かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのさんじゅうよん 恐怖?無意識妖怪と悟りの境地!

 

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 太郎くんへ

 

 

 こんにちは。そちらでは、もう新学期が始まっているはずだよね。新しく来た子達を、驚かせていますか?

 

 昨日、ライブが終わったあとで、命蓮寺に行きました。響子に朝ご飯を誘われたの。

 

 前に来た時はあまり話せなかったのだけれど、お寺の妖怪はみんないい人ばかりだったよ。

 

 白蓮さん達は、なんだか難しいことを目指しているみたい。妖怪の味方なんだけれど、人間が嫌いってわけでもなくて、一緒に暮らせたらって考えてるのかな?

 

 それができたら、きっと素敵なのだろうね。私は友達と仲良くしていこうってだけで精一杯だから、色々な人のことを考えられるのは、すごいと思うな。

 

 さっきね、懐かしい友達と再会したんだ。萃香さんの次くらいにお世話になった人だよ。何度も手紙に書いたから、太郎くんも覚えているんじゃないかな。

 

 今日はお寺にお泊りです。明日からは、また旅を始めるよ。でも、少し違った気持ちで歩けるだろうから、とても楽しみなの!

 

 一人より、二人のほうがずっと楽しいものね。やっぱり、友達は大事だなって思ったよ。

 

 それでは、またお手紙書くね。お元気で。

 

 

 花子より

 

