暁美ほむらに現身を。   作:深冬

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第7話

 鹿目まどかを待ち受けていたのは人形だった。

 ポップでキッチュな可愛らしい人形だ。

 普段なら駆け寄って抱きしめるほどに愛らしい人形に、しかしまどかは表情を緩めることなく睨みを効かせていた。

 それもそのはず、目の前に可愛らしく佇んでいる人形こそが、この結界の主なのだ。

 病院をお菓子でデコレートしてファンシーにしたようなこの魔女の結界は彼女のものだ。そこらかしこから甘い匂いが立ち込める。

 

 魔女のもとにたどり着いたまどかは、気持ちを抑えきれず攻撃を開始した。

 まずは魔女をよく観察するんだ、といつもさやかから口を酸っぱくしてまどかに言い聞かせられていたが、そんな親友の忠告さえ頭から抜け落ちてしまうほど今のまどかに余裕はなかった。

 それほどまでに上条恭介という存在が彼女の中で大きなウェイトを占めていた。

 淡い感情を重ねて積み上げていった恋心は肥大する一方だ。

 魔女に照準を定め、弓を引き絞って手を離す。解放された破魔の矢が清浄の光を放ちながら悪しき存在目掛け突き進む。

 狙い違わず魔女に命中するかと思われた一撃は、横から飛び出してきた存在に阻まれた。

 使い魔である。大きな耳に細長い尻尾。まるでネズミのような姿をして、ナースキャップを被った使い魔が、その身を滑り込ませることで迫る危機から魔す女を守ってみせた。

 

「邪魔しないで!」

 

 まどかは叫ぶ。

 使い魔などに構っていられるほど時間がない。早く魔女を退治してしまわなければ、それだけ上条恭介が危機にさらされてしまう。

 それに魔女の結界に侵入するために現実世界に残してきてしまった志筑仁美も心配だ。

 彼女にはなんの力もない。まどかのように戦う力も、その力を手に入れるために願う権利すら持っていない。

 もしも仁美がキュゥべえを知覚していて、それをまどかに話してくれていなかったというならばそれはそれで悲しいことだが、まどかにそれを確認する手段はない。

 とにかくいち早く魔女を退治することが最優先事項なのだ。

 

 次矢を番えて魔女を射ようとする。

 しかし照準を定める前に使い魔がまどかに襲いかかってくる。小さな身体で地を這って、ネズミの集団が眼前に迫る。

 

 スプレットアロー。

 もしマミがこの場にいたとすればそう名付けていたに違いない。

 まどかは前方広範囲に矢を連射した。

 弾幕を張って、襲いかかってくる使い魔どもを次々と駆逐していく。

 これはまどかの放つ矢が魔法で作られた魔法矢だからできることだ。

 一度に引き絞り、一気に解放する。そうすることで通常の矢と異なり弾切れの心配ない連射を可能にした。

 一体、また一体と矢に穿たれネズミのような使い魔どもが動きを強制停止に追い込まれていく。

 ついこの間までまどかは普通の少女だった。

 それがどうだ。今こうしてまどか一人で人を喰らう異形の存在を追い詰めている。

 魔法少女とはこれほどまでに少女に力を与えてくれる。

 守る力だ。大勢の人々を、そして大切な人を守る力。

 何もかもに自信を持てなくてヘラヘラ笑顔を浮かべていたあの頃とは違う。

 まどかには力があって、守りたい人がいる。

 次矢を番える。

 今度は邪魔されても一撃が魔女に届くように、矢先を鋭く鋭く鋭く。魔力を集中し、矢を成形する。

 不思議なことにポップでキッチュな可愛らしい人形の姿をした魔女は、邂逅した場所から少しも動いていない。

 使い魔たちがその身を盾に庇っているというのに、逃げる素振りすら見受けられない。

 好都合だとまどかは思った。

 的が動かなければ矢を命中させることなど容易い。

 しかも今度の矢は貫通力に特化した矢である。多少邪魔されたところで魔女を貫いてくれることだろう。

 

 まどかの制御から離れ、矢が放たれる。

 桃色の閃光を伴って、一直線に魔女のもとまで届き貫いた。

 

「やった!」

 

