ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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16、新しい日々、置いていかれた少女

 

 

 迷彩服である。

 自分がこんなものを着るとは思ってなかったが、迷彩服である。

「に、似合わねえ」

 横須賀にある基地の中の独身寮の一室で、オレは姿見をで確認して項を垂れていた。

 そんなこんなで、今日からアラスカ条約機構・極東理事会所属・極東飛行試験IS分隊所属の二瀬野鷹だ。身分自体は空自にあるが、アラスカ条約機構の管理下で作られた新しい試験分隊であるらしい。

 軽く前髪を正して、支給品の編み上げブーツを履いて部屋から出る。

 IS学園の朝のような慌ただしさはない。あそこは尋常じゃない女の子の数だから、朝は戦場みたいに騒がしかったし。

 普通のアパートみたいな寮から外に出ると、本当にだだっ広い空間だった。

 ISショーのときにお世話になった米軍基地ぐらいの広さだけど、あちらほど建物がない。この寮と敷地を囲む金網の一角にある検問兼守衛室と、どうやら基地っぽい黒い建物だ。シャッターがついた格納庫と隣接している。

 金網の外まで視界を移せば、ほとんど何もない海辺の埋め立て地だった。

 ただもう一つだけ、海側にある巨大な桟橋のような建造物が気になった。長さが二キロぐらいありそうだ。

「……つか、ここどこ?」

 横須賀って聞いてたけど、どっちだ? 相模湾? 横須賀港? 場所もわからないまま到着したときは夜だったので、周囲を確認してる暇はなかった。そのまま荷ほどきしつつ、色々と作業して寝たから、いまいち状況が掴めていない。

 大きくため息を吐くと、降りてきたばかりのアパートの階段から誰かが降りてきた。

「おはようございマす」

「おはようございます」

 ちょっと変わったイントネーションの挨拶が聞こえてたので、反射的に挨拶を返しながら振り返ると、そこには赤毛の若い女性士官が立っていた。年の頃はオレと同じぐらいか?

「……ってあなた、誰?」

「いや、こっちのセリフなんですが……って眼帯? なんでシュバルツェ・ハーゼがいるんだ?」

 白い半袖のワイシャツを着た彼女は、胸元に兎の隊章を縫い付けていて、左目には黒い眼帯をつけていた。

「あれ、何で知ってるの?」

 可愛らしく小首を傾げる女の子の動作がどこか少女マンガ臭いのは、副隊長の影響か。

「そんな珍妙奇天烈な眼帯してるモノ好きな軍人は、黒兎隊しか知らん」

「そ、そう。チ、チンミョウ?」

「素敵なデザインですねと言ってるんだ」

「ま、まあ話がわかるじゃない。あなたがヨウ・フタセノ?」

「相手が部隊所属を明かすまで名乗るなって命令されてるんだ、悪いな」

 背中を向けてヒラヒラを手を振って、歩き出す。

 IS学園から離れていきなりコレかよ。

「ちょ、ちょっと待ってよ、何で階級が下のアンタに私が先に名乗るの?」

「特殊事情だ」

 これは岸原一佐に言われている話なので、本当のことである。

「わ、わかりました、名乗るから! あんた、一夏より扱いにくいわね!」

 文句を言いながらもビシっと姿勢を正して、敬礼をする。さすがクラリッサさんの部下だけあって、その姿はバッチリ決まっていた。

「ドイツから来たリア・エルメラインヒです。アラスカ条約機構の要請により、昨日から極東飛行試験IS分隊でお世話になっています」

「あっそ。じゃ、そういうことで」

 気合いを入れた自己紹介に対して申し訳ないが、オレは力の限りスルーして歩き出す。ドイツ人に関わりたい気分じゃねえ。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! アンタも名乗りなさいよ!」

「オレがドイツ人に名乗らなきゃいかん理由を教えてくれ」

「お、同じ部隊じゃない! 私はドイツから出向してきてるけど、階級は上だよ!?」

「ドイツ人のくせに?」

「なんなのよ、ドイツ人が何をしたっていうのよ!」

「ビールを暖めたり、豚の腸にミンチを詰めたり」

「何がいけないのよ!」

 つか、何でドイツ人がいるんだよ、こんなところに。日本だぞ。IS学園から離れてもコレだよ。超めんどくせえ。

 7月7日、つまり銀の福音事件はもう来週末だ。

 めんどくさいことに構ってる暇はない。

 後ろで何か色々叫んでるドイツ人はシカトして、オレはスタスタと歩き出した。

 

 

 

「二瀬野鷹です。よろしくお願いします」

 IS学園の寮と同じような、十人も座れば一杯のブリーフィングルームで挨拶をする。席には7人ほどの女性が座っていた。その中には赤髪のドイツ人やらピンク色の迷彩服やらもいた。……ピンク色? なぜピンク……。どこに隠れるつもりだ、渋谷か?

 軽い拍手を貰い、オレは頭を下げる。

 事前に受けた説明では、アラスカ条約と日本の取引により新設された、日本主体で各加盟国から人を受け入れて技術交流を行う分隊であるらしい。

 岸原一佐曰く、IS学園のせいだとも言っていた。第四世代やらを隠し持っていて、治外法権をいいことにコントロールが効かなくなってきていた。ゆえにより言うことを聞かせやすい試験部隊を新しく作りたいらしい。

