「これは……?」
冬木教会の地下室。本来はサーヴァントを失ったマスターを保護するべきところに、言峰綺礼の姿があった。彼の右手には令中が三画とも残っていた。すなわち、聖杯戦争に参加したマスターとしての権利と、彼のサーヴァントは生き残っていた。
今彼は倉庫街で行われている戦闘の様子を、港のガントリークレーンの上に潜んでいるアサシンと視界をリンクさせ、戦況を見守り、それを逐次目の前のレコーダーの形をした通信用の魔術礼装を通じて、遠坂時臣に伝えていた。しかし彼は機械的に中継しつつも、一つの違和感を感じ取っていた。減っていたのだ、アサシンの数が。冬木のあちらこちらに配置させていたアサシンの内、比較的近い場所にいたアサシンに指示を出し、多角的に戦場を俯瞰していた。だが、一体、また一体と何者かに倒されていた。
●
ブシュウゥッ!
結果から言えば、セイバーの乾坤一擲の攻撃は失敗だった。剣を覆い隠す風の結界をブーストに利用し、身を守る鎧を捨てたうえでの攻撃はランサーの予想の範疇であった。地面へと隠され、ランサーの足が蹴り上げたことで姿をさらしたもう一方の槍、セイバーが宝具ではないと意識をやっていなかった黄色の槍は、セイバーの左手首をかすめ、出血たらしめた。
「っ……!」
しかし、とっさの判断として、剣を振り抜くために動かしていた筋肉を強引にねじって槍の軌道からずらし、手首を切り落とされることは避けた。そのまま身を飛ばして距離をとると、ランサーの動きをけん制しながらも姿勢を整えた。
「アイリスフィール!」
セイバーはマスターたるホムンクルスへと呼びかける。アインツベルンが特化するのは錬金術。それはかつての栄光が示すように人間の魂や肉体にまで派生・分岐する術であり、当然のことながらアイリスフィールは治癒魔術を得意としていた。しかし、
「アイリスフィール?」
治癒が、起きない。数分前、彼女のわき腹をかすめた一撃が瞬く間に治癒されたのとは違い、その気配も起きなかった。
「おかしいのセイバー!確かに治癒は聞いている筈なのに……どうして」
混乱するアイリスフィールをよそに、セイバーの戦士としての頭は、すでにその原因をつかみかけていた。またランサーの真名についても、思い当たるものがあった。
紅い槍はこちらの魔力で編んだ鎧を貫通し、黄色の槍は受けた傷が治癒されない。
顔は眉目秀麗で、泣きほくろの様にある、
●
―――フィオナ騎士団の、ディルムッド・オディナ
「俺も同意見だな。おそらくあの槍は生前に愛用していた
二槍二刀使い。極まって変則的な戦いをすることは想像に難くはない。
―――私の対魔力で、耐えきれる?あの黒子。
「……これは無理だな。なまじ君の対魔力はライダークラスの分しかない。ほぼ確実にやられる」
―――どうするの? アサシンはまだまだ集まって来ているけど。
「今はそちらを優先してたたこう。アサシンが分裂するとはいえ、おそらく限界が来るはずだ。ランサーに対してはドクターと通信しつつ、俺が考えておく」
―――うん、行きましょう。
ライダーの両手に冷たい鋼鉄の塊が二つ現れ、撃鉄を起こす音が生じた。
●
『どうかしたのかね、綺礼?』
「いえ……」
分裂しているとはいえ、ましてや気配遮断スキルを持つアサシンをこうにまで簡単に見つけ、尚且つ露見しないように仕留める。何者か、と、綺礼は彼にしては珍しく困惑していた。それを言葉には出さないようにしていたが、顔の筋肉が硬直するのは抑えるのは無理だった。
困惑―――――
本人も気がつかないうちに、綺礼の眉は深いしわを生み出していた。しかしそれもすぐに緩むこととなる。
アサシンの視界に、そして五感に禍々しいまでの狂気とオーラが満ち始めたためだ。明らかにサーヴァント。そしてこのような特徴を持つのは唯一つだ。
「師よ、バーサーカーが」
『セイバーが不利だと判断したのか……さてどう出るかな』
セイバーとランサーの戦場へと乱入したのは戦いに狂ったサーヴァントのクラス、バーサーカーだ。
●
「バーサーカー……」
「……」