 初めてのことだった。

 徹頭徹尾なんの補助もなく、失敗しても助けられるだろうという安心感も無しに一人で魔女を討伐したという事実は。

 だから安堵して、喜んだ。

 だからだったのだろう。

 事実(・・)事実(・・)ではなかったのに気づくのが遅れたのは。

 これもさやかが言っていたことだ。魔女の結界が崩落を始めるまで安心してはならない。

 正しく彼女の言葉はこのような事態を憂慮していたからだ。

 土手っ腹に穴が開いたファンシーな人形が爆発物かと見紛うばかりに膨れ上がり、口だった場所から黒いナニカが一気に噴出した。

 それは細長い黒蛇のような姿をしていた。ずるりと人形から這い出てきた黒蛇は、瞬く間にまどかのもとまで接近し、巻きつくようにして身体の自由を奪った。

 

「――え?」

 

 黒蛇――魔女は人一人丸飲みできるほどの大きな顔を近づけ、まどかの眼前でニヤニヤと口角を上げている。

 おかしい。思考が追いつかなかった。

 さきほど魔女は倒したはずじゃないか。たしかにまどかの矢が魔女の身体を穿ったはずだ。

 だというのに、目の前にいるコイツはなんなのだろう。

 必死になって答えを探すが見つからない。否、それに直視することをまどかの心が避けていた。

 黒蛇が突き合わせていた顔を逸らす。釣られてまどかも同じ方向に顔を向けた。

 

「なん……で、ここに」

 

 意味がわからない。

 なぜここに人間が存在するのか。幾人もの人たちが、瞼を閉じ眠るように横たわっている。

 不安感に襲われ、びくびくしながらその相貌を確認していく。

 

「……嘘。離して! 離してよ!」

 

 ロープでぐるぐる巻きにされたように拘束された身体を必死に動かそうとじたばたする。

 だが魔女は無駄な抵抗を嘲笑うかの如く締めつける力を強くすると、まどかに顔を向けてにんまり笑う。

 それから、魔女はまどかが思いつくことのできた最悪の行動に打って出た。

 ぱくり。まどかを締め上げたまま、横たわる人間に顔を寄せ頬張った。

 バリバリと骨を砕く咀嚼音がまどかの耳に届く。

 魔女の身体と接触しているまどかには、音だけではなく振動までも直接伝わってくる。

 

「イヤぁぁぁあああああああああ!」

 

 叫んだ。叫んで、必死になって魔女の蛇のように長い身体を振りほどこうとする。

 魔女はごくんとソレ(・・)を飲みこんで、次々とおいしそうに頬張っていった。

 その中に上条恭介と志筑仁美の姿もあった。

 いつの間に魔女の結界の内部に捕らわれたのか。まどかには知る由もないが、たしかに彼らの姿があった。

 だからまどかは必死になって助けようとした。

 だけれども、抵抗は無駄だった。

 まずは仁美だった。

 親友であり、恋敵でもあり。そんな彼女が目の前で喰い殺された。

 魔女は食事マナーがなっていないのか、噛み千切られた右腕がぼとりと落下して、周囲に血液が飛散した。

 まどかは彼女の最期を直視できなくて、力いっぱい目を瞑って堪えた。

 でも、恭介がこの場にいることを思い出して目を開けると、ちょうど魔女が最後の獲物に喰いつくところだった。

 幸運か不幸か、最後まで死を免れていたのは恭介だった。

 痛々しく左手に巻かれた包帯を見て、まどかは声にならない絶叫をあげる。

 

 ――私のせいで。私が上条くんの怪我を治すように願ってさえいればこんなことにはならなかった。

 経過を見るためにしばらく入院していたとしても、それでも今この時には退院していたことだろう。

 自らが願った浅ましい望みのせいで、恭介が殺されようとしている。

 やめて、と魔女に言いたかった。だけれどもそれ以上に別の何かがまどかの中から出てくる。

 魔女はそんなまどかを見て、やはり気持ち悪く笑う。

 罅の入った心を粉々に割るため、最後の一押しとばかりに恭介をおいしそうにバクリと喰らう。

 バリボリボリ。

 それまでと同様、人間の身体が噛み砕かれる感覚が直にまどかに伝わってくる。

 まどかの顔が絶望に歪む。

 何もかもがどうでもよくなった。

 一緒に告白する決意を固めてやってきた仁美も、その告白するはずだった相手の恭介ももうこの世にはいない。殺された。

 まどかの力不足のために。選択を間違えたせいで。

 すべてまどかが悪いのだ。

 たらればを考えても仕方がない。まどかが悪くて悪くて悪い。

 

