暁美ほむらに現身を。   作:深冬

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幕間
偽りの物語


 転校して、孤立した。

 なにもできない少女は、独り。

 だけれども運命を覆してでも助けたいと思う人と出会った。

 

 充実した日々であった。

 頼れる先輩に、孤独から救ってくれた友達。この世の裏側を見ることになって、多少は恐い目にあったけれど、それでも彼女たちが守ってくれた。

 

 しかし幸せな時間は長くは続かない。

 先輩が死に、続くように大好きな友達も死んだ。殺された。

 

 だから祈った。

 出会いをやり直したい。守られる側ではなく、守る側になりたい。

 願いは聞き届けられ、そして彼女は時間の檻に幽閉された。いや、幽閉したのだ。

 

 どれほど繰り返しても大好きな友達は死んだ。

 何度も何度も死んだ。数えることすら億劫になるほど繰り返しても無駄だった。

 

 繰り返す中で真実を知った。

 知っても彼女は立ち止まらない。精神が摩耗し、感情を置き去りにしても愚直に友達を助けようとし続けた。

 

 だが遂には心が折れることになる。

 彼女のやってきたことは無駄だった。否、事態を悪化させるだけだった。

 そのことを告げられ、ぽっきりと心が折れた。

 

 そんな彼女を救ってくれたのは、彼女が運命を覆しても助けたいと思い続けた友達だった。

 友達はすべての絶望を背負った。己が犠牲になることを厭わず、命を差しだした。

 

 彼女は反対したが、友達に諭され受け入れた。

 

 ――受け入れたはずだったが

 

 

 *****

 

 

 目が覚める。瞼を開き、上体を起こす。

 病院のベッドの上。暁美ほむらは目覚めの良い方だが、暫し呆然としていた。

 

「なんで……」

 

 口から零れたのはそんな言葉だった。

 意味がわからなかった。理解が追いつかなかった。

 

 たしかに鹿目まどかによって、全ての魔女を生まれる前に消し去られたはずだった。

 暁美ほむらはそれを受け入れ、まどかの遺志を継ぎ、世界を守るために戦い続けていたはずだった。

 

 だから時間を巻き戻す必要もない。巻き戻した憶えもない。

 なのにあの日にいる。

 枕元にあるカレンダーには今日という日付に可愛らしくマークが付けられ、退院日と記されている。昨日までの日付にバツ印がつけられていることから、よっぽど退院が楽しみだったのかがわかる。

 

『不思議かい?』

 

 眼鏡をかけ、カレンダーを見つめるほむらに声をかけてくる存在がいた。

 聞き覚えのある声にムッとしながらも、状況がつかめない現状を打開できるかもしれないという期待と共にそいつの方を向く。

 

『やぁ、ほむら。久しぶりと言うべきかな。いや、本来ならばきみとはまだ出会っていなかった日付であるはずだからはじめましてと言うべきかな。どちらの挨拶をしようと今の僕からしてみれば些末な問題でしかないんだけどね』

「……インキュベーター」

 

 インキュベーター――キュゥべえは、相変わらず無機質なのに軽薄そうな声色だ。ほむらには状況を楽しんでいるように感じさえした。

 キュゥべえに遠慮することもない。ほむらは直球で問いかける。

 

「どういうことか説明してくれるかしら」

『逆に訊くけどいまきみはどの程度状況を理解しているんだい? 参考程度までに聞かせてよ』

 

 質問を質問で返され、ほむらは考える。

 キュゥべえに言ってしまっても良いのだろうか。なにか罠ではないだろうか。

 マイナス要素がいくつも脳内に浮かんできたが、それ以上に現状把握の方が大事だという結論に至りついた。

 

「なんてことはないわ。世界はまどかによって救済され、私がその世界を守るために戦い続けていた。だと言うのに気がつけばあの日に……いえ、今日という日に時間が巻き戻されていた」

 

 それだけがほむらが知っていたこと。理解できたこと。

 だというのに次のキュゥべえの言葉にそれは揺らぐことになる。

 

『本当にそれだけかい? なにか大事なことを忘れてしまってはいないのかい?』

「どういうこと……?」

 

 なぜだかわからない。わからないが、わからないけれど、キュゥべえの言葉に何かが引っかかった。

 違和感があるとかないとかではない。指に引っかかりそうな小さな取っ掛かり。あるいはいつ終わるか知れない縄を手繰り寄せる感覚。

 その先に真実があるはずなのに辿り着けない。見つけ出せない。

 モヤモヤとした霞みがかった思考にほむらの表情が曇る。

 

『どういうこともなにもないさ。ほむら。きみはね、大事なことを忘れてしまっているんだ』

 

 質問ではなく、断定的な口調。

 まるでほむらが記憶喪失であるような言い草。

 

 だが、ほむらは否定できなかった。

 この喉に小骨が刺さったかのような感覚がある限り、完全に否定することはできない。

 ほむら自身、キュゥべえの言っている通り何かを忘れてしまっているような気がしてしまっている。そう感じてしまったから言葉が出てこない。

 

