これはこうはしてはおけんと、急いで書き上げることに。
ああ。何だかアトラスが本気を出し始めている。
今朝、変な夢を見た事もあり、抜けきってない睡魔に負けそうになりながらも、頑張り続けた湊。
そうして訪れた、放課後。
学校生活一日目は、モロキンに始まり、モロキンに終わる。
「――では今日はこれまで。明日からは通常授業だからな、覚悟しておけ!」
キーンコーンカーンコーン……
モロキンのうざったい説教を聞き流し、校内放送で流れる聞きなれた音に解放感を覚えながら、帰り支度をし始めた湊。
よくある転校生への質問攻めなんて物は、現実には殆どない物である。それは湊のどこか近寄りがたい雰囲気もあるのだが。とはいえ、そんな体験は一度や二度では無いのだ。もはや湊も慣れたもので、周りの湊をうかがう視線も気にせず、黙々と鞄に教科書を詰めイヤホンを着けようとする。
――ピンポンパンポン
すると。先ほどのチャイムとは違い、どこか耳を引く甲高い音が校内放送で流れだす。
何か緊急の連絡なのだろうが。一体何なのだろう。
湊も動きを止めて耳を傾けた。
『全校生徒にお知らせします。学区内で事件が発生しました。落ち着いて、速やかに――』
事件。
不穏な響きだった。
このようなのどかな田舎で起きた事件。都会に氾濫するどこか遠い言葉等よりも重苦しく、現実味を伴う言葉だ。
遠く、しかし実感を伴う距離からサイレンが響き、それを聞こうと窓際に野次馬と化した男子が集まっている。霧のせいでよく見えないが、だからこそ野次馬の脳を刺激していくのだろう。
霧を雨降った後よく出るようになったと愚痴りながら、事件について様々な推測を面白おかしく話している。
ニュースで聞いた覚えのある名前を口に出し、興奮し赤色の上着女の子に話しかけ軽くあしらわれていている少年なんかもいたりした。
少年を追い払った後、どこか憂鬱そうだった女の子も湊の隣の席の女の子と、雨の降った夜に何かが起こる。なんて噂を話した後、やはり事件の話をし始めた。
「――なんだろ、事件って」
「気持ち悪いねぇー。あっ」
周りは更にざわざわと煩くなっていく。
しかし湊は校内放送が流れ終わると、我関せずとばかりに静かに席を立つ。念の為、イヤホンは首に掛けたままだ。そのまま鞄をポケットに入れた手に引っかけて、後ろの出口へと向かう。
「有里くーん!」
「…………?」
しかしそんな彼を呼び止める声が。
それは湊が今朝からよく聞いていた声だった。それは、隣の席の女の子。制服の上に緑のジャージを着た、ショートカットの女の子だ。
そんな彼女の声に、湊は静かに振り向いた。
「帰り一人? よかったら、一緒に帰んない? ……その、なんか物騒だし」
へへへ。
恥ずかしそうに笑いながら言う彼女。しかしそれだけでもないのだろう。やや浮きがちな湊を気遣っているようにも感じられた。
湊としても別に断る意味もなく。湊はこくりと頷いた。
そうするとその緑の女の子と、後ろにいた赤い上着と赤いカチューシャを着けた黒い長髪、大和撫子という言葉が似合いそうな女の子が湊へと歩み寄ってきた。赤色の女の子は先ほど男子に何事か聞かれていた女の子だ。
「あたし、
「えっと、いきなりごめんね」
元気満々な千枝に対し、無表情な湊。それにぶしつけだったと思ったのか謝る雪子。千枝も薄々そう感じていたのか、オーバーリアクションで慌てだす。
とはいえ、雪子の様子からして湊を気にかけて声を掛けた事も、湊が気にしていない事も分かっているようだった。
しかしそれに気づかない千枝は、慌てて弁解し始める。
「ゆ、雪子! 謝んないでよ! あたし、失礼な人みたいじゃん! ちょっと、話を聞きたいなー、なん」
「あー、えっと、里中さんっ!」
なにやら言い訳じみたやり取りをし始める千枝の言葉が、誰かの言葉に遮られた。
目を向ければ、今朝見た『息子』が愉快な男子。
『成龍伝説』と書かれた、カンフー映画らしいDVDを、何かを誤魔化すように口早に喋りながら千枝へと返している。
ものすごく怪しい。いや、その挙動に、怪しいと思わないものはいないだろう。
「これ、すげえ面白かったでぇす! ありがとっ! じゃ、そゆことってうぉあっ、がっ!!」
「ちょっと待った」
そしてそのまま返す流れで帰ろうとするも、やはり怪しんだ千枝の足により阻まれ、そのまま倒れ込んでしまう。どうにも肉体の害を被る事が多い少年のようだ。
それを尻目に、千枝はパカリッと『成龍伝説』を開く。
その途端、くわっ! と、目が見開かれた。
「あぁっ! 何これっ! ここヒビ入ってんじゃん! あたしの『成龍伝説』がぁ~!」
ちらりと見えたDVDは、確かにヒビが一列入っている。なかなかに酷そうだ。これでは多分もう再生する事は出来ないだろう。
ぐっ。と怒りの目を倒れこんだ男子の尻に向ける千枝。その涙目ながら鋭い視線に、湊と雪子も思わず男子の尻へと目を向けてしまう。
三人の視線の重圧を感じたのか、痛みに唸っていた男子はそのままの体勢で、慌てて弁解を始める。しかしくぐもっていて聞こえにくい。
「んぐ、ご、ごめん! ぐ、事故なんだっ! バイト代入るまで待ってぇ……」
(面白いな……なんで体勢直さないんだろう。目を合わせづらいから?)
