妖怪が誕生する瞬間に偶々立ち会ったことがある。
屋敷の縁側以外の風景を知ろうと風見さんと散歩に出掛けた時のこと。
二人仲良く並びながら赤く燃えながら沈んでいく夕日を見送って、時折吹く風に靡かれながらも夕涼を楽しむ。なんとも年寄り臭い趣をしていた。
日が完全に沈みゆき辺りが暗くなる。
「帰りましょうか。送っていくわ」
柔らかい微笑でそう問い掛ける言葉に頷き、踵を反して向日葵郷へと帰る。
他愛のない会話を重ねて笑みを絶やさぬまま談笑を続けていると突然の不気味な悲鳴に驚き、会話を中断してしまう。
東の方面に顔を向けて悲鳴の元を眼で追えば、得体の知れない異形の存在がそこに居た。
顔もなく、形も定まらず、老若男女の声が混じり合ったような不快でしかない怪物。妖怪に慣れ親しんでいる俺も顔を顰めてしまった。
「あれは何でしょうか?」
俺がそう問い掛けると風見さんは詰まらなそうな表情で答えた。
「名無し、ね」
「そういう名前の妖怪ですか?」
「いいえ。言葉通りの意味よ。ノーネーム。ゆえにあの通り形が定まらないままなの」
風見さんの物言いは形が定まらずスライム状になっていることと名前が無いことに関係が有ると意味している。どういう理論かまったく分らない。
「あれを説明するには妖怪の成り立ちを説明しなければ。妖怪とは人が恐れる事象によって生まれるのです。殆どの妖怪には元となる怪談があり、またその形を成しているのだけれど、あれは曖昧な恐怖が凝り固まって出来ている中途半端な存在。だから形も無く、名前も無く、ああしてもがき苦しんで形となるのを待っているのでしょうね」
つまりあれは名前も無く、由来となる怪談も中途半端だから妖怪として形になっていないということかね。妖怪の誕生とは人間の理外にあるのだけは十分に理解した。元々、超常的な存在だから問題外だけどな。
「放って置きましょう。もし人食い関係の妖怪なら貴方に襲い掛かってより形を得ようとするかもしれない。弾幕勝負しようにも理性ないだろうし」
「くわばら、くわばら。触らぬ妖怪に祟りなし、か」
「あら、私にも関ってくれないというのかしら」
「じゃあ触らぬ風見さん以外の妖怪に祟りなし、にチェンジで」
巫山戯ながら横切ろうとするとさっきよりも大きい奇声が響く。
ついつい俺は気になってしまい、其方の方へ首を向けると怪物は消えていた。
代わりに一人の少年が佇んでいる。その少年は裸ではなく男物の浅葱色をした小袖の着物を纏っていた。
少年はその場で軽く跳ねると一目散に俺達の方とは反対へ走り出し、人里方面へと向かっていく。
その姿を呆けて見ているとすぐ正気に戻った。
「人里へ行きましたけど大丈夫なんですかね、あれ」
「教えたがりの守護神がいるから大丈夫じゃないかしら」
珍しいものでも見た感じで答える風見さん。
「妖怪の誕生って貴重な経験なんでしょうか」
「そうね。私も数える程しかないわ。現代では中々生まれ辛いし」
「とりあえず帰りましょうか」
風見さんに同意を得ると俺は向日葵郷へと戻った。
それから季節が幾つか過ぎてから人里にて見覚えない少年が子供達に混じって遊んでいるのが目撃されているらしい。