かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのさんじゅうく  恐怖?今は届かぬ彼の声!

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 太郎くんへ

 

 

 こんにちは。今日も幻想郷はお天気です。

 

 博麗神社の階段から見る朝の景色は、とても綺麗でした。朝の霧がキラキラ光っていて、思わず見とれちゃった。

 

 神社を出てから、こいしちゃんとお茶屋さんに行ったの。山の麓の、前に手紙に書いたかな? 優しいお婆ちゃんがいるところだよ。

 

 おはぎを食べたの。とてもおいしかった。幻想郷で一番おいしいおはぎかもしれないな。こいしちゃんは、お団子も食べていたよ。

 

 その後、山に登って、去年修行したところで一休みすることにしました。懐かしい景色って、なんだか落ち着くね。

 

 明日はいよいよ、地底に行きます。手紙のお姉さんが来れるか分からないと言っていたけれど、なんとか手紙は届けてもらいたいな。太郎くんも、待っててね。

 

 それでは、今日はこの辺で。またお手紙書く時まで、元気でね。

 

 

 花子より

 

 

~~~~

 

 

 日が昇り始めた早朝、霊夢は目を覚ました。なんらおかしなことはない、毎日のことである。

 寝間着から着替えることなく、少し肌寒いのではんてんを羽織って、朝の散歩に向かう。散歩が終わったら程よく眠くなるので、二度寝するまでが、いつもの日課だ。

 客間などはないので、昨日は妖怪二匹と一緒の部屋で寝た。紫は昨日の晩、どこにあるかも知らない自宅へと帰っていった。

 今もこいしは掛け布団を抱きしめるようにして眠っている。しかし、花子の布団は空になっていた。

 お手洗いか何かだろうと思ったが、玄関に向かうと彼女の靴がない。こいしを残して出発するような真似はしないだろう。

 ともかく、霊夢は外に出た。なんとなく神社の階段にいそうな気がして向かってみると、やはりおかっぱ頭の後ろ姿があった。

 霊夢が砂利を踏む音で、花子が気づいた。振り返った彼女は、薄い寝間着のまま寒がりもせずに、

 

「おはよう、霊夢」

「おはよ。よく眠れた?」

「うん。霊夢もお散歩?」

「そ」

 

 階段から一望できる幻想郷の姿は、朝が一番美しい。日の出の空気に浄化されたその景色は、どうやら妖怪の心も射止めるようだ。霊夢が朝の散歩を欠かさない理由も、ここにある。

 並んで立って、しばらくぼんやりと幻想郷を眺めていたが、ふと思い出したように、花子が脈絡もなく訊ねてきた。

 

「そういえば、この神社は鳥居がないね。守矢神社にはあったのに」

「失礼ね、ちゃんとあるわよ」

「そうなの? 入り口にないんだもの、びっくりしちゃった。見てみたいな」

「いいけど、面白いもんでもないわよ」

 

 それでもいいからと花子に言われて、霊夢は彼女を神社裏に位置する鳥居に案内してやることにした。

 博麗神社の鳥居は、幻想郷の方を向いていない。結界の向こう側――つまり、外の世界に向いている。神社の半分は外にあるのだが、物理的にはみ出しているのとは違うので、説明が難しい。花子に聞かれないことを祈るしかない。

 階段を下った先にある鳥居は、特に珍しい形をしているわけでもなく、ただ神社の裏にあるだけの代物だった。目にした花子も、大した感想は出なかったらしい。

 

「ホントだ、あった」

「だからそう言ったでしょ」

「どうしてこっちにあるの? 入り口はあっちなのに」

「……説明し辛いから簡単に済ますけど、外の世界と繋がる入り口みたいなもんなのよ。私が結界をちょこちょこっとやると、外に行けるわけ。迷い込んだ外の人間を帰す時に使ってるわ」

 

