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太郎くんへ
こんにちは。前の大げさな手紙と一緒に、これも届くのかな。
結局、私が見た怖いのは、全部幻でした。キノコには色々なものがあるんだね。太郎くんも、適当に取って食べたりしないようにね。
魔理沙に助けられて、私達は幻を見なくなる薬をもらったの。すごい効き目で、すぐに直っちゃった! 味は、とっても苦かったけれど。
小学校にも勉強をがんばってる子がいっぱいいたけど、魔理沙はとても熱心なの。弾幕の勉強は遊びかもしれないけれど、何かに一生懸命なのって、すごく格好いい。
太郎くんは、今でもリフティング千回を目指しているのかな。練習している太郎くんを見ているの、好きだったな。達成できたら、教えてね。
また、お便りします。
花子より
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魔法の森にある小さな家に、花子達は案内された。
魔法で吹っ飛ばされても、花子達の幻覚は元に戻ってくれなかった。机に向かって薬を調合している魔女は、今も絵本に出てくる恐ろしい魔法使いそのままだ。
無論、もう彼女が友人の魔理沙であることには気づいている。あの光――マスタースパークは疑いようもなく彼女の魔法だし、男の子のような口調や得意の軽口も、魔女が魔理沙であることを確信させてくれる。
ただ、やはりどうにも、目の前の恐ろしい魔女が魔理沙であるということに違和感がある。外見の印象は、やはり大切らしい。
離れたところで邪魔をしないよう見守っているが、ルーミアはおかまいなしに、魔理沙に話しかけている。
「いっぱいマボロシダケを集めたせいで、魔理沙が怖い魔女に見えたのかな」
「お前らが引っこ抜いた奴は、そんなに関係ないぜ。ちょうど一昨日くらいから、森のキノコが胞子を飛ばす時期だったんだ。当然、マボロシダケも活発に飛ばす。あれを吸うと、そこにないものが見えるんだ。私も初めは苦労したよ」
「じゃあ、あたし達が妖力を使えなくなったのも、キノコのせい?」
「あれはまた違うんだ。緑の霧が出てたろ? あれが出ると、妖怪は力を使えなくなるんだ。私の魔力も調子が悪くなる。どうして出るかは、今でも分からないんだよなぁ」
ルーミアの質問に答えながら、魔理沙はゴリゴリと薬の元を磨り潰している。魔女の姿と相まって、とても怪しい。
「魔理沙はどうして、マボロシダケを集めていたの?」
花子が訊ねると、魔理沙がこちらを向いた。魔女の顔にはやはり慣れず、失礼だと分かっていても、思わず目を逸らしてしまう。
「魔法の材料にするんだ。森のキノコを乾燥させて粉末にしたあとで、いろいろ実験して、魔法を開発するんだぜ」
「魔法って、作れるんだねぇー」
散らかった部屋を眺め回していたこいしが、感心しているようなそうでもないよな、なんとも言えない口調で頷いた。
魔理沙曰く、生身の人間である以上は、種族としての魔法使いのように魔法を修得することは難しいそうだ。彼女は独学で魔法らしい効果の出るキノコなどを集めているうちに、魔力に目覚めることができたらしい。運が良かったのだと魔理沙は笑うが、それは努力の賜物だなと花子は思った。
見れば、部屋中に散らばる本は、どれもが魔法書だ。本が私物かどうかは別として、これだけの量を読み漁っているのだ。一昼夜で手に入れた魔法ではあるまい。
「よし、できたぜ。マボロシダケの解毒剤だ。苦いから一気に飲めよ」
「えー、あたし苦いの嫌いだよ」
緑色の粉末を受け取り、ルーミアはまだ舐めてもいないのに不味そうな顔をしてみせた。こいしが一気に飲み干して、「うへぇ」と舌を出している。本当に苦いらしい。
せっかく魔理沙が作ってくれたのだからと、花子も覚悟を決めて粉を口に流し込んだ。今まで味わったことのない苦味に、ついこいしと似たような声を出してしまう。
「うひゃぁ、本当に苦い!」
「だからそう言っただろ。でも、効き目はすぐ出るぜ」
