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太郎くんへ
太郎くん、こんにちは。お元気ですか? って、こんなに頻繁に手紙出してるんだから、そうそう変わらないよね。
私は今も、吸血鬼さんのお家にいます。ベッドもふかふかだしご飯はすごくおいしいし、メイド服っていうのも慣れてくると着心地がいいんだよ。レミリアさんは、ちょっといじわるだけれど。
もう少しここにいてもいいかなぁって思い始めてたんだけど、今日でこの紅魔館ともお別れです。さすがにずっと驚かせないままでいると、私はトイレの花子さんじゃいられなくなっちゃうからね。
人里の外にはまだまだたくさんお家があるみたいなので、のんびり歩いて回ろうと思います。落ち着けたら、また手紙を書くからね。
そうそう、私が歩いてどこかに行くって言ったら、レミリアさんもパチュリーさんも、みんな『飛んでいけばいいのに』って言うんだよ。最初は冗談だと思ってたけど、幻想郷の妖怪は飛ぶのが当たり前みたい。どころか、人間まで飛ぶことがあるんだって!
私もいつか、空を飛べるようになりたいな。できるようになったら、太郎くんにも教えてあげるね。
今回は、何かに気をつけてって言わなくてすみそう。そろそろ新しい家を探しに出発です。
次におたよりする時には、上手に人を驚かせているといいな。
それじゃあ、またね。お元気で。
花子より
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紅魔館の客間。ベッドと机しかない質素な部屋で一生懸命鉛筆を動かしている花子の背後に回り、レミリアは彼女の手元を覗き見た。
手紙を書いているようだ。なるほど、太郎という友人にあてたものらしい。男の名前であることは、西洋生まれのレミリアでもすぐに分かった。
カリカリと鉛筆の芯が紙面をなぞる音だけが響く中で、気取られぬようにそっと花子の耳元に近づき、ぼそりと囁く。
「相手はボーイフレンドかしら?」
「ひゃっ!?」
面白いほどに飛び上がり、花子は身を挺して手紙を隠した。首から顔から、耳までも真っ赤になってしまっている。
「なななんですか、なんで見てるんですか! なんでここにいるんですか!」
「あら、ここは私の館だもの。この紅魔館が主、レミリア・スカーレットが客間にいたとしても、誰にも文句を言われる筋合いはないわ」
「だ、だからって手紙を覗くなんて! そういうことはしちゃいけないって教わらなかったんですか!?」
「教わったわよ。ていうか、常識としてそのくらい知ってる。馬鹿にしないでよね」
ふふんと鼻を鳴らして、レミリアは腕を組んだ。
恥ずかしさから怒りへとシフトチェンジしたらしい花子が、腕力では雲泥の差があるレミリアへと掴みかかる。
「じゃあなんで覗いたの? ダメだって分かってるのに、なんでそういうことするの!?」
もはや花子の口調は、姉妹ゲンカに負けた妹のようになっていた。未だに残る羞恥心をなんとか憤慨に変えているが、見透かしているレミリアはしてやったりと口の端を持ち上げた。
「私は悪魔だもの。悪いことだって言われたら、やらずにはいられないわ」
「レミリアさんの捻くれ者! へそ曲がり! 天邪鬼!」
思いつく限りの悪態を口にする花子。数日間を過ごすうちに分かったことだが、彼女は相手が目上の者であったり実力で突き放されていても、媚を売るようなことをしない。レミリアとしては心地よさすらも感じる少女である。なので、彼女が時折自分に食って掛かるのも、楽しみの一つとすら思えるのだ。
この三日間、レミリアは花子をずっとそばに置いていた。メイドの真似事をやらせてはいたものの、一緒に遊んだりお茶を楽しんだりと、すっかり友達のような関係になっていた。