三体目のサーヴァントの出現。しかもそれがバーサーカー、狂戦士と来たものだから、その場の人間の表情は固い。本来は弱い英霊を狂わせることでステータスを強引にしろ向上させることで、他のサーヴァントと戦うことを可能とするクラスだ。
反面、理性がないため複雑な思考ができなくなり、魔力の消費量が跳ね上がることも欠点だ。過去の聖杯戦争においても、大体が魔力切れでマスターともども脱落しているケースが多い。
「A……A……」
禍々しい黒い鎧とそれを覆う黒の霧。かぶとの目の部分からは真っ赤にたぎる狂気の瞳が戦場を睨む。セイバーも、解除していた鎧を再び編んでまとい、ランサーも槍の切っ先を向ける。ある意味火がついたダイナマイトよりも危険な存在。うっかりマスターの制御を振りきればタダでは済まない。故に両者は一時中断した。ちらりと視線をかわし、ランサーの方が慎重に口火を切る。
「そこの狂戦士に告げる。今このセイバーとの先約がある、それに割り込むならば俺は貴様をこのセイバーとともに相手をするぞ」
警告。ランサーの言葉はまさにそれだった。時代は違えど、フィオナ騎士団の騎士のひとりであったランサーとブリテンにその名を知られた騎士王。両者が信条とするのは『騎士道』。一対一の決闘を邪魔するなど、到底許せることではない。手を出してこないのはまだまだマスターが制御しているからなのか、わずかな理性で不利になると判断したせいなのか。
「a……a……」
よろよろと、しかし手にした黒い棍棒の様な何かを構える。血の様に赤い、血管めいたものが表面を走り、どくどくと脈打つ。宝具か、とすぐにランサー、セイバーの間により緊張が走る。
「……セイバー、悪いが話が通じるとは思っていなかったとはいえ、いったん勝負は預けてもらうぞ」
無言でセイバーもうなずく。この状況、自分が怪我をしているとはいえ、ランサーの力も借りればいかに凶暴なバーサーカーといえど、撃退などたやすいだろう。しかし、非情な声はどこからともなく届いた。
『何をしているランサー、セイバーを倒せ』
「しかし我が主!あのバーサーカーは……!」
『セイバーは手負い、しかもお前が倒しかけたものだ。バーサーカーと共闘してしまえば、いかに最優のサーヴァントであろうとたやすい』
つまりは、ランサーのマスターが初戦に遅れたことを嫌い、最優のセイバーを倒したという事実を得たい……要するに名誉心に走ったのだ。口にこそ出さないがセイバーもランサーもその事実に気がついていた。ランサーに至っては歯ぎしりすらし、眉間がゆがむのを止められない。
『して、どうなのだランサー?』
「我が主よ……」
言葉を無理やり絞り出すようなランサー。食いしばる歯の隙間からこぼれる言葉はどれほどの怒りをこらえているかを物語る。
「それはできません」
『ならば……令呪を以て命ずる、バーサーカーと共闘し、セイバーを殺せ』
「!?」
令呪。それは英霊であるサーヴァント、すなわち使い魔の主であることを示すものであり、聖杯戦争への参加資格がある証でもあり、無色の魔術の塊でもある。
しかし令呪の最大の目的はそれらとは別にある。自分のサーヴァントへの三回の絶対命令権だ。ランサーのようなタイプは例外として、英霊たるサーヴァントがまじめにマスターにしたがうとは限らない。故にマスターが一段上となる証であり手段が令呪だ。聖杯に招かれるサーヴァントは、前もって“令呪によって命じられたことに従う”という契約を結んでいるため、対魔力Aを誇るセイバーすら、抗えない絶対的な魔術的束縛。
もちろん抗うことは可能だ。しかし完全に振りきることはできない。第二次聖杯戦争からあるシステムは、ここでもきちんと効力を発揮した。ランサーの体は、意思に反し動き出す。
覚悟を決めたセイバーは剣を何とか構える。左手に力が入らないのは致命的だが引くわけにもいかない。
「……!?」
だが、その時だった。
セイバーの耳はどこからか聞こえる金属音を捉えた。そして、直感に従い体は意に反して後ろへの跳躍を選択していた。自分の選択が自分で理解できないのも奇妙な話だが、セイバーはこれでよいという確信を得た。
そして、
ドゥッ!!!