 今は分隊だが、後々はアラスカ条約機構主体の、IS学園に対抗する試験部隊にまで大きくするそうだ。

 そういうことで、放流された男性IS操縦者の行き先にはピッタリだった、というわけだ。

 一人の女性がタブレットを片手に、オレの横に立つ。着崩したシャツの胸元にある階級章は少尉のようで、この場にいる中では一番高い。

「んじゃ昨日入ったリアともども、みんなヨロシク!」

 前面に出て女性をパンツスーツに白いワイシャツを着た、ヤンキーみたいな金髪の人が隊長らしい。ちなみに発音は夜露死苦! みたいな感じだった。

「んじゃ二瀬野クン、私が隊長の宇佐つくみだ。他のメンバーはまた紹介するよ。戻っていいぞー」

 中身もどうやら田舎のヤンキーみたいなお姉さんのようだ。オレは宇佐隊長に軽く会釈をして、リアの隣に戻った。

「さて、では本日の予定だが、カンナギは電子戦装備に関する調整、アズマ、グレイス両名はカンナギのサポート。悠美は新人2名に色々教えてやれ」

 部屋の前面に出て端末の情報を読み上げていく。

「出来たばかりで色々忙しいけど、まあテキトーによろしく。では解散」

 

 

 

「さすがメテオブレイカーだね」

 軽く上空を飛行したあと、着地してISを解除する。声を掛けられたので振り向くと、ISスーツの上にピンク色の迷彩服を羽織った隊員が、親しみの湧く笑顔を浮かべていた。どこにでもいそうな庶民派的な雰囲気なのに、顔立ちはすげえ可愛い。

 その大きな黒目がオレを覗きこんでくる。

「あ、自己紹介まだだったね。サラシキ・ユミよ。よろしくね」

「ど、どうも、えっと、サラシキ? サラシキってあの?」

「あれ、知ってるの?」

「あ、ええ、一応。更識ってIS学園の会長だし」

「あー。まあ一応分家なのよ、字は違うわ。沙良双樹の沙良に色で沙良色。本業とはあんまり関係ないから」

 ……IS学園を離れてもコレだよ。誰か監視してんの、オレのこと。

 と思ったが、冷静に考えて監視の目ぐらいはあるだろうな。

「あ、そっすか」

「え、なに超冷たい。何かダメだった?」

「てか、ピンクの迷彩服とかアリなんですか?」

「大丈夫! 私、アイドルだから!」

 と妙なことを言って、大きな胸を……大きな胸を張った。デカい。確かに超可愛いがアイドルって何だ?

「言われてみれば最近、ストライプスで見たことあるような」

 インフィニット・ストライプスはIS専門誌でパイロットに焦点を当てた半分アイドル紙みたいな作りだ。

「でしょでしょ。IS学園卒業してからだから、まだあんまり有名じゃないけど、これでもチャートとかに曲が載り始めたし、もうこれからって感じ!」

「……ってことは十九歳?」

「ん? 二十歳だけど」

 二十歳でアイドルか……低年齢化の進む業界に、いくらIS乗りだとはいえ打ち勝っていけるのだろうか……。

 そんなオレの考えを察知したのか、アイドルさんはプイっと顔を逸らし、横目でオレを睨みつける。

「は、二十歳で何が悪い! まだ若い子には負けないよ! これからなんだから! てか歌メインのアイドルなんだし! 当方はオバサンになっても歌う覚悟アリだから!」

 ぷんすかと頬を膨らませて怒りる姿も確かに愛らしい。

 その姿に誰かを幻視して、胸がズキリと痛む。振り払うようにため息を吐いた。

「で、アイドルさん、いかがでした?」

「うん、上手だと思うよ。加速し始めてからトップスピードまでが速い。方向転換のスピードもトップレベル。機体の特徴を良く掴んでる。キミ、弱いって聞いてたんだけど」

「弱いですよ。実際、まともに戦えないし」

「ふーん、IS学園だからかな。あそこ、織斑先生が入ってから接近戦思考に磨きがかかってるし。今の楯無もあんなのだし」

 確かに世界大会を制覇した超人が教員にいるのだ。生徒の志向も次第にそちらに向かっていくのかもしれない。練習機も打鉄で遠距離飛行もロクに出来ない機体だしな。

「生徒会長がどうかは知りませんが、弱いのは間違いないですよ。専用機持ちどころか汎用機にも負ける」

「打鉄相手にってこと? 戦闘機同士が殴り合ってどうすんのって感じだけどね、私は」

 悠美さんがヤレヤレと肩を竦める。

「でも、IS学園じゃそれが強くないと評価されないし、モンドグロッソでもそうでしょう?」

「まあそうだけど……じゃあキミ、聞くけど」

「はい?」

「キャノンボールファストでキミに勝てるヤツ、いるの?」

 キャノンボールファストは、IS学園で9月の終わりに開催される妨害ありのスピードレースである。まあオレが出ることはないが。

「……ま、ぶっちぎりでしょうね」

 オレのテンペスタ・ホークの巡航速度は、他のISの倍だ。いくら妨害をしようとしても、よほどのことがなければ他のヤツが勝てるわけがない。元々は最高速度はマッハを悠々と超える機体だ。後継機で第三世代のテンペスタⅡでさえ追いつけまい。

