向日葵郷~幽香に会える夏~   作:毎日三拝

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十九話

 世間には隠された知る人ぞ知る、と言われている幻の酒が存在している。

 それは生産上の都合で多く造れない物だったり、気難しい酒造りの名人が気に入った人物にしか譲らない物だったり理由はまちまちだが、幻と称されるまで限定的な酒が造り出されているのは間違いない話だ。

 その証拠に俺は一本の瓶に詰められた酒を手にしている。

 包装されておらず商品名も記載されていない綺麗な黒色の瓶。その中身を俺は知っていた。

 中身は純米大吟醸酒。米と米麹、水のみを原料として製造させた物がその酒の正体だ。

 しかし、それだけなら幻とならず何処にでもあるだろう純米大吟醸酒に過ぎない。

 この酒が幻と言われる由縁となったのは米が原因である。その米の種は大昔に途絶えてしまったと思われていたのであるが、途絶えてしまった筈のそれを密かに保存、育成していた人物がおり、その人物のお陰で復活となった不死鳥の如き酒がこれである。

 まぁ瓶が入っていた箱に同封されていた説明書に書いてあった説明だがな。

 俺はこの酒を向日葵郷へ来る前にとある伝を使って手に入れた。

 祖父の家に持って来たのは勿論、此処なら誰にも邪魔されずに一人で呑めるからだ。

 実家の両親は二人とも飲兵衛で俺がこの手元にある酒を持っていると知れば本気で襲ってくるだろう。前も別の希少価値のある酒を持っていたことが露呈した際は親父とは口論にお袋とは殴り合いの喧嘩になった。その時は結局お袋が放ったプロボクサー顔負けのリバーブローが綺麗に決まり、意識が暗転している間にあいつらが飲み干していた。

 初めて親に殺意を抱いた瞬間だった。

 そんな訳あって俺は元関東最強の女不良である過去を持つお袋に勝てる気がしないので逃げるようにこの酒を持ち寄って来たのである。

 戦国時代に活躍した武田信玄の武将である高坂弾正忠昌信に習って三十六計逃げるに如かず、だ。

 祖父を利用する訳じゃないけどあいつらは此処に来れないだろうからな。それでも酒のためなら長年の因縁も関係無しに来そうなほど酒に狂ってるけどな。

 誰もいない筈だが一応周囲を見回す。

 ふぅ。今は夜だしもう誰も来ないだろう。うん。来ないよね。

 さてと、開けるか。

 

「へぇ、何やら良さそうな物を抱えているわね……」

 

 身体が酒を開封する動きを強制的に止めた。いや、止められた。

 脳を駆け巡る思考だけが見当違いな方に逸れていく。現状の現実を飲み込めずにいる。

 俺の両肩に優しく暖かなものが触れる。錆びた機械のように首を動かし右肩を確認すると新雪のように白くしなやかな指が乗せられていた。

 左耳に暑い吐息が吹き掛けられる。

 

「昼間から妙におどおどして様子がおかしいから一度帰った振りをしてみれば……私に隠れて一人でそれを楽しもうなんて、ね」

 

 弁解しようとなんとか喉から声を上げようとするも一瞬で渇ききっており、中々呻き以外の口から出てこない。彼女の体温が接に感じられる。余計に喉が渇いていく。

 

「私はちゃんと貴方に持って来てあげたというのに」

 

 そうですね。一風変わってて珍しく、とても美味しいお酒でした。

 確か古代米の古代絞り、でしたっけね。その節はありがとうございました。

 

「少し聞きたいのだけれどいいかしら」

 

 何なりと。

 

「美味しいお酒は皆で共有すべきだと思わない?」

 

 風見さんが放つ重圧が空気を支配し、静寂が満ちていく。

 俺はその場で黙って頷くことしか出来なかった。

 結局、幻の酒を一人で楽しむという夢は淡く幻と消えていってしまったようだ。 


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