 

~~~~

 

 

 命蓮寺の朝食は、質素ながら、とても美味しかった。特別な味付けをしているわけではないのだろうが、料理に込められ思いが味に出ているようだ。

 突然お邪魔した花子だったが、命蓮寺の一同は快く受け入れてくれた。最初こそ緊張したが、すぐに打ち解け、片付けを少し手伝ってから、居間でくつろがせてもらっている。

 食後、響子は白蓮に呼ばれて、顔面蒼白で居間から出ていった。こっ酷く怒られるのだろうが、さすがにフォローしきれないので、黙って見送ることにした。

 

 朝食の時にも、そして今も、響子が言っていた新人の姿は見えない。ナズーリンもいないが、彼女は最近無縁塚(むえんづか)に住居を移しているそうだ。なんでも、主である寅丸(しょう)に呼ばれない間中は、ずっとお宝を探しているとか。

 響子がパンクに走ったのは、ナズーリンといううるさい先輩がいなくなったからというのもあるかもしれない。ある程度の自由を得ると、人も妖怪も、ハメを外しすぎてしまうものだ。

 ともかく、新人のことがずっと気になっていた花子だが、居間からは一人、二人と人数が減っていき、最後には一人になってしまったので、誰かに聞くタイミングを完全に逃してしまった。

 

「……どうしよ」

 

 いただいたお茶をゆっくり啜っていたが、いつまでも持つものでもない。響子の説教が始まってもうかなり経つが、まだ彼女が帰ってくる気配もなかった。

 一輪と呼ばれていた尼のような服装の少女や、村紗水蜜というセーラー服の船幽霊も、朝ご飯が終わってから、掃除やら何やらで忙しそうだ。ぬえとマミゾウは、遊びに出かけたらしい。

 命蓮寺の中では白蓮についで偉いらしい星にお茶の相手をしてもらうわけにもいかず、一人でぼんやりと居間の天井を眺めていた。隅々まで掃除が行き届いていて、畳の匂いが気持ちいい。

 そうやってのんびりと朝を過ごさせてもらっていると、玄関の方から、おもむろに間延びした声が聞こえてきた。

 

「おはようございまぁーす」

「お、来たな新入りちゃん! どう? ちゃんと家でも読経してる?」

「うちのペットが嫌がるから、やってないやぁ」

「ありゃ。んじゃ寺にいる間にしっかり覚えちゃわないとね」

 

 応対しているのは、水蜜だろう。以前フランドールが、水蜜のことを姉御肌だと語っていて、花子もまた同じ印象を抱いた。

 それよりも、花子は入ってきた声が気になって仕方なかった。声には聞き覚えがあるどころか、忘れられるわけもなく、ずっと聞きたかった声でもあった。

 聞き間違いかもしれないので、焦って飛び出すわけにもいかない。人違いだったら、恥ずかしいではないか。自分に言い聞かせながらも、花子の耳はずっと玄関の方を向いていた。

 

「今日は、何からすればいいのぉ? 掃除かな、読経かなぁ」

「あー、じゃあ悪いんだけどさ、居間にお客さん来てるのよ。お茶が冷めてる頃だろうから、新しいのと、ついでにお茶菓子でも持っていってあげて」

「はぁーい。私の分もいいかなぁ?」

「構わないよ。お客さんの相手するのも、仕事だしね。押し付けちゃってごめんね」

「いいえー」

 

 もう確信に近くなっていたが、それでも花子は我慢した。ものの数分の間が、とても長く感じる。楽しみで、心臓はドキドキと高鳴っている。

 程なくして、居間の襖が開いた。落ち着かなくてそわそわしていた花子は、お茶を持ってきてくれたその少女を見た瞬間、弾けたように声を上げた。

 

「やっぱり、こいしちゃんだ!」

「あ、花子だ。久しぶりぃー」

 

 二人分のお茶と煎餅を大きなちゃぶ台に置いて、懐かしの友人、古明地こいしは、特に感動する様子もなく、しかし当然のように、花子の隣に腰を下ろした。

 大きなリアクションもなく、お茶を啜って「おいしいねぇー」と破顔するこいし。一方の花子は、まさかのサプライズに言葉も失い、ただその横顔を見つめている。

 話したいことはたくさんあるのに、何から話せばいいのか分からない。何より、この喜びを表せるだけの語彙が、花子にはなかった。

 

「元気してたぁ?」

 

