暁美ほむらに現身を。 作:深冬
第一話
――神は存在するか?
こう訊かれて果たして皆さんはどう回答するだろうか。
私ならば絶対に存在しないと答える。
なぜなら世界には悪というものが存在しているからだ。神が存在すれば、悪なんてものを見過ごすわけがない。全能だというのならば当り前に悪を罰するはずだ。
しかし現実に悪というものが存在しており、それだけで神の存在は否定されるべきである。
だが、私も一方的に否定する愚は犯したくない。だから神が存在していると仮定してみたい。
前提として悪というものが存在する限り、これは神が悪を阻止することができないか、悪を阻止しようと思わないかのどちらかを意味する。
もし前者であれば、神は全能ではないということになる。悪を罰することができない。そんな神が許されるであろうか?
また、もし後者であれば、神は慈悲深くないということになる。悪を罰することをしない。そんな神は必要だろうか?
いずれにしろ、そのような神を私は信じられない。むしろどうすれば神を信じられるというのだろうか。そんな方法があればご高説願いたいものである。
……と昔、幼いながらも無駄に屁理屈だった私は色々な人たちに問いかけてみたことがある。
大多数の人は、悪は神が人類に与えた試練だと言った。悪を乗り越えることで人は成長するとか云々。
私からしてみれば、そんな試練なんて望んでねーよ、としか思えない。なんで悪を乗り越えないと成長できないんだよ。もっと平穏で平和で安全な方法があっても良いじゃないか。その方がみんな幸せになれると思う。
そして少数の人は、神は人を見守ることしかできないとか、悪を含めて人間なんだとか、そんなことを言っていた。
もうここまで来ると、あーはいはい、としか思うことはない。
まあぶっちゃけ、神が存在するかなんてどうでも良かったし、他人はどんな風に考えているのかちょっと気になったから暇潰し感覚に訊いてみただけだ。
真剣に考える人や、テキトーに返してくれる人なんか居てそこそこ楽しめたことを憶えている。
「神の、ばっきゃろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
この場合の神は運命という単語に変換可能だ。とにかく今の私は神だとか運命だとかそんな単語がムカついてしょうがない。
一応、叫んで少々スッキリしたものの、未だ全てのムカムカが解消されたわけではない。
『その想いをぶちまける行為で君は何を得たんだい? 僕からしてみれば、ただ無駄なエネルギーを消費したようにしか見えないのだけれども』
「うっさいよ。私は私がしたいことを私なりに私の思う時にしているだけだ。そこに意味なんてないし、意味を作ろうとも思わない。もし仮に無駄なエネルギーを消費したんだとしても、それは私が好きでやった行為の延長線に発生したエネルギーであるからまったく問題ない」
それにムカついたからな、と内心付け足しておく。
『ということは、君は自らの欲望に忠実な人間のようだね。やりたいことをやりたい時にやりたいだけやる。そんな簡単なことを気軽にできなくなった人類の中で、君は少し特殊な存在なのかもしれないね』
「んなことはどうでも良いんだって。とにかく私はこの胸の中に粘りついていたムカつきを解消したかったからこうして叫んだ。ただそれだけ。だけど、私だって人間だ。時には空気だって読むことだってある。そこを勘違いしてもらっては困る」
『そうなのかい? 僕の存在を知覚して、驚きの表情を顔に出さない君には普通の人間と違うものを感じざるを得ないのだけど』
「別に驚いていないわけじゃないさ。私だって目の前にネコだかウサギだかわからんUMAらしき白い生物が現れて、しかもそいつが日本語でしゃべりかけてきたんだ。表情に出さないとしても内心驚いていても不思議ではないじゃないか」
くりくりとした宝石のような無機質な紅い瞳が私に向けられている。それだけでも恐怖の感情がドロドロと精神を汚染してくる。
だがそれでもそんな生物と普通に会話をしていられるのは、私が神を嫌っているからだ。
だから悪というものの存在を肯定できる。仮にこの生物が悪の権化だろうと私はその存在を肯定し、認める。そして今私がしているように割れモノのような自尊心で虚勢を張ることしかできない。
「それで私に何か用でもあるのかな?」
人の気配のない深夜の公園。そこで私はUMAっぽい白い生物に問いかける。
さきほどまで通報される恐怖に打ち勝ち公園で恥ずかしげもなく叫んだ私ではあるが、やはりこの生物は恐い。
得体のしれない恐怖感があるのだ。悪魔だの死神なんだのと言っても良いレベルの恐怖。そんな底知れない何かが白い生物から感じられた。
『用ってほどのことじゃないかな。むしろお願い? いや、この場合は提案と言ったところかな。僕から強制するつもりはないし、できたら君には僕の提案を聞いて欲しいな』
「それは構わない。別にこれと言って急ぎの用事があるわけでもないし、今ここであんたを無視してこの場を立ち去った時に何をされるかわからないからね」
例えば背後からパクリと私のことを丸呑みしたりとか。白い生物の体積から言っておよそ不可能と推測できるが、しかしそれでも得体のしれない生物なのだ。これぐらいの警戒心を持って対応してしかるべきである。
私だって死にたくはないのだ。誰だってそうだろう?