爆音とともに、バーサーカーの巨体はセイバーとランサーの戦闘によって荒れ果てていた路面へと叩きつけられる。金属らしきものとコンクリートがぶつかり悲鳴のような音を立て、バーサーカーの怒りの声と合わせて戦場にこだました。
「……何!?」
ランサーはとっさの判断として跳躍していた。そしてそれは正しい判断であった。乱入者の右手に合った拳銃から二秒とかからず十を超える弾丸が針の穴を通すような精密さで発射された。
「はっ!」
二槍を振るってはじくと、その反動で後方宙返りをして着地する。続く連射を受け止め、弾く。ランサーの手に来るのは金属をはじいた時の感触と振動。生きていたころにはなかった銃弾だということはすぐにわかる。着地とともに左右の槍を構えて防御をとると、今度はバーサーカーに先ほどと同じ爆圧じみた射撃がもう一度たたきこまれて、再び巨体が跳ぶ。
「な……」
セイバーは茫然とそれを見ることしかできず、アイリスフィールに至っては気を失いそうなほどだ。カシャ、と弾倉を地面へと落とし、次の弾倉を再装填する音がした時には煙が晴れてそこにサーヴァントの姿があった。
白。ドレスのような、拘束服。いや拘束服の様な、ドレス。
ボディスーツの様にピッチリと体を覆うそれは非常に扇情的でもあり、ただの人間ではない事を如実に表していた。見た目は十代の少女。そして手には不釣り合いなほど巨大な銃が二丁、まだ銃口から煙を上げているのがよく分かる。
「貴様は……」
剣を構えたセイバーに、少女は無言のままに両手の拳銃の先をランサーとバーサーカーへと向ける。自分に味方するのか? とセイバーは逡巡するが、直感に従い意識をランサーに向ける。これで2対2となった。
「感謝する」
少女は目をしっかりと閉じたままだが、わずかに笑みを浮かべた。目を閉じたまま宙へと向けると、声を発した。
―――汚い手を平然と使うなんて、最低。
『な、なんだと貴様……!』
呻くようなケイネスの声をライダーは無視して、鋭く警告を発するように声を放った。既にライダーは何重にも張られているケイネスの隠匿魔術を見破っていた。魔術に対する緩衝能力を持つ“電子の殻”は、その魔術を破れなくとも探知することはできた。いくらケイネスでも魔術を使用している痕跡まで排除することはできなかったようだ。
さすがにサーヴァントと言えど年端もいかない少女にけなされたのが癪に障ったのか、ケイネスはここではちょっと言えない暴言を吐いた。
●
身がすくんだ。衰えたと遅れて認識する。
冬木のとあるホテルでアインツベルンから届けられた重火器を確認した時、自身の魔術礼装“起源弾”のトンプソン・コンテンダーを確認した。
二秒―――弾丸を抜き次弾を装填までにかかった時間はそれくらいだ。
常人からすれば早い。しかし彼からすれば、遅かった。アインツベルンへと婿養子となり、愛する妻や娘ができたことで、かつての“魔術師殺し”としての機能はここにきて不調を訴えていた。
バカらしいと、切嗣はすぐに銃声がした方に暗視スコープを覗いたまま視線を巡らせると、そこには真っ白なドレスの様な服を着て、両手には巨大な拳銃が握っている。バーサーカーの足が地面を蹴ろうとしたその瞬間にその巨体をふっ飛ばした直後のためなのか、銃口からは煙が立ち上っていた。
そして何より目立つのは両目をきっちりと閉じていることだ。
……なるほどな。
マスターの能力の一つであるステータス透視の能力で、切嗣はランサーの『愛の黒子』のランクを知っていた。三大騎士クラスでなければ、生前の背景抜きでは聖杯から対魔力は与えられない。セイバーは対魔力がA。現代魔術を以てしては傷一つつかない。ランサーもそしておそらくアーチャーも、事前に渡された資料から過去のサーヴァントの中でも高い対魔力があった。
しかし、それ以外となれば、しかも女性であり対魔力が低ければ、一体どうするのか。
……視界を封じて視界に入れない道をとったのか。
魔眼などへの対策と同じだ、要するに見なければいいのだ。視界を封じることは危険ではあるが、あのサーヴァントの様子から何らかの手段を持って周囲の状況を察知しているのだろう。
