ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
魔術の世界を二分する、イギリス・ロンドンに存在するロンドン塔と呼ばれる教育・研究機関において、古くからの権威と実力、血統を持つ一族の当主にして、魔術の総本山ともいえる時計塔のエリート講師。間違いなく腕前は一流だろう。彼の地位的にも実力的にも上にいるのはバルトメロイ・ローレライなどの例外を除くとわずかで、それは自他共に認めることだ。
しかし、まこと残念なことに、魔術師として大成するということは人間から遠ざかるということでもある。
とある魔術師は言った。
――私たちは誰よりも弱いから、魔術師なんて言う超越者であることを選んだ。
――魔術師の最終的な目的は根源への到達に他ならない。人間の生まれた意味を知る、なんていう俗物的な欲求もない。ただ純粋に心理というものがどういうカタチをしているかを知りたがる。
―――自己を透明にし、自己だけを保ったものたち――永遠に報われない群体。世界はこれを魔術師という。
その例にもれず、およそ、ケイネスはよい人ではない。性格が残念というのが非常に端的だが、要するに自己顕示欲とプライドが高い、そういう人間なのだ。一般人に近い価値観を持つウェイバーとは相容れないのも当然である。
さて、話を戻そう。ケイネスはそういう性格であるため、今回の聖杯戦争にいろいろと準備をしてきた言うのは言うまでもないだろう。彼が冬木の地で工房を設置したのは、とある高級ホテルの最上階だった。しかも、フロアを丸ごと借り切っての、まさに大工房の設置という資金と技術に任せたもの。得意の降霊術で呼び出した悪霊がダクトを見張り、廊下は異界化し、およそ考えうる限りのトラップと検知器の役割を果たす魔術品を設置。彼が割と本気で作り上げたものだから性能は高く、よほどの対策を講じたとしてもおよそ無傷では済むはずもないまさに攻めるための城塞。本人のみならず魔力炉を三機も据えてあるという徹底ぶりは、賞賛を送らざるを得ないものだった。
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さて、そんな彼、ケイネスは他人に従うのが自然と嫌いなわけである。他人とは自分の都合どうりにならないからだ、こんなこと、小学校を出れば気がついてもおかしくない常識なのだが、あいにくとして一般人とは縁が少ない生活を送っていた上に人付き合いも魔術師ばかりだ。それに気が付くのは難しい。
だから彼がいきなりかかってきた電話でこう言われても、頑として首を縦に振ることがないのは明らかだ。
『ケイネス・エルメロイ・アーチボルトだな? 今すぐそこのホテルから逃げてくれ、後十数分でデモリッションが起動して君たちは殺される、急いでほしい』
アンティークが凝らされた電話を思いっきり、怒声とともに叩きつけたのはあまりにも沸点が低いことの証だろう。
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『やれやれ、いきなりだな』
しかし、叩きつけられ、砕けたそれからはあきれたような声がした。ため息を軽くついて、受話器から発せられる声は続ける。
『そこにランサーはいるかな? それかマスター以外の第三者がいればなお良いのだが』
渋みある男の声に応じたのは、先ほどまで主君たるケイネスとその婚約者のソラウの間に板挟みとなっていたランサー本人だった。
「何者か? 我が主の工房に声をとどかせるとは、貴様はキャスターか?」
『いや違うな、こちらに信頼を持ってもらいたいので正直に明かせば、俺はライダーの協力者と言っておこう』
「ライダーの……?」
肯定した声は、男性のもの。つまりマスターか或いはソラウとケイネスの様な戦争を勝ち抜くための関係者ということなのか。
『そこにいるのはランサーのマスターの奥方かな?話が通じると助かる』
「それよりもどういうことなのよ。ここが危険だっていう証拠は?」
『簡単だ』
落ち着き払った声に耳を傾けるのは、ケイネス以外の二人だった。
『其方の工房はさすがに此方から接触しにくかった。そうとうな準備がされているとわかったのだが、それゆえの弱点があったのさ』
「あり得ない!!!」
ホテルの部屋に青筋を浮かべたケイネスの声が轟く。
