧が完了し、転送ゲートの機能を停止させたロビーの奥へハバヤが向かっていくのをラウラは黙って見送った。

 ハバヤを味方だとは思っていない。しかし今のハバヤはラウラと同類となっている。少なくとも今のラウラにとって、ハバヤは敵と認識されない。

 

「プレイヤーを迎撃する……」

 

 ハバヤから与えられた指示と同じ命令を受信したラウラ。近い内に向かってくるであろうプレイヤーを倒すために彼女はこの場で待ちかまえる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月27日。約束の日までとうとう残り1週間。できれば次の1月3日までに箒を助け出したいけど、今のところ終わりが見えてこない。

 それでも状況は大きく動き始めた。現実にゴーレムが出現し始めた異常はもちろんのこと、ISVSの中でも異変が始まっている。

 

 アメリカのロビーの一つが使用不能となっている。

 

 ISVSが始まって以来、ゲームをプレイできないという不具合があったことはない。今まであったのはIllによる被害者が現実に帰ってこなかったことだけであり、ISVSに入れないのは真逆の問題であるといえる。

 原因はすぐに発覚した。これまでIllが起こしてきた事件とは違い、隠す気すらも感じられない。件のロビーのある遺跡(レガシー)が敵に襲撃されたのだ。

 敵がこのような行動に出た理由はまだわかっていない。しかしこのまま放置する理由は俺たちにはない。(ナナ)につながっている可能性があるのなら俺はその渦中に飛び込んでいくだけだ。

 というわけで俺たちはISVS内のロサンゼルス近郊にまでやってきている。

 

「内密に進めると思ってたんだが、意外と人数が集まってるな」

 

 ロサンゼルスにある、クラウス社の持ち物という遺跡から十数キロ離れた地点。作戦開始前に集まっているプレイヤーたちを見回してみると普段見ない顔もある。

 

「ISVSにおける一大事だからね。倉持技研やデュノア社はもちろんのこと、今まで中立を保ってきた企業も便乗して今回のミッションを発令してるから実質的に世界規模でプレイヤーが集められてるよ」

 

 隣でシャルルが説明してくれる。流石は社長令嬢ということか。こうした企業の裏事情に詳しい。

 しかし便乗? 合同じゃないのか。

 

「ミッションってことはIllを知らない一般プレイヤーも混ざってる?」

「そこまではしてないみたいだね。国家代表は見かけないけど代表候補生クラスを中心にある程度現実のISに関わりのある人たちばかりかな」

 

 要するにこの場にはそれなりの実力者が揃っているということ。

 でも全く気楽になれないのはクラウス社の所有する遺跡が敵の手に落ちているという事実があるからだ。

 クラウス社はアメリカのIS関連企業のトップと言っていい企業。抱えている専属操縦者もアメリカの中でトップクラスなのは間違いない。にもかかわらず常駐していたであろう専属操縦者ごと短時間で全滅させられているということは、遺跡を占拠した敵の実力は相当上だったということになる。

 もしかするとギド・イリーガルに匹敵する敵がいる可能性もある。楽観できないどころか悲観すべき事態かもしれない。

 それでも俺たちが足を止める理由にはならないけどな。

 

「誰が味方にいようと関係ないよ。重要なのはここにラウラがいることと僕たちが間に合ったことだから」

 

 装備を1つ1つ確認するシャルルの目つきはいつになく真剣だった。俺はこの目に親近感を覚えている。自らの存在意義すらも賭けていると言わんばかりの危なっかしさすら感じさせる強い瞳はきっと『ラウラを助ける』という思いの表れだ。

 無理をするなとは言わない。俺が彼女にかけるべき言葉はただ1つ。

 

「やり遂げるぞ」

「もちろん」

 

 作戦開始までまだ時間がある。シャルルはそのときが来るまで目を閉じて瞑想でもしているようだった。集中を高めているのであろう彼女を俺の雑談で邪魔するのも悪い。

 

「ラピス。敵の全容は掴めそうか?」

 

 すぐ後ろで情報収集していたラピスに確認してみる。ただひたすらに数が多いという情報ばかりが出回っていて、具体的な敵の陣容を把握し切れていないのは敵の部隊が遺跡内部に籠もっているからだ。

 この状況で頼れる目はラピスの単一仕様能力“星霜真理”。コア・ネットワークを通じてISコアから情報を奪い取ることができる彼女の力があれば、どこにコアがあってどのような装備をしているのかを簡単に知ることができる。Illに対しては無力だったが、ISコアを使っているゴーレムならば条件は通常のISと変わらない。

 

「リミテッドはなし。全てが門番クラスのゴーレム以上で編成されていて、数もこちらと同等ですわね」

「マジか……もしかして、俺は役立たずか?」

「IB装甲を危惧されているようですが搭載機は1割ほどといったところですわ。遭遇した際は逃げに徹して他のプレイヤーに任せれば問題ありません」

「ラウラの居場所は……わからないよな」

「星霜真理ではIllの場所を特定できません。今のところ生還したプレイヤーの目撃情報のみしか確認されておりませんわ」

「今もあの中に残ってると思うか?」

 

 エアハルトと決着をつけた後、初めて入ってきたラウラに関する情報だった。まだ中に残っていて欲しいというのは俺とシャルルの願望でしかなく、根拠なんてない。だからラピスの冷静な意見が欲しかった。

 

「十中八九、居ますわ。こちら側の持ち物であったレガシーに敵が立てこもっているのは今までにない異常な行動です。つまり、敵はレガシーの内部に目的があって襲った。わたくしたちに包囲された今でも迎撃の姿勢を崩さないのはその目的がまだ果たされていないからであり、ゴーレムよりも強力な駒であるラウラさんを離すとすれば敵にとって不測の事態が起きているときだけでしょう」

 

 敵には何か目的があってまだ果たせていない。おそらくはそうなんだろうし、それが重要であるほどラウラがまだ残っている可能性が高くなる。

 

「ところでその目的ってのには見当ついてたりする?」

「全くわからないというのが正直なところですわ。ゲームシステムの一部を乗っ取ったところで敵にメリットなどありませんし、現状で損害を受けているのはレガシーの所有者であったクラウス社のみ。大掛かりな行動に出た理由があるはずなのですが……」

 

 相変わらず敵の行動方針については見当もつかないまま。俺たちは与えられた状況に対応するしかなくて、主導権を握れない。

 ……まるでISVSを始めた頃と同じだな。

 いや、今はもっと状況が悪いかもしれない。なぜなら今の俺たちはプレイヤーの一人に過ぎなくて、自軍の主導権すら握れていないのだから。

 

「そろそろ始まりそうかな?」

「ようやく、ですわね。既に世界中の主要な企業から援軍も来ているというのにクラウス社はあくまでも自分たちの手でレガシーを取り戻したという手柄を欲しています。連携はほぼ期待できません。いくら物量があっても、組織的な動きができないのでは敵に振り回されて終わるだけですわ」

「だからこそ俺たちは俺たちの都合で動こう。レガシー奪還に出しゃばると余計な敵を作るっていうなら、俺たちの目標はあくまで『ラウラの奪還』だ」

 

 シャルルが便乗と言っていた理由はわかった。危険な相手とわかっていても損得を切り離せない人間がいるのは仕方ないことと割り切るしかない。俺が箒を最優先するように、自らの利益を優先する人がいてもおかしくないからな。

 数が多くても純粋な総力戦とは違う。正規軍に相当する代表候補生クラスの操縦者が集まっていても、これでは烏合の衆のようなもの。俺たちが個人でいくら頑張ってもこの戦い自体の勝利は遠い。だから企業とゴーレムどもの戦争は勝手にやらせておいて、俺たちは一つの目標に終始すればいい。

 今回は藍越エンジョイ勢や他の皆には普通に倉持技研からのミッションとして参加してもらっている。目標がラウラだと知っているのは俺の家に来るような一握りのプレイヤーだけで事情を知らない連中の方が多い。リンには藍越エンジョイ勢の士気を上げるために一般プレイヤー側に行ってもらっているから、実質的にラウラ救出に動くのは俺とラピスとシャルルの3人だけとなる。

 ラウラを助けるために複雑な手段を用いる必要はないと彩華さんから聞いている。方法は単純でラウラが使っているIllが機能停止すれば勝手にラウラは現実に帰ってくるのだそうだ。だから俺たち以外の誰かがラウラを倒しても俺たちの目的は達成できる。

 ……まあ、その単純なことが果てしなく遠いんだけどな。あの千冬姉(ブリュンヒルデ)が倒しきれなかった相手。俺たちが勝てる保証なんて全くない。

 でも、今を逃していつラウラを助けられる?

