魔法科高校の幻想紡義 -旧-   作:空之風

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7/28投稿分その2です。


第28話 そして役者は揃う――

九校戦三日目ではアイス・ピラーズ・ブレイクの予選三回戦と決勝リーグ、バトル・ボードの準決勝と決勝が行われる。

 

三日目が終われば、あとは新人戦を除けば残る競技は女子ミラージ・バットと男子モノリス・コードのみ。

 

この日の結果によって、各高にとって総合優勝が射程圏内に入るかどうかが定まると言っても過言ではない。

 

まさに前半戦の終わりを告げるに値する日だ。

 

その三日目における一高の試合の予定表は、以下の通り。

 

男子ピラーズ・ブレイク三回戦は第一試合に十文字克人。

 

女子ピラーズ・ブレイク三回戦の第二試合に千代田花音。

 

男子バトル・ボード準決勝第一試合に服部刑部。

 

女子バトル・ボード準決勝第二試合に渡辺摩利、第三試合に小早川という三年の選手。

 

この五人が今日の試合に出場する選手だ。

 

その中の一人、克人の出場する男子ピラーズ・ブレイク三回戦の第一試合。

 

雅季と森崎は、昨日の花音の試合を観戦した達也たちに倣って、観客席ではなくスタッフ席でその試合を観戦していた。

 

 

 

 

 

 

克人の対戦相手である六高の選手が、汎用型CADを操作して何度目になるかわからない攻撃手段の切り替えを行う。

 

氷柱に直接振動を生じさせて氷柱を破壊する魔法から、地面を媒体にした振動魔法へ。

 

花音の『地雷源』ほどの威力は無いが、氷柱を破壊するには十分な威力を持った超局地的な地震が克人の陣地の氷柱直下に出現する。

 

――だが、この魔法もまた一高の氷柱には届かない。

 

その直後に克人の魔法が、相手陣地の氷柱を三本続けて破壊する。

 

六高の氷柱は今ので計八本が破壊され残りは四本。対して一高の氷柱は未だ一本も破壊されていない。

 

そして何より、焦燥に満ちた表情を浮かべる六高選手と、泰然としている克人。

 

残り四本を破壊する以前に、既に両者の間では勝敗が決していた。

 

 

 

「あれが、『鉄壁』……」

 

あまりに圧倒的過ぎる実力に、森崎は呆然と呟く。

 

四月の一件では、森崎がエリカとレオの三人掛かりで漸く互角だったジェネレーターと呼ばれた改造人間に対して、克人はたった一人で完勝したとは聞いていた。

 

だが聞くと実際に見るとでは大違いだ。

 

「すごいな、十文字先輩。空間に境界を引いてそこに色んな種類の結界を張っているのか。いや、結界というより、むしろ壁かな。ああ、それで『鉄壁』、なるほどね」

 

言葉を失っている森崎の隣では、純粋に感嘆の声をあげた後に一人納得している雅季。

 

「……感心するのはいいけど、自分ならどうするか考えておけよ。明後日にはお前もあそこに立つんだからな」

 

我に返った森崎が、視線で克人の立つ場所を示す。

 

「わかってるって。そういや、使えるのって遠隔魔法だけなんだっけ?」

 

「そうだけど?」

 

「……C() A() D()()()()()遠隔攻撃はダメか?」

 

「だからCADを投げるな!! というか何度目だコレ!?」

 

控えめな言い回しで雅季が何を言いたかったのかを即座に看破した森崎は全力でNGを叩き付けた。

 

「いやさ、まずは先手必勝というか、相手の度肝を抜いた攻撃をすれば優位に立てると思うんだよ」

 

「相手がバカにするだけだと思うぞ」

 

「威力なら心配ない。あれぐらいの氷なら間違いなく一投で二つは貫通できる!」

 

「色んな意味で度肝を抜くなお前!?」

 

自信満々に答える雅季に、その発言だけで既に度肝を抜かれた森崎。

 

というか、どうすれば手のひらサイズの精密機械で氷柱を二つも貫通させることが出来るのだろうか。

 