言われた通り、視界が一瞬白ばんだかと思うと、次の瞬間には魔理沙の姿が元に戻っていた。ようやくいつもの魔理沙を拝めて、花子はホっと胸を撫で下ろす。
一方、ルーミアはまだ飲めていないらしい。紙に乗っている粉末を見つめて動かない彼女を、魔理沙が促す。
「ほら、ルーミアも飲めよ」
「苦いの嫌だもん、飲みたくないよ」
「そうか、残念だぜ。こいし、捕まえろ」
「ほい」
素直に従って、こいしがルーミアを捕らえた。左手で体を抑えこみ、右手で無理矢理ルーミアの口を開けさせる。
人間を食べるだけあってか、彼女の犬歯はとても尖そうだった。噛まれた時の痛みにも、納得がいく。しかし、こいしは怖がる様子もなく、がっちりと口を固定した。
「魔理沙、いけぇー!」
「やらー! はらしれー!」
「ちゃんと飲み終わったら、放してやる」
容赦なく粉末を流し込み、ルーミアが盛大にむせた。予想以上の苦さに半泣きになりながらも、ちゃんと飲み込んでくれたらしい。彼女の幻覚も、もう解けているだろう。
口直しにと、魔理沙が三人に飴玉をくれた。甘い飴は、口の苦味を徐々に取り去ってくれる。
「ありがとう、魔理沙。助かったよ」
「解毒薬を作るくらいなら、どうってことないぜ。それよりもお前ら、なんでこの森に来たんだ? ここにゃ妖怪もあんまり近づかないんだぞ」
花子はこいしとルーミアと目を合わせてから、揃って恥ずかしげに俯きながらも、魔理沙に事の顛末を話した。誰もが間抜けなせいで起こった事態だ。誇らしげに語れることではない。
話し終えると、魔理沙は「お前ららしいや」と笑った。笑い飛ばしてもらった方が、花子としてもありがたい。
幻覚は消えたが、少し休憩しても、花子達の妖力は戻ってこない。例の霧が、まだ出ているのだろう。
「魔理沙、霧はいつ頃なくなるの?」
「さぁ、どうかな。一日で消える時もあるけど、二週間以上続く時もあるからなぁ」
「それは、困っちゃうな」
「今日はもう暗いし、泊まっていけよ。散らかってるけど、まぁ適当にやっててくれ。私はもうちょっと、スペルの研究をしてるから」
世話になりっぱなしは気が引けるが、夜の森をもう一度通る気には、とてもなれない。花子はお言葉に甘えることにした。
「ごめんね、ありがとう」
「気にすんな。あいつらはもう、そのつもりらしいしな」
見れば、ルーミアとこいしはもう、我が家のごとくくつろいでしまっている。魔理沙の気さくな性格がそうさせているのだろうが、もう少し立場をわきまえた方がと、花子は渋面を浮かべた。
とはいえ、魔理沙は二人を咎めるようなことはしない。きっと彼女のことだから、こいし達のように好きにしてくれていた方が、気楽なのだろう。
そうなると、花子もいつまでもかしこまっているわけにはいかない。魔理沙が机に向かってしまったので、物をどかして床に座り、適当な本を拾い上げた。外国の本で、中身を見ても読める気がしない。
「英語、なのかな。魔理沙は読めるの?」
「あぁ、それか。辞書を片手に半分くらい読んだけど、飽きちゃったんだよな。私向きの魔法は載ってないし」
「辞書があれば読めるって、すごいね。私なんて、まず辞書とにらめっこになっちゃうよ」
ノートにペンを走らせながら、魔理沙は笑った。作業をしながら会話ができる器用さは、彼女の豪快なスペルや飄々とした性格とアンバランスで、なんだかおかしい。
外国語の魔導書を置いて、花子はタイトルからして日本語の本を探す。本の山を慎重に漁っていると、古ぼけた漫画の単行本を見つけた。幽霊族の生き残りである少年が、目玉だけで生き返った父親や個性豊かな妖怪達と、悪いお化けを退治するという話だ。
外の世界では、とても有名な漫画だった。学校の図書館にも置いてあったことがあり、自身も退治される側だというのに、花子も太郎と一緒に夢中になって主人公を応援したものだ。
「懐かしいな、これ」
「あぁ、それか。まだ私が小さい頃に、香霖が拾ったのをくれたんだ。面白いよな」
「うん」
「どれぇー?」