 死んだ魚の眼をして、事切れたかのように動かなくなったまどかを魔女は見る。

 いただきます、とでも言っているのかもしれない。

 魔女は絶望を撒き散らす。

 まるで肉に塩コショウで味付けをように丹念にじっくりと。

 人を丸飲みできるほど大きな口を開ける。

 ガブリ。魔女は頭から喰らいついた。

 

 いつだって正義の味方(ヒーロー)は遅れてやってくる。

 彼女にとっての正義の味方(ヒーロー)も遅れてやってきた。

 

 

 *****

 

 

 なにが間違っていたのだろうか。

 どこから間違えてしまったのだろうか。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう……。

 

 巴マミは防戦一方の状況で、ぼんやりとそんなことを思考していた。

 

「巴さん!」

 

 背後から後輩の声が聞こえてくる。

 目に入れても痛くないほど可愛い後輩だ。やっとできたマミだけの後輩。

 なにもかも見栄を張るためのハリボテで、中身なんてなにも詰まっていないスカスカな少女に頼ってくれる稀有な存在。

 だから守りたいと思った。守ると誓った。

 

 だというのに、この状況はなんだ。

 守るべき対象が背後にいて、リボンを半球状にして身を守らなければいけない状況は。

 こんなはずではなかった。

 もっとカッコよく、優雅にエレガントに。

 魔女を倒すところをほむらに見てもらって、すごいと言ってもらいたかった。もっともっと頼ってもらいたかった。

 ほむらの瞳に映るのはマミの姿だけ。羨望の眼差しを向けられ、期待感と、ほんのちょっとの憧れをこの身に受けたかっただけなのに。

 

 必死にマミの名前を呼ぶ声が背後から何度も何度も繰り返し聞こえてくる。

 逃げ出したかった。私が悪かった。だから私の名前を呼ばないで。

 ガラスのように繊細なマミの精神が粉々に砕かれる寸前だった。

 否。すでに一点を中心に蜘蛛の巣状に罅が入ってしまっていると言っても良いかもしれない。

 依存するために求めた存在が代償となって重く圧しかかった。

 

 こんなことならば、ほむらのことをさやかたちに話せばよかった。

 これまでのように彼女の眼差しを一身に受けることはできなかったかもしれないけれど、それでもこんな助かる見込みのない防戦一方の状況に陥ることはなかっただろう。

 みんなで魔女を探索して、みんなで魔女を討伐する。

 たったそれだけのことをすれば、こうしてほむらの命を危険に晒すことなどなかった。

 頼ってくれる存在を求めたばかりに、なにもかもが台無しになろうとしていた。

 

「ごめんなさい。暁美さん……」

 

 ぽつりと言葉が零れ落ちた。

 絶望的なこの状況で、謝罪する言葉を並びたてるために。

 

「私が不甲斐ないばかりにこんな状況になってしまって、本当に申し訳ないと思っているわ」

 

 マミたちに攻撃を仕掛けてきている魔女は、フランスの凱旋門を彷彿とさせる形をした魔女だった。

 その魔女が、美術のデッサンに用いるのっぺりとした人形のような使い魔に命令して攻撃を加えてきている。

 四方八方から攻撃を仕掛けられているので半球状に張り巡らせたリボンで防御しなければ、数秒と経たずその身の安全が保障されないであろう。

 

 なぜこんなどうしようもならない状況に陥ったかと言えば、使い魔がほむらを標的とし始めたからである。

 魔女の結界内部に侵入して、魔女と交戦を始めるところまではなんの問題もなかった。

 マミは2年という魔法少女の中ではベテランとまで言えるほどの経験を持っているのだ。そう簡単に負けはしない。むしろたいていの魔女に勝てて当然なのだ。

 だけれども今回は当然が当然ではなかった。

 マミが驕ってしまったのだ。

 これまでルーチンワークのように魔女を倒し続けて感覚が麻痺していたのだろう。おそらくさやかたちと疎遠になって一人で戦いだしてから、一人でも魔女を倒せると自信をつけてしまったのだ。

 だから油断した。

 自らのカッコいいところを見せ付けるために、なんの力もない一般人を魔女の結界最深部まで連れてきてしまった。

 私が魔女を倒すから大丈夫。そう思って、ほむらをこの場所まで(いざな)った。

 なにかが起こってからでは手遅れなのに、大事な存在になった人を死の淵へと立たせる行為をしてしまった。

 後悔しかない。

 

「そんなことありません! きっと巴さんならあの悪い魔女を倒せますよ!」

 