「大体、あの楯無もそうだけど、ちょっと接近戦に強いからって調子に乗り過ぎ」

 胸の下で腕を組んだのは、胸が大きいからデスカ。ポヨンと乗ってるぞチクショウ、目が吸い寄せられる。

「えらく楯無さんとやらに拘りますね」

「ふん、あんな女。ちょっと可愛くて何でも出来るからって調子に乗って!」

 どうにもこちらの沙良色さんは更識楯無に良い感情を持っていないようだ。まあ同世代のIS乗りとして、何かと比較されてきているのかもしれない。

 何でも出来る超人と、それに劣る才能という構図に対して憤るのは、意識せずとも親近感が湧く。

「ちょっと、私を無視しないでよ」

 視線を感じて、悠美さん(沙良色とは呼びたくない)の隣を見れば、眼帯をつけた赤毛の女がオレを睨んでいた。

「悪い、気付かなかった」

「ふん、一夏の友達って言うから話しかけてあげたってのに」

「頼んでねえよ」

 どうにも朝の件を根に持ってるらしい。ドイツ人ってのは後を引く性格してんのかな。

「まあまあリアちゃん。で、リアちゃんはどう思った?」

「……下手くそです」

 そう言ってプイっと顔を逸らす。

「あれ、そう? 私はそんなこと思わなかったけどなあ」

「ユミさんは目が悪いんですか? 着地するときの動きなんてPICに頼りっぱなしで、まともにクッション出来てませんでしたよ」

「PICあってのISだから良いんじゃない?」

「そういう細かいところが出来てないとダメです。少なくともウチの隊ではそうです」

 まあ確かにラウラは上手いしな。そういう細かい点を突かれてもオレは何も反論しない。事実だし。

「黒兎隊かー。クラリッサ・ハルフォーフぐらいしか知らないなあ」

「副隊長は名手ですからね」

 得意げな顔をしてリアが腕を組む。だが悠美さんは人差し指を口元に当てて小首を傾げ、

「それでもたぶん、隕石は落とせないと思うよ」

 と考えるように言った。

「い、隕石なんて滅多に落ちて来ないから良いんです!」

 少し慌てた風に早口でまくし立てるリアを見て、悠美さんは幼い子供を見守るかのように笑う。だがすぐ視線を落として、暗い顔になった。

「私、あの場にいたからね。あの無力感は今でも覚えてる」

「悠美さんは、メテオブレイカーに参加してたんですか?」

「うん、ここに来る直前だったけどね。……ご当主がいたから、すごく嫌だったけど」

「そういえば空自はIS学園の上級生と合同作戦でしたね」

「そうそう。で、私たちはあの巨大な物体がマッハ50で落ちて行くのを、何も出来ずに見送っちゃったわけ。それで、もうダメだーと思ったら、まさかIS学園の一年生が撃墜したって言うじゃない」

「まあ、運が良かっただけですけど。それに悠美さんたちが頑張ってくれたおかげで、オレは最後の一押しだけでしたよ」

「そう謙遜しなくていいよって。私、最初は噂の織斑なんとか君かと思ってたんだ。でも違った。データ見たよ。キミはすごいんだから、もっと自信を持った方がいいかなっ?」

 そう言ってオレの額を突いてからウインクをする。いちいち可愛いな動作をする人だな。

 実際にオレが凄いなら、IS学園を出てここにいたりはしないんだけど、まあ、あまり卑屈になって否定するのも悪いか。

「そう言ってもらえると、頑張った甲斐があります。ありがとうございます」

「うん、素直でよろしー! 褒めてつかわすぞっ!」

 得意げに胸を……そう胸を張る横で貧乳が不満げな顔つきをしていた。まあムシだ無視。

「で、悠美さんの機体は?」

「これこれ」

 そう言って、自分の首ある黒いチョーカーを指さす。

「はれ、専用機?」

「そうだよ、打鉄・推進翼カスタム。倉持の打鉄に四十院の翼をつけた純日本製ハイブリッド仕様。それじゃ飛んでみよー!」

 悠美さんは降ろしていた長い茶髪をピンク色のヘアクリップでまとめ、小さく深呼吸をする。ホント胸でけぇな。顔も可愛いし。

「ん? どうしたの、見惚れちゃった?」

「う、うっす」

 からかうような冗談っぽい言い草だったのに、思わず生返事で返してしまう。

「この、正直者め!」

 そう言ってオレの頬を指でグリグリとつつく。そう言いながらも本人の顔が少し紅潮しているのは、褒められ慣れてないからだろうか。無理やりお姉さんぶってるというか、そういう感じが余計に可愛らしく感じる。ホントにアイドルしてんの、この人。

「じゃ、私に合わせて飛んでみて」

 そう言って、彼女のISが展開される。

 日本甲冑のような機体から肩部装甲が外され、スカート装甲も短くなっている。背中には二関節式の鳥の羽根のような推進翼がついていた。色は純白にピンクのラインが入っている。

 ……うーん、確かにこうやって見ると、アレだな。

「アイドルの衣装みたいッスね」

「でしょー? 結構可愛いと思ってるんだー」

 嬉しそうにISの両手でVの字を作る。面白い人だ。

 専用機持ちってことは、たぶん代表候補なんだろうけど。しかしこんな可愛い人がそこまで表に出てきてないってのは、不思議な話な気がする。アイドルしてるって言うなら、尚更疑問に思ってしまう。

「じゃ、いーくよっ」

 まるで兎のようにぴょんと飛び上がって、推進翼に点火し急上昇していく。思ったより各部動作と加速が速い。もう小さな点になっていた。

 すぐにISを展開して真っ直ぐ追いかける。そのまま少し後ろを飛ぶ形でランデヴーを開始した。

 ……いいケツしてますね。スカート装甲がIS学園仕様より短いので、後ろにつくと丸見えです。

 とは言えずに無言で後ろからついて飛びまわっていた。

 

 

 

 

 夜になり、自室でキーボードを叩いていた。

 新しい住処は普通のアパートの1DKのような作りで、生活に必要な家具なんかは初めから揃っている。

 しかし、晩飯がまずかった。IS学園の食堂に馴らされていたせいだろうか、インスタントのカレーがあんなに不味いとは思わなかった。食事は士気に関わるってのはホントだな。安い油が胃に残ってるようで、腹が重い。

 メガネを置いて、目を閉じる。寮の一階で買った缶コーヒーに口をつけ、大きなため息を吐いた。

 ウダウダやってる暇はない。何か手を考えなければいけないんだ。

 まずは地理の確認。この基地の位置的には、IS学園が合宿を行う場所からそう遠くはない。オレのテンペスタ・ホークならひとっ飛びだ。ただ、残念ながら一瞬というわけにもいかない。

 さらに言えば、音速を超えると衝撃波をまき散らす。低空飛行をする場合、船舶の航路なんかを考慮しなければ、転覆してしまう可能性だってある。理想は上空まで舞い上がってからの、高高度からの落下だ。それこそ流れ星のように落ちてくるのが理想だろう。

 ただ、上下に飛ぶというのは、それだけ距離が延びるってことだ。時間は算出しなければならないし、エネルギーの減りだって変わる。

 重力に逆らって飛ぶってのは、意外に骨だ。慣性をカットできるISとは言え、推進翼で加速しているときはその恩恵を得るわけにもいかない。

 可能な限り近くまで行けると良いんだけど、オレに外出の自由がないのが痛手だ。

 ……そういやあれ、マスドライバーか?