「ともかく、魔法で戦えよな!」

 

「まあ、それがルールならしょうがないか」

 

森崎はそれを疑問には思わなかったようだ。

 

そして雅季はどうして本当に仕方がなさそうなのか。

 

(……気にしたらダメだ。結代にも森崎にも、突っ込んだら負けだ)

 

克人の技術スタッフである三年生の木下というエンジニアは、背後の混沌と疑問から目を背けて、克人の頼りになりすぎる後ろ姿をずっと見つめることにした。

 

朱に交われば、当人も知らぬうちに赤くなるものなのだ。

 

 

 

後方で一年生コンビが混沌とした空間を作り出そうと、エンジニアが現実逃避をしようと、櫓の上に立つ克人には何ら影響を及ぼさない。

 

……もし後方の混乱が全部聞こえていたら、もしかしたら氷柱の一本ぐらいは破壊されたかもしれないが。

 

実際には声の届かぬ物理的な距離に助けられ、克人は問題なく完封勝利(パーフェクトゲーム)を飾り、決勝リーグへの進出を決めた。

 

 

 

「お疲れ様です、先輩」

 

「決勝リーグ進出、おめでとうございます! 十文字会頭」

 

戻ってきた克人に祝辞を述べて迎える雅季と森崎。

 

克人はただ頷いてそれに応える。

 

ちなみに先程のやり取りを立ち聞きする羽目になった木下は、二人の切り替えの早さに唖然としており、そんな木下の様子を克人は不思議そうに見ていた。

 

 

 

勝利に盛り上がる(?)彼らに、連絡が入ったのはその時だった。

 

 

 

「うん?」

 

木下が胸ポケットに手をやり、携帯端末を取り出す。

 

どうやら着信があったようだ。通信ボタンを押して着信に出る木下。

 

「あ、すいません。僕のもです」

 

続いて森崎にも着信が入り、通信ボタンを押す。相手は一年の男子選手、森崎の友人の一人だ。

 

「もしもし、どうした?」

 

森崎が尋ねるのと同時に、

 

「大変だ十文字!! 渡辺が!?」

 

端末から耳を離して、明らかに只事ではない様子で木下が克人に口を開き、

 

「渡辺委員長が試合中に怪我!? それも大怪我って、本当なのか!!」

 

森崎が電話の相手に問い返した言葉で、雅季と克人は何が起きたのかを知った。

 

 

 

 

 

 

その頃の女子アイス・ピラーズ・ブレイクでは、三回戦第二試合が今まさに行われようとしていた。

 

「花音。改めて言うけど、相手はピラーズ・ブレイクの強豪で知られる小樽の八高、しかも相手選手は去年の大会で三位だった選手だ。くれぐれも油断だけはしないようにね」

 

「任せて、啓! 啓の調整したCADで、絶対に優勝して見せるから!」

 

「うん、その意気だ」

 

選手の千代田花音と技術スタッフの五十里啓。

 

二人はハイタッチを交わして、「さあ、行こう」と足を踏み出したその瞬間、

 

「おい、聞いたか? 女子バトル・ボードで渡辺選手が大怪我したらしいぞ」

 

その出足を挫く会話が、後方から二人の耳に飛び込んできた。

 

「え?」

 

花音と啓が揃って振り返る。

 

スタッフ席の外部への出入り口付近、大会関係者と思われる運営委員の服を着込んだ男性二人が扉のすぐ近くで話をしていた。

 

そのうちの一人は、関係者以外の出入りを禁止する為に必ず付けられるスタッフの一人だ。

 

「本当か? 女子バトル・ボードなら運営担当は佐々木(ささき)主幹か、今頃真っ青だろうな。それで、渡辺選手の容態は?」

 

「詳細はわからないが、噂じゃ意識不明の重体で、かなり危険な状態らしい」

 

「……おいおい、本格的に拙いな、それ。下手すると佐々木主幹のクビが飛ぶんじゃないか」

 

