かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのじゅうなな 恐怖!正体不明と化け狸!

 

 

 

~~~

 

 

 太郎君へ

 

 

 こんにちは。とっても寒くなってきたね。北の方ではもう雪が降っているころかな?

 

 今日は、ちょっと不思議な妖怪に出会いました。私たちと同じで、化けて人を驚かす妖怪です。

 

 私を人間と間違えたのかと思ったのだけれど、なんだか違うみたい。私のことを知ってる、というか、私を嫌ってるみたいでした。

 

 初めて会う人だと思うんだけど、どうしてだろう。おかしいね。

 

 その妖怪さんは、人間に化けていたの。私もできたらいいなと思ったのだけれど、考えてみると、私は化けなくても人間と間違われるものね。このままでいいかも、えへ。

 

 もうすぐレミリアさんのお家につきます。あのお館は久しぶりだから、楽しみ!

 

 また明日、お手紙します。おたよりは楽しい日課なので、太郎君にも楽しんでもらえていると嬉しいな。

 

 それでは、またね。

 

 

 花子より

 

 

~~~

 

 

 

 まだ日が昇ったばかりの街道を、小さな後姿が鼻歌交じりに歩いていく。

 おかっぱ頭にセーラー服の上着と古びたもんぺという姿は、人里の子供と間違われても仕方がないだろう。恐らくぬえも、彼女から妖怪の妖気が伝わってこなければ、疑うことなく人間だと思い込んでいたはずだ。

 

「さて……。どう料理してやろうかな」

 

 朝もやが覆う草むらの陰から、ぬえは舌なめずりなどしつつ花子を見据える。彼女の纏う黒いワンピースはお世辞にも防寒性に優れているとは言い難いが、ぬえが妖怪だからか、あるいは目の前の敵に心を奪われているからなのか、寒さは感じない。

 一方、隣の相棒。佐渡からはるばるやってきた化け狸の二ッ岩マミゾウは、北国の生まれだけあって寒さには強いようだが、小さく丸い眼鏡を持ち上げ、眠そうに目をこすっている。

 

「のう封獣(ほうじゅう)よ。いっぺん寺に帰らんか? もう眠くて敵わんのじゃ」

「妖怪のくせに徹夜程度で音上げないでよ。やっとあいつが動き出したってのに、今から帰って寝るなんて、馬鹿げてるでしょ」

 

 本当ならば、花子が寝ている夜のうちにあれやこれやを実行するつもりだったのだが、花子はどういうわけか、一晩中八雲紫と一緒にいたのだ。スキマ妖怪の恐ろしさを何度も話で聞いていたぬえは、紫がいなくなる瞬間を狙う以外になくなってしまった。

 朝まで待ってようやく得たチャンスを、逃すつもりはない。ぬえはこっそり体を起こし、花子の後を追いかける。

 

「ほら行くよ、マミゾウ。遅れないでよね」

「わしは花子とかいう(わっぱ)に恨みはないんじゃがのう」

「いいじゃない。友達でしょ」

 

 ウィンクなどしてみせると、マミゾウは目を逸らして小さく溜息をついた。

 

「そうじゃな、友達じゃな」

「む、ノリ悪いな」

「眠いだけじゃ。ほれ、花子を見失うぞえ」

 

 マミゾウに背中を押され、ぬえはしぶしぶ花子の後を追う。

 草むらをかき分けながら進んでいると、背後からしっかりついてきているマミゾウが言った。

 

「しかし、どうするつもりじゃ? 花子をこの郷から追い出すつもりかえ? それともいっそ、亡き者にするのか?」

「へ? あー、いやまぁ、そこまでするつもりはないけど。適当に仕掛けて、あいつが困ってるところが見れたらそれでいいかなぁって」

「……しょーもな。まぁおぬしのイタズラが基本的にしょうもないってことは、知っておったがのぅ」

 

 じっとりとした視線を背中に受けたが、ぬえは返事をしなかった。無言を貫いていると、マミゾウが諦めたような声音で、

 