 ここでやるしかない。

 俺がやるしかない。

 その気概でいかないと何も成せない。そんな気がする。

 

「ラピス」

「なんでしょうか?」

「俺を無敵のヤイバにしてくれ」

 

 自分に対して『ラピスが見ているぞ』と発破をかける。

 イルミナントと遭遇した頃のような、リンに守られただけの不甲斐ない俺なんかじゃない。

 強大なIllを次々と倒してきたヤイバとしてここに立っているんだ。

 そう言い聞かせる。

 

「久しぶりに指揮権がありません。今回はヤイバさんのサポートに専念させていただきますわ」

 

 満面の笑みが返ってくる。昨夜の不安げな彼女は見る影もない。

 とても頼もしい相棒だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 包囲しているプレイヤー軍の中、黒いカラーリングで統一された戦艦が異様な存在感を放っている。ISの立ち並ぶ陣容の中で巨大なマザーアースを運用している勢力はドイツ軍のIS部隊“シュヴァルツェ・ハーゼ”しかない。

 

「この作戦は可能であればクラウス社の持ち物であった遺跡を我が国のものにし、最低でもクラウス社に恩を売るというのが上層部の思惑だ。しかし、そんなことはどうでもいい!」

 

 艦橋の中央でISスーツを着た初老の男が叫ぶ。堅物から親バカにクラスチェンジしていても建前だけは忘れていなかった軍人がその建前すらも放棄した。

 

「君たちの思うままに戦え! それが私の下す命令だ!」

 

 間もなく攻撃開始予定時刻というところで、指揮官であったはずの男、ブルーノ・バルツェルは艦橋から退出する。数秒後、外に単機で飛び出していく姿が確認できた。

 その光景を艦橋から眺めるクルーの中にクラリッサ・ハルフォーフの姿はない。どこにいったかと思えば、彼女もまたバルツェルの後方に付き従うように戦場へと飛んでいった。

 

「親バカ将軍に過保護副隊長。我らが隊長は上からも下からも愛されてるね~」

「私らも大概だけど。国の意向とかどうでもよくて隊長の安否しか気にならないもん」

「――隊長をさらった奴はいずれ特定してぶっ殺す」

「私怨の発言はやめなさい。気持ちは我が身のことのようにわかるけど」

 

 艦橋に残されたメンバーはIS戦闘において戦力外とみなされた隊員である。そんな彼女らも戦闘に出て行った隊員たちと志は同じ。部隊内で最年少である隊長の帰還だけを願っている。

 国に対する忠誠心はほとんどない。その理由はシュヴァルツェ・ハーゼという部隊の成り立ちが女性軍人の落ちこぼれを集めた吹き溜まりであったから。ウサギは“戦力外通告を受けた者たち”を象徴した皮肉。中央からは捨てられたも同然であったのだ。

 そんな落ちこぼれ部隊が今ではドイツ軍のトップエリートになっている。艦橋に残った隊員たちもこの戦いで戦力外とされたとはいえ、一般的なプレイヤーと比べれば圧倒的に強い。軍内部のISの比率が高くなるにつれて黒ウサギは強者の象徴となる。

 ここまでの部隊に育った理由。それは誰よりも幼かった隊長の直向きな姿があったからだ。弱さを受け入れ、人よりも劣るところを認め、ただ強くあるために生きている小さな背中に隊員の誰もが尊敬の念を抱いた。

 隊長が頑張っている。自分たちが諦めていては申し訳ない。そうやって奮い立たせてきた。

 

「絶対に隊長を助けよう」

「当たり前。じゃあ、問題発言がありそうな会話記録とかその他諸々は改竄しとく感じで。いつもどおりシステムの不具合ってことにしとこ。責任は准将がとる」

AICキャノン(ラヴィーネ)発射準備。副隊長から指示が来たらいつでも撃てるように」

「もうやってるよ~」

 

 厳格さの欠片もないだらだらとした空気の中、マザーアース“シュバルツェア・ゲビルゲ”は素早く戦闘態勢に移行する。

 これがドイツ最強部隊の姿。軍隊というよりもむしろ家族のようなチームなのかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 複数の企業が一斉にミッションを開始した。大軍で遺跡を包囲していたプレイヤー軍は明確に統率されていなくともある程度の足並みを揃えて包囲の輪を狭めていく。

 対する敵側は遺跡内部からゴーレムが次々と溢れ出てくる。エアハルトが従えていたリミテッドの部隊と違って各々にISコアを保有している無人機たちは単機でもプレイヤーを圧倒するだけの力がある。プレイヤーが数で勝っていても安心できるなんてことはなかった。

 

「どうだ、ラピス?」

 

 俺たちは戦いのどさくさに紛れて遺跡内部に侵入するつもりである。戦闘が口火を切っていても今のところは遠方から様子見の段階。敵の陣形の手薄そうなところを見つけることに専念する。

 

「戦況はプレイヤー側が圧倒的に不利ですわね。ゴーレムの防衛網には穴が見当たりません」

「ん? 不利ってどういうことだ? まだ始まったばっかなのに」

「ヤイバさんはご存じと思いますがゴーレムは通常のISよりも強力な防御性能を誇っています。正確には操縦者が存在しない無人機であるため、絶対防御機能がオミットされることで許容されるダメージ量が増大しています」

「HPが多いっていう感じだな」

「有人機よりも耐久力があるとだけ認識していただければ結構ですわね。迷宮攻略におけるゴーレム戦のセオリーは1体のゴーレムに対して複数のENブラスターを集中砲火することで封殺するというものですが、ある程度数が拮抗してくるとセオリー通りに攻めきることが難しくなっています」

「つまり?」

「前線で衝突する度にプレイヤー側が一方的に消耗している状態ですわ」

 

 いきなり状況は芳しくない。戦闘のどさくさに紛れるという思惑は混戦になることが前提にある。一方的な展開になっていては俺たちが無理に前に出たところでプレイヤーの一部に過ぎず、ゴーレムの守りを突破するのは力業となってしまう。

 

「クラウス社だけは全力なんだろ? イーリス・コーリングも出てるんじゃないのか?」

「今のところ前線には出ていませんわね。後方に控えたままのようです。おそらくはわたくしたちと同じく、前線を無傷で突破しようと隙を窺っているのでしょう」

「それで何もせずに戦線が後退していく一方じゃ意味がないだろ……」

 

 呆れながら口走ったことだけども、ふと気づく。

 ……これ、ブーメラン発言じゃないだろうか。

 少なくともこのまま見ているだけだと俺たちは何もしないままプレイヤー側の敗戦を見せつけられることになりそうだ。

 

「さて、わたくしたちはどうしますか、ヤイバさん?」

「俺が何て言うかわかってて聞いてるだろ」

 

 既に理想から外れている。このまま流されていては良い結末なんて絶対にやってこない。

 まずは行動を起こそう。そう思い立ったのは俺だけじゃなく、ラピスもだ。俺は今、彼女と同じ思いを共有していると確信できる状態にある。

 右手に雪片弐型、左手にインターセプターを呼び出す(コール)。加えて白式のウイングスラスターの周囲にBTビットが羽のように展開される。

 今の俺はイルミナント相手に互角に立ち回っていた無敵のヤイバそのもの。

 ゴーレムがいくら立ちはだかろうが、負ける気が全くしない。

 

「俺が道を切り開く!」

 

 イグニッションブースト。もう後方から眺めているのは終わり。俺は自分自身の役割を当初の予定から変更し、敵軍の防衛網に隙間を作りにかかる。

 前線に到達するのはすぐのこと。目の前には巨大な腕をぶんぶん振り回すゴーレムが迫ってくる。

 星霜真理にアクセス。眼前の対象にIB装甲はなし。ならば単純に硬いだけの相手だ。

 雪片弐型で一閃。ゴーレムの左手を肘からぶった斬る。

 操縦者のないゴーレムは絶対防御が働かず、片腕を失っても怯むことなく攻撃を継続。右手が硬く拳を作り、俺の顔面にめがけて飛んできた。

 右の拳にはインターセプターを合わせる。出力が足りずに両断することは無理だが弾き飛ばすことくらいは可能。そして時間さえ稼げれば、雪片弐型が使える。

 雪片弐型の2刀目。肩の間接部を狙って縦に振り下ろすと、ゴーレムの右腕は地へと落ちていった。

 よろめいたゴーレムの頭へインターセプターを突き刺すとバチバチと火花が散る。回路のショートや燃料の誘爆などに偽装しているが、ラピスの星霜真理はこれをゴーレムの自爆と警告した。俺はゴーレムの胸を強く蹴って退避する。

 ゴーレムが爆散。ようやく1機。防御性能が高いというのは嘘偽りがない。イルミナントと渡り合えていたと言っても、火力だけは雪片弐型に頼っているから多数を一度に倒すことは難しい。

 

「BTビーム、1から8を斉射」

 

 倒すことは難しくても相手ができないことはない。偏向射撃により上空を旋回させていた蒼い光線をゴーレムの脳天へと打ち下ろし、ゴーレムの攻撃対象(ヘイト)を俺に向けさせる。

 早速、IB装甲を搭載したゴーレムが向かってきた。IB装甲は強力な斥力で物理ダメージを激減させるのに加えて敵性ISを近づけさせないという強力な効力を持っている。しかしEN属性に対する耐性が激減するという欠点を抱えていて、EN武器が流行しているプレイヤーたちの間では使用者がとても少ない装甲だ。

 要するに対策自体は簡単。俺の白式には対抗策がなくても、ラピスのブルーティアーズにとってIB装甲持ちはカモだ。

 左手のインターセプターをスターライトmkⅢに持ち替え。引き金を引くと同時にBTビットからのビームも発射し、射線をIBゴーレムに集中させる。

 対策さえ取れば大した敵じゃない。俺をかなり苦しめた装甲を持つゴーレムがいとも容易く蜂の巣になって墜落していく。

 

「このまま行くぞ、ラピス」

『もちろんですわ』

 

 一方的だった戦場に一石を投じた。堅牢な守備も一カ所に穴が開くことで崩壊することもある。今はただ、俺が暴れることでできる隙間を使って彼女が先に進んでくれることを祈る。

 

「頼んだぞ、シャルル」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバが前線で戦闘を開始したことをきっかけとして、ゴーレムたちの統率に若干の揺らぎが生じ始めていた。シャルルの進む道を開こうとしたヤイバの行動だが、プレイヤー軍の他勢力にとっても待ち望んでいたものだった。

 そのうちの一つがクラウス社。遺跡をゴーレムに奪われた失態を取り戻すため、なんとしてでも自分たちの手で遺跡を取り戻したい思惑がある彼らは最大の切り札であるイーリス・コーリングを後方に控えさせていた。遺跡内部へと侵攻していくにあたり、その旗頭として先陣を切らせるためである。

 

「いい加減、もう行っていいよな?」

 

