P3inP4   作:ふゆゆ

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 不審な影から逃げる為、短くない距離を駆け抜けた三人。限界が来たのか、息を荒げる陽介と千枝が足を止めた。そして湊は、いつも通りの無表情で周りを見渡している。

 そこは鉄骨だけの光景は消え、奇妙な色彩の生理的に受け入れがたい部屋の中。異常者がデザインしたらこうなる見本とでも言うような、そんな部屋。

 

「ハーッ。と、とりあえず、さっきの変なのは巻いたみたい……」

 

「……あ、ああ。よかった」

 

 

 しかしそんなことよりも、先ほどの存在から逃げ切ったことが二人には重要なのだろう。未だ周りの光景には気づいていない。混乱と、走ったことによる疲労。そしてこの世界の異様な空間が気づかない内に二人の中を疲労させていく。

 

 あらかた周りを見終わった湊が、珍しく嫌悪に顔を(しか)めぽつりと呟いた。

 

 

「……ここ、気持ち悪い」

 

 

「えっ? うっ、何だここ」

 

「何、これ……本当、気持ち悪い」

 

 

 

 散々に夢中に駆け抜けて、隠れる意味でも飛び込んだ部屋の中。

 壁の傍にあるベッドの横には椅子。その上方には首吊りの為なのか、輪が吊るされていて。壁には奇妙な色彩の、気持ちの悪い絵が描かれている。余り長居はしたくない場所だった。

 ここにも霧は立ち込めていて、変わらず空気が重かった。

 

 そして湊は、冷や水をかけられたように正気を取り戻した二人に、部屋を見渡し気づいた事を聞こうとする。その先には破れたポスターが。

 

「ねえ……この」

 

「えっ? ってちょっと待った……! う、ぬ、ぬわぁああ、波が俺を追い込んでくるっっぅぅ……!」

 

「!? は!? 波!? 何よ、何!?」

 

「だ、ダメだぁ……膀胱が破裂してしまうぅぅ! かくなる上は……!」

 

「は!? えっ、そっち!? ってか、え!? ここでするの!? ちょっと勘弁してよ! ぎゃーっ! ちょ、ちょっと! 何とかしてよ有里君!」

 

「え? ……しょうがないんじゃない? やらなきゃいけないんだ。多分」

 

「……へ? ……何それ、意味分かんなーい!」

 

 しかしこんな場所にも関わらずいつも通りの二人。何とも図太いと、自分を棚に上げて感心する湊。更には女の子の前で用を足そうとする陽介。

 今時、芸人でもしない体当たり芸だ。湊は更に感心した。

 

 

 そして堪らないのはこの場所唯一の女子、千枝。誰が好んでクラスメイトの恥事を見たいと思うだろうか、流石にこの場に来る前のように、体を押さえつける事など出来はしない。

 何故って? ……ついたら堪らないからだ。

 

 

 だから湊に助けを求めるのは当然の事だっただろう。ただ、相手が悪かった。

 何を思ったのか、無駄にカッコいい台詞で、止めるどころか陽介を促す言葉を発したのだ。それに対する千枝の言葉は至極当然の物だろう。 

 

 しかしながら陽介は、ぷるぷる震えるだけで、何もしない。

 

 

「ち、ちくしょー! そんな注目されてっと、出ねえじゃねえか! そっとしておいてくれよ!