「まぁ、殺生が好かんのは、わしも同じじゃがの」

「さっすがマミゾウちゃん。分かってくれると信じてたわ」

 

 生い茂る草を極力揺らさぬようにしながら、花子の横を通り過ぎる。間近で見ると、その顔のなんと暢気なことか。イタズラを仕掛けるのが申し訳なくなるほど、意気揚々と街道を歩いている。

 もっとも、そんな花子の表情を見たからといって、ぬえの気持ちが変わるわけではない。マミゾウの横に並んでから、小声で作戦の確認を始める。

 

「いい? まずは私が『種』で正体を隠してから、あいつの前に出るわ。花子には私がそこらの町娘か何かに見えるはずだから、あんたは昨日話したとおりに頼むわよ」

「あい分かった。じゃが、大丈夫なのか? おぬしの『正体不明の種』は、相手の知識に依存するんじゃろ。花子から見た封獣が、絶対に人間の娘に見えるとは限らんじゃろうて」

 

 ぬえの能力――『正体を判らなくする程度の能力』は、不定形な『正体不明の種』を植え付け、その対象に対する周囲からの視覚的認識をかく乱させる能力だ。種を植え付けられた対象は、見るものによって見た目が変わる。先の聖白蓮復活騒動では、空飛ぶ木片がUFOに見えたりしたそうだ。

 残念ながらこの能力は、対象の正体を知っている者には通用しない。例えば、今のようにぬえが『種』で何者かに化けようとしても、相手がぬえの正体を知っている知人であったとしたら、化けることは叶わずぬえにしか見えないのだ。使い所が難しい能力である。

 

「大丈夫よ。あいつは私の見た目から得た先入観で、私がどう見えるか決める。人の子供がたくさん集まる場所にいた花子なら、私の姿を見て真っ先に人間の女の子をイメージするはずだわ」

「根拠のない自信じゃのう。まぁしかし、『種』を長年使ってきたおぬしの言うことじゃ。そっちは任せて、わしは準備に入らせてもらうぞえ」

「頼んだわよ。この作戦の成功は、あんたにかかってるって言ってもいいんだからね!」

 

 他力本願もここまでくるといっそ清清しいほどだが、ぬえに反省の色はない。

 自身に『種』を仕込み、やれやれと呆れながらも変化(へんげ)の術を唱えるマミゾウを尻目に、ぬえは街道に出る。

 花子がこちらを見た。草むらから突然現れた少女に、首を傾げている。

 覚悟しろ。心の中でにやりと笑い、ぬえは作戦を開始した。

 

 

◇◆◇◆◇

 

「……?」

 

 街道の外れから慌てた様子で出てきた少女に、花子は訝しげに眉を寄せた。

 整備された街道とはいえ、花子が歩いている場所は人里からかなり離れている。こんなところに人間の少女が一人でいることなど、あるのだろうか。

 黒い着物を着た少女は、年のころ十四か十五程度。酷くうろたえた様子で辺りを見回した後、花子を見つけ、目を輝かせる。

 

「あぁっ! そこの聡明そうなお嬢様!」

「へ?」

 

 花子は周囲を見渡した。悲しいことだが、どう見繕っても自分が賢そうな外見だとは思えなかったからだ。

 しかし早朝だけあって、だだっ広い街道に見える人影は花子と少女の二人だけ。少女の視線も一心に花子へ向けられており、どうやら自分のことで間違いないようだ。

 一目散にこちらへ走り寄ってきた少女は、花子の前にひざまずくと、

 

「お助けください! 化け物に追われているのです!」

 

 黒のショートヘアは朝露に塗れ、赤い瞳が恐怖に潤んでいる。彼女を追う化け物とは、恐らく妖怪だろう。

 人里から離れた場所で、それも夜の効力が残る朝方に人間がうろついていれば、妖怪に襲われるのは当たり前だ。自業自得ともいえる。

 とはいえ、こうも必死に助けを求められては、無視することもできない。だが、幻想郷の妖怪ならば彼女を取って食うことはしないだろうし、同じ妖怪として仕事の邪魔をするのも忍びない。