『いいさ、僕が教えてあげる。ほむらが何を望み、何を祈り、何を成してきたのか。その結果である今を、この現実を僕が教えてあげる』

 

 ほむらの望みは鹿目まどかを守ることだ。

 まどかに守ってもらったから、今度はほむらが守る側に立ちたい。

 そのために出会いをやり直すことを祈った。

 

 キュゥべえもほむらの知っていることを語った。

 が、キュゥべえは最後にこう付け加えた。

 

『――でもそれはほむらが見ていた夢に過ぎないんだよ。虚構であり、嘘であり、偽りなんだ』

「え……?」

『きみの本当の祈りは、偽りの物語の否定。間違いだらけの世界からの解放こそが、ほむらが僕に祈った望み』

 

 告げられた内容に、ほむらの時間が止まる。止まったかのような錯覚に陥る。

 時間停止の魔法を使用していないのに、ほむらの時間だけが進んでいるような気さえした。

 

「それは嘘よ。ありえない。たしかに私はまどかとの出会いをやり直すことをあなたに祈った」

『皮肉だね。出会いに意味を求めた彼女とは対照的に、ほむらは出会いをやり直すことを祈った』

 

 彼女とは誰だろう。キュゥべえの言葉の中に現れた第三者にほむらは反応する。

 考え始めるとズキリと頭に痛みが走った。

 

 ――私は出会いに意味があると知ってるから。信じてるから。だから私たちは友達だよ?

 

 誰だこの少女は。いや、ほむらはこの声の主を知っている。知っているが、この少女のことは知らない。

 知らない? 本当に知らないのだろうか。

 痛みが酷くなる。鈍器で殴られたような痛みに思わず頭を抱える。

 

『さぁ思い出すんだ、ほむら。きみは誰と出会って、誰に孤独を充してもらったんだい』

 

 キュゥべえの言葉がトリガーになったのだろう。

 痛みと共に、ほむらの脳内で様々な映像がフラッシュバックした。

 

 知るはずのない情景。否、知っていたはずの情景。

 見えた場面が当然のものとなるのに時間はかからなかった。

 一度見てしまえば、残りは芋づる式に思い出すことができた。思い出さざるを得なかった。たとえ心の奥底で拒んでいたとしても抗えなかった。

 

 歯軋りするほど顎に力が加わる。

 思い出したくなかった。知りたくなかった。

 たった一つの存在理由が足元から崩れ、暁美ほむらの物語を否定する。

 

「ふざけないで! こんな記憶いらなかった。まどかが見守る世界を守るだけで幸せだったのに!」

『ふざけてなんていないさ。至極真っ当だ。きみたち人類にとって魔法少女の魔女化が目を背けたくなるような真実であるように、いつだって真実とは惨いものなんだ』

 

 美樹さやかに裏切られた記憶。

 まどかのために時間を繰り返し続けた今のほむらには理解できる。

 

 贖罪だ。後悔しかないから償いを行うしかない。

 さやかは自らが引きよせた絶望に立ち向かった。ボロボロになりながら、犠牲を出さざるを得ない状況に悔やみながら戦った。

 

「どうすればいいのよ……」

 

 一度は否定した世界だ。だけれども否定したからこそ後悔がある。

 無知だった自分自身が否定した世界。

 

 否定……した?

 

「なぜ否定した世界の記憶があるの? キュゥべえ、あなたとの契約は果たされたはずなのに」

『いいところに気がついたね』

 

 キュゥべえは狐のように太い尻尾をフリフリと振る。

 

『暁美ほむら。きみの願いは間違いなく遂げられたよ。偽りの世界は否定され、だからこそこの世界がある』

「意味がわからないわ」

『そうだなぁ、こう言えばわかりやすいんじゃないかな。きみの知っている鹿目まどかが祈った願いと同じだよ』

 

 ――全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。

 

 鹿目まどかは祈った。

 希望を信じてきたみんなの笑顔を守るために、魔法少女システムの中から邪魔なルールを壊して、世界を作り変えた。

 その願いは、突詰めれば魔女の否定に他ならない。

 暁美ほむらが偽りの物語を否定したように、鹿目まどかは魔女を否定した。

 

「そん、な……」

 

 与えられたヒントによって答えに辿り着いたほむらは声を震わせる。

 鹿目まどかは魔女を否定した。その願いは他ならない鹿目まどかの魔女化をも否定するものであった。

 

 ならば偽りの物語を否定した暁美ほむらはどうであろう。

 偽りの物語を否定したところで、その延長線上に正しい物語がある。果たしてその正しい物語は、本当に正しい物語なのだろうか。

 偽りの物語から地続きである以上、正しい物語もまた偽りの物語ではないだろうか。

 事実、正しいはずの物語は否定された。否定されたからこそ、今この時がある。

 