肩を上下させて息をしている花子に、くすりと笑う。
「ふぅん、そういう口の聞き方をするの? この三日間世話してやったのは、誰だったかしらね」
「頼んでいないもん。約束通り、今日で出発しますからね」
唇を尖らせながら、花子が手紙をしまう。ちらっと見た内容からして幻想郷の外にいる者への手紙だろうが、どうやって届けるつもりなのか。
恐らく届かぬだろうと、レミリアはばれない程度に溜息をついた。知らぬが仏と思ったわけではないが、花子にそれを言うのはなんとなく憚られた。
いつものセーラー服ともんぺに着替えている花子は、借りていたメイド服を丁寧に畳んで、客間のベッドに置いている。いつでも出立できる心持ちのようだ。
彼女と過ごした三日間は新鮮だったし、花子はとてもからかいやすかった――咲夜といると、レミリアがからかわれることの方が多い――ので、別れは少し名残惜しくもある。
何より、花子には幻想郷の妖怪にありがちな喧嘩っ早さがまったくなかった。初対面の相手に弾幕をぶちまける妖怪その他の少女とは明らかに違う雰囲気。咲夜などは「やまとなでしこの原石」と言っていた。
やまとなでしこがどういったものなのかレミリアには分かりかねたが、このまま成長すれば花子がしとやかな女性になるのだろうなという想像はできる。妖怪の彼女が成長するかと聞かれれば、五百年近く体系が変わらないレミリアはどちらにも答えられないのだが。
からかいがいのある花子をこのまま帰すのは、あまりに惜しい。どうしたものかと考えていると、ふと一つの悪戯を思いついた。
そろそろ、妹に新たな友人ができてもいいだろう。にやりとしてから、レミリアは大げさに声を上げた。
「あぁいけない、忘れていたわ。私、地下に本を置いてきちゃった。うぅん、困ったわ。あの本は手元にないとすごく困るのよ。あぁ困ったわ」
リュックを開けて忘れ物がないか確認している花子の手が、止まる。白々しさが全開なレミリアの声へとゆっくり振り返り、
「……」
じっとりとした視線を向けてくる。三日間のうちにだいぶ学習したようで、レミリアが何かを企んでいることを見抜いているのだろう。
ならば、わがままに付き合わなければ解放してもらえないことも学んでいるはずだ。レミリアは続けた。
「あの本は私の先代の叔父様の奥様の弟の娘のものなのよ。先代の叔父様の奥様の弟の娘から受け継いだ家宝……。もし失くしたりなんかしたら先代の叔父様の奥様の弟の娘から祟られてしまうわ。なにせ先代の叔父様の奥様の弟の」
「わー! 分かりましたからいちいち全部言わないでください! ていうか、もうほとんど他人じゃないですか」
「そんなことないわ。家族ぐるみの付き合いがあったのよ」
「もう、どうでもいいです。まったくぅ」
嘆息を漏らして荷物を置き、花子は顔を上げた。
「それで、一番下の階でしたよね。どんな本なんですか?」
「そうこなくてはね」
うな垂れてかぶりを振る花子に、レミリアは不敵な笑みを浮かべるのだった。
◇◆◇◆◇
パチュリーの寝室や大きな図書館の前を通り過ぎ、花子は最下層へ続く階段の前に辿り着いた。
赤い装飾が目立つ館はどこも派手な印象だったが、この階段は雰囲気が違う。綺麗な壁紙は途切れてなくなり、ごつごつとした石の壁が暗闇へと延びていた。壁に点々とかかっている燭台の火は、明かりとしての役割を果たしているとは言い難い。
下から漂ってくる不気味な雰囲気に、花子は息を飲んだ。わずかなかび臭さと初夏であるのに不自然なほど冷たい空気の肌触り。階段を下りずとも、ただの地下室ではないということは否応無しに分かってしまう。
こんなところに、本当に目当ての本があるのだろうか。もしかしたらレミリアが自分を閉じ込めようとしているのでは――
「……さすがに、そんなことはしないよね」