 どうしたものかと考え込んでいると、わずかに俯いた少女が、小さく呟いた。

 

「何とか言えよおかっぱ」

「……え?」

「このままでは私、食べられてしまいます! あぁ、父亡き後、女手一つで私を育ててくれた母に、まだ何も親孝行できていないというのに!」

 

 芝居がかった仕草で、少女は呆気にとられている花子に懇願した。

 

「おぉ、愛らしいおかっぱのお嬢さん! どうかこの、哀れな小娘をお救いください!」

「えぇと、そう言われても……」

 

 頬を掻きつつ、花子は苦笑いを浮かべる。少女の挙動からは、危機感よりもうそ臭さの方が強く伝わってくるのだ。

 できるだけ関わりたくなかったが、お人好しな花子は、どう考えても怪しい少女に手を差し伸べてしまった。

 

「追っかけてきてるの、どんな妖怪なんですか?」

「え? えっと……その、そう! 猿の顔に狸の胴、虎の手足と蛇の尾を持つ妖怪なのです! ヒョーヒョーと、トラツグミに似た気色の悪い声で鳴くとんでもない化け物で――」

「なんか、あべこべですね。混ぜればいいってものじゃないのに」

「……いや、実際本当に恐ろしいんですよ。マジで。平安の世を恐怖のどん底に叩き落したんだから。当時の天皇を恐怖のあまり病床に伏せさせ、弓の名手である源頼政と家来の猪早太が二人がかりでようやく退治した伝説の大妖怪。その恐ろしさは今も語り継がれているのよ!」

 

 後半からは、まるで自慢するかのように得意げな顔で語っている。

 なんとなく感じていた嫌な予感が確信に変わりつつある中、花子は努めて冷静に本題へ戻す。

 

「それで――私はどうしたらいいんですか? あなたを人里に送ればいいのかな」

 

 引きつり笑いで訊ねると、少女はハッとした後、必要以上に何度も頷き、

 

「そうです! それで、その、なんだっけ……。あそうだ、えぇと! こんなところで同じ人間に出会えたのは、幸運でした! 恐ろしい妖怪に追われ、哀れな小娘に何ができましょう。あなたもひ弱な人間であるとは知っています。ですが、今の私にはあなたこそが一筋の光明!」

 

 長々と語る少女。件の化け物は、まだ姿を見せない。どころか、いつの間にか朝日が昇りきった街道は、実に静かなものである。

 静寂の朝日に包まれる中、一人でミュージカルをやる少女を眺めながら、花子は早く終わらないかなと思い始めていた。

 

「例えか弱い人間の女子(おなご)でも、二人ならばきっと窮地を脱出できるはず! さぁ、あなたと私、手を繋いで仲良く逃げましょう! 人の身にできることなどその程度です!」

 

 思わず、深い溜息が出る。花子はさっさと正体を明かして、この場から逃げることに決めた。

 恐怖に沈んだ瞳でこちらを見つめる少女に半眼を向けたまま、花子は極力感情が出ないよう淡々と告げる。

 

「あのぅ、私も妖怪なんですけど」

 

 一瞬、少女の顔が歓喜に歪んだ。

 この時を待っていたとばかりなその表情は一転、学校の美術室で見たムンクなる画家の『叫び』という絵に良く似た顔に豹変する。

 

「ひぃぃぃやぁぁぁぁぁッ! 妖怪ィィィィッ!」

「え、えぇっ!?」

 

 外見が外見だけに、妖怪であることを怪しまれると思っていた花子は、このリアクションに大変驚いた。

 手をメガホンにして、周囲に知らせるかのように、少女が絶叫する。

 

「おたすけぇぇぇぇ! 妖怪よぉぉぉぉっ!」

「ちょ、ちょっとやめてください! まだ朝早いんだから、迷惑ですよ!」

 

 見当違いな忠告だとは分かっていたが、花子はとりあえず思いついた制止を口にする。しかし、少女は止まらない――どころか、とても楽しそうに、

 