興味を持ったらしいこいしに渡してやると、彼女は一言礼を言って、そのまま読み始めた。花子も読みたかったが、ここは初めて読む者に譲ってやるべきだろう。
どうやら気に入ってもらえたようで、こいしはいつにもまして真剣な顔でページを捲っている。こうなると、またも花子は暇になってしまう。
また別の本でも探そうかと思った時、ぐぅと小さな音が鳴った。花子の腹ではない。見れば、本の山に座ったルーミアが、お腹を抑えている。恥ずかしがるでもなく魔理沙に向かって、
「お腹減った。魔理沙を食べてもいい?」
「いいわけないだろ。待ってな、キノコを焼いてやるから」
「えぇー、キノコはもういいよ」
「ちゃんと食えるやつだよ。醤油をたらすと美味いんだ。米も炊いてあるけど、そんなに量がないんだよな。みんなで分けて食おうぜ」
立ち上がり、魔理沙がキッチンに向かった。花子も手伝うために、後を追いかける。
霧雨宅の台所は、料理をするところというよりも、実験施設と言ったほうが似合いそうな様相だった。見たこともない器具や切り刻まれたキノコが散乱している。
混沌としたキッチンを眺めていると、顔に出ていたらしく、魔理沙が苦笑した。
「言わんとしていることは分かるけど、出す物はちゃんと食えるから、安心しろよ」
「ご、ごめん。そういうつもりじゃないんだけれど」
「いいっていいって。そろそろ片付けなきゃって思ってるんだけど、どうしても手をつけられないんだよなぁ」
散らかってはいるが、どこに何があるかは把握しているようで、魔理沙は迷いなく茶碗と箸、皿を取り出した。
慣れた手つきで大きい三脚台の下にミニ八卦炉を置き、網を三脚台に乗せる。『食用』と書かれた袋から半分に切られたキノコを取り出して網に並べ、八卦炉に火を灯した。
料理というより、理科室で子供達がしていた実験に酷似している。しかし、網の上からキノコが発する香りは食欲をくすぐって、視覚と嗅覚があべこべになり、花子の頭はこんがらがった。
人数分のキノコが焼き上がり、醤油を少々たらして、実にシンプルな料理が出来上がった。添え物も何もないが、ご飯は進みそうだ。花子は皿を、魔理沙は白米が盛られた茶碗を、それぞれお盆で運ぶ。
「おまたせー」
「いい匂い!」
キノコにブーイングをつけていたルーミアが、目を輝かせた。こいしも漫画を閉じて、正座をして待機している。その瞳は、皿の上のキノコを注視していた。
テーブルがないので床に皿と茶碗を置き、四人は食事にとりかかる。香りもさることながら、その味も驚くほどおいしい。醤油の香ばしさが、白米に実に合う。
箸の使い方に四苦八苦しながら、ルーミアがキノコを口に運んだ。瞬間、目を見開き、
「お、おいしいー! キノコって、こんなにおいしかったんだ」
「だろ? このキノコは味もいいし栄養価も高いんだ」
「あたし、人食いやめてキノコ食いの妖怪になろうかな」
「そんなもん、妖怪でもなんでもないだろ。ただの動物だぜ」
「そーなのかー」
新しい味覚に目覚めたルーミアは、会話も半分上の空で、握りしめた箸にキノコを突き刺し食べている。箸の使い方がお行儀悪いが、幸せそうなので、花子は何も言わないことにした。
量が少なかったからか、皆があっという間に食事を終えてしまった。片付けは四人でやって、魔理沙の部屋に戻る。
満足したらしいルーミアが、魔理沙のベッドに横になるや、うとうととし始めてしまった。こいしに負けず、自由人である。
助けられた身でありながら、ベッドまで占領するのはまずい。花子はルーミアを起こそうと、その肩を揺さぶった。
「ルーミア、そこは魔理沙のベッドだよ」
「知ってるぅ……」
「うん、だから、床で寝よう? 私のワンピース、枕にしていいから」
「やだぁ。ベッドで寝れる機会なんて、滅多にないんだからぁ」
駄々をこねる姿が、外見の特徴も似ているせいか、フランドールを思い起こさせた。きっとあの少女は、こうなるとテコでも動かないだろう。
ルーミアならもう少し聞き分けてくれるかとも思ったが、ゆっくり目を閉じて、寝息を立て始めてしまう。寝顔がとても気持ちよさそうで、起こし辛い。