頭を軽く叩いて、考えを押し出す。レミリアは意地悪だが悪人ではないというのが、花子の印象であった。この三日間はこき使われたものの、楽しい時間の方が多かったくらいだ。
胸元をきゅっと掴んで、一歩ずつ階段を下りていく。その度に空気の温度が冷たくなる気がするのは、きっと気のせいではないだろう。少し寒いくらいだと感じているというのに、汗は引く気配を見せない。
燭台の揺れる炎は、まるで花子を地下へと誘っているようだ。どうしてか止まることは許されない気がして、唇を少しだけ噛みながら歩を進めた。
長い階段をようやく下りきると、思ったよりも明るい廊下が待っていた。とはいえ、壁も床も氷のように冷えた石でできているので、怖いことに変わりはない。
後ろを振り返れば階段があるだけの一本道で、どうやら部屋は行き止まりにある大きな扉の一室だけらしい。目的の本があるとしたら、あそこだろう。
ここまで来たら、もう引き返すわけにはいかない。自分のもんぺが擦れる音だけが聞こえ、むしろそれだけが励みだった。
部屋の前につき、扉を見上げる。赤い大きな扉は、廊下の不気味さをいっそう引き立てている。
勇気を振り絞って、花子はドアノブに手をかけた。力を込めて押すと、扉は大仰な音を立てて花子を室内に招き入れた。
かび臭くほの暗かった廊下から一転、ふんわりとした甘い香りと優しい光が花子の全身を包み込む。
「わぁ……」
思わず声を上げていた。魔法の明かりで照らされている部屋は、たくさんのぬいぐるみと可愛らしい壁紙に彩られている。
つい先ほどまで歩いていた岩穴が如き廊下からは想像もできぬほど、メルヘンチックな部屋だった。
お姫様の部屋みたいだという感想はレミリアの部屋にも抱いたが、こちらはまるでおとぎ話の中に飛び込んだような心地すら覚えた。
珍しげに部屋を眺めつつ、件の本を探す。とはいえ、花子の好奇心は室内のあらゆる装飾品に奪われてしまっていた。思考回路から「本」という文字が薄れていき、その手は自然とウサギのぬいぐるみに伸びていく。
「可愛いなぁ、これ」
思わず微笑んで呟いた、その時だった。
「あなた、だぁれ?」
突然聞こえた柔らかな少女の声に、花子は驚いてぬいぐるみを落としかけた。
振り返ると、やはり少女がいた。レミリアがかぶっていたものによく似ているナイトキャップからは、ブロンドのサイドテールが覗いている。瞳は赤く、顔立ちもどことなくレミリアに似ていた。
レミリアよりは少しだけ幼いか。花子は彼女が紅魔館の主の妹だろうと推測した。
赤を基調としたミニスカートのドレスは、部屋の装飾も相まって少女をさらに現実離れさせている。見とれてしまいそうな光景だが、しかし花子は彼女の背に生えている羽を見つめていた。歪んだ木の枝のようなものに、七色の宝石がぶら下がっている。
じっくりと凝視してしまっている花子に、少女が首を傾げる。
「なぁに? 私、どこかおかしい?」
「うぇ、ううん! ごめんね。羽が綺麗だから、つい」
「ふぅん。綺麗なのかな、これ」
羽の宝石をつっつきながら、少女はさして興味なさそうに呟いた。こちらを向いて、
「それで、あなたは誰? 人間?」
「あ、ごめんなさい。私は御手洗花子って言います。お化け……妖怪、だよ」
外では幽霊ということで通っている花子だが、正真正銘生粋の妖怪である。人間を驚かすには幽霊と名乗ったほうが都合がよかったのだが、妖怪同士となれば話は別だ。
正直に自己紹介をすると、少女は大きな瞳をぱちくりさせながら、
「花子。分かりやすい名前だね」
「うん。自分でもそう思う」
頬を掻きつつ答えると、少女も愉快そうに口元を抑えた。
「おもしろいね、あなた。……私はフランドール。フランドール・スカーレットよ」
やはり、レミリアの妹であるらしい。しかし、花子は彼女の姓にさして興味を抱かず、少女の名を呟く。