聞こえてきた、聞こえてきてしまった彼らの会話に、花音の顔色から瞬く間に血の気が引いていった。

 

「……嘘、摩利さんが、重体?」

 

呆然と呟く花音。その隣で、

 

「あなた達!」

 

普段の大人しい物腰からは考えられないような、珍しく怒気を発しながら五十里がスタッフの二人へと歩み寄った。

 

「こんなところでそんな噂話をするなんて、あまりにも不謹慎ではありませんか!?」

 

「あ、いや……!?」

 

「す、すみませんでした!」

 

怒りに満ちた五十里に詰め寄られて、スタッフの二人は早足にその場から退散していった。

 

五十里はその後ろ姿をずっと睨みつけていたが、結局二人は振り返らずに五十里の視界から消えた。

 

故に、二人の口元が歪んでいた事にも、況してや「こんな簡単な“副業”で、ちょっとばかし豪遊できる金額が手に入るなんて」と内心で哂っていた事にも、五十里は終ぞ気がつくことは無かった。

 

「啓!! 摩利さんが重体って!?」

 

「落ち着いて花音。ただの噂だよ」

 

「でも!!」

 

なおも詰め寄る花音に、五十里は優しい口調で宥めるように言った。

 

「確かに、もしかしたら渡辺先輩が怪我をしたのは事実かもしれない。でも、あの渡辺先輩が重体に陥るようなミスをすると思う? それに第一、言い方は悪いけど運営委員の末端にいるようなあのスタッフ達が、怪我の詳細を知っているはずなんて無いよ」

 

「……うん、そうだよね。摩利さんがそんな大怪我をするようなミスをするはずが無いもんね」

 

渋々だが納得した花音に、啓は肩に手を回した。

 

「さあ、もう試合が始まる。大丈夫、後でちゃんと確認しておくから。花音は優勝して渡辺先輩たちを喜ばせないと。一高(ウチ)は苦戦しているから、絶対に「よくやった」って笑ってくれるよ」

 

「……うん!」

 

表面上は元気を取り戻した花音を、五十里は笑顔で送り出す。

 

だが花音がステージの櫓に立った時、五十里の表情は難しいものに変わっていた。

 

(表面上は元気を取り戻せたけど……動揺した心がこんな短時間ですぐ収まるはずもない。況してや相手は強豪の八高だっていうのに)

 

魔法力は術者の精神状態によって大きく左右される。

 

通常なら優勝も充分に狙える花音だが、今の状態では果たしてどれだけ戦えるか――。

 

(花音、頑張って!)

 

 

 

五十里の願いは、欲に満ちた者達の心無き妨害によって届くことはなかった。

 

花音の、いつもは思い切りの良い魔法が今回ばかりは見られなかった。

 

『地雷源』が相手の氷柱を壊すのに要する時間がいつもよりも長い。

 

そして、その時間の浪費が勝敗を分ける。

 

八高陣地の氷柱があと二本というところで、試合終了のブザーが鳴る。

 

その時には、一高の氷柱で無事なものは一つも無かった。

 

女子ピラーズ・ブレイク三回戦第二試合は八高の勝利に終わり、一高選手の全員敗退が決定し、決勝リーグに上がる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

三日目の競技を終えた夏の夕暮れ。

 

かつては逢魔時あるいは大禍時とも呼ばれた昼と夜の境目も、夜も妖怪も恐れなくなった今ではただの時間帯に過ぎない。

 

そして一高の天幕では、表向きは試合中の『事故』による摩利の骨折というアクシデントと、試合結果の二つの要因によって、夜よりも暗い雰囲気が漂っていた。

 

「では、深雪さんを新人戦ミラージ・バットから本戦ミラージ・バットへの出場に変更します」

 

議論を終えて真由美が下した結論に、異議を唱える者は誰一人いなかった。

 

「……では服部副会長。深雪さんと、担当技術スタッフの達也くんを呼んできて下さい」

 

「わかりました」

 