 朝にだだっぴろい基地の端っこに桟橋みたいな建造物があった。明日、誰かに聞いてみよう。あれがIS用マスドライバーだったなら、加速時にエネルギーを使わなくても良い。

 次に日時。

 7月7日。確か箒の誕生日に事件が起きるはず。

 この知識だけがオレの武器だ。

 最大の課題は、暴走するシルバリオ・ゴスペルを止めなければならない。それも可能な限り無傷で。

 専用機5機でも落とせない機体を、その全てに劣るオレがやる。無謀ってレベルじゃねえ。

 ただ、これに成功しても、シルバリオ・ゴスペルという機体の維持が確定しないのだ。記憶を遡れば、確か機体は封印されてしまうはずだ。

 そして、IS学園の専用機持ちたちに任せると、確実にナターシャさんが悲しむ結果になる。

 何か手を考えなければならないが、簡単に思いつくわけがない。

 ……そういや詳しそうなヤツがここにいたな。

 メガネをかけ携帯電話とカギを持って立ち上がると、オレは部屋から出た。

 ここはごく普通の三階建てアパートのような作りの寮で、一番上の奥がオレの部屋だ。そして、その隣がリア・エルメラインヒの部屋だ。表札が出ているから、間違いようがない。手書きの平仮名だけど、自分で書いたのか。ドイツ語も一応併記してあるけど。

 ドアのインターホンを鳴らして数秒間待つ。部屋の中でバタバタとした音がして、インターホンのスピーカーにスイッチが入った。

『はい』

「二瀬野だけど、ちょっと時間くれないか?」

『もう寝るんだけど。時差ボケできつい』

 不機嫌な様子で声が返ってくるが、そんなの気にしてる場合じゃない。

「ホンの少しだけだ。頼む」

『明日じゃダメなの?』

「頼む」

 もう一回だけ短くはっきりとした発音で念を押すと、スピーカーの向こうでドイツ語っぽい会話が聞こえた。それからゆっくりとドアが開く。首だけ出して、オレに問いかけてきた。

「何よ」

 眼帯をしてない青い両目は不機嫌そのものだ。

「ちょっと技術的質問があるんだ」

「……明日じゃダメなの?」

「早い方が良い」

「ったく、何なの日本の男は。電話も出ないし!」

 怒りの言葉と共に、勢い良くドアが大きく開いた。昼間のかっちりとした軍服と違い、今はゆったりとしたTシャツとホットパンツ姿だ。

「ここじゃ何だから、オレの部屋で良いか?」

 周囲を見回してから尋ねると、リアの頬が赤く染まって、少し慌てたような表情になる。

「な、なんなの、いきなり自分の部屋に誘うとか。……日本の男は奥手だって聞いてたんだけど……」

「アホか。一夏の女に興味ねえよ。あまり他人に聞かれたくねえ話なんだ」

 何なんだコイツは。オレってそんな節操なしに見えるのか。……まあ、そう見えるから困るんだけどな、オレの顔って。

「だからって男の部屋に行く気はしないんだけど」

「ドアの側にいればいい。オレは中にいる。そうすりゃいつでも逃げれるだろ」

「……立ち話じゃダメなの?」

「人に聞かれちゃまずいってほどじゃないけどな」

「じゃあここでお願い」

「わかった」

 ここは折れることにしよう。

 ホントは入ったばかりの部隊で、妙な動きをしたくはなかったんだけどな。廊下で会話してれば、同じ階にいる隊員にも聞かれるかもしれない。

 それを聞かれて即座にどうなるってわけじゃないが、怪しまれたりするよりはよっぽど良い。

 つっても、最優先事項は、コイツの参考意見を聞くことだ。

「ISをハックすることって出来るか?」

「はぁ?」

 オレの質問にリアが目を丸くする。

「そうだな。例えば、搭乗しているパイロットを強制的に眠らせ、自動状態で動かしてISの判断能力を奪い、周囲を全て敵に見せかけるような暴走とか」

「な、何を言ってるのよ貴方。そんなの出来るわけないじゃない。そもそもISの判断能力って何よ」

「そうだな、無人機なんて物を作れたりすると思うか?」

 オレの問いかけに、リアの顔が一瞬で強張る。その後、急に腰を落としてオレに対して警戒するような体勢を取った。

「あなた……何者?」

「オレは只者だ」

 即答してしまったが、ホントに只者だから何も出来なくて困ってる。

「どうしてそれを知ってるの?」

「それ?」

「……知らないのね?」

「何の話かすらわからん。ただの可能性の話を、技術的に可能かどうかだけ、聞きたいんだ」

 とぼけたように肩を竦めてため息を吐くが、リアは警戒を緩めない。そのままオレを観察するように下から上へと睨みつけるような視線を動かしていた。

 しかし無人機という単語を出した途端に、急に態度を固くしたな。こいつは無人機を知ってるのか?

