夏の風物詩といえば風鈴にお祭り、花火等が候補に挙がるが個人的には違う意見を俺は持っていた。
蒸し暑い夜に明かりを消し蝋燭一本で部屋を照らし出して身を寄せながらひそひそととある身も凍える体験談をする……。
そう、怪談だ。
高校の修学旅行先で泊まった旅館で語り合い、悲鳴を殺しながら肝を冷やしたあの三日間が懐かしい。
空が白むまで続けられ、一話一話の間隔が短く、遂には百物語を越え百二十物語に到達したあの恐怖の一夜を俺は忘れない。
ネット上に集まる古今東西から寄せられた身も毛もよだつ恐怖の怪談話を俺は幅広く持ち、今では一人で百物語を語り尽せるほど。
まぁ、とりあえず俺は根っからの怪談好きなのだ。
なので夏、泊まり、夜。このキーワードが揃ったのならやらない訳にはいかない。
それに今日は丁度、我が家に泊まりで訪れる人が居た。
俺はちらりと縁側で寛ぐ人物を確認する。
赤い眼差しが夜空に浮かぶ星達に向けられ、微かに濡れた湿り気のある翡翠色の髪をタオルで拭われながらも時折吹いてくる涼やかな風に揺れている。浴衣から覗く白い肌が湯に浸かって仄かに薄桃色に染まっていた。
すげぇ色気だ。
湯上り美人とはこのことかもしれない。
しかし、彼女に欲情している場合ではないのだ。
「風見さん」
「ん?」
吊るした風鈴が風に揺らされて透き通った音が響く。
風見さんは手に持った団扇で自らを扇ぎながら此方に振り向いた。
「怪談をしませんか」
彼女は目を見開き、驚いた表情で一寸ばかり呆ける。
「……私相手に?」
「ええ」
よくよく考えたら恐怖の対象である妖怪を怪談で驚かせるなんて可笑しな話かもしれないな。
でも関係ない。したいからする。それが例え怪談に登場する恐怖すべき対象でもそれは変わらない。俺がやりたいから妖怪を怪談で恐怖させてみせるぜ。
俺は不敵な笑いを浮かべた。
「ふふっ。いいわ。私を驚かせてみせてよ」
「その挑戦受けてたちましょうや!」
腕を組んで仁王立ちで勢いよく答えた。
彼女も不敵に笑うと縁側から立ち上がり、障子窓を閉めてから居間へと移って来る。
その際に濡れたタオルを一旦脱衣所に置いてくると髪をアップに纏めていた。短いがしっかりとしたポニーテール。
一瞬、胸がときめいたのは心の内にしまっておこう。
俺は取って置きの怪談を選びながら彼女を怖がらせるために思考を最大限に回転させる。
妖怪を知る人間が妖怪を怖がらせるために考えたスペシャルな怪談話。密かに用意しておいた蝋燭台に蝋燭を刺してマッチで火を灯す。蝋燭の明かりだけが部屋の中を照らし出し、対面に乙女座りをして待つ美少女を映し出した。
あと数時間後にはその微笑が張り付いた表情が恐怖に歪む。
俺は想像して密かに興奮した。
「それでは始めましょうか。恐怖の宴を……」
「期待しないで聞いていますわ」
「ふふん。お楽しみあれ」
ざわめく音が聞こえた気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
結局、遅くまで続けた恐怖の宴こと一方的な怪談大会は俺の大敗に終わった。
徐々に相手の心へ浸透する恐怖を語ったのだが、彼女は微笑を終始崩さないまま俺の怪談話を聞いてばかりだった。
手応えが無さ過ぎて逆に俺が恐怖したくらいだ。
そして、たった今し方、家の外へ出て貸した浴衣姿で帰る彼女を見送ったばかりである。ちくしょう。
必死だったので眠気を忘れていたが欠伸が出る。俺は精一杯身体を伸ばしてから布団で仮眠を取ろうかとしたら後ろから声が掛かった。
「ごきげんよう」
「あれ?」
聞き覚えのある声。
でも、たったいま別れたのにその挨拶は不適当だ。
俺は振り返り、その人物を見ると赤黒格子柄の服装を着たいつもの彼女だった。
「風見さん……着替えたんですか?」
彼女は小首を傾げて疑問符を頭の上に浮かべた。
「よくわからないけど、今日は昨日泊まりに来れなかった件を謝りに来たのだけど?」
「は?」
本気で風見さんが何を言っているのか理解出来なかった。
だってさっきまで一緒に怪談話をしていたじゃないですか。
「昨日来れなかった?」
「ええ。少し急用が出来てしまったものだから」
「一度も?」
「ええ。そうよ?」
俺は得体の知れない恐怖に悲鳴を上げて倒れる。
倒れる瞬間に風見さんが俺の所へ駆け寄り、口元から赤い舌が見えていた。
あっ、嵌められた。
そのことに気が付いた時は時刻は夕方に変わっていた。