 眉間に皺を寄せているイーリスが不機嫌さを隠さずにクラウス社の人間に確認する。

 失態を取り戻そうとする企業の指示に従って大人しく出番を待っていた彼女だが本心では最初から最前線で戦いたかったところだった。遺跡に一番乗りしたという事実を欲する上層部の事情は理解している。しかし、そのために誰かの活躍の影に隠れているのは国家代表としての矜持に反する。

 イーリスは女性プレイヤーの中で上位5人に入っているがエアハルトの存在によりゲーム中のランキングでは6位とされてしまっている。ISVSにおいてランキング上位5名までの女性にはヴァルキリーの称号が与えられているのだが、世界最強の男性プレイヤーとされていた者の存在によってイーリスはヴァルキリーになれなかった。

 いつしか彼女はこう呼ばれることとなる。

 

 “無冠のヴァルキリー”。

 

 実質的にヴァルキリーではあるが、その基準をギリギリで満たしていない。ただただイーリスを不名誉にしているその呼び名が彼女を必要以上に好戦的にする。一般プレイヤー相手でも勝負を引き受けてきたのも不名誉な呼び名を払拭したかったからだ。

 自らの強さを他に見せつける。そうしてISVSというシステムにも自らの力を認めさせる。その一心で戦いに明け暮れていた。強い相手との戦いを欲していたのも全ては力の証明に必要と考えたからだ。

 

「雑魚に用はねえんだよっ!」

 

 立ちはだかったゴーレムの顔面を殴りつける。錐揉み回転して墜落していく機械人形を追撃しないばかりか目で追うことすらしない。言葉通り、いくら雑魚を倒してもイーリスにとっては何の意味もない。

 必要なのは強者との戦い。心持たぬ人形はその時点で強者ではない。少なくともイーリスにとってはそうだった。

 短距離の機動力はブリュンヒルデをも上回るとされるイーリスは敵の包囲を突破した後、追撃を受けることなくレガシーのドーム内への突入に成功する。まだ内部のシステムは敵の手に落ちていなく、隔壁はどこも降りていない。配置されているゴーレムもなく、奥へと進むのに何も障害はなかった。

 

「罠か? それとも……」

 

 簡単すぎることが引っかかる。機嫌が悪くても頭は冷静だった。いとも容易く侵入できた事実は漠然とした違和感となってイーリスの脳裏を過ぎる。

 

「どちらにしても行くしかねえか」

 

 足を止めてしまったが他に選択肢はない。自分が強者であるためにすべきことは決まっている。レガシーを占拠している敵の親玉を討伐して、自らの強さを世界に示さなくてはならない。

 攻略済みの迷宮の中を進み行く。ここにもゴーレムは配置されていなく、静寂と暗闇の一本道を奥へと進む。

 敵の具体的な狙いはわからずとも敵の目的地にはおおよその予想がついている。

 迷宮の最奥部。篠ノ之論文が置かれていた宝物庫。

 クラウス社がまだ調査中だったISVSの秘密が残る場所。

 わざわざ企業の手に落ちたレガシーを狙う理由はそれ以外に考えられなかった。

 

 狭い通路を抜け出ると視界が開ける。目的地である宝物庫には案の定、敵の姿を一人確認できた。

 フードを目深に被ったコート姿の男。確認しづらいフードの中で金色の瞳が怪しく光る。男の周囲には黒い霧状の物質が細長く渦を巻いていた。

 

「最速の想定よりも20分ほど遅刻ですか……そんなだからテメエはエアハルトの小僧よりも格下だなんて烙印を押されたんだろーなぁ?」

 

 コートの男、ハバヤは涼しい顔で待ち受けていた。襲撃というだけでなく、ここにやってくるプレイヤーがイーリス・コーリングであることをも予期していたということだ。

 つまり、ハバヤはイーリス相手に逃げることを必要としていない。そう自覚している。

 

「お前が親玉か?」

「あ、そう見えちゃう? リップサービスとはいえ嬉しいことを言ってくれるじゃねーの、無冠のヴァルキリーさんよぉ」

 

 ハバヤはわざとらしくフードを下ろした。露出した顔はアメリカ代表であるイーリスも知っている。知り合いというわけでなく、更識家経由で世界中の企業に指名手配されていた要注意人物だったからだ。

 

「平石ハバヤだったっけか。亡国機業の生き残り」

「そいつは違うぜ。オレ様はもう平石の家を捨てたし、協力はしていたが亡国機業の一員になったつもりもねえ」

「ハッ! だったらお前はどこの誰なんだよ?」

 

 イーリスの問いと呼べないような軽口だったがハバヤは満足げな笑みを浮かべて愉快そうに返答する。

 

「オレ様は神に会った! 最高の力も得た! この世界でオレ様は人間の頂点に立つ!」

 

 返答と呼ぶには荒唐無稽。そもそも会話のキャッチボールすら成立していない。気が狂ったとしか思えない返答だ。

 イーリスは呆れを隠さなかった。その反応を眺めていたハバヤはむしろ表情に一層の愉悦を刻む。

 

「いいねェ! 理解できてないって顔だ! テメエは悪くねえ、それが普通だ! そう、ヴァルキリーなんて特別な存在じゃない、ただの凡人に過ぎねえ!」

 

 一瞬でイーリスの目つきが鋭くなる。

 これ以上、言葉を交わす意味を見出せない。

 目の前にいるのは敵。クラウス社の障害だとかそんなことはどうでもいい。レガシーを使って何を企んでいようが関係はない。

 この男はヴァルキリーを貶めた。イーリスの聖域を汚したのだ。

 身の内に眠る激情を抑える口実などどこにもない。

 瞬きをする程度の僅かな時間でイーリスの全力の右拳がハバヤの顔面へと向かう。

 

「熱血な性格と聞いてたもんだから、無言で殴りかかってくるとは思わなかったぜ。もしかして怒った? 怒っちゃった?」

 

 イーリスの行動は早かった。全てのプレイヤーの中で最速と言っても過言ではないイグニッションブーストで近づいて右拳をハバヤの顔面に叩き込んだ。まともに対処できるのはブリュンヒルデらトップランカーくらいなものだろう。事実、ハバヤは避けられなかった。

 否、避ける必要がなかった。イーリスの拳は何にも触ることなく空を切る。ハバヤの顔を貫通しても手応えは全くない。

 

「おや、驚いてない? ああ、なるほど。更識の連中から“虚言狂騒”の情報が出回ってるわけですか」

「タネの割れた手品に付き合うつもりはねえよ」

 

 ハバヤの単一仕様能力“虚言狂騒”。コア・ネットワークを通じて対象ISに誤情報を流し込み、幻覚を見せる特殊能力はヴァルキリーであっても攻略が難しい厄介な代物だ。

 だがそれは空間の範囲を無制限としたとき。相手を捕捉できないからこそ逃げに徹されれば倒す術がないという話でしかない。

 今、この戦場は限定された屋内だ。ならばイーリスの対処法は一つ。

 片っ端から攻撃すればいい。

 見えなくても接触はできる。狭い場所、さらに言えば柱などの障害物も存在しない場所ならば持ち前の機動力を駆使して虱潰しに敵の姿を探すことくらいできる。

 放たれた銃弾のように飛び出したイーリスは部屋の端に到達すると同時に跳弾の如く反転する。少しずつ着実にハバヤの存在できる領域を潰していき、ついにその居場所を特定した。

 

「そこだっ!」

 

 長引かせるつもりはない。ヤイバとの戦いと違い、この戦闘には一切楽しさを覚えなかった。

 だから躊躇なく終わらせる。クラウス社の誇る、対シールドバリアにおいて最強の威力を誇る大型シールドピアース“グランドスラム”で。

 振り下ろした右手は確実に敵を捉えた。同時に放たれた杭は敵の体に吸い込まれる。

 これで終わりだ。呆気ない。

 

「捕まっちゃいましたね~。じゃあ、今度はオレ様が鬼の番でいいよなぁ?」

「何……?」

 

 確かに手応えがあった。そのはずだ。幻覚ではなくハバヤはまだ目の前にいる。グランドスラムもハバヤの体にめり込んでいる。だというのにハバヤの顔から余裕の色が消えない。

 

「別に不思議でもなんでもねえだろ。オレ様に突き立てられた杭なんて無かった。それだけのことだっての」

 

 イーリスの拳が離れる。杭打ち機の口から飛び出していた杭部分はその半ばから消失していた。

 杭が打ち込まれたハバヤの腹部には黒い霧が渦巻いている。

 

「オレ様が単一仕様能力だけに頼ってこの戦場に来たとか思っちゃってたわけぇ? ちょっと情報を集めりゃわかるだろーに! 自慢じゃねーがオレ様は勝てる勝負しかしない主義なんだよ!」

 

 高笑いするハバヤの体に黒い穴がいくつも開き、それぞれから黒い霧が紐状になって延びる。その先端は狐を模していた。黒い霧の管狐(くだぎつね)の群れはイーリスの四肢を絡め取り、一瞬のうちに拘束を完了する。

 

「ぐっ。なんだこれは……?」

 

 もがいてみせるもビクともしない。そればかりかファング・クエイクの装甲が腐食したかのように溶けていき、ストックエネルギーも著しく減っていく。シールドバリアは消失していてサプライエネルギーも0。実質的な戦闘不能に陥っていた。

 

「ファルスメア。ISコアが際限なく人間からエネルギーを搾り取った結果、特性が変質したサプライエネルギーのことだが、そんな細かい話はどうでもいいよなぁ?」

 

 くっくっくと下卑た笑いを見せつける。

 

「これが純粋なゲームだったなら、オレ様の行為はチートだ。だがISVSは反則のある競技なんかじゃねえ。純粋な競争世界だ。力持たないものが敗北するのは必然で、力とは個人の有する操縦技術とは限らない」

 

 黒い管狐に拘束されたままイーリスは床に叩きつけられた。その無防備な彼女の腹をハバヤが右足で踏みつける。

 