膀胱炎になったら、お前らのせいだかんなぁー!」

 

 

 どうやら、二人の視線。そしてその話題が自分の事なのだと意識してしまい、どうにも出なかったようだ。出したい。しかし身体がいう事を聞いてくれない。もどかしくて堪らない。代わりにそれは焦りを含んだ怒りの声となって口から湧き出てくる。

 

 

 その言いよう。震える千枝の額に井枡、つまりは怒りマークを湊は幻視した。しかしながらその怒りには、湊の意味の分からない言葉への憤りも含まれていると思われる。やれやれなどと陽介に対し首を振るが、千枝からしたらお前もだ! と言いたいところだろう。

 

 

「知らないっつうの! もう、二人ともふざけ過ぎ! あたしだってそんなの見たくなっての」

 

 

 そしてやはりそれは言葉となって二人へと降り注ぐ。何ともふざけた二人と同じ部屋に、そして何よりもこれから用を足されるだろう空間に居たくなかったのだろう、怒って部屋から出て行ってしまう。

 

 そして数瞬。

 湊が何故自分も怒られたのだろうか。自分も出て行った方がいいのだろうか。などと悩み始めた瞬間。

 

 

 

 

「ぅわああぁぁぁー!!」

 

 

 

 外へ出て行ったばかりの千枝の悲鳴が響く。

 湊はコントのせいで失念していたこの異様な空間に、女の子を一人にしてしまったことを悔やみながら、すぐに外へと駆け出した。陽介も飛び跳ねながら、社会の窓を挟まぬよう閉め、素早く部屋を飛び出した。

 

 

 果たしてそこにいたのは。

 口を両手で覆った千枝と。

 

「ど、どうしたっ!?」

 

「……なにこれ」

 

 

 

 どこか見覚えのある丸いシルエット。

 厳密に言えば先程見たばかりのようなシルエット。それは何かをデフォルメしたような着ぐるみ。しかしその元が何なのか全く予想がつかない珍妙さ。

 湊の言葉も最もな物体だった。

 

 しかし、その言いようが気に入らなかったのだろう、その何かは湊達を指さし問い詰める。

 

 

「き、君らこそ誰クマ!」

 

「しゃ、しゃべったぁ!?」

 

「クマは、クマクマ! ずーぅっとここへ棲んでるクマ!」

 

「な、何なんだこいつ! 意味分かんねえっ!」

 

「……腹話術?」

(というか、クマって……全然、欠片も、熊じゃないね。あれは)

 

 

 それが喋るとは夢にも思わなかった千枝は悲鳴染みた声を出し、陽介は大声で威嚇するように、叫ぶ。

 そして湊は何処がクマだ! と心の内でツッコミながら、何処かにこれを操っているナニカがいるのではと、霧深い周りを見渡している。

 

 

 奇妙な着ぐるみ、クマはしかし。三人以上に混乱しながら、ビビりながらも更に言葉を続けた。その姿は確かな意思があることを感じさせ、操り人形か何かだと疑っていた湊も、事ここに至ってはこれが生きているのだと認めざるを得なかった。

 

 

 

「うっ、お、大きい声出さないでクマ……それにクマは操り人形じゃないクマ! と、とにかく、君達はあっちに早く帰るクマ!」

 

「…………」

(なるほど、帰れるのか……っ!?)

 

 

 

 ァァァァァっ……ァァ……ァ……

 

 

 

 そして、クマの言葉から向こうへと帰る手段がある事に気づく湊。ここに棲んでいるなら、それも可能性としては有りうるのだろう。光明が見えてきた。そう考えていると、何処かから異様な呻き、地底から這いずるような鳴き声らしき物が響いてきた。

 

 

 それもまた、湊の中の何かを刺激するものであった。

 

 

 その鳴き声に辺りをわたわたと見渡す千枝と陽介と違い、クマはその正体を知っているのか、ぶるぶると震えながら何かを湊に押し付けてくる。

 それは深いブルーメタルのサングラスらしきものだった。

 

 

「あ、あわわっ! こ、これを使って早く帰るクマ! シャドウが……シャドウが……!」

 

「シャドウ……?」

 

「この鳴き声か……? なんだよ、それ」

 

「…………」

(シャドウ……)

 

 それを受け取り、掛けようとした時、クマの言葉が耳に入る。

 

 

 シャドウ。

 

 

 鳴き声の主がそれなのだろう。湊はそれが何なのか疑問に思う前に、不思議とその事を納得していた。

 

 