「弱点だと? ふざけるな! この私、アーチボルト家九代目当主のケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、数々の魔術用品で以て築き上げたこの完璧な工房に、何の弱点があるのだ!!!!!」
「ケイネス……」
割れ鐘の様な声に、ソラウはあきれたような呟きをそっともらした。
「さあ、言ってみるがいい!!! 言え! 言ってみろ!それとも言えないのか!? 答えてみろぉぉ!!!」
ヒステリックな叫びは、もはやケイネスに魔術師としての誇りや矜持を汚すようにしか働かない。ヒステリックにも叫ぶ声に対して、しばらくの沈黙ののちに電話の主は静かに宣告する。
『……その工房、高さ百数十メートルからの落下に耐えうるかな?爆発の衝撃波と数十トンものコンクリートのがれきや鉄骨もろともに落下するぞ?』
「…………ッ! 我が主!!」
ランサーが最も早く、どうなるかを理解した。かつて、フィオナ騎士団の一員として戦う中でも、似たような状況などいくらでもあった。そしてその経験則から答えは直感的に理解できる。攻城戦でもよくあるものだ。投石機や川や崖の上から岩や木などを落としたり土砂を流したりすれば、いかに頑丈な物でも制圧が楽になる。
そして聖杯から与えられた知識が、それを現代に置き換えた場合の状況を導き出す。
……爆破された場合……ライダーの協力者が言うように、このホテルのフロアは城塞だが、その下にあるフロアは強化されていない……つまり。
この部屋が丸ごと落下。
「……何よそれ、魔術師のやることじゃないでしょ?」
『魔術師らしからぬ人間がこの聖杯戦争に参加している……と言っておこう。これまでの常識は通用しないということだ、ご婦人。すぐに……なに? もう来たのか? くそ、早いな……なんとか時間を稼いでくれ。向こうの了承が……』
「どうするのケイネス?」
誰かと通話を開始した男をよそに、そっと問うのは、すっかり逃げることを決めた様子のソラウだった。なにしろ彼女は治癒魔術はともかくとして、戦闘に対応した魔術など持ち合わせていない故の、よい意味で臆病な判断が下せたのだ。
「ここはすぐに退避を進言致します、我が主」
ランサーもまた、魔術による攻撃でない以上、自身の槍による無効化は意味がないとわかっていた。窓から飛び降りることもできるが落下中に爆発に巻き込まれては困るので早くしたいところだった。
「~~~~~~~!!!!!」
そして、フロアにはケイネスの歯ぎしりと唸り声が残った。
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「……うごぉっ……おぇ……」
「おいおいウェイバー。なんでこの程度の血とか蟲であっさりと貧血?君が見てみたいと言ったから許可したんだけどホントに部屋に戻ったらどうだい?」
ドクターののどかな声とは対照的に、ウェイバーは巨大な洗面器に吐しゃ物を吐き出していた。そこは、医務室や病院の様な、消毒液と様々な医療機器で満ちた部屋だ。
ライダーとウェイバーがあらかじめ用意した拠点の一つ、元々は古い病院だった場所を所有者から安値で買い取って改造を施した建物だ。ドクターが持つのは医療に関する技術で、それをいかんなく発揮するにはこういった場所が最適だった。
「いやあ、本当にひどいもんだよ。わざと手を抜いた蟲を植え付けて痛みに比例しにくい魔力生産をしている。多分、植え付けた人物はマキリ・ゾォルケンだね、蟲の扱いならたぶん現代最優だ」
「手を……ぬいた?」
いいかい、とドクターは前置きした。
「最優ということならば、本気を出せば、痛覚を減退させる蟲を入れるか、体内に魔力を作らせるための脂肪を入れてそれを蟲に喰わせ痛みや体への直接的な負担を減らすか……少なくとも無防備にならないようにするはずだ」
「でも僕たちがこうして確保できたのは……そうじゃないから?」
頷くと、傍らのトレーを顎で指す。
「一通り……最低限の魔力は彼が自前で用意できるから蟲はほとんど抜いちゃったけど、体にところかまわず植えてあったしそう判断するしかない」
トレーの上には、数え切れない数のおぞましい虫たちの死骸が並んでいた。あの細身によくもと思えるほどの、多くの蟲。全て薬品や物理的手段によって殺され、その機能を停止していた。
「彼の体が良く持ってくれたよ。間桐の魔術に対する適応力と僕の技術で、少なくともすぐには死なないくらいにはなった」
