向日葵郷~幽香に会える夏~   作:毎日三拝

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最終話

 男には戦わなければならない時がある。

 その瞬間は誰にでも平等に訪れて、誰もが震える身体を抑えつけながら立ち向かう。唇を噛み締め、頬を殴り、目を凝らして睨み付ける。俺にはその機会が未だに訪れてはいなかった。

 平和に生きる現代人だし、周りにいる人達はみんな優しくて、軽い喧嘩やいざこざはあれど真に立ち向かい戦うことはない。

 今更ながらに考えてみれば当然だった。

 その瞬間が訪れるのはきっと今日なのだから。

 腕っ節には自信がない。相手の裏をかく策略を練る頭もない。共に賛同し戦ってくれる誰かを巻き込む覚悟もない。

 だけれど、俺は立ち向かわなくてはならない。

 人間であるために。

 誇りを胸に静かな眠りへと向かうために俺は戦うのだ。

 足を震わして、血が出るほど唇を噛み、目尻に涙を溜めても例えみっともなくても、大衆に恥を晒そうが見苦しいまま足掻いてみせる。

 俺は覚悟を胸に立ち上がってみせた。

 全てではないけれど思い出した。

 一度、疑問に覚えてしまえば思い出すのは簡単だった。

 向日葵郷の思い出。よぼよぼになるまで過した日々。古惚けてしまった祖父との写真。

 隙間妖怪が教えてくれた通りにすれば、あとは名前を取り戻すだけだ。

 四季のフラワーマスター、と呼ばれたあの花妖怪から。

 そうだろう?

 

「風見幽香!」

 

 彼女は変わらない姿でそこに立っていた。

 向日葵畑の中心。白い日傘の下でお気に入りの向日葵を模した服装を纏い、翡翠色の髪を風に靡かせながら真紅の瞳で此方を眺めている。

 なんの色もない無表情のまま。

 俺が呼び親しんだ風見さんではなく、大妖怪と恐れられる風見幽香として。

 

「……結局思い出してしまったのね」

 

 鈴を転がしたような綺麗な声。

 だけれど喜怒哀楽を失っている。

 

「隙間妖怪の入れ知恵かしら。あいつも人間に入れ込んでいる癖して、どうして突き放す真似をするのかしらね。吸血鬼も人形師も鬼もそうだわ。理解出来ない。ねぇ、どうして?」

 

 真紅の瞳が赤みを増し血色に染まっていく。

 

「どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして?」

 

 小首を傾げて本当に不思議そうな表情で風見幽香は一息に狂気を吐き出した。

 

「あれほど幸せだったじゃない。毎日楽しくて変わらない一日を共に過して感情を共有し、宴に花を咲かせて語り合いながら飲み明かしたりしたのに。分らない。分らないわ。どうしてなの?」 

 

 長い時を無慈悲に与えられて生きてきた大妖怪である風見幽香が溜め込んできた生と死の矛盾による感情。

 この世の全てには等しく終わりがある。いつまでも来ることのない終わりを待つ彼女はいつしか壊れていき、終には大妖怪として君臨していた自分を失い、長き時を生きた代償として人間に毒されて彼女は人間に憧れる哀れな道化と化したのだろう。

 本当に哀れで見ていられない。

 だから、俺は立ち向かう。

 今この時。この瞬間が俺の正念場だ。

 戦力は圧倒的に向こうが上。腕っ節も強く、頭も切れる。唯一孤独だから仲間は居ないけれど、捨石に出来る何かはありそうだ。

 だけど戦うのに必要なのはそんなものじゃない。もっとシンプルで温かみのあるものだ。

 俺は乾いた唇を開く。相手を睨みつけたまま。

 

「人間だからだよ」

「……人間だから?」

 

 考えれば簡単なことだったのだ。

 小学校で習う算数の1+1よりも簡単な答えだ。

 彼女がそんなことすら分らなくなったのはやはり壊れているからなのだろう。

 

「人間が生き延びるために違う何かになったのなら、それは人間じゃない」

「えっ?」

 

