眩いばかりの光がバトルタワー最上階フロアを埋め尽くした。
それは幻のポケモン"ジラーチ"が願いを叶える時に放つ光、一人の少年の、否、その他大勢の人々の願いが遂げられた証拠である。
ポケモン図鑑の共鳴音、十一の音が鳴り響いた。同時に五つの石像に亀裂が走る。
カントーナナシマで起こった事件、その一つの結末として残ったものは石と化した五人の少年少女達の姿。
打つ手は無いと思われた。唯一の希望であるジラーチをアオギリが手にした時ももう駄目かと思われた。
しかし奇跡は起こった。彼らはそれを自身達の手で起こしたのだ。
「石化が、解けた……願いが、叶った……!」
「やったなエメラルド! 自分って存在についてお前が"悩み"、"考え抜いた"答えを、心にズドンと来る叫びをあげた瞬間、ジラーチの真実の目は見ていたんだぜ。お前のをしっかりとよ!」
まるで他人事の様に彼は呟いた。
図鑑所有者エメラルド。三人目のホウエン図鑑所有者にして此度の奇跡の功労者は、目の前の奇跡を半信半疑で受け入れた。
喜びの声が上がる。
先輩達、そしてかけがえの無い仲間の復活をゴールドとクリスタルは歓喜の声を漏らした。
初めて会う先輩達との対面に、ルビーとサファイアは笑みを浮かべた。
――そして。
「……クリア?」
「……うん。おはよう、イエロー」
そして彼らもお互いの再会に目を見開く。
少女の首にかかるゴーグル、別れの際少年が少女に預けたゴーグルが妙に懐かしく思えた。
クリアとイエロー。久方ぶりに地に足をつけた四人目のカントー図鑑所有者と、傷だらけのジョウト図鑑所有者は、お互いに少しの間見つめ合って、
「あれ……ク、クリア……? どうしたの、その、えっと……」
妙にしどろもどろなイエローの様子にクリアは疑問符を浮かべる。
見る見るうちに顔を蒼白へと変えていく黄色のポニーテールの少女、そんな彼女の様子に疑問を感じたクリアだが、彼の疑問は次のイエローの言葉で全て解決される事となる。
「ひ、ひどい怪我だよ!」
そこでクリアは理解する。自身の状態を改めて省みる。
左肩の刺し傷を筆頭に、真新しい傷と血液が全身を装飾する様な今の自身の格好、どう転がっても笑えない、そんな状態。久方ぶりに再会した少女が困惑するのも無理は無い。
数秒だけ、クリアは全ての脳細胞をフル活用して、今の自身の状態を説明する最適な言い訳について脳内検索にかけた。
結果。検索件数ゼロ。困った事にどうしようも無い。
そこでとりあえず、
「ハハッ……」
クリアは困った様に曖昧な微笑を浮かべてみて、
「わ、笑い事じゃない!」
怒られた。当たり前である、自業自得、普段温厚なイエローらしからぬ鋭い一喝であった。
なるほど確かに笑えない。クリアの時間が停止する。
再会した少女の一喝に怯んだから、では無かった。
眼前の少女の様子の変化から、除々にクリアの顔にも焦りが生まれ始める、彼を支える少年"ミツル"も、あぁやってしまいましたね、とでも言いたげな表情でクリアを責めてくる。
「……ぐすっ、なんで、君はいつもいつも、こんなにも傷だらけになって……」
すすり泣く少女の声が耳に届いた瞬間、いよいよもってクリアの表情に焦りの色が見えた。
しばらく会わない内に完全に忘れていた。その事をクリアは身を持って思い出す。
目の前の少女はマイペースであって、いつも他人に気を使う。色んな面で、強い時もあれば弱い時もある。
そして彼女は、芯こそ強いものの、基本は泣き虫な少女でもあった。
例えば、過去自身のポケモンが進化したというだけで泣き出してしまう程なのだ。クリアという自身の思い人が、見た目今にも倒れそうな程の怪我だった時等は、彼女のそんな反応も当然と言える。
むしろ今までよく耐えて来たものだ。
それ程までにクリアという少年は命の危機というものと直面して、そしてその度に彼女に死ぬほど心配させている。
「だ、大丈夫! 大丈夫だから! 俺は全然平気だから! だから泣くなよイエロー、な?」
ミツルの支えを振りほどき、大袈裟に左腕を振って、自身がいかに"大丈夫"かを少女に分からせようとして、
「ぐっ……!」
「クリア!?」
そしてすぐさま、クリアは激痛に思わず膝をついた。
当然である。応急処置はしてあるとは言え剣で刺されているのだ。痛んで当たり前だ。
うめき声を上げて顔を伏せたクリア、そんな彼を心配する様に涙目のイエローが駆け寄ってくる。
「ね、ねぇ本当に大丈夫なの!? しっかりして、クリア!」
そんな少女の心配を少しでも軽減しようとでも思ったのだろうか。
未だに激痛が走る身体に鞭打って、不意に少女の頬へと手を持っていき、伝う涙を一度拭ってから、そしてクリアは少女の首にかかった自身のゴーグルを外した。
「……大丈夫。大丈夫だから、だからあんまし泣かないでくれよ、な?」
その一言は彼の精一杯の強がりだった。