「日本に誘われたと思ったら、その辺りを聞きたかったのかな、アラスカは」

 前髪をかきあげながら、リアが小さなため息を吐いた。本当に呆れたような感じだったが、何に呆れたかはわからない。

「……何の話かわからん。お前が何を考えてるは知らないけど、オレは専用機持ちだぞ。お前を取り抑えたいなら、さっさとやってる」

「それは、そうだけど」

「答えられる範囲で教えてくれ。まず有人状態で、搭乗者の意識と関係なく動かすことは可能か不可能か」

「……不可能、と言いたいところだけど」

 呟くように言ってから、ようやく普通の体勢に戻って腕を組んだ。

「不可能じゃないのか」

「まず搭乗者を強制的に眠らせる。これは絶対防御の発動とかね」

「ふむ……まあ確かにあのときは意識がないな」

「そして、ISコアをネットワークから切断させる」

「切断? 可能なのか?」

「出来ないわよ。出来たら、ということね」

「でもなんでコアネットを切断する必要があるんだ?」

「簡単よ。467のコアは常時繋がっていて独自のネットワークを形成している。繋がってるってことは認識してるってことだから、周囲の状態ぐらいは把握可能だわ」

「……なるほどな。コアネットの切断ってのが実は重要なことなのか」

「でも、その方法が分からない限りは無理よ。そして切断できないから、ある意味平和なのかもしれないわ」

 そうか、無人機はコアネット上に存在しないがゆえに無人機なのか。

 オレが考え込んでいると、リアの部屋のさらに向こう側のドアが開いた。

「宇佐隊長」

 そこは宇佐つくみ隊長の部屋だったようだ。ダラッとしたスウェットとヨレヨレのTシャツを着た、田舎ヤンキーのような人である。

「面白い話をしているな、キミらは。特に二瀬野、四十院所長がキミは誰よりも特別だって言ってたわけはソレか」

「聞いてたんですか」

「便秘気味でね」

 スウェットの腰を正しながら言う隊長に、オレとリアは思わず目を合わせて苦笑いをしてしまう。つまりドアの近くにあるトイレに籠ってたってことか。豪快っつーか下品つうか。見た目通りの人だな、この人。

「隊長は何か知ってるんですか?」

「さあ。私はただの公務員だしなぁ。ただ四十院所長からはよくよく仰せつかってるわけさ。で、何の話だ? 無人機か」

 その言葉にオレたち若年組がビクっとする。その態度を見て小さく鼻で笑ったあと、

「ま、私の部屋に来てみな」

 と手招きをした。

 再び目を合わせたあと、結局二人とも隊長の部屋にお邪魔することにした。

 

 

 

「ま、ゆるりとしていきな」

 電子タバコを口に加え、メンソールの水煙を吐き出す隊長は、まさにヤンキーだった。あと化粧を落としてるせいで眉毛が薄くて、ホントに田舎の不良にしか見えん。

「無人機の話、隊長はご存じなんですか?」

 おそるおそる畳の上に腰を下ろしたリアが、小さなちゃぶ台の反対側に座る隊長に尋ねる。

 オレが座る場所が見当たらず、仕方なしにクローゼットの扉にもたれかかって、腕を組んだ。

「ん、まあな。フランスの件は伝わっている。二瀬野、専用機持ちにそんな格好されると落ち着かん。座れ」

「いや、どこに座れっつーんですか。すげえ汚いし」

 オレと同じ1DKであるはずの隊長の部屋は、足の踏み場がないぐらい雑誌と端末と書類が積まれていた。隊長とリアがいる場所以外に座れる場所は、もうベッドぐらいしかない。そのベッドも脱ぎ散らかした服やら下着やらで一杯だった。

「女に向かって部屋が汚いとは何だ汚いとは。これでも整理してる方だぞ。何せさっきまで寝る場所がなかった」

「あ、そうですか……。ま、ここで勘弁してください」

「ふん、覚えておけよガキんちょ」

「ヘーイ」

「ともかく、昨日から忙しくて大して話す暇がなくて悪かったな。どう、不便はねえか?」

 まるで子分に尋ねる番長のような態度で、宇佐隊長がオレたちに尋ねる。リアがどこか不安げにオレを見上げたので、小さく頷き返してやると、隊長の方に向き直った。

「いえ、今のところは大丈夫です」

「メシは?」

「沙良色曹長からレーションをいただきました」

 そんなもの食ってたのか。いや不味くはねえだろうけどさ。

「おい二瀬野」

「はい?」

「お前は異国から来た不安げな女を、メシに誘うぐらいの甲斐性はねえのか」

「……いや、オレも今日、到着したばっかりなんですが。あとコンビニとか敷地内にありませんし、自分には外出の自由はありません」

「そこを何とかするのが男だろうが」

「無茶苦茶言わないでくださいよ」

 何で怒られてるんだよ……。不安なのはこっちだっての。

「ふむ……そうだな。二瀬野、お前はリアと二人の場合のみ、半径10キロの外出を許可する。コンビニとスーパーと牛丼屋ぐらいはあるぞ。あとアタシが着てる服ぐらいも売ってる」

 それって某薄利多売の安売り衣料品店ですよね、田舎ヤンキー御用達の。

「いえ、結構です。出る気ありませんし」

「お前がなくともリアが困るだろうが。専用機持ちなんだ。それぐらいの気合いを見せろ」

「何を理不尽な……」

 さすが軍隊とでも思えば良いんだろうか。まあ確かに今までの女子校生活とは違う。

「責任は取りませんよ?」

「安心しろ、私も取らねえ。あと周囲20キロは、許可証がなければ立ち入りが出来ない区域だ。地元住民と関係者しかいねえ」

 そこまで言われたなら、オレも表向きは了承せざるを得ない。ま、実際に出かけなきゃ良いだけだしな。

「了解しました。リアが希望すれば」

「お前は明日、昼からセラピーだろ。明日の午前中は休みをやる。リアと二人で必要なモノを買ってこい。これはお願いじゃねえぞ」

 しかしオレの思惑はすぐに看破されてしまったのか、命令の形で言い渡されてしまう。

 ちなみにセラピーというのは思想チェックのことだ。例の一件があるせいか、すんげえ気が重い。

 件のドイツ人をチラっと見ると、向こうもオレを見ていたせいか、目が合った。なんでIS学園を出てまで一夏の女を面倒みなきゃいかんのだ、とは思うものの、命令なら仕方ない。