 無責任な言葉だ。

 なにも知らないからこそ出すことのできる言葉。

 守られるだけで、なにもできないからこそ言えるのだ。

 

 ほむら曰く、マミは魔女に勝てるという。

 そう考えられるのは当然の帰結である。

 これまでほむらはマミが魔女を倒すところだけしか見てこなかった。泥沼のように熾烈な戦いを見るわけでもなく、よくてちょっとした苦戦を強いられた程度の戦闘。ましてはマミが魔女に背を向けて逃げるなんて姿を見ていない。

 それはマミの頑張りがあったせいだ。

 後輩にいいところを見せようと、すまし顔を装って戦闘をこなしてきた。本当は辛かったはずなのに、マミはほむらにとっての理想像であり続けようとした。

 

 そんなマミの一面しか知らないほむらは無責任な言葉を押し付ける。

 防戦一方のこの状況。相手から攻撃を加えられるたびに魔力が消耗していくのだ。

 もはやマミから攻勢に出られるほど魔力は残っていない。

 ただただ耐えるしかなくて、命が絶えるのを刻々と待つばかり。

 絶体絶命のピンチ。まさに今直面している状況のことである。

 

 しかしやはり正義の味方(ヒーロー)は遅れてやってくる。

 どうにもならないほど悲惨な状況に飛び込んできて、マミたちを襲っていた使い魔を蹴散らす者がいた。

 

「なんでここに……」

 

 信じられないモノを見たようにマミの瞼が大きく開く。

 

「ヘへッ、危機一髪ってところだな」

 

 照れを誤魔化すように鼻を掻いてして赤の魔法少女はしゃべりかけてきた。

 

「わりぃーけど、魔女と戦えるほど魔力残ってないんだ。さっさとトンズラするぞ」

 

 杏子はすでに今日魔女と一戦を交えている。しかもここまで駆けつけるのに身体強化の魔法を使っていたので相当魔力を消費していた。

 ソウルジェムを使って回復すればいいと思うかもしれない。

 しかし一分一秒でさえ無駄にできない緊急事態の前では、魔力を回復するということでさえ無駄な時間だ。

 駆けつけたら全てが終わっていては、やりきれない。

 

 マミは久しぶりに顔を合わせた杏子に数度口をパクパクと開閉させなにかを言おうとするが上手く言葉が出てこない。

 やがて己の中で言うべき言葉が見つかったのか、決心した風な表情になって口を開いた。

 

「おねがい、佐倉さん。馬鹿な私の代わりにこの子を連れて逃げて」

「マミさんはどうするんだ?」

「私はここに残って、ふたりが結界から脱出するための時間を稼ぐわ」

「巴さん!?」

 

 マミが残って戦うことを宣言すると、杏子が来てから黙っていたほむらが声を荒げて心配そうな顔をした。

 さきほどまで無責任に勝てると思っていたはずなのに、いっしょに逃げられないと知るといてもたってもいられなくなったようだ。

 安心させるためにマミは初めて会った時のようにほむらを抱きしめる。

 

「大丈夫よ。なんの心配もない。お姉さんは強いんだから、暁美さんは結界の外で待ってて」

「でも……」

「少しの間だけだわ。ほんの少し頑張れば、あなたを結界の外に連れて行ってくれた佐倉さんがすぐ戻ってきてくれる。危ないことなんてなにもないわ」

「それなら私も魔法少女になって戦います!」

 

 ほむらは願う権利を有していた。

 キュゥべえから直々に魔法少女へ勧誘され、保留してきたどんな願いも叶えられる権利を。

 力を持たない少女の決意に、マミは首を振って答えた。

 

「それはいけないわ。魔法少女になることを目的にキュゥべえと契約したらきっとあとで後悔することになる。だから、そんなこと言わないで」

 

 マミはほむらを抱きしめていた腕を解き、置いてきぼりを食らっていた杏子に向き直る。

 

「大切な後輩なの。彼女のことをよろしくね」

「死ぬなよ」

「ええ」

 

 杏子がほむらを抱えて結界の外へと駆けていく。

 その姿を見送って、マミの頬に一筋の軌跡が走った。

 

「さようなら、私の可愛い後輩さんたち……」

 

 マミは今日ここで死ぬことだろう。

 魔力がほとんどない状態で時間稼ぎなどできるはずもない。

 それでも彼女たちの命を繋げることが、馬鹿な選択をし続けてきたマミなりの贖罪だった。


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