「ぐっ……」

「これがテメエの現実だ! この程度じゃどう足掻いてもオレ様を倒せねえし、神には届かない!」

 

 ぐりぐりと右足に力を入れる。既にストックエネルギーも尽きてファング・クエイクは解除された。Illの領域の中、帰還できないイーリスは生身同然でハバヤの蹂躙を受けるしかない。

 

「次の予定まで暇だから遊んでやんよ」

 

 振り上げられた右足が再びイーリスの腹部を襲う。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ISが登場する前のこと、戦場で銃弾が飛び交うような時代だというのに“剣聖”と称される超人が軍人たちの間で恐れるべき対象として存在した。若き頃に武者修行と称して世界中を渡り歩いた剣聖は木刀を片手にあらゆる国家の軍隊を遊び半分で蹴散らしたと伝えられている。当然、表沙汰にするわけにもいかず、仮に一般人に情報が漏れていたとしてもこのような与太話を信じる者がいるはずもない。剣聖は事実を知る裏世界の者のみに恐れられていた。

 しかし、かの剣聖を止められる者が皆無だったわけでもない。とある年の冬のこと。ルーチンワークのように剣聖がドイツ軍と戯れていたとき、一人のドイツ軍人が彼の前に立ちはだかった。剣聖よりも一回りほど大柄で屈強な男は外見に似合わず策を巡らせる。計算し尽くされたトラップを駆使して剣聖の歩みを止めさせた。

 剣聖を止めた男。決して表には出てこない実績であるが、裏の世界では一目を置かれる存在となるに十分な功績だった。強大な相手を前にしても冷静に、冷酷に、ただひたすらに相手を追いつめるための一手を打つ。無感情に強敵を追い返した黒い軍服の男は、件の戦闘をした季節も踏まえ、いつしか友軍の者たちにこう呼ばれることとなる。

 ――“ドイツの冬将軍”と。

 

 

 イーリス・コーリングがレガシーに侵入する3分ほど前、黒いISの一部隊が先にレガシーへと突入していた。その先陣を切るはワイヤーブレードの達人、クラリッサ・ハルフォーフの駆るシュヴァルツェア・ツヴァイクである。立ちはだかるゴーレムの手足を巧みに縛り上げては放り投げ、強引な突破を敢行してきた。

 そのすぐ背後には男の姿がある。白髪の混じり始めた初老の男は年齢にそぐわない筋骨隆々とした武人。武闘派と呼ぶのが勿体ないほどの頭脳派でもある彼は黒ウサギ隊を設立した男、ブルーノ・バルツェル准将である。

 

「ここがレガシーという場所か。敵に制圧された拠点にしては静か過ぎる」

「索敵を行います。准将はこの場で待機を」

「あまり年寄り扱いするな。今の私はただの一兵卒と同じとして扱え、ハルフォーフ大尉」

 

 追従していた数名の隊員たちがレガシー内部に踏み込んでいく後ろをバルツェルも続く。

 レガシーの内部にはゴーレムが配置されていない。外での戦いが嘘のように静まりかえっていて、未だに新手が現れる気配が感じられない。

 バルツェルの経験上、こうして拠点内を空にして敵を引き込むのは罠が仕掛けられている可能性が高い。その選択肢としては施設ごと自爆することも考えられる。通常の現実での戦闘ならばこの時点で撤退を選択するところである。しかし、今は仮想世界であり、加えて引くわけにはいかない事情もあった。

 

「ハルフォーフ大尉はどう考える?」

「外の守りが堅牢過ぎることから罠の可能性は低いかと。おそらくは放棄寸前といったところでしょう。敵の目的は不明ですが、その目的が完了するまで時間がないと思われます」

「躊躇するだけ無駄だな。急ぐぞ」

 

 黒ウサギ隊がこの戦場にきた目的は一つ。ラウラを取り返すことのみ。

 敵がまだこの場に残る理由がある間にラウラを取り戻さなくてはならない。

 先を急ぐ黒ウサギ隊の足はすぐに止まることとなった。

 

「隊長……」

 

 先頭を進んでいたクラリッサを阻む形で黒い甲冑のIllが立ちはだかる。以前に被っていたフルフェイスの兜は最初から装備しておらず、剥き出しとなっている顔は間違いなく黒ウサギ隊の隊長であるラウラ・ボーデヴィッヒに違いない。

 だが見慣れた顔と唯一違っている点がある。金の瞳を宿す左目の眼球のみが漆黒に染まっていた。

 

「隊長!」

 

 クラリッサがもう一度呼びかける。しかしラウラからの返答はなく、無言のまま大剣を頭上に掲げるのみ。

 言葉が届かない。ならば残る手立ては実力行使。力尽くでも連れ帰ると隊全体で誓いを立ててここまで来た。たとえ相手がブリュンヒルデに匹敵するとわかっていても、進む選択肢しか存在しない。

 背中、肩、腰からワイヤーブレードを引き伸ばす。クラリッサを中心として張り巡らされた黒の枝は敵ISの接近を阻む剣の結界。近接型に対して圧倒的に優位に立つ中距離格闘に特化したシュヴァルツェア・ツヴァイクは未だブリュンヒルデ以外の機体に接近を許したことがない。

 とはいえ、情報が確かならラウラの使用しているIllにはVTシステムが搭載されている。ブリュンヒルデの再現度次第ではあるが黒枝の結界が破れる未来も脳裏に過ぎってしまう。

 ラウラの一挙手一投足に集中する。最大限に警戒すべきはイグニッションブースト。大剣の射程に捉えられる前にワイヤーブレードで接近を阻止できなければクラリッサは即座に敗北する。

 そう。クラリッサはISの戦闘を想定していたのだ。

 ラウラが大剣を床に突き刺すまでは。

 

「この状況で使ってくる!?」

 

 大剣が突き立った場所を中心にして床も壁も天井も氷が覆っていく。空気すらも凍り付いたかのように錯覚し、全身が急激に重くなる。

 

 ――単一仕様能力、“永劫氷河”。

 ラウラの保有するワールドパージはISのPICを一部制限して飛行能力を凍結させると共に、空間内を飛翔する物体を静止させて地に落とす。つまり空間内のISは全て射撃武器が使えず、地を歩くことしかできない。

 エアハルトに捕らえられる前のラウラには無かった力であり、情報は実際に対峙したブリュンヒルデからのものしか受け取っていない。そのため、クラリッサは自らの機体に起きる異常を想定していなかった。

 

ワイヤーブレード(シュベルト・ツヴァイク)が!」

 

 物理的な結界を作り出していたワイヤーブレードはPICが機能していて初めて操作できる代物である。当然、PIC制限の影響を受けてしまえば、浮いていたワイヤーブレードは全て地に落ちる。力なく枯れ落ちた黒い枝に本体を守るための防御力は欠片もない。

 永劫氷河を使われても有利に展開できると踏んでいたクラリッサだったがその思惑は脆く崩れ去った。

 抵抗する術のないクラリッサの元へ大剣を掲げた黒騎士が駆けていく。そこに一切の躊躇いはなく、怒りも悲しみも表情に載っていない。家族以上の時間を過ごしてきた、妹のような上官が機械のごとき無感情さで刃を向けてくる。

 

「――悲観するな、ハルフォーフ大尉。私がいる」

 

 クラリッサに振り下ろされた大剣は刃渡り30cmほどのナイフに受け流されていた。

 対峙していた二人の間に割って入ったのはこの場で唯一の男性。古くから二人を見守ってきたブルーノ・バルツェル。

 

「准将……?」

「私はISの戦闘に関しては素人同然だ。しかし、ISがISらしさを発揮できないこの戦場はむしろ私向きだとは思わんか?」

 

 武器の質量差を操縦者の膂力の差で覆す。バルツェルがナイフを振るい、大剣で受け止めたラウラは後方へと弾き飛ばされた。

 

「ハルフォーフ大尉はその場で待機。他の隊員はワールドパージの範囲外で封鎖に当たれ。邪魔者をここへ近づけるな!」

「ハッ!」

 

 成り行きを見守っていた隊員たちは助太刀に加わることなく指示されたそれぞれの持ち場へと駆けだしていく。ブリュンヒルデに相当するラウラを前にして射撃を封じられている時点でほぼ全ての隊員は戦力とならない。ならば余計な敵の乱入を抑えてもらう方が都合がよいという判断だった。

 クラリッサを残しているのは永劫氷河を解除された時の対策。通常のIS戦闘が始まってしまえば、経験の少ないバルツェルに勝機はない。だからこそ、入れ替わりでクラリッサが戦える態勢にしておく必要がある。

 状況は整った。バルツェルかクラリッサのどちらかが倒れるまで、ラウラとまともな戦いをすることができる。

 バルツェルはナイフを持たない左手で自らの胸をドンと叩く。

 

「かかってくるがいい、ラウラ・ボーデヴィッヒ。このバルツェルがお前の相手をしてやろう」

 

 俯いていた顔を上げたラウラの左目だけがギョロリと別の生物のように動いてバルツェルを注視する。右目は焦点が定まっていなく、虚ろに視線が彷徨う。

 

「……死ね」

 

 ラウラの口から言葉が漏れた。まるで感情のない人形のようであったさっきまでと明確に異なる。たった二文字のその言霊には確かな感情が宿っている。

 口だけではない。ラウラは大剣を下段に構え、地面に滑らせるようにしてバルツェルへと迫る。走り込んだ勢いを乗せて、力任せに大剣を振り上げた。フェイントも何もないあまりにも単調すぎる攻撃。たとえ達人でなくとも避けることは難しくない。

 だがバルツェルは足を動かさなかった。手にしたナイフでラウラの大剣を真っ向から受け止める。今度は衝撃を逃がす場所もなく、バルツェルが一方的に吹き飛ばされた。

 

「ぐっ……重いな」

 