 呆けて間抜けた声。

 まるで俺が彼女の盲点を突いたかのような状況。

 違う。

 それは演技でしかない。

 最初から彼女は分かっていた筈なのだ。

 共に歩いてくれる仲間が欲しかったんじゃない。自分と同じ存在にいつまでも傍らにいて欲しかったんだ。

 言葉は口にしなければ伝わらない。

 だから俺は言う。

 

「あまり人間を舐めるなよ、花妖怪」

 

 しっかりとした拒絶の言葉を。

 

「俺は……いいや、俺達、人間はな、確かに惰弱で貧弱でか弱く、お前達から比べたらどうしようもないくらいに矮小な生き物だよ。だけどな人間にも誇りがある! いつか死んでいくけれど短い生涯に意味を見出して愚直なまでに一直線を歩いていけるんだよ!! お前らにこうして吼えることも出来る!! 俺は胸張って自慢げに人間として生きて死ぬんだ!!!」

 

 風見幽香が俺にしたことは生命の冒涜だ。

 老衰による弱体化した俺から名前を奪い、記憶を弄り、幻想郷に新しい怪談を生んで人里の人間から畏れ形作らせ"向日葵咲き乱れる郷の主"という妖怪を生み出そうとした。

 俺はあの化け物に会った翌日に八雲紫と話し合い、一人では辿り着かない筈の真実に辿り着いた。

 本来なら歳の所為でもう既に死んでいてもおかしくはない筈の俺が生きていたのは風見幽香のおかげで、彼女から奪われた名前を取り戻せば完全な人間に戻れると教わった。

 だから言わなくてはならない。

 

「俺の名前を返せっ!!!」

 

 絶叫した。

 彼女に、風見さんに届くように声を張り上げた。

 

「そっか」

 

 まるで何でもなかったような他人事のように彼女は唐突に呟いた。

 その顔には優しげな表情が浮かんで、その瞳には憂いを含んだ赤い瞳に戻っている。

 

「ごめんね」

 

 綺麗に赤く染まる瞳が歪み、目尻に涙が溜まっていく。

 

「最初から分ってた」

 

 此方に笑い掛ける。

 

「幸福が戻ってくることは二度と無いって分ってた」

 

 一筋の涙が零れ落ちて地面に吸い込まれていく。

 

「けれど、それでも私は夢を見ざるをえなかったの」

 

 俺は相槌も打たずに黙って彼女の独白を受け入れるだけ。

 

「幸せだったの。貴方が隣にいてくれて、我侭な私に共に生きていてほしいって言ってくれた」

 

 弱弱しく、とても大妖怪だとは思えない儚げさに俺は居た堪れなくなってしまいそうだ。 

 

「貴方が私を置いて去ってしまうと分ったら、これまでの全部が……私が勝手に抱いた幻想に過ぎないのかなって自信を持てなくなってしまって怖かった。怖かったのよ」

 

 覚束ない足取りで風見さんは俺に近寄ってくる。

 

「それは初めての感情で、抱きしめたあたたかな温もりが消えていくようで、触れていた指先が何も感じなくなっていくようで、夜に一人で寝れなくなるほど怖くて仕方がなかったの」

 

 服にしがみつき、膝を地面につけて崩れ落ちる。

 

「ごめんね。ごめんなさい。謝るから……いかないでよ。私を…………置いていかないでよぉ」

 

 俺は言わなければならない。

 自分の思いを、人間である誇りのために。

 幼い子供のように俯き泣いてしがみつく彼女を見据えたまま。

 

「名前を返してくれ」

 

 風見さんは俺を見上げるとすっかりくしゃくしゃになってしまった端整な顔立ちを更に歪ませて嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶ。