いつもの「はんぞーくん」ではなく「服部副会長」と呼んだ真由美に、服部は一礼して二人を呼ぶために席を外した。

 

一高の現状と、そして真由美らの内心を思えば、今現在での服部の達也に対する反感など軽く消し飛んでいる。

 

ともすれば、出場を躊躇するようならば二人に、二科生である達也にも頭を下げる事も辞さないつもりだ。

 

あの服部がそれだけの覚悟を持つほど、今の状況は厳しかった。

 

また服部個人としても、男子バトル・ボードで優勝できなかった事が今の状況を作り出した一因だとも考えていた。

 

真由美たちは準優勝でも立派だと実際に賞賛したが、服部自身はそうは思っていない。

 

故に、これで偉そうなことなど言えるはずもないと考える程に。

 

一高の三日目の戦績は、以下の通り。

 

男子バトル・ボードは、服部の準優勝で三十点。

 

女子バトル・ボードは、小早川の三位で二十点。

 

男子ピラーズ・ブレイクは、克人の優勝で五十点。

 

女子ピラーズ・ブレイクは、花音の三回戦敗退で五点。

 

対して三高の戦績は、以下の通り。

 

男子バトル・ボードは優勝で、五十点。

 

女子バトル・ボードは優勝と四位で、計六十点。

 

男子ピラーズ・ブレイクは準優勝と三回戦敗退で、計三十五点。

 

女子ピラーズ・ブレイクは優勝と三位で、計七十点。

 

そして、三日目を終えた時点での総合得点の一位は三高。二位に一高。

 

その点差、実に九十点。

 

一高は三高の逆転を、それも大逆転を許してしまっていた。

 

それこそ、本戦モノリス・コードで一高が優勝し、三高が何かの間違いで予選敗退しなければ逆転できない程に。

 

「五十里君、千代田さんの様子はどうですか?」

 

鈴音の質問に、五十里は首を横に振る。

 

「まだ怒りが収まっていません。ともすればあのスタッフ達に食って掛かりそうなので、暫くは誰かが近くにいた方がいいでしょう」

 

「うん。正直、私もそのスタッフ達には色々と思うところはあるけど、それでも暴力沙汰を起こすわけにはいかないわ」

 

「先程、委員会に厳重に抗議しておきましたので、そのスタッフ達には何らかの処罰が下されるでしょう」

 

「ありがとうございます、花音にも伝えておきます」

 

「いえ、当然のことです」

 

頭を下げる五十里に鈴音は淡々とした口調で告げた。尤も、その内心は鈴音以外の誰にもわからないが。

 

「みんな」

 

重苦しくなる雰囲気の中、真由美が口を開く。

 

「今回の九校戦は、摩利のアクシデントも含めて本当に苦戦続きです。だからこそ、私たちは今一度身を振り返って、本当の意味での全力を尽くさなければいけません」

 

「七草の言う通りだ。正直、九校戦前までは俺も含めて、心の中に慢心があったことは否めない」

 

克人の発言に、鈴音も、あずさも、五十里も、誰もが顔を俯かせる。

 

「今回の苦戦の原因の一つにその慢心、いえ油断があったというのは私も同感です。予想外の苦戦とアクシデントによって、精神的に総崩れになっている事が、成績が奮わない要因の一つです」

 

「……私も、心の何処かで『勝って当たり前』と思っていた節があります。作戦スタッフとしては失格も甚だしい思い込みです。この場を借りて、謝罪します」

 

「市原先輩。それを言うなら私たち技術スタッフも同様です」

 

「いえ、あーちゃん。リンちゃんも、あなた達は本当によくやってくれているわ。問題だったのは、私たち選手の心構え」

 

そして、真由美は全員の顔を見回した。

 

「みんな、今一度気を引き締めましょう。ちょっと遅いけど大丈夫、まだ間に合うわ。私たちは、まだ負けたわけじゃない」

 

まだ負けたわけではない。

 

その言葉に皆が頷き、全員が表情を引き締め、気持ちを新たにする。

 