 物理的な衝撃のみにあらず。この呟きは心への負荷を端的に表したものだ。

 凍り付いた床を滑りながらも受け身をとったバルツェルは即座に身を起こして半分に折れたナイフを正面に構える。

 

「これほどの殺意をずっと抱えていたのか……やはり私には人を育てる資格などなかった」

 

 ラウラの攻撃を避けなかったのではなく避けられなかった。洗脳されたラウラを連れ戻すと意気込んで来たバルツェルだったが、『死ね』というたった一言に大きく心を抉られ、判断力を奪われていた。結果的にバルツェルは身を以てラウラの憎悪を知ることとなってしまった。

 操られただけではない。ラウラは自らの意志でバルツェルを攻撃している。後見人として成長を見守ってきた娘のような存在に憎悪を抱かれていた事実はバルツェルの鋼の精神でさえも苦しくなるほどに重く伸しかかる。

 

「力尽くで捻じ伏せるのも私の義務」

 

 バルツェルが左手に所持していた遠隔操作用のスイッチを押し込む。アナログな手順で起動する仕掛けは設置していた爆弾を起爆するだけの単純なもの。設置場所には先ほどまでバルツェルが立っていた。つまり、今そこにいるのはラウラ。

 射撃武器が使用不可能ならば設置したトラップで攻撃する。あくまで真っ向勝負にこだわらずに最善の勝利を模索する。それがバルツェルのやり方だ。

 だからこそか。バルツェルの奇襲は逆に奇襲にはなりえない。

 炸裂したはずの爆弾は爆風を撒き散らすことなく砕けるだけに終わった。永劫氷河の影響でなく、ピンポイントでAICが使用された結果である。PIC凍結の影響下であっても強力なAICならば機能するというラウラにとっての情報アドバンテージを失ってまで、彼女はバルツェルに力を誇示してきた。

 

「読まれた。やはりお前はラウラなのだな」

 

 意志無きモンスターにあるはずのない意地がそこにあった。

 自らの思惑を易々と潰されたというのにバルツェルの顔には笑みさえ浮かぶ。

 なんてことはない。ラウラが黒ウサギ隊を離れたのはきっかけこそ洗脳だったかもしれないが、現状はもっと単純なもの。

 

「思い返せばお前は昔から手の掛からない優秀な子だった。私の教育が良かったからだと密かに誇っていたのだが、自惚れに過ぎなかったというわけだ。つくづく私は未熟者だと思い知る。堅物だと織斑に言われていた頃から何も成長していない」

 

 ナイフは折れた。だがまだ心は折れていない。それどころか、より大きな支えを得た老戦士の両の足は揺らぐことなく氷の床を踏みしめる。自らの後悔を口にしようとも、彼の口元から笑みは消えず。

 

「私は退かぬ。全ての不満をぶつけてきなさい」

 

 戦いを生業とする者とは思えぬ穏やかな顔をしていた。

 かつて世界最強の剣士と恐れられた男を単独で追い返したドイツ最強の軍人の面影はどこにもない。

 この場に立っているのは軍人でなく、一人の親に過ぎなかった。

 

「……ふ、ざ…………けるなァ!」

 

 口数の少なかったラウラが閉ざされていた感情を雄叫びとして放出させる。

 

「私は! 私はァ!」

 

 叫びながら駆け出す。大剣を握る手は力強く、その戦意は一切失われていない。

 ただし何も変わっていないことなどない。焦点の定まっていなかった右目はたしかにバルツェルを捉えるようになっていた。

 

「私は遺伝子強化素体(アドヴァンスド)だ! お前が仲間たちを殺したんだ!」

 

 振り下ろす大剣に容赦は欠片もない。

 バルツェルは辛うじて折れたナイフで剣撃を受け流す。

 

「そうだ。今まで黙っていたが、私はかつて遺伝子強化素体を滅ぼす作戦を指揮していた」

 

 攻撃を捌きながらもバルツェルの額には冷や汗が浮かんでいる。激情に身を任せただけのラウラの単調な攻撃でも、まともな武器を持っていないバルツェルにとって一つ一つが綱渡り。いつラウラの怒りの奔流に飲まれてしまってもおかしくはない。

 

「私も殺すつもりだったんだろう!」

「その通りだ。あの作戦の殲滅対象に例外は指定されていなかった」

 

 大剣を振り回すラウラの右目には大粒の涙が浮かぶ。

 バルツェルの言葉には嘘偽りがない。Illを纏っている状態にあってもエアハルトの洗脳は切れている。育ての親の性格を熟知しているからこそ、バルツェルが命令に忠実に従ったであろうことは容易に想像がついてしまう。

 

「なぜ私を生かした! なぜ私を育てた!」

「…………」

 

 ラウラの問いに即答していたバルツェルが押し黙る。彼の脳裏にはいくつの葛藤が走り回っているのだろうか。口を堅く結び、困ったような視線をラウラに向ける。

 

「私は都合のいい兵士だったのだろう! お前が私に与えた地位も、部下も、全て私という化け物を有効に利用するためのものだった!」

 

 歪な生まれ方をしたラウラは他者よりも優遇されてしまった。分不相応な扱いを受けている。彼女の眼帯の下には常に人間に対する劣等感が潜んでいて、認識と現実との差違の原因を差別という概念に置き換えてしまった。

 人は人らしく、化け物は化け物らしく。

 シンプルな回答は実にしっくりとくる論理(ロジック)である。人として育てられた15年間の歴史は、彼女の中に巣くう鬼を育てていた。

 

 ――化け物は化け物らしく。兵器であることを望むなら兵器となってやろう。

 

 エアハルトの洗脳の効力は尽きている。しかし、元々のラウラ自身の抱えていた闇が消え去ることはなかったのだ。

 

「これが私の真実の姿だ! さぞ満足したことだろう!」

 

 ラウラが吠える。否。右目から飛び散る滴は彼女が泣き叫んでいることの証明だ。

 もはや自分が何を言っているのか、何を言いたいのかすらも見失っている。

 がむしゃらではあるが、その剣撃は重い。まともに受ければひとたまりもないことは初心者プレイヤーでも察することくらいできる。そして中級者ならば避けることも造作もない。

 故に、この攻撃が当たるとすれば――

 

「ああ。これが反抗期というものか」

 

 攻撃を受け入れる意志がある者に対してだけだろう。

 折れたナイフを投げ捨て、両手を広げたバルツェルは自らに迫る凶刃を受け入れた。

 

「なぜ……?」

 

 ラウラの大剣はバルツェルの体を貫いた。ストックエネルギーを空にしただけでなく、アバターをも消失させる一撃。傷口から光の粒子が漏れ出て、ラウラの黒い左目へと徐々に吸い込まれていく。

 

「お前の素直な声が聞けて、私は嬉しかったぞ」

 

 消えていく体。最後に残された右腕はラウラの頭を優しく撫でた。

 これまで、ただの一度もなかった温もりだった。

 

「……どうして……」

 

 ラウラの口元には笑みが浮かんでいる。左目はギラギラと周囲を威嚇していて、体は臨戦態勢が整っている。

 しかし右目だけは変わらず涙をこぼし続けていた。

 

「どうして私を切り捨てない……」

 

 兵器は制御ができなくてはならない。制御を失った今のラウラを生かしておく理由など、今のラウラには到底理解できなかった。彼女にとってバルツェルとは軍人でしかなかったから……

 ラウラの意志とイラストリアスの意志に大きな隔たりが生じる。体は一時的に全ての命令を拒絶し、両手をだらりと下げた。バルツェルの姿が消えて無くなっても彼女は動きを止めたままだった。

 

 氷に包まれた静寂の地平には黒騎士が呆然と立ち尽くしている。

 翼を奪われた者たちの目は常に地を見つめ続けていた。

 だからこそ、見えていない。

 天井の一点を暁の空に変えている存在に――

 

 ラウラの背後に鮮やかなオレンジ色をしたISが上から降ってきた。同時にラウラの背中に2本のブレードスライサーが斬りつけられる。

 

「……やっと追いついたよ、ラウラ」

 

 天井から落下して奇襲を仕掛けたプレイヤーはシャルル。永劫氷河の影響下において床に張り付けとなったプレイヤーたちの意識は前後左右の平面に向けられる。それはラウラも同じである。シャルルはその死角を突くために壁をよじ登っていたのだった。

 新手の敵を認識したラウラは無言のまま大剣を横に薙払う。反撃を予期していたシャルルは既に距離を取っており、大剣は虚しく空を切った。ブリュンヒルデをトレースしていた面影はどこにもない。剣士の技にはほど遠く、まるで子供のチャンバラごっこのような振り方だ。

 

「早く戻ってきてさ、二人で一夏の家にお邪魔しようよ。居候が僕一人だけだと心苦しいんだ」

 

 攻撃の空振りを確信していたシャルルは即座に反転してラウラに詰め寄る。振り切った大剣はすぐに戻ることはない。返す刃よりも早くブレードスライサーはラウラの胴を打つ。

 ラウラはシャルルに対して無言を貫いている。しかしその表情には若干の苦悶が浮かぶ。

 

「今度は僕がキミを助け出してみせる」

 

 シャルルは自分がギドに喰われた後のことを伝え聞いている。ラウラが自分を助けるために必死になってくれていたことを。たとえ直接的にシャルルを助け出したのがヤイバであっても、シャルルが恩義を感じているのは救出されたことに対してだけではない。

 

「友達だから!」

 

 デュノア家に引き取られて以降、シャルロットはそれまでの友人との付き合いがなくなり、新しく友人を作れず孤独な毎日を過ごしていた。ISVSを始めたのも、デュノア家に対して自分の価値を認めさせたいという思いの他に、人とのつながりを欲していた。心はいつも孤独だった。