伏せていた顔を上げて無理矢理に笑顔を作る。傷だらけの笑顔だった。額に浮かぶ汗が隠し切れない彼の痛みを嫌でも感じさせてくる。
だがそんな状態であっても、クリアは弱々しくも作った笑みを崩さない。
そしてそれが――少女には逆に痛々しく思えたのだ。
「イ、イエロー?」
甘い香りが鼻腔をくすぐった。
突然の事にクリアは思わず両手を宙で泳がせる、かかる体重は驚く程軽く、小さな少女の両手が傷だらけの身体をしっかりと抱きしめる。
すぐ真横、視界の隅で僅かに揺れた黄色のポニーテールを、クリアという少年は唯々呆然と眺めた。
「……クリアの……ばか」
もしかすると、初めて聞くかもしれない少女からの侮蔑の言葉。だが不思議な事に、何故かその言葉が心地よいと思えた。
「ボクがどれだけ言っても……どうせ、君は、無茶するんだから……」
「……はは、まるで俺が好んで無茶してるみたいな言い方だな」
「だけど……だけどお願い、怪我だけはしないで」
茶化す様に呟いたクリアの耳元で、涙で震える声が聞こえた。まるで守る様に少年の背へ両腕を回す少女は、目尻に涙を浮かべて言う。
「……傷ついたあなたの姿を見るのは、ボクは何よりも嫌なんだから……」
「……うん。ごめん、イエロー。どれだけ守れるかは分からないけど、約束。善処するよ」
「……ばか……」
少年を抱く少女の力が僅かに強まる。
視界に大きく広がる震える小柄な少女の頭を不思議そうに眺めて、そしてクリアは照れた様に顔を赤くして、しかし満更でも無い様子で、少年が少女の腕を拒む事は無かった。
「……えーと、そろそろいいかな二人共?」
声が届いたその瞬間に、二人の少年少女の再会は唐突な幕切れとなった。
途端に耳の先まで真っ赤に染めたイエローが、押しのける様にクリアを突き飛ばしたのだ。
グエッ、という小さな悲鳴が聞こえた気がしたが、今はそれ所では無い。
気づくと彼ら二人のすぐ傍ら、最も近い位置でミツルと呼ばれる少年が、何とも居心地が悪そうな表情で彼らを見ていたのである。
十中八九、 "一部始終"。
そしてそこで、イエローはようやく気づく、というか思い出す。
――そう言えば、この場には彼女等の他に、十数人もの人間がいたのでは無かったのかと。
「……いててっ。な、何が……」
「はぁい。久しぶりねクリア」
一方、鈍く痛む左肩を押えながらも、それでも懸命に上体を起こすクリアの眼前には一人の少女が現れた。
茶の長髪と整った顔立ちの少女だった。少しの間その少女の様子を観察して、キョトンとした様子でクリアは言う。
「……あれ、なんでブルー先輩がここに?」
「……なんでってアンタ……」
「だから言ったんスよブルー先輩。今のクリアにはイエロー先輩しか見えてないって」
面白いものを見つけた、そう言いた気な様な顔をする二人の少年少女の姿があった。
まずは目の前のブルー、まるで焼き魚を前にする猫の様な瞳を見せている。次にその後ろのゴールド、何がおかしいのか口元に手を置いて、神経を逆撫でする様な含み笑みをしている。
「え、あれ? イ、イエロー。これってどういう……」
何故この二人はこんな仕草をしているのか、というか何故ブルーやゴールドがこの場にいるのか。謎が謎しか呼ばない、少なくとも今のクリアにとってはそんな状況。
その事をイエローに訊ねようと振り返って、そして、真っ赤に蒸気しながら両手を顔に当てているイエローの姿を視界に捉えた瞬間、クリアは全てを悟った。
そう言えば石化していたのはイエローだけじゃ無かったなぁ、とか。思えば最初に他の四人にも自分は"おかえり"と漏らしていたなぁ、とか。というかそれ以前からゴールドらがこの場にはいたなぁ、とか。大体そんな感じの事である。
まるで他人事の様に今までの出来事を思い出して、微妙な表情でイエローを宥めるレッドとグリーンを眺めてから、クリアは頬を引きつらせた。
さて、彼は先程まで、火の様に赤く染まったイエローと、一体どんなやり取りをしていたのか。
「……あ、あわ……!?」
言葉にならないとはまさにこの事か。気づいた時には時既に遅かった。
まずは眼前のブルーを見た、意地の悪い笑みを浮かべていた。気分が悪くなりながらも次にその後ろのゴールドを見た、苛立ちを覚える笑みを浮かべていた。
続け様に光の速さで周囲の様子を観察する。
シルバーは相変わらずに無関心で、クリスタルは僅かに赤面しつつ此方を凝視し、ミツルは相も変わらない人当たりの良い苦笑い、ルビーは何やら察した様な微笑を浮かべ、サファイアに至っては何故か憧れにも似た眼差しを向けてきている。
――そして、アトリエの洞穴で決死の戦闘まで行った仲でもあるエメラルドからは、
「……何やってんだよお前。こんな時に……」
まさかの呆れの言葉だった。
「……か、かかか観念しろアオギリ! 全ての図鑑所有者が揃った今、テメェの勝ち目なんて一ミリたりとも無い!」
彼のトレードマークとも言えるゴーグルをかけ、流れる様な動きでアオギリを指差し、僅かに火照った顔のままクリアは堂々と宣言した。