 いつもと変わらない――きっと、会わなかった半年も変わらなかったであろうこいしの話し方に、花子は紅潮した顔で何度も頷く。

 

「うんうん、元気だったよ。いろいろたくさん、あったんだ。でも、うぅん、なにから話せばいいのかな。こいしちゃん、えぇと、こいしちゃんは元気だった?」

「うん、元気元気」

「そっか、よかったよ。それで、えぇと……どうしよ。こいしちゃんと萃香さんと離れてから、私、紅魔館に行ったの。それでね、それから――」

 

 花子の話は、唇に当てられたこいしの人差し指で遮られた。うるさかったかと反省しかけたが、こいしの顔は、笑っている。

 相変わらずの不思議な雰囲気に呆けてしまった花子の頭を、こいしは優しく撫でてくれた。

 

「もっとゆっくり話したほうが、楽しいよ」

「……うん、そうだね。でも、私と話していて大丈夫?」

「大丈夫だよぉ。今日はお泊りだから、やることは後でもできるもん」

 

 マイペースなところも変わっていない。その安心感からか、胸の高鳴りは段々収まり、花子は自分のことよりも、まずこいしのことを訊ねることにした。

 

「こいしちゃんは、どうしてここに? 新人って聞いたけど、お寺に入ったの?」

「うん。白蓮にね、私の無意識は悟りの境地に近いって、だからぜひ来てくれって言われたの。なんだかよく分からなかったけど、楽しそうだからついてっちゃったぁ」

「あはは、こいしちゃんらしいね。それで、お寺は楽しい?」

「勉強は難しいけど、友達がいっぱいできたから、楽しいよぉ」

 

 わざわざ地底から通っているのだから、修行の辛さ以上の喜びを見出だせているのだろう。それがどんな理由であれ、こいしが満足そうなら、花子は何も言うつもりはなかった。

 寺には一週間に三日程度のペースで通っていて、修行の時は真面目にやっているらしい。面倒くさがりな少女なだけに、これには花子も驚いた。

 

「こいしちゃん、がんばっているんだね」

「それなりにねぇー。花子は、あれからどうしてたの? 吸血鬼さんの家にいったの?」

「うん。こいしちゃん達と別れてから、紅魔館に向かったよ」

 

 花子は紅魔館で過ごした日々のことを、順を追って話した。レミリアに滞在してくれと頼まれたのはかなり前のことなのに、昨日のことのように思い出せる。

 幻想郷の中でも浮いている館での日々に、こいしはとても興味を持ってくれた。彼女の住む地霊殿も洋館らしいが、だいぶ印象が違うようだ。

 中でも、レミリアとフランドールは二人とも弾幕ごっこが上手だという話に、こいしはとても食いついた。相変わらず、弾幕が大好きらしい。フランドールはいつか寺に遊びに来るかもしれないと言うと、会ってみたいなと笑ってくれた。

 虹色異変の首謀者が花子であると告白すると、こいしは感心したようなそうでもないような、曖昧な口調で言った。

 

「へぇー。花子があの霧を出したんだぁ」

「霧を出したのは、フランちゃんなんだけれどね。私が言い出しっぺっていうか。実はそれも、ちょっと違うのだけど」

「花子のことだから、流されたんだろうねぇ」

「う、うん。まぁ」

「目がチカチカしたけど、あの霧は楽しかったなぁ」

 

 七色の霧は、どうやらこいしには受けたらしい。弾幕好きなところも似ているし、少しずれた価値観も、フランドールと近そうだ。もしかしたら彼女は、フランドールといい友達になれるかもしれない。

 気づけば、時計の針は正午近くを示していた。一輪に昼食の仕事を手伝ってくれと頼まれて、こいしは少し名残惜しそうに、居間から出ていった。

 一人残されてしまったが、料理ができない花子が手伝っても、かえって邪魔になりかねない。せめてもの礼儀として、正座をしてじっと待つことにする。

 数分すると、長い戦いを終えた響子が居間にやってきた。酷く疲れているが、今度ばかりは自業自得だ。苦笑で迎えてやると、響子も似たような顔をして、

 

「こってり絞られちゃった」

「あはは、そうみたいだね。三時間以上経っているもの」

「そんなもんか……。私には、何日もお説教されたように感じたよ」

 

 花子の対面にぺたりと座り、響子はちゃぶ台に突っ伏した。白蓮は優しい人というイメージが強いが、そういう人ほど怒らせると怖いのは、花子も知っている。外の世界でお世話になったムラサキ婆が、まさにそうだった。