 自分の頭の弱さを自覚しているのか、花子は適当に相槌を打つだけだった。理解できないことを理解している者とは、話しやすい。氷精にも見習ってほしいものだと霊夢は思った。

 

「外の世界からこっちに来た時に通った鳥居は、ボロボロだったよ」

「ふぅん。あっちのは見たことないのよね」

「道らしい道もなかったし、ここに来るのは大変だったんだから」

 

 当時は飛ぶことも出来なかった花子だ。博麗神社までの長い道を歩いて行ったことを考えると、下級妖怪にしては、並大抵の根性ではない。霊夢は素直に感心した。

 ふと、鳥居を眺める花子の瞳に、薄い憂いが見えた。気のせいかと思ったが、霊夢の勘が外れることはほとんどない。

 

「花子。あんた、外に帰りたいんじゃない?」

「……」

 

 こちらを振り向いた花子は、表情をあまり動かさず、もう一度鳥居を見つめる。やはり、少し寂しげに見えた。

 

「その気持ちは、ずっとあるよ。太郎くんとか、ムラサキお婆ちゃんとか、みんなに会いたいもの」

「一応言っておくけど、あんたが帰りたいってなら、そこの鳥居から出れるわよ。妖怪は出入り自由みたいなもんだから」

 

 思いやったつもりもなく、ただ事実を述べただけだった。しかしそれでも、花子は振り返ってにこりと笑う。

 

「ありがとう。……ねぇ霊夢、私、幻想郷の妖怪っぽくなってきたかな?」

 

 突然の問いかけに、霊夢は困った。性格や考え方が極端に人間寄りで良くも悪くも自己犠牲的な花子は、幻想郷の妖怪どもとは、やはりずれている。

 しかし、彼女が聞きたいのはそういうことではない気もした。れっきとした妖怪として、人に認識されるような存在になれたかということだろう。

 それならば、答えは決まっている。

 

「異変の主犯になるくらいなんだから、十分迷惑な妖怪よ」

「そっか。なら、私は幻想郷でがんばるよ。友達もいっぱいできたしね」

 

 本心からの言葉だと感じた。しかし花子は、言葉とは裏腹に、視線に混じる懐郷の想いは消せていない。

 しかしそれは、彼女の問題だ。自ら幻想郷を望んできたのだし、そもそも、妖怪の私情に首を突っ込んでやる義理は、霊夢にはない。

 いつまでも花子の郷愁に付き合うのも嫌なので、霊夢は神社に帰ることにした。こいしがまだ寝ているようなら、もう一眠りできるだろう。

 

「ちょっと寒いし、私は戻るわよ」

「あ、うん。じゃあ私も」

 

 二人して布団が敷きっぱなしの部屋に戻ると、案の定こいしがまだ眠っていた。気持ちよさそうに布団を抱きしめているが、先ほどと頭の位置が逆になっている。

 どういう寝相をしたらそうなるのか考えそうになったが、無意味なのでやめた。花子も苦笑いしつつ、自分が使っていた毛布をこいしにかけてやっている。

 もう少し寝ると言うと、花子は寝れないので起きていると返してきた。そのまま放っておいても良かったが、さすがに暇だろうから、以前魔理沙が置いていった漫画を渡してやる。

 

「ありがとう」

「ん。じゃあ二時間くらいしたら起きると思うから」

「うん。おやすみ」

 

 布団に潜って、目を閉じる。散歩で冷えた体が温まると、途端に眠くなってくる。

 花子がめくるページの音が、意識から遠ざかっていく。眠気に逆らわず身を任せ、霊夢は至福のひとときを楽しんだ。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 翌朝――昼に近いが――、こいしと花子は博麗神社を出発した。見送ってくれる霊夢に手を振って、街道へ続く道を歩く。

 どうやら、花子は博麗神社を気に入ったらしい。足を運ぶことは少ないが、あの神社の不思議な空気は、こいしも嫌いではない。

 街道に出て、山の方を目指す。さすがに妖怪の巣窟に向かう道なだけあり、人間の姿は少ない。時折通る牛車には、妖怪除けの御札が貼ってあり、花子と一緒に離れて見送った。