「フランドール……」
繰り返して、花子はその響きの美しさに感動した。自分の安直な名前とは何もかもが違う、それこそおとぎ話のヒロインにふさわしい名前だ。
羨ましさを覚えつつ、花子は手に持っていたぬいぐるみを置いて頭を下げた。
「勝手に入っちゃってごめんなさい。レミリアさんに本を探すように頼まれてるの」
「本? あぁ、あの漫画ね」
先代の叔父の云々は、やはり嘘だったようだ。予想はできていた、というか確信していたので、今更驚く気にもならないが。
「後でお姉さまに返しておくから、花子が持っていかなくてもいいよ」
「え、でも」
「お客さんにやらせるわけにはいかないもん。それよりねぇ、一緒に遊ぼうよ」
にっこりしながら、フランドールが花子の手を取った。
早く他の家に行って誰かを驚かせたい気持ちはあったが、彼女の笑顔を裏切ることは、花子にはできない。急いで誰かを驚かさなければ死ぬということもなく時間が押しているわけでもないので、頷くことにする。
「いいよ。何して遊ぶ?」
「うーん、弾幕ごっこかな」
「ダンマク?」
聞いたことのない遊びに、きょとんとすると、これにはフランドールが驚いたようだった。
「知らないの? 幻想郷の妖怪なのに?」
どうやら、常識で知っているべき遊びであるらしい。幻想郷には、まだまだ知らない常識が山ほどありそうだ。申し訳なさそうに俯いて、花子は呟く。
「ごめんね。私まだ幻想郷に来て一月も経ってないの」
「あら、そうなんだ。じゃあ弾幕ごっこはできないねぇ」
フランドールが眉をハの字に歪めた。どうしたらいいものかと唸りながら、首を傾げている。
花子は困った。なにせ初対面なので、フランドールの価値観や趣味が分からない。鬼ごっこなど体を使う遊びは、彼女がレミリアの妹であると気づいてしまった以上提案する気にもなれなかった。
「どうしようかなぁ。なにしようかなぁ」
考え込むフランドールを見ているうちに、花子はふと気がついた。彼女の背後にあるベッドの上に、掌に乗る程度の布製の玉がいくつか転がっている。
まるでフランドールの羽のようにカラフルなそれは、お手玉のようだ。客室に置いてきたリュックにも四つほど入っている、花子にとって馴染み深いおもちゃであった。洋風の部屋には似つかわしくないようにも思えたが、色合いのおかげですっかり馴染んでいる。
「ねぇねぇ、フランドールちゃん」
「フランでいいよ。どうしたの?」
「あれ、貸して?」
指差すと、フランドールはこちらとお手玉を交互に見てから、とりあえず言われた通りにお手玉を持ってきてくれた。受け取った数は三つ、花子がもっとも得意とする数だ。
「それ、魔理沙がくれたの。でもうまくできなくて、すぐやめちゃった。花子はできるの?」
「それなりに。こう、よっと」
右手に三つを掴み、そのうちの一つを上に投げる。フランドールの目がそれを追った。ついで二つ目を空中に放り投げ、直後に空いた手で一つ目を掴む。その頃には二つ目が落下に入っていて、素早く三つ目を放り同時に左手の一つ目を右手に受け渡す。
一連の動作をテンポ良く繰り返すと、お手玉を追ってくるくる回っていたフランドールの瞳が輝いた。眩しいほどの笑みを浮かべて、
「すごいすごい! なにこれ、どうやってるの? 魔法?」
「魔法じゃないよ。練習すればフランちゃんもできるようになるよ」
空中のお手玉を全て受け止めて、花子はそのうちの二つをフランドールに手渡した。両手にお手玉を握った彼女は、しかし途端に不安そうな顔で俯いてしまう。
「私にもできるかなぁ」
「大丈夫だよ、二つなら簡単だもの。教えてあげるから、やってみようよ」
整ったフランドールの顔を覗き込む。西洋人形のような少女はしばらく考え込んでから、まるで一世一代の大決心をするかのように頷くのだった。