 昼食のタイミングを見計らってか、ぬえとマミゾウが帰ってきた。彼女らは台所の前を通ったにも関わらず、手伝おうという気はまるでないらしく、迷わず居間にやってくる。

 一仕事終えたとばかりに、ぬえは爽やかな笑顔で胡座をかいた。

 

「ただいま。いやー、今日もナズーリンは不機嫌だったわ」

「おぬしが不機嫌にさせとるんじゃ。ま、それが面白いんじゃが」

「またナズーリンにちょっかい出したの? 寅丸様に怒られるよ」

 

 また、ということは、しょっちゅう無縁塚のナズーリンをからかいに行っているのらしい。響子に注意されても、ぬえとマミゾウは涼しい顔だ。

 

「真夜中にアホみたいな声出す奴よりマシっしょ」

「同感じゃの」

「あ、あれは音楽だもん、芸術だよ! ねぇ花子」

「えぇっ!」

 

 突然話を振られて、花子は困った。パンクロックは嫌いではないが、芸術かと言われると、花子の中にある芸術へのイメージとは、まるで違う。

 しかし、響子の目は明らかに助けを求めてきている。無下にできるわけもなく、曖昧な顔で頬を掻きながら、

 

「まぁ、個性的な部分が、芸術的かなぁ……」

「苦しいねぇー」

 

 ぬえに笑われてしまったが、自分でもそう思っていたので、悔しいとは思わなかった。

 心からの共感を得られず膨れ面をしていた響子だが、こいし達が昼飯を運んでくると、その匂いで機嫌を直した。魂の叫びであるらしいパンクロックも、食欲には敵わなかったようだ。

 昼食の支度が進む間に、白蓮と星も居間にやってくる。どんなに忙しくても、極力食事は皆で一緒に、という決まりらしい。和気藹々とした雰囲気の中にあっても、この二人が持つ神秘的な雰囲気は色あせない。

 配膳を終えたこいしが、花子の隣に座る。当然のようにそうする様子を見て、響子が不満そうに唇を尖らせる。

 

「花子をびっくりさせようと思ってたのに、もうこいしと会っちゃってたのかぁ」

「びっくりしたよ。まさか、こいしちゃんが命蓮寺にいるなんて、思わなかったもの」

「その顔を見たかったのにな。まぁ、自業自得なんだけど」

 

 ぶつぶつ言いながら、響子が頬杖をつく。花子はこいしと目を合わせてから、

 

「でも、ありがとう。久しぶりにこいしちゃんと会えて、すごく嬉しいよ。響子のおかげだよ」

「ううん、どういたしまして。こいしが花子の友達だって聞いて、いつか遊びに来た時に会わせてあげたいなって思ってたんだ」

 

 にこりとして言う響子は、説教の疲れをすっかり忘れてしまったようだった。対等に接せれる友達が、彼女にとって何よりの癒しなのだろう。

 皆に食事が行き渡ったところで、相変わらず姿勢のいい白蓮が、両手を合わせた。

 

「それでは、いただきます」

 

 後に続く形で、食前の挨拶が弾む。自然な形で混ざってしまったが、こうして受け入れてくれる命蓮寺は、紅魔館とはまた違う居心地の良さがあった。

 食事の間中、くだらない会話が妙に盛り上がった。皆で笑いながら食べるご飯は、一人で弁当を開けるより、やはり美味しく感じる。

 短いスカートで片膝を立てるという少女にあるまじき姿勢のぬえが、まだ口に物が入っているというのに、花子に訊ねる。

 

「んで、花子は次、どこ行くつもりなの?」

 

 マミゾウに頭を叩かれても、彼女は謝りもしないし膝も立てたままである。いつもこんな感じなんだろうなと呆れつつ、花子は答えた。

 

「まだ考えていないの。買い物も済んじゃったし、ふらふら適当に、歩いてみようかなぁって」

 

 目的地がないことを恥だとは思わなかったので、はっきりと告げる。すると、お吸い物を啜っていた水蜜が、お椀を置いてセーラー服のリボンをいじりながら、ほう、と溜息をついた。

 

「いいなぁー、一人旅。幻想郷は狭いけど、楽しいんだろうね」

「色々な妖怪と出会えるから、楽しいですよ。友達もたくさん増えたもの」

「花子ちゃんは人懐っこいしねぇ」

「えへへ」

 

 意識してやっているわけではないのだが、自分でも友達ができやすい性格だとは分かっているので、そこを褒められることは、素直に嬉しい。