「触らないで! 食べられるぅぅぅっ!」

「あぁもう、お願いだから静かにしてください!」

「いやぁぁぁぁっ!」

 

 肩を抑えて止めようとしても、少女は小柄な体にあるまじき腕力で振り払ってくる。

 いい加減嫌になった花子は、妖力で加速させた頭突きで気絶させようと決めた。仕方なく全身に妖気を滾らせた、その時。

 

「待てぇいッ!」

 

 朝もやに響く新たな声。花子は面倒ごとが増えた事実に泣きそうになった。

 舞台袖から出てくる役者のように草葉の陰から現れたのは、紅白の巫女装束。長い黒髪には大きな赤いリボンもつけている。

 妖怪の天敵である、博麗霊夢だ。花子も何度か痛い目を見ており、できれば出会いたくない人物なのだが、

 

「霊夢……だよね?」

 

 その外見を上から下まで見渡し、花子は首をかしげた。

 確かに霊夢なのだ。なのだが、目元にかけた小さな眼鏡や、いつもの彼女らしからぬやる気に満ちた瞳など、どうしてか霊夢からは尋常ではない違和感が伝わってくる。

 しかし、こちらの疑問など知ったことではないらしく、霊夢らしいその少女は、大幣を花子へ突きつける。

 

「か弱き乙女を襲う悪しき妖怪よ! このわしが成敗してくれるから、そこに直れい!」

「博麗の巫女様! この哀れな小娘をお救いください!」

「もう大丈夫じゃ、お嬢さん。わしが来たからには妖怪の一匹や二匹、ほーみんぐあむれっとで一網打尽じゃよ!」

「あぁ、なんと頼もしい!」

 

 黒い着物の少女を小脇に抱える霊夢。一連の流れが心底馬鹿らしくなってきた花子は、とりあえずいつでも出発できるようにリュックを背負いなおした。

 花子の動きを逃げようとしたと見たのか、霊夢がキッと眉を吊り上げる。

 

「おぉっと、逃げられると思うなよ(わっぱ)! わしと出会ったのが運の尽き、大人しく退治されいっ!」

「別に逃げるつもりはないよ。ところでさ、霊夢」

「なんじゃ、言い訳は聞かぬぞ!」

 

 いちいち挙動が小芝居な霊夢。花子は溜息も一緒に吐き出して、

 

「あなたって、そんなお婆ちゃんみたいな喋り方してたっけ?」

「ぬ? ど、どうじゃったかのう。わしは、いやえっと、私は」

「ちょっと、しっかりしてよ!」

 

 小声で呟く黒髪の少女に、霊夢は額の汗を拭いながら「分かっておるわ」と囁き返す。

 ここまでくると、もう構ってやらなければ解放してもらえないのだろう。幻想郷で生きるコツだかなんだかを会得し始めていた花子は、仕方なく事情を説明することにした。

 

「あのね、この子を襲ったのは私じゃないよ。草むらで襲われたらしくて、私を人間と間違えて助けてほしいって言ってきたの」

 

 花子のリアクションは、どうやら二人が待ち望んだものだったようだ。揃って満面の笑みを浮かべ、霊夢は嬉々として大幣を刀かなにかのように構える。

 

「言い訳は聞かぬ、ないわ! 人間を襲う卑しき獣め、覚悟するんじゃ、だわ、よ!」

「なんと凛々しき博麗の巫女様! さぁ早く、子供の姿に化けている妖怪を退治なさってください!」

「化けてないよ」

 

 訴えてはみたものの、やはり二人に聞く気はないらしい。

 霊夢が大幣を振り上げて、威嚇だろうか、犬歯をむき出して花子を睨みつける。思わず身構えるが、以前霊夢と対峙した時ほどの緊張感は芽生えない。

 じっと霊夢を見据えていると、大幣を頭上に構えたままの霊夢の頬を、一筋の汗が伝った。

 