 シャルロットはヤイバから必要とされた。自らの価値を見失っていたシャルロットにとって、ヤイバの勧誘はとてつもなく嬉しいものだった。

 そして、ヤイバの元でシャルロットはラウラと出会う。たまたま同じようなタイミングでヤイバと知り合い、たまたま近くで行動していただけの関係。だからこそ気楽な間柄となれたのかもしれない。いつの間にかシャルロットは孤独を感じなくなっていた。

 親友。言葉にするのは簡単であるが、手にするのは難しい。なぜならば恋人のように一大決心の告白をするわけでもなく、契約を交わすわけでもない。得るものではなく、いつの間にかなっているものなのだ。

 ラウラ・ボーデヴィッヒは親友である。シャルロットの中に確かな思いが存在する。たとえ一方通行であろうともこの思いを自分から否定することはない。

 

「本気でいくよ」

 

 親友だからこそ手を抜くわけにはいかない。表立って口にはしなかったものの、ラウラは親友であると同時にISVSのライバルでもある。たとえ正気のラウラが相手であっても、手加減をすることは絶対にあり得ない。

 ラウラは自分から後ろへと下がる。ブレードスライサーの間合いはラウラの大剣よりも狭い。近づかれてしまった現状は剣の技量の差を覆すこともあり得る。

 定石。つまりは容易に予測できる行動。劣っている戦力で戦い続けてきたシャルルにとって、敵の行動分析はお手の物。シャルルが不敵な笑みを浮かべた次の瞬間――

 

 ラウラの足下が爆発する。

 

「接触式の機雷を床に撒いておいたんだ。ISなら光学迷彩くらい突破できるだろうけど、僕と戦いながら見極められるかな?」

 

 バルツェルがラウラの注意を引いていた間、シャルルはこの戦場に機雷を仕掛けていた。永劫氷河の領域内において、射撃攻撃は使用できないが爆発物は使える。投擲すらもまともにできない可能性を考慮すると、罠を設置するのが手っ取り早い。

 ISVSにおいて、爆発物をダメージソースとして利用できるのは装甲に対してのみである。その理由はPICCの性能の低さ。永劫氷河の中ではISの防御機能のPICが制限されているため、爆発物のダメージを軽減する力が大幅に減っている。

 一度はピンポイントAICで防いでいた。しかしバルツェルのときと違い、シャルルの攻撃は読めていない。爆煙が晴れたとき、現れたラウラの足装甲は右だけ剥げ落ち、素足が覗いていた。

 攻撃の結果を確認することなくシャルルは次の攻撃に移る。彼女の知るラウラはこの程度で終わるような相手ではない。攻められるうちに攻めなくては即座に攻守が逆転してしまう。

 二刀を上段から振り下ろす。まだ爆発の余韻から復帰できずにいたラウラは大剣を構えることもできず、咄嗟の判断で後ろへ退く。永劫氷河によって飛べないことに加え、片足を失っているラウラのISでは着地もままならず、素足である右を床についた。

 ラウラには迎撃体勢が整わぬ間は後退するという癖がある。より勝率の高い選択肢を選ぶという彼女の身に染み着いた当たり前をシャルルは知っている。だからこそ、この戦いに勝機を見出した。

 

「そこもアタリだよ」

 

 シャルルの思惑通り、装甲のない足で機雷を踏みつけたラウラが爆風に包まれる。罠を仕掛けた場所もラウラの逃げる先も全て予定調和。戦いを仕掛けた時点で思い描いたシナリオ通りの戦闘により、ラウラに致命傷に近いダメージを負わせた。

 あとは仕上げに入るのみ。確実に倒したと判断できるまでシャルルが手を止める理由はない。一方的に押しているのは策が全て通用しているからであり、一つの油断が敗北を招くのだと身を以て知っている。

 脇目も振らず、ただ真っ直ぐに全力疾走。両手に握られたブレードスライサーをそれぞれ正面に構え、ただ真っ直ぐに突き出す。

 

 だが――シャルルの思いは届かない。

 

「くっ、ピンポイントAIC……」

 

 突きだした剣はラウラを目前にして静止する。空気ごと凍り付いたように動かない剣をシャルルが力付くで動かすのは無理がある。故にシャルルの行動は決まっている。

 

「だったら、これでどうだ!」

 

 ためらいなく剣を手放したシャルルは前に進みながら新しく武器を具現化した。拡張領域から取り出したのはまたしてもブレードスライサー。ラウラとの戦闘において物理ブレードが有用であるとわかっていたため、当然のように予備も用意してある。

 ピンポイントAIC使用中のラウラは無防備であるはず。その隙をついてこの戦いに決着が付く。そんな考えが過ぎった一瞬のことだった。

 シャルルの手にあるブレードスライサーが一刀両断された。

 

「この太刀筋はブリュンヒルデ!?」

 

 一手足りなかった。バルツェルとの戦闘で自我が表出したことによりVTシステムはその機能を発揮できずにいた。しかし眠っていたはずのシステムが再び稼動を始めている。敗北を前にしたラウラの『勝って生き残る』という本能が力を求め、彼女の使用IllであるイラストリアスはVTシステムが提示する最適な条件の体へと自らを作り替えていく。

 まず全ての装甲がどす黒い泥となって溶けた。粘性のある流体がラウラの全身を這い回ると、そのまま彼女の姿を覆い隠していく。

 泥の塊と化したイラストリアスはその後、人の形を形成。

 ラウラよりも高身長の女性のシルエットはシャルルも見覚えのある者。

 織斑家で出会った、世界最強のIS操縦者そのもの。

 

「VTシステムが暴走してる……?」

 

 VTシステムは禁忌とされている技術である。その理由は簡単なもの。優秀な操縦者の技能を模倣する代わりに、模倣している操縦者の自我を崩壊させてしまうからだ。

 過去に行われた悪しき人体実験をシャルルは知っている。暴走したVTシステムは操縦者を作り替えようとし、人格が変わってしまう。暴走したISを破壊した後、救出された操縦者は魂が抜けたように動かなかったという。肉体が生きていようとも精神が殺されているのだろう。

 

「ラウラーっ!」

 

 もはや手遅れなのか。それともまだ辛うじて時間の猶予があるのか。判断が付かないまま、シャルルは前に飛び出た。常に先を予測し、身体能力のみで戦うことを避けてきた彼女ががむしゃらに飛び出すほど動転していた。武器を手に持っていないことすらも忘れていたのだ。

 黒き泥人形が動く。右手には雪片を象った泥の太刀。ラウラの理想とする強者が爆発的な加速(イグニッション・ブースト)でシャルルに向かってきた。

 ここでシャルルはようやく気づく。VTシステムが暴走した影響だろうか。もう永劫氷河(ワンオフ・アビリティ)の効力が切れている。それはそのまま、ラウラの自我がもう残っていないことを意味していた。

 

 シャルルはその場で立ち尽くす。自らを狩ろうとする黒き凶刃を見つめたまま、彼女はおもむろに呟いた。

 

「……僕の最低限の役割は果たした。あとは任せるよ、ヤイバ」

 

 一刀の元に斬り伏せられるシャルル。ここに辿り着くまでに受けた損傷も軽微でなく、加えて黒い泥人形はブリュンヒルデの単一仕様能力である“零落白夜”を使用できている。ストックエネルギーは尽き、これ以上の戦闘は不可能となった。アバターも形状を維持できず、Illの結界によって現実に帰還することもできないシャルルはその場にただ留まるだけ。あとはIllの餌食となるのを待つばかりのか弱い存在となる。

 絶望的な状況となるはずのシャルルだがその顔には最後まで悲観の色は浮かばなかった。心残りはラウラが無事であるかどうかだけであり、己のことなど全く気にしていない。

 泥人形がシャルルだった光へと手を伸ばす。しかし、その手がピタリと止まり、泥人形は頭上を見上げた。そこには――

 

「あとは任せろ、シャル」

 

 蒼き翼のヤイバが駆けつけてきていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 外の敵戦力の攪乱を行っていたヤイバは隙を突いてレガシー内部へと突入した。外部は未だにゴーレムの軍勢との戦闘が続いており、プレイヤー側が押されている状況に変わりはない。

 その様子をラピスは静観している。今までの大規模な戦闘でもたった一人で戦況を管理してきていた彼女の有り余っている情報処理能力は使われないまま。ヤイバ一人のサポートをしながら、周囲の観察を続けるばかりだ。

 

「やはりゴーレムは亡国機業の使っていたリミテッドとは出力から違いますわね。単機でISと互角以上の能力を持っている無人機……そんな代物を軍隊と呼べる数まで揃えている相手とは何者でしょうか」

 

 各国のエリートが敗れていく戦場を他人事のように冷めた目で見据える。彼女の興味は主にヤイバが目的を達成できるかどうかに向いており、他には敵の正体が何者かくらいしかない。

 既に亡国機業の親玉(エアハルト)はヤイバに倒されている。オータムを筆頭とした亡国機業の残党の存在は確認できているが、残党の反攻にしては規模が大きすぎる。これだけの情報からでも、ゴーレムを従えている敵はエアハルトとは別勢力であると推定できる。

 別勢力というだけではない。エアハルト以上の戦力を保有していると言ってもいいくらいだ。だからこそ一つの可能性に思い至ることとなる。

 

「ナナさんを捕らえている何者か……と見て良さそうでしょうね」

 

 エアハルトが更識楯無に捕縛された後、ナナが行方不明となり、同時期からIllがISVS上から姿を消していた。そこには一つの意志が介在している。ラピスはそう考えている。

 ラウラ救出は敵の正体に迫るための決定打になるはず。エアハルトの洗脳が消えた後の彼女が敵であるまま立ちはだかっている原因にこそ真実が隠されている。

 そう。ラピスは決定打となる情報を求めている。何の目的でクラウス社のレガシーを襲撃したのかは想像すらできていないが、誰ならばゴーレムの軍勢を引き連れることができるのかはもう最初から結論が出ていた。

