向日葵郷~幽香に会える夏~   作:毎日三拝

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前編は老人主人公の独白、後編は風見幽香の独白の二編となります


断編「最後の冬」「変愛」

『最後の冬』

 

 

 茜雲が夕陽と共に沈んでいく。

 辺りは暗闇に包まれて星空の光だけが景色を照らし出す。ほう、と息を吐くと白い靄と化したそれは肌寒い風に吹かれて消えていった。

 

「もう季節は冬だなぁ」

 

 当たり前の心象を口にしながら自らの格好を省みた。

 着物の上に羽織を着て、首にはしっかりと襟巻きをしていても微かに凍える。多少の寒さなど若い時は気合と根性でどうにかしてきたが老いた体には堪えるようだ。俺もしっかりと年老いていた。

 

「いかん、いかんな。季節の変わり目は」

 

 玄関先で旋風が運んできた枯葉を掃除していたのだが、何時の間にか景色に見蕩れていたらしい。炬燵で温まっていた熱は疾うに消え失せていた。

 思えばこうして景色を眺めては無為に過す時間が増えてきたと思う。

 一人の時間が多いからだとか娯楽の少ない田舎暮らしだから自然の光景がそれに当たるというのも間違っていないけれど、なんだか言葉にしにくい直感みたいなものだが告げていた。

 これは素晴らしいものに感動して自らの時間の感覚を止めているのでは決してない。いつか誰にでも訪れる残りの時間を無常に消化していくものの結果なのだと。

 

「ふう」

 

 さっさと片付けを終えて室内へと戻るとすぐに炬燵に足を踏み入れた。じわじわと温まる体に熱が戻っていき、凍えて麻痺しかけていた感覚が少しの痛みと共に戻ってくる。

 思えば過去を偲ぶことも大分増えた。

 数多の記憶が断片的に蘇り、記憶の底から浮き出ては消えて行く。しゃぼん玉のような儚い幸福が人生の余韻をひとつ、またひとつずつ味わいながら彼方へと飛んでいった。

 もう大分昔を思い出せなくなっている。

 記憶は根底にある大事なものだけを残してあるだけだ。

 

「あの翡翠の髪と緋色の瞳」

 

 それだけが残っていればなんの問題も無い。幾つになってもそれだけがあれば己が人生満ち足りる。 

 例えその思い出とは最近久しくなっていたとしてもだ。

 過去の記憶とは美しい。人の記憶とは都合のいいもので良いものしか残さない。

 ただそんな美しさと対照的に現実とは醜いものだ。年老いれば自然と美麗であるとされているものとは違う姿へと変わっていくのだ。

 体が醜くなれば心も醜悪に変わる。

 ふと居間にある鏡を見た。映し出されたのは白髪と皺まみれの老人の姿。若さとは無縁の後は朽ちていくだけの男の姿があった。

 はっきりいって見る目麗しくはない。

 隣り合えば祖父と孫の間柄にも感じる程に外見の年齢差が生まれるだろう。

 年齢差による醜聞など互いに気にはしないが触れ合うほどに近付けば互いの何かが欠けてしまった事に気付く。

 

――過去の記憶に刻まれた断片。

 

 それは寄り添うだけで幸福であったのは過去の話であるのを証明してしまっていた。

 だからあの人は来ないのだろうと思った。

 何時までも美しいまま変わらない自然の法則の外に居るあの人はだからこそ距離を置いているのではと思っている。

 

「思えば俺も若かった……」

 

 永遠に近い生を約束された人外の彼女と共にあること。

 それは同じ存在にならねば果たされない。成る手段は恐らくあるのだろうけれどそうなった自分を想像出来ないのが恐ろしかった。

 果たしてそれは本当に俺であるのか。関係性が変わらない保証などありはしない。人でなしとなった俺に彼女は価値を見出してくれるのかも分からないのだ。

 だからこそ遠い昔に結んだ願いは果たされない、と彼女は諦めたのだろう。

 それならそれでいい。

 すっかりと歳を経て祖父の年齢に近くなった最近はそんな嫉妬染みた醜いことばかり考えていた。

 

「そろそろ寿命かねぇ」

 

 しわしわの手の甲を眺める。

 本当に老いてしまったのだなぁ、と人事の様に嘯く。自らのことなのに毎度毎度そうなのだからもう既に終わりを受け入れているのだろう。

 未練はある。もっと生にしがみつきたい欲求もある。

 それでもなんとなく理解していた。

 東方太陽も季節巡り夏頃になればそれが最後の夏になるだろうことを。

 

「さぁて夕飯でも食うか」

 

 いそいそと炬燵から這い出ると台所へ向かう。

 昨日の残り物でさっと済ませて愛しい布団に身を預けねば。

 そうしてまた夢でも見てさ、また一つ忘れていくのよ。大切なものを。そうやって未練を断ち切って次の人生へと踏み出すのが人の世だ。

 願わくば次もあの人の傍にありたいものだ。

 

 

 

 

 

 

『変愛』

 

 

 何時からだろう。感情を持て余すようになったのは。

 それは怒りとか悲しみとか普通の喜怒哀楽ではなくて、それら全てを少しずつ混ぜ合わせた不自然な感情だった。だからといって不愉快だとか邪魔だとか不思議と思わなかった。

 永い。それも気が遠くなる程に永久に近い年月を積み重ねてきた妖怪が初めて体験するこの心持を私は知らない。

 誰かに相談しようにも大妖怪と畏怖される私の矜持が許さないし、それに相談出来る誰かがいる訳じゃない。正確にはいるけれど何故だかあの人にはこの気持ちを説明するのは面白くない。