「おぬし、じゃなくて、あんた……。私が怖くないのかえ?」

「え? んー、今日の霊夢になら勝てそうな気がするよ」

「なかなか失礼なやつじゃの……。しかし、そこまで言うからには覚悟できておろうなっ!」

 

 老人じみた喋り方に戻ってしまった霊夢――この時すでに、花子は彼女が本物の霊夢ではないと確信していたが――が、大幣に力を込めた。

 振り下ろされる大幣は素早く、とても人間の腕とは思えない腕力だ。受け止めることも叶わず、大幣は花子の頭を思い切り叩いた。

 

「あいたっ!」

 

 重々しい音が辺りに響き、黒髪の少女が痛そうな光景に顔をしかめる。

 思った以上の威力だったが、花子も妖怪だ。痛いことは痛いが、大幣の形をした木の棒で叩かれたところで、致命傷にはなりえない。

 涙目で霊夢を見上げると、彼女はかなり得意げに口の端を持ち上げた。

 

「どうじゃ、大幣の破壊力は!」

「さすがです、巫女様! 妖怪をこうも簡単に退治してしまうなんて!」

「……」

 

 どうやら退治されたということになっているらしいが、さすがに痛い目にあったとなれば、花子も彼女らの芝居に付き合う気がなくなっていた。

 こぶができていそうな頭をさすりつつ、花子はぽつりと呟く。

 

「霊夢の大幣なら、もっと痛いはずなんだけどな」

 

 少女と霊夢が、固まった。二人揃ってこちらを凝視し、何事かを囁きあっている。

 しばしの沈黙。花子は今までの人生で一番と言えるほど冷たい気持ちで、霊夢と少女が動き出すのを待った。

 やがて、どうしてか大幣を背後に隠した霊夢が、引きつった笑みを浮かべた。

 

「の、のう。おぬ、いやあなた。私と戦ったこと、あったかしら」

「一回目は人里の寺小屋で。二回目は、橙と小傘と一緒にいるとき、大幣で散々叩かれたよ」

「……そうだった、そうだったのう、わ、よね! 思い出したわ花子、今日ここであったが百年目、あの時の決着をつけようじゃないの!」

「きゃ、きゃー霊夢様、おがんばりになって!」

 

 かなり苦しくなってきた演技だが、さすがにもう我慢してやるつもりはない。

 ずれてしまったリュックを背負いなおし、叩かれて乱れたおかっぱを手ぐしで整えながら、花子は言った。

 

「もういいよ。あなた、霊夢じゃないよね。気付いてたよ、ずっと」

「なん……じゃと……?」

「まさか、そんな――」

 

 信じられないと顔色を変える二人。花子は霊夢を象る少女から、黒髪の少女に視線を移す。

 

「あなたも。人間じゃないんでしょ? 妖気が溢れていたもの」

「え、う、嘘よ! いつ、私から妖気が出たってのよ!」

「私が妖怪だって教えてあげた後、すっごい悲鳴を上げたでしょ。あの時、私より強い妖怪なんだって気付いたよ」

 

 途端、少女は悔しげに歯を食いしばった。ギリギリと花子を睨みつけ、突然身を翻したと思うと、着物を一瞬で脱ぎ捨てる。

 黒い着物が宙を舞い、花子は一瞬、そちらに気を取られる。次に少女を見たとき、黒髪と顔立ちはそのままだが、少女は黒いワンピースとニーソックスを身に纏っていた。背中には青と赤の、なんとも形容しがたい二対の翼を生やしている。

 一瞬の早着替えではなく、あの着物も変化(へんげ)のうちだったのだろう。感心するでもなく、そら見ろ妖怪ではないかと、花子は呆れた視線を黒髪の少女に向けた。

 

「ハハッ! ばれてしまっては仕方ないわね、そう、私は誰もが恐れる大妖怪、封獣ぬえよ!」

 

 ぬえというらしい少女は、なにやら切羽詰った様子で、霊夢もどきの背後に隠れた。

 

「さぁ我が(しもべ)、博麗霊夢よ! この弱小妖怪をこらしめてやりなさい!」

「いやだから、その人は霊夢じゃないって。もう妖気でばれてるよ」

 