どうしてものかと眉を寄せていると、花子達の布団を引くために本をどかしていた魔理沙が、花子の肩を軽く引いた。
「いいよ、気にすんな。あんまり上等なベッドじゃないけど、気に入ってもらえてるなら私も嬉しいしな」
「ルーミア、住み着いちゃうかもねぇー」
押入れから布団を出しながら、こいしが言う。人食い妖怪が人と住むなんて危険極まりないが、魔理沙ならうまくやれるかもしれないと花子は思った。
普通の人間なら勘弁してくれと言うところだが、魔理沙は小さく肩をすくめ、
「ルーミアはダメだな。こいつ、食い物を勝手に食いそうだから」
「妖力が使える日は、いつも真っ暗になるしねぇ」
「あぁ、それが一番困るな。スペルの研究ができないなんて、死んだほうがマシだぜ」
三人で布団を敷いて、花子とこいしはその上に座った。長い間使われていなかったらしい予備の布団は、奇跡的にカビてはいない。魔理沙曰く、魔法をかけていたらしい。
魔理沙はまたスペルの研究に没頭し始めた。とても真剣で、弾幕への熱意が感じられる後ろ姿だ。
横になったら眠ってしまいそうで、花子は布団の上に正座していた。しかし、叫び疲れたからか、徐々に足が崩れて女の子座りになり、うつらうつらと、睡魔が頭の中を飛び始める。
せめて魔理沙が寝るまではと思ったが、意識が飛び飛びになり始めた。何度か頭を振ってごまかしていたが、とうとうこいしにもたれかかってしまう。
「あぅ、こいしちゃん、ごめん……」
「花子、眠いのぉ?」
「大丈夫、まだ、起きてられるから……」
言葉ではそう言えたが、視界はぼんやりとしているし、まともに思考が回らない。体はすぐにでも寝転がりたいと訴えている。
見かねた魔理沙が振り返り、花子の頭に手を置いた。
「もう寝ちゃえよ。私に遠慮してるんだろうけど、我慢は体に毒だ」
「うぅ、でも」
「無理に起きてられる方が、気になるぜ」
そこまで言われてはと、花子は諦めの言葉に素直に従った。こいしに寝かされ、掛け布団を被されると、あっという間に睡魔が広がってきた。
花子が眠りに向かうのを確認し、魔理沙が机に向き直る。その動きをぼんやりと見つつ、花子の意識は夢の重力に引かれていく。
「おやすみ、花子」
こいしの優しい声を耳元で聞き、花子は眠りに落ちた。
◇◆◇◆◇
魔理沙がグリモワールと呼ぶ自筆の本を読んで、こいしは思わず唸ってしまった。彼女が戦った相手のスペルを細かく考察してあり、弾幕が大好きなこいしにとって垂涎ものである。
もちろん、こいしだって何度も遊ぶ相手のスペルは研究攻略しているが、ここまで丁寧に分析したことはない。初対面でこいしが人間ではないと思い込んでしまった魔理沙の強さにも、納得がいく。
机で熱心に何かを書いていた魔理沙が、その手を休めた。グリモワールを読み耽るこいしに、
「お前は寝ないのか?」
「うん、眠くないの。魔理沙は、毎日こうやって勉強してるのぉ?」
「まぁ、そうだな。寝る前にはいつもスペルの開発か考察をやってる。じゃないと落ち着かないんだ」
「ふぅん」
立ち上がって、花子を踏まないように注意しつつ、魔理沙の机を覗きこむ。ノートにびっしりと書かれた文字列は、日本語と外国語が交じり合っていた。
もとより勉強が嫌いなこいしだ。本を読むのは好きなのだが、自分で調べ物をしたりするとなると、途端にやる気がなくなってしまう。趣味とはいえ、魔理沙の努力には素直に感心した。
「そういや、お前も弾幕が好きなんだよな」
「うん。綺麗だし、楽しいもんねぇー」
「こいしの弾幕は厄介だったなぁ。頭の隅っこをつついてくるっていうか」
「あの時は、負けちゃったんだよねぇー。今度は勝つよぉ」
趣味が合うもの同士、話しが盛り上がる。自分達の弾幕はもちろん、こいしと魔理沙は今まで戦った弾幕についても語り合った。
魔理沙はスペルカードルール制定時から、こいしは地上で弾幕ごっこを知ってから、お互いに多くの場数をこなしてきた同士だ。