「よし! ならまずは明日からの新人戦、私たちも先輩として、そして仲間として、全力でバックアップしていきましょう!」

 

「はい!!」

 

真由美が明るく言い放つと、全員が力強い声で返事をした。

 

「――やれやれ、私のいないところで勝手に盛り上げてくれるなよ、真由美」

 

その後に続いた声は、彼女たちにとって聞き慣れたものだった。

 

「摩利!」

 

全員の視線が、天幕の入り口に佇む摩利に注がれた。

 

「怪我はいいのですか?」

 

「ああ、歩く分にはもう問題ない。心配を掛けたな」

 

「いえ」

 

摩利のいつもと変わらぬ快活な様子に、誰もが安心した表情を浮かべていた。

 

「さて、というわけだ。私も一高選手の一人だ。当然、参加させて貰うぞ」

 

「ええ、大歓迎よ、摩利」

 

 

 

 

 

 

一高の幹部が気持ちを入れ替え、新人戦の作戦と対策を練り始めた頃――。

 

全ての役者もまた、動き始めていた――。

 

 

 

 

 

 

「さあ、前祝いだ。祝杯をあげよう」

 

華僑の出資によって建設された横浜グランドホテルの最上階、その更に一つ上にある公式上存在しないフロアで、ダグラス=黄ら『無頭竜』東日本総支部の幹部達は、高級酒に満たされたグラスを手にとって黒い笑みを浮かべていた。

 

「点差は九十点、圧倒的だな」

 

「残りの競技は新人戦とミラージ・バッド、そしてモノリス・コードか」

 

「新人戦では一条選手が活躍してくれるだろう。十文字選手や七草選手と同様に」

 

「ククク、更に念の為に細工も行う。新人戦の優勝も三高で決まりだな」

 

「ああ。そうなれば、もはや三高の優勝はほぼ確定だ」

 

「そして、我々の栄光も同時に約束されるという訳だ!」

 

未来が拓けて来た彼らの顔色は総じて明るい。

 

たとえそれが、他者を踏み躙った上での未来だとしても。

 

「では、乾杯しよう。一高の敗北と、そして我々の栄光に――」

 

ダグラスがグラスを掲げると、全員がそれに倣い、

 

「「「乾杯!」」」

 

まるで彼らを祝福する鐘のように、グラスの音が部屋に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

横浜グランドホテルの“城下”にある中華街。

 

その一角に潜伏している水無瀬呉智は、例の手帳でラグナレック社長にして『本隊』総隊長たるバートン・ハウエルと連絡を取り合っていた。

 

『パーティーはサードが優勢。三日目終了の時点で点差は九十点』

 

バートンが賭けている高校はファーストこと一高。

 

だが現状では三高が有利な状況だ。

 

ダグラス達が裏で小細工を仕掛けている事は呉智も察知しており、バートンには報告している。

 

それに対するバートンの返答は『多少の障害があった方が、賭けとしては面白い』というものであり、放置して構わないということだ。

 

(さて、相も変わらず何を考えているのかわからない総隊長殿は、どう判断するか)

 

無頭竜の妨害工作を止めさせるのか、それとも現状のまま放置か。

 

そして、手帳に浮かび上がった文章を読んで――呉智は思わず噴き出し、声を立てて笑った。

 

呉智と同室にいるアストー・ウィザートゥが呉智を一瞥するが、すぐに興味を失い本に視線を落とす。

 

呉智が思わず笑ってしまったのは、バートンからの返答があまりにも可笑しかったからだ。

 

『では、私の代わりに一高の応援にでも行ってくれないか?』

 

潜伏している、という現実を忘れているかのような突拍子も無い答え。

 

それは、呉智が潜伏先を特定されるようなヘマを犯すはずがないという信頼の顕れでもあった。

 

一頻り笑った後、呉智は『了解』と一文だけ書き込んでから手帳を閉じると、『スノッリのエッダ』の翻訳版を読んでいるアストーに声を掛けた。

 

「アストー、俺は明日から出かける。お前はここで待機しておけ」

 