恐らく空気の悪さに居た堪れなくなったのだろう、強引に皆の優先順位をアオギリへと向ける様仕向ける。しかしチクチクと背中に刺さる視線は止まない。
だが尤も、それも僅か数秒の間だけ、
「……まっ、先ずはこっちが先ですね。このままホウエン地方を海に沈めさせる訳にはいきませんから」
「……えーと、ずっと気になってたんだけど、ところでこれってどんな状況なんだ?」
「色んな事を省略して説明すると、とりあえず、ぶっ倒すべき敵が今目の前にいるって事っス。レッド先輩!」
クリアに続き、ルビー、レッド、ゴールドと彼らの視線は遂に一箇所へと注がれた。
アオギリ、またの名をガイル。"海の魔物"を支配する巨悪。彼ら図鑑所有者達が再会と邂逅に喜ぶその前に、退けるべき敵。
一方の、先のクリアとイエローの一騒動の間、沈黙を守っていたアオギリは、
「驚くべきことだな」
不意に驚愕の声を漏らした。注目を浴びるまで動きを見せなかった事から、余程の驚きがあったのだろう。その声色にも彼の心象が僅かながらも聞き取れる。
「だろ。流石に驚いただろウスラトンカチ! 何しろテメェの恐れる図鑑所有者がこんだけ……」
「そんな事では無い!」
挑発する様な言い草のゴールドに、アオギリは怒鳴る様に返して、
「図鑑所有者如きがどれだけ集まろうと私の野望を阻めるものでは無い! このバトルタワーの一階から七十階までに大挙ひしめく全てのポケモンが私の支配化なのだぞ!」
彼がそう叫んだ瞬間、扉という扉が一斉に勢い良く開いた。
プリン、ダーテング、レアコイル、否それだけでは無い。数々の種類のポケモンが、数十にも上る軍勢が津波の様に現れて、
「行けもの共! 逆らうものを一掃しろ!」
アオギリに操られたレンタルポケモン。クリアとミツルが無力化したものも確かにいたが、しかし所詮、それは氷山の一角だったらしい。
バトルフロンティアというバトルの為の施設。その施設に現存する全勢力とも言える軍勢である、当然その戦力は確かに計り知れない。
アオギリの余裕が消えないのも頷ける。
――だが、だからと言って図鑑所有者達の敗北は必死と、果たして本当に言えるのだろうか。
「頼んだ、プテ!」
「ポリゴン2!」
「ニドちゃん!」
「ゴ、ゴロすけ!」
「さぁ祭りだ、エーたろう!」
「パラぴょん、お願い!」
「オーダイル!」
「RURU! "ねんりき"!」
「いくったい! ふぁどど!」
「"シャドーパンチ"だ、サマヨール!」
下手な小細工などは無かった。彼ら図鑑所有者達が取った選択肢は一つ、押し寄せる大群に対し真正面からぶつかる事、ただそれだけだった。
数の優劣では圧倒的に図鑑所有者達が不利、だがその瞳の闘志の炎は消えてはしない。
そもそも、彼らはどんな時でも諦めずにどんな敵にも立ち向かってきた。そしてその度に壁を乗り越えてきたからこそ、図鑑所有者という大仰な名で呼ばれる存在へとなる事が出来てきたのだ。
「フライゴン! "りゅうのいぶき"!」
そして彼もまた、この場において唯一人"図鑑所有者"の称号を持たない少年、ミツルも全力を賭して共に戦う。
フライゴンの"りゅうのいぶき"が壁となり、槍となって、操られたレンタルポケモン達を退けていく。
ミツルはポケモン図鑑を一時的にしか預からなかった身、だがそれがどうしたというのだろうか。彼ら図鑑所有者の戦いについて来られる、むしろそれ以上の働きすら望める。
そんな、ここまで共に戦ってきた彼へ異論を唱える者は、当然誰一人としていなかった。
傍目戦力は拮抗していた。
持久力の点をつけば流石に図鑑所有者側に難が見られるが、短期決戦を挑むというのなら話は別だ。
一人一人の実力が相当数に高い。彼らのうちの一人を倒すとしても、それはかなりの至難と言える。
「……だが、お前はどうだ、クリア?」
一人、戦闘の中心で立ち尽くしていたクリアへとアオギリは告げて、その瞬間、およそ三体ものレンタルポケモン達が彼へと向かう。
満身創痍の状態で、クリアは迫り来るポケモン達を凝視する。
真っ直ぐに立っている事すらままならない、先程のアオギリとのものを始めとした数度の戦闘、そもそもそれ以前に、彼はほとんど睡眠も取らずにこの瞬間を迎えている。
今のクリアは精神的にも肉体的にも既に限界が近い、更に追い討ちをかけるならば、彼の手持ち達も先のアオギリとの戦闘でほとんど瀕死に近い状態へと陥っていた。
――尤も、"ある二体"を除けば、なのだが。
「お前は既に歩くのも苦のはずだ! ここで潰れてしまえ!」
アオギリの怨嗟の声が傷だらけのクリアの耳に届き、暴走状態であるレンタルポケモンのオドシシ、ジュゴン、マグマラシの三体が一斉にクリアに飛び掛った。
刹那。
クリアの両脇から雷と炎が立ち上り、三体のレンタルポケモン達を即時に弾き飛ばす。
動揺するアオギリが目に見えて分かって、そして少年は不敵な微笑を浮かべる。