美しさ重視から、ひたすら避けにくい弾幕。魔理沙のように一点豪華主義者もいれば、霊夢のようなトリッキーな戦術で攻める者もいる。いくら話しても、話題の種が尽きることはない。
すっかり研究を中止して、魔理沙もこいしとの話に夢中になってしまっていた。気づけば、すっかり深夜を回っている。
楽しくなるあまり、声が大きくなっていたかもしれない。こいしは花子とルーミアを起こしてしまったかと心配したが、二人は今も眠りの中にいるようだ。
「いやー、まさかお前とこんなに話しが合うとはな。意外だぜ」
「そうだねぇー。魔理沙は地底には良く来るのに、地霊殿には来てくれないんだもん」
「行ってもこいしがいないんだよ。ペットは歓迎してくれるんだけど、お前の姉貴は私を追い払おうとするし」
「お姉ちゃん、人見知りがすごいからねぇー」
社交的になれとまでは言わないが、こいしの数少ない悩みの一つが、姉のさとりであった。過去が過去だけに仕方ないのだが、来客のたびに心を読んで嫌がらせをするせいで、こいしは友達を呼ぶこともできないのだ。
花子ならきっと仲良くなれると思っているのだが、正直不安でもある。そのことを魔理沙に話すと、彼女は腕組みして、神妙な顔で唸った。
「そうだなぁ。花子はいい奴だけど、単純だからな。心を読まれることは嫌がらんだろうけど、嫌味を言われると怒るかもしれないな」
「天狗の時みたいに?」
「有り得なくはない、ってところだな。まぁお前が間に入ってやれば、うまくいくんじゃないか? たぶん」
「やっぱり、そうかぁー。がんばってみるよぉ」
花子と仲良くなるのは、姉のためにもなると、こいしは信じていた。自分が彼女と関わって変われたと思えたからだ。
ふと、魔理沙がこちらをじっと見ていることに気がついた。首を傾げると、彼女はどこか不思議そうな顔で、
「いや、さとりは人間も妖怪も毛嫌いするけど、こいしは妖怪が相手ならそうでもないよなぁって思ってさ。私は人間だけど」
「……」
あまり考えたことはなかったが、言われてみるとそうだった。こいしは、覚の力で人間にも妖怪にも嫌われていた。心の醜い姿を見るのが嫌で、一時はさとりと同じように、人間も妖怪も避けていた。
他の妖怪と接するようになったのは、いつからだろうか。胸に手を当てて、こいしはゆっくりと思い出す。
「きっと……第三の目を閉ざした時からかなぁ。地上に出るようになって、気付かれないように無意識に隠れながら、妖怪達が遊んでいるのを見ていたの。相手が心の中で自分をどう思っているか、そんなことを気にしないで、みんなすっごく楽しそうだったんだぁ。今思うと当たり前なんだけど、覚の私にとって、心を読めない相手を信頼するってことが、信じられなかったの」
「なるほどな。でも、なんで人間は嫌うんだ? その条件なら、人間も同じじゃないか」
「人間は、違う」
人間の魔理沙を相手に、こんなことを話すべきなのだろうか。しかし、彼女が人間だからこそ、聞いてほしくもある。
口を開くと、言葉は思った以上にすんなりと出てきた。
「一度だけ、人里に行ったことがあるの。ずっと昔のことだけどね。その時出会った人間は、私にとても良くしてくれたの。住むところもご飯もくれた。人間もいいなぁって、あの時は思えてたんだよ」
「……」
「でもね、その人間は私が覚だと知っていたの。知っていて、私の能力を利用しようとしていた。嫌いな人の心を読ませて、そのことを利用して相手を貶めようとしていたの。それが、とてもショックだったんだぁ。
覚られるのを怖がって逃げられることは、どうとも思わない。私も妖怪だしね。でも、まさか私達の力を、あんな薄汚いことに使おうって考えるなんて。だから断ったの。もう心は読めないし、そんなのは嫌だって言ったら、あいつ、私を妖怪退治屋に売ったの。魔理沙、知ってる? スペルカードが出来る前の妖怪退治って、とっても痛いんだよ」
魔理沙は真剣に聞いてくれていた。同じ人間を庇ったりせず、こいしを慰めようとするでもなく、滅多に見ない真顔で続きを待っている。こいしは続けた。
