輝けぬダヰアモンド   作:矢神敏一

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狼のやうに気高く

 チリチリチリと、列車の出発を告げる鐘が鳴る。ピョイと機関車が鳴いたと思へば、ガシャンと音を立て動き出す。

 

 大きな揺れが身体を揺らす。したたかにかしらを打ちつけたれば、昨晩あの人が撫でてくれた手のぬくもりを思ひ出す。

 

 

 

 私とは、なんであらうか。

 

 戦いの海に生まれ出たる私たちは、何を成すべきであらうか。何を求めていいのであらうか。

 

 

 私とは、なんであらうか。

 

 陸を見ゆれば、男は愛する者の為散つていき、うら若き女学生どもが涙を流しつつ世の事なしを願う。

 

 私とは、なんであらうか。

 

 海を見ゆれば、幼女のごとき姿の娘どもが私を守らんと身を尽くし、屈強な男たちが自らの不甲斐なさに精神を殺す。

 

 

 是くのごとし不幸な時代にあって、戦乙女の分際で此の身の幸せを願おうなどと言ふのは、余りにも過分な心持ちに思へた。

 

 少年少女すら且つ戦いに身を賭すならば(ですら戦うのであるならば)況や我をや(私がやらなくてどうする)

 

 だから、私は闘うために生まれたと、信じて疑わなかった。疑うという事さへ、思いつくよしもなく。

 

 私はただ、砲火の中に身を賭し、そして死すのみ。

 

 

 

 

 我は戦いの名のもとに生まれし乙女。色など不要。

 

 我、気高き狼なり。此の身滅ぶるまで、命を燃やすのみ。

 

 

 

 それこそ、狼の生き様。

 

 

 

 

 列車は真新しい駅のプラットホオムを通過して、そろりそろりと曲がりゆく。

 

 モダンをも古いと断じてしまうやうな者どもには、私たちの列車はさぞ古びたものに見えたであらう。

 

 “モダン”という言葉が古き事を指すやうになつて久しい。丁度モダンその時を歩んだ私には、その時勢の変化が苦しい。

 

 

 

 価値観とは変わるものである。必ず誰かによつて。

 

 私を変えてくれたのは、あの人であつた。

 

 あの人は私を叱った。ただひたすらに死の淵と現とを往復することが、お前の使命ではないと。

 

 お前のやうな存在であつたとしても、いやだからこそ、幸せを掴まねばならぬのだと。

 

 

 私に幸せという言葉はわからなかつた。

 

 その言葉は、私の認識の外に有る言葉であつた。

 

 そんな私に貴方は言ひた。

 

「ならば俺が教えてやると」

 

 

 

 

 あれからいくばかりの月日が流れたであらうか。

 

 二人で幾多の波を越え、幾多の嵐を越え、そして幾多の戦いを越えて来た。

 

 

 貴方は酷い人だ。

 

 失うものが出来るということが、幸せということが、これほどまでに胸を焦がすとは、知らなかつた。

 

 もし知つていたのであれば、私は決してその快楽に浸からなかったのであろうに。

 

 

 

 

 

 あの日、あの夕立が過ぎた綺麗な夕焼けの港で、貴方は言ひた。

 

「お前の好きなものを求めなさい」と。

 

 私は、こう言ひた。

 

「貴方を求めます」と。

 

 

 

 列車は次の駅に着いた。

 

 呆けていたら到着の衝撃に気が付かず、またもやしたたかに頭を打ち付ける。

 

「お前は阿呆か。ほれ」

 

 痛みに悶える私のかしらを、誰かが優しく撫でる。

 

 

 その手はきつと、私の求めるもの。

 

 

 私が貴方の胸元に顔をうずめれば、貴方はただ黙って私を包み込んでくれる。

 

 私が貴方の服の袖をぎゅうとつかめば、ただ黙って私を抱きしめてくれる。

 

 

 貴方は酷い人だ。

 

 こうしてこの温もりを知ってしまったら、私は怖くなってしまう。

 

 では、この温もりを知りたくなかつたかと言えば、それはまた違うのである。

 

 この怖さこそが、生きるということなのである。

 

 生きるとは、怖く辛い事なのである。

 

 私は今、生きたのだ。

 

 物理の法則の上ではなく、人間として。

 

 

 

 

 ありがとう、貴方。

 

 私に怖さを教えてくれて。

 

 ありがとう、貴方。

 

 私を“生かして”くれて。

 

 

 

 ありがとう、貴方。

 

 私に、求めることを教えてくれて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が明けたころ、四方で光がパッと弾ける。

 

 

 今、戦いの海に我を賭す。

 

 我、たとえ死したとしても、一片の悔いなし。

 

 唯一つ、唯一つ。

 

 

 

 

 

 私は、貴方をあいしてい


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