 博麗神社で朝ご飯を頂いたが、それも数時間前のことだ。小腹が空いてきたので、こいしは花子に提案した。

 

「花子、麓のお茶屋さんでなにか食べていこぉ」

「んー、そうだね。私もお腹減ってきたし、そうしよっか。あのお茶屋さん、久しぶりだなぁ」

「あそこのお団子、おいしいもんねぇ。おはぎもおいしかったよぉ」

「へぇ。じゃあ今日は、おはぎにしてみようかな」

 

 味を想像したのだろう、花子が唇をぺろりと舐めた。彼女はこいしと同じで、甘いも辛いも選ばず、美味しい物を楽しめる口だ。

 二人とも空腹が迫っていたらしく、歩いている間中、ずっと食べ物の話をしていた。そうすると当然腹減りは加速し、次第にこいしも花子も静かになって、黙々と茶屋を目指す。

 無論剣呑は雰囲気ではなく、空を珍しい鳥が飛んでいけば指差すし、妖精同士の弾幕ごっこを見て笑ったりもした。ただ、会話をするとどうしても食べ物に話題が移るので、お互いに避けているのだ。

 そうこうしているうちに、茶屋が見えてきた。時刻は昼を少し過ぎたくらいだ。予想よりも早く着いたのは、いつもより早足になっていたからだろう。

 待ち切れないとばかりに、こいしは茶屋の中に入った。二畳の畳にちゃぶ台が一つという、多人数の客をまったく想定していない客席がある。今日は晴れているので、こちらではなく外の縁側にしようと決めた。

 

「こんにちはぁー!」

 

 大きな声で言うと、しばらくしてから老婆が現れた。もうかなり年なので、足腰が良くないらしい。人間は短命だから仕方ないが、できれば長生きしてほしいなとこいしは思っていた。

 こいしの顔を見ると、老婆はにっこりと笑った。

 

「おんや、こいしちゃんね。いらっしゃい」

「お婆ちゃん、今日は友達連れてきたよぉ。前にも一回来たことあるの。覚えてるかなぁ」

 

 背後の花子を促して前に出すと、老婆は花子の顔を数秒眺めてから、嬉しそうに破顔して頷いた。

 

「覚えとるよぉ。去年の夏の暮れに来たねぇ」

「御手洗花子です。……」

 

 今度は花子が、老婆の顔をじっと見つめた。その瞳はどこか遠くを見るような、目の前の老婆よりずっと向こうの何かを見つめているかのようだ。

 あまり人をじろじろ眺めるのは良くないなと思い、こいしは花子の顔の前で手を振る。すると、我に返った花子が慌てて老婆に頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。お世話になっていた人に、似ている気がして」

「気にしなくてえぇよぉ。花子ちゃんって言うたね、いい目をしとるねぇ」

 

 照れて頭を掻く花子である。

 お茶とおはぎをそれぞれ頼み、こいしは団子も一緒にお願いして、縁側で待った。もう昼間になると寒さはまったく感じない。あと一ヶ月もすれば、梅雨がやってくるだろう。

 雨は嫌いではないが、地面がぬかるむと歩くのが面倒になるのは困った。飛べばいいのだが、そうすると傘を差しても濡れてしまう。お気に入りの服が汚れるのは、やはりいい気持ちではない。

 梅雨が来る前に地底へ帰れるのはいいが、梅雨中ずっと寺に顔を出さないわけにもいかないだろう。行くのは晴れた日にしようとこいしは決めた。

 空にぷかぷか浮かぶ雲を花子と二人で眺めていると、老婆がお茶とお菓子を持ってきてくれた。

 

「ありがとぉー」

「いただきます。うわぁ、美味しそう!」

 

 花子が箸でおはぎを丁寧に切り取り、口に運んだ。こいしはお団子からいただくことにする。みたらし団子で、お茶との相性が抜群だ。

 団子を一本食べ終えて、こいしはふと気になったことを花子に訊ねた。

 

「ねぇ花子、お婆ちゃんは誰に似ていたの?」

「ん? ん……」

 