アストーは再度呉智に視線を向け、先程と同じようにすぐに本に目を落とす。

 

それを了承と受け取った呉智は、周公瑾にも同様のことを伝える為に部屋から出て行く。

 

(明日からは新人戦か……)

 

廊下を歩く呉智の脳裏には、ある二人の兄妹の姿が浮かび上がっていた。

 

三年ぶりの再会も、若しくは有り得るかもしれない――。

 

ふと浮かび上がってきたそんな思いを、呉智は否定しなかった。

 

 

 

 

 

 

大逆転に成功し、一位の座に付いた三高の天幕では、選手たちの誰もが威勢を上げていた。

 

「このまま優勝まで一気に行くぞ!」

 

「「「おおー!!」」」

 

特に三年生にとっては一高に敗れ続けた二年間なだけに、その意気は天を突かんばかりだ。

 

その選手たちの中には『クリムゾン・プリンス』の異名を取る一条将輝(いちじょうまさき)と、『カーディナル・ジョージ』の二つ名を持つ吉祥寺真紅郎(きちじょうじしんくろう)の一年男子二人の姿もあった。

 

「将輝、いよいよ僕たちの出番だね」

 

「ああ、ジョージ。俺たちの手で優勝を確実にしてやろう!」

 

二人は拳を合わせて、互いの健闘を祈る。

 

「まずはジョージのスピード・シューティングだな」

 

「任せてよ。相手はおそらく『クイックドロウ』の森崎家だ。確かに魔法構築速度は早いだろうけど――」

 

「ジョージには『不可視の弾丸(インビジブル・ブリッド)』がある」

 

吉祥寺の言葉を遮って告げた将輝に、吉祥寺は頷いた。

 

「まずは僕がスピード・シューティングで優勝を頂く。そして将輝がアイス・ピラーズ・ブレイクで優勝する。そして……」

 

「ああ、モノリス・コードでも優勝だ」

 

『カーディナル・ジョージ』吉祥寺真紅郎。

 

『クリムゾン・プリンス』一条将輝。

 

二人の戦意もまた、最高潮に達していた。

 

 

 

 

 

 

服部の案内で一高の天幕にやって来た達也と深雪は、深雪の新人戦ミラージ・バットから本戦ミラージ・バットへの出場変更を聞かされた。

 

「新人戦と違って、本戦ともなれば深雪さんでも厳しい戦いになるでしょう」

 

「だが、彼女なら優勝も充分に狙える。そうだろう、達也君?」

 

「はい」

 

摩利の問いに、達也は即答する。

 

「そのように評価して下さってのことなら、俺もエンジニアとして全力を尽くしましょう」

 

そう発言した達也の脳裏には、先程の服部の一言が反芻していた。

 

それは、二人が天幕の中に入る際のこと。

 

――頼む。

 

ただ一言、そう言い残して服部は天幕に入らず立ち去った。

 

あれは、つまりはこの事だったのだ。

 

選手として臨む深雪に対して、そして、それを支える技術スタッフとして臨む達也の二人に対しての一言。

 

あの服部が、深雪だけでなく達也にも託したのだ。

 

一高優勝の望みを。

 

どうせ風間少佐達とのことも、ラグナレックのことも、今更どうこうできるような問題ではない。

 

ならば全ては後回しにして、せめてそれには応えようと、達也は思った。

 

自分にも、そして深雪にも、来年の出場機会があるかどうかわからないが故に。

 

「深雪、やれるな?」

 

「ハイ!!」

 

深雪は大きく頷き、肯定する。

 

「お願いします、深雪さん、達也君。私たちも全力でサポートするから」

 

「文字通り総力戦というわけだ。――優勝、狙うぞ」

 

「はい」

 

「はい!」

 

発破を掛ける摩利に、達也は強く、深雪は再び大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

「いよいよか……」

 

ホテルの宛てがわれた部屋の中で、自前のCADを手に取ったまま森崎はポツリと呟く。

 

雅季は部屋にはいない、先程からどこかに出かけている。

 

今日の段階で一高は三高に逆転を許し、かつ九十点もの点差を付けられている。

 

三高の実力から考えて、これを覆すには本戦ミラージ・バットと本戦モノリス・コードだけでは足りない。

 

新人戦で優勢を貫いて、初めて逆転優勝の道が開けるのだ。

 

だが――。

 

(勝てるのか、『カーディナル・ジョージ』に、そして『クリムゾン・プリンス』に?)