 思えば、この旅路はその性格にだいぶ救われている気がする。慣れ合いを嫌う文とは大げんかしてしまったが、知り合いのいない幻想郷でうまくやれたのは、新たな友達の力があまりにも大きい。

 たくさん助けられてきたのだなと思うと、これまでの旅路と自分についた力のどれもが、愛おしくすら感じる。ただひとつとして、自分だけの力で勝ち得たものはない。

 この一年間のことをぼんやり思い出していると、白蓮が箸を置いた。

 

「花子さん、提案なのですが、よければこの寺に入門なさいませんか?」

「えっ」

「あなたの誰とでも親しくしたいという姿勢、とても共感するものがあります。善良な妖怪もいるということを、もっと人間にも知ってもらわなければなりません。花子さんには、その力があるわ」

 

 気づけば、居間は静かになっていた。皆が花子を注目していて、ただ一人いつも通りなこいしの箸が動く音だけが聞こえる。

 花子は真剣に考えた。子供を怖がらせていた頃のことを思い出すと、あの時は人間の子達と一緒に遊ぶような感覚で襲っていたし、実害も出していない。人と妖怪が傷つけ合わなくとも生きていける道はきっとあるはずだと、花子も思う。

 しかし、善良な妖怪とはなんなのだろうか。妖怪同士であれば簡単に友達になれるし、中には人間とも仲良くなれる妖怪だっている。花子自身がそうだが、自分が善良であるかは、分からなかった。そもそも、善という基準が見えてこない。

 きっと、白蓮は花子程度では到底及ばないところまで考えているのだろう。その境地に近づける気がしなかったし、遠く漠然としすぎていて、近づきたいとも思えない。

 今はまだ、自分のことしか考えられない。妖怪と人間の共存を掲げて生きるには、花子はあまりにも幼かった。

 

「……ごめんなさい。私には、無理だと思います」

「そう。いえ、いいんですよ。花子さんには花子さんのやるべきことがあるのでしょうし、たまに遊びに来てくれるだけで、嬉しいわ」

「ありがとうございます、白蓮さん」

 

 白蓮はにこりと微笑むと、また丁寧に箸を動かし、食事を再開した。それだけで場の雰囲気が元に戻るのだから、すごい人なのだなと花子は感心してしまう。

 ふと、対面に座っていた響子が花子の食膳を箸で示していることに気づく。あまり褒められた行為ではないが、何かを訴えているらしい。

 何事かと目を落としてみると、花子の漬物が根こそぎ消えていた。ついでにかぼちゃの煮つけも半分ほど、お皿の上から姿をくらましている。

 真っ先に隣を見る。予感は的中していた。白米の上に乗った漬物は花子のものだろうし、今まさにこいしの口に、かぼちゃが運ばれようとしているではないか。

 

「こいしちゃん! それ私の!」

「おいしいよぉ、花子のかぼちゃ」

「あぁん、楽しみに取っておいたのに」

 

 食事中は油断できないところも、変わっていない。花子があまりにも訴えるものだから、さすがに罰が悪くなったらしいこいしは、口の中に箸を突っ込んで、

 

「待ってね」

「いいよ、出さなくていいってば! んもぅ」

 

 漫才のようなやり取りで、食卓はどっと沸いた。花子もつい、笑ってしまう。

 やはり、こんなものなのだ。幻想郷の未来だなどという難しいことより、今こうして誰かと笑っていられる幸せのほうが、花子にとってずっと大切なのだった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 その日は、響子と白蓮の誘いを受けて、泊めてもらうことになった。

 こいしも含めた三人でお風呂に入っている時はとても元気だったのに、昨晩は夜通し叫び続けていたからか、響子は床につくなり眠ってしまった。

 春の終わりとはいえ、幻想郷の夜は少し冷える。響子に毛布をかけてやってから、花子は並んだ三つのうち、真ん中の布団に座る。

 寺で借りたお揃いの浴衣を着ているこいしが、柔らかい布団の上で足をバタバタとやっている。

 

「ベッドもいいけど、畳の上にお布団引くと、気持ちいいよねぇー」

「そうだね。私も畳は好きだな。落ち着くっていうか、なんていうか」