 おはぎを食べている途中だったようで、花子は手で少し待てと合図してから、お茶で口の中にあるものを流し込んだ。

 

「んっとね、私が外の世界にいる時に、子供の怖がらせ方とかを教えてくれた人なの。ムラサキお婆ちゃんっていうんだけれど」

「何回か花子の話に出てきたねぇ」

「うん。私と太郎くんにとって、本当のお婆ちゃんみたいな人だったんだ」

 

 よほど大切な人なのだろう、花子の目は優しく細められていて、ムラサキという妖怪の話をするだけで幸せそうだった。

 誰かに自分のことをこんな風に語ってもらえたら、どれほど嬉しいだろう。こいしはムラサキを羨ましく思う。

 姉のさとりは、自分のことを話す時、どんな顔をしているのだろうか。困った妹だと呆れているかもしれない。それも仕方ないことだなと、苦笑する。

 お茶を飲みながら、花子はムラサキのことから始まり、外の世界にいる友達のことを話してくれた。聞くのは初めてではないのだが、花子があまりにも楽しそうなので、こいしもにこにこと耳を傾ける。

 

「……それでね、クララはとてもピアノが上手なの。夜の学校にいっつも流れているから、私は夜が楽しみだったんだ」

「そうなんだぁ」

「うん。私と太郎くんは、クララのいる学校に後から来たのだけれど、ずっと居着いちゃった理由にはクララのピアノもあったんだ」

 

 まだ残っているおはぎも忘れて、花子は夢中になって話を続けている。その様子を楽しく眺めていたが、こいしはふと、花子の声の端々にある違和感に気づいた。

 気のせいかと思ったが、外を懐かしむ話しが進むにつれて、その違和感――言葉に宿る寂しさが本物だと気づく。

 できれば、なかったことにしたかった。聞いてしまえば、花子がそう決心してしまうかもしれない。一緒に夢を目指すパートナーとなってくれるかもしれない花子を失いたくはない。

 だがそれ以上に、誰よりもこいしを大切な友達として接してくれる花子に、寂しそうな顔をしてほしくない。だから、こいしは精一杯の勇気を振り絞った。

 

「花子、もしかして……帰りたい? 太郎くん達がいるところ、戻りたい?」

「え? う、ううん。ちょっとだけ、懐かしくなったの。それだけだから、大丈夫」

 

 一生懸命取り繕おうとしてくれるのは嬉しかったが、花子に何もしてやれないことが悔しくもあった。

 口数も少なく、こいしと花子は冷めかけたお茶を啜る。どんな言葉をかけてやればいいのか、こいしは分からなかった。無意識に紛れて人と接するのを避けていたことを、ここにきて後悔する。

 萃香なら、ミスティアなら、こんな時なんと言うのだろう。小難しい言葉を並べ立てたところで、花子の寂しさはちっとも消えてくれないはずだ。

 

「霊夢にも、同じ事を聞かれたよ」

 

 花子が言った。今朝、こいしが寝ている間の出来事だろう。湯呑みを口から離して、続きを待つ。

 

「ずっと前から、帰りたい気持ちは少しだけあったんだけど、本当にちょっとなんだ。博麗神社の鳥居が外に繋がってるって聞いた時に、その気持ちを思い出したっていうかな」

「……」

「でも、だからって今帰ったら、きっと太郎くんにもお婆ちゃんにも怒られちゃうと思うの。それに、こいしちゃんと一緒にがんばろうって決めたものね」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、花子が寂しそうなのは、やだよぉ」

「……ありがとう。でも大丈夫。子供のための妖怪、目指さないとね!」

 

 見せてくれた笑顔は、いつも見せてくれる太陽のような笑顔だった。ならば、これ以上こいしが心配するのは野暮かもしれない。

 花子は強い少女なのだ。その強さを信じるのも、友達としての、パートナーとしての役割だろう。

 そろそろ行こうと、花子が立ち上がった。茶屋の老婆にお金を払い、二人は揃ってごちそうさまを言う。

 