◇◆◇◆◇
吸血鬼という悪魔がどれほどの能力を持っているかを、花子はよく知らない。そもそもが子供を驚かす妖怪である上に、人間からの認識は亡霊であった。科学に浸っている外の世界では退治されることもなく、戦いなどというものは本や新聞の世界で起きていることだった。
なので、目の前のフランドールにあらゆるものを破壊をする力があることなど知らないし、また身体能力から魔力までずば抜けていることなど分かるはずもない。
ただ分かることといえば、フランドールという少女は世間知らずで人懐っこく、姉に似てわがままであり姉よりよく笑うということだろうか。
あれから数時間、お手玉で遊んでいた。カラフルな玉がポンポンと宙を舞う。数は、二人合わせて六つ。
フランドールの成長は目覚ましいものがあった。最初こそ苦戦していたが、十分も立てば二つのお手玉を自在に操れるようになった。それから練習を続けて、今はぎこちないながらも三つの玉を使っている。
花子が三つでお手玉をできるようになるまでは、かなりの時間がいったのだが。少しだけ嫉妬を覚えたが、フランドールの笑顔を見ているとどうでもよくなってしまった。
さすがにひたすらお手玉というわけにもいかず、二人はたまに雑談を挟んだりもしている。花子が外の世界からやってきたばかりという話に、フランドールはとても興味を示していた。
「じゃあ、外の世界では弾幕ごっことかやらないの?」
「全然やらないよ。ぽこぺんとかドッヂボールとか、ケイドロとか。女の子は本を読んだりシールを交換したり、好きなアイドルの写真を切り貼りしたり。時々トイレに隠れてケータイをいじってる子もいるよ」
「うぅん、ほとんど分からないや。でも、いっぱい遊びがあるのね。外の世界は楽しそうで、羨ましいな」
何も幻想郷に弾幕ごっこしかないわけではないだろうが、フランドールはどういうわけか弾幕ごっこ以外の遊びをほとんど知らなかった。分かったものは、読書とぬいぐるみ遊びくらいか。
友達を作って遊べば、もっと色々な楽しみが増えるだろうに。花子は思い切って、訊ねてみた。
「ねぇフランちゃん。お外には出ないの? 他の妖怪の子と遊んだりすれば、色々教えてもらえるんじゃないかな」
「そうだねぇ。そうかもしれないけど、私は外に出してもらえないんだ」
小さく溜息をつくフランドール。その顔に悲しみや苦しみという色はなく、ただ不満に唇を尖らせている。
「レミリアお姉さまが、フランは外に出ちゃだめって言うの」
「なんで?」
「私の力が危ないってのもあるだろうけど、あいつは私を子ども扱いしてるのよ」
なにやら込み入った話になってきて、花子はお手玉を動かす手を止めた。同じように遊んでいた玉を受け止めてから、フランドールが天井を見上げる。魔法の光に照らされている部屋の天井はやはり無機質で、空には届きそうもなかった。
「産まれた時から、私は外に出たことがないの。五十年くらい前までは、この部屋にずっと閉じ込められてたわ」
「そんな、なんで?」
「私が……ちょっと、暴れん坊だったから」
おもむろに立ち上がって、フランドールはベッドに腰を下ろした。そのまま後ろに倒れこんでから、花子に向かっておいでおいでをする。
素直に従ってフランドールの隣に座ると、彼女は倒した体を起こしてから続けた。
「昔は、納得してたんだけどね。今はちゃんと抑えられるようになったし、もうあの頃みたいな子供じゃないのに」
花子は何も言えなかった。いくら暴れるからといって、自分の妹を地下室に閉じ込めてしまうなんて、レミリアは何を考えているのだろう。
無論、彼女らの事情を理解できていないからこその感じ方だ。悪魔とはいえ、レミリアが家族にそんな酷いことをするとは、いまいち信じられない。