 まだ続くのかと、花子は心底辟易した。幻想郷で出会った妖怪の中でも、ぬえはかなり諦めが悪いようだ。

 二度、三度背中を押されて、霊夢っぽい何かがようやく気を取り直し、胸を張った。

 

「あ、甘いわ花子! わし、じゃなくて私はね、妖気も自在に操れるのよ。なんていったって博麗の巫女なんじゃからの!」

「……ふぅん。すごいね」

「そうじゃろう、すごかろう」

「謝るなら今のうちよ、チビのおかっぱ!」

 

 すっと、花子は右手を持ち上げた。その人差し指を、霊夢もどきの頭――そこにいつの間にやら生えている獣耳に向ける。

 

「博麗の巫女って、耳も生えるんだね」

 

 はっとして、頭の耳を押さえる霊夢もどき。しかし、花子の手はそのまま彼女のお尻に移動した。

 

「すごいよね。尻尾まであるんだ」

 

 花子の言うとおり、巫女装束の後ろからは、大きく丸っこい狸の尻尾が現れていた。ぬえが慌てて隠そうと試みているが、あまりにも遅すぎる。

 二人して耳と尻尾を隠す努力をしているが、気が乱れた状態では、変化(へんげ)はうまく保てない。やがて、霊夢もどきの足元から、ぼんと白い煙が立ち上る。

 煙が消えて現れたのは、赤茶色の髪を肩まで伸ばし、その頭にはご丁寧に葉っぱまで乗せた、丸眼鏡が似合っているいかにも狸な妖怪少女だった。

 

「……あ」

「ちょ……」

 

 ぬえと狸の少女が、二人して何かを言いかけ、止まる。

 硬直したまま徐々に顔色が青くなる妖怪少女二匹に、花子は宿敵であった文の口調を意識しつつ、言い放った。

 

「今度は誰に化けるの? 魔理沙かな。それとも早苗さん? 変化(へんげ)するまで、待ってあげてもいいよ」

 

 青ざめていた顔をみるみる赤くさせ、ぬえは悔しげに唇を噛んでから、

 

「くっ……。お、覚えてなさい! 行くわよ、マミゾウ!」

「とほほ。なんでわしがこんな恥ずかしい思いをせにゃならんのじゃ……。小娘妖怪に変化(へんげ)を見破られるし、もう佐渡に帰りたい」

「ぶつぶつうるさい! ほら行くよ!」

 

 いじけてしまった狸少女――マミゾウの手を無理矢理引っ張り、ぬえが宙にふわりと浮かぶ。花子が声をかける暇もなく、二人はあっという間に飛んでいってしまった。

 ぬえとマミゾウがいなくなった空をしばらく見上げていた花子だが、ややあって、おかっぱ頭を掻いてから溜息をつく。

 

「……なんだったんだろ」

 

 ぬえという少女は、自分に何か恨みでもあったのだろうか。あるいは、花子を敵視していたのはマミゾウの方なのか。

 朝っぱらからの騒動について何一つ分からないままだったが、不思議と大して気にならなかったので、花子は肩をすくめる。

 

「まぁ、いっか」

 

 声に出すと、本当にどうでもよくなった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 作戦は失敗に終わった。その原因は、マミゾウにある。ぬえはそう断言した。

 

「なんじゃと? わしの変化(へんげ)は完璧じゃった。失敗したのはおぬしの演技がへたくそだったからじゃろ」

「はぁ? 私は花子を完全に騙してたわよ。あんたが耳やら尻尾を出さなきゃ、うまくいってたに決まってるわ」

「よくそんなことが言えるの、おぬし。奇声上げた時には、妖怪とばれとったくせに」

 