「分かる分かるぅ」

 

 同意が得られてご満悦の様子で、こいしは寝返りを打った。浴衣がだらしなくはだけて、部屋には女の子しかいないとはいえ、はしたない。

 普段の服装は花子に比べるととてもおしゃれなのに、服を労るようなことはしない少女である。妖怪の山でも、夏だからと言って洗った服を生乾きで着ることが多々あった。

 

「こいしちゃん、浴衣直したほうがいいと思うよ」

 

 一応注意してみたが、こいしに気にする様子はなく、またもゴロンとうつ伏せになってしまった。

 

「いいの。あとはどうせ寝るだけなんだからぁ」

 

 さらに寝返りをして、とうとう帯が緩み始めてしまった。それでも直す気がないらしい。花子は「まったくもう」と呟いたが、なぜか少し安心した。

 修行中のこいしはとても真剣で、花子が見たこともない顔をしていた。彼女がただ一度だけ第三の目を開いた時にも感じた、こいしがこいしでなくなってしまったような気持ちを思い出し、不安になっていたのだ。しかし、杞憂だったらしい。

 

 こいしがゴロゴロと寝返りをうつたびに、第三の目があっちにこっちに、潰れない位置へと移動している。思えばお風呂に入っている時も、浴槽の外に出ていた。

 やはり目だから、熱いお湯につかるのはきついのだろうか。聞いてみたくなったが、人の体のことを訊ねるのは失礼な気がするので、止めておくことにする。

 完全に帯が外れてから、こいしはようやく浴衣を直した。着付けは花子よりも上手である。

 

「さてとぉ。花子、もう眠い?」

「うーん、ちょっとだけ。でも、響子みたいにぐっすりは眠れないかな」

「じゃあ、お話しようよぉ」

 

 朝に何時間も話したが、花子もまだ話し足りないと思っていた。承諾して、二人はそっと縁側に出た。

 晴れが続いているので、雨戸は閉まっていない。適当に腰掛け、夜の庭を眺めた。池に映った月が、ゆらゆらと揺れている。

 

「涼しいねぇ」

 

 こいしが気持ちよさそうに目を細めた。丁度いい気温というのもあるだろうが、寺の庭という空間が、妖怪の心すら清くさせているようだ。

 こんな庭を毎日見れるなら、仏教とやらをがんばってみるのもいいかなと思ったが、幻想郷のどこかに同じくらい素晴らしい景色があるかもしれない。それらを探して見つけたい気持ちの方が強かった。

 

「私って、もしかしたら旅が似合っているのかな」

「うぅーん、分かんない。でも、いろんな所に行ったよーって花子が話す時、楽しそうだよぉ」

「実際、とても楽しいもの」

「いいねぇー」

「こいしちゃんだって、あっちこっちを旅していたんじゃないの?」

 

 放浪癖があり、いつもどこかへ出かけているこいしだ。行った場所ならば、きっと花子より多いだろう。

 しかし、こいしは少し困ったような笑みを浮かべた。

 

「私のは、ちょっと違うかなぁ。花子みたく、あっちに行こうーって決めたわけじゃないし、目標があるわけでもないし。友達も、あんまりできなかったから」

「そっか」

 

 花子は深い詮索を止めた。こいしなりに、思うところがあるのだろう。彼女の旅路は、嫌われ者の逃げ道だったのだから。

 気の利く言葉の一つも言ってやれない自分が悔しかったが、下手なことを言って傷口を開くような真似はもっとごめんだ。花子にできることといえば、いつまでもこいしの良き友であり続けることくらいか。

 そう考えたからというわけではないが、花子はふと思いついたことを、呟いた。

 

「こいしちゃんのお家、行ってみたいな」

「うち?」

「うん。地霊殿だっけ、綺麗な館なんでしょ? 紅魔館も立派だったけど、あんなに赤くないだろうし」

「赤くないけど、派手かもぉ。お姉ちゃん、あぁ見えて派手好きだから」

 

 よほど姉に似合わない趣味なのか、こいしは思い出し笑いをしつつ、頷く。

 

「いいよ、じゃあうちに行こぉ。明日に出発でいいかなぁ」

「えっと、私はそれで構わないけれど……。こいしちゃん、いいの? お寺来たばっかりなのに」

「いいのいいの。悟りの境地なんてよくわかんないし、好きな時に来て好きなだけ修行していいって白蓮に言われてるんだからぁ」

 