「了解しました。明朝、リアを連れて買い物に出かけます」

「よろしい。で、無人機だっけ」

 ボリボリとケツをかきながら、隊長がオレたちに質問を放り投げてきた。その態度に思わずオレもリアも苦笑いを浮かべてしまう。

「宇佐隊長は無人機をご存じなのですか?」

「フランスの件だろう。もちろん聞いてるさ。私はアラスカ直轄の士官だぞ。回収された機体だって見ている。無人機について知りたいんだったな」

「いえ、私が知りたいわけじゃありませんけど……」

 赤髪のドイツ人がチラリとオレを見上げる。

「オレが技術的興味を持ってリアに尋ねたんです。フランスの件ってのは何ですか?」

「フランスの欧州統合軍次期採用機のコンペ会場が、その無人機に襲われたんだよ。会場の施設もハッキングされて。ちょうどそこに居合わせた黒兎隊の活躍で事なきを得たがな。そうだろ、リア」

「は、はい」

「そこで回収された機体には人は乗っていなかった。これはアラスカ条約理事国の全てが知っている。そして、ドイツが事前に何らかの情報を掴んでいたこともな」

 そう言って、電子タバコを持つ手で隊長がリアを指差した。指摘された黒兎隊員が顔を強張らせる。

「……決して事前に襲撃を知っていたわけではありませんが」

「ドイツもそう言ってたよ。ただ肝心なところは濁す代わりに、極東理事会主催の部隊に人員を貸し出す密約が交わされたというわけだ。状況は理解したかい?」

 隊長がニヤリと得意げに笑う。

 話を総合すると、フランスのコンペ会場が無人機に襲われて、黒兎隊が主体になって撃退した。ただ、その手際の良さから関与が疑われたので、リアを期間限定で差し出してきたってことか。

 おそらくこれは『本来の話』での、クラス代表マッチに乱入してきた無人機の代わりか? 何の目的があって篠ノ之束がそんなことをやったんだ?