 心が痛んだ。

 本当なら彼女の望みを叶えてあげたい。

 出来ることなら彼女といつまでも、いつまでも、この向日葵畑に囲まれて生きていきたい。

 それでも人間には決して越えてはならない領分が存在すると俺は思うのだ。

 俺は確かに知っている。此処が理不尽なことさえも全てを受け入れて肯定してくれる理想郷だと記憶を取り戻した俺は知っていた。

 しかし、それでも幻想は幻想に過ぎない。

 向日葵郷の主として人ならざる者へと転身する俺はきっと人間であった俺の絞り粕で出来ていて、薄っぺらい感傷と傷の舐め合いをしながら生きていくのだろう。

 それはもう俺ではない。風見さんが好きだと言ってくれた俺ではないのだ。

 だから、だから俺は彼女に伝えなければならない。

 しっかりとした言葉で。気持ちが十分以上に伝わるように真心込めて。

 この戦いは気持ちが伝われば俺の勝ちで、彼女がそれを無視すれば彼女の勝ちで終わる。

 俺は八雲紫から予め頼んで用意してもらった物を懐から取出し、無言のまま彼女に差し出す。

 

「これぇ……あねもね…………」

 

 花弁が赤い色をしたアネモネの造花。

 彼女の手元でいつまでも朽ちないように。

 現金な子供のように彼女は泣き止み、赤いアネモネを両手で優しく受け取る。二人仲良く黙って花を眺めた。

 やがて俺と風見さんは見合わせるように向かい合い笑いあう。

 この一瞬を忘れないために。

 いつまでも、いつまでも、彼女が俺を忘れてくれないように。気障な言い回しだけれど魔法をかけた。

 

「風見さん。最後に俺の名前を呼んでくれ」

「うん」

「優しく、真心を込めて」

「うん」

 

 彼女は立ち上がり、俺としっかり向かい合う。

 身長は俺の方が高い筈なのだが、もういい歳だから足腰が曲がって丁度いいくらいの高さになっている。

 美しい赤の瞳には覚悟の光が灯っていた。 

 

「生きていくわ」

「ああ」

「貴方が生きろよ、と言ってくれたからじゃなくて、私が生きたいから生きる」

「ああ」

「だから、ここでお別れね」

「ああ」

「さようなら、さようなら」

 

 そこでまた泣くなよ。

 笑ったまま見送ってほしい。

 

「太陽」

 

 そうだ。

 俺の名前は太陽。東方太陽。

 向日葵が恋焦がれた空の遥か彼方に浮かぶ星。

 死んだら星になれるなんて御伽噺の中だけかもしれないけれど、もしなれたのならずっと見ているよ。

 君が精一杯に生きている姿をずっといつまでも、いつまでも。

 それに忘れないで欲しい。

 俺がそこから居なくなっても向日葵達はずっとそこで変わらずに君を待っている。

 例え君自身が変わり果てていてもずっと待っているから。

 太陽の方へ向き、照らされながらも持ち続けて、君が帰ってくれば温かく迎えてくれる。

 向日葵郷へようこそ、って。

 

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 夏の日差しが厳しく照らす中。

 一組の男女が向日葵畑の中心で抱き合っていた。

 男の方は白髪をこさえた老人で全身の力を抜き去り、相手にしな垂れかかっている。

 受け止めている彼女の方は十七歳くらいの容姿が恐ろしいほどに整っている見事な美少女で、細腕に力を込めて男の老人を抱きしめていた。

 老人は瞳を閉じて地面を見下ろし、少女は空に浮かぶ太陽を仰ぐ。

 泣き腫らした涙の後が痛々しくも残っており、その姿を太陽の光が晒しだしている。少女はそれでも構わず太陽を見上げ続け、やがてその細い腕の何所にそんな力があるのか分らないが、ぐったりとする老人の身体を抱え上げた。

 そのまま彼女は歩き出す。

 向日葵に囲まれた一本道をひたすら足を動かして進んでいく。

 彼女が何処へ向かっているのかは分らない。きっと抱え上げた老人を降ろしに行くのだろう。

 その姿を太陽だけが見ていた。




※エピローグがあります

ー追記ー 赤いアネモネの花言葉「あなたを愛しています」
     
     風見さんの風貌にとても似合うと個人的に思ってます

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