「……随分と、フラストレーション溜ってたんだな」
クリアの呟きに応える様に小さな黄と大きな黒が現れる。
鉄を舐める様な不快感が口内で充満するのを感じながら、それでもクリアは不敵な笑みを深めた。
ようやくここまで来れたのだ。今までの労力、その全てはこの瞬間、図鑑所有者全員が集まった、今の為に存在する。
先のアオギリとの戦闘時、"あえて全力を出さなかった"のもまた今の為だった。
周囲を気にかけず全力でアオギリと争って、まだ石化したままだった五人を巻き添えにしない自信がクリアには無かったのだ。
だからこそ、彼はゴールドらの作戦に乗り、レヴィ、V、デリバードの三体の手持ちだけで"アオギリを足止めする事"のみに徹していたのである。
だがそれももう終わりだ。最早気にかける事は何も無い。
ようやくクリアは、残っていた"二体の相棒達"と共に戦う事が出来るのだ。
「だけどもう、
小さいながらも闘争心をむき出しにしたピカチュウと、ただ静かに鋭い眼光をアオギリへと向けた色違いのリザードンへとクリアは呼びかけて、
「全てを蹴散らせ!」
次の瞬間、Pの"10まんボルト"とエースの"かえんほうしゃ"が同時に放たれた。
「ぬ! ぬぅぅう!」
Pとエースの全力攻撃。アオギリはそれを"瞬の剣"で受け止めて、押し迫る攻撃をどうにか後方へと逸らす事に成功する。
「……小癪な真似を」
「相変わらず狡い武器だなソレ」
アオギリとクリアの言葉が交差した。
「……ふ。だが私にはまだ、"これ"がある!」
言って、大胆不敵に頬を歪ませたアオギリが剣を天へと掲げた瞬間だった。
"海の魔物"。カイオーガの形を模したそれが最早何度目かの体当たりをしかけてくる。
当然、圧倒的な物量、力の差には抗いがたく、クリア含めアオギリ除いた全ての者が魔物にのまれ、彼ら図鑑所有者の体力を着実に奪う。
「な、なんだ、あれはッ!?」
「ガイル……アオギリがジラーチの力で手に入れた"力"です。グリーン先輩!」
"海の魔物"がバトルタワーを通過した後、大量の水を被りながらも彼らはすぐに身を起こした。
グリーンの疑問の言葉にクリスタルがすぐに反応して、襲い掛かるカイリキーとマダツボミの二体を、ポリゴン2とパラセクトで押さえ込む。
そのすぐ近くでは、不意に小さな音を立てて
「うっそ、こげん早うに……!」
「封じ込めれられてた奥義を取り出した!?」
サファイアとルビーの驚愕の声が重なる。恐らくその場にいた誰よりも早く、シルバーが究極技の修得に成功したからである。
"動けない間にも意識はあった"。そう呟いてはいたが、しかしそれを差し引いても彼の修得速度は目を見張るものがある。
またそのすぐ傍ではひくついた表情を見せるゴールドの姿もあった。彼は準備期間の二ヶ月を丸々使っての修得だった為、シルバーには劣るものの、それでもかなりの短時間で究極技を修得したルビーとサファイアに対して立つ瀬が無いのだろう。
「で、結局さっきの"
「そもそも、まずは海の潜った奴を引きずり出す必要があるな」
「というか、こんな状況じゃ身動きもとれないわよ!?」
気づくとほぼ全ての者が同じ場所に集まっていた。
石化から目覚めたばかりの彼らカントー図鑑所有者の三人も、今この場においてはゴールドを頼って行動している。
「ゴールドさん! そういう事なら俺に考えがある!」
このまま消耗戦をしていては時間と体力の無駄だ。そう誰もが感じ始めた時、不意にエメラルドがゴールドに何やら耳打ちする。
現状打開の可能性。エメラルドの提案を聞き入れてゴールドが僅かに首を縦に振った。
その瞬間、
「ちぃっ!」
「ク、クリア!」
「クリアさん!」
彼ら集団の中に新たな一人が加わる。クリアと彼の手持ちの二体、Pとエースである。
飛び込む様に輪の中に入った彼らの身を案じて、恐らく先の一件から少しの戸惑いを見せつつもイエローが彼の傍に駆け寄る。
上体を起こしながら、それでいて痛みを物ともしてない様子でアオギリの方を睨むクリアの姿を見て、すぐにそちらを振り向いたミツルの表情もまたクリア同様険しくなる。
「知らなかったな。まさか短冊の数だけ願いを叶える事が出来るとは……」
ジラーチの願いを叶える力は短冊の数だけだ。
言って、アオギリが掴んでいたのは、何を隠そうやはりジラーチだった。
今現在、ジラーチが叶えた願い事は二つ。そしてジラーチの空白の短冊は後一つ残っている。それはつまり、後一度だけ、どんな願いをも叶える力がジラーチには残っているという事なのである。
そしてジラーチは元々アオギリのボールで捕獲されたポケモン。野生同様の扱いを続けるアオギリだが、事実上そんな彼でもジラーチのトレーナー。故にジラーチに逃れる術は無い。
「野郎! 必ずとっとけと言われた最後の短冊まで!」
再度ジラーチを再度捕縛し、最後の短冊に手をかけ様とするアオギリの姿にゴールドが叫ぶ。