 恐らくそれは、多い分には構わないということだろう。が、こいしは自分に都合よく解釈してしまっているようだ。

 しかし、こいしが一緒に来てくれるとなれば、花子としてもありがたい限りだ。一人旅も気楽でいいが、友達がいる方が楽しいに決まっている。

 

「じゃあ、一緒に行こう。こいしちゃんと一緒に旅ができるなんて、思わなかった。嬉しいなぁ」

「山を目指す道、二つあるけど、どっちから行こっかぁ」

 

 幻想郷の地理にはまだ疎いが、二つのうち片方の道は、一年前に山へ向かった、湖方面の道だ。もう一方は、花子はまだ通ったことがない。

 

「せっかくだから、歩いたことない道に行きたいな。湖じゃないほう」

「んーっとぉ、魔法の森があるほうだねぇ。いいよ、じゃあそっちから行こー」

 

 道のりもスムーズに決まり、花子はもう旅を始めたような心地になっていた。明日の出発が待ち遠しくて、仕方がない。

 気持ちばかりが先走りそうな花子とは対照的に、こいしはいつもの調子で、

 

「そういえば花子、子供のための妖怪になりたいって、お風呂で言ってたねぇ」

「あ、うん。といっても、人里で襲うのはダメだし、どうしようって考えてるけれど」

「私ね、最近人間の子供と遊ぶことが多いんだぁ」

「そうなの? ちょっとびっくり」

 

 初耳だった。地底の妖怪は人間との相性が最悪で、本気で殺しにかかることも多いという話だが、覚妖怪は人間を敵視していないのだろうか。

 意外だなとこいしの横顔を見つめていると、その表情が、ふと曇った。

 

「今でも、人間の大人は嫌い。みんな、顔は笑ってるのに心では相手を傷つけようとしてるの。そうじゃない人も、たまぁにいるけど」

「……」

「でもね、子供は違うんだぁ。私が心を読んでたって知っても、嫌わないの。無意識の中にいる私を見つけてくれて、気のせいだなんて思わないで、声をかけてくれるの。嬉しかったぁ」

 

 子供の純真さは、花子もよく知っている。精神的な年齢は近くとも、彼らに比べて長く生きている花子とは、その心の透明さはまるで比べ物にならない。

 読んで字の如く、無邪気なのだ。彼らは純粋で、心のままに生きることができる。子供は時として残酷な行為を簡単に行うが、それらは大人からすると狂気とも見れる純粋さ故なのだ。

 

「私が子供と遊んでいる時、大人は誰一人、私のことが見えていないの。あの子達にしか見えない、子供だけの友達。それが私なんだぁ」

「外の世界でも、たまにいたよ。自分にしか見えない友達がいるって自慢してる子」

「そういう子達も、大人に近づくと私が見えなくなっちゃうんだけどね。でも、それもいいかなぁって。大人になってもたまに私を思い出してくれれば、嬉しいなって思うんだぁ」

「それ、分かるよ。私も、子供にしか信じてもらえないお化けだったけれど、それが楽しかったし、誇りでもあったもの」

 

 思えば、花子達のような学校の怪異も、子供だけの友達と言える存在だったのかもしれない。怖いお化けではあったものの、肝試しだって、遊びの一つに過ぎないのだから。

 こいしにいつも以上の親近感を覚えていると、彼女はもじもじと、珍しく照れくさそうに、花子を上目遣いで見上げた。

 

「あのね、そのぉ……、子供のための妖怪っていう花子の目標、私も一緒に目指してもいいかなぁ」

 

 思わぬお願いに、花子は目を丸くした。妖怪が目指すものとしては低次元な目標だと思っていたので、まさか志を同じくする者が現れるなど、考えたこともなかったのだ。

 あんまり驚いたので声も出せずにいると、こいしがわずかに肩を落としてしまう。

 

「やっぱ、ダメだよねぇ」

「あっ、ダメじゃない! ダメじゃないよ。ただちょっと、びっくりしすぎちゃったの。でも、突然どうして?」

 

 訊ねると、こいしは恥ずかしそうに頬を掻いてから、背後――襖の向こうで寝息を立てているであろう響子へと振り返った。

 

「お寺でね、響子達と話してるうちに、羨ましくなったんだぁ。人間を嫌ったり怖がったりしないで、ニコニコ話してるの見てると、いいなぁって思うの。私は、今でも人間が嫌い。きっと人間も、私が昔は覚ってたって知れば、私を嫌う。だから、すごく眩しかったんだぁ。妖怪と人間が仲良くしてるの、眩しかった。