『何か勘違いをしているようだね。あくまで僕が君にするのはお願いだけだ。僕だって了承してくれれば嬉しいけど、拒否権だってちゃんと存在する。だから君が僕を恐れる必要なんて初めから存在しないんだよ』
だとしてもそれは口から発せられた言葉上のものかもしれない。
言葉は軽い。
認識を言葉に表したところで、必ず有言実行しなければならないわけではない。むしろ言葉を反故にする方が人間は多いのではないだろうか。
それは嘘というもので、総じて人間は嘘を吐く。
だから言葉は信じられない。……なんて言っていたら何事も停滞を余儀なくされるので、ある程度は信用しなければならない。
嫌だ嫌だ。人間社会は信用で回っているってことなんだよね。
仕方ないので、白い生物を信用することにして。
「で、私に対するお願いって何かな? どこにでもいるような小学六年生の少女であるところの私に? どこにでも居過ぎで飽和状態であるところの普通の生活を送っているようなそんな少女に?」
『ははっ、君は自分のことを過小評価し過ぎではないかい?』
過小評価ね……。
およそ人間社会では出る杭は逆に凹まされる勢いで打ち返されてしまう。人間、何事も平易が一番なのである。
難しいことをやれてしまう人間は一時持て囃されるかもしれないが、それでも結局は嫉妬とかその程度のいわゆる負の感情によって押し潰されることになる。
ああ、過剰な期待とかもこれに含まれるかもしれない。
期待とは酒や薬のようなもので、過剰摂取は控えなければならないと私は思っている。
『まあ自分自身の評価なんて己で決めるのが一番か。自業自得。こんな言葉があるくらいだし、それに越したことはないね』
成功も失敗も結局は自分の行為の結果である。
そこに他者の介入なんて、それほど在りはしない。
『さて本題に入ろう』
空気が、雰囲気が変わった。いや、変わったように私が錯覚しただけである。
白い生物はそれまでと変わらずくりくりとした紅い瞳で私をロックオンしている。
あくまでも錯覚。思い違い。勘違い。
結局はそれだけ。やはり私はこの白い生物を恐れているのだ。何を言い出すかわからない、そんな恐怖。
『僕が君にお願いしたいことは一つだけ。別に難しいことじゃない。だからと言って万人にできることかと問われればできないと答えるしかない。君だからそれはできることなんだ』
「私だから……?」
『そうさ。君だからお願いすることができる。自らを押し殺している君だから』
お願いは簡単だ、と白い生物。
『何でも良い。僕に願う、ただそれだけだ。金銀財宝だろうが不老不死だろうが、僕は何でも一つだけ君の願いを叶えてあげる。そしてその願いを対価に君は魔法少女へとその身を変質させる』
「魔法少女……? それに何でも願いを叶えるって、そんなおとぎ話みたいなこと本当にできるの?」
日常生活ではおよそ聞くことがない単語『魔法少女』に反応する。いや、私が小学六年生の少女ということを考えればアニメの話題になれば聞く可能性は多分にあるか。キュアキュア的な意味で。というかアレは魔法少女なのだろうか? その辺りの事情には疎い私である。
ただまあ、魔法少女については良いとしよう。だが願いを叶えるとは何だろうか。この猫と同じぐらいの体積の白い生物に果たしてそんなことは可能なのだろうか?
つい先ほど、丸呑みされるかもと思っていたその脳味噌でそんな疑問を浮かべる。
『まあそうだろうね。それが普通の反応だ。先ほどまでの僕の存在に対する驚きの無かった君の反応と比べてみれば至極普通の反応だ』
白い生物はキツネのような太い尻尾をひと振りして、
『そうさ、一つだけ僕がどんな願いでも叶えてあげるんだ』
その代わり、と白い生物は言葉を続け、
『願いを対価に、僕と契約して魔法少女となり魔女と戦う使命を負ってもらうことになる』
「……魔法少女ね」
悪と戦う正義の味方になれと言うことなのだろう。
魔法少女が正義の味方で、魔女が悪の権化。こんな感じの構図が脳内に浮かび上がってくる。
「――ってーことは、あんたが神か。自身では直接手を下すことはなく、欲望の肯定によって眷族を作り出し、悪を滅ぼすように命じる。やってることは物語の悪役のようだ。でも、だからこそ私はあんたが神に思えて仕方ない」
――神は存在するか?