厄介だと、切嗣は直感する。現代人が暗闇を見透かすのとは全く違う、どんな見た目であれ英霊。生前の偉業によっては、目を閉じていてもかまわないかもしれない。最悪、目を閉じていれば本調子かもしれ
ない。それとも自身の魔眼をさらして、真名が露見するのを避けるためかもしれない。目を開くと何らかの制約がかかるのかもしれない。かもしれない、ばかりだ。
そもそも、英霊という、不確定すぎるものを切嗣は嫌っていた。英霊自体召喚することを嫌う節もあり、実際アサシンやキャスターなど自分との相性が良いクラスを呼ぶところだったのを、アハト翁に無理矢理“とある鞘“を使わされた。結果が、相性が悪いでは済まない英霊、セイバーが呼ばれた。
思考を振り払い、舞弥に対し周囲にマスターがいないか探すように指示する。ランサーのマスターを狙撃するつもりだったが、これではできない。最も、こちらが手を下さずに済むならば越したことはないが、セイバーを負傷させたランサーは早急に片づけなければならない。
と、次の瞬間。白い少女と、目を閉じたはずの彼女と目があった。閉じた瞼の奥にある目と視線が交わった。
「……っ!」
今度こそ、切嗣は身がすくんでしまった。一瞬の意識の空白と、その後に訪れた恐ろしいほどの悪寒。常に張りつめていた集中がほつれ、乱れ、混乱する。おそれてしまったのだ、見た目は年端もいかない様な少女に対して。無論相手は英霊なのだから、それはある意味当然だ。
しかし、ここ数年、そんなものには無縁だった彼には、たとえ少女の放つそれすらも衝撃は大きすぎた。
停止しかけた思考に渇を入れ、体を動かす。念のために狙撃位置から数メートル後ろへと後退し、改めて戦場を俯瞰する。近代戦の基本であり、魔術師殺しの異名をとる彼の基本スタイル。冷静に、そして冷たく、戦場に意識を集中させる。
●
乱入は、アサシンを通じて監視する綺礼にも見えていた。
「拳銃を持ったサーヴァント……ですな」
『拳銃? それならばよくあることだろう』
「いえ……」
綺礼の言いたいことはそこではなかったのだ。無論、時臣の言とて間違いではない。聖杯戦争を生み出した魔術師の出自が欧州系であることから、呼び出される英霊は必然的に欧州がメインとなる。そして欧州では、近代的な装備である銃火器や弩弓、その他大砲やそれらを生かす戦術が構築されたのだ。英霊がそういう物を使ったとてなんら不思議はない。
「師よ。どうやらあれらは過去のものとは思いにくいものです。聖杯戦争にて稀にある例外……未来、もしくは並行世界から呼ばれたものかと……真名や能力などは未知数でしょう」
代行者の綺礼にも、サーヴァントの少女の持つ拳銃が過去に使われたそれとは全く違うことが見て取れた。声から判断するに、自らの師は油断している。だが未知である敵ほど恐ろしいものはいない。代行者としての危険を持っている故の判断だ。確かに知名度補正――どれほど名を知られているかによるステータス向上の恩恵―――は少ない、もしくは皆無だろうと考えられる。
だが、ステータス=勝負の結果とはいかないのだ。師のサーヴァントのアーチャーは強力だが、どうにもマスターとの相性が良いとは言えない。自身のアサシンの一体を倒させて以来、特にそう感じる。アーチャーは王という“気まぐれ”な存在なのだから。
また、アサシンを数対倒していった手段はすべて遠距離から打ち込まれた拳銃だった。死に絶える直前のアサシンが視界を通じて見せたのは、今倉庫街に現れたライダーが拳銃を構えている姿であったからだ。
「油断せず、熟慮する必要があるかと」
そしてマスターとしての、魔術師としての能力はあるが戦闘力と直結するとは思いにくいのも、綺礼の考えだった。ある意味研究者である魔術師が、一瞬の判断が生死を分ける場に出て無事で済むのか? 現に衛宮切嗣という、天敵ともいえる存在がいるのだから余計にそう感じる。
これまでにない感覚を抱きながらも、淡々と言葉を重ねた。
『案ずる必要はない。ギルガメッシュは間違いなく最強のカードだ。それに、我が家の家訓にもあるが“常に余裕を持って優雅たれ”、此方の戦略は完ぺきだ、未知の敵であろうと勝てる』
自信過剰か、あるいは自身への自負なのか。その判別がつかないまま、師と弟子の通話は再び戦場の様子へと変わった。
意見感想お待ちしています。