「状況は理解しているつもりです。ただ、私もそこまで詳しくはありません」

「オッケー、それで良い。こっちも無理強いをするつもりはない。ただ優秀な人材が来てくれたのは大変ありがたいってことさ。織斑教官殿には感謝だ」

 最後に気さくな上司らしい笑みを浮かべ、隊長がオレたちに激励をくれた。

 部隊のことが聞けたのは良いが、それが本題じゃない。

「隊長、例えばですが」

「おお、本題からズレてたな。わりぃわりぃ。無人機をどうしたいんだ?」

「無人機を止めることは可能でしょうか?」

「可能だろ、強制的に落とせば良いんだし、中に人はいないんだ。実際に黒兎隊がやってるんだしな」

「いえ、そうではなくて……」

 はっきり言っても良いものだろうか。オレがISに乗れなくなる可能性だってある。

「どした?」

「……はっきり言います」

 とりあえず、七月七日までが勝負だ。そっから先のことは、なるようになればいい。どのみち不穏な発言ならIS学園に残してきたんだ。今さら気にすることか。

 一つ咳払いしてから、隊長の顔を見つめる。

「非常に強力な軍用ISが有人状態、もしくは無人状態で暴走した場合、対処する方法はあるでしょうか?」

「ん? 意味わからん前提だな。なぜそんなことを聞く?」

「その可能性があるからです」

「その根拠は?」

「秘密です」

「秘密? 二瀬野ちゃん、舐めてる?」

 宇佐隊長が楽しそうな表情で問いかけてくるが、目が全く笑ってない。

「いえ、至って真剣です」

 念押しのように、姿勢を正して問い直した。

 化粧の落ちた細い目で睨む隊長とオレの間を、リアの視線がウロウロとしていた。どうやら戸惑っているようだ。意外に良いヤツなのかもしれないな、こいつ。

「……未来人ねえ」

「何の話でしょうか?」

「いや、聞いた話だ。お前、未来人なんだって?」

 含み笑いを嫌らしく立てて、オレを小馬鹿にしたようなセリフを吐く。

 すでにIS学園での出来事を知っているらしい。もちろん相手は冗談だと思っているようだ。

「あの隊長」

「ん、どうしたリア」

「とりあえず技術的な可能性だけでも、教えてあげるわけには行きませんか?」

 おずおずとリアが手を上げて、隊長に恐る恐る提案をした。

 その様子に小首を傾げるように考えたあと、キツネのような隊長が小さく鼻で笑った。

「ま、いいだろう。おそらく可能だ」

「可能?」

「汎用電子戦装備ってのがある。IS同士が接続できるのは知っているか?」

「エネルギーバイパスの話でしょうか?」

 IS同士でエネルギーを受け渡し出来る、特殊な通信方法がある。ただ、接続は非常に困難なチューニングを行う必要があり、センスを要求されるって話だ。

「それもあるが、IS同士じゃなくても、メンテなんかで普通の端末を繋げることが可能だろ?」

「そうですね、そうじゃないとコアの状態やら機体情報がわかりませんから」

「それをISで肩代わりするんだよ。わかるか?」

「は? いや、まあ理屈はわかりますけど……」

 確かにISの組み立てから起動やある程度の命令なんかは、専用の機材をISに繋いで行う。

「ISをチェックする機械の代用品に、数が限られてるISを使うなんてのは、バカげてるよな。だが敢えてそれを行うんだ」

「えっと、メリットは何でしょう?」

「IS同士のハッキングさ。ISコアの処理能力は、現状のどの演算処理装置よりも速い。巨大なスーパーコンピュータみたいなもんだ」

「それを可能にするインターフェースが電子戦装備ですか?」

「そういうことだ。まあ、まだ研究中なんだがな。うちの部隊での課題の一つさ」

 電子タバコを大きく吹かしてから、オレを指さして隊長が得意げに言った。

 そういえば朝のブリーフィングで電子戦装備がどうのとか言ってたな。

 少し光明が見えてきた気がする。

「それで、その装備は完成してるんですか?」

「半分ってところだ。残りが異常に難しい」

「半分?」

「IS自体に簡単な命令を送るのは、専用機材でやれてたことだからな。それをパッケージ化してISにインストールしてやればいい」

「確かにその通りですね。あ、半分ってのは」

「そう、どうやってIS同士を繋ぐのかってのが、技術的問題さ。暴れまわるISに直接ケーブルを接続して、電子戦を仕掛けるなんてのは、無茶にも程がある。コアネットワークを使ってやれたら良いんだが、あのネットワーク自体がよくわからん代物だ。走ってるプロトコルすらわからん。もちろんIS側のセキュリティだって生半可な物じゃない。つまりは、理論上は可能で半分は完成してるが、何らかのブレイクスルーを待っている状態なのさ」

 つまり、現状では手がない、と研究してる部隊の隊長に言われたわけだ。

「……ありがとうございました」

「おう。また何かあったら聞きたまえよ少年」

 何か違う手を考えなきゃダメだな。

「明日、リアとの買い物を忘れるなよ」

 肩を落としてドアノブを掴んだときに、背中から声をかけられる。

「了解です、覚えてますよ」

 後ろ手で手を振って答え、オレはドアを開けて出て行った。

 

 

 

 翌日の朝になり、寮の外で軽いランニングと木刀の素振りを終えて、自室に戻ろうとしていた。

 今の時刻は七時だ。いつのまにかIS学園でのスケジュールと同じ時間に目が覚めていたので、同じように行動したというわけだ。

 夏の朝ゆえに、日はすでに高い。寮の入り口にあった自販機で飲み物を買って水分を補給し、階段を上って廊下を進む。

 ドアノブを握った瞬間に、隣の部屋のドアが開く。赤毛の女の子が大あくびをしながら出てきた。

「あ」

 口を開けたままオレに気付いたのが恥ずかしかったようで、ちょっとばつが悪そうに頬を染めて頭を垂れた。

「おっす」

「グーテ……おはよう」

 思わずドイツ語で挨拶しようとしたんだろうか、ちょっと寝ぐせの残っているリアが慌てて日本語で言い直した。

「昨日はありがとな。助かった」

「あ、うん。なら良かった。飲み物、ここに売ってる?」

「一階の自販機があるだろ。小銭か日本で使えるICマネーあるか?」

「あ、いくらか日本円に両替してるから、大丈夫」

「なら良かった。宇佐隊長に命令された買い物の件、九時半出発でいいよな?」

「了解。結構時間あるわね」

「その間に足を探しとくよ」

「アシ?」

「移動手段ってこと。この暑さで歩きたくないだろ?」

「あ、うん。そうね、了解。またね」

 しどろもどろな感じで返答していくリアは、まだ意識が通常駆動になっていないのか、目がちゃんと開いてない。小さく欠伸を繰り返しながら、下の階へ向かおうと歩き出した。

 ふーむ、これは予想外の事態だな。

「リア・エルメラインヒ」

「あ、え、何?」

「昨日の夜は暑かったな」

「そうね。ちょっと日本を舐めてたかも。時差ボケのせいもあって、何度も起きちゃった」

「……ま、だったら寝ぼけて下着姿のまま出てくるってのもわかるか」

「へ?」

「また後ほど」

 短く告げて、オレは自室のドアを閉めた。

 あまりの暑さのせいで寝ボケてて、下がパンツ丸出しになってしまったんだろう。気付かずに起きて、喉が渇いてたので、そのまま飲み物を探して部屋から出たと。

 オレが部屋に上がってTシャツを脱いだぐらいに、ようやく廊下からつんざくような悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

「ったく、早く言いなさいよ! てかジロジロ見るなんて!」

「ジロジロは見てないだろ。つか極めて冷静に対処したぞ、オレは」

「それはそれで、何か腹立つわね! うちの弟みたいなこと言って!」

 自転車の後部座席でオレの背中の肉を抓る。あまりの痛みにフラフラとハンドルが揺れた。

「いてぇ! おい倒れるだろうが!」

「ふんだ!」

 買い物に行けという隊長命令のせいで、午前中からサイクリングである。

 なにせオレこと二瀬野鷹は15歳なので免許がない。リアも本国ならいざ知らず日本では同様で、結局のところ荷台のあるチャリンコにクッションを縛り付け、即席の後部座席にリアを乗せることになってしまった。この辺りは軍関係者か地元住民しかいないので、二人乗りで捕まることはないだろうとのことだ。