「咲夜が来てからはご飯も美味しくなったし、パチュリーに魔法を教えてもらったり本を借りたりできるから、退屈はしないんだけどね。そんなに自分が優位だって示したいのかしら」
やれやれと嘆息を漏らして、フランドールは肩をすくめる。
「お姉さまは、私のことを人形か何かだと思っているのよ。三百年くらい言うこと聞いて地下に閉じこもってやったってのに、まだ足りないのかな、あいつは」
膝に頬杖をついて散々愚痴った後、唇をにやりと歪め、彼女は花子に耳打ちした。
「花子、いいこと教えてあげる。あいつはね、本を読まないから、私よりずっと頭が悪いんだよ」
「そ、そうなんだ」
苦笑いで答えつつ、擁護してやれないことを心の中でレミリアに詫びる。
数時間接しただけだが、フランドールの人格に致命的な欠点は見えなかった。むしろ、姉よりもしっかりしているのではと思ってしまう。
「じゃあフランちゃんは、ずっとここで独りぼっちだったんだね……」
同情を隠さずに言うと、フランドールは明るい笑い声を上げた。
「あはは、花子は優しいねぇ。でも、大丈夫だよ。たまに魔理沙が遊びに来てくれるわ。白黒の魔法使い、見たことない?」
花子は背筋に冷たいものが走るのを感じた。魔理沙という名前の響き、黒白の魔法使い。真夜中の寺子屋で浴びた真っ白な光が脳裏に蘇る。
額から冷や汗を流す花子を見て、フランドールは何があったかを悟ったようだ。
「花子、魔理沙に退治されたんだ?」
「う、うん。人里で襲っちゃいけないって知らなくて、あそこの寺子屋で子供を驚かしてたんだけれど……」
「魔理沙は強いもんね。私でも負けちゃうことがあるもん」
「うぅ、三人がかりならなおさらだよね」
ぽつりとこぼしたその言葉に、フランドールが笑みを消してこちらを向いた。
「魔理沙だけじゃなかったの?」
「霊夢さんと早苗さんっていう、二人の巫女さんも一緒にいたよ」
「……それは、ご愁傷様だね」
頭を撫でてくれるフランドールに目を細め、彼女の背後――枕元にある目覚まし時計に目がいった。
正午までには出ようと思っていたのだが、時刻はすでに三時を回っている。楽しい時間はあっという間にすぎるもので、もう少しフランドールと遊びたい気持ちもあったが、花子は申し訳なさそうに新たな友人へ頭を下げた。
「ごめんね、フランちゃん。私、そろそろ行かなくちゃ」
「えぇっ、もう行っちゃうの?」
フランドールは撫でていた手を止めて、花子の手を取った。
「もう少しいてもいいじゃない。もっと遊ぼうよ」
「そうしたいけど、人間を驚かさないといけないの。また遊びにくるよ」
半ばお願いするように言うと、分かってくれたらしい友人は上目遣いに呟いた。
「絶対来てね。約束だよ?」
「うん、約束」
小指を差し出すと、フランドールも自分の小指を絡めてきた。二、三度振って誓いとし、花子は自分の荷物のもとへと向かった。
リュックを背負って、名残惜しそうな視線を向ける友人に手を振る。
「ばいばい、またね」
「うん、またね」
小さく手を振り返しながらも、フランドールは寂しそうだった。家から出してもらえないらしい彼女にとって、遊びに来てくれる友達はとても貴重なのだろう。
扉が閉まり、向こう側からお手玉で遊ぶ音が聞こえてきた。住む学校を変えて友達がいなかった頃、トイレに作った空間で一人でお手玉をしていたことを思い出す。とても寂しく、つまらなかった。後ろ髪を引かれる思いで、扉に背を向ける。
幻想郷で落ち着くことができたら、今度はもっと長く彼女と一緒にいよう。そんなことを考えながら、花子は地上に向かって歩き出す。
ほの暗くかび臭い廊下を怖いと感じることは、もうなかった。
◇◆◇◆◇
「お世話になりました」
