小鷹が超人イケメンですが、星奈も相当美少女です.
[ひっそり内容更新しました]
・『死ね』という言葉、派生語を使用しないよう変更しました。
・幾つか描写を追加しました。
エア・友達事件から一晩開けた、放課後。
何時ものように、羽瀬川小鷹は授業終了のチャイムからしばらくして、荷物を手早くカバンへと詰め直す。
ちらり、と斜め前に座る一人の女生徒へと視線を飛ばす。長い黒髪のシルエットをした少女、三日月夜空は、既にカバンに教科書の類を詰め終わっている様だった。
『また明日な、小鷹』
夕暮れの教室で、夜空の浮かべた笑みを思い出した小鷹が、やや乱雑に筆記用具をカバンへ押し込んだ。
小鷹が登校してからというもの、彼女、夜空の行動に変わった所は無かった。
何時ものように不機嫌そうな顔で授業を受け、休み時間にはうつ伏せになっているか、何処かにフラフラと出て行って、チャイムと同時に帰ってくる。
一部の生徒は、無言で教室へ入る夜空を時計代わりにしている節さえある。
小鷹自身、夜空が着席した瞬間にチャイムが鳴ったのを見て、内心で驚愕したものだ。何処かの哲学者かよ、と内心でツッコミを入れたのも秘密である。
「――遅れて着いて来い」
「ん……?」
相変わらずの表情のまま小鷹とすれ違う夜空が、その瞬間、小声でそう告げた。
思わず小鷹が夜空を見ると、彼女はそれを一瞥し、俄に活気づいた教室から静かに姿を消していった。
「……」
小鷹はカバンを閉め、ゆっくりと立ち上がる。
一瞬、教室の喧騒が途切れ、小鷹が再度動き始めた瞬間には、その空白ははじめから無かったかのように埋められていた。
関心を集めている、という事実に、小鷹は俄に辟易していた。一挙一動を見られているような錯覚。自意識過剰なだけ。そう言い聞かせて、小鷹は教室から滑り出た。
一階へと降りる階段へと下っていく、長い黒髪の女子生徒。一瞬、夜空が小鷹を見遣った。二人の視線が重なる。
「……着いて来い、って事か」
そのまま、小鷹は早足で夜空の後ろ姿を追いかけた。
一階へ降り、下駄箱で素早く外履きのローファーへと履き替える。昇降口を出ると、中央庭園へと向かう道を歩く夜空の姿があった。
このまま進めば礼拝堂に行く筈だ。何処へ行くのだろうか。まさか神頼みか。小鷹の懸念を余所にして、不意に夜空の歩みが止まった。
「もう、いいだろう。ふん、全く……聖クロニカ学園の超人は人気者だな」
中央庭園へと抜けるアーチをくぐった先で、彼女はぐるり、と小鷹へと向き直る。
やや普段より不機嫌そうに視えるのは、小鷹の錯覚だろうか。ともあれ、小鷹自身、妙に視線を集める事には慣れている。
幸い、周囲に人の姿は居ない。そのまま夜空へと近づくと、そのペースのまま、夜空も歩みを同じくして歩き出した。
「そのアダ名は止してくれ。そのうち、聖クロニカの完璧超人ぼっち、とか言われそうだ」
「ふ、いいな、それ。超人ぼっち、略して超ぼっち」
お似合いだ、と夜空は悪戯な少女らしい笑みを浮かべる。
これが彼女の素なのだろうか。普段から不機嫌そうな顔を作っている彼女には、此方の姿の方が似合っているような気さえする。
「全然略して無いだろ、それ。まあ、いいけど……」
「じゃあ、超ぼっち。昨日の話の続きだが」
「……超ぼっちは止めてくれ」
「じゃあ、ミスター・ボッチ」
「止めろ。こっちもミス・ボッチと呼ぶぞ」
ふん、と鼻を鳴らして、夜空は不満気な顔を覗かせる。
どうやら自らがぼっち扱いされるのは我慢成らないらしい。小鷹は少なからずテンポの良い掛け合いが出来て、それだけで満足していたが。
「……じゃあ、小鷹。昨日の続きだが。既存の部活が駄目なら、新しい部を創ればいいと気づいたんだ。そして、その手続きは既に終わっている。その名は――【隣人部】」
【隣人部】――神の教えに則り、同じ学園に通う仲間の良き隣人となり友誼を深めるべく、誠心誠意、臨機応変に切磋琢磨する部活動。
成る程、全然分からんと小鷹は頷く。