今回戦いの場となったバトルフロンティア。そもそもこの施設は、当然アオギリとの決戦、ジラーチ覚醒の為に用意されたものでは無く。この場所で今、戦闘が行われているのは全くの偶然である。
"報酬はジラーチの短冊一枚"。それがエニシダの要求だったのだ。
オーナーエニシダの夢の結晶にして巨額の資金を注ぎ込まれた施設、それが"バトルフロンティア"。そんな場所を戦いの場として提供したのである、オーナーエニシダの要求も当然と言えば当然とも言える。
「サマヨール!」
「カクレオン!」
次の瞬間、レンタルポケモン達の合間を縫って出た二人と二匹がアオギリへと近づいた。
ミツルとエメラルド。アオギリへと迫る彼ら二人を攻撃しようとレンタルポケモンのサンドパンが二体動くが、二体はすぐにクリアのエースが尻尾で弾き飛ばして、その瞬間にはミツルとエメラルドのポケモン達も技を放つ。
――が、自身へと降りかかる火の粉を払うが如く、アオギリが剣でカクレオンの"たたきつける"とサマヨールの"シャドーパンチ"をいとも容易く同時に弾いた。
「な、お前……」
「ゴールドさん! アオギリは僕とエメラルドが押えておきます! だから今の内に!」
「わかった! 任せたぜミツル、エメラルド!」
ミツルに応えてゴールドが駆け出した。恐らく先程のエメラルドとの耳打ち、何かしらの策を行使するつもりなのだろう。
その間の時間稼ぎ、その為に、アオギリという巨悪を前に二人の少年が立つ。
自己紹介は、先の究極技修業中に済ませてあった。
ミツルとエメラルド。元々エメラルドが貰うはずだったポケモン図鑑とキモリを一時預かっていたミツル。そして図鑑とジュカインの現所有者でありトレーナーのエメラルド。
その二人の間には特別険悪なムードは無く、だが打ち解けた様子も未だ存在してはいなかった、が、
「さぁ、ジラーチを取り戻そう。エメラルド」
「……足手まといには、ならないでくれよな」
いつの間にか、この土壇場で互いの命運を賭けれる程に彼ら二人は信頼し合っていた。
「愚かな奴等だ。何度も何度も、無駄というのが分からないのか!」
ミツルとエメラルドの二人を打ち倒すべく、アオギリは自身のトドゼルガとアメタマ――いや、今、進化したアメモースを繰り出す。
次の瞬間、トドゼルガとサマヨール、アメモースとカクレオンが激突する。
自慢の巨体を生かしたトドゼルガの威圧的な"のしかかり"攻撃を前に、エメラルドのサマヨールは怯む事無く突如自身の前に"黒い点の様な穴"を作り出した。
"ブラックホール"。サマヨールが作り出す真空の空間、全てを吸い込む無の黒点である。
かわす事無く迎撃される事も無く、まさか吸引されるとは思っていなかったのだろう、急な引力の発生にトドゼルガは体勢を崩した。
が、しかしその勢いは更に増してサマヨールの危機は続く――かに見えた、その時だった。
そしてトドゼルガの動きが直角に曲がる。
無論トドゼルガを吸い込み続けるサマヨールが原因、その原因たるサマヨールが突然移動したから、ミツルのカクレオンが自身の手前へサマヨールを引き寄せたからである。
カクレオンは自慢の伸縮自在の舌をサマヨールに巻き付けて、自身の方へと引っ張って、そしてそのまま、カクレオンは自身とアメモースの間にサマヨールを移動させ、それに続く様にトドゼルガもそちらへ吸い寄せられていく。
結果、後は彼らの思惑通り、勢いよく吸い寄せられてきたトドゼルガとアメモースの衝突が起きたのだった。
「よし、今だ!」
トドゼルガとアメモースを無力化した。その瞬間には既にミツルは行動を起こしていた。
先の先を読んでの行動、そのバトルセンスはやはり、ホウエン最強の男と噂されるルビーの父親"センリ"の修業の影響か。既にアオギリに向けて突進する自身のノクタスへ向けてミツルは叫ぶ。
だが敵も負けてはいない。
迫り来るノクタスへ向けて、アオギリは再び刃を振りかざす。もう何度も彼を危機から救ってきた絶対の盾。伝説の一撃さえ退ける代物。
そして刃が振るわれて――、
「……な、に……?」
翠の一閃が映えた。
呆然とアオギリが呟いた。何が起きたのか分からない、久しぶりに見せる彼の素顔は素直にそう語っている。
翠の刃と緑の拳が垂直に振るわれたまま固まっており、少し離れた位置で弾かれた"瞬の剣"が地面に突き刺さっているのが見える。
"リーフブレード"と"ニードルアーム"。振るわれたのは"翠の刃"で、剣を弾いた"リーフブレード"が下から掬う様に、そして"ニードルアーム"が本来飛ばす針を腕に残したまま振り下ろす形で行われ、結果、ジュカインとノクタスがアオギリの鎧を真っ二つに切り裂いたのである。
「……にしても、よく分かったね。俺のジュカインが来てるって」
「そりゃあまぁ、聞きなれた足音が聞こえたから」
言い合って、二人の少年は自然と軽く拳を合わせた。そんな彼ら二人の下に、アオギリから解放されたジラーチが寄って来る。