無理矢理留まらせていたのはこちらだというのに、花子が律儀に頭を下げる。幻想郷で生きていくには少し素直すぎるかとも思うのだが、そのうちここでのやり方も身につくだろう。レミリアは、咲夜が差す日傘の下で微笑んだ。
「あなたはよく働いてくれたわ。本当にうちのメイドにしたいくらい」
「そうですわね。妖精達とは比較にならなかったわ」
咲夜にまで褒められて、恥ずかしそうに頭を掻く花子。他の人間や妖怪ならばもう二度とやるものかと吐き捨てそうなものだが、まったく純朴な少女である。紛れてしまえば人里の子供と言われても分からないだろう。
リュックを背負いなおして、花子が思い切ったように顔を上げた。
「レミリアさん、お願いがあるんです」
「なにかしら」
訊くと、彼女は少しだけ躊躇ってから意を決したように、
「フランちゃんのこと、なんですけど」
「……言ってごらんなさい」
「あ、あの……フランちゃん、外に出ちゃいけないんですか? もっとたくさん友達できたほうが、フランちゃんも楽しいと思うの」
言われるだろうとは思っていた。フランドールを隔離しているのは、確かにレミリアが過保護であるという理由もあるのだが、それ以上に複雑な事情があった。花子の言葉は、レミリアからすれば不躾な詮索とも言える。
とはいえ、彼女をフランドールのところへ差し向けたのはレミリアであるし、当初の目的通り友達になってくれたのだから、花子を責める気にはならなかった。
魔理沙と霊夢が乗り込んできてから、フランドールもだいぶ落ち着いてきている。そろそろ外に出してやってもいいかもしれないが、なにせ五百年近くも閉じ込めてしまったのだ。ゆっくり慣れさせる必要があるだろう。
真剣な眼差しでじっとこちらを見つめる花子に、レミリアは苦笑を浮かべた。
「……考えておく。ただ、色々と事情があるのよ。すぐにとはいかないわ」
「そう、ですか。分かりました」
納得してくれたのかは分からなかったが、いつか彼女にも理解してもらえることだろう。レミリアは努めて笑顔を作り、
「この三日間、本当に楽しかった。再会を楽しみにしているわ」
「うん、ありがとうございます。必ずまた来ます」
もう一度お辞儀をして、花子がこちらに背を向けた。名残惜しいが、別れの時だ。
大きな街道に出るまでの間、門番の
美鈴が待つ門へと向いて、花子は上半身だけで振り返りながら告げる。
「それじゃあ、さようなら」
「えぇ、さようなら」
門で美鈴と合流し、彼女はとうとう行ってしまった。再び住居や驚かせる人間を探すと言っていたので、当分は遊びに来れないのではないだろうか。
小さくなっていく花子の背中を見送りながら、レミリアは何気なく呟いた。
「あの子……。私のこと、友達だと思ってくれてるのかしら」
「ふふ、散々意地悪しましたからね」
ちゃっかり聞いていたらしい咲夜が笑った。少しだけ唇を尖らせ、
「でも、一緒におやつを食べたり遊んだりもしたわ」
「そうですわね。あの子もなんだかんだで楽しんでいたみたいですし、きっとお嬢様を友達だと思ってくれていますよ」
「そうかしら。そう思う?」
「えぇ、もちろんですわ」
笑顔で頷かれて、レミリアはあっという間に上機嫌になった。妖精メイドや来客には高飛車な態度を取る彼女だが、咲夜の前ではそこらの子供と大差がない。
自慢げな顔で踵を返し、レミリアは館へと向かった。隣を歩く咲夜へと、小さな胸を張る。
「花子もラッキーね。このレミリア・スカーレットと友人になれるなんて、これほど光栄なことはないものね」
「ふふ、おっしゃるとおりですわ」
驚かされて酷い醜態を晒したことなど、もはやレミリアの中でどうでもいいことになっていた。花子は彼女にとって、すっかり大切な友人に昇格している。
次に会うときは悪戯はせずに、フランドールやパチュリーも混ぜて遊ぼうと考えながら、レミリアは紅魔館の扉を開けるのだった。