 

森崎はスピード・シューティングで吉祥寺真紅郎と、雅季はアイス・ピラーズ・ブレイクで一条将輝とそれぞれ戦う。

 

そしてモノリス・コードに至っては、森崎はその二人を相手取ることになる。

 

特に一条将輝については、あの十文字会頭や七草会長と同じ、十師族の直系。

 

森崎の脳裏には、スピード・シューティングとクラウド・ボールで見せた真由美の、ピラーズ・ブレイクで克人が見せた圧倒的な実力が強く目に焼きついている。

 

現在の十師族に名を連ねる一条家の御曹司ならば、おそらくはあれぐらいの実力は持ち合わせているだろう。

 

どう考えても、モノリス・コードでは勝機が見えない。

 

ならば、せめて他の競技では、特にスピード・シューティングでは勝ちたいと森崎は強く思った。

 

『早撃ち』は森崎駿の矜持、プライドだ。

 

特に秀でた魔法力を持たない、百家の傍流である森崎家が魔法師コミュニティーにその名を知らしめているのは、ひとえにクイックドロウの技術がゆえ。

 

それに、

 

(誰よりも早く、誰よりも速きこと。それが『駿』の名を持つ僕らしさ――)

 

冗談のような会話の中で、さり気なく本質を突いてくる“あいつ”がそう言っていたのだ。

 

ならば、今回はそれに賭けてみよう。

 

元よりそれ以外に勝負できるところなど、生憎と持ち合わせていない。

 

吉祥寺真紅郎の『不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)』を相手に、森崎駿は『早撃ち(クイックドロウ)』で対抗する事を決めた。

 

誰よりも早く、誰よりも速い、そんな“魔法”を――。

 

 

 

 

 

 

ホテル最上階の展望室。

 

逢魔時に身を染める富士の山を、雅季は静かに見つめている。

 

現実にして幻想、そして昼と夜の境目たる夕暮れに染まる、富士の山。

 

それはまるで、境目の上に立つ『結代』の顕れのようで――。

 

(さて、どうするかな……)

 

一高の選手達に絡みつく弱い悪縁を、雅季は感じ取っている。

 

渡辺摩利も、おそらくその悪縁によって怪我を負わされたのだろう。

 

それに対して雅季は一高の選手として、そして『結代』として、相反する二つの境目でどう動くべきか。

 

元より幻想が否定され、且つ魔法が知られるような時代になってから初めて現れた『結び離れ分つ結う代』だ。

 

雅季の取った行動が良縁となるか悪縁となるかは、今の時点では結代家にも、縁を司る神である天御社玉姫(あまのみやたまひめ)にもわからない。

 

現実と、幻想。

 

二つの間に立つは、幻想郷の『今代の結代』にして『結び離れ分つ結う代』、結代雅季。

 

様々な『縁』が絡み合い始めた九校戦で、果たして何を結び、離し、分つべきか。

 

ただそこに居るだけで富士の息吹を自然と感じながら、雅季はそれを考え続けていた。

 

 

 

 

 

 

そして、どこにもなくてどこにでもある場所にて――。

 

「藍、私は明日から昼間は出かけるから、留守番よろしくね」

 

「わかりました、紫様。ところで、どちらへ?」

 

「ふふ、決まっているじゃない――応援よ」

 

 

 

 

 

 

かくして全ての役者は動き出し――。

 

九校戦四日目、新人戦の幕が上がる――。

 

 

 

 




八月が忙しく更新できるか不明のため、キリのいい新人戦前まで投稿します。

もし更新できたら更新する予定です。

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