過去ジュカインを守ってくれていたミツル、心配の種だったキモリの良きパートナーとなっていたエメラルド。二人の間に絆が生まれた切欠はやはりポケモンの存在だったのだ。
「エメラルド! ミツル! 準備出来たぜ!」
ゴールドの声が聞こえた。どうやら全ての準備が整った様である。
周囲に集まっていたレンタルポケモン達は全て無力化したらしく、図鑑所有者達とそのパートナーポケモン達がズラリと並んでいる。
更に下を見ると、水面で小さく動く三つと一つの大きな影があった。ピカ、チュチュ、ピチュの三匹の電気鼠に、クリアとエース、そしてエースに乗ったPだ。
"相手は意思を持つ海"。言い換えれば生物の様で生物でないもの。故にその"意思を持つ"という点に着目して、生き物に対してするが如く海自体へと電撃の挑発行為を行っていたのである。
そして、ゴールドの狙いはズバリ的を射ていた。
堪忍袋の尾が切れたのか、波が高まり、次の瞬間再度"海の魔物"が水面下から出現する。
「よし、上手く引きずり出した!」
「撃てるぞ!」
誰かの歓喜の声が聞こえ、そしてミツルとエメラルドが仲間の下へと駆け出そうとした時だった。
「させん……絶対させん!」
掠れる様で、それでいて耳に纏わりつく様な悪魔染みた声がエメラルドの耳に届いた。
ジラーチを取り返され、手持ちを倒され、鎧と剣を失っても尚、アオギリは抗う意思を失っていないらしい。
そんな彼に付き従い――付き従わされて、再び集まる残っているレンタルポケモンの群れ。
図鑑所有者達を取り囲む様に現れたレンタルポケモン達、自身の手足となる下僕たちの登場に、再びアオギリは勝利の色を瞳に宿す。
――だが、
「そんな事をしてももう無駄だぞ」
そんなアオギリの勝利の確信を、エメラルドは真っ向から否定した。
「なに!? この軍勢を見て、何故そんな事が言える!?」
「何故って、囲ったからさ。皆で、俺の陣で、このバトルフロンティア全体を!」
そう言ってエメラルドが取り出したのは銃だった。
だが銃と言ってもただ傷つける為のものでは無い、"Eシューター"と呼ばれるそれは、ポケモンが懐かしいと思うもの"故郷の土"を発射して、ポケモンの心を穏やかにするというもの。
どんなに暴れているポケモンでも一瞬にして心落ち着かせ、正気に戻す道具でもあり、ポケモンの出身地を見抜くエメラルドだけにしか扱えない彼だけの武器である。
尤も、今回はバトルフロンティア全体という広範囲の為、土を銃で打ち出す様な事はせず、ラティアス、ラティオス、エニシダ、そしてエメラルドがこのバトルフロンティアで知り合ったカメラマンの青年が"陣"の作成に協力しているのだが。
――そしてその弾の効果はまた絶大である。
"さいはてのことう"、全てのポケモンの大本とも言われる幻のポケモン"ミュウ"がいた島の土ならば、どんなポケモンにでも有効だろうとゴールドは踏んでいたのだ。
「まさか、あれだけ暴れていたレンタルポケモンを……!?」
エメラルドが告げた瞬間、周囲を取り囲んでいたレンタルポケモン達全てが、一気に戦意を喪失したのである。
それを見たアオギリが絶句した。絶望した。動きを失った。その瞬間、誰の合図も無くともその瞬間、彼らの息がぴったりと重なった。
それにエメラルドが加わって、九人。
九人の図鑑所有者達。カントー、ジョウト、ホウエン、それぞれ三つの地方の図鑑所有者、そのパートナーポケモン達は"草"、"炎"、"水"の三人一組になり三種の究極技の砲撃体勢をとって、
「今、撃つ。一斉に!!」
エメラルドの掛け声と共に、そして彼らは自身等のパートナーポケモン達と共に究極技を放つ――。
「
「
「
三色の究極技の砲撃が真っ直ぐと"海の魔物"へと向かい、そして衝突する。
"海の魔物"を退ける為の方法、それは圧倒的力を持つ"海の魔物"それ以上の力を持って打ち崩す事。そしてそれを行うのが、今なのである。
九体のポケモン達による三種の三連弾。それはこの世のどんな技よりも高い威力を持っていて、確かに大方の予想通り"海の魔物"に効いてはいる。
「……確かに効いてはいる。が、与えるダメージが小さい」
「そんな、全ての力をぶつけとるとに!」
だが足りない――。
必要なのは火力、後少し、後ほんの少しの純粋な
「いや、まだ全てじゃねぇ!」
サファイアの悔しげな言葉を受けて、ニヤリと笑ってゴールドは言う。
「イエロー先輩! 出番だぜ!」
「え、えぇ!?」
「ええ、ピカとチュチュ、そしてピチュも新たな技を身につけて来ました!」
その言葉に偽りは無い。だが足りない部分もある事をクリスタルは当然分かっていた。
彼女のすぐ傍では息を整え、気合を入れるイエローの姿がある。これならば足りない分の力を補う事は十分だろう。
だが、その前に"彼"は一体どこに行ってしまったのだろうか。
つい先程まで、三匹の電気鼠と共に"海の魔物"の挑発を買って出ていた少年、クリア。"海の魔物"を引きずり出して以降、彼の姿が見えないのである。