『そうさ、否定の否定は肯定……とまでは言えないけど、世界は矛盾が生まれるたびに無理矢理にでも整合性をとるんだ。でなければ世界が崩壊してしまうからね。だからなんだろうね――こんな中途半端な世界になってしまったのは』

 

 どういうこと? とほむらは疑問を口に出すことはなかった。

 少し考えればわかる。否定した世界とその後にできた世界。二つの記憶がほむらの中にある。

 

「この世界は……」

 

 言い切る前に口を閉じる。

 

『なんだい?』

「いいえ、あなたに訊いても仕方ないことだったわ」

 

 この始まりの病室から出て、実際にこの目で見て確かめなければならないこと。

 そもそもキュゥべえが真実を語るとは限らない。むしろほむらの経験上、キュゥべえは最低限の言葉しか使わない。真実がその奥に隠されていたとしてもなんら不思議ではないのだ。

 

『なにか勘違いしているんじゃないかな?』

 

 白いベッドから立ち上がったほむらを見て、キュゥべえは言った。

 

『僕はきみに対して敵対行動をとるつもりはない。騙すつもりもないし、勘違いを誘発する言動をとるつもりもない。むしろ今こうして干渉するつもりもなかったんだ』

「だったらもう関わらないで頂戴」

『もちろんそのつもりだよ。ほむらがこの病室から一歩でも出たら僕はきみに関わらないつもりだ』

 

 ほむらはキュゥべえの言葉を無視してパジャマから見滝原中学校の指定制服に着替え始める。

 

『……やれやれ。昔から、いや未来からほむらは頑固だね。一つのことに対して猪突猛進で突き進む。それがきみの長所であり短所だ』

「うるさいわね。そんなことはとうに理解しているつもりよ」

 

 着替え終わったほむらは、最後に眼鏡を外し、魔法で視力を回復させる。

 鏡を見る。そこにはまどかを助けるために覚悟を決めイメチェンした姿の自分がいた。

 何度となく繰り返してきた一連の動作であるため自然に行ってしまったが、果たしてここにはほむらを救ってくれたまどかはいるのだろうか。

 

 鏡にキュゥべえが映り込む。

 

『いくんだね』

「そうね」

『なら最後に忠告しておくよ。今度は何があっても心が折れないようにするんだね。僕は悲劇で終わるよりも大団円を迎える方が好きだよ』

「意味がわからないわ」

『頑張ってくれってことさ』

「あなたからそんなこと言われるのはなんだか気持ち悪いわね」

 

 まどかが改変した世界ではそこそこ良好な関係を気づいていたとしても、キュゥべえにそんなことを言われるとどうにも喉の辺りがこそばゆい。

 ほむらは頭を軽く振って、離散していた意識を一点に集める。

 

 振り返って、キュゥべえを見る。

 

「まあいいわ。その言葉は素直に受け取ることにする」

『それは良かった』

「私には進むことしかできないから。永遠の迷路にだって出口があると教えてもらったから、私は最良の結末を探し出すわ」

 

 何度でも繰り返す。

 ほむらが出会った、大切な仲間たち。

 彼女たちのためなら舞台上で踊ることすら構わない。

 

 暁美ほむらは白い部屋から一歩足を踏み出した。

 

 

 *****

 

 

『神か……』

 

 キュゥべえはほむらが出ていった扉を見つめて独り語りだす。

 

『与えられた役目に不満があるわけじゃないけど、これまた一気に出世したものだね。宇宙が枯れないためのエネルギー確保に奔走していた頃と比べて、ずいぶん偉くなったもんだ。それもこれも全ては美樹さやかのせいなんだけど、恨むべきか感謝すべきか今の僕には判断できないや』

 

 神とは観測者である。

 かつてここではない世界の美樹さやかはキュゥべえとの会話の中で、そんなことを言った。なんてことない暇つぶし程度のつまらない会話だった。

 物語の枠組の外にいて、物語を観測する存在。それこそが神。

 そしてさやかはキュゥべえを神と呼び、キュゥべえはそれを否定した。

 

『まあそんなことはどうでもいいか。大事なのは暁美ほむらの行く末。一度最良の結末で物語を終えた彼女は、隠された真実を知ってどんな結末に辿り着こうとするんだろうね。人類の……人間の感情はなかなかに馬鹿にできない。なにせ宇宙の渇きを潤すほどのエネルギーになるんだからね。だからほむらは彼女たちを無視できない』

 

 感謝。そして後悔。

 そこには様々な感情が入り混じることだろう。それゆえにほむらの求める最良の結末はさらにハードルの高いモノになる。

 一度心が折れたからこそ、もっと硬く折れにくく頑丈になり、余程のことがない限り彼女が立ち止まることはないだろう。

 

『苦難を乗り越えた先に、求める結末があるとは限らない。それでも僕は、神として観測者として、ハッピーエンドこそが結末としては相応しいと思っているよ』

 

 物語は終わらない。

 終わって始まり、永遠に繰り返す。

 

 これは偽りの物語。


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