 

 期せずして、決定打となる情報は向こうからやってくる。

 

 星霜真理が遙か上空より戦場へと飛来するISの存在を感知した。見上げたラピスの視界に入ってきたISの形状は人間。メカメカしい装甲などなく、水色のドレス姿で頭にはウサ耳のカチューシャを着けている。

 味方の援軍とは考えられなかった。何故ならば彼女は人類がどうなろうと知ったことではない。全く付き合いのないラピスでも彼女の人間性を伝え聞く程度には異質な人間であることを知っている。

 

「篠ノ之束……博士」

 

 IS、並びにISVSを世に送り出した天才、篠ノ之束。

 彼女は既に現実の地球上には存在しない人間。しかしISVSの中では死んだはずの人間が意志を持って活動していたのをラピスは見てきた。ゲームが作り出した幻想だと考えることなどなく、当然のように束本人がこの戦場に姿を現したのだと受け入れた。

 

 篠ノ之束の姿をしたISは全ての戦場を見下ろすかのように空の上でふわりと滞空する。まだ戦場で彼女の存在に気づいているのはラピスだけ。

 ラピスが観察している中、篠ノ之束は無言で右手に杖を取り出した。まるで小さい女の子向けアニメに出てくる魔法少女が手にしているかのようなデザインの可愛らしい杖だ。

 

「きらきら☆ぽーん♪」

 

 幼稚さを感じさせる声音と共に杖を振り上げた。一見すると相手を小馬鹿にする挑発行動とも受け取れるキテレツな言動と行動。ただし、それは何事も起きなければという前提での話だ。

 篠ノ之束が杖を振り上げると同時にラピスの体は真下の地面へと引っ張られていく。

 

「え……」

 

 ラピスは一部始終を見ていた。にもかかわらず何をされたのかすぐには理解できなかった。

 ブルーティアーズが落下を始めている。飛ぼうとしても全く言うことを聞かず、PICが機能していない。

 ようやく気づいた。これはラウラの単一仕様能力に酷似した、ISの飛行能力を奪う攻撃であるのだと。

 

 玉座の謁見(キングス・フィールド)

 篠ノ之束が自ら作り上げた対IS用兵器の一つ。原理はPICCと同じであり、強力なAICによってPICを打ち消すというもの。しかしその規模は破格であり、打ち消すに留まらない。

 

 敵味方問わず、次々とISが地面へと墜落する。不時着したISには物理的な衝撃を抑えるPICが機能していないため、多大なダメージを受けている。とはいうもののシールドバリアも衝撃から身を守ることはできるので高々度からの落下でも即座に戦闘不能とはならない。

 しかし――墜落した後で起きあがるISは1機もなかった。地に落ちたISは皆一様に這い蹲っている。ラピスもその例に漏れなかった。

 

「強力な重力……? これがAICだとでも言いますの!?」

 

 冷静な分析と事実を受け入れられない混乱が同時に脳内に展開される。

 紅椿という機体の性能から知っていたつもりだった。

 しかしISの開発者の持っている技術はラピスの想像を遙か先をいく。

 

 もう、ここは戦場ではなくなった。

 激しい銃撃の嵐はとうに凪いだ。

 戦っている者など誰一人として残っていない。

 仮想世界の主を前にして、全ての者が彼女の前に膝を突き、頭を垂れる。

 人がいくら集まろうとも一息で潰せるのだと思い知らされているようだった。

 

 ここでラピスは気づく。篠ノ之束を見てしまった瞬間からヤイバの意識を感じ取れなくなっていることに。

 まだクロッシングアクセスを完全に使いこなせているわけではない。ヤイバの方はいざラウラとの戦闘という場面だったところまでは覚えている。そんな土壇場でヤイバから翼を失わせてしまった。

 

「ヤイバさん!」

 

 慌ててラピスはヤイバの様子を探ろうと通信を試みる。

 気が動転していたラピスだったが、視野だけは広いまま。

 意識をヤイバに向けながらも観察を怠らなかった彼女は見てしまったのだ。

 

 遙か遠方。およそ戦闘距離とは思えぬ場所に佇む篠ノ之束と目が合ったことに。

 篠ノ之束の右手はピストルを象っている。人差し指の先は真っ直ぐラピスに向けられていた。

 

「BANG!」

 

 篠ノ之束は戯れのように銃を撃つ仕草をする。本来は撃たれた側のリアクションで楽しむ遊びであるが、篠ノ之束が関わると最早遊びにはならない。

 撃たれた。ラピスがそう思ったときにはブルーティアーズが機能停止。星霜真理どころか通常の通信も使えない。Illの影響下で帰還できないラピスは戦闘が終わるまでこの場に留まることしかできなくなった。

 

「どう……して……?」

 

 目を見開いたまま、ラピスは呆然と篠ノ之束を見つめていた。

 

「どうしてわたくしをわざわざ攻撃しましたの?」

 

 呟いた言葉は疑問。自分がどのような攻撃をされたのかなどはどうでもよく、なぜ自分だけを攻撃したのかが論点だ。

 篠ノ之束の狙いは何か。

 ラピスに通信すらさせない目的はどこにある?

 もし篠ノ之束がラピスの人間関係を知っていたのならば……通信させたくない相手など一人しか心当たりがない。

 

「ヤイバさんが危ない!?」

 

 篠ノ之束がヤイバをどうしたいのかは相変わらず推測すらできない。

 しかし、戦場を沈黙させた篠ノ之束が向かう先はレガシーの内部。

 その先にはヤイバがいる。篠ノ之束の目的がヤイバと無関係だなどと楽観視していられない。

 ラピスはガラクタ同然となったブルーティアーズを体から剥がして、生身のアバターの姿で駆けだした。

 間に合うはずがない。そもそもラピスの足で辿り着けるのかも定かではない距離。走るだけ無駄だとわかっていてもじっとしていられなかった。

 情報を封鎖する目的などパターンが限られている。この場合、篠ノ之束は織斑一夏の知り合い。他に信頼する人物の声を聞けなかった場合、唯一の知り合いの言葉を信用する確率は高い。

 

「ダメですわ、一夏さん! 篠ノ之博士の言葉に耳を貸してはいけません!」

 

 ラピスの声は誰にも届かない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シャルルからの報告にあった通り、ラウラはこの戦場に()()。もしかすると文字通りの過去形になってしまったのかもしれない。そう思えてしまうほどの事態が俺の目の前で起こっている。

 

「何なんだよ、その姿はっ!?」

 

 シャルルの姿も消えた戦場に残されていたのは俺の知ってるラウラではなく、黒い甲冑のIllでもない。どす黒いヘドロが人型に固まったような泥人形だ。

 VTシステム。ラピスの知識から引っ張り出してきた情報が正しいのならば、今のラウラはシステムに意識を乗っ取られている状態だろう。仮想世界での出来事とはいえ、このまま放置すれば彼女の精神が危うい。

 ……だなどと、ラウラを気遣う言葉は大義名分に過ぎないな。

 雪片弐型の刀身を展開し、切っ先をラウラに向ける。

 

「それで千冬姉になったつもりか」

 

 俺は苛立っている。怒りの矛先は助けるべき対象。

 ラウラが千冬姉の……ブリュンヒルデのファンなのは知ってる。戦いを生業にしている者ならば、憧れて当然だとも思ってる。世界最強の肩書きは魅力的で、自分もそうなりたいのだと俺も柳韻先生の背中を見て思ったものだ。

 だけどさ。共感できるからこそ、許せないことがあるんだよ。

 

 フッと俺の背中で待機していたBTビットが消失する。同時に左手のインターセプターも消えてしまい、サプライエネルギー総量も減少した。

 ラピスとのクロッシングアクセスが消えた……? 通信もつながらない。表にいる彼女が戦闘不能に追いやられたということか。彼女のことは心配だが今は俺がやるべきことをしなくてはならない。

 ラピスが見てくれていない今の俺は無敵のヤイバとなれてない。この状態でヴァルキリー級の敵と戦うのは愚かだというのもわかってる。だけどここは退くわけにはいかない。

 

「いくぞ。ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 最早彼女の意識が残っていないかもしれない。

 だからどうした。今、彼女のことをラウラだと言ってやれるのは俺だけだ。何よりも、俺は目の前の泥人形に対して『千冬姉に似ている』だなどとふざけたことを抜かすつもりは毛頭ない。

 ここに立っているのは俺だけ。そして、俺が戦う理由は十二分にあった。

 

 先に飛び出したのは泥人形。細かい所作の一つ一つまでもが見覚えのある動きにピタリと一致しているのが忌々しい。無駄なんて何一つない、完璧な模倣(トレース)ができていると実の弟である俺が太鼓判を押すとしよう。

 模倣は形だけでなく能力もだ。イーリス・コーリングと違って静か過ぎるイグニッションブーストは凝視していたところで『こちらに接近している』と認識させない。気づいたときには目の前に振り下ろされた刀が存在している。それが千冬姉の剣。

 

 そう、見てても理解が追いつかない。純粋な速度でなく、動きを悟らせない所作にこそ篠ノ之流剣術の速さの秘密が隠されている。

 奥義とは剣を振ることに非ず。

 波紋すら立たぬ水面のように静かな平常心を保つことこそが篠ノ之流の真髄である。

 

 漆黒の凶刃を上半身を逸らして避ける。泥人形が零落白夜を発動しているため受け止めるのは無理だから避けることに意識を割く。

 見てもわからない攻撃なら最初から見なければいい。俺には柳韻先生のような心眼はないけれど、俺に染み着いている記憶が俺の辿るべき未来を綴ってくれる。

 

 昔から千冬姉には敵わなかった。千冬姉は俺の幼さを理由として挙げてくれたけど、俺は心のどこかで一生敵わないと諦めかけてた。柳韻先生も含めてまるで別世界の人間のようにすら思えてしまった。