『それだけあれば十分だろ。大丈夫、まだ力が足りないって時には俺もちゃんとやるから』
そう言ってクリアはこの集合には参加していなかった。実際クリアのエースの"ブラストバーン"が加わってしまうと、均衡を保っている三種三連の究極技の比率が悪くなり、最悪技が自壊してしまうかもしれない。
それを懸念して、クリスタルらもクリアのこの提案に賛成し、クリアを挑発役として送り出した。
だが、エースは別としてPだけならば別のはずだ。ピカとチュチュ、ピチュ、そしてPで"四連弾"を行っても技の維持には何の問題も無いはずなのである。
姿が見えない四人目のジョウト図鑑所有者。その存在がクリスタルの気がかりとなると同時に、遂にイエローの叫びが周囲に響く事となった。
「
海上から鋭い電撃の矢が"海の魔物"へと迫った。十分過ぎる力、見た目だけでもその凄さが分かる程の電撃。
これで全てが終わる、誰もがそう思った矢先だった――唐突に放り出された"剣"に電撃が炸裂する。
「え、なんで!?」
技の命令を出したイエロー自身が一番驚いた風であるが無理も無いだろう。まさか誰かに気に留められる前に素早く動き"瞬の剣"を放り投げ、技を受け止める等と誰が考えるのか。
そしてそれを考えられるのは、今この場において一人しかいない。
「……勝つ、のは、私だぁぁぁ!!」
アオギリが吼えた。ピリピリとした緊張が叫びと共に木霊した。
「くっ、ここに来てまだッ……!」
「頑張れイエロー! ピカ、チュチュ、ピチュ!」
「くっ、う、うおぉぉぉぉぉ!!」
呻く様にルビーが言って、レッドの声援が続く。そしてイエローが雄叫びを上げた。
まさかこれ程早くアオギリが立ち直るとは、誰もが予想外だったのだろう。
そして更に言えば、手持ちが尽きたアオギリの事を、もう無害だと誰もが思っていたのかもしれないし、例えアオギリが剣を拾っても近づく様ならミツルが対処できたはずだ。なまじ守る事に長けた者達だったからこそ、彼らは自身らへの敵意が無いアオギリの行動に遅れをとってしまった。
轟音と共にピカ、チュチュ、ピチュの三匹の"電気の究極技"は"瞬の剣"を捉え続ける。全てを弾く"瞬の剣"、そんな剣に食らい付いているだけ、究極技の凄まじさは子供でも理解出来る、当たれば確実に"海の魔物"を葬れるだろう。
「……だが、当たらなければ意味がない!」
下卑た笑みを浮かべて呟かれた言葉に、イエローが顔を歪め、尚も力強く気持ちを鼓舞し、更に電撃の威力を強める。
「あぁそうだ。だから確実に当てる為に、この時を待ったんだ!」
その瞬間だった。声が聞こえた。
その場にいた人間全てがその方向へと視線を向ける、遥か上部、巨大な"海の魔物"よりも更なる高み、その場所に彼はいたのだ。
「ク、クリア……?」
驚きの表情を浮かべたイエローを見下げて、エースの背に跨るクリアは一度微笑を浮かべた。
「多分、お前なら、追い詰められてもまだ反撃してくるって思ってた」
空気と共に吐かれたその言葉は恐らくアオギリの耳には届いていない。そして今の言葉が、クリアがここまで技を待った理由でもある。
クリアがこの上空に留まっていた理由は、今の様な"想定外"を"想定"しての事だったのだ。
剣と槍をぶつけあった者同士だからこそ分かる相手の思考。
ここまでしつこくジラーチを狙って、そして捉える事に成功したガイルことアオギリ、そんな彼がポケモン達の力を失ったからと言って諦めるなどとは、クリアは微塵も考えていなかったのである。
「だから今、終わらせる!」
そして不意に指を天へと掲げて、トン、とエースの背から身一つで飛び降りて、クリアは腰のボールへと手を伸ばした。
「道を作れ! レヴィ、V、デリバード!」
現れたのは三匹のポケモン達。ドククラゲのレヴィとグレイシアのV、デリバード。その誰もが既に瀕死寸前で苦痛に顔を歪ませているが、しかし闘志は消えていない。
そしてレヴィが放出した大量の"ハイドロポンプ"の水を、Vとデリバードの二匹の"ぜったいれいど"が一瞬にして凍結させていく。
氷の道。空から伸びた脆くも儚げな透き通った道の上を、全速力でPが駆け出す、Pが通った後の道は粉々に砕け極小の結晶となって消えていく。
同時にエースの尻尾の炎がより高温のものへと変温していった、氷が崩れるよりも速く駆けるPの身体が電撃を纏っていく、そしてエースの炎が"青"に変わった。
その瞬間――、
「"
その瞬間、甲高い音が同時に鳴り響いた。
"瞬の剣"、それが遂に"電気の究極技"の攻撃を受け止めきれなくなり破壊され、砕け散った音。
赤、青、緑の三色の究極技が"海の魔物"の腹目掛けてバトルタワーから発射されていた。"瞬の剣"という障害を打ち砕いた黄色の電撃が海面から昇り、そして最後に、天から落ちる"青炎を纏う稲妻"が"海の魔物"に直撃する。
――そして。