うん、存在する。
冒頭のは存在するかなんてどうでも良い的発言なので、私は神の存在を否定しているわけじゃない。屁理屈だけどね。
だけれども、総じて神は役立たずとも思っていることも確かだ。
なぜなら私の中での神は観測者だからだ。
物語を観測する存在と表現すれば良いのだろうか。その理屈でいけば私と言う私の物語を観測する私は神であり、この世に存在する生命は全て神だ。
神は役立たずだ。だって、人類は悪を根絶できていないのだから。
まあこのような私の妄想は無視してもらっても構わない。つまり私がここで主張したいのは、この白い生物が人類を観測するものではないかという疑問が浮上したためだ。
人類と言う枠組みの外いる存在。すなわち神。白い生物の言動から邪推した。
『神、か。ふふっ、期待しているところ申し訳ないけど、僕は神じゃないよ。いや、もしかしたら人間からしてみれば神如き存在なもかもしれない。まあ僕からしてみればそんな些末な疑問はどうだっていいんだ。僕が君に問いたいのは初めから言っているように、君は何か僕に願いたいことはあるかってことさ』
「願いねぇ。そんなこと一度も考えてみたことなかったな」
なにせ無駄に大人びていたから。
早い段階から現実を知ってしまっていたから、夢や希望を持つことの愚かさを知っていた。
ああ、別に夢や希望を持つことを否定するわけではない。夢や希望なんかは、純粋に目標に向かっていく心さえ持ち合わせていれば無駄ではないのだ。夢が叶うかどうかは別として、失敗したとしてもそれは人間と言うものを構成する上で大切なものになるはずである。
ただ私が言っているのは現実を知った上で持った夢や希望は、ただそれだけで重石になる。現実を知っているからこそ、夢を追いかけることで負うマイナス面を見る羽目になる。それだったら端から現実だけを見続けている方が建設的ではないかと思っていたのだ。
しかし現実は小説より奇なり。
なんと私の目の前によくわからん白い生物がいる。しかもそいつは何でも一つだけ願いを叶えてくれるという。
奇跡や魔法があることを知った。
だったら私の願いと言うものを考えても良いのかもしれない。
「まだよくわかってないんだけどさ。願いって言うのは本当になんでもいいの?」
『ああ。だが君の想いの強さが奇跡の対価になることを憶えておいてもらいたい。想いの強さで叶えられる願いは変わってくる。だけどその辺りはあまり気にする必要はないと思うよ』
「想いが弱かったら願いは叶わないんじゃないの?」
『そうさ。だけどね、どんな願いでも一つだけ叶う権利が与えられた人間は無意識に一番強い欲望を吐き出すんだ。人間は理性的な生物だからね。貴重な権利を無駄にしたくないのさ』
ふーん、と頷きつつ考えてみる。
幼少期から周囲よりマセていた私。だからなのか願いと言うものが浮かんでこない。
やはり過去は過去でしかなく、奇跡を望む価値はないのだろうか。
だとすれば……。
「うん、そうだな」
『見つかったのかい? 君が心の底から望む奇跡を』
どれだけ考え込んでいたのかはわからない。というかそんな時間経過など気にしていない。私は結論を導き出した。
「まーね。色々と考えたけどこれしかない」
『そうかい、なら僕も言うとしよう――僕と契約して魔法少女になってよ!』
白い生物から発せられたそんな台詞に私は暫しフリーズすることになった。
やや動転気味に言葉を返す。
「い、いきないどうしたの……?」
『ごめん。僕にもよくわからないけど、言わなきゃいけない気がしてね。忘れてくれると助かるよ』
「うん、わかった」
仕切り直して。
『君は何を願う?』
「私は……意味が欲しい。人との出会いに意味を。くだらないと蔑んだこの世界を少しでも素敵なものにするために、人と人との出会いには意味があるって思いたい」
世界なんてどうでもいい。
そんなことを言ってしまうのは簡単だけれども、せっかく生まれてきたんだ。ならば少しでも意味ある人生にしたいと思うのは罪だろうか?
緊張が伝わったのか、白い生物が声をかけてくる。
『大丈夫。君の願いは間違いなく遂げられる。君は自分自身を信じればいいんだから』
「うん」
『さあ受け入れるといい』
胸のあたりがほわほわと暖かい。ひだまりの中で目を閉じているような感覚。そのほわほわとした暖かみが次第に外へと排出されていく。
『――それが君の運命だ』
気づけば私は胸の前に両手で覆うように卵のような丸みを帯びた形状をした青い宝石を手にしていた。
「これが、私の運命……」
呪ったこともあった。捨ててしまいたいと思ったことなど何度もあった。
だけれども、憎々しいことにいつだって運命は私の中に存在していた。
でも、今それは私の手の中にある。投げ捨ててしまうことも簡単だ。
「そうかこれが運命。ようやく……」
ようやく、私は運命を呪わずに生きることができるようになったんだ!
『嬉しそうだね。まあそれもそうか、願いが叶ったんだから』
「あ、そうだ。自己紹介がまだだった」
高揚感の中、そんな初歩的なことを忘れていたことに今さらながら気づく。
「私は美樹さやか。あんたは?」
『僕はキュウべえ。これからよろしくね』
「うん、よろしく」
体格の差で握手はできないが瞳と瞳を交差させる。
『ところでさやか。何で君は神を罵倒していたんだい? 仮にも神扱いされた僕には看過できないことなんだけど』
「ああ、何て言ったらいいんだろうなー。クラスの席替えで決まった席の場所が教卓のまん前だって言うかなんつーか。まあそんな理由だよ」
笑いたければ笑えばいい。
五分前までの私は神だとか運命だとか世界だとか、そんな存在に対して愚痴をブチまくことしかできないような小さな存在だったってことさ。