 おかげで出発10分で汗だくである。埋め立て地のせいか厳しい坂道がないのが救いだ。

「とりあえず服ね。日本の蒸し暑さを舐めてたわ」

「そうだな。涼しい寝巻き買わなきゃな」

「さっさと忘れてよ、このバカ!」

「殴るな! いてぇ!」

 またフラフラと曲がる自転車のバランスを立て直し、足に力を入れる。

 しかし、自転車に乗るのなんて、すげえ久しぶりだ。最近はほとんどの移動が車か徒歩だった。公共交通機関すら乗ってないぞオレ。

「ねえ、隊長とか元気してた?」

 背中から質問が飛んでくる。声色が少し暗いのは気のせいか。

 隊長って言うのは、うちの宇佐隊長ではなく、ラウラのことだな。

「まあ元気なんじゃねえの」

「ふーん、なら良いんだけど」

「会ってねえの?」

「一昨日に来たばっかりだし、まだ連絡取れてない。日本に来たことは知ってるはずだよ、二人とも」

 二人ってのは、ラウラと一夏の二人だろう。

 海岸線の道で、目的地目指してペダルを漕ぐ。二人して口を噤めば、潮騒の音が耳にうるさい。

「やっぱ一夏のことが好きなわけ?」

「なっ!? いきなり何言うのよ!」

「いや、オレの周りは大体の女の子がそうだったからな」

 小学校の頃からモテまくりだった男だ。今は余計に酷くなってる。あれはもう何かの吸引装置なのだろうか。

「……ねえ」

「ん?」

「やっぱり一夏って日本でも女の子に人気あるの?」

「わかってるだろ?」

「……そっか」

「まあ気にすんな。本人はあの通りの唐変木だ。そうそう誰かとくっつきはしないぞ」

「トウヘンボク?」

「致命的に男女の機微に鈍いってことだ」

 背中に座るリアが我慢しきれずに笑いを吹き出した後、小さく肩を揺らし続けていた。致命的というのは、いつか死に至るんじゃないかという意味で的確な表現だと、我ながら思う。

「さすが友達ね」

「おう。付き合いは長いからな」

 いきさつはどうあれ、織斑一夏は二瀬野鷹の友達である。オレが勝手に思ってるだけかもしれないが、この事実は変わらないだろ。

「隊長とはどうだった?」

「仲は良かったぞ。ただ、やっぱ上官と部下って感じのときが多い」

「うーん、あんまり進展してないのかな。シャルロットとは?」

「シャルロットとは、仲の良い友達って感じだな。特に男女間の何かがあるわけじゃないと思う」

「……そっかぁ」

 ちょっと安心したような声が聞こえてくる。

「そうだ。まだチャンスありだ」

「も、もう! 私は隊長を応援してるの!」

「へいへい、あーそうですか」

 恋する乙女は大変ですなーと思いながらペダルを漕ぐ。何も考えないよう、何も思いつかないよう、足の回転だけに意識を向ける。

「……そう、応援してるんだから」

 同じセリフをもう一度、オレにさえ聞こえないぐらい小さく呟いてから、リアはオレの背中に額を当ててきた。人は誰かに寄りかかりたい気分のときがあるからな。

 オレはリア・エルメラインヒという少女を知らない。

 たぶん年齢はオレより一つ二つ上だと思う。ISパイロットをしているというなら、かなり優秀な人材のはずだ。そして同じ部隊の後輩である一夏は、ドイツで彼女に世話になってはいたんだろう。

 だが、この二瀬野鷹がリア・エルメラインヒを『知らない』ということなら、それは一夏の周りには存在することが許されなかったということだ。

 事実、一夏と一緒にIS学園へと行ったのはラウラであり、彼女ではない。

「風」

「なに?」

「気持ち良いな、潮風」

「そう?」

「ああ。朝より涼しいくらいだ」

「……そうだね」

 ドイツから来た女の子を後ろに乗せて、海沿いの道を自転車で走って行く。

 IS学園を出ても色々あるし、考えなきゃいけないことだって沢山ある。

 だけど今はまあ、後ろにいる女の子の服を買いに行くことに集中して、ペダルを漕ぎ続けるしか出来ない。

 

 

 

 

「大きく息を吸って、吐いてください」

 医者の指示に従って、オレは大きく深呼吸をする。

 リアと買い物に行った後、二人は宇佐隊長の付き添いの元、自衛隊病院での健康診断に来ていた。

 外国人のリアと違い、オレだけは思想チェックもあるので少し待たせる形になるが、意外にもリアは嫌な顔せずに了承してくれた。

 しかし思想チェックか。あの話が妙な風に広まってないと良いんだけどな……。

 薄い青色の検査衣に着替えさせられ、フルフェイスのヘルメットみたいな機械を被せられ、診察台の上に寝かされている。IS学園の頃だと、映画を見て感想を書いたりぐらいだったんだが、外に出ると思想チェックの内容も変わるんだろうか。逆行催眠とかではありませんように。

「ゆっくり、目を閉じて、眠るように息を整えてください」

 辛うじて口と鼻の穴だけ開いている仕様なので、医者の声以外は何も聞こえず視界は真っ暗で、自由なのは呼吸と喋ることぐらいだ。

「では自分の名前を」

「フタセノ・ヨウ」

「年齢は?」

「十五」

 淡々と喋る女の声に返答をしていく。

 その後も、親の名前やら生年月日やら卒業した学校やら現在の所属やら、簡単な質問が続いていく。

「好きな食べ物は」

「硬くないもの」

 考える必要すらない質問ばかりで、気もそぞろになっていた。気分が不思議なくらい落ち着いていて、答えを自分で考えている気がしない。

「昨日食べたものは」

「カレー」

 すでに百ぐらいの問いに回答しただろうか。いや、もっと少ないような、多いような気もする。

「次に好きな小説を三つ上げてください」

「インフィニット・ストラトスしか知らない」

 めんどくさいな、早く終わらないかな。

「では、好きなマンガを三つ上げてください」

「インフィニット・ストラトスしか知らない」

 帰って調べなきゃいけないことが沢山ある。何か手がないか、また考え直さないと。

「次に、好きなテレビ番組は」

「インフィニット・ストラトスしか知らない」

 そうだ、リアにも相談に乗ってもらおう。晩飯はコンビニ寄ったときに色々買ったから、リアと一緒に食うか。

 そこで初めて質問が滞る。

 何だろう。オレは妙な答えを送ったのか。もう自分が何を答えたのかすら覚えていない。

「好きな映画は?」

「映画が何かわからない」

「好きなビデオゲームは」

「ゲームが何かわからない」

 再開された質問に答えていく。

 半分意識が薄れていく中、オレは自分の意思に寄らず、言われるがまま質問に答えていった。

 

 

 

 

 

 






登場人物紹介:リア・エルメラインヒ 「インフィニット・ストラトス 西の地にて」で一夏の世話を焼いていた女の子(宣伝)。黒兎隊所属のオリキャラ。



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