そして上、下、横の三方向から放たれた三つの力が交錯して、凄まじい衝撃波と共に、全てが弾け飛ぶ。
「……はぁ。疲れた。もう動けない」
「相変わらず、無茶しますね。クリアさんは」
「まぁ、無茶までは許されたからな」
弾けとんだ"海の魔物"の身体、要するに大量の水分が雨の様に降るバトルタワーの最上階にミツルとフライゴン、そして上空で拾われたクリアは着地する。
自身のポケモン達をボールへと戻して、地に足をつけて、眺めるクリアの眼に最初に映ったのはやはり仲間達の姿だった。
髪が濡れてワックスがとれたエメラルドの姿に和気藹々としている一同が見えて、集団の中の誰かが此方を指差して笑ってるのが見えた。
そんな、誰一人として欠いてないそんな光景に、クリアは一瞬安堵しかけて、
「……そこにいるな、アオギリ」
「気づいていたか」
不意に足元へと視線を走らせ呟かれた言葉に、ミツルがすぐさま反応するも、
「動くな! 動くなよ」
ミツルとフライゴンが悔しげな表情を浮かべる。他の十人の図鑑所有者達も此方の異変に気づいた様だが、迂闊に動けない様子でいた。
当然である。クリアの喉下には今まさにもその息の根を止めんとするアメモースの姿があったのだから。
水の溜った小さな窪みの水中から再び姿を見せたアオギリの顔には絶望の色が広がっていた。卑しくも危うい絶望の色、半笑いで僅かに漏れる乾いた声、それでいて笑っていない目。完全に自暴自棄になっている様子だった。
「クカカ、おしまい。もうおしまいだ。さっきの衝撃で鎧もどこかへ吹き飛んでしまった」
「……みたいだな」
「私はもうすぐ消える……だから」
瞬間、アオギリから笑みが消える。
「だから散々邪魔した貴様だけは道連れにしてやる!」
アオギリの咆哮が響いて、顔を青くする一面の姿が視界の隅に捉えられた。そんな彼の後ろではきっとミツルも同じ表情を浮かべているだろう。
距離が短すぎる。今更クリアが手持ちのポケモンを出しても間に合わないだろう。
そっとクリアが目を細めて、ピクリとアメモースの羽が震え、小さな少女の悲鳴が聞こえた。
「お断りだ」
クリアは反射的に呟いていた。細めた瞳を大きく開いて眼下のアメモースの姿を見た。
それと同時に、不意にアメモースの身体が飛ぶ。
弾かれる様にクリアから離れるアメモースの姿を見て、呆然としたアオギリの姿が分かった、他の者も同様に驚愕の表情を浮かべている。
だがクリアだけは、そんな中何が起こったのかを理解していた。
自身の胸の辺りから僅かに顔を覗かせたポケモン、先の出来事はこのポケモンが放った"シャドーボール"が見事にアメモースを捉えての事だったのだ。
「やらせはしません」
見覚えのある"ヌケニン"、そのトレーナーがこちらへ向けて歩を進めていた。彼の隣ではホカゲと呼ばれる男も一緒にいる。
「……ありがとう。助かったよ、シズクさん」
「……いいえ、当然の事ですよ。リーダー」
シズクと呼ばれたその男は元々はアオギリの部下だった男であり、今現在はチョウジジムのジムトレーナーを務めている男。
今までどこで何をしていたのか、いつの間にかその場から姿を消していた二人の男の登場で、今度こそ決着はついた様だった。
"海の魔物"も、ポケモンも、鎧も、剣も、全てを失い身一つのアオギリでも流石にもう抵抗する力など残ってないだろう。
だがアオギリは、シズクの登場に今までに無い憎悪の色を一瞬浮かべた様だったが、彼はすぐに険しい表情を浮かべて、
「何をやっているシズク! 貴様は私の部下だろう! 私の為にここにいる奴らを全員打ちのめして、今すぐ鎧を探して来い!」
それはとても理不尽な要求だった。元はと言えばアオギリが最初にシズクを裏切ったのが始まり、そして今の今までアオギリは全力でシズクを攻撃していた。
なのにも関わらずこんな事を言い出したのは、きっとアオギリにも手が残っていなかったからだろう。
「ふん、何を勝手な事を言ってんだか」
呆れた様にホカゲが呟き、彼は横目でチラリとシズクを見た。
僅かに震える彼の心中はシズクにしか判らない。一粒の汗がシズクの頬を伝い、振り絞る声で、臨む様な視線をアオギリへと向けて、そしてシズクは口を開く。
「承諾、出来ません……」
「何を言ってる!?
「私は、私はチョウジジムトレーナーのシズクです。決して、あなたの部下なんかでは無い……!」
「な……」
明確な否定の言葉にアオギリは絶句した。
絶句して、自身の周囲を改めて見回す。いくつもの視線、敵意の視線が彼を貫いていた。
一人だった。今まで数知れなく裏切りを繰り返してきた男は、最後の時、たった一人という孤独感を身を持って味わう。
「ククク」
自身の身体から上がり始めた煙に気づき不意に漏れた笑みに、果たしてどんな真意があったのか。
「なぁマツブサ、私は……」
そう言葉を残して消えたアオギリに、その答えを聞ける者など誰もいなく、ようやく顔を出した太陽は残酷な程に眩かった。