 そんな俺だったけど、結局は諦めなかった。柳韻先生や千冬姉のように強くなりたいという憧れはもちろんある。だけどそれ以上に、カッコいい自分でありたい理由があった。

 

 ――諦めてしまった俺では()()の隣に立てない。

 そう思った俺は何度敗れようとも千冬姉にがむしゃらに挑んでいたんだ。

 

「次は逆袈裟のフェイントから胸への突き」

 

 泥人形は俺が宣言したとおりに攻撃してきた。当然、その刀は俺に掠ることすらない。

 ラピスの星霜真理よりも鮮明に敵の次の動きが手に取るようにわかる。VTシステムとやらは確かに完璧に千冬姉の動きをトレースできている。だからこそ俺はハッキリ見なくても攻撃を見極められた。

 これは俺にとって戦闘にならない。ただの演舞と同じ。殺陣の撮影にも等しい予定調和だ。

 

「俺が一歩踏み出すとやや強引に返す刀で胴を狙ってくる」

 

 隙を見せたと相手に思わせるカウンターも俺には通じない。来るとわかっているカウンターなど恐れることもなく、型に嵌まった剣はどれだけ鋭くとも全く怖くない。

 型とは言うけど、たぶん俺以外には理解できないだけのパターンが存在している。おそらくは千冬姉本人ですらもパターン化できるとは思いつかなかったはずだ。だから千冬姉はVTシステムを前にして勝利を収めることができなかった。

 千冬姉は俺がどれだけ研究して臨んでも、平然と裏をかいてくる。ハッキリ言ってしまおう。本来、千冬姉の戦闘行動のパターン化など不可能だ。その理由は剣を持った者同士の駆け引きを考慮しなければならないからである。

 つまりだ。完全なVTシステムとはVTRの再生と似ている。動きの再現に駆け引きなど存在し得ない。

 

 10回。泥人形の攻撃が空を切り続ける。正直に言って、初心者の使うマシンガンの方が俺にとっては脅威だ。

 11回目。今度は右肘を狙って雪片弐型を振るう。俺の攻撃は先に届いた。泥人形の一部が弾け飛び、黒い雪片がカランと音を立てて床に落ちる。

 

「もう一度言う。それで千冬姉になったつもりか?」

 

 千冬姉がこんなに弱いわけない。これがお前の求めた世界最強の姿だと言うのなら、そんな幻想は俺が斬り捨ててやる。

 

「違うよな。お前が日本に来て会いたかった人はそんなもんじゃないだろ?」

 

 二の太刀で胸部を横に薙ぐ。千冬姉のシルエットを形作っていた泥がラウラから剥がれていく。

 

「こんなに弱いわけないだろ……」

 

 千冬姉はもちろんのこと。俺が声を大にして叫びたいのは他ならぬ――

 

「俺が出会ったラウラ・ボーデヴィッヒはもっと強かった!」

 

 ラウラ自身のことだった。

 

「お前は俺の手の届かない位置にいるプレイヤーだった! 敵対したら勝てる気がしなかったし、一緒にIllと戦ってくれるとなったときは頼もしくて笑いが止まらなかった!」

 

 仲間の力が必要だとなったときに、ラウラとシャルが来てくれた。

 本当に心強かったんだ。

 お前が『大丈夫だ』と言ってくれると安心できた。

 

「形だけで本当の強さが得られるだなんて思うな! 断言してやる! 千冬姉を真似している今のお前よりも、俺に力を貸してくれたときのお前の方が何倍も強い!」

 

 きっと俺の知らないところで、ラウラの直向きな小さい背中は多くの人の心を動かしてきた。そんなカリスマを持った奴が弱いはずなどない。

 これでとどめ。雪片弐型を大上段で構え、一気に泥人形の脳天に振り下ろす。

 ラウラを覆っていた泥は頭を中心にして放射状に弾け飛んだ。

 

「……人間は怖い。倒さないと。勝たないと。強さを示さないと。でなければ私は生きることを許されない」

 

 口元を覆っていた泥が消えたと同時にラウラが口走る。

 こんなにも弱気になったラウラの言葉を聞きたくなかった。

 否定するのは簡単だ。だけど、それじゃあ聞く耳を持ってくれそうにない。だったら肯定してみようか。

 

「じゃあ、俺に負けた弱いお前は生きることを許されないわけだ」

 

 暗に『死ね』と告げる。

 正直、これは賭けに近かった。だけど、俺はまだ彼女の強さを信じていた。

 

「死にたく……ない」

 

 まだ細々とした声で彼女らしさは戻ってない。

 それでも、決して悲観に染まった人間の言葉ではなかった。

 俺は彼女の言葉を少しだけ訂正させることにする。

 

「否定するだけじゃダメだ。お前がどうしたいのか。俺はそれを聞きたい」

「わた……しは……」

 

 ラウラの体を覆っていた泥が全て風に溶けていった。彼女の左目の黒く染まっていた眼球は白く戻り、目の焦点が俺に定まる。

 

「私は生きたい」

「誰と?」

「黒ウサギ隊の皆。日本で出会ったプレイヤーたち。シャルロット」

 

 ちゃんと“誰か”が出てきた。エアハルトの絶対王権で消されていた記憶も帰ってきた。そう思っていいだろう。

 

「なあ、ヤイバ。強さとは何なのだろうか?」

 

 目に力が宿り、彼女らしい強かな視線を俺に向けてくる。

 

「俺も知らない。エアハルトに勝ったのにランキングに俺の名前が載らなかったし」

「茶化すな。今さっきまで偉そうに私に語っていただろう?」

 

 いや、緊急事態でないとあんな言葉は言えない。勘違いされている気がするけど、俺は割と小心者で演劇とかできないタイプなんだ。ついでに気の利いたことを咄嗟に言えないし。

 

「私も……私の理想もお前に敗れた。私は根本的に弱いのだと思う」

「いや、あれはお前の理想なんかじゃない。ただの勘違いだ。そこだけはお前がどう思っていようと譲らない」

「相変わらずのお人好しだな、ヤイバは。本当は私に構っている暇などないだろうに」

 

 ついさっきまで意識のなかったラウラにまで見透かされている。ぐうの音も出ず、気まずさが顔に出てそうだ。

 そんな俺の状態など素知らぬ顔といった様相でラウラは独白を続けた。

 

「ずっとクラリッサたちと居たのに私だけ場違いだと感じていた。ずっと准将に育ててもらっていたのに、道具扱いされてるのではないのかという不安を拭える日は来なかった。だから私はつながりを欲していた。雛鳥の刷り込みのように、私に最初の光を当ててくれた存在、織斑を」

「俺の父さんか……」

「だからこそか。私にとってヤイバはずっと特別な存在だった。理由がわからなかったのだが、私はヤイバを織斑と重ねていたんだと思う」

 

 俺は父さんの顔すらまともに知らない。だから似ているのかどうかは全く知らないし、比較されても首を傾げるだけだった。

 本音を言うと話題にされても困るだけなんだけど、今はしょうがないと思って聞き流しておこう。

 

「教えてくれ、ヤイバ。私はどうしたら強くなれる? どうすれば遺伝子強化素体(アドヴァンスド)という宿命から逃れられるのだ?」

 

 ラウラの次なる質問は俺も答えを知りたいくらいだ。俺はどうやったら強くなれるのか。どうすれば箒を助けられるのか。

 今は自分のことは棚に上げておく。ラウラへの返答としては今の俺の在り方を告げよう。

 

「独りで強くなろうとしなければいい。俺は独りだけで戦おうとして潰れたことがある。でも仲間のおかげでなんとかなった。今、こうしてラウラと話せているのも仲間のおかげだ。俺一人の強さなんかじゃない」

「だが私は心の奥底に人間への不信がある。ヤイバのようにはなれない」

 

 それは本当だろうか。人間への不信感なんて俺でも抱えてるもんだし、ラウラが人間に対して不信感だけしか持ってないなんてあり得るのか?

 

「そんなはずはないだろ。だってお前はさ、お前よりも孤独に戦ってたバカに仲間の大切さを行動で教えたんだぜ?」

 

 俺に協力してくれながらも心の奥底では誰も頼ろうとしなかったアイツの心を変えたのは、急速に仲良くなったラウラしか考えられない。

 

「シャルロット……」

「強さなんて結果論だ。誰かに操られていた弱さを後ろめたく思うなら、今はまず自分がどうしたいかをハッキリ自覚すればいい。お前はさっきそれを言葉にしただろ?」

「私がどうしたいのか、か……」

 

 ラウラが俺を真っ直ぐに見据えてくる。

 

「私は人でいられるのだろうか?」

 

 そんな強い目で不安を吐露するなっての。

 もうラウラの中で答えは出てるんだろ?

 それに――

 

「振り返ってみろ、ラウラ」

 

 ラウラの後ろを指さしてやる。つられてラウラは即座に振り返った。

 

「……あ…………」

 

 俺の指の先。ラウラの視線の先には黒いISを纏った集団、黒ウサギ隊の姿があった。

 中央にいるクラリッサさんがラウラに手を差し伸べる。

 

「帰りましょう、隊長」

「クラリッサ。皆……」

 

 俺の元から駆けだしていったラウラはクラリッサさんの胸に飛び込んでいった。

 黒いISの女子たちに囲まれて胴上げされているラウラの目元がキラリと光る。

 その光景を見ていて俺は言わざるを得なかった。

 

「お前が人でいられるかどうか。その涙が答えだと俺は思うぞ」

 

 これでこの戦闘の目標は達成した。

 残るは……ナナの手がかりを探すこと。

 まだ俺にとっての戦いは終わってない。

 

「何があるかはわからないけど、行ってみるとするか」

 

 ラウラのことは黒ウサギ隊に任せて、俺はレガシーの奥へと向かう。

 そこにナナの手がかりがあると信じて。


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