「おいしかったよぉ、お婆ちゃん」

「そうかい、またいつでも来てねぇ。うまぁいお団子作って、待っとるからねぇ」

「きっとまた来ます。お婆ちゃん、元気でいてくださいね」

 

 老婆にお辞儀して、茶屋を後にする。

 地底に行ったら、花子が寂しくならないように、たくさん案内してあげようと、こいしは決めた。たくさん笑えば、寂しさなんてどこかに行ってしまうに違いない。

 青く色づいた妖怪の山は、もう目の前だ。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 山には人間も通れるような、整備された山道がある。去年花子が山に入った場所から、少し離れたところにあった。

 木漏れ日が差す山道を、花子とこいしは並んで歩く。口数が少ないせいか、こいしがチラチラと花子の顔色を伺ってくる。

 朝から外の世界を思い出させることが続いたせいで、少し寂しい気持ちになってしまったが、初めてのことではないし、元々強い精神力は持ち合わせていないのだ。

 先ほどこいしに宣言した通り、もうほとんど寂しさは消えている。こいしと目が合ったので、花子はにこりと笑った。

 

「大丈夫だよ。心配かけて、ごめんね」

「ううん、いいんだぁ。私もね、時々どうしてもお姉ちゃんに会いたくなって、飛んで帰ることがあるの。だから、花子もそうしたいのかなぁって」

「会えればとても嬉しいけれど、私は幻想郷の妖怪になるって決めたもの。それに、会えなくても手紙を書けば、太郎くんは読んでくれるから」

「そっかぁ。花子はすごいなぁー」

 

 のんびりした口調だが、こいしは心から褒めてくれている。なんだか小恥ずかしかったが、もう元気だと伝わったのなら、花子も一安心だ。

 こんなに素敵な友人がいるのだから、寂しがっていては失礼だろう。外の世界にいる太郎や他の友達もまた、花子がいなくなったことで一人になるわけではない。

 太郎から連絡はないが、元気にしているはずだと、第六感にも似たものが告げている。花子はそれを、少しも疑うことをしなかった。

 

「地底に行く前に、寄りたいところ、あるぅー?」

 

 こいしに聞かれて、唇に人差し指を当てて考える。秋姉妹に会いたいと思ったが、今は春だ。確か、彼女ら――特に姉――は、秋以外は機嫌が良くないと記憶している。無理に顔を出すのも気が引ける。

 河童のにとりも山に住んでいるはずだし、いつか人間を驚かす競争をした化け猫の橙も、この山を住処としていたはずだ。しかし、特に訪れる理由がない。

 もう親友と呼んで差し支えないこいしと一緒にいれば楽しいから、どこでもいい。そう告げると、こいしはふんわりと頬を緩めた。

 

「そっかぁー。えへへ、嬉しいなー」

 

 上機嫌なこいしを見て、花子も釣られて笑った。

 レミリアや響子といった友人と比べるつもりはないが、花子と目標を同じくしたいと言ってくれた日から、こいしは友達というだけではなく、少し特別な存在になっていた。太郎と重ねて見ているのだ。

 さすがに四十年近く一緒にいた太郎ほど親密になるのは早いだろうが、いつかこいしがそうなってくれると信じられることが、嬉しい。しかし一方で、太郎に甘えてしまっていた自分を知っているので、こいしにはすがり過ぎないようにしなければと、花子は自分を叱りつけた。

 しかし、太郎はどうなのだろう。花子がいなくなって、似たような寂しさを感じているだろうし、花子にとってのこいしのような存在は、見つかっただろうか。

 太郎は口下手なので、新しい友達を作るのが苦手だった。ピアノ妖怪のクララが親しいが、彼女は少しつっけんどんなところがあるし、難しいかもしれない。学校の怪談として生きるのが難しい今の時代、どうやって子供を驚かしているのかも、心配だった。