 命蓮寺の門を出てすぐの切り株に腰掛け、マミゾウが膝に頬杖をついた。その正面に仁王立ちしているぬえは、すっかり不機嫌に膨れている。

 ぬえとマミゾウは、響子やナズーリンと同じく命蓮寺の住人だ。もっとも、最近外の世界から来たばかりのマミゾウはともかく、ぬえに仏を敬う気持ちはあまり見られない。

 化け狸としてのプライドが傷つけられ、マミゾウはかなり落ちこんでいるようだ。鬱々とした嘆息をゆっくり漏らし、

 

「そもそも……。わしとおぬしが化けてあいつを困らせて、最後はどうしたかったんじゃ?」

「え? そりゃ、まぁ……」

 

 目線を宙に漂わせ、ぬえは唇に人差し指を当てた。

 花子が困惑する顔を見るのが目的だったのだが、ここにきて、最終的に彼女をどうしたかったのかまでは考えていないことに気がつく。

 ふと見れば、マミゾウが丸眼鏡の奥から冷たい目を向けている。つい目を逸らすが、追い討ちをかけるような声が聞こえてきた。

 

「封獣よ。昔っからじゃが、おぬしは考えないで動くのう」

「か、考えながら動いてるのよ」

「その言い訳も、なんど聞いたかわからんわ。みなもとのナニガシとかいう奴に退治された時にも、似たようなこと言っとったじゃろ」

「昔のことは言わないでよ」

 

 ばつが悪そうに、ぬえが頬を膨らませる。

 

「どうしても花子に嫌な顔させなきゃ、気がすまなかったの。仕方ないじゃない」

「分からんでもないが、物騒な理由の割りに、やることが小さいしのう」

「……物騒? なにが?」

 

 腕組みをして、ぬえは首をかしげた。座ったままこちらを見上げ、マミゾウが目をぱちくりとさせる。

 昼を過ぎた時刻の街道を、荷馬車がカラカラと通り過ぎていった。見つめ合う妖怪二匹を見るや、御者が馬を加速させ、駆けていく。

 蹄の音が遠くなってから、マミゾウはようやく口を開いた。

 

「なにがって、花子が邪魔なんじゃろ? あいつの存在が」

「うん」

「物騒じゃろうが。あたかも幻想郷から葬ろうと言わんばかりの口ぶりじゃったぞ」

「そんなつもりはないってば。あいつが邪魔なのは本当だけど」

 

 何度も言ったではないかと、ぬえは眉を寄せた。しかし、マミゾウは納得していないらしい。

 

「……そもそもおぬし、なんで花子が邪魔なんじゃ?」

「あれ? 言ってなかったっけ」

 

 すっかり話したつもりになっていた。ぬえは一つ咳払いをし、

 

「私のスペルカードにさ、正体不明『厠の花子さん』ってのがあるのよ」

「あるのう」

「でしょ。あんたから聞いたトイレの花子さんの話をスペルにしたんだけど」

「本人が現れたせいで、トイレの花子さんが正体不明じゃなくなった、と」

「そういうこと。ね、邪魔でしょ?」

 

 頷くと、マミゾウは深い深い溜息を吐いた。付き合いの長いぬえであっても、今まで見たことがないほどだ。

 マミゾウが立ち上がる。彼女は半眼で、ぬえの顔を間近で覗きこんだ。

 

「そんな理由で、わしを巻き込んだんか」

「うん」

 

 ぬえのイタズラにマミゾウを巻き込むことなど、今に始まったことではない。幻想郷が生まれる前からよくあったことだ。

 マミゾウも諦めているらしく、呆れ顔で眼鏡の位置を直した。

 

「やれやれ。まぁいつも通りじゃの」

「何がよ」

 

 訊ねても、マミゾウは答えてくれなかった。ただ軽く肩をすくめて、

 

「それで、どうするんじゃ? また奴に仕掛けるんか?」

「どうしよっかねー。ま、適当に考えておくわ。そんなことより、そろそろ朝ご飯だし、戻ろうか」

「自由な奴め。しかし、腹が減ったのは同じじゃ。帰ろ帰ろ」

 

 失敗に対する反省は結局なかったことになり、ぬえとマミゾウは朝食のために、意気揚々と命蓮寺へ帰るのだった。


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