「痛くて苦しくて、やっぱり誰も信じちゃダメなんだって思った。人間も妖怪も、自分のことしか考えられないクズばかりなんだって。私だって、人のことは言えないのにねぇ。それで、その妖怪退治屋と私を利用しようとした人間、殺しちゃったんだぁ。
後悔なんてなかったよ。ざまぁみろって、いい気味だって、清々しい気分だった。あれから、人里にはできるだけ入らないようにしてるんだぁ」
「……」
「妖怪の友達も信じられなくなっちゃったから、ケンカもたくさんしたよ。殺し合いになりかけたこともあったなぁ。でも、みんな人間とは違うの。妖怪のみんなは、すごく正直だから。真正面から私にぶつかってくるか、逃げるかのどっちか。ずるいのもいるけど、人間みたく汚くない。私が妖怪だから、贔屓目もあるかもしれないけどねぇ」
「それで、妖怪だけは信じようって思ったのか?」
「そう思えたのは、また別のこと。妖怪とケンカして傷だらけで地底に戻った私を、鬼の萃香さんが手当してくれたの。他人の世話にならないって暴れる私を押さえつけて、無理矢理。
鬼は嘘をつかないって言葉も信じられなかった私に、萃香さんは『なら何も言わない、信じなくていい』って、すごく真剣に言ったの。その後は本当になんにも言わないで、ただ手当だけをしてくれた。その時になってなぜか、私は誰かを信じたかったんだって、気づいたんだぁ」
普段はそんな風には見えず、どころか他人に迷惑をかけることの方が多い萃香だ。魔理沙が意外そうに「あいつがねぇ」と呟くのも、無理はない。
「なにも、人間全部を憎んでるわけじゃないよ。いい人間がいるのは分かってるけど、どうしても、一緒くたに見ちゃう癖が抜けてくれないんだぁ。
誰かを信じられるって、すごく気持ちいいでしょ? それを教えてくれたのが、萃香さんとか花子とか、友達って呼べる妖怪達だったんだぁ。だから、例え相手に嫌われていても、妖怪まで嫌う理由は、もうないかなぁ」
「そっか」
あまり自分のことを語ったことがなかったので、こいしはなんだか恥ずかしくなった。魔理沙も気まずそうで、妙な沈黙が部屋を包む。花子とルーミアの暢気な寝息が羨ましい。
しばらくして、魔理沙が頬を掻きつつ、なんともいえない表情を浮かべた。
「まぁ、なんだ。お前みたいなボケっとした奴にも、言えない過去ってのがあるもんなんだな」
「なにそれ、酷いなぁー。私、一生懸命話したのにぃ」
「私はてっきり、『わかんなぁーい』って言われるかと思ってたぜ」
魔理沙のモノマネが実に微妙で、二人は一緒に、花子達を起こさないよう声を殺して笑った。
机の上で灯る八卦炉の火に、魔理沙が少しだけ寂しそうな目を向ける。
「でもま、その気持ちは分かるな。人間は汚い、その通りだよ、ホント。大人ってのは特にそうだ。いつか私もあぁなっちまうのかと思うと――ぞっとするな」
「魔理沙は、変わらないような気がするけどなぁー」
「どうかな。変わりたくないけど、人間は短命だからさ。生きるうちにやりたいことを全部やろうとすると、どうしても他人を蹴落とさなきゃならなくなる。だから、どうしても醜い心になっちまうのかもしれない。それでも私は、短い一生で大切な夢を成し遂げる人間でいたいんだけどな」
こいしが心を動かされた子供達と、魔理沙は違っていた。幼くして独り立ちしたからだろうか、子供と大人の中間ではなく、それらが混ざり合ったような、不思議な少女だ。
小さく溜息をついてから、魔理沙はゆっくりと伸びをした。
「思った以上に長話になっちゃったけど、聞きたかったことは聞けたな。ありがとな、こいし」
「いえいえー」
「さて、そんじゃ寝るか。明かり消すぜ」
うん、と答えて、布団に潜り込んだ。八卦炉を消し、魔理沙も花子を挟んだ向こう側で、もぞもぞと床につく。
他人に話せなかったことを吐き出せて、こいしの心は羽が生えたように軽くなっていた。布団の柔らかな感触が、いつもより心地良い。すぐにでも寝付くことができそうだ。
妖怪と人間という超えられない種族の壁があっても、本音を打ち明けられる友人になれる。こいしの中の人間への価値観が、また少し、和らいだ。