 いつの間にか考え込んでいると、隣を歩くこいしに頬を突っつかれた。

 

「花子ぉー?」

「……あ、ごめん! ちょっと考え事」

「太郎くんのこと?」

「う、うん。よく分かったね」

 

 ちらりとこいしの第三の瞳を見たが、青い瞳は閉ざされたままだった。心は読んでいないらしい。彼女の鋭さには、度々驚かされる。

 言い訳するのもおかしいので、正直に考えていたことを話すと、こいしは苦笑いを浮かべた。

 

「やっぱり花子、太郎くんのことが気になってるねぇ」

「たまたま、思い出すことが重なっちゃったから。それに、私がこっちに来た理由は太郎くんにも当てはまるもの」

「そっかぁー。お手紙の返事、来ないもんねぇ」

「太郎くんは、字を書くの好きじゃなかったもの。仕方ないよ」

 

 頭を掻いて答えるものの、毎回返事を期待しているのは事実だ。こいしもお見通しらしく、二人で曖昧な笑いを浮かべる。

 山道を外れて、獣道を歩く。程なくして、川原に出た。上流に登れば、地底へ続く洞窟があるはずだ。流れる清水を横目に、上を目指す。

 いつか修行に明け暮れた風景に、花子は目を細めた。あれから決闘らしい決闘は数えるほどしかしていないが、少しは強くなれただろうか。

 

「もう、夕方だねぇー」

 

 こいしが言った。空を見あげれば、雲はオレンジに染まりつつある。のんびり歩いたせいで、思った以上に時間がかかったようだ。

 地底からこいしの実家である地霊殿までは、飛んでも数時間かかるらしい。地底の妖怪は時間に縛られないらしいので、遅くに訊ねて失礼ということはないだろうが、ついた頃には花子がクタクタになっていそうだ。

 初対面で疲れた顔を見せると、印象が悪いだろう。花子は少し考えてから、こいしに提案した。

 

「ねぇ、今日は川原で休んでいこうよ」

「いいよぉ」

 

 いつか萃香がこしらえてくれた寝床は、風雨に晒されて屋根はなくなっているものの、運良く布団代わりの布は残っていた。最近は晴れ続きだったせいで、乾いている。今日は使えそうだ。

 森でこいしと木の実を採ってきて、小腹を満たす程度の夕食を楽しんでから、花子は手紙を書くために、魔法の鉛筆と便箋を取り出した。

 いつもはスラスラと筆が動くのだが、今日は少し躊躇った。一日中太郎絡みの考え事ばかりしていたせいで、そのことばかり頭に浮かんでくるのだ。

 外を思い出して寂しくなったと打ち明けたとしたら、太郎は心配するだろう。それに、文字にしてしまったら、またもやもやとしてくるかもしれない。

 

「うぅーん……」

「花子が手紙書くの悩むなんて、珍しいねぇー」

 

 こいしにまで言われてしまい、いよいよ自分らしくなさを実感する。いつも通りに書こうと思っているのに、妙に頭を使ってしまい、言葉が出てこない。

 三十分ほどかけて、茶屋でのことや川原のことを、当たり障りの無い文章で書き上げた。博麗神社の鳥居のことは、書いていない。

 何度か読み直して、おかしな書き間違いがないことを確認してから、封筒に入れる。いつも感じている書いた後の達成感は、今日は味わえなかった。

 こんなものだろうと自分に言い聞かせて、花子は川原の石に腰掛け、こいしと一緒に夜空を見上げた。夏に近いせいか、まだ少し明るく、空で妖精が遊んでいるのが見える。

 

「いよいよ明日、地底だねぇー」

 

 花子が来るのをずっと楽しみにしていたらしいこいしが、どこか嬉しそうに言った。紅魔館に長い時間いたから、次こそはと思ってくれていたのかもしれない。

 妖怪の楽園である幻想郷だが、その妖怪からも嫌われた者達の居場所だと、こいしが改めて語ってくれた。しかし、それは昔のことで、今は追い出されたことを根に持っている者はほとんどいないという。