湊が生きてきた中で、今まで見たこともない弁解体勢。まるでお尻が喋っているようだ。
体勢を直さないのは、これがこの少年流の土下座のような物だからなのかもしれない。なんとも愉快な人物だと、湊は感心してしまう。
「大丈夫?」
「いいよ、雪子っ! 花村なんてっ! ほっといて早く帰ろう!」
思わずといったように掛けられる、哀れみと微かな蔑みが入った雪子の心配の言葉。
しかしながら、千枝は怒り心頭なようで、心配する雪子を制止しずんずんと先に行ってしまう。雪子も、まっ、いっか。とちらりと一目見るだけで、あっさりその後を着いて行ってしまった。
湊も、どうしたものかと考えるが。
それも一瞬。
(どうでもいいか)
愉快な人物の姿をもう一度見て、
その哀愁漂う姿に、南無と拝んでから千枝の後を追ったのだった。
そして翌日。
雨は上がった、しかし空は曇り模様のままだ。
昨日は帰りに、変な男子生徒による『天城越え』(いわゆる雪子への告白)などがあった。
しかしそんな事は些事である。なぜなら、たまたま事件現場を通ってしまったからだ。どうにも気持ちの悪い、嫌な匂いが漂っていたように湊は感じた。
それは兎も角、湊は家でやる事があった。それはつまり朝決めた湊による夕食の用意だ。
やはり事件により忙しいらしく、遼太郎は帰ってこないとの事。ならばと、沈む菜々子の為、自分なりに考えて夕食を作ったのだが、これがなかなか好評であった。お蔭で少しだけ明るくなってくれたのは幸いだろう。
今日も朝食を共に作る事になり、菜々子はすでに湊の無表情に怯える事はなく。にこやかに話しかけてくれるようになった。
これからも続けていこう。
そんな決意と共に、学校への一本道を歩く。因みに。今日は河川敷までは一緒に来ていない。事件があったばかりでどうかと、昨日より早く別れている。
ただ菜々子が寂しそうだったため、時間のある日は向こうへ着いて行くのもいいかもしれないだろう。
キキィーッ!! ガシャンッ!
「…………」
「だ、誰かァ~」
そんな湊の前。昨日と全く同じ場所で。
またもや愉快な体勢になっている人物が居た。確か花村だったろうか。
今日は自転車にこけて、ごみ箱に頭から突っ込んでいる。しかも自力で抜け出しにくいという絶妙な体勢だ。なんなのだろうか。もしや将来の夢は、お笑い芸人だったりするのだろうか。
湊は、ふう……と息を吐き、余りに哀れな花村を引っ張り出す。少し生臭い臭いがした。
周りはそんな二人を見て、くすくす笑いながら通り過ぎていった。
「っすかったぁ! ありがとなっ!」
「別に……」
面白かったから。
などとは口に出さない湊であった。
そして、なし崩し的に共に登校することになった二人。
「有里、だったよな? 俺、
「……ああ。よろしく」
「なあっ! この町の名物知ってるか?」
「どうでもいい」
「それは、っておぉい! ビフテキだよ、ビフテキ! 野暮ったいよな、さすが田舎っツーか? んで、よかったら奢るぜ? 助けてもらったお礼に、この町の名物!」
行動だけでなく、言動も愉快な人物であるようだった。ノリツッコミが冴えている。
気がする。
何しろこんなに人に話しかけられたのは久しぶりな訳で。普通がどうなのかよく理解していないのだ。
しかしそのお礼は湊の何かに触れたのか、それとも奢りに惹かれたのか俊敏な返事がなされた。
湊はこう見えて大食漢だったりするのだ。
「よろしく」
「おおっ。反応はええのなっ。オッケエ、よろしくされたっ! 放課後時間ある? 転校したばっかって暇だろう? 俺も経験あるし」
「その話あたしも乗ったぁー!」
湊の無表情の内の迫力を感じ取ったのか、少し驚きながらもニカリと笑って段取りを続ける陽介。そんな二人の間に声が挟まれた。
声の聞こえた後方に目を向ければ、ニッシッシーと笑う緑の少女。つまり千枝。
昨日破壊された状態で返された『成龍伝説』を右手でひらひら弄りながら、悪そうな笑顔で陽介へと詰め寄っていく。『成龍伝説』を何故か持って来ているのを考えるに、最初からそのつもりであったと思われる。
「お詫びの印に放課後奢ってよ」
「そ、それは……」
「……?」
陽介はちらちらと湊へ助けを請うが、視線だけでは何の事だか分からず、湊は首を捻るだけ。
「とほほ~……わかりましたよぉ~……」
最終的には白旗を上げる事になる陽介であった。
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