 瞳を閉ざしたところで、私が覚だって事実からは逃げられないの。妖怪にも人間にも嫌われて、当たり前なんだぁ。花子とかみすちーはそんなことないって言ってくれるけど、私とお姉ちゃんは、ずぅっとそうだった。私達二人と、ペットだけで、寂しさを押し殺して暮らしてきたの。

 でもね、本当はずっと、友達が欲しかったんだぁ。覚の力を捨てたのは、私なりにどうしたらいいかを考えた結果だったの。何年かして友達ができたからよかったけど、誰にも気付かれなくなるくらい私の存在感がなくなった時は、本気で後悔したよぉ。お姉ちゃんにも、気付いてもらえなかったんだもん」

 

 辛い話に花子俯くのを見て、こいしが「ごめんね」と呟いた。首を振って、大丈夫と小さく告げる。

 心配そうな顔はそのままに、こいしは続けた。

 

「私がお寺に来たのも、実はそれが本当の理由なんだぁ。人間と仲良くする方法、分かるかなって。みんなには内緒だよ」

「うん」

「それでね、人間は嫌いだけど、子供だけは違ったんだ。昔、心を読んでいた私には、分かるの。お寺に遊びに来るあの子達は、本当に私を友達だと思ってくれてる。だから、子供だけの妖怪になりたいなって。そうすれば、私は地底の妖怪じゃなくて、幻想郷の妖怪になれるかなぁって」

「……うん」

 

 いつも笑顔でいるこいしが、常に自分の心を隠していることには、山にいる時から気づいていた。文に暴言を吐かれた時の、酷く傷ついたあの表情は、忘れられない。

 今日、秘めていた心を打ち明けてくれたことを、花子はとても嬉しく思った。こいしの申し出を断る理由など、どこにあるだろうか。

 

「こいしちゃん、一緒にがんばろう。子供のための妖怪になろう。私達なら、きっとやれるよ!」

「うん。……ありがとぉ、花子」

 

 こいしが浮かべた微笑みは、空の月よりもずっと優しく、輝いていた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 翌朝、花子とこいしは命蓮寺の門にいた。

 朝食の時に旅立ちを告げ、皆はとても驚いていたが、二人に共通する目的ができたことを話すと、快く送り出してくれた。

 今は、響子と白蓮が見送りに来てくれている。こいしが子供のための妖怪になると言った時、白蓮はとても喜んでいた。

 一方の響子は、後輩がいなくなるのが寂しいらしい。自分のスカートの裾を掴んで、訴えるように言った。

 

「こいし、また来るよね? また来てね?」

「うん。地底について落ち着いたら、また修行しにくるねぇ」

「約束だよ。花子もきっと、遊びに来てよ」

「もちろん」

 

 犬耳をしょんぼりさせている響子は、以前よりもずっと名残惜しそうだ。こいしも一緒にということもあるし、昨日一晩泊まったせいで、別れが辛くなってしまったのだろう。

 それは花子も同じだが、旅路につき物の一時の別れには、もう慣れている。響子の頭を撫でてやってから、白蓮に頭を下げた。

 

「お世話になりました」

「いえいえ。花子さんもこいしさんも、がんばってくださいね」

 

 揃ってお礼を述べてから、花子はこいしと共に歩き出した。いつかのように、響子の声が背中を押してくる。

 二人は響子と白蓮に何度も振り返り、大きく手を振った。その影が見えなくなってから、こいしが大きく伸びをする。

 

「今日もいいお天気だねぇ」

「そうだね。景色をいっぱい見たいから、ゆっくり歩いていこっか」

「こっちからだとすっごく遠回りになるから、山にまで何日か、かかっちゃうかもねぇ」

「ありゃ、そうだったんだ。でも、それも楽しそう」

 

 自分一人だったら後悔しそうなことでも、友達と一緒なら楽しみになる。いつもより、足取りもずっと軽い。

 同じ夢を目指す二人の旅路は、明るい道になりそうだ。

 風が吹いた。帽子を押さえたこいしが笑う。花子もまた、暖かな春風を受けて、笑みを零した。


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