「で、結局何をする部活なんだ」
「友達作りに決まっているだろ。友達の居ない奴、という哀れみから逃れる隠れ蓑として。そして、小鷹の言う『本当の友達』を作る為の練習として、だ」
夜空は長い髪を翻しながら、優雅な所作で以ってそう告げた。
「良く隣人部の申請が通ったな」
「汝の隣人を愛せよ――この言葉一発で通ったよ。全く、宗教はチョロいな」
まるで新興宗教団体の幹部――会計担当だ――のようなあくどい笑みを浮かべる夜空に、小鷹はノーコメントを貫き通した。
設立理由等、どの道小鷹にとっては大きな問題では無い。
「へえ。それって俺も入部――」
「――小鷹の分は私が出しておいたぞ」
機先を制する、の言葉通り、夜空がぴしゃりと小鷹の口を閉じさせる。
そして、トドメとばかりに、夜空は踵を返して小鷹の顔を見上げた。
「……嫌、だったか?」
微かに不安げな表情を浮かべた夜空の姿は、羽瀬川小鷹の急所を直撃した。
しかも意図せぬ微妙な上目遣いも乗って倍率ドン、である。小鷹は男の単純さを呪い、夜空の計算高さを疑いつつも首を横に振った。
「……いや、手間が省けたよ」
極力、内心の動揺を覚られぬ様にして、小鷹は笑みを顔に貼り付けた。
その姿もまた、夜空にとってダメージが大きかったのだろう。顔を背けたその横顔は、俄に赤みを帯びている。尤も、それに小鷹が気づくことは無かったが。
「そ、そういえば、俺達、何処に向かってるんだ?」
「あ、ああ。我が隣人部の部室は、此処だ」
小鷹の下手な話題転換に、夜空もまた黙って乗る事を選んだ。黒髪を翻した夜空の視線、その先にあるのは聖クロニカ学園の礼拝堂だった。
その名から推察される通り、聖クロニカ学園は本格的なミッション系の学園であり、聖母像や礼拝堂、シスターとなる教員まで居る。
尤も前述した通り、隣人部には然程関係のない事実ではあったが。
「ん、まさか礼拝堂が部室なのか?」
「違う。礼拝堂の談話室だ」
呆れた様に、夜空は礼拝堂の扉を開ける。
鈍い音を立てて開かれた扉の先には、荘厳なステンドグラスから差し込む陽光が彩る礼拝堂が鎮座していた。
特にクリスチャンでも無い小鷹ではあったが、その荘厳さ、ある種の神々しさには、自然と頭を垂れたくなる。
多くの教会が街に在ったのも、こうして、嘗て聖書を読めぬ人間にも神々の荘厳さを説くためだったのだろう。
「何を呆けてるんだ、小鷹。こっちだ」
「……ああ、ごめん」
怪訝そうな表情を浮かべた夜空へ、小鷹はやや慌てたように返答する。踵を返し、礼拝堂を歩く夜空の姿は何処か、この礼拝堂の雰囲気に良く合っているように思えた。小鷹はそう感じた。普段、彼女が見せる切れ長の瞳が閉じられ、あの長い髪が礼拝堂の床へ放射状に広がっている様を思い浮かべた。
小鷹のローファーが床を叩く音が、礼拝堂内を駆け回っているように響く。
「……おい小鷹、足音を合わせるのか、合わせないのかハッキリしろ」
何度目かの反響音の後に、夜空が小鷹へと不愉快そうな顔を向けた。
変な所が気になる奴だ、と小鷹は内心で呟く。口には出さなかった。
「まあいい。此処だな」
礼拝堂の脇、その奥まった廊下の一番初めの部屋。そこが隣人部の部室となる、礼拝堂の談話室だった。
勝手知ったる我が家とばかり、夜空は談話室の扉を勢いよく開け放つ。談話室内は、二人で居るにはやや広いと感じる程度には広かった。
意匠の凝った木製の長テーブルに、本棚、コート、帽子掛け、棚、ホワイトボード、三人がけ程度のソファー。エアコンも完備されている。
部活動を行うには良い部屋だった。小鷹は、夜空がどうやってこの部屋を隣人部の部室にしたのか、その手腕に感心したように頷く。
「いい部屋じゃないか。でも、談話室なんて本当に使っていいのか?」
「顧問が『使っていい』というのだ。問題はない」
ちなみに顧問はシスターのマリア先生だと告げて、夜空はワイン色をしたソファーへと腰掛ける。