「……封印指定に匹敵する扱いだろ、これ」
ウェイバーの見つめる先、間桐雁夜は巨大な水槽の様な機械の中で、全身にチューブやテーピングのほか、色々な処置が施してあるのが見て取れた。
資料や伝え聞く話で知る封印指定という名誉であり牢獄。正確には脳みそのみになるとはいえ、ウェイバーの認識では両者はほとんど同レベルだ。
しかし、ウェイバーにはいくつかの疑問が残ったままだ。
「まるでキャスターも顔負けだよ……ドクターって、生前は魔術師じゃなかったのか?」
「いやいや、僕は医者だよ。 ただ、少し器用だった……それだけさ。それに、魔術に対抗できるのは彼と君のおかげさ」
「宝具の……なんとか法案?」
「ああ。 ライダーの宝具。
煙草に火を付けたドクターは、雁夜から目をそらしてイスに座る。
「確か、僕たちが禁止されるほど発達した科学技術を持っているってことは、教えたはずだよね? でもね、そんな危険な物も、状況によっては行使を許されるんだよ」
「緊急事態か」
「そうさ、救急車がけが人の搬送するときに赤信号を通過できるように、僕たちは人命保護などにおいてその技術使用が許可される。事件解決の証人保護がかつて僕がやった事さ」
フー、と紫煙を吐くとドクターは続ける。
「まさに間桐雁夜の命は消える寸前。故に、09法案による禁じられた科学技術が使えた。魔術とまごうレベルの、こんな治癒を施せたのも緊急事態だからさ」
「魔術と科学って、真逆じゃないのか?」
いいや、と首を振るとドクターは否定する。
「目的は同じでも、手段が違うだけさ。ま、途中で折れ曲がって迷走したのが僕たちだけど」
「戦争に使われたんだったっけ?」
「そう。かつては……大陸との戦争において、資源確保と戦略的優位を求めて国は金を惜しまず人を惜しまず、どんなことも許された。人体実験も人体改造も、向精神薬なんかも作った。動物を兵器として利用もした。まさに僕は“戦中派”だった……戦後は最悪だったけど」
淡々と語るドクターに、感慨や回顧の念はない。事実のみを機械の如くいっているだけだった。
「栄光のあったのはその時まで……職を追われて、位階も全部持ってかれて、残ったのは妻からの離婚届けと裁判所からの呼び出し状だけだったよ」
「呼び出し状……」
「ほかならぬ政府が命じたことを、責任をすべてかぶせられたんだよ。そうすると、矛先は指導者ではなく僕たちへと向く。そして、僕の上司が作ったその法案に救われた……そういうことだよ」
その時、テーブル上の古いラジオが音を立てた。
『ドクター?』
「ウフコック? どうだった?」
ウフコックだ。通信機を通じてラジオに干渉してきたのだ。
『一応、マスターの奥さんとランサーだけが脱出。ハイアットホテルはセイバー陣営に爆破された』
「あれ、ケイネスは逃げなかったのかい?」
『そんなはずはないと居直って、たった一人残ったよ。自分の工房がそんなことでやられるはずがないと』
嘆息したドクターは頭をガシガシとかく。
『もっとも、ランサーは消滅していない。こっちで仮とはいえ協力の確約ができたことは戦闘においてアドバンテージを得たことになる』
「よし、セイバー対策はランサーがいれば安心だ」
吐瀉物を吐き出し終え、復帰したウェイバーはなんとか椅子に身を落ち着ける。セイバーは、その剣の刀身を風の結界で覆っており、それを変幻自在に変化できる。しかし、それは魔術によるものでランサーの”破魔の紅薔薇”にかかれば、触れただけで無効化されることになり、最優のセイバーでも手を出しにくいランサーだ。
「あと居場所がわかっていないのは、キャスターだけか……」
卓上には、冬木の地図が置かれている。いくつかの地点には印が描かれ、それぞれの陣営の拠点や霊地、地脈が記されていた。
「何処が拠点なんだろうな……」
キャスター、つまりは過去の時代の魔術師や巫女、預言者、呪術師が呼び出されるクラスだ。その能力、技量は恐ろしい。直接的な戦闘力こそ最弱だが神代の魔術は現代の魔術師がかなうものではない。そして、特有のスキルとして“陣地形成“を持っている。工房や神殿を設置し、自身が有利な環境を構築することで他のサーヴァントを圧倒するのが戦法。逆に言えば、そういう場所を設置するので居場所を特定されやすいというデメリットもあるのだが、
「一通りの霊地とかは調査したけど……当たりなし、かぁ」