 中には排他的な妖怪もいるそうで、そういった妖怪には近づかないほうがいいそうだ。文の毒舌を八割増できつくしたような、という例えを聞いて、花子は友達になれないことを確信した。

 

「私のお姉ちゃんも、きっつい性格なんだけどねぇ」

「さとりさん、だっけ。うぅん、仲良くなれるといいけれど」

「花子は素直だから、きっと大丈夫。私も協力するよぉー」

 

 頼もしい言葉に、花子は笑って頷いた。心を読めるということだから、接し方は難しいだろうが、きっとなんとかなるだろう。良くも悪くも単純なスカーレット姉妹よりは、苦労しそうだが。

 地底に行けば、他にも多くの友達ができるだろう。かつて嫌われ者だったとしても、同じ妖怪なのだから、仲良くなれないはずはないと、花子は信じていた。

 友達が増えれば、また楽しい手紙を書くことができるはずだ。そう思うと、明日が楽しみで仕方なくなってきた。

 

「地底、早く行きたいな」

「楽しいところだよぉー。地上のみんなは、悪い噂しか聞いていないんだもんなぁ」

「そうなんだ。私は幻想郷に来たばかりだから、そういうのはないな」

「いいことだよぉ」

 

 あまり話しすぎると楽しみが減るからと言いつつ、こいしは地底のお気に入りスポットを色々と教えてくれた。見知らぬ世界の話は、とても好奇心をくすぐられる。

 こいしがあんまり楽しそうに話をするので、花子もついついお喋りに夢中になってしまった。二人して、心だけが先に地底へ行ってしまったかのようだ。

 明日は朝一で地底へ行こうと話していたのに、夜中まで話し込んだ花子とこいしは、結局翌朝、寝坊してしまうのだった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 慣れ親しんだ、スキマの中。どの空間にも属さないこの不可思議な情景は、八雲紫にとって故郷のような懐かしさを覚える。

 色も、形もない世界。何にも縛られない真の自由が漂う空間は最高に居心地がいいと思うのだが、式の顔を見ると、そういうわけでもないようだ。

 何度も来ているだろうに、藍の顔には緊張が見られる。妖獣の頂点に立つであろう九尾狐ともあろう者が、未だに慣れていないらしい。今日は彼女からこのスキマに入ることを選んだのだから、もう少し平静を装ってほしいものだと、紫は嘆息した。

 外に手紙を届ける紫に、同行を願い出たのだ。いつもならば一蹴するところだが、最近は彼女を酷使しすぎているし、藍は外での禁忌を守らないほど愚かな女ではないと、それを許可した。

 今は、その帰りだ。藍は外の世界を珍しそうに眺める一方で、空気の悪さに顔をしかめていた。やはり、幻想郷の美しい空気に馴染み過ぎると、外は辛いようだ。

 彼女がついてくると言った理由について、紫は聞いていなかった。聞かなくともわかっていたからなのだが、ついいたずら心で、本人に訊ねる。

 

「それにしても、どういう風の吹きまわしかしら」

「特別なことがあるわけでは。ただ、紫様が普段、どこで息抜きをされているのか、気になったのです」

「あら。私が手紙を届けるのは、サボりだとでも?」

「完全な道楽、とまで言うつもりはありませんが、絶対的な義務であるとは思いません」

「ムラサキお婆様からの頼まれごとよ。私の使命と言えないかしら?」

「幻想郷の管理を式に丸投げするほど重要な、ですか?」

「そうね。私の代わりが勤まるほど優秀な式がいてこそよ。藍がここまで育ってくれて、嬉しいわ」

 

 実際は、藍に施している式が管理の大半を行なっている。藍自身の能力も、もちろん大きいが。

 これ以上の発言は主への侮辱になると取ったのだろう、藍は口を閉ざしてしまった。彼女はいつも、ぎりぎりのラインで紫に小言を言ってくるのだ。

 ふと、手紙を受け取った時の花子を思い出す。スキマに消える紫を、いつもとは違う眼差しで見つめていたように感じたのだ。