その姿を見遣りながらも、マリア先生、という名前に覚えのない小鷹が質問を飛ばした。
「へえ、じゃあその、マリア先生が友人作りの指導を?」
「それは無理だな。マリア先生は友達居ないらしいぞ」
顧問が友達作りの指導をする、と思っていた小鷹が肩を落とす。
夜空は顔を顰めながら、清々しいまでに堂々と言い放った。
「私は友達が多そうな人間に話しかけるのが苦手なんだ」
そう言われては小鷹も強くは出れず、ただ苦笑いを浮かべてみせる。小鷹とて、決して友達が多そうな人間に話しかけるのが得意なわけではない。
その反応に夜空は不満気に鼻を鳴らしながら、膝に載せた鞄からクリアファイルを取り出した。
「さて、まずは部員集めだ。小鷹、これを見てくれ」
夜空が鞄の中から部員勧誘のチラシを小鷹へと手渡すと、小鷹もまた、しばらく無言でチラシへと目を走らせた。
パソコンでベタ打ちされた何の飾り気も無い文言は、これを書いた人間がどういうセンスをしているのかを如実に物語っている。
小鷹と夜空はまだ、然程の時間を共有してきた訳ではない。だがそれでも、小鷹は、このチラシはいかにも夜空らしい、と感じたのだった。
それに――と、小鷹は、下部の余白を埋めるように描かれた幼稚園児のような――有り体に言えば、高等部の人間が書く絵ではない――絵に目を走らせる。
「……もしかして、この絵書いたのって三日月さ――」
「――夜空。呼び捨てで、夜空だ。いいな、小鷹。
後、その絵は、友達百人作って富士山の上でおにぎりを食べようという有名な歌をモチーフにしている」
半ば憮然とした強い口調で、夜空は小鷹を睨みつける。
言い知れぬ彼女の剣幕に、小鷹は数瞬、息を詰まらせた様な表情を見せた。だが直ぐに、彼にとっては滅多に無い程自然な笑みが零れた。
これ程、笑みを意識しないうちに笑みを浮かべたのは、久しぶりだった。
「分かったよ、夜空」
「っ……分かれば、いい」
若干、口惜しそうな顔つきのまま、夜空がやおら立ち上がる。その頬は僅かに赤みを帯びていて、普段の彼女からは想像出来ない程に珍しい表情を浮かべていた。
やっぱり、そういう顔の方が可愛いのに――等と軟派な事は言えず、小鷹は夜空がスタンバイモードから戻る手助けをするべく、新たな話題を口にする事にした。
ついでに絵について触れる事も避けた。幼稚園児が描いたと言われても納得してしまう、ピカソ的な意味では天才的とも呼べる絵なのだ。
自ら地雷を踏んでいく必要は無いとばかり、小鷹はチラシに書かれた一文を指さした。
「所で、活動目的なんだけど……これ、暗号か何か?」
「あ、ああ……文字の頭から斜めに読んでみろ」
一行目一文字目、二行目二文字目、三行目三文字目――計六行分に渡り文字を集めれば浮かび上がる文字は、ともだち募集。
小鷹の目が細くなる。このチラシに目を留めて、かつ、少なくとも文言へと目を落とし、かつ、斜め読みに気付く人間。その集合に入る人間がそれ程多いとは思えなかった。
「普段から友達を熱望している奴なら、あるいは気づくだろう。
友人が居らず、かつこの文言に気づくかどうか。それが、我々【隣人部】への入部条件だ」
シンプルだろう、と夜空は言った。
対する小鷹もいくつかの疑問こそ残るものの、対案を出せる訳でもなく、夜空の意見に異議を差し挟むことなく了承する。
誰彼構わず受け入れるよりはマシ、という考えもあったのだろう。
「ああ、そうそう。既に何枚かチラシは貼ってあるからな。今日はこのまま部活動を始めるぞ」
夜空はそう言って腕を組んだ。その仕草は堂に入っていて、実に『夜空らしい』と言える。
何時の間に貼ったのか、と小鷹が問うと、夜空は昼休みに貼ってきた、と答えた。
「だから昼、居なかったんだな」
小鷹が成る程、と頷いたその時。木製の分厚い扉を叩く、規則正しいノックの音が聞こえた。
「どうやら早速、入部希望者が来たようだな」
「そんな、今日の昼だろ。流石に早すぎるんじゃ――」
応対しようと扉へ向かった小鷹を制するように、夜空がドアノブへと歩み寄る。
いいからそこに居ろ――そう言わんばかりに夜空は小鷹をドアの影になるように押し込むと、小さく深呼吸を一つして、意を決したようにドアノブへと手を掛けた。
「【隣人部】ってのは此処ね。入部しに来たんだけど……」
扉を開けた夜空が目にしたのは、一人の女生徒だった。
小鷹と同じく、綺麗な金色の長髪。夜空とは違う、丸みを帯びた円な瞳。蝶をモチーフにしたやや派手な髪留めも、嫌味な程に似合っている。
夜空の脳内データベースには、一人の名前が即座に検索結果として表示されていた。
柏崎星奈。聖クロニカ学園の理事長、その娘であり、文武両道、容姿端麗の文字がプロフィールに踊る女だ。
ついでに言えば、学年末の定期考査において尽く夜空の上に鎮座する名前でもある。
「違う」
諸々の事情を考慮した夜空は、即座に入力された情報に対して応答した。
バタン、と派手な音を立てて扉を閉め、素早く鍵をかける。そうして呆然と扉を見つめている小鷹へと向き直ると、
「さて、部活動を始めるか」
と、言った。何事も無かったかのように。
「……今の人、いいのか。明らかに入部希望者じゃあ――」
しかも同性だから、夜空の友達にピッタリでは――そう小鷹が言うと、夜空はさぞ面白そうに笑ってみせる。
「ふふっ、何を言っているんだろうな、このぼっち超人は。
同性の友達ならもう居るのにな――ね、トモちゃん」
「ぼっち超人も止めてくれ」
事態が呑み込めない小鷹の耳に、尚も談話室の扉を叩く音が聞こえてくる。
秒数を追う毎に力強く、そして早くなるノック音。小鷹は内心、見知らぬ入部希望者の持つ折れない精神に感服していた。
尚も激しくばかりのノックの音に、ついに夜空が苦虫を噛み潰したような顔で扉へと近寄ると、渋々といった調子で鍵を開ける。
「ちょっと、なんで閉めるのよ!私はただ入部を――」
「――リア充は爆発しろッ!」
必死の入部希望者に、夜空が超攻撃的な発言をぶつけると同時、左手で扉を閉め、素早く右手で鍵を閉める。
そうして今度こそ興味を失った、とばかりに夜空は扉から距離を取った。
「もしかして、知り合いか?」
小鷹の言に夜空は不快そうに顔を顰め、知り合いではない、と言い放つ。
ただ続く夜空の発言から、この可哀想な入部希望者が誰であるのかが小鷹にも理解できた。
「2年3組、柏崎星奈。
この学園の理事長の一人娘で、何時も男子生徒にチヤホヤされているお嬢様気取りのいけ好かない奴だ」
心底気に入らない、といった具合で、夜空が腕を組んだ。
夜空自身、特段に柏崎星奈と交流がある訳では無い。それどころか、恐らくは会話の一つも交わした事すら無いのだ。
ただ、夜空にとって、学園生活を送る中で否が応でも意識させられる彼女の存在は、酷く気に入らないものだった。
「ふうん。あの子が理事長の娘さんか」
成る程、と首肯する小鷹に、夜空が一層キツい目を向ける。
「ふん。全く、男は金髪巨乳とくればデレデレと鼻の下を伸ばす――いやらしい」
ただこの学園の理事長と小鷹の父が友人同士であり、編入の際にも便宜を図って貰った経緯もある。
そんな恩義在る理事長、その一人娘であれば、多少の興味が湧くのも仕方がない所であったのだが。
「派手な見てくれに加えてスポーツ万能、成績優秀。
定期テストの順位はずうっと学年トップ。なんだあのリア充は……!」
椅子をテーブル毎吹き飛ばさんとする勢いで、夜空が椅子の背に拳を打ち付けた。
振動でテーブルの上に載せていた小鷹の鞄が揺れ、どさり、と音を立てて横倒しになる。
「へえ、凄いんだな。柏崎さんって」
「……はぁ」
お前もその派手な見てくれ云々のお仲間だろうが――恨みがましい目線を向けた夜空ではあったが、間の抜けた小鷹の発言に肩透かしを食らったか、溜息を一つ吐き出した。
これだから自覚の無い人間は、と内心で愚痴を零しつつ、夜空は椅子へと腰掛ける。
「夜空、あれ……」
緑色をしたカーテンの向こう側、そこに映っていたのは窓をリズミカルに叩く人型のシルエットだった。
どうやら件の柏崎星奈は諦めては居ないらしい。小鷹は驚くよりも、寧ろ、彼女の行動力に感心すらしてしまった。
「……呆れた奴だ」
夜空が厭そうな顔で、椅子から立ち上がってカーテンを開ける。
やはりそこに居たのは柏崎星奈、その人であった。
小鷹と同じ金色の髪。大きな瞳に桃色の唇。金髪巨乳、という夜空の言に偽りは無さそうだ、と小鷹は頷き。そして自身に呆れるように溜息を吐いた。
「なんで意地悪するのよ! この私が入部してあげるっていうのに!」
窓ガラス越しに吠える星奈に、夜空がうんざりしたように窓のロックを解錠する。
「冷やかしならお断りだ。帰れ」
窓を開けながら、夜空は星奈を睨みつける。
既に涙を瞳の端に溜めている星奈が、冷やかしじゃない、とばかりに声を張り上げた。
「冷やかしじゃないわよ――【ともだち募集】ってポスター見てきたんだから!」
まさか、と夜空は目を見開いた。
そして、小鷹もまた、あのメッセージに気がつく人間が居たのか、と内心で驚愕する。
「私も、私も……友達が欲しいのよ!」
星奈の心からの訴えに、これまで冷酷無慈悲とも取れる言動をとっていた夜空も、流石に一歩後ずさる。
それを好機とばかり、スカートなのもお構いなく窓枠を乗り越えようとした星奈へ、見咎めた小鷹が制止の声をかけた。
「柏崎星奈さん。鍵は開けておくから、入り口から入ってくれ」
「っ……あんた、羽瀬川小鷹!?」
星奈の顔が驚愕に染まり、次いで、夜空と小鷹の顔を交互に見遣る。
小鷹からすれば、実に一方的な面識であった。小鷹は星奈を知らず、星奈は小鷹のことを知っている。
尤も、この学園で【羽瀬川小鷹】を知らない人間など、恐らくは居ないだろう。名前は兎も角、風評やその容貌は学園中に広まっているのだ。
ましてや同じ学年で、アイドル的な存在として君臨している星奈からすれば、小鷹のことは知っていて当然であった。
「……全く」
何時まで見ていると言わんばかりに、夜空が窓枠へと手を掛ける。
それに合わせる形で星奈は窓枠から身を離すと、小鷹を再度ひと睨みし、その視界から消えるように歩いていった。
そんな星奈の動向に気を止める風もなく、夜空は窓の鍵を閉め、続いてカーテンを派手に閉めた。
諦めにも似た溜息を吐く夜空に、小鷹が扉の鍵を開けながら尋ねる。
「なあ、夜空。俺、柏崎さんに嫌われてるのか?」
「……さあな、小鷹。ただ、一つ言っておくが――」
夜空が眉尻をつり上げながら小鷹へと詰め寄ると同時、控えめなノックの音が【隣人部】に響く。
仕方がないと言わんばかりにドアを開けた夜空。遅れてゆっくりと部室に入って来たのは、先ほどの柏崎星奈だった。
「……お邪魔するわ」
胸の下で腕を組んだ星奈の視線が、射抜くように小鷹へと向けられる。
困ったように、だが視線を外さない小鷹を尻目に夜空は我関せずと言う調子で窓際の椅子を引くと、そこにどっかりと腰掛けた。
「さっきはすまなかったな。取り敢えず座ってくれ」
睨み合っても仕方がないとばかりに、小鷹は夜空の対面へと回りこむと静かに椅子を引いてみせる。
「どうぞ」
その小鷹の所作に毒気を抜かれたのだろうか。
星奈は暫し呆然としたように動かなかったが、しかし、直ぐに優雅な足取りで小鷹の引いた椅子へと腰を下ろす。
その所作は洗練された自然なものであったが、小鷹もまた、自然と星奈の動きに合わせ椅子を静かに動かしてみせる。
星奈がやや驚いたように小鷹を見遣る。それに一つ小鷹は笑みで答えると、下座へと静かに腰掛けた。
「さて、柏崎星奈さん――ともだちが欲しい、って事だけど」
何故か不愉快そうな顔をして押し黙ったまま動かない夜空と星奈に耐えかねて、小鷹が話を切り出す。
やや強張った小鷹の表情は、彼のその端正な顔立ちと相まって妙な緊迫感を演出している。
「……そうよ。あたしってほら、完璧じゃない?
頭脳明晰、スポーツ万能。そして見ての通りの美少女」
しかし、そのオーラに負けじと星奈が身を乗り出す。確かに、柏崎星奈の容姿は人目を引くに有り余る美貌である。
整った顔立ちに男を魅了するスタイル。そして、育ちの良さを伺わせる仕草。
それらが相まって、確かに柏崎星奈という人物をより魅力的にしていることは間違いなかった。
「――ふん、下品な乳牛の癖に」
そこに、夜空が不快そうに噛み付く。
どうやら腕を組むのは夜空の癖のようなものらしい、と小鷹は思った。
夜空も、胸が無い訳じゃないが――そんな隣の視線を受けて、夜空が小鷹を鋭く睨んだ。
「あら、貧乳が何か言ってるわね?」
対する柏崎星奈は、余裕の表情を浮かべて腕を組んでいる。
組んだ腕の上に胸が乗っている。成る程、と小鷹は瞬間目線を向け、即座に夜空へと視線を映した。その眦は釣り上がっていて、嘗て無い程に不愉快そうなオーラを放出している。
怒りの度合いをタコメーターで表すならば、きっとレッドゾーンに突入しているだろう。
顰め面を浮かべている夜空を挑発するかのように、星奈が不敵な笑みを浮かべる。その瞬間、小鷹は遠い何処かで、口撃のゴングが鳴り響いたのを聞いた。
「私は別に小さくない。まあ、胸に栄養を吸い取られた奴には理解できない概念だろうがな」
「ふうん、ま、中途半端な大きさの胸なんて、無いのと同じじゃない?」
ヒートアップの様相を呈する両者の間に、堪らずレフェリーが割って入る。
いきなりケンカ越しに話を始める事もないとばかり、小鷹は極力穏便な口調を心がけた。
「ストップ! ところで、ともだちが欲しいっていう話はどうなった?」
「ふんっ。大体、お前は何時も男に囲まれているだろうが」
夜空の細い指先が、組んでいる二の腕をリズミカルに叩き始める。
私、不愉快ですのオーラが伝わる仕草。だが、対面する青コーナーの対戦者には通用しない様だった。
「アレはただの下僕。あたしが欲しいのは友達。
例えば家庭科や修学旅行のグループ分けの時に一緒になれる、同性の友達よ」
そういえば、何度か取り巻きを連れた彼女を見たことがあるかも知れない、と小鷹は今更ながらに思い出す。
ただその人物が柏崎星奈かどうかは、当時、小鷹の知る所では無かっただけだ。
「『男子に人気あるんだからぁ、男子と組めばぁ?』」
星奈は猫なで声を作ってそう言うと、次いでテーブルを拳で鋭く叩いた。
鈍い音の後に、心底悔しそうな表情で星奈が言葉を吐き出す。
「――なんてムカつくセリフを吐かれないように、あたしは友達が必要なのよ」
ぎり、と奥歯を噛み締める星奈に、小鷹が成る程、と一つ頷く。
「あんまりモテ過ぎたり優秀過ぎる女は、同性に疎まれる……って事か」
納得だ。そういうことか、と再度首肯する小鷹。
その姿に、星奈は思わず目の前の夜空へと視線を向ける。夜空もまた、呆れたような、諦めたような顔で星奈を一瞥した。
両者間で唯一共通の認識が生まれたとするならば、まさにこの瞬間であっただろう。
「……アンタ、余裕のつもり!?」
驚いた様子の小鷹に、尚も星奈が身を乗り出して噛み付く。
星奈からしても、この男、羽瀬川小鷹は目の上のたんこぶのような存在であった。
頭脳明晰、スポーツ万能、おまけにモデルも顔負けの美貌と完璧なプロポーション――男でありながら、星奈の持つ名声を尚上回る存在。
「そもそも、アンタこそどうして此処に居るのよ!
聖クロニカ学園の完璧超人様は、さぞお友達も多いんでしょうにね!」
以前からずっと、柏崎星奈はこの男が気に食わなかった。
羽瀬川小鷹が学園に編入してからというもの、常に、柏崎星奈は彼と比較されていた。まるで両天秤にかけられた重りのように、釣り合いが取れていると噂される。
それが彼女には我慢ならない事態だった。誰かと比べられる。それは評価の基準が外部にあるということだ。
柏崎星奈という一個の人格が、自らの意思で評価する。それこそが彼女の望むやり方だった。自分に釣り合う人間は、自分で選ぶ。
ある意味で傲慢な、ナルシシズムの発露である。それでも彼女はそういう風に生きてきたのだ。今の立ち位置も、誰かに選ばされた訳では無い。自ら選んで来た道だった。
そこには少なからず彼女の矜持がある。小鷹は彼女のプライドに傷を付けかねない男だった。
「……何よ。何、笑ってんのよ! 」
だが、そんな星奈の怒りを受けて尚、小鷹は笑顔を浮かべていた。
その嬉しそうな笑顔に、星奈が思わずテーブルを平手で叩いて再度吠えるように食って掛かる。
「ごめん、別に馬鹿にしたとかそういうんじゃないんだ。
ただ、俺にそんなハッキリと言ってくれる奴、全然居なかったからさ」
それが嬉しくて、と小鷹は笑う。
その笑みは歳相応の少年のソレで、だがこれまでのどの笑みよりも魅力的で。
思わず毒気を抜かれた星奈と、二人のやり取りを黙って見ていた夜空も、二人共赤面してしまう。
「なっ、あんた、そうやって……はぐらかして……」
もじもじと反論する星奈。
「……この男は聖クロニカの完璧超人鈍感ぼっちだからな。コレ以上は暖簾に腕押しになるだけだ」
「ぷ、何それ。アンタ、実は完璧超人鈍感ぼっちだったの?」
ぷい、と可愛らしい仕草で毒を吐いた夜空と、可笑しそうに――妙にムカつく顔なのはご愛嬌だ――口元に手を当てる星奈。
どうやら小鷹に対する認識具合では、共同戦線を張る事にしたのだろう。
小鷹としても思う所が無い訳ではなかったが、これで二人が仲良く慣れば前途洋々だ――そう願っての発言は、だがしかし、徒労に終わることになる。
「だからそのアダ名は止めてくれって。ま、とにかく丁度良かったじゃないか二人共。
これでどっちも"同性の友達"が出来るじゃないか。だろ?」
「――はぁ!?」
小鷹のその発言に、夜空と星奈が互いに椅子から立ち上がって反論する。
先ほどまでの小鷹への敵意をそのまますり替えたように、星奈は夜空を睨みつける。逆も同様だった。
「どうして私が『こんなの』と友達にならなければならないんだ?」
「あたしも『こんなの』と友達に成りたくないんだけど?」
テーブル越しに顔を突きつけ合っての口論は、まるでガソリンに引火した炎のように激しさを増していく。
小鷹という共通の敵を前にして手を組んでいた夜空と星奈ではあったが、図らずも小鷹の発言が燻っていた導火線に再び火をつけてしまったようだった。
第二ラウンドのゴングが、談話室に鳴り響く。
同時に小鷹の脳内で始まった実況も、興奮醒めやらぬ様子で状況を描写し始める。この男も案外、二人のやり取りを楽しんでいるらしい。
「どういう意味だ、乳女」
「そっちこそどういう意味よツリ目女」
両者コーナーから弾け飛ぶようにリング中央へ。
もし試合を見守る観客が居るとすれば、会場は、割れんばかりの歓声で埋め尽くされた事だろう。
何せ、様子見は終わりだと言わんばかりに、両者いきなりクローズドスタンスでジャブの撃ち合いを始めたのだから。
「貴様もツリ目だろうが」
「あたしのツリ目は可愛いけど、あんたのはまるで狐ね。ああ、可哀想」
星奈のカウンターを受け流した夜空が、反撃とばかりに拳を振り上げる。
「ああそう。ま、乳牛に比べればマシだがな」
「このっ……ふん、あんたの方がよっぽど酷いわよこの化け狐」
効かぬとばかり、星奈も負けじと拳を打ち返す。
足を止めての打ち合いは更にヒートアップ。両者一歩も引かない展開にギャラリーは大盛り上がりだ。
実況兼レフェリーの小鷹はただ、不安げな表情を浮かべて試合の行く末を見守るばかりではあったが。
「ていうか、此処から出て行け。貴様には牧草地がお似合いだ」
意識を刈り取る鋭い攻撃から一転、夜空は星奈のボディを狙い始める。
夜空の強烈なレバーへの一撃にも関わらず、星奈は不敵な笑みを浮かべた。
「何言ってるの? あたしも此処に入部するんだけど」
その余裕の表情が、夜空の怒りの炎に油を注いだらしい。
小技は終いだとばかり、やや大振りなパンチが星奈へと襲いかかった。
「来るな、帰れ。野に帰れ」
星奈も、夜空の攻撃が大振りに成りつつある此処が反撃の狙い目だと感じ取ったのだろう。
じりじりと後退していた足を止め、とうとう、夜空の攻撃の隙間に拳をねじ込み始めた。
「はあ? もう決めたし。逆にアンタが帰れば?」
「所詮は乳牛、ついに日本語も理解出来なくなったか?」
ここまでくれば、もはや、二人の間にあるのは技も何も無い、互いに大技なストレートを突き刺し合う乱打戦である。
「アンタが悪いのが悪いのよ!」
「ふん、お前の頭が悪いのが悪いんだ」
「はあ? あたし学年トップなんですけど?」
先程のお返しとばかりに、星奈が夜空のボディへと拳を叩き込む。
だが夜空とて一歩も引かずに、逆に足を前に出し、強烈なカウンターを星奈へと打ち込んだ。
「……哀れな乳牛だ。たかがテストでしか頭の良さをアピール出来ないんだからな」
「この……ああ言えばこう言う……! アンタなんか、パパに頼んで退学にしてやるんだから……!」
「いい年してパパ、パパ。羞恥心は無いのか?
いや、乳牛には愚問だったか。その調子で『お友達』もパパにおねだりしたら――」
「――アンタ、それを言ったら戦争でしょうが! いいわよ、こうなったら徹底的に殴り合おうじゃない……!」
早くも第三ラウンドの火蓋が切って落とされたのを密かに見届けてから、小鷹は実況を終え、静かに椅子を引いて立ち上がった。
日本には『喧嘩するほど仲が良い』という諺があるのだ。二人もああ見えて、ファイトの後には友情を確かめ合うだろう。
試合前の映像では火花を散らした二人が、試合後、互いをたたえ合うのと同じようにして。恐らく、きっと。
テーブルを挟んで、夜空と星奈は尚も言葉の殴り合いを続けている。
とは言え、もはや両者共に言葉の語彙と気力を振り絞っての戦いになっていた。
ここまでくればもう、アホとか、馬鹿とか、間抜けとか、そういう小学生レベルの語彙にまで頼り始める次第である。
「……じゃあ、また明日な」
際限なくヒートアップする二名を放り投げて、小鷹は談話室を後にした。
本日の隣人部の活動。新入部員一人入部。成果だけを見れば、滑り出しは上々である。
「さて、今日はシチューにするか……」
尚も談話室から届く両者の殴り合いをバックグラウンド・ミュージックとして、小鷹は今晩の献立に想いを馳せていた。
小鷹がイケメン過ぎて目立つので、カーテンは閉めっぱなしです。
夜空の行動も幾つか変化してます。自然になるようにしたつもりではありますが、ご指摘等ありましたらお願い致します。