「キャスターの陣営が、先読みしたこともあり得るよ。わざと不適な地に工房を置いているかもしれないし、隠匿に特化しているかもしれない。或いは、工房自体が移動する、なんてのもあるよ」
ソロモンあたりならあり得るね、とドクターは言い添える。
「でもさ、ウェイバー。ちゃんとどうするかは考えてあるんでしょ?」
「当たり前だよ……けど、今日はライダーも魔力を消費したし、僕だってドクターやウフコックへの魔力供給もしてたんだ。万全の状態になるまで……おっとととと……」
そう、ライダーのステータスにおいて、魔力はC+判定を受けている。体が小さく、神秘をあまり秘めていないライダーは燃費がいいのだが元々の魔力が少ないのだ。故に、ウェイバーは体力を消耗している。これでは、敵の首級をとるなど、夢のまた夢。
「ほらほら、無理はしない。初日から頑張ったね、マッケンジー夫妻のところには僕が連れていくから」
その言葉は、はたしてウェイバーの耳に届いたか。意識がブラックアウトしたウェイバーは崩れ落ちた。
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アーチャーは、上機嫌であった。自身の宝具“王の財宝”から神代の時代の酒を取り出し、一人傾けるほどに。立場上、接することが多い綺礼もそれにつきあわされていた。
「さあ、飲むがいい。他の酒が飲めなくなるぞ」
不承不承、と言った表情の代行者は、金色の、いや金で作られた杯を受け取る。いかなる価値を持っていようとも、綺礼にはこの状況への困惑によって無価値に思えてくるのは致し方がないことだ。
「アーチャー、一体どうしたのだ……」
令呪によって無理やり撤退させられたとは思い難い上機嫌ぶりだ。しかし、先ほどの戦闘で何かあったというのが妥当であるが、
……何故だ。
一つ、思い当たるのはあのライダーらしき少女のことだ。あの少女とバーサーカーに対してアーチャーは攻撃を行っていたが、バーサーカーに対しては怒りを含んだ攻撃を放っていた一方で、ライダーに対してはかわしてみろ、とばかりに攻撃していた。いわば、殺す気がなかったのだ。
「あのサーヴァント……ライダーを気に入ったのか?」
「そうだぞ。アレは愛玩するに足るものだぞ。ただの小娘かと思えば、なんとわが友に等しき体を持っている……」
友。アーチャーの真名はギルガメッシュ。そして彼が唯一の友としていたのは神が作り上げた人形、エンキドゥだ。
「つまりあのサーヴァントは、作られたものだというのか?」
「ああ。あの場において気がついたのは我だけであろう。あの娘の皮膚は、後から付けられたモノだ。目を閉じていたのはおそらくあの皮膚が目の代わりとして働いていたのだろうよ」
一口酒をあおる。酒が入ったためか、よりアーチャーは口調が滑らかになる。
「しかも、それをほぼ全身に持っていながら、使いこなしている。ただの人間であるなら、おそらく発狂するであろうよ、得られる情報の量に耐えきれん。が、あの娘は」
「……自分の五感を制御しているとでも言うのか!?」
「然り。種としては単純な自己暗示。人間は他の動物などと違い、“思いこみ”を作ることが出来る。だからこそ、余計な物を無意識に分別し、そして“認識していない”と思いこむ……人であって人でない、気にいるのは当然」
綺礼は、あのサーヴァントに感じた異常性を、ここではっきりと認識した。外見、能力のどちらでもない、代行者であったころに鍛えられた無意識が訴えていたのは、即刻あのサーヴァントを排除しろという警告だった。
どこのだれが、そんな力を持ち得るというのか。埋葬機関の一人は、とある理由からどんな手段でも死ぬことはない体を持つが、あれは痛覚だけは存在する。あれに嫌悪感を抱かざるを得なかったのだから、これにも相当の嫌悪を抱いたのは当然だろう。
「あれを手に入れるのもまた一興……綺礼、あの娘に手出しはするなよ。我が手ずから探し出す」
解らない。それが偽りざる本心だ。この王とただの人間とはあまりにも価値観や考えがあまりにも異なるためであるが、明確に感情らしきものが胸中に生じた。
「さて、どうなることやら、ククク……」
英雄王、ギルガメッシュの笑いが冬木教会に響いた。
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