 しかし千枝と陽介は次から次へと起こる異常事態に、半ば疲れ果てていた。思考は働かず、ただ聞いた言葉をおうむ返しに口に出すだけだ。

 しかしその気だるさは異常事態の連続からの精神的ストレスだけでなく、この世界そのものの負荷によって齎されている事に未だ誰も気づけてはいなかった。そして湊だけがなんら影響を受けていない事も。

 

 そんな湊達を余所にクマは、耳をぴくぴくと動かし、何かを警戒している。

 

 

「おろろ~……」

 

 

「……これは」

 

「? なんでこんな時に、メガネかけてんだよ、お前は……うぅ……何かすっげえだりぃ~……」

 

「有里君って、マイペースだね……あたしゃもう何か疲れたよ……」

 

 湊はメガネを掛け、その視界の違いに驚く。霧が消え、晴れ渡ったその視界。晴天の下にいるかのような、鮮明な視界だった。

 そんな視界の隅、離れた場所にあるマンションの扉が黒く染まる。遠いそれは見間違いかとも思ったが、自分の中の何かが告げてくる。

 

 

 

 “あれがシャドウだ”

 

 

 

 黒が瞬く間に広がり、汚れた青色の仮面らしきものが這い出てくる。続いて粘着質の黒い泥が仮面に引っ付いてねちゃりと飛び出してくる。仮面は目と口の部分に奈落のような穴が空き、穴からは得体の知れぬ怖気立つ圧力を辺りに振りまいていた。

 

 

「ひええええっ! 来たクマぁぁぁぁ!!!」

 

「っ! 逃げなきゃ」

 

「えっ!? 何々!? まだ何かあんのぉ!?」

 

「ちょ、いきなりなんだよ、どうしたんだ!?」

 

 

 クマはシャドウに気づいた瞬間、瞬く間に逃げ出した。

 湊も、二人の手を掴み逃げようとするものの、未だ事情が掴めていない二人の動きは鈍い。それも無理からぬ事だろう、ただでさえ疲れで思考は鈍っているのだから。

 

 

 

 

 べちゃりっ。

 

 

 

 その間にもシャドウは、地面に気持ちの悪い音を立てぶつかり、ねちゃねちゃと音を立てこちらへ近寄ってくる。

 かと思ったらぬらりと空中に浮き、肉のようなピンク色と、泥のような黒の縞々の球体へと変化していく。そして大きな口と歯、唾液に塗れた舌がこちらへと剥かれた。

 

 

 湊は後ろからもシャドウと同じような気配を感じ、もう待ってられないとばかり二人の手を握り走り出す。

 

 

「早くっ!」

 

「きゃ、わ、わ!」

 

「ちょ、う、うわああ」

 

 

 らしくない大きな声と、必死な表情。

 その初めて見た湊の剣幕に、自然自分の足で走り始めた二人。それは何も湊の剣幕だけでなく、目の前の三体の異様なシャドウと、自分の内から警鐘を鳴らす生存本能に従っての事だった。

 

 このまま留まってしまえば、自分達は。

 

 

 

 死ぬ。

 

 

 

 精神か肉体か。どちらにしろ“自分”という存在は喰われて消える。

 

 そう本能が理解していたのだ。

 

 

 

 だから逃げた。

 恥も外聞もなく必死に。

 走りにくい革靴でも、スカートだって構わずに、三人は逃げ出した。

 決して、死にたくはなかったから。

 

 

 

 ――ただ湊だけ、湊だけが。

 この状況にあって、どこか奇妙な安心感を感じて。

 頬に冷や汗を流しながらも、

 

 

 うっすらと、笑みを――浮かべていたのだ。




ゼロの使い魔の作者様が亡くなったとの事を知りました。
面白いと聞き、最近読み始めていたのでとても残念です。
完結していたら、二次創作を書いてみたいなと思っていたのですが……

ご冥福をお祈りします。

4/22加筆・修正


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