 恐らくは、望郷。彼女が幻想郷に来てから一年以上経つが、今になって帰郷したいと思ったのだろうか。博麗神社に来たということは外と繋がる鳥居を見たことも考えられる。

 無理をしているのだろう。自分を騙し続けるのにも、限度がある。花子は幼く、その限界は決して遠くない。あるいは、地底の覚がその本心を暴くかもしれない。

 しかし、どちらにせよ――

 

「乗り越えてもらわねば、ね」

「できるでしょうか、彼女に」

 

 どうやら藍も、スキマから見えた花子の表情に、同じものを感じ取っていたようだ。彼女もまた、故郷を離れて幻想郷にやってきた一人である。精神的成熟具合の差は天と地ほどもあれど、気持ちは分からなくもないといったところだろう。

 もしも花子が帰りたいと言い出せば、それを止める権利は誰にもない。彼女の良き友人達は止めるかもしれないが、少なくとも紫の目的のために無理強いをすることはできないだろう。

 言葉巧みに花子を誘導することもできるが、それでは意味がない。彼女が自ら、それを成そうとしてくれなければならない。紫には、花子を信じることしかできないのだ。

 そこまで考えて、紫は自分の思考に激しい違和感を覚えた。思わず、吹き出しそうになる。

 

「私が、信じるしかない、ね」

「……?」

「どう思う、藍? 私が、信じるしか道がないと言い出すのよ」

「不気味です」

 

 即答されてしまったが、紫は苦笑しつつ「そうよね」と答えた。こんな選択は、数百年に一度するかしないか、だ。それも、よほど追い詰められた時のことだろう。

 今は、それほど緊迫した状況ではない。だというのに、なぜ信じるなどという曖昧極まりない選択をするのだろうか。我ながらおかしくて、つい笑ってしまう。

 あるいは、花子に毒されたのだろうか。それも悪くないが、あまり甘くなりすぎるのも困りものだ。少し気を引き締めなければならないかと、心中で頬を張る。

 スキマを開けて、幻想郷に帰還する。明け方の空は、遠くまで透き通っていた。慣れ親しんだ美しい空気を胸いっぱいに吸い込んでから、藍がこちらに微笑む。

 

「紫様。もしかしたら紫様は、御手洗花子の友達になられたのでは?」

「どういうことかしら?」

「花子と話している時の紫様の横顔を、どこかで見たなと考えていたのです。合点がいきました、西行寺の幽々子様とお話をされているときの横顔と、まったく同じでした」

「あら、そう」

 

 友人の幽々子と話している時の顔など意識したことはなかったが、藍が言うのだから、そうなのだろう。しかし、そう考えるとたちまち愉快になってくる。

 妖怪の賢者たるこの八雲紫が、子供を怖がらせるのが精一杯の小さな妖怪を友と思うなど。悪いことではない、ないが、こんなにおかしいことがあるだろうか。

 

「そう……。私が、花子の友達、ね。ふふ、楽しいわ」

「それでしたら、彼女の手紙を届けることにも、納得がいくのです。紫様にとって、友と呼べる者は、とても貴重な財産でしょうし」

「あら、私には友人が少ないと言うのかしら? 根拠はあるの?」

「あなたの式を長年やってきた、その経験こそが根拠です」

「生意気ね」

 

 口ではそう言ったものの、紫は笑っていた。虫の居所が悪かったら、きっと仕置きの一つもしただろうが、今は最高に機嫌がいいのだ。藍も分かっているから、こんなことを言うのだろう。

 地底にまで手紙を受け取りに行くべきか、ずっと考えていたのだが、紫は地底に出向くことを決めた。友の頼みとあらば、聞くわけにはいかないだろう。

 友というその響きが理由になることが、とても愉快な気持ちにさせてくれる。遠い遠い幼き日々を思い出すようで、たまらなく心地よかった。


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