 我侭ゆえの自業自得だからこうして胸の内に抱え込んで幾度の季節が経過していた。

 

 そうして抱え続けた結果。私に変化を齎した。

 最初は少しの違い。ある季節の間だけだった。夏の向日葵を観察しにとある場所に訪れる。それだけだったのに何時の間にかそれが当たり前に変わった。

 数日に一度だけだったのに足繁く通い始め、向日葵の開花している姿を見れば気が晴れたのにそれだけでは足りなく感じ、会話を重ねれば重ねるほどに別れの時が残念に思える。

 気が付けばこの変化は日常となって、私の一部として根付いていた。

 

 だけどそれは夏の幻で、殆どの季節は私は以前の私のまま。

 大妖怪と幻想郷で恐れられて自由気侭に草花を愛でる風見幽香だった。自尊心が高くて、誰かを虐げ喜ぶ、そんなありふれた妖怪のままだった。

 

 それすらも変化をみせたのは彼が幻想郷へと移住してから。

 

 夏だけの期間限定だった非日常がこれまでの日常に置き換わっていく。実りの秋も、休眠の冬も、芽吹きの春も、一年中彼は変わらずあの向日葵畑にいる。

 たったそれだけの事実が堪らなくて嬉しくて、毎日通い詰めても足りないくらいに心が求め、多少の余裕があった感情が歯止めを失いかけた。

 

 だけれども最終的にその気持ちを制して私は通い詰めるのを抑えた。

 私に、花の妖怪たる風見幽香に残った最後の矜持だったのかもしれない。

 

 誇らしさがある。人には、あの人にも理解出来ないだろう誇りがあった。

 他人からすれば傍若無人な振る舞い、危険な妖怪と呼ばれるに値する行動を続け、負の感情を生み出し、人の恐怖を喰らい、力を貯え続けてきた。

 長い年月をかけて作り上げてきた大妖怪の風見幽香を妖怪の本能が手放せないと警鐘を発していた。

 

 元々、妖怪は変化を嫌う。というのも妖怪の弱点が変化だからだ。私たちはこうであると人から定められて生まれたから認識のズレが致命的な齟齬を生み出して滅ぼされてしまう。

 そして人の最大の武器は変化だったのだからこうして幻想郷という避難所に活動場所を強制的に移動させられているのもまた滑稽な話だ。

 私はそれを知りながら受け入れ、分かっていながらその刃を突き立てさせている。有象無象の妖怪とは格が違うから大多数のそれには当て嵌まらないと己惚れていていた。

 結果、私は弱くなった。それもすごく弱くなった。

 戦いの力量は変わらずとも、弾幕決闘も決して負けはしないけれど、精神的に妖怪としては明らかに弱体化していた。

 

 そうして気づくことがあった。

 この変化はただの刃ではない。

 毒だ。これは私を殺す毒だ。蕩けそうなほど甘くて浸れば幸福が満ちる。そんな麻薬めいた劇物だった。

 時が経てば経つほどに脆くなる心を何時までも刺激する毒の刃に何度も突き立てられて、私の矜持はボロボロに破られるのは時間の問題。

 これも生まれて初めて経験することだった。

 

 段々と何かが変わり始めてきた頃。私の中でまた違う変化を受け入れた。

 

 あれは日差しが柔らかでもうすぐ秋の終わりを感じさせる日のことだった。

 心地良い陽気に当てられて縁側で時折吹く涼やかな風を感じていると縁側で座り込んでいた彼が寝転がって寝息を立てていた。

 客人である私を放って夢の世界へ旅立ったことに少し不満げに思いつつ、仕返しをしようと悪戯心を働かせて、仰向けで眠るあの人に寄り添い、顔を覗き込む。

 まじまじとみれば御世辞にも整っているとはいえない顔立ち。でも不快ではなくてなんだか微笑ましく思える。人は容姿を重要視するらしいから妖怪の私はもしかしたら異性に対する美醜の感性がおかしいのかもしれない。

 そういえば彼は私のことを如何思っているのだろうか。あまり自分の容姿には拘りはないけれど気にならないといえば嘘になる。

 さてこうした時、人は如何するだろうか。

 少し悩んだ挙句、偶々拾って読んている途中の大衆小説を参考にする。確かこういった場面があったので同じ様に口と口を重ね合わせることにした。

 彼の顔に髪が触れないように耳の上にかき上げてそっと唇触れる。

 味も何もない。近付いている分、彼の匂いがした。

 たったそれだけ。

 でもなんだろうか、嫌じゃない。またしても初めての感覚。

 またその気持ちを不思議と味わいたくて再度唇を重ねる。彼の知らぬ間に好き放題しているのが悪戯心を刺激しつつ少し後ろ暗い気持ちが後を引くのが新鮮さを感じさせた。

 気付けば何度も何度も啄ばむように重ね合わせて、行為は彼が呻き声をあげて目覚める予兆が現れ咄嗟に身を引くまで続く。

 その後、彼がすぐ目覚めて居心地が悪くなった私は平常を装い、そそくさと彼の家から離れた。

 心臓の鼓動が高鳴り、顔が熱くなっている。気持ちも不自然に昂ぶっていて、その癖何かを破壊したいだとか誰かを虐げたいとも考えていなかった。

 

 胸の中に生まれた新たな感情。風見幽香には似つかわしくないと思えど捨てるには惜しいと感じている。不思議に思